奇行と美貌と探偵と〜桐木純架の推理日誌

よなぷー

148温泉のメッセージ事件02

 純架が背中側で器用に両手を叩いた。


 何故手前で叩かなかったのかは永遠の謎だ。


「うん、ちょうど余裕もあるし、早速三人で湯船に浸かりに行こうじゃないか。異存はないね?」


 英二は勢いに押されたようにうなずく。


「そうだな、飯の前にひとっ風呂浴びるのも悪くない」


 俺も首を縦に振って同意した。特に断る理由もなかった。


 そうして俺たちは浴衣に着替えると、最も大きい『一の湯』とやらを目指して部屋を出た。壁に矢印付きの案内が掲示されているので、道に迷うということはなかった。


 脱衣場では既に何人かの客が着替えていて、入浴の準備にいそしんでいた。純架を見てぎょっとし、二度見する。一瞬女と間違えたのだろう。純架が浴衣を脱いで、その男らしい胸元を見せると、安心して自分のことに立ち戻っていった。


「色々難儀するな、純架」


 英二が意地悪く笑う。純架は「別に」とそっけなく言うと、タオルを腰に巻いた半裸となって、風呂場に入っていった。俺と英二も同様に続く。まずは体を洗って入念に清めてから、温泉に向かった。


 温泉は直径8メートルぐらいの巨大な楕円で、折り重なる丸い平岩に縁取られている。浴槽内部は麦飯石が敷き詰められ、温浴効果を高めている。脇に植えられた常緑樹の向こうに、すっかり落葉した山麓が一望に見渡せて爽快だ。源泉かけ流し温泉で、湧き出るお湯は少々温めの40度ちょっと。ナトリウム炭酸水素塩のお湯は切り傷や火傷、皮膚病に有効だという。不要な角質を取るなど、美肌にも効果てき面なんだそうだ。以上、『茹蛸温泉』豆知識。


 俺たちは並んで熱湯に身を沈めた。肩まで浸かり、満足の吐息を漏らしたのは、三人共通の仕種だった。


「いいお湯だ。何より加減がいい。これは長く楽しめそうだね」


 純架はそう言って顔を湯で拭った。前髪を輪ゴムで結っている。もうもうと立ち込める湯煙の中、他の客の談笑が反響した。まずはこのツアー最初のお湯を、俺たちは無難に味わっていく。純架が溜め息をついた。


「でも、ちょっとこういう温泉はメジャー過ぎるよね」


 俺は暖気による血行の促進を全身で感じながら、何となく聞き返した。


「というと?」


「僕が行ってみたい温泉は、もっとこう、デンジャラスな感じのところなんだ。硫黄に対する防護服が必要なぐらい危険な、絶境の秘湯なんだよ」


「極端だからいいってものでもないだろ。ここみたいにほどほどがいいんだよ、ほどほどが」


 英二が冷笑混じりに賛成する。


「その通りだ。ガスマスクを着けて温泉に入ったりしたら末代までの笑いものだ」


 純架は納得せず、口を尖らせた。


「それはプロの温泉探求者に失礼だよ。極端には極端の美学ってものがあってだね……」


「おい、もっと奥にずれろ、純架」


 遮って、英二が小声で指示した。別の客が入ってきたらしい。純架は首肯すると、尻を浮かして無人の空間を求めた。俺たちもそれに続く。新しい客はぺこりと頭を下げて、自分たちの場所を確保した。


「やあ、ここからだと崖下がよく見える」


 岩棚の奥は2メートルほどで急勾配の坂に繋がっており、耳を澄ませば木々の間を縫う清流のせせらぎが聞こえてきた。純架は体が温まっているのをいいことに、立ち上がってより下を見下ろそうとした。


「ん?」


 しかし、その動作は半ばで中断された。純架は再び湯に浸かると、目の前の平岩を繁々と観察する。まるで、そこに絶景以上の何かが隠されていた、とでもいうように。


 俺は興味を惹かれ、純架の肩越しに覗き込んだ。


「どうした、純架」


「文字が彫られているよ、楼路君、英二君」


「何だって?」


 英二も顔を寄せてきた。確かに純架の言う通り、岩に細く、しかし深く、言葉が刻み込まれていた。


『君を恋しつつ我が身泡沫となれり』――


 純架が首を傾げ、誰にともなく独語した。


「何だこれ。最近つけられたもののようだね。傷跡がまだ新しい。にしては時代がかった言い回しだ。どういう意味だろう?」


 英二は失笑した。


「どこぞのロマンチストがいたずらで彫ったんだろ。泡沫、ようはあぶくだが、これは温泉とかけたんだろう。はた迷惑な話だ」


 純架はその解説に納得しない。


「ディズニーランドで随所に丸三つのミッキーが隠されている、あれと同じようなものかな」


 俺は呆れて断定した。


「全然違うだろ」


「ふふっ」


 笑ったのは俺たちではなかった。視線をめぐらせると、大柄で若い男が温泉に浸かってにやついている。純架のボケと俺のツッコミを聞いて反応したものらしかった。笑顔は潮のようにすぐに引き、気分よさそうに肩まで湯船に沈める。浅黒い肌に精悍な顔つきで、目元が涼しく、知的そうな鼻を有していた。


 純架も男を一瞥したが、すぐ興味を失い、また文章の吟味に取り掛かった。


「それにしても……」


 謎という灯火に引き寄せられる蛾のような純架をよそに、俺は先ほどから気になっていた壁を見つめた。それは木柵で、この湯を別の湯と断絶する絶壁だった。


「この木柵の向こうは女湯か。何とか覗けないものかな」


 もしかしたら妙齢の女性の入浴姿を目の当たりにできるかもしれない。英二が俺の危ない発言に真面目に釘を刺した。


「思考が変質者そのものだぞ。考え直せ」


 純架は相変わらず謎の文に首を傾げながら、声だけこちらに参加した。


「構わないよ、英二君。どうせできないに決まってる。旅館が上手くいかないように作っているのは必定だからね」


 俺は音高く舌打ちした。


「男のロマンなのに……。登る手がかりでも探してみるか」


 木柵は高さ3メートル。俺はつるつるの表面に、手足を引っ掛けるでこぼこでもないかと、湯を上がって近づいてみた。


 だが……


「一向見つからん」


 英二がすまし顔で口を開いた。


「当然だ」


 まあ、あっても使う気はなかったが……


 他の年配の男性客が、不審な動きをする俺を見咎めた。


「おい、何をやってるんだ、さっきから……」


 俺は心臓が飛び出すかと思った。


「いや、ははは、何でもないですよ、何でも」


 俺は湯気で視界がぼやける中、中年客に手を振って愛想笑いして見せた。冗談を本気にされたら困るというものだ。


 と、そのときだった。


「あれ?」


 湯船とは反対側の岩陰にしゃがみ込む。純架が大声を出した。


「待ちたまえ、楼路君! こんなところで大はいかん、大は……」


「違うわ!」


 俺は視界に映ったその傷跡を注意深く眺めた。岩に彫られた文章。


「おいこれ、そっちの言葉に似てないか?」


 英二が明敏にも俺の真剣さに気がついた。


「何?」


 純架が立ち上がる。


「何か書いてあるのかい?」


 二人がやって来る。俺たち三人は、湯船から離れた岩の表面に目を凝らした。大分かすれていて判読は厳しい。


『君ヲ恋シツツ我ガ身泡沫トナレリ』――


 純架はそう言葉にした。


「ほとんど無理矢理だけど、そう読めなくもない、という感じかな。長年の風雪に洗われて大方消えかかってる。でも、この文章はあっちの湯船のそれと全く同じだ。平仮名とカタカナという違いはあるけどね」


 純架はふと足元に目線を投じた。


「僕ら以外の足跡があるね。まだ新しい。ずいぶんと大きいな。28センチはありそうだ」


「でかいな」

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