取り扱い説明書

増田朋美

敗北

その後の高校生活については、覚えていることはありません。ただ、あの言葉を言った学年主任に、負けてたまるかと思い続けて生きてきただけの事です。
とりあえず、音楽大学には行きました。予測してた通りピアノを専攻したのですが、まず、右手の故障に苦しみました。そのうち、だんだんにピアノを弾いていくのが苦しくなってきて、卒業した時には、非常に簡単な曲しか弾けなかったことを記憶しています。そのうち、足も悪く成り、ソフトペダルを踏むのもできなくなりました。そして、常にお前はだめだ、死んでしまえという声が聞こえてきて、もうそれが怖くて怖くて、これを消すには死ぬしかないと思ったくらいでした。
何をするにもやる気が出なくなりました。もう一日中布団の中にいて、昼でも夜でも眠っているしかできなくなりました。時おり、余りにも死んでしまえという声が聞こえてきた時には、ただ、ワーッと大声で叫び、自分の体を包丁で切りつけるしかできなくなりました。それ以外の時には薬を飲んで、いびきをかいて眠るしかできない。そして、副作用としてわいてくる猛烈な食欲。体重は、今までの二倍近くになり、絶えずワーワーと叫びながら、大暴れを繰り返す日々です。下手をすれば、殺されていたかもしれない。でも、そのほうがよかったかもしれないですけどね。私は、完全に発狂したのでした。あの時は、助けてという言葉さえも言えなくて、ただ、ワーワーと叫ぶしかできなかったのです。こうして、何があったのかを成文化することも、今ではできますけど、あの当時は絶対できなかったと思います。
聞こえてくるのは、お前はだめだ、最低だ、死んでしまえ、という言葉でした。あの学年主任の肥です。その通りにして、本当に死んでしまおうと試みたこともあります。お酒を飲んで、睡眠剤を飲んで、、、でも、母が発見してしまい、其れはできませんでした。今思えば殺してくれればよかった。でも、そういう事はしませんでした。うちの家族は。
23歳の時に精神病院に入院しました。入院した時はショックも何もなく、日常生活から切り離せられるという事で寧ろ喜んでいました。確かに何もすることがなかったのは、辛かったのですが、比較的落ち着いたのが速かったので、すぐに作曲をすることを許され、ノートに何十曲も曲を書きました。そういう事があってか、試験外泊も何回もあって、いずれも成功し、病院にはさほど長くいませんでした。大体、精神を病んでしまうと、十年二十年近く入院してしまう人もいるようですが、そうはなりませんでしたね。それがよかったのか悪かったのかは私もわかりません。
ただ、入院した後は、成文化出来ないほど暴れるという事はなくなりました。其れだけはよかったのかなと思います。ただ、入院したと言っても、解決には至らないという事も確かです。ただ、一時的に、いさせてくれただけの事ですから。病院は治療する場で、生活する場ではないと、院長さんからさんざん言われました。おそらく、患者さんが増えすぎて大変なんでしょうね。
いずれにしても、私の二十代は、とにかくその繰り返しでした。インターネットでつながった人と、仲良くなって、お会いしたこともあったのですが、長くは続きませんでした。だんだんに話が合わなくなっていき、別れてしまうのです。大体の人は、それぞれの仕事もしていて、ちゃんと
居場所のある人たちだったから、そこが憎くて私のほうから分かれてしまうことが多かったと思います。私は、その時は何を求めていたのかさっぱり分からないでいたのです。なぜか、せっかく友達になれても、すぐに終わってしまう。それは、ただ、私が苦しいと言い続けるしかできなかったのだと思います。
いずれにしても、二十代の私にできたことは、ただ苦しいと叫び続ける事しかできなかったのです。その中で何回も自殺を図って、多くの人に迷惑をかけ、多くの人の人生をつぶしてしまいました。高校から大学、そして、二十代の私は、ただ、苦しいと叫び続ける獣のような存在でしかありませんでした。
詰まるところ、敗北したのです。
あの教師たちが必ず驚くような地位についていたかったのですが、そうすればするほど、体を病んでいき、其れに便乗して精神も荒廃していったのです。
私は、完全に負けました。
無条件で降伏したのでした。
でも、今になってからですけど、このくらい敗北してよかったのではないかと思います。
中途半端に他人を恨み続けるよりも、一度すべてから切り離したほうが、良かったのではないかと思うのです。
ただ、この文章を書くにも手が降え、涙が出ます。
まだまだ、あの教師を許すという気持ちにはなれません。日野原重明先生が、許すことも勇気だと言いましたが、其れだけは、どうしても出来ない。
なんとも、ダメな人間ですね。
いずれにしても、私は、身体障碍者、精神障碍者になりました。
あの、高校に行ってから、身分が変わってしまいました。そう、普通の人よりも、はるかに低い、世界を切り離すしか方法がない身分になったのです。

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