御霊祭壇(ごりょうさいだん)

ノベルバユーザー297273

籠の鳥

第一印象。
うっわー、大きなお屋敷! どこの華族様が住んでるんだろうって感じ。
第二印象。
このゾッとする空気。……なんか異様な気配が微かに漂っていて、やだな。関わりたくないな……。
でも、そんなあたしの意思に反して、この重厚な瓦屋根が、どこまでも広がるお屋敷に、足を踏み入れるしかない。

ちょっと太めの中年のお手伝いさんが、玄関まで続く石畳の道を、にこやかに案内してくれる。
贅沢に土地を使った平屋造りのお屋敷。
ずっしりとした瓦屋根をささえる太い柱。
夕日に照り映える白壁。
そこに彩りを添える様々な樹木。
うるさい蝉の声。
時折そよ吹く風と葉擦れの音。
立派すぎる古風な避暑地で通りそうなところだけど、この微かな禍々しい空気はいただけない。
「星森おりえさんだったわね。おひとりでご旅行? 夏休みかしら? いいわねえ、学生さんは」
お手伝いさんが、手ぬぐいで額の汗を押さえながら言う。
あたしは笑顔で頷いて応えを返した。
お手伝いさんは更に、どこから来たのか、どこの高校に行っているのか、道に迷ったことを家族や友人に連絡をしたのかなどを聞いてきた。
あたしは東京から来て、都内の高校に通っていて、道に迷ったことは誰にもまだ連絡していないと、いちいち丁寧に答える。
面倒だけど、お世話にならざるを得ないお屋敷の関係者だから、失礼しち、ゃいけないと思って。
それにしても、何だろ? この村で最初に会って、このお屋敷まで案内してくれたおじいさんも、同じことを聞いてきた。よその人間がそんなに珍しいのかな?
まあ、今どき珍しくスマホも使えない山奥だしね。

本当は飛騨の山奥にある『百合根村』に用があったんだけど、道標に沿って歩いていたはずなのに、どういうわけか道に迷ってしまった。
三時間近く歩いて着いたところが『雷火村』という地図にも載っていない小さな谷間の村。
田園や畑の合間に民家が点在する古式蒼然としたところ。
全く目的と違う村だと知ったときは、本当に愕然とした。
取って返そうかと思ったけど、今からだと確実に山の中で夜を過ごすこととなる。
だから、もしかしたら車を出してもらえるかも知れないという、この小野塚家のお屋敷に来たわけだ。

屋敷内にも、変わらず例の禍々しい気配があった。
お手伝いさんに案内され、母屋の、長く続く木の廊下を歩きながら、あたしは小さく身震いした。
エアコンのせいなんかじゃない。
こういう場所からは、さっさと引き上げるにかぎる。
滅入ってしまいそうな気分を紛らわそうと、大きなガラス戸の向こうにある日本庭園に目を向ける。
橋の渡してある大きな池や、形の整えられた木々が、広い庭園を美しく形作っていたる。
蔵のような建物も、遠くに見える。
夏の午後の日射しが、この屋敷では、ひどく弱々しく感じられて仕方がない。

ふと気がつくと、あたしの不安げな顔が、鏡のように磨かれたガラスに映っていた。
やだなぁ、もう。こんな顔してちゃあ、自分から悪運を呼び込んじゃうよ。
あたしは無理に笑顔をつくって、ちょっと首を傾げてみる。
ポニーテールにした自慢の長い黒髪と一緒に、リュックの猫のマスコットも揺れる。
「どうぞ、こちらでお待ち下さい」
お手伝いさんが廊下に膝をついて障子を開け、座敷に入るよう促した。

広い座敷に、冷えた麦茶と一緒に取り残されたあたしは、部屋を見渡して溜め息をつく。
「お金に糸目はつけないって感じだよね……」
襖の牡丹の絵も、欄間の透かし彫りも、床の間に飾られた掛け軸や壺も、豪華と言う言葉しか出てこない。
こんなお屋敷の女主人だという小野塚千鳥って、何者だろう? ……それに、この屋敷に纏わりついている、異様な気配は何なの?
そう思ったとき、襖が静かに開いた。
「お待たせ致しました」
入ってきた小さなお婆さんを見て、驚いた。
神子装束を着ている。
座卓を挟んで、向かいに座り、お婆さんが丁寧に頭を下げる。
「千鳥で御座います。遠いところ、ようこそお越しくださいました」
そう言って、すーっと上げたその顔に、思わず、悲鳴を上げそうになった。
お婆さんの顔に、凄まじい形相の黒い顔が重なっていたからだ。
黒い顔の目があたしを捕らえ、ニヤリと笑って霞のように消える。
「どうなさいました? 御手洗かしら?」
「えっ?」
気がつくと、あたしは腰を浮かしていた。
悲鳴は上げずにすんだけど、体のほうは、逃げの態勢に入っていたのだった。
……失態。動揺が行動に出るなんて……。
落ち着け!
「いえ……あの……ちょっと、足が痺れて、座り直そうかと……失礼しました」
引きつった笑みを浮かべつつ、正座をし直した。
「どうぞ、お楽になさって下さいな」
そう言って、深い皺を顔中に刻ませて微笑むお婆さんの笑顔に、不快な違和感を感じた。
例えるなら、今にも動き出しそうなほど、生き生きと造られているのに、無機質な存在感しか持たない蝋人形の、あの不気味さに一番近いだろうか。

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