取り扱い説明書

増田朋美

敗北者として

前回も書きましたが、私は敗北者です。もう、人生は負けてしまいました。正直に言うと、立ち直る気もわきません。何かしようという気にもなりません。ただ、すきである文章をこうして書いているだけです。もう、生きたいとは思わなくなりました。正直に言って、何もする気がしませんもの。ただ、障害者として、底辺の中で生きているだけなのです。
本当に、こういう事を書いていると、むなしくてたまらない気がします。でも、それを立ち直ろうという気にはなりません。私は、もう、死ぬしか楽になる方法もないのです。
ただ、こうして、過去にあったことを書かせてもらっているだけで。親が両方とも死んだら、すぐに自殺するつもりです。
ただ、一つだけ言っておきます。
音楽学校に行きたいと思ったら、どうか、公立の普通科にはいかないでください。
もう一度言いますが、公立の普通科にはいかないでください。
今一度言いますが、公立の普通科にはいかないでください。
しつこいようですが、私が学んだことはそこだけだと思います。
そして、私は、こんなにむなしくて、生きる方法もなくて、ただ、死ぬのを待つのみという、無意味な人生しか得ていないのです。
あの教師が言ったことはおそらく真実だったと思います。
だって、平凡な家庭の人は、音楽学校へ行くことはできませんもの。まず第一に、親を犠牲にしてしまったし、私が居なければあの人たちは、あんな不幸な生活なんてしなかったでしょう。
人間というか、動物が生きていて幸せなことは、子孫を残すことです。というか、そうしなければ、この社会は生きていかれないのです。子孫を残して、その人たちに頼って生きていくしか老後は無いのです。
もう、これ以上生きていたくないというのが私の本当の気持ちでしょうか。
災害で死ねた人はまだいいのです。だって、良い人と銘打って死ねますから。私は、むしろ、死んでくれてありがとうと言われる方が正解だと思います。
出来る事なら私も、もう一回やり直したりしたいけど、そんなことできませんもの。
現状を言えば、私は車に乗ることができないので、何もできません。
引っ越せばいいというけれど、その先がありません。
やれることと言えば、こうしてパソコンで書かせてもらうしかできないのです。
もし、大地震とか、台風が来るのなら、私を真っ先に殺してくれればいいのに。
そう思ってしまいます。
私は、人生何も得る事は出来ませんでした。
もう、このまま、むなしいまま生きていくしかないのでしょう。
だから、そのためにもう一回言います。
音楽学校へ行くのであれば、どうか絶対に公立高校の普通科にはいかないでください。
社会から、弾き飛ばされ、必要のない人間とされるのは、本当につらいことです。本人は楽をしているように見えるかもしれないけれど、その裏で、いつもいつも悲しくて、泣いているのです。
其れはきっと、一度はみ出してしまったら、二度と帰ってこれないことを表しているのでしょう。
もう私は死ぬしか方法はありません。
それ以外に何があるというのでしょうか。
私は死ぬしかありません。
それ以外に何があるというのですか?



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