山育ちの冒険者 この都会(まち)が快適なので旅には出ません
69.黒い獣
半年以上前のことだ。
北部の山地、そこを更に分け入った奥地で、ステルは黒い獣と対峙した。
結果を言えば、無事に仕留めることができ、それがきっかけでアコーラ市に向かうことになったわけだが、けして良い思い出では無い。
黒い獣は手強かった。
三日間。狩人として装備を調え、山中の各所に罠を仕掛けたステルが獣の息の根を止めるまでかかった時間である。
とにかく、頑丈なのだ。
目や口の中に矢を射っても当たり前のように動き続け、罠で切断された足を物ともせずに再生し、地を駆ける。
それどころか、隠れ潜むステルの居場所を察知して襲いかかって来ることすらあった。
ステルは三日かけてボロボロになるまで痛めつけたあげく、崖に誘い込んで岩で押しつぶすことでようやく黒い獣を仕留めたのだ。
それと同種の存在が目の前にいる。
巨大な牙を持つ、猛獣のような外見をした全身が漆黒の個体だ。
種類が違うが、ステルの感覚は『同じだ』と告げてくる。
場所は狭い室内、仕掛けた罠はなし、武装は充実しているが、護るべき仲間もいる。
あまり良い状況とはいえない。
何より、木剣で対応しきれる相手では無い。
「…………っ」
反射的な動作で、ステルは腰につけた魔法の小剣を引き抜いた。
その瞬間だった。
小剣の柄の部分にはめ込まれた宝玉が虹色の輝きを放ち、同色の炎が刀身全体に纏われた。
「うわっ」
一瞬驚いたステルだが、すぐに熱を感じないことに気づく。
虹色の炎はすぐに消え、刀身が青い白い光に包まれた。たまに虹色の輝きが刀身に走る。
なるほど。魔剣だ。
ステルがそう納得すると同時、目の前の獣がうなり声と共に動いた。
「ググググ…………」
獣は警戒し、身構え、後ずさりしていた。
怯えている。この小剣に。
母が用意したこの武器なら、いける。
不思議とわき上がったそんな確信と共に、ステルは全身に魔力を回した。
「僕が前に出ます! 援護をお願いします!」
そう言って、返事が来る前にステルは飛び出した。
黒い獣は加減のできる相手ではない。全力で一歩を踏み出したステルは、一瞬で距離を詰める。
「ッ!」
「はあっ!」
ステルの一閃と、黒い獣が横に飛んだのは同時だった。
浅いっ。
小剣は確かに黒い獣を捕らえたが、胴体を斬ったに留まった。手応えはあったが、致命傷には遠い。
「っ! 待てっ!」
避けた黒い獣はそのまま一直線に進んでいた。
行き先はこの場所唯一の出入り口。
そこには、アーティカを初めとした三人がいる。
慌てて追おうとするステルの前で、三つの動きが起きた。
『答えよ 天の星 地の星 あまねく万物をたゆたう魔力の素(そ)よ』
アーティカが呪文と共に、腰にとりつけた冊子の留め金を外した。
杖を輝かせながら唱える呪文に応えるように頁は魔力を帯びて、周囲をたゆたい、
『護り手よ』
その一言と同時、黒い獣の眼前に光の壁が生まれた。
「グアアアア!」
唐突に現れた障壁に弾かれる黒い獣。
しかし、獣は全身に黒い魔力とでも言う物を漲らせて、障壁を打ち砕くべく次の攻撃へと入った。
そこで、二つ目の動きが起きた。
「ギャウッ!」
獣が悲鳴を上げたのだ。見れば、光り輝く細長い針が獣の全身を貫いていた。
「父祖の名にかけて。あなたをここから先に行かせません」
その言葉はヘレナ王女によるものだった。彼女は手に持った魔導具を起動させつつ、鋭く叫ぶ。
「アマンダ! 止めを!」
「承知!」
魔導剣を起動したアマンダが動く。既にアーティカの出した障壁は消えていた。彼女を阻む物はない。
「だああああっ!」
魔導剣が起動し、刃が光り輝く。勢いそのまま一気に獣の目掛けて剣が振り下ろされた。
黒い獣は一撃を受け、大きく吹き飛ばされた。
「やりましたか?」
「姫、下がっていてください! 手応えがおかしい!」
安心した様子のヘレナに、アマンダが注意する。アーティカは目を細め、杖を手に集中を続けた。
黒い獣は生きていた。全身を貫いた王女の攻撃と並の魔物なら両断されているアマンダの一撃を受けてなお、健在だ。
それどころか、傷も殆ど残っていない。
ただ一カ所、ステルの一撃を受けた胴体を除いては。
「ステル君! その剣で……」
それに気づいたアーティカが言葉を作るよりも早く、少年は動いていた。
ステルはアーティカ達の戦いをただ見ていただけではない。黒い獣が並の魔導具で殺しきれないと判断し、一撃の機会を狙っていたのである。
アマンダの一撃で吹き飛んだ黒い獣。着地し、体勢を整えたところへ上からステルが襲いかかった。
「……はあぁっ!」
小剣の一撃が、獣の首筋を切り裂いた。
「グアアアアアッ!」
獣の雄叫びを聞くと同時、ステルは後ろに跳び下がる。
浅い? いや、何かがおかしい。最初の時と手応えが違う。
「ググググ……」
ステルの一撃が効いていないわけではなかった。首に大きな傷を受けながらも、獣はまだ生きていた。
「もしかして、僕と同じような技を?」
最初の時よりも、黒い獣が一回り大きく見える。恐らく、錯覚では無い。
獣の全身を、漆黒の魔力のようなものが覆っていた。
ステルには、それが自分と同じような、魔力を全身に回して強化する技術に見えた。
「ステル君! 援護するから戦って!」
後ろからアーティカの声が聞こえると同時、光り輝く頁が跳んできて、青く輝く刃となって獣を襲った。
獣は反応するが、ステルによって受けた傷のためか、避けきれずに刃が体に突き刺さる。
ここで黒い獣を仕留める以外の選択肢はない。
魔剣と援護の力があればきっといける。
「わかりました!」
そう確信したステルは、大きく空気を吸い込んだ。周辺の魔力を体内に取り込み、自身の全身に爆発的な量の魔力を送り込む。
「おおおっ!」
雄叫びと共に、ステルは三度目の突撃を行った。
声を出したのはヘレナ王女の方に行かせないため、獣の注意をこちらに集中させるためだ。
「オォオオォォ!」
ステルの叫びに呼応するように、黒い獣が吠えた。それだけではない、アーティカの魔法で生み出された剣が砕け、ステル目掛けて突進してくる。
並の人間なら、対応できずに吹き飛ばされるであろう攻撃だ。
しかし、ステルは並では無い。
「だああっ!」
ステルには、その獣の動きが『見えて』いた。
魔物と対峙する時、次の動きを予想するために対象の全身の動きを観察するのは彼にとって当たり前のことだ。
だから、咆吼も、突撃も、驚かずに対処できた。
ステルは姿勢を低くし、軽く体の位置をずらして、黒い獣の右側をすり抜けた。
勿論、魔剣で切り裂くのを忘れない。
狙ったのは獣の左半身の足だ。人間の腕よりも太いその足だが、魔剣は見事に力を発揮し、脚を斬り飛ばした。
足を失い、姿勢を崩した黒い獣はそのまま転倒し、地面を滑って壁に激突した。
壁に強かに体をぶつけた黒い獣は傷を受けてなお、こちらに向き直ろうとする。
その時、獣の全身に光り輝く針が突き立った。
ヘレナ王女の魔導具によるものだ。
魔物は動きを止め、雄叫びをあげる。
「グオォォォオオ!!」
それは、痛みによる悲鳴だった。黒い獣は弱っている。
「ステルさん、止めをお願いします!」
「はいっ!」
ヘレナ王女を護るように剣を持って立つアマンダの叫びにステルはすぐに答えた。
体の中を巡る魔力を、魔剣に多く回す。
魔剣の宝玉が煌めき、刀身が虹色の炎に包まれた。流し込まれた魔力の影響か、炎は収まらず、そのまま刃のようにゆらめく。
「はあああっ!」
脚を二本失い、全身を魔法で串刺しにされた黒い獣に対して、ステルは炎の魔剣を振り下ろした。
「グッ…………」
黒い獣は悲鳴といえる雄叫びすらなかった。
ステルの一撃で、黒い獣は頭を正面から両断され、絶命した。
北部の山地、そこを更に分け入った奥地で、ステルは黒い獣と対峙した。
結果を言えば、無事に仕留めることができ、それがきっかけでアコーラ市に向かうことになったわけだが、けして良い思い出では無い。
黒い獣は手強かった。
三日間。狩人として装備を調え、山中の各所に罠を仕掛けたステルが獣の息の根を止めるまでかかった時間である。
とにかく、頑丈なのだ。
目や口の中に矢を射っても当たり前のように動き続け、罠で切断された足を物ともせずに再生し、地を駆ける。
それどころか、隠れ潜むステルの居場所を察知して襲いかかって来ることすらあった。
ステルは三日かけてボロボロになるまで痛めつけたあげく、崖に誘い込んで岩で押しつぶすことでようやく黒い獣を仕留めたのだ。
それと同種の存在が目の前にいる。
巨大な牙を持つ、猛獣のような外見をした全身が漆黒の個体だ。
種類が違うが、ステルの感覚は『同じだ』と告げてくる。
場所は狭い室内、仕掛けた罠はなし、武装は充実しているが、護るべき仲間もいる。
あまり良い状況とはいえない。
何より、木剣で対応しきれる相手では無い。
「…………っ」
反射的な動作で、ステルは腰につけた魔法の小剣を引き抜いた。
その瞬間だった。
小剣の柄の部分にはめ込まれた宝玉が虹色の輝きを放ち、同色の炎が刀身全体に纏われた。
「うわっ」
一瞬驚いたステルだが、すぐに熱を感じないことに気づく。
虹色の炎はすぐに消え、刀身が青い白い光に包まれた。たまに虹色の輝きが刀身に走る。
なるほど。魔剣だ。
ステルがそう納得すると同時、目の前の獣がうなり声と共に動いた。
「ググググ…………」
獣は警戒し、身構え、後ずさりしていた。
怯えている。この小剣に。
母が用意したこの武器なら、いける。
不思議とわき上がったそんな確信と共に、ステルは全身に魔力を回した。
「僕が前に出ます! 援護をお願いします!」
そう言って、返事が来る前にステルは飛び出した。
黒い獣は加減のできる相手ではない。全力で一歩を踏み出したステルは、一瞬で距離を詰める。
「ッ!」
「はあっ!」
ステルの一閃と、黒い獣が横に飛んだのは同時だった。
浅いっ。
小剣は確かに黒い獣を捕らえたが、胴体を斬ったに留まった。手応えはあったが、致命傷には遠い。
「っ! 待てっ!」
避けた黒い獣はそのまま一直線に進んでいた。
行き先はこの場所唯一の出入り口。
そこには、アーティカを初めとした三人がいる。
慌てて追おうとするステルの前で、三つの動きが起きた。
『答えよ 天の星 地の星 あまねく万物をたゆたう魔力の素(そ)よ』
アーティカが呪文と共に、腰にとりつけた冊子の留め金を外した。
杖を輝かせながら唱える呪文に応えるように頁は魔力を帯びて、周囲をたゆたい、
『護り手よ』
その一言と同時、黒い獣の眼前に光の壁が生まれた。
「グアアアア!」
唐突に現れた障壁に弾かれる黒い獣。
しかし、獣は全身に黒い魔力とでも言う物を漲らせて、障壁を打ち砕くべく次の攻撃へと入った。
そこで、二つ目の動きが起きた。
「ギャウッ!」
獣が悲鳴を上げたのだ。見れば、光り輝く細長い針が獣の全身を貫いていた。
「父祖の名にかけて。あなたをここから先に行かせません」
その言葉はヘレナ王女によるものだった。彼女は手に持った魔導具を起動させつつ、鋭く叫ぶ。
「アマンダ! 止めを!」
「承知!」
魔導剣を起動したアマンダが動く。既にアーティカの出した障壁は消えていた。彼女を阻む物はない。
「だああああっ!」
魔導剣が起動し、刃が光り輝く。勢いそのまま一気に獣の目掛けて剣が振り下ろされた。
黒い獣は一撃を受け、大きく吹き飛ばされた。
「やりましたか?」
「姫、下がっていてください! 手応えがおかしい!」
安心した様子のヘレナに、アマンダが注意する。アーティカは目を細め、杖を手に集中を続けた。
黒い獣は生きていた。全身を貫いた王女の攻撃と並の魔物なら両断されているアマンダの一撃を受けてなお、健在だ。
それどころか、傷も殆ど残っていない。
ただ一カ所、ステルの一撃を受けた胴体を除いては。
「ステル君! その剣で……」
それに気づいたアーティカが言葉を作るよりも早く、少年は動いていた。
ステルはアーティカ達の戦いをただ見ていただけではない。黒い獣が並の魔導具で殺しきれないと判断し、一撃の機会を狙っていたのである。
アマンダの一撃で吹き飛んだ黒い獣。着地し、体勢を整えたところへ上からステルが襲いかかった。
「……はあぁっ!」
小剣の一撃が、獣の首筋を切り裂いた。
「グアアアアアッ!」
獣の雄叫びを聞くと同時、ステルは後ろに跳び下がる。
浅い? いや、何かがおかしい。最初の時と手応えが違う。
「ググググ……」
ステルの一撃が効いていないわけではなかった。首に大きな傷を受けながらも、獣はまだ生きていた。
「もしかして、僕と同じような技を?」
最初の時よりも、黒い獣が一回り大きく見える。恐らく、錯覚では無い。
獣の全身を、漆黒の魔力のようなものが覆っていた。
ステルには、それが自分と同じような、魔力を全身に回して強化する技術に見えた。
「ステル君! 援護するから戦って!」
後ろからアーティカの声が聞こえると同時、光り輝く頁が跳んできて、青く輝く刃となって獣を襲った。
獣は反応するが、ステルによって受けた傷のためか、避けきれずに刃が体に突き刺さる。
ここで黒い獣を仕留める以外の選択肢はない。
魔剣と援護の力があればきっといける。
「わかりました!」
そう確信したステルは、大きく空気を吸い込んだ。周辺の魔力を体内に取り込み、自身の全身に爆発的な量の魔力を送り込む。
「おおおっ!」
雄叫びと共に、ステルは三度目の突撃を行った。
声を出したのはヘレナ王女の方に行かせないため、獣の注意をこちらに集中させるためだ。
「オォオオォォ!」
ステルの叫びに呼応するように、黒い獣が吠えた。それだけではない、アーティカの魔法で生み出された剣が砕け、ステル目掛けて突進してくる。
並の人間なら、対応できずに吹き飛ばされるであろう攻撃だ。
しかし、ステルは並では無い。
「だああっ!」
ステルには、その獣の動きが『見えて』いた。
魔物と対峙する時、次の動きを予想するために対象の全身の動きを観察するのは彼にとって当たり前のことだ。
だから、咆吼も、突撃も、驚かずに対処できた。
ステルは姿勢を低くし、軽く体の位置をずらして、黒い獣の右側をすり抜けた。
勿論、魔剣で切り裂くのを忘れない。
狙ったのは獣の左半身の足だ。人間の腕よりも太いその足だが、魔剣は見事に力を発揮し、脚を斬り飛ばした。
足を失い、姿勢を崩した黒い獣はそのまま転倒し、地面を滑って壁に激突した。
壁に強かに体をぶつけた黒い獣は傷を受けてなお、こちらに向き直ろうとする。
その時、獣の全身に光り輝く針が突き立った。
ヘレナ王女の魔導具によるものだ。
魔物は動きを止め、雄叫びをあげる。
「グオォォォオオ!!」
それは、痛みによる悲鳴だった。黒い獣は弱っている。
「ステルさん、止めをお願いします!」
「はいっ!」
ヘレナ王女を護るように剣を持って立つアマンダの叫びにステルはすぐに答えた。
体の中を巡る魔力を、魔剣に多く回す。
魔剣の宝玉が煌めき、刀身が虹色の炎に包まれた。流し込まれた魔力の影響か、炎は収まらず、そのまま刃のようにゆらめく。
「はあああっ!」
脚を二本失い、全身を魔法で串刺しにされた黒い獣に対して、ステルは炎の魔剣を振り下ろした。
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