取り扱い説明書

増田朋美

私にできない事

私は、読んで字のごとく、障害者です。でも、車いすに乗っているわけでもなく、白い杖を持っているわけでもなく、補聴器をつけているわけではありません。それでは、何処に障害を持っているのかわかりにくいとお思いになることも多いと思います。
よくテレビでは見えない障害と言いますが、そんな格好いい言葉で片付けられたら、どんなに楽だろう、と思います。そんな、かっこいいものではなく、精神障害というのはもっと俗っぽくて、もっと感情的です。
具体的には、どうしたらいいか、私にもわかりません。
多分、これは、説明できたらたぶん精神障害なんてなくなるのではないでしょうか。
ある時、こんなことがありました。
丁度、祖母が亡くなって七年になり、七回忌を開催することになったときのことです。丁度その時、おば夫婦とその娘さん二人が、家にやってきました。
父は、法事の準備で、母は食堂の準備で外出していました。私の相手をしていたのはおば夫婦といとこたちでした。
いとこたちは、普通に仕事の話をして、電車が混んでいて嫌だとか、そういう話をします。
でも、私は、していません。
それだけの話です。
でも、ここで怖いという感情が生じてしまいます。そうなってしまうのです。
私は、仕事をしていない。
それだけで、劣等感どころか恐怖が生じてしまう。
いつ、「お前は最低だ、死んでしまえ」って、あの時のセリフをいわれるかわかりません。おばたちが、いとこたちの例を引き合いに出し、私を、説教しようとするのではないか。
そして、私は、それに反発する言葉もないから。
それでは、もう泣くしか方法もないから。
私は、完全にさらし者になるしか、方法はありません。
もしかしたら、家の中にいる家畜みたいに、ひたすらに何か食べているだけの存在でしかないのだと、仕事の話を聞きながら、そう考えて。
そして、皆で法事の会場へ行くことになりました。
この時も、父も母もお寺の手配や、会食の手配で、外へ出ていましたので、おばが会場へ連れていくことになっていました。おばの運転するワゴン車で、お寺まで送ってもらいました。
いとこたちはお寺に着くと、ほかの参列者の人たちが、話しかけてきたのに答えていました。
そこでも出るのは仕事の話。
ああ、私はだめだ、ダメだという言葉がどんどん出てくる。
仕事の話、若い人が仕事の話をしている!
同時に聞こえてくるのです、聞こえてくるのです!死ね、しね、しね、しねえええええ!と。
もうだめだ、襲われる、殺される!私は、もう怖くて怖くて、
「ころしてええええええ!」
と叫んで、お寺から飛び出しました。
こういう者です。精神障害者とは。
これだから、死んでしまえと言われてもおかしなことでは、ありません。
私は、完全にさらし者でした。
だから、人間精神疾患を発症したら、もう人生はおしまいなのですよ。

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