禍羽根の王 〜序列0位の超級魔法士は、優雅なる潜入調査の日々を楽しむ〜
面会:紺碧師団・副師団長③
「そもそも何故、魔法学校へ? 本件の依頼ですと、こういう場所では動きが制限されるのでは……?」
空気を和らげた少年につられ、素朴な疑問を口にする。
その問いに、ティーカップに手を伸ばしながら、のんびりと答える少年。
「あぁ、一応これは別件。魔法学校の巡視だよ。訓練内容とか、指導者の質とか……問題がありそうなら改善が必要だからね」
「そんなことも近衛師団の任務の一つなのですか……」
「まぁね。気分転換にもなるし」
左手にソーサー、右手にカップを持ち、優雅にお茶を飲んでいる様は、堂に入ったものだ。慣れた手つきで茶器を扱っているのを見ると、元来、貴族の出身だったのかもしれない、と思えた。これだけ自然な所作は、魔法士としての地位を確立してから、行儀作法を詰め込んだのでは遅いだろう。
そう考えれば、少年の異様に威厳のある立ち居振る舞いも納得できる。
だが、『峯月』なんて家名には、全く心当たりがなかった。副師団長にもなれば、それなりに社交を求められるのだが、そんな自分が聞いた覚えが無いということは、爵位のある家柄でないことは確かだ。
考えれば考えるほど、少年のバックボーンが皆目見当もつかず、正体不明の掴めない人物、という事実が積み上がっただけだった。
「そう言えばさ、折り入って聞きたいことがある、って聞いたけど」
殆ど音を立てずにソーサーをテーブルに戻しながら、少年がアルノルドを覗き込んだ。
アルノルドには、どうしてもお願いしたい事があったのだが、いつ切り出そうかとタイミングを計りかねていたので、これは有難い渡りに船だった。
「はい、あの……非常に私的なことなのですが、宜しいでしょうか……?」
「え、うん、いいよ? とりあえず話しを聞いてみて、力になれそうじゃなかったら申し訳ないけれど……」
「いえ、大したことではないのです。可能でしたら、ご学友から話を聞いていただければ、と思いまして」
「話……?」
「はい。実は、数週間前に、この学校に通う甥……ヘルベルトが行方不明になりまして——」
ヨーク家の傍系にあたる甥は、アルノルドから見ればそこそこの出来で、本科の3年生である今年、入団試験は間違いなくストレート合格が見込めていた。本人も意欲的に訓練に励んでおり、家族や友人関係での深刻な悩みも無さそうだった。
なのに突然、寮の自室に1枚の書き置きを残したっきり、行方をくらませてしまったのだ。
学校側はその時点で、訓練規定の逃亡により、退学として扱った。それ自体は致し方ないことと納得している。
しかし、失踪する理由がわからないのだ。
甥の家族も心労が続いている事から、友人関係に話を聞けるツテを探していた。流石に、近衛魔法士相手に失礼だろう、とは思ったのだが、この好機を逃しては行方が掴めないと思い、アポの段階で前振りしておいたのだ。
聞き届けてくれるかは、目の前で真剣に話に耳を傾けてくれている、この少年次第なのだが……、
「それは心配だね……。わかった、周りに聞いておく」
あっさりと了承し、安心させるように柔らかく微笑む少年に、アルノルドは肩の力を抜いた。
「大変感謝いたします。少しでも話が聞ければ、家族も気の持ちようがあるでしょう」
「いえいえ。こっちの別件としても、調べる必要がありそうだからね」
「は……いえ、ですが……任務のお手を煩わせてまでは……。結局、情けない理由で身を隠しているだけかもしれませんし……」
そんなことは無いと思うから、失礼を承知で、世間話程度の情報提供をお願いしたのだが、調査と言われてしまうと、今度はその仰々しさに腰が引けてしまう。もし、外聞の悪い理由でも発覚しようものなら、ヨーク家にとって不利益しかない。甥の失踪理由が、パンドラの箱になってしまう。
一族を継ぐ当主として、世間体や利害が脳裏をよぎった。
「でも、それならそれで、安心できるじゃない? 近衛師団としては、魔法士の拡充の為にも、才能のある子には便宜を計ってあげたいと考えているからね」
「……それはもしや、陛下が憂いておられる、平均的な『魔法士生命』の短さ、の問題に、学生を含めるというご判断なのでしょうか?」
「そう思ってくれて良いよ。現場判断に委ねられているからね」
サラリと言うその言葉は、要は陛下から、絶大なる信頼と権限を与えられている、ということに他ならない。
この世界を統べる皇帝陛下が、それ程までに重用されているというのならば、彼の言葉は陛下の言葉と同義だ。アルノルド程度が口を出して良いわけがない。
改めて、目の前の少年が背負う大きすぎる権力に、生きている世界の違いを感じた。雲の上の、更に上にいる、神聖不可侵な存在に、手が届く距離にいるのだ。アルノルドが、生涯の間に一目だけでも拝謁したいと願っている陛下の、ご尊顔を拝する事だって出来ているのだろう。
「陛下の御心として、有り難く頂戴いたします」
自然と、深い礼をしていた。
この少年が真に信頼出来る人間だと、納得できたからだろう。
魔法士として至高の座にいながらも、下の者の相談に耳を貸し、たった1人の学生をも気に掛ける姿勢。高位の立場の人間が、魔法士の見本となる信条を持って動くだけで、他の全ての魔法士や民たちの希望になる。それを認識した上で実行し、更に成し遂げる実力があるのだ。
類い稀なる才能を持った少年と、それを見抜いた陛下の慧眼が、この世界の秩序と安寧の礎になっているのを実感する。
「そんな大したものじゃないから……。期待を裏切ったら申し訳ないな……」
だというのに、何故かアルノルドの礼に、困ったような笑みを浮かべる少年。
立場は遥か高みにあれど、面と向かった謝儀には慣れていないのかもしれない。
そう思うと微笑ましかった。
「陛下がお認めになっているのです。それで十分で御座いましょう」
「……それはどうだろ。人間誰しも間違いはあるからね」
「過去を見据え、未来を見つめ、そして今を導いてくださる我らが陛下です。恒久なるその座に、問いは不要でしょう」
そう。
そのような不遜な考えを持つのは、間違いなく不敬だ。
若干気分を害したアルノルドは、努めて丁寧に、だがしっかりと諭してみるも、しかし、少年は更なる暴言を続けた。
「…………呪われてるからね」
どこか遠くを見ながら、呟くような声音だったが、アルノルドの耳は一言一句を確実に拾っていた。
一瞬の絶句の後、声を荒げて抗議する。
「っ陛下を侮辱する気か!? その身一つで、この世界の民の希望を一身に集めておられる、大いなる翼である、陛下をっ!」
失望だった。
よりにもよって、最も陛下に近しい近衛魔法士が、陛下を否定する発言をなさるなど、言語道断だ。
築いたばかりの少年に対する信頼感は、一瞬で崩れ去った。
「いや、ごめん、気分を害したのなら申し訳ないです。ただの独り言と思って、聞き流してくれれば……」
「不可能です! これだけハッキリ聞いてしまったものを、無視する事など出来ません。私的な相談に乗っていただいたことには感謝致しますが、この件は、然るべき場所に報告させて頂くこと、ご承知置き下さいっ。——失礼します」
言い捨てるように宣言し、荒々しく立ち上がった。
もう少年へ視線を向ける事もなく、身を翻す。
すぐに従者の男が、顔色すら変えず扉を開けたのを見て、更に怒りが込み上げた。せっかく有能さを認めた使用人達も、主人の失言に何ら進言しない、イエスマンの給仕ロボットだったのか、と。
非常に高く評価出来る相手だと思っただけに、その失望感はひとしおだった。
信頼に足る近衛魔法士だ、と感心した矢先の裏切りに、言葉も出ないまま、大股でその場を後にしたアルノルド。
怒りに頭が沸騰しているアルノルドは、だから気付かなかった。
少年が、シニカルに、しかし何かを諦めたように微笑んでいたことに——。
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