取り扱い説明書

増田朋美

絶望の一番の薬は共有

必ず、一度や二度は人生に絶望することはあります。理不尽に潰されて死にたくなることもあります。それ以外にも、生きていても意味がないと感じたり、成果がでないから終わりたいなんて、思うことだってあると思う。もう将来が不安だから死にたい、親や家族にひどいことを言われたり、近所の人からは白い目で見られるから死にたい、などなど、死にたくなるきっかけは、本当に身近なところにあるものです。あるいは、過去にひどいことをされて忘れたくても、忘れられないから死にたい、気にするなといわれても、その方法がわからないから死にたい、そういうこともあるとおもいます。私も、長い間その気持ちと隣り合わせでした。いまでも、些細なきっかけで、もうだめだな、と思うこともありますよ。しかし、それを隠して生きていく、ということも、難しいなということもわかってきました。
そんなときは、素直に助けを求めましょう。
求めることを許可しましょう。SNSに書き込んでもよいですし、何かの自助グループのようなものに参加してもいいでしょう。あるいは、こうしてブログなどに書き込んでもよい。とにかく、手段はなんでもいいですから、表現してみましょう。座間事件のような卑劣な事件もありますが、逆を言えばそこさえ気を付ければ、助けを求めることは、決して悪くはありません。
書き込めば、アドバイスや様々な意見が出てくるとおもいます。もちろん、成功した人からのアドバイスは本当に有難いことです。ですが、絶望に対して一番うれしい言葉は、私もおんなじだよ、理由違えど、絶望しているんだ、という言葉なのです。これを同じように言い合えることこそ、絶望から回復していく足掛かりになるのです。そう言う面では、スマートフォンやタブレットは素晴らしいかもしれない。周りの人にあやしまわれずに、そう言う話はできますから。
死にたいというのなら、それを素直に表現してみましょう。私も死にたい、という人が現れたら、お互いに死にたいと語り合いましょう。それを互いが納得するまで何十回もやることが大切。他人の評価など気にしないでいいのです。とにかく、同じ気持ちを共有し続けることが、一番大切なのです。悲しいなら悲しいと、苦しいなら苦しいと何回も言い合いましょう。それをすることによって、次の目標がわかるときもありますよ。とにかく、共有しあうこと。絶望にはこれが一番の薬なのです。
そうしてから、アドバイスに従っていくことも可能になりますし、また次の目標に向かって進むことができるようになります。
問題自体は解決しなくても、話し合える人がいる、というだけでもかなりちがいます。話をしたら、もうちょっとやろうかな、という気になった、という話はよくききます。具体的な方法が見つからなくてもいいのです。だって、具体的な方法は、生きていなければ、見つからないから。まず第一に、生きているということが大前提にあります。
私自身、死にたいと思ったときは何度もありました。もちろん、励ましてくれたり、気にするなと言ってくれることもうれしいのですが、一番嬉しかったのは、私も死にたいと悩んでいる人が見つかったことです。そのあと具体的にどうするか、は二の次です。まずは、自分の気持ちを素直に表現してみることが一番大切なんだな、と気がついたのです。だって、問題を提起しなければ、解決にはむかいません。
よく、みんな問題を、抱えて生きていると言う人がいますが、私にはそうは見えませんでした。みんなにこにこして幸せそうにしているじゃないか、みんな普通に暮らしているじゃないか、私はそれすらできない、とよく反発したものです。しかし、意外にもSNSなどに負の部分を書いている人はいます。そう言うことで、安心したということもあるのです。
とにかく、絶望したとおもったら、何の手段でもよいですから、表現する勇気を持ちましょう。解決しなくてもいいのです。時が解決してくれることもあるし、耐えているうちに状況が変わるかもしれない。間違いは、一人で耐えてはいけないということです。一人では、不思議なもので、何の方法もやってはきません。
そして、一緒に耐えてくれるひとに感謝の意を持ちましょう。
これさえ守っていれば、決して悪人ではありません。
必ず、どこかに同じ思いをしている人はみつかります。
そのためには、まず、表現する、ということが一番大切なのです。

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