取り扱い説明書

増田朋美

お箏教室と着物たち

お箏教室に通いだして、12年後、師範免許を取得しました。その三年ほど前からでしょうか、お箏を弾く際に、専門家ようの白い爪革を利用するように、師匠から言われました。これは、その当時はその意味を知らなかったのですが、お箏のプロとして認められたという事なのです。そして、お稽古するときにはなるべくなら着物を着用してくるようにと言われました。着物なんてそんな高いものを、と思ってしまったのですが、インターネットで調べてみたところ、リサイクル着物という存在を知りました。リサイクル着物と言いますのは、不要になった着物を買い取って、安く販売するという商売なのですが、それを使うと、信じられないことに、数百円で着物が入手出来てしまうのでした。本当に、ひどい時には、100円前後で着物が入手できたことさえあったのです。それでは本当に着物がかわいそうだなと思い、いろいろ買って試してみることにしました。ただ、日ごろから可愛らしいなと思っている着物たちと、お箏教室の師匠が指定した着物とはあまりに違いすぎて、その結果として大量に着物を持つことになってしまったのですが、私はこれをとおして、着物という物の世界を初めて知りました。さらに、着物を着た写真などを、SNSに投稿したりすると、たくさんの人から反応があって、多くの「着物仲間」ができたのです。その中の何人かの人たちとは、実際にあって話もし、着物関係のイベントにも出席できるようになりました。着物は、そうやって、外へ出るのを諦めていた私に、外へ出るというきっかけをくれたのです。もう、何もかも失い、発狂を繰り返し、暴れるしかできなかった私に、着物をとおして仲間を作ることができ、中には、おなじような悩みを抱えている人にも出会えました。着物のおかげで、私は一歩外へ踏み出すことができたと思います。
其れと並行して、着物というモノの世界はどんな世界なのかのぞいてみたくなりました。そこで、本やインターネットなどで、着物の歴史を勉強したり、呉服屋さん(もちろんリサイクル着物ショップですが)で着物の生地の事やブランドのことまで勉強したりして。それを学べば学ぶほど、着物の世界というものが面白くなりました。着物の歴史をたどるという事は、日本の歴史を知ることでもあるのです。そうなると、日本がどんな歴史をたどってきたのか、歴史の勉強にもつながることになり、さらに面白く成りました。また、着物をとおして、より邦楽の世界がどんなものになるのかも知ることができるようになりました。
不思議なもので、大量に買い込んでも、着物を移動させるときには苦痛にならず、一枚一枚をたたんでいるときにも、この着物を着たときの風景や支えてくれた人たちの事を思いだして、涙するときもあるのです。洋服ですと、とてもそんなことは思わなかったんですけど、着物ですと、鮮明に覚えていることができます。そして数々の忘れられない出会いも別れも、時には失敗も、みんな必要なものであったとわかってくるのです。そして、自分がどんな人間であるのかも知ることができたのです。
そういう事ができて、本当に良かったと思いました。着物をとおして、呉服屋さんで学んできたことや、邦楽の世界の事、出かけたコンサートの事などを記憶することができて、私が孤独ではなかったことを知ることができたのです。そして、私の新しい世界が、ほしがらなくてももうそこにあるという事も、着物たちが知らせてくれたのです。
振り返れば、あの猿山のような高校生活で、私は持っていたものや、培っていた技術をすべて失わなければならなくなりました。大学で学んできたことも、すべて捨てなければ生きていけないとわかった時は、何度も自殺未遂をし、何度もリストカットやオーバードーズを繰り返しました。しかし、着物というものがそのような私を、新しい世界へ導いてくれたのだと思います。そのために、この子達は必要だったと思えば、着物たちを可愛がってやろうという気にもなり、単なるリサイクル品とするのではなく、ちゃんとうちに来てくれた子として大切にしたくなります。この子達が私に、新しい世界を提供してくれたのです。私は、あの猿山のような高校生たちとは、違う人生を歩むんだと思いすぎて、結句自信を滅ぼしてしまったのですが、その中でも着物たちは、私を猿たちから引き離して、新しい世界へ連れて行ってくれて、それはもう今思う必要もなく、すでにかなえてくれたんだという事に気が付きました。着物たちが、連れて行ってくれた、出会った人たち、であった団体たち、出会ったお店たち、出会った邦楽の社中や合唱団、それにはすべて猿山のような人たちは居ません。私の望みは、こうしてかなえられていたのです。
もう、これに気が付いたから、もういいでしょう。私の望みがかなったことに気が付いたのですから。もう求め続ける必要はありません。
なのでこれからは、着物について勉強したことや、邦楽の技能などを、少しずつほかの皆さんにお分けしてあげられるような人間になりたいなと思います。具体的にどうするかはまだ分からないのですが、何かして形に残せたらいいなと思っています。

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