取り扱い説明書

増田朋美

第一部 現状

私は、現在静岡の田舎に住んで居ます。
この町は、本当に不便で、何をするにも、他人の援助がなければできないし、世間の目は正直に言って、ナイフより怖く。もしかしたら、原子爆弾より怖いかもしれません。
いつもそれにびくびくしながら生かされています。
今は仕事も何もしていなくて、ただいるだけの状態です。
いわゆるヒキニートですね。
きっとこれだけを聞くと、本当にひどい奴という人も少なくないでしょう。税金の無駄遣いという人もいると思います。それは間違いではありません。私は、そういう人間です。
だからこそいつも何かにおびえていて、人から何か言われるのではないか、お説教されるのではないか、それを言われるのを、恐れながら生きています。
「あんた何やってるの?いつまでも、親に甘えてんじゃないよ。親は期限付き、さっさと自立しな。お金を稼いで、親孝行して、一杯お父さんとかお母さんを楽にさせてあげないのか。」
と、いう言葉ほど怖いものはありません。
それを言われるたびに、大声で騒ぎ、物を壊してきました。
それをするたびに、何回も自分の手首を切りました。
薬を大量に飲みました。お酒も大量に飲みました。
でも、結局、完遂はできないまま、私は生きています。
状態が落ち着いている日は、地元でお箏教室に行っています。師匠は、私の事を理解してくれて、それをしっかり受け止めてくれて、長期入院しても何も言わないで、習わせてくれています。
ちょっと、昔の人なので、ワンマン体質なところもありますけれども、でも、それが意外にいいときもあって、師範免許までもらいました。それが、30歳の時でした。
しかし、それから二年。それが、効力を発揮して、何か形になったかというと、全くありません。
何回か、サークルの講師などを頼まれましたが、車を運転できないため、楽器を運ぶことが出来ず、それは、水の泡に終わりました。
その時は、何か変わることもあるかもしれない、と、少し希望を持ちましたが、それは無駄になってしまいました。
きっと障害者が人前に出て、教えたりすることは許されていません。
そういう事でしょう。
やっぱり、私は何もできない。なら、なぜ生きているのだろう?
そればかり考えながら、私は生きています。できることなら、今すぐ死んでしまいたい。それが一番の幸せなんでしょうね。
いつも、誰かから監視されているような気がしてなりません。これを医学的に言ったら妄想というのでしょうか。それは私が働かないで怠けて生きているからです。そんなことは現実にはないと医者には何回も言われましたが、私は感じてしまいます。家族の顔、親戚の顔、その人たちは、私を、これ以上怠けないように見ているのです。そうでなければ、本当に、のらくらものになってしまうからです。そう解釈しています。
どこかでアルバイトしたら?なんて思われると思いますが、ここはとても田舎で、車無しではどこにも行けません、車の免許は取得が許されていないのです。
前述したセリフはいつも聞こえます。疲れたりするとよく聞こえてきます。これを幻聴と言います。たぶんこれも治すことは全くできません。そうなると、あまりに苦しくて、もう死んでしまいたい!と思われるくらい苦しい。幾ら薬を飲んでも、止まることはないし、いつでもどこでもなっています。
「お前は親殺しだ。親御さんに長生きしてほしいなら死んでしまえ!」と。
ある時は、本当に電車に飛び込もうとしたこともありました。
きっと私は、そういう人間なんでしょう。
いても仕方ない人間なんでしょう。
友達は、いません。私の事なんてわかる人は一人もいません。メールで少し話す程度が一番いいのです。かつては、私も、みんなと同じように友達が持てる!と思ってはしゃいだことも数多くあったのですが、すべて実現できたことはないので、空想上で友達と遊んでいることにしています。それは、私が、この辛い世界を生きていくための武器です。そうやって、あたかも実現したように思い込むこと。これがあるおかげで、私は十五年生き抜きました。
時として、いろんなサイトに、小説のようなものを書いたことも、あったけど、やっぱりはやっているようなファンタジーが全く欠けないので、商業的に何とかということはできないでしょう。
それに、うちは、非常なほどの貧乏なので、出版も何もできないし。
だから、もう死ぬしかない。
いつ死んでもいいように、睡眠薬を大量に貯蔵したりして。
それだけが、今の私の希望。
もう、人生はおしまいです。
障害者のまいにちはこれです。何をやっても、いろんなものに憚れて、実現できないのです。
それは、きっと、お前なんかこの世の中に必要ないんだということを示しているのでしょう。
きっと私には、ただいるだけの人生しか残されていない。
私は、きっと人生の中でとんでもない間違いをしでかしてしまい、その罰としてこういう毎日しか与えられてないんだと思うのです。それが今の私の現実です。
色んな人が、自分の人生を生きろとか励ましをしてくださいましたが、何も結局得られなくて、終わってしまう毎日でした。
もう、だれかの善意に従うことも、多分疲れてできないでしょう。何をやっても、成果は現れませんでした。
もう、私には、切り札も何もありません。あるのは、常に、死んでしまえという声と、監視している怖い人たちだけなのです。



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