盲者と王女の建国記

てんとん

第2項19話 白変と飛翔

「傷が、消えた……?」


クララが、目の前で起きた事象が信じられないといった顔をして、ごしごしと修道衣の裾で目元を擦る。
少年の細腕に付いていた屍人リビングデットによる引っ掻き傷は、綺麗さっぱり消え去っていて。
彼女が何度目を擦っても、ケルンの腕には先ほどの白磁の硬変は見られず、薄い肌色が広がるばかりだ。


「っ、一体どうなってるんだ、俺の体……?」


ケルンも同様に、空間魔法『視界モノクローム』で自分の傷が消えてなくなったのを観測していた。


(体調は悪くない……と思う。むしろ、さっきの屍人との戦闘では、これまでの訓練以上に体が動いたくらいだ。それだけに、気味が悪いな……)


体に起こっている明らかな異常に、彼は未知に対する恐怖と不安を入り交えたような表情をする。
そんなケルンの表情を盗み見ていたエイシャは、心配げな顔で弟のような少年に問いかけた。


「……ケルン、他に何か異常はない? 気分が悪いとか」


「ううん、義姉ねぇさん。調子はむしろいい位だけど……今まで傷が一瞬で治ったことなんてなかったから、ちょっと怖い」


その場にいる全員の視線を集めている事が、どうにも落ち着かない様子でケルンがエイシャにそう返す。


「――」


「あ、あの……修道女シスターさん。そろそろ……」


とりわけ熱を持って、じとーっと腕に突き刺さり続けるクララの視線に、ケルンは苦笑しながら身をよじる。
それでも言葉を無くしてケルンの腕を注視し続けるクララの腕を、相棒の銃士ガンナーが引っ張った。


「あー、クララ。外野の意見で申し訳ないんだけど、傷が治ったことは悪いことじゃ無いだろ。ほら、彼が加護持ちって事もあるんじゃないか?」


はっ、とアルフレッドに手を引かれて我に返ったクララは、慌てて頭をぺこりと下げる。


「あっ……す、すみません、不躾に見つめてしまって。でも、皮膚の硬変に高速治癒……教会でも聞いたことがありません。何の加護をお持ちなんですか?」


興味が抑えられないといった様子で、少し上気した顔をケルンに向けてクララが問うた。
大きく目を見開き輝かせる見習い修道女の視線を受けて、ケルンは少し考える。


(……むしろ、盲目っていう魔法でも治せない呪いがあるんだけど。別に、言わなくていいよね? 空間魔法を使ってる分には、普通に目が見えてるように他人は感じるはずだし)


「い、いや……うーん。加護は持ってないはずなんだけど……生まれながらに傷の治りが早い訳じゃなくて、今突然にそうなったんです」


ケルンは、考えた末に嘘は・・言わなかった。
彼が修道女服の少女を信用していないということではない。彼女は、見ず知らずの少年に屍人リビングデットの体液の危険性を叫び、心配してくれたヒトだ。
それでもケルンは、目が見えないことを打ち明けるのが怖い。
――自分から、障害があるという事実を差し引いた後に何が残るのだろうか。
まだ、力がない。頭もない。剣の腕は、少しマシになっただろうけど。


――ごめんなさい。まだ俺は、そんなに自分に自信がないから、言えない。


ケルンは、心の中で修道女服の女の子に謝罪をした。


「そうですか……良ければ一度、教会に来ていただけませんか? 君の体に何が起きたのか分かるかもしれません。ベルグ中央西寄りにあるので!!」


「え……っと」


興味と心配が半々といった具合だろうか、クララが語尾を徐々に強めてケルンににじり寄ってくる。
若干勢いに押されながら、ケルンは戸惑った顔で返事を言いよどむ。
そこで事の成り行きを見守っていた使用人メイド服を着た麗人が、ケルンの耳元で囁いた。


「ケルン様、信頼していただいても大丈夫かと。冒険者組合シャフトと教会の活動については、お嬢様含め私達が目を光らせていますから」


「いや、彼女が胡散臭いとかそういう事じゃなくってですね――」


耳打ちでエリーから伝えられた内容に、ケルンは首を振りながらひそひそ声で返す。
そこで会話を打ち切り、ケルンは手持無沙汰に長杖ロッドを弄んでいる少女に顔を向ける。


「俺、ケルン・ツィリンダーって言います。さっき変な顔したのは、あなたの名前、教えてもらってなかったからで」


「――あっ、ごめんなさい。クララ・アルクプレスと言います!!」


「はは、じゃあ僕も。アルフレッドだ、姓はないよ。それにしても、さっきの剣技凄かったな!! ケルンは見た所、齢十もいってないだろう、冒険者か兵士志望かな?」


慌てて自己紹介するクララに、ケルンの剣の腕を称えるアルフレッド。
後にエイシャもその輪に加わり、彼らは軽く打ち解けた。


***


「それでは、少しケルン様をお借りします。冒険者組合シャフトにも教会にも報告は行っていると思いますが、あなた達は早く戻るのが良いでしょう。きっと誰かに心配されています」


エリーは栗色の髪を揺らしながら、エイシャ、クララとアルフレッドに向かい言った。
彼女は風の魔法を纏うため、ケルンの腰に片手を回しながら短杖を振り上げる。


「あの……!! ありがとうございました!! 良ければお名前を!!」


「少し、恰好を付けさせていただくと――私の二つ名は《大鷹おおたか》とうのです」


それだけ言い終わると使用人服の麗人は短杖を振り下ろし、『飛翔フライ』でケルンと共に空へ駆け上った。


***


短杖を持った使用人メイドと黒髪の少年が、ベルグ眼前の《森林迷宮》浅部を飛翔する。
エリーは上空から森を見下ろすが、木々の葉が青々と茂り視界の邪魔をしていて、やはり索敵どころではない。


(……お嬢様ならば、全部一人でやってしまうのでしょうね。あのヒトは、何でもできるように努力してしまうヒトですから。だからこそ、頑張りすぎないよう支えたいと思うのですけど)


だが、彼女にとって一人で出来ないことがあるというのは、すでに予期していたことだ。
その為に、唯一空間魔法が使える少年を連れて来たのだから。


「ケルン様は、どの程度まで見えますか・・・・・?」


「低空で飛んでもらえれば、半径80メルトはいけます。今日は調子がいいので、もしかしたらもう少しいけるかも。知らせるのは屍人リビングデットが居た時だけでいいですか?」


「いえ、一応魔物を見かけたときもお願いします。上位の魔族は、魔物を魔族堕ちさせることができると聞き及んでいますから」


エリーの言葉を聞いて、ケルンは想像を膨らませる。
森林地域に存在する、ありとあらゆる生き物。
それが魔族によって、操られるのだ。
何より自分が剣を向けるのは、親しいヒトかもしれない。


「……それ、相当厄介ですね。際限なく味方を増やせるってことじゃないですか」


「おそらく、限度はあると思います。そうでなければ、この世界は魔族とその眷属で溢れかえっていることになりますから……」


エリーは言葉を発した後、暫く考え込むように緑色の地上を見下ろしている。
ケルンは、リセリルカから聞いた転移事故の話と、その時のエイシャの反応を思い出していた。
魔族は危険、程度の認識しかなかったケルンだったが、その認知度をエリーの話で改める。


「なるほど、だからリセは転移事故の事で躍起になって、義姉ねぇさんは怒ってたんだ」


「――魔族は未だ、謎の多い種族です。ただ上位の存在は、感情を有していると。転移事故で明るみになって分かることは、彼らはずっとヒト種と共生していたということです。気づかれないように、ひっそりと」


「…………?」


ケルンの脳内に、疑問が浮かび上がる。
魔族がヒト種の敵で、ほくそ笑みながら自分たちの日常の中に紛れていたのなら、どうなるだろう?
いや、どうなっていただろう?
悪事を働くに決まっているのだ。それこそ、ヒトを殺したりするはずだ。
なんだって、彼らはヒトの敵なんだから。


「なぜ、でしょうかね? 仲間を増やそうと思えば、増やせたでしょうに。魔族堕ちさせれば、簡単なことです。足が着くのを怖がったんでしょうか? 今になってこれだけのことを仕出かす存在が?」


エリーの疑問は的を得ているとケルンは思った。
何か、決定的に認識が違っている。
それは多分、もっと根源的な部分。


――まず、まず第一に。魔族は本当に、ヒト種の敵なのか。
彼らには感情が在って、人格があって。
その末にヒト種の敵になったとするならば――


「今から私が言うことは、聞き流していただいても構いません。凡そ一般常識からは、かけ離れたことを言う自覚はあります――」


「……もしかしたら彼らは、私達ヒト種と共に暮らしたかったのではないでしょうか。そして、それがどうしようもなく相容れなくなって、復讐に走っているのではないでしょうか」


それを聞いて、ケルンは気づかされる。


――似ている。
どうしようもなく、他人と相容れない。復讐を考えるほど、蔑まれる。
自分には、あるじゃないか。
盲目という、決定的な他人との違いが。


魔族が自分と同じ感性を持っていたら、どうだろうか。
他人と違うとは気づいていながらも、認められたい――だれかと一緒に居たい。
だって、一人では生きていけないから。
当然だ、自分のように目が見えないのは圧倒的少数で、健常者は沢山だ。
置き換えれば、魔族は圧倒的少数で、ヒト種は沢山だ。


ケルンは、その状況に陥ったと仮定したときの魔族の心情が、どうしようもなく分かってしまった。


「……ですからケルン様、お覚悟をお持ちください。此度の件、魔族討伐ではなく――ヒト殺しに限りなく近い心情を持つことになるかもしれません」

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