取り扱い説明書

増田朋美

学校の先生

学校の先生ってなんだろうな。と、私はおもいます。確かに学問を教える職業ではあり、それゆえにすごいことなんだとおもう。でも、学校の先生は本当に偉い人なんだろうか、と考えるとそうでもない気がします。いくらなんでも、生徒に対して死ねという言葉は使わないでしょうし、自殺の練習のようなものもさせるようなことは、よいことなんでしょうか?
それも、教育だ、と言えばそれまでですが。
まあ確かにですね、学校は偏差値でランク分けされています。ですが、それは人間にまつわる社会的身分のようなものになってますね。偏差値が高い学校にいけば、喜ばれるし、低い学校にいけばバカにされます。しかし、音大は違います。実技試験が優先されるため、偏差値はあまり高くない。その辺りは知識がないとダメなんでしょうが、多分高校の先生方は、私を偏差値が低い大学しか目指さない、へんなノータリンに生きている人間と見てしまったんだとおもいます。それで、親の死後とか、お金がなければ幸せになれないなど、怒鳴り付けたんでしょう。
音大はけっして怠けている訳じゃないんです。勉強をしない悪いやつでもないし、偏差値が低いやる気のない大学でもありません。
その辺りが、なんとも理解されにくいところだったのかな。
よく、高校で怒鳴られました。お前たちは偏差値が低いのだから、つまるところ社会から捨てられた人間なんだ、それをこうして面倒をみてやっているのだから、ありがたく思え。これを何回も怒鳴られました。俺たちだけがお前たちを愛してやっている。だから、俺たちに従いなさい、と。
多分きっと、高校は、順位がたかいひとは寵愛されますが、それ以外は愛されない、虫けらとしかみていないのでしょう。人間とはそう言うものですよね。相撲でも、横綱、大関というように番付がありますが、番付が低いものはほとんど相手にされないのと一緒です。
つまり、現代社会では、勉強ができてうんどうができて、そう言う人しか愛されないんですよ。愛されるようになるための、第一条件なんでしょう。
そして、高校にはいると、とにかく学校は敵に回してはいけません。
学校の先生に捨てられるということは、社会から捨てられると言うことになりますから。
もし、学校が辛いようなら、潔くにげましょう。自分を守りましょう。そして、味方になってくれる学校を新たにさがしましょう。何度もいいますが、学校と戦うという姿勢が一番いけない。そういうことはせずに、すぐ逃げてください。自分を安寧に保てるところを探してください。
学校はもはや、カーストににたようなもの。順位が低ければひくいほど、そう言う扱いしかできなくなります。
学校の先生というひとたちは、そう言うことを平気でする、ひとたちなのです。

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