取り扱い説明書
日常生活
精神障害者がどんな日常生活をしているのか、お伝えしましょう。
基本的に、何もしないでのらりくらりと、過ごしているだけ、ただそれだけの話です、結論から言ってしまえば。
調子がいいときは、お箏の教室に行っています。そこで、すこしお箏のレッスンを受けると、気分が回復します。でも、それだけにとどめることにしています。それ以上習い事をすると、人に贅沢をするなと言われるからです。
電車は、怖くて長時間乗ることができません。やむを得ず乗る場合は、スマートフォンを見て、顔を隠しています。顔を見られると、悪い人間だと、言われる可能性があるし、誰かに声をかけられるのも怖いからです。とにかく、顔を見られないこと、私の存在を他人に知られないことが、一番重要なので。
家でも、一番低い身分の人間であるようにふるまう必要があるのです。さすがに家族に敬語を使うというわけにはいきませんが、普通の人のように、ふるまうことは許されません。常に、いい子というか、家族の忠実な下僕にならなければなりません。もちろんやることは限られていますが、それを完璧に、徹底的にやる。ミスは許されません。
今は、ご飯を作ることだけを手伝わせてもらっています。ですが、其れさえも、体がだるくて、というかいつも悲しい気持ちが続いていて、できないときもあります。
そういうときは、ずっと寝ています。でも、ただ寝ているだけではいけません。必ず睡眠剤を飲んで、寝ています。疲れて寝ているけど、眠れないことも多いので、睡眠役を飲んで寝ています。何もしていないのに、睡眠剤とは変なものですが、眠るのでさえ、自分でできないのです。
テレビは全く見ることはできません。ニュースでもエンターテナー的なテレビドラマでも同じ。世のため人のために生きるのが正しい生き方だと、テレビでも盛んに伝えている世の中、其れでさえも怖くて見ることができないのです。
つまり、何をしても、一歩下がってしまわなければいけません。
友人は誰もいないので、スマートフォンを通して持てる、顔のない人だけが頼りです。でも、その人たちにさえも、批判をされるのが怖いから、悩みを相談することもなく、一人で解決法を探っています。そして、一番怖いセリフを言われないように、恐れて恐れて恐れながら、日常を続けるのです。
皆さんの生活を壊さないために。
精神障害を持ってしまうと、世間も、家族も、テレビでさえも、味方は一人もいない。
よいことがあっても共有してはいけないし、悪いことがあっても、口に出してはいけない。
そういう世界なのです。
つまり、どこの世界に行っても、不用品、厄介者。
だって、この世の中はそうでなければ成り立っていけません。
私たちは、完全にいてはいけない存在。其れなのに生きている存在。そういうことなんですね。
この世はちょっとでも違うことがあると、外へはじき出されてしまう、そういう世の中なのですから、まして精神がおかしくなったものが堂々といてはいけない社会なのです。
私たちは、常に一歩下がって生きること、それが、一番正しい生き方だと思います。
基本的に、何もしないでのらりくらりと、過ごしているだけ、ただそれだけの話です、結論から言ってしまえば。
調子がいいときは、お箏の教室に行っています。そこで、すこしお箏のレッスンを受けると、気分が回復します。でも、それだけにとどめることにしています。それ以上習い事をすると、人に贅沢をするなと言われるからです。
電車は、怖くて長時間乗ることができません。やむを得ず乗る場合は、スマートフォンを見て、顔を隠しています。顔を見られると、悪い人間だと、言われる可能性があるし、誰かに声をかけられるのも怖いからです。とにかく、顔を見られないこと、私の存在を他人に知られないことが、一番重要なので。
家でも、一番低い身分の人間であるようにふるまう必要があるのです。さすがに家族に敬語を使うというわけにはいきませんが、普通の人のように、ふるまうことは許されません。常に、いい子というか、家族の忠実な下僕にならなければなりません。もちろんやることは限られていますが、それを完璧に、徹底的にやる。ミスは許されません。
今は、ご飯を作ることだけを手伝わせてもらっています。ですが、其れさえも、体がだるくて、というかいつも悲しい気持ちが続いていて、できないときもあります。
そういうときは、ずっと寝ています。でも、ただ寝ているだけではいけません。必ず睡眠剤を飲んで、寝ています。疲れて寝ているけど、眠れないことも多いので、睡眠役を飲んで寝ています。何もしていないのに、睡眠剤とは変なものですが、眠るのでさえ、自分でできないのです。
テレビは全く見ることはできません。ニュースでもエンターテナー的なテレビドラマでも同じ。世のため人のために生きるのが正しい生き方だと、テレビでも盛んに伝えている世の中、其れでさえも怖くて見ることができないのです。
つまり、何をしても、一歩下がってしまわなければいけません。
友人は誰もいないので、スマートフォンを通して持てる、顔のない人だけが頼りです。でも、その人たちにさえも、批判をされるのが怖いから、悩みを相談することもなく、一人で解決法を探っています。そして、一番怖いセリフを言われないように、恐れて恐れて恐れながら、日常を続けるのです。
皆さんの生活を壊さないために。
精神障害を持ってしまうと、世間も、家族も、テレビでさえも、味方は一人もいない。
よいことがあっても共有してはいけないし、悪いことがあっても、口に出してはいけない。
そういう世界なのです。
つまり、どこの世界に行っても、不用品、厄介者。
だって、この世の中はそうでなければ成り立っていけません。
私たちは、完全にいてはいけない存在。其れなのに生きている存在。そういうことなんですね。
この世はちょっとでも違うことがあると、外へはじき出されてしまう、そういう世の中なのですから、まして精神がおかしくなったものが堂々といてはいけない社会なのです。
私たちは、常に一歩下がって生きること、それが、一番正しい生き方だと思います。
「取り扱い説明書」を読んでいる人はこの作品も読んでいます
-
-
2.1万
-
7万
-
-
6,608
-
2.9万
-
-
168
-
59
-
-
1.2万
-
4.7万
-
-
62
-
22
-
-
5,122
-
2.5万
-
-
5,025
-
1万
-
-
9,659
-
1.6万
-
-
8,131
-
5.5万
-
-
2,445
-
6,674
-
-
3,141
-
3,386
-
-
1.3万
-
2.2万
-
-
9,329
-
2.4万
-
-
3,534
-
5,226
-
-
6,147
-
2.6万
-
-
1,288
-
1,425
-
-
6,637
-
6,954
-
-
2,850
-
4,949
-
-
3万
-
4.9万
-
-
6,032
-
2.9万
-
-
336
-
840
-
-
6,183
-
3.1万
-
-
68
-
152
-
-
3,638
-
9,420
-
-
1,857
-
1,560
-
-
11
-
6
-
-
105
-
364
-
-
2,611
-
7,282
-
-
2,934
-
4,405
-
-
2,404
-
9,361
-
-
598
-
1,136
コメント