第７話

７


　アリスが目をやったのは虚空だった。しかし程なくしてそこにはブラックホールのような円状の漆黒が生まれ、付近の空間を歪めながら大渦を巻いた。
　そして―――。


「うえ!?」
「んん？」


　漆黒の狭間から人間の形をした……にしては人間より大きすぎる『なにか』が現れた。俺とアリスはそのなにかに向けて目を凝らす。


　いかにもファンタジーっぽさがあり、いかにも権力者が纏っていそうな黒白の法衣だった。それを着こなしていたのは銀灰色の艶髪を伸ばす中老の男性。その達観に果てたような渋い顔つきから浮かび上がっていたのは、確かな怒りだった。


　なおその怒りの矛先はこの俺であるはずがなかった。俺には見覚えがない相手なのも理由だし、目の前のアリスが『こ、心当たりあります』と言わんばかりに、その小さな体をさらに縮こませていたからだ。


「そ、そんな……。どうしてこんな所に……」
「愚かなアリスよ！」
「ふぁい!?」
「貴様、一体いつまで我に恥をかかせる気か!?　ろくに勉強せず、家にも帰らず、人間界にばかり興味を示しおって！　あれほど干渉するなと言っておろうに！」
「だ、だってぇ……。あっちつまんないんだもん……」
「黙れ！　貴様など要らぬ！　そこまで人間が好きならば我が手で直接堕天の刑をくれてやる!!」
「ひぃ!?」


　怯えきっているアリスを他所に、中老の男性が手品のように黄金のロッドを取り出した。アリスが使っていたロッドよりも何倍と大きい。割り箸と爪楊枝くらい違うんじゃないだろうか。


（こ、こえええ……！）


　ロッドの先端が不気味に輝き出す。その色は青紫。俺には敵意アリのイメージしかない残忍な色だ。


「じょ、冗談、だよね？」
「さっさと選ぶがいい。我に抗い一から出直すのか。それとも……死を受け入れ最期に我の顔を立てるのか！」


　中老の男性がロッドの先端を前に振り下ろす。次の瞬間、ロッドから混沌の塊が打ち出され、それが時空すらも断つような破壊の奔流を形成し、標的のアリスへと向かっていった！






（って、あの!?　彼女のすぐ後ろには俺もいるんですけど……!?）






　という切実な事実確認は今言ったところで手遅れだった。これはもうアリスと仲良く宇宙の藻屑になるのかなーと、俺は両目を閉じかけたところで、


「ていやっ！」


　可愛らしい発声だった。それがアリスのものだと認識した時には、目前に迫っていたはずの強攻撃が雲散霧消していた！


「…………。フン。やはり抗うか、この親不孝者め」
「そりゃあねー。でも、一から出直す気もないよ？　パパ？」


　ぱ、ぱぱぱぱパパぁ（衝撃）!?


（いやいやいや!?　親子として似てないっつーか全くの別モンだろ！　体つき違うじゃん！　巨人族と小人族みたいなことになってるじゃん！）


　子供に『赤ちゃんはどこから生まれてくるの？』って訊かれたら『鼻穴だよー。ホジホジしてたら出てくるんだよー』と答えても違和感ない体格差だった……（絶句）。


「うっさい！　ヘンな表現しない！」
「！　な、なんのことだろうな」


　俺は咳払いして平静を装った。……というかこの状況でも冷静に俺の思考読み取っているようだ。パパに勝つ秘策でもあるのだろうか。


「…………。あるわけないじゃん……」


　アリスはそう小声で呟きながら、自身のロッドを出現させた。


「パパに勝てないのはわかりきった話。でもなにもしないんじゃパパに殺されちゃう。……戦うしか、ない」
「その通りだ、愚かなアリスよ。我と戦わなければ生き残れぬ。もっとも、貴様が生き残るのは奇跡に等しいがな！」


　再びロッドの先端に邪悪な光が点る。と、今度はそれを自身が抜けてきた漆黒の狭間に打ち込んだ。






「―――いざ参れぃ、我に永遠の服従を誓った、猛き魔物共よ！」






　途端、漆黒の狭間から獣の咆哮が聴こえてきた。グボォォォォ！　ムゴォォォォ！　などと、まだ見えぬ獲物を威嚇しているようだった！


「っ!?　な、なんて数!?」


　アリスが顔を歪めたのと魔物の大群がこの宇宙空間に到達したのは同時だった。武器を携えた人型や、翼と尻尾の生えたドラゴン型。強靭な四肢と角を持った馬型。またそれら型の域を越えた合成獣が、まるで怒った蜂が巣から出てくるみたいに続々と現れた！


「我と同じ匂いだろうが構わぬ！　ひと思いに殺ってしまえ！」
「はっ!?　あ、あんたそれでもコイツの父親か!?」


　俺はそう叫ばずにはいられなかった。家庭の事情は知らないがやり過ぎなのは明らかだ！　あんな大量の魔物、アリスに差し向けたら本当に死んでしまう！


「だからキミは黙っててよ！」


　しかしアリスが俺を怒鳴りつけてきた。俺の一声に相当苛立っている様子だった。


（……くそっ！　親もバカなら子もバカってことかよ！　こうなったら勝手に解釈してやる！　神様は皆バカなんだな！　バーカバーカ!!）


「が、ガキくさ……!?」
「同感だ。人間、貴様には一生わかるまい。我々の世界で言うところの親子が、いかに峻厳な常識の下で成り立っているのか」
「あぁわからないな！　だいいち本物の神様なんていやしねーんだよ！」


　そうだ。アリスよりは断然それっぽい身なりをしてるけど、パパも結局は偽者だ。ここはあくまで俺の夢なんだしな。


（つーか夢なんだったら神様はこの俺なんじゃないか？　俺が支配してる世界なわけだろ？　うん、俺がゴッドじゃん！）


「はあ、どうして追い込まれるとプラス思考強めちゃうかなぁ。……でもその自信、近い内に……っていうか、たぶん今すぐ打ち砕かれると思うよ？」
「―――さあゆけぃ、全力でアリスを喰らい殺せぃ！」


　待ちくたびれて裏切りを起こされるかもしれないと危惧したのか、アリスパパが出し抜けに魔物達を解き放った！　その直後、魔物の大群が一斉にこちらへ肉薄する！


（くっ！　夢とはいえ迫力ありすぎて失神しちまいそうなんだがっ!?）






「―――なら。我慢しないで眠っててもいーよ？」






　魔物が雪崩のように押し寄せる中、アリスが微かな声量で俺にそう言った。


「……うっ……!?」


　するとなぜだろう。俺にはその言葉が彼女の願望であるように聞こえた。しかも耳にした途端、強烈な眠気が襲ってきた。


（……お、お、おかしいぞ？　緊張してたはずなのに急にリラックスしたみたいに眠くなってきてる。これは失神とは真逆の生理現象だし、緊張と安堵は両立し得ないはず。なぜなんだ……？）


　足下がふらつく。瞼が重い。意識に靄がかかってきている。そんな不自然な状態に陥った俺は、それでもアリスを見続けようと奥歯を強く噛んだ。


「―――とぅ！」


　なにを思ったのかアリスが遥か上方へと飛び立った。すると気性の荒い魔物達が移動を始めたばかりの彼女を追跡する！


（！　ああそうかわかったぞ!?　アリスのヤツ、俺を巻き添えにしないように魔物達を誘導してくれてるんだ!!　すまん、アリス!!）






「う、うわーん！　せっかく『エサ』の動き止めててあげたのにぃー！　どして１匹もあっち行かないんだよぉー!?」






「!!　こ、こんのクズがッ!!」


　裏切られたとわかったら余裕で目が覚めたわッ!!


「ふん、人間を身代わりにしようとは愚か者らしい行動だが……。我が魔物達は終始貴様しか見ておらん。諦めろ」
「んもう！　人気者って損だねっ！」
「貴様は人気者などではない。愚者だ」
「はいはい。そんじゃ、メテオ」


　……は!?
　このタイミングでサラリと高等魔法言い放ちやがった、だと!?


　冗談かと思ったが、どっこい。アリスが魔物の大群に向かってロッドを振ると、突如両者の合間から巨大な隕石が誕生した。
　隕石は『オラ悪くねえだ！　オラの進行方向にいるオマイらが悪いんでい！』とばかりに魔物の行列を押して押して押しまくり、続々と魔物を巻き込んだまま遥か彼方へと行ってしまった。


「ま、マジかよ……!?」


　よって、ここに残っている魔物の数は……ゼロ。
　まさかの圧勝だった！


「あんれ？　一度も試したことなかったのに、できちゃった？」


　初めてかつぶつけ本番で成功だと!?　す、すげえけど……メテオを試せるお前の世界のほうがもっとすげえ！


「……甚だ理解できんな。その今際の才、なぜ貴様が賜ったのか」


　アリスパパが不満顔でアリスを睥睨していた。


「のうのうと死線を越える貴様に、一体どれだけの者が怒り嫉妬し人生を狂わされたと思っている……？　ヤツらは努力を投げ出したりなどせんかった。日々血反吐を吐きながら鍛錬に励んでいたのだ」


　ロッドを両手持ちにして地面に突くような動作をするアリスパパ。
　すると――。


「悲しいかな、いつからだろう。我にはそんな彼らが……貴様よりよっぽど我が子に見えて仕方ないのだ!!」


　アリスパパの足下に魔方陣みたいなのが浮かびあがった。
　何語かわからない文字が高速回転している。


「―――射ぬかれよ」
「……がはっ!?」


　最初俺にはなにが起きたのかわからなかった。だってそうだろう、小さい体であんなにも離れた位置にいるアリスだ。


　たとえそれが非常にヤバいこと―――彼女の腹部に『どす黒い槍状のなにか』が突き刺さっていたり、彼女が吐血していたりしても―――。