山育ちの冒険者 この都会(まち)が快適なので旅には出ません
82.そして次の季節へ
「支部長、もう体は良いのですか?」
執務室の中、お茶を淹れ終えたカップを置きつつ、アンナはふとそんな質問をした。
「ああ、事務仕事をするくらいなら影響は無いよ」
読んでいた新聞から目を離して、ラウリが答える。
彼が読んでいた新聞の記事にはヘレナ王女が無事に公務を終えて去ったことが書かれている。
「急な上に大変な仕事でしたね」
「ああ、だが、無事に終わって何よりだ」
「あのお二人は、これからもあんな日々を過ごすのでしょうか」
「さて、今回のような事件が何度もあるとは思えないが。覚悟の上だろうさ」
そう言って、新聞を置いて、執務を始めるラウリ。
怪我から一週間もしないで、冒険者協会第十三支部に戻ってきた彼だが、前ほど動きが良くない。以前なら、練習場などで体を動かしていたものだが、それが全く無くなった。
よく観察すると彼は少し痩せたように思える。『落とし子』から受けた傷が体を苛んでいるのは間違いない。
「支部長、やはり体が……」
「……戦うのは無理そうだね。たまに、酷く痛む」
おどけた口調だったが、その言葉は深刻だった。
「まあ、元々冒険者としては引退していた身だ。ここらで本気で退くさ。幸い、代わりの人材が見つかったしね」
代わりの人材というのはグレッグとイルマのことだ。二人はしばらくこの街に留まってくれることになった。たまに『見えざる刃』として、ラウリに使われるのだろう。
それは良いことだ。この支部長は代わりがいないがために、現場に出ていたのだから。
手元の書類を確認するうちに、アンナの手が一枚の紙を見て止まった。
「支部長。ステルさんの昇級と異動について、また連絡が来ていますが」
「またか……。断れ」
「この一週間でもう3回目ですよ」
「最悪、私が中央に説明に行こう」
「過保護すぎません?」
「実力的には申し分ない。しかし、ステル君が政治的な判断が必要な場に出ていけると思うかね?」
アンナは少し考えた。
「……無理ですね」
「その通り。彼はまだこの街に来て半年だ。上の連中に使い潰されたりでもしたらたまらん」
「わかりました。では、ステルさんはもうしばらく、第十三支部預かりということで」
「それで頼む」
体調を崩しても、支部長の判断は的確だ。ステルにはまだまだ経験が必要だろう。そう思いながら、アンナは次の書類の処理に入る。
「ところで、今日の夜の件だが」
「承知しています。私も同行しますよ」
今日は大切な用件があり、アンナもそこに参加することになっていた。異論はないし楽しみでもある。
一通り仕事を終えて、アンナは窓の外を見た。
季節はいよいよ夏から秋へと移り変わっていくところだ。きっとまた賑やかな出来事が起きるのだろう。
お茶を飲んで、それから書類の山を見て、嘆息した。
季節は変わっても、忙しさは変わらなそうだ。
○○○
「なるほど。ヘレナ王女は噂通りの方だったんですわね」
「ええ。穏やかな人だったわ」
ユリアナはリリカの部屋でのんびりと過ごしていた。
今日は彼女の家でちょっとした用件があり、自然と雑談することになったのだ。
それ以上に、ユリアナはリリカのことが心配だった。
この一週間ほど、リリカに関して気の休まる時無かった。
リリカがステルのために起こした行動は、後で大変な問題になった。
彼女は自分の権限を越えたことをしていた。
学院の試作品の魔導盾を貸し出したり、知り合いを頼って人工ミスリルを勝手に加工したりと、色々だ。
本来は怒られるではすまないレベルだが、最終的には冒険者協会と王室から手回しがあったことと、あとは彼女自身の才覚を手放したくない学院側の事情が入り交じり、ようやく落ちついたとのことである。
「ステルさん、大変なことに巻き込まれたみたいですけれど、何もありませんでしたの?」
「どうだろ。話してくれないのよね。ラウリさんが怪我したこととか、かなり危ないことをしてたみたいなんだけれど」
「それは、冒険者なんだから危ないでしょうけれど」
話してくれないのは仕方ない。それよりユリアナは、先ほどからリリカがいじっている胸元のペンダントが気になっていた。細い鎖の先に、外国製らしい護符がついている、あまり主張しない装飾品だ。
「そのペンダント、どうしたんですの?」
「……うっ」
「とても大切そうにしておりますわね。誰かからの贈り物でしょうか?」
「……ま、まあね」
それを聞いて、ユリアナはあからさまに表情を変えた。
「まあまあまあ! 何よりですわ。それで、他に進展はあったんですの?」
「進展って言われても……」
「こう、物理的な接触とか、ないんですの?」
「あー、それならあった。頭突きしたわ、ステル君に」
「はい?」
「だから、頭突き。なんかムカついたから。痛かったわ」
「…………」
その時を思い出したのだろう、額をさすりながら、リリカは言った。
ユリアナはしばらく黙った後、大きなため息をついた。
「……がっかりですわ」
「な、何ががっかりなのよ」
「いえ、リリカにそういうのを期待した私が馬鹿でした。まさか殿方に頭突きとは……」
「仕方ないじゃない。いつの間にか体が動いてたんだから」
「どんな動き方ですの……」
やはりこの女には自分の指導が必要だ。正しく導かなければならない。
ユリアナは強く思った。
「あまり手を出さないつもりでしたが、仕方ありません」
「な、なにをする気よ」
「今から貴方の服を選ぶのですわ! 汚名返上ですのよ!」
「だから汚名ってなによ!」
叫ぶリリカを引きずって、ユリアナは衣装部屋に向かうのだった。
○○○
ステルの下宿。アーティカの屋敷。
その食堂から庭を眺められる席で、家主は客を迎えていた。
目の前に座って優雅にケーキを食べているのは、金髪の美女。
ステルの母、ターラであった。
落とし子を倒してから8日後。務めを終えたターラは大量の土産と共に、アコーラ市にやってきた。
この街にやってきて2日、ターラはステルの世話を焼いたりと色々と楽しそうに過ごしている。
そう、とても楽しそうに。
「良かったわね。ステル君が無事で」
「貴方には感謝しなければいけません。アーティカ、私の息子のために力を貸して頂き、ありがとうございます」
そう言って、ターラは頭を下げた。これも何度目かの光景だ。息子のことが心配で仕方なかったのだろう。
「いいのよ。ステル君がいなければどうなっていたかわからないし。それに、魔力が無くなった後、あれこれと世話を焼いて貰っちゃったしね」
アーティカはあの戦いで魔力の殆どを使い果たした。通常、人間は魔力を生命維持にまで回しており、それが危険な域に達するまで使用しないようになっている。
しかし、アーティカはあえてそれをやった。自分の生命が危険域に到達するギリギリまで魔力を使ったのだ。
代償として、一週間、ほぼ動けなかった。その間、ステルと事情を聞いたリリカなどにとても世話になったのだ。
「私の御世話してる時に、ステル君に大分色んな姿を見せてしまったわ」
「構いません。ステルは貴方のような年増に興味はないでしょうから……」
「…………」
余裕を持って言うターラ。対して、アーティカの眉間に青筋が浮かんだ。
体調が完璧であれば、一発魔法をぶちかましていたところである。
このターラという女は息子の前では上品に振る舞っているが、付き合いの長い自分相手だと失礼極まりないのだ。
「今のは何千年も生きてるお婆ちゃんの戯言だと思っておくわ」
「ご自由に。しかし、お婆ちゃんですか。いつか、ステルの子供にそう呼ばれるのでしょうね……」
うっとりとそう言いだすターラ。全く、手に負えない。
それを見て、思い出したことがあった。
「そうだ。ターラあなた、名字を考えなかったの、わざとでしょ。ステル君が困るわよ、この先」
「………そ、そうでしょうか」
「だいたい想像がつくわ。ステル君が『ターラの子ステル』って名乗るのが嬉しいんでしょう?」
「……そ、そんなことは……ありますが……」
これだ。ステルを育てる前、星人(ほしびと)ターラはもう少し冷徹な人間だった。
この十五年ですっかり人間味に溢れた人物に成長したものだ。
しかし、アーティカはそれを悪い変化だとは思わない。この失礼な友人にとっては良い変化だと思う。
「ちゃんと名字を考えてあげなさい。これから先、ステル君はどんどん有名になっちゃうでしょうからね」
「そうですね。しっかりと考えます。ところで、今日ここでパーティーをするということですが、手伝わなくてもいいのですか?」
「いいのよ。リリカちゃんとその友達が使用人を貸してくれるって言ってるんだから。私も本調子じゃないしね」
今日は遅くなったステルの昇級パーティーだ。他にもターラが来たことなども重なったので、色々兼ねることになった。
本来ならアーティカが腕を振るうところだが、まだ体調が完全ではないということでリリカとユリアナの家から人を借りることになったのである。
場所がここなのも、ステルなりのアーティカへの配慮だろう。
「それで、息子さんを都会に出して良かったと思う?」
「ええ、それは勿論」
そう言って、ターラは窓の外に広がる都会の町並みに目を細めた。
「そもそも、私は山奥が嫌いなのです」
○○○
「うーん。どうしよう……」
さて、当の本人。山育ちの冒険者。ターラの子ステルは、冒険者協会第十三支部の中にいた。
彼は今、受付前の依頼が張り出された壁をじっと見ているところだ。
あの戦いの後、ステルは少し長めの休養をとった。アーティカの世話のためと、流石に疲れたからだ。
母が来るなど色々と驚きの出来事もあったが、そろそろそれも終わりだ。
今日は夜のパーティ以外、予定が無いのもあって、仕事再開の準備をすべく、冒険者協会に様子見に来たというわけである。
「えっと……これとこれと……」
壁に貼られた依頼をじっと見る。
ステルは悩んでいた。ここ最近、大きな依頼を受けていたこともあり、自分で依頼を選ぶのが久しぶりだったからだ。
しかも、昇級している影響で、選べる依頼の範囲が増えている。
この中でどの依頼を受けるのが適切なのか、自信がなかった。
しかし、ステルも冒険者になって半年だ。それなりの対処法を見出していた。
「こんなもんかな……」
採取や魔物退治など、自分向きと思える依頼の紙をいくつかはがす。
そして、真っ直ぐ受付に向かった。
こういう時は相談するのが一番だ。
受付に見慣れたアンナの姿はない。最近、ラウリの手伝いが忙しく、彼女はあまり姿を見せない。
とりあえず、知っている顔の受付のところに行き、話しかける。
「すいません。この依頼について聞きたいんですけれど」
「はいはい。お任せあれ」
依頼内容について詳しく聞いて、自分向きで、開始日が少し先のものを引き受けておいた。
あと数日は、仕事再開は控えるつもりだ。
母と一緒にこの都会を歩くのだから。
冒険者協会の外に出ると、時刻は昼過ぎになっていた。
郊外とはいえ、道を馬車や人が行き交い、賑やかだ。
遠く、中心部の方に目を向ければ、高層建築から飛び出た魔力収集装置が今日もキラキラと瞬いている。
そういえば、あの手の大きな建物にはあまり出入りしていないことを思い出す。
せっかくだから、母の案内がてら行ってみようか。
そんなことを思いつく。ちょうどいい相談相手が今日の夜のパーティにやってくることだし、検討しよう。
街灯の配置された石畳の道を歩きながら、ステルは思う。
たった半年で、自分の取り巻く関係が大きく変わった。
山奥で狩人をしている時には想像もつかなかった変化だ。
色んな所にいったが、自分はまだなだこの都会(まち)を体験しきっていない。
次に自分が何を目にして、体験するのか。
必ずしも良いものとは限らないだろう。
それでも、これから楽しいことが待っている思っていこう。
ステルの胸の内にある好奇心はまだまだ満足していないようなのだから。
そう、あの日、山から旅立てと母に言われた時のように。
「そうだ。家に帰る前に何か買っていこう」
そんな一言と共に、山育ちの少年は都会の雑踏の中に飛び込んでいった。
執務室の中、お茶を淹れ終えたカップを置きつつ、アンナはふとそんな質問をした。
「ああ、事務仕事をするくらいなら影響は無いよ」
読んでいた新聞から目を離して、ラウリが答える。
彼が読んでいた新聞の記事にはヘレナ王女が無事に公務を終えて去ったことが書かれている。
「急な上に大変な仕事でしたね」
「ああ、だが、無事に終わって何よりだ」
「あのお二人は、これからもあんな日々を過ごすのでしょうか」
「さて、今回のような事件が何度もあるとは思えないが。覚悟の上だろうさ」
そう言って、新聞を置いて、執務を始めるラウリ。
怪我から一週間もしないで、冒険者協会第十三支部に戻ってきた彼だが、前ほど動きが良くない。以前なら、練習場などで体を動かしていたものだが、それが全く無くなった。
よく観察すると彼は少し痩せたように思える。『落とし子』から受けた傷が体を苛んでいるのは間違いない。
「支部長、やはり体が……」
「……戦うのは無理そうだね。たまに、酷く痛む」
おどけた口調だったが、その言葉は深刻だった。
「まあ、元々冒険者としては引退していた身だ。ここらで本気で退くさ。幸い、代わりの人材が見つかったしね」
代わりの人材というのはグレッグとイルマのことだ。二人はしばらくこの街に留まってくれることになった。たまに『見えざる刃』として、ラウリに使われるのだろう。
それは良いことだ。この支部長は代わりがいないがために、現場に出ていたのだから。
手元の書類を確認するうちに、アンナの手が一枚の紙を見て止まった。
「支部長。ステルさんの昇級と異動について、また連絡が来ていますが」
「またか……。断れ」
「この一週間でもう3回目ですよ」
「最悪、私が中央に説明に行こう」
「過保護すぎません?」
「実力的には申し分ない。しかし、ステル君が政治的な判断が必要な場に出ていけると思うかね?」
アンナは少し考えた。
「……無理ですね」
「その通り。彼はまだこの街に来て半年だ。上の連中に使い潰されたりでもしたらたまらん」
「わかりました。では、ステルさんはもうしばらく、第十三支部預かりということで」
「それで頼む」
体調を崩しても、支部長の判断は的確だ。ステルにはまだまだ経験が必要だろう。そう思いながら、アンナは次の書類の処理に入る。
「ところで、今日の夜の件だが」
「承知しています。私も同行しますよ」
今日は大切な用件があり、アンナもそこに参加することになっていた。異論はないし楽しみでもある。
一通り仕事を終えて、アンナは窓の外を見た。
季節はいよいよ夏から秋へと移り変わっていくところだ。きっとまた賑やかな出来事が起きるのだろう。
お茶を飲んで、それから書類の山を見て、嘆息した。
季節は変わっても、忙しさは変わらなそうだ。
○○○
「なるほど。ヘレナ王女は噂通りの方だったんですわね」
「ええ。穏やかな人だったわ」
ユリアナはリリカの部屋でのんびりと過ごしていた。
今日は彼女の家でちょっとした用件があり、自然と雑談することになったのだ。
それ以上に、ユリアナはリリカのことが心配だった。
この一週間ほど、リリカに関して気の休まる時無かった。
リリカがステルのために起こした行動は、後で大変な問題になった。
彼女は自分の権限を越えたことをしていた。
学院の試作品の魔導盾を貸し出したり、知り合いを頼って人工ミスリルを勝手に加工したりと、色々だ。
本来は怒られるではすまないレベルだが、最終的には冒険者協会と王室から手回しがあったことと、あとは彼女自身の才覚を手放したくない学院側の事情が入り交じり、ようやく落ちついたとのことである。
「ステルさん、大変なことに巻き込まれたみたいですけれど、何もありませんでしたの?」
「どうだろ。話してくれないのよね。ラウリさんが怪我したこととか、かなり危ないことをしてたみたいなんだけれど」
「それは、冒険者なんだから危ないでしょうけれど」
話してくれないのは仕方ない。それよりユリアナは、先ほどからリリカがいじっている胸元のペンダントが気になっていた。細い鎖の先に、外国製らしい護符がついている、あまり主張しない装飾品だ。
「そのペンダント、どうしたんですの?」
「……うっ」
「とても大切そうにしておりますわね。誰かからの贈り物でしょうか?」
「……ま、まあね」
それを聞いて、ユリアナはあからさまに表情を変えた。
「まあまあまあ! 何よりですわ。それで、他に進展はあったんですの?」
「進展って言われても……」
「こう、物理的な接触とか、ないんですの?」
「あー、それならあった。頭突きしたわ、ステル君に」
「はい?」
「だから、頭突き。なんかムカついたから。痛かったわ」
「…………」
その時を思い出したのだろう、額をさすりながら、リリカは言った。
ユリアナはしばらく黙った後、大きなため息をついた。
「……がっかりですわ」
「な、何ががっかりなのよ」
「いえ、リリカにそういうのを期待した私が馬鹿でした。まさか殿方に頭突きとは……」
「仕方ないじゃない。いつの間にか体が動いてたんだから」
「どんな動き方ですの……」
やはりこの女には自分の指導が必要だ。正しく導かなければならない。
ユリアナは強く思った。
「あまり手を出さないつもりでしたが、仕方ありません」
「な、なにをする気よ」
「今から貴方の服を選ぶのですわ! 汚名返上ですのよ!」
「だから汚名ってなによ!」
叫ぶリリカを引きずって、ユリアナは衣装部屋に向かうのだった。
○○○
ステルの下宿。アーティカの屋敷。
その食堂から庭を眺められる席で、家主は客を迎えていた。
目の前に座って優雅にケーキを食べているのは、金髪の美女。
ステルの母、ターラであった。
落とし子を倒してから8日後。務めを終えたターラは大量の土産と共に、アコーラ市にやってきた。
この街にやってきて2日、ターラはステルの世話を焼いたりと色々と楽しそうに過ごしている。
そう、とても楽しそうに。
「良かったわね。ステル君が無事で」
「貴方には感謝しなければいけません。アーティカ、私の息子のために力を貸して頂き、ありがとうございます」
そう言って、ターラは頭を下げた。これも何度目かの光景だ。息子のことが心配で仕方なかったのだろう。
「いいのよ。ステル君がいなければどうなっていたかわからないし。それに、魔力が無くなった後、あれこれと世話を焼いて貰っちゃったしね」
アーティカはあの戦いで魔力の殆どを使い果たした。通常、人間は魔力を生命維持にまで回しており、それが危険な域に達するまで使用しないようになっている。
しかし、アーティカはあえてそれをやった。自分の生命が危険域に到達するギリギリまで魔力を使ったのだ。
代償として、一週間、ほぼ動けなかった。その間、ステルと事情を聞いたリリカなどにとても世話になったのだ。
「私の御世話してる時に、ステル君に大分色んな姿を見せてしまったわ」
「構いません。ステルは貴方のような年増に興味はないでしょうから……」
「…………」
余裕を持って言うターラ。対して、アーティカの眉間に青筋が浮かんだ。
体調が完璧であれば、一発魔法をぶちかましていたところである。
このターラという女は息子の前では上品に振る舞っているが、付き合いの長い自分相手だと失礼極まりないのだ。
「今のは何千年も生きてるお婆ちゃんの戯言だと思っておくわ」
「ご自由に。しかし、お婆ちゃんですか。いつか、ステルの子供にそう呼ばれるのでしょうね……」
うっとりとそう言いだすターラ。全く、手に負えない。
それを見て、思い出したことがあった。
「そうだ。ターラあなた、名字を考えなかったの、わざとでしょ。ステル君が困るわよ、この先」
「………そ、そうでしょうか」
「だいたい想像がつくわ。ステル君が『ターラの子ステル』って名乗るのが嬉しいんでしょう?」
「……そ、そんなことは……ありますが……」
これだ。ステルを育てる前、星人(ほしびと)ターラはもう少し冷徹な人間だった。
この十五年ですっかり人間味に溢れた人物に成長したものだ。
しかし、アーティカはそれを悪い変化だとは思わない。この失礼な友人にとっては良い変化だと思う。
「ちゃんと名字を考えてあげなさい。これから先、ステル君はどんどん有名になっちゃうでしょうからね」
「そうですね。しっかりと考えます。ところで、今日ここでパーティーをするということですが、手伝わなくてもいいのですか?」
「いいのよ。リリカちゃんとその友達が使用人を貸してくれるって言ってるんだから。私も本調子じゃないしね」
今日は遅くなったステルの昇級パーティーだ。他にもターラが来たことなども重なったので、色々兼ねることになった。
本来ならアーティカが腕を振るうところだが、まだ体調が完全ではないということでリリカとユリアナの家から人を借りることになったのである。
場所がここなのも、ステルなりのアーティカへの配慮だろう。
「それで、息子さんを都会に出して良かったと思う?」
「ええ、それは勿論」
そう言って、ターラは窓の外に広がる都会の町並みに目を細めた。
「そもそも、私は山奥が嫌いなのです」
○○○
「うーん。どうしよう……」
さて、当の本人。山育ちの冒険者。ターラの子ステルは、冒険者協会第十三支部の中にいた。
彼は今、受付前の依頼が張り出された壁をじっと見ているところだ。
あの戦いの後、ステルは少し長めの休養をとった。アーティカの世話のためと、流石に疲れたからだ。
母が来るなど色々と驚きの出来事もあったが、そろそろそれも終わりだ。
今日は夜のパーティ以外、予定が無いのもあって、仕事再開の準備をすべく、冒険者協会に様子見に来たというわけである。
「えっと……これとこれと……」
壁に貼られた依頼をじっと見る。
ステルは悩んでいた。ここ最近、大きな依頼を受けていたこともあり、自分で依頼を選ぶのが久しぶりだったからだ。
しかも、昇級している影響で、選べる依頼の範囲が増えている。
この中でどの依頼を受けるのが適切なのか、自信がなかった。
しかし、ステルも冒険者になって半年だ。それなりの対処法を見出していた。
「こんなもんかな……」
採取や魔物退治など、自分向きと思える依頼の紙をいくつかはがす。
そして、真っ直ぐ受付に向かった。
こういう時は相談するのが一番だ。
受付に見慣れたアンナの姿はない。最近、ラウリの手伝いが忙しく、彼女はあまり姿を見せない。
とりあえず、知っている顔の受付のところに行き、話しかける。
「すいません。この依頼について聞きたいんですけれど」
「はいはい。お任せあれ」
依頼内容について詳しく聞いて、自分向きで、開始日が少し先のものを引き受けておいた。
あと数日は、仕事再開は控えるつもりだ。
母と一緒にこの都会を歩くのだから。
冒険者協会の外に出ると、時刻は昼過ぎになっていた。
郊外とはいえ、道を馬車や人が行き交い、賑やかだ。
遠く、中心部の方に目を向ければ、高層建築から飛び出た魔力収集装置が今日もキラキラと瞬いている。
そういえば、あの手の大きな建物にはあまり出入りしていないことを思い出す。
せっかくだから、母の案内がてら行ってみようか。
そんなことを思いつく。ちょうどいい相談相手が今日の夜のパーティにやってくることだし、検討しよう。
街灯の配置された石畳の道を歩きながら、ステルは思う。
たった半年で、自分の取り巻く関係が大きく変わった。
山奥で狩人をしている時には想像もつかなかった変化だ。
色んな所にいったが、自分はまだなだこの都会(まち)を体験しきっていない。
次に自分が何を目にして、体験するのか。
必ずしも良いものとは限らないだろう。
それでも、これから楽しいことが待っている思っていこう。
ステルの胸の内にある好奇心はまだまだ満足していないようなのだから。
そう、あの日、山から旅立てと母に言われた時のように。
「そうだ。家に帰る前に何か買っていこう」
そんな一言と共に、山育ちの少年は都会の雑踏の中に飛び込んでいった。
コメント
ノベルバユーザー601714
ランキングから拝見しました。表紙の時点で気に入ったので、書籍版も気になります。
ヘンゼルとグレテル
ランキングで紹介されてたので拝見しました。
まず表紙の絵がプロ並みに良いです!
内容も異世界の世界観が綿密に描かれていて好きです!