取り扱い説明書

増田朋美

第三部 時は回る お箏教室

時は回る。
不思議な言葉ですが、時が解決してくれるという言葉もあります。
その何ができるというのか、私はその言葉の意味を信じてはいませんでした。時が解決何て、できるはずもないと言いふらしていました。
ただ、そんな私も、こういう事がありまして。大した事なのか、そうでないのかは、自分では知りません。ただ、こういう事があっただけの事です。基本的に、ニートであることは変わりありませので、社会的には、何も変わっていないのですが。
年代で言えば、ちょうど18歳のときだったので、今からちょうど14年前の事です。西暦、2005年ですね。
どういう訳なのか私もわかりませんが、あるウェブサイトの広告欄に、カルチャーセンターの案内というのがありました。それをクリックしてみると、お箏教室の募集がありました。障害のある私が入門するというのは、ちょっと躊躇したのですが、とりあえず、入ってみることにしたのです。
教室を見学することもなく、私はすぐに入ることを許されました。八畳間に、師匠と向き合って座り、お箏のイロハを教えてもらって、なぜか、入門当日に、さくらさくらだけではなく、シャボン玉とんだとか、簡単な童謡を弾けるようになりました。そして、静岡駅近くに親切なお箏屋さんがあって、楽器を安い値段で売ってくれたのです。お箏が家に来てくれて、設置されるないなや、もうほぼ一日中お箏に触っていました。もう、のめり込んだというほうが正確かも知れない。なぜなんだろう、とにかく、お箏ばかり弾いていました。そういう事があってか、入門して一年後には、あの有名な宮城道雄の「春の海」が弾けるようになっていました。なんでだろう。よくわからないけど、、、。
その後、2010年あたりから、定期的に自宅で演奏会も開きました。確かに緊張はしたけれど、楽しかったことも記憶しています。あの時はお箏が楽しくてしょうがなかったのです。そして、様々な曲をお箏に編曲していき、また自分でお箏のための作曲もしました。なんでか、わからないですけど、お箏教室に通う事、お箏の師匠にあって、お箏を弾くこと、これが本当に楽しかったのです。お箏教室では私が最年少でしたので、ほかのお弟子さんたちも、私をすごく歓迎してくれました。ただ、お弟子さんたちは、高齢になっていて、私が入門して二年目からは、誰もいなくなってしまいました。それもプラスと取ってしまえば、お箏教室を私が独占できたという訳で、本当にあの時は大曲難曲をたくさんやらせてもらって。山田流の「奥の四つもの」と言われる曲までやらせてもらったのです。
2014年あたりから、再びお箏教室に新しいお弟子さんが入門してくるようになり、私は、師匠と一緒に、新しいお弟子さんの授業を手伝うようになりました。その時ですね。師匠から、いきなりお箏の爪革を白くするように、と言われたのです。これがなんの意味なのか当時はわからなかったのですが、その通りにしてみると、プロとして認められたとお箏屋さんから伺いました。白い革を持つという事は、お箏の専門家になったんだ、と。そういう事は、全く知らなかったのですが、言われて腰が抜けるほど、おどろいた事を記憶しています。
その直後、着物を用意してくるようにと命令が下りました。そんな高価なものを!と思ったのですが、うちの近くにリサイクル着物店がありました。そこへ行くとさらにびっくり。なんと、100円とか300円で着物が入手できたのです。信じられない価格でしたが、それを着て、お箏教室へ行くようになりました。そうしていくと、洋服よりも着物のほうがはるかに素晴らしいってことに気づかされ、着物にはまっていくようになりました。リサイクル着物だと本当に安い値段で買えちゃうんですよ。その辺りは、また今度、お話ししようと思います。
そして、忘れもしない、2017年、12月、21日。
私は、師匠から、師範免許をもらいました。こうなると、もう教えてもいいという事です。
信じられないくらいでしたが、、、こうして、私はお箏教室で、教えられる側から、教える側になりました。
人間の運命って何だろう。
不思議です。

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