山育ちの冒険者  この都会(まち)が快適なので旅には出ません

みなかみしょう

27.リリカからの相談

「え? 今、何と言いましたの?」

 ユリアナは手に持ったカップを取り落としそうになりながら、どうにかその一言を絞り出す。

「だから、わたしが就職するならどんなところがいいかなって聞いたのよ」

 目の前にいる年下の同級生、リリカ・スワチカが憮然とした表情でそう言った。

「就職……リリカの口からその言葉が出る日が来るとは……」

 落ち着いてゆっくりと紅茶の入ったカップをソーサーに置く。幸い、中身はこぼれなかった。
 ユリアナ・レフティネン。年齢十七歳。長い黒髪と翡翠色の瞳。一部の学生から「眼鏡がないのが残念」といわれる知的な顔つきに、スタイルの良い長身の少女である。
 彼女は魔導科の学生であり、リリカの最も親しい友人でもあった。
 一時期、理由があってリリカが家出をした時にはルームメイトとして共に過ごしたほどの仲である。

 二人は学院にある寮の一室、ユリアナの部屋で放課後のお茶の時間の最中だ。
 珍しくリリカが部屋に来たので、お茶を用意したら、いきなり「就職」の一言を口にされたところである。
 
「あの……それで、相談に答えてほしいんだけれど」
「少しまってください。落ち着く時間が必要ですわ」

 焦れた様子のリリカにそう言ってから、ユリアナは一度大きく深呼吸をした。
 落ち着いて考える必要のある局面だからだ。 
 目の前の金髪の少女は類まれな才能を持ちながら冒険者というその才能を活かすにはあまりにも危険すぎる道を行こうとしていた。
 学院でできた最初の友人である自分が何度説得しても聞き入れられなかったというのに 、どういう心境の変化だろうか。

「リリカさんは魔導科の秀才ですから、いざ就職先を探せばどこからでも引く手数多だと思いますわ。私の両親だって欲しがるでしょうね 」
「そうじゃなくて。わたしは何をするのが向いてるのかなって話よ」
「そうですわね……」

 難しい問題だ。しかし、話題としては非常に建設的でもある。
 これまで彼女が話す将来のことといえば、できるかどうかわからない冒険のことばかりだったのだから。

「向いている……というか、私がリリカになって欲しいのはもちろん研究職ですわ。何を研究すべきかまではわかりませんけど、貴方の才覚ならどこにいっても素晴らしい結果を出すでしょうね」
「やっぱり研究職か……。でも、意外と決めかねるのよね。色々ありすぎて」
「時間があるわけでもありませんが、よく考えるに値する問題ですわ。私も出来る限りお手伝いいたしますわよ」
「そうね。自分のことだものね。いっぱい悩んで、自分で決めなきゃね」

 そう言って、納得したような様子でリリカは明るく力強く頷いた。
 それは、ユリアナ一番好きな彼女の表情だった。 
 学院を力強く駆け回る飛び級の天才少女。
 稀な才能を持ちながら、冒険者になるといって聞かず、周囲を困らせる彼女。
 色々と巻き込まれて迷惑することもあったが、なんだかんだと何年も付き合いが続くうちに、ユリアナはリリカのことをとても気に入ってしまったのだ。

「それでリリカ。……何があったんですの?」
「何がって、何よ」
「ごまかそうとしても無駄ですわよ。冒険者以外見えていなかった貴方が突然就職とか言い出したんですもの。何かあったに決まってますわ。それとも、私にすら話せないようなことなんですの?」

 ユリアナはこの一ヶ月ほど、実家の用事の関係で学院にいなかった。
 学業の方は問題ないので安心して出かけていたのだが、友人にこんな変化が起きていると思わなかった。 

「う……。た、大したことじゃないんだけどね。ちょっとね。同い年くらいの冒険者の子と知り合って、色々と心境に変化が……」

 もじもじと、顔を赤らめながらリリカはそんなことを言った。
 
「…………」

 異常事態だ。まるで恋する少女のような友人の挙動に、ユリアナはそう思った。

「まさかとは思いますが、その冒険者の子とは、殿方ですの?」
「え、うん。ステル君って言ってね。凄く可愛いけど、強くてしっかりしてるの。時々会って話したりするんだけど、やっぱり冒険者以外の仕事を勧めてくるから。ちゃんと考えなきゃって……」

 友人にしては小さな声で話すその内容を、ユリアナは脳に刻みつけながらじっくりと反芻した。もちろん、リリカの可愛らしい所作も込みで。

「ふ……ふ……」
「? ユリアナ?」
「不覚ですわ。リリカさんが異性に興味を持つなどという記念碑的出来事が起きた時に、学院にいなかったなんて」
「ちょっ、別にそういうんじゃないってば!」

 抗議するリリカ。しかし、ユリアナの耳にその言葉は届かない。

「友人、教師、両親にまで説得されても諦めなかった『冒険者』への道をあっさり考え直させた殿方……。それが気になっていないと言われて信じることができると思っていますの?」
「い、いや、なんというか……自分でも不思議なのよね。なんか、ステル君の話だと自然と聞いちゃって」
 
 そう言って自分自身に疑問を向けるリリカの姿は、完全に恋愛沙汰のアレコレの入り口に立っているように見えた。少なくともユリアナにはそう見えた。自身に経験はないが多分そうだと決めた。
 目の前に置かれたカップの中の紅茶を見つめながら、感慨と共に言葉を口にする。

「魔導科でありながら、完全武装で練武場に通い詰め「賢いゴリラ」の異名をもつまでに至ったリリカにこんな日が来るなんて……」「ちょっと! その渾名は初めて聞いたわ! どこの誰が呼んでたのよ!」
「リリカさん以外のほぼ全員が知ってますわよ?」
「学院規模のいじめじゃないのぉ……」

 いきなり衝撃的な情報を耳にして落ち込むリリカ。
 相変わらず感情の起伏の激しい子だと、微笑ましくその姿を見るユリアナ。 
 リリカの心の推移が、今後どのようになっていくかわからない。
 だが、友人をこんな風にしたと言う人物に、とても興味が出てきた。

「その『ステルさん』という方にお会いしたくなりましたわ。友人がお世話になっているのですもの」
「面白半分で言ってるでしょ、貴方」
「あら、ばれてしまいましたか? でも、リリカさんを心配する気持ちもあるのですよ。私の知らないところで友人を作っていたのですもの。しかも殿方」
「ステル君は怪しい人じゃないわよ。魔導具が大好きな、北部の山奥から出てきた元狩人よ」
「あら。魔導具がお好きなんですの?」
「かなりね。一緒に出掛けると、必ず魔導具のお店に入るくらいには」

 それはすでに何度も二人きりで出掛けているということを自白しているわけだが、優しいユリアナは追求しなかった。大事なのは、ここに自分がどう関わるかだ。
 一つ、ちょうど良い事柄があることを思いついた。

「魔導具が好きならば、私達がお見せするちょうど良いものがございますわね。せっかくですから、あれをお見せしてはどうでしょう?」
「え、あれを? 喜ぶと思うけど。いいの?」

 あれの一言で、リリカはユリアナの意図を察してくれた。流石は友人だ。

「私達が一緒ならば見学するくらい大丈夫でしょう。それと、施設そのものも利用させてもらうのも良いですわね?」
「え? それって、でも、ちょっと……」

 ユリアナの意図を察したリリカが赤面した。
 すでに何度もデートに連れ出している癖に、何と奥ゆかしいことだろう。
 そう思いながらも、友人の後押しするための言葉をユリアナは口にする。

「まだ真夏とは言えませんが、最近は暑いですし、施設は十分使えますわ。それに「使えるものは使うのが冒険者流」とよく言っていたのはリリカではありませんの?」
「う……。そうか……そうね。もう夏も近いし、いいわよね」

 やった、と心の中でユリアナは拳を握った。
 学院に帰ってきて早々面白い出来事が起きた。
 この友人と一緒にいると本当に退屈しない。素晴らしい。

「では、早速ステルさんをお誘いしなければなりませんわね。お住まいはどちらに?」
「あー、ステル君。今、アコーラ市にいないの。仕事でちょっと出かけてるわ」
「…………」

 テンションが上りきったところに冷水をぶっかけられて、あからさまにユリアナは落ち込んだ。
 その様子をじっとりとした視線でしばらく見据えた後、リリカが言った。

「行き先はわかってるから、手紙を出しましょうか」 

 ステルの知らない所で、何かが始まろうとしていた。

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