盲者と王女の建国記

てんとん

第2項17話 忘れ人の宴Ⅶ

固く閉ざされているベルグ東門の前で、屍人リビングデットの群れとヒト種とが攻防を繰り広げている。
その群れの中の一匹、遠方から魔族の上位種の指示を受ける、特別に力を持った屍人が反応した。


『――水だ、門を激流で押し流せ』


ボロボロになった裾の長い外套ローブを纏う屍人は、脳内に響くそのに従って短杖を虚空に掲げる。
今では性別は存在しないが、彼女は生前、草原地域の魔法学校を出た冒険者であった。
修めた魔法の中、彼女が特に得意だったのは水魔法。
魔法陣の構築が不得手だったため、上級以上の魔法は扱えなかったが――魔力量と詠唱の省略には自信があった。


「――」


死霊ハ・デスにより、ヒト種としての思考を制限されたまま、目的も分からず彼女は魔法を行使する。
自分を高めるため、あるいは誰かを守るため――彼女の努力と研鑽の結晶体は、皮肉にもかつての同族、ヒト種が住まう都市へと向けられた。


***


虚空に浮かぶ青色の魔法陣から、螺旋に渦巻く激流が放たれる。
重力に逆らい、真っ直ぐベルグ東門に向けて押し寄せる懸河けんがは、水飛沫と共に仲間の屍人も合わせて巻き込み、進む。
屍人の群れの中で、その進行を止めるために立ち回っていたケルンは、踵を返し脱兎の如く離脱していた。


(あの魔法陣の向きからして、標的は東門だ!! 有効範囲がどの位の魔法か分からない以上、俺も巻き込まれかねない……!!)


自身の空間魔法で、屍人の魔法の発現を感じ取った盲目の少年ケルンは、思考をしながら迫る魔法の範囲外へと駆けてゆく。
誰よりも早く周囲の状況が理解出来る彼にとって、屍人の魔法に対処できないというのは歯噛みする程悔しいものだった。


中級以上の攻撃魔法が無防備なヒトに直撃すれば、一も二もなく死に至るだろう。
故に魔法を予見したものが取れる行動は、回避行動を取るか妨害するかの二つだ。
術者たる屍人を直接攻撃して妨害しようにも、ケルンから見てそいつは群れの一番最奥――届かない距離に居た。
加えて、魔法の発現速度が尋常でなく早かったのも、妨害が出来なかった原因の一つだ。


ケルンが意識を東門前に居るエイシャに向けると、彼女は纏っていた白い光を解き、対物理攻撃用の白魔法から、対魔法のそれに換装を試みていた。
魔力は淀みなく流れ、持てる最速で魔法を紡いではいるが、彼女の顔は苦しげに歪められている。


(……不味い!! 義姉さん今、物理攻撃を弾く白魔法を使ってる!? 一度魔法を解いてからじゃ無理だ、相殺が間に合わないっ)


焦り、解決策を考えるケルンは、利き手に持ったかすかな重みを思い出す。
群れの中心にいては、ケルンめがけて密集してくる屍人が邪魔で狙えなかっただろう。
だが今なら。ゆっくりとケルンを追う屍人の集団から、孤立して水魔法を放つ一匹を狙うことなど、空間魔法を持つ彼にしてみれば造作もない。


「くそ、魔法を止めろッ!!」


――ケルンは柄だけを残した菜切包丁を、魔法を紡ぐ屍人の短杖を狙って投擲。
狙いに違わない軌道で柄は飛翔し、幾匹かの屍人と濁流を避けて、魔法の紡ぎ手の元へ。


「――!?」


カツン、と軽い音を立て投擲された柄が的中。襤褸外套を纏う、屍人の短杖を弾き飛ばした。
――構成された魔法陣に綻びが生じ、重力に逆らって空中を流れていた濁流が、弾けるように地に打ち付けられる。
一緒くたに流されていた屍人の数匹が同様に地面に激突し、何かが潰れたような嫌な音が周囲に響いた。


「――」


だが、それだけだった。
短杖を弾き飛ばされた魔法を扱う屍人は、一瞬で生まれた綻びを正し、魔法陣の制御を手放さない。
流れる懸河は再びごうごうと宙を裂き、東門へと迫る。
門を守る赤髪の少女の白魔法は、間に合わない。
魔法範囲外に居る黒髪の少年も、もはや出来ることがない。


それは、勝利の確信か。
――感情を無くしているはずの、屍人の口角が、微かに歪められた。


「……良かった、間に合った・・・・・


そんな絶望的状況の中。『視界モノクローム』を持つケルンだけが、ほっと息を吐くように呟く。
その言葉は濁流に飲まれ、ついぞ屍人の耳には届かなかった。


***


(青色の魔法陣から迸る濁流――恐らく、中級水魔法の『渦奔流メイルシュトロム』。あの屍人……ベルグ上空に白魔法の防壁が施されていることを知っていて、無防備な門の方の突破を狙っている!?)


迫る激流、巻かれる屍人の群れ、魔法を見て青ざめるヒト種たち。
ベルグ東門の壁上から全体を見下ろし、戦況を瞬時に判断したエリーは一切の躊躇なく飛び出し、空中へと身を曝す。
空中で体の周りを風魔法の膜で覆いながら、王女専属の使用人メイドは高速で魔法を紡いでいった。


迫る『渦奔流メイルシュトロム』を見据え、エリーは短杖を地に向けて振るう。
――直後、門前で陣形を組むエイシャ達の眼前、くるぶしまでの草地に、眩く光る若草色の魔法陣が現れて。


「『暴風の巻舒トルネーディア』!!」


渦巻く激流が、地面に描かれた魔法陣の真上に差し掛かったタイミングで、エリーはその魔法名を紡いだ。
彼女の声に同期して、若草色の魔法陣からみどり色の光を浴びた風が巻き上がり、水魔法の行く手にそびえる竜巻と相成る。


竜巻の防壁が迸る激流と音高くぶつかり合い、鬩ぎ合い、散らし合う。
螺旋を描く激流は次第に巻き上がる暴風に散らされ、周囲に飛沫を降らせ始めた。


「中級水魔法でこれとは……すごい威力です。できれば屍人としてでなく、生前に出会いたかったものですけどッ!!」


――『暴風の巻舒トルネーディア』は、上級風魔法。
どれだけ高速で魔法を紡ごうとも、中級水魔法の『渦奔流メイルシュトロム』に力で押し負ける道理が無い。
だがどうだろうか。引けを取ることなく鬩ぎあいを繰り広げる、己が魔法と屍人のそれ。
エリーは、魔法を紡いでいる屍人に心からの称賛を送っていた。


エリー・グリフォンス、元宮廷魔術師の彼女は栄誉ある過去を持ちつつもしかし、風魔法しか使えない。
だが彼女に言わせれば、それだけで十分なのだ。磨き上げた一つの属性魔法、それだけで。
その用途は、想像次第で無限に広がる。戦闘時の風を用いた自己加速に、相手の魔法に対する暴風の壁。敵を切り裂く風の刃に、護衛対象を優しく受け止める風のクッション。


――《大鷹おおたか》の二つ名を持つ彼女は、風魔法ただ一つで幾つもの困難を乗り越える、非才にして博学、不屈不絆ふくつふとうの魔法使いである。


地に降り立ったエリーは短杖を掲げ、『暴風の巻舒トルネーディア』に一層魔力を込める。
魔法陣の若草色がより輝きを増し、竜巻の壁がゆっくりと激流の源へ向けて動き出した。
上級魔法を制御しながら、続けてエリーは黒髪の少年に声を飛ばす。


「ケルン様、私の後ろへ!! そこに居ては巻き込まれます!!」


「はい、エリーさんッ」


隙を見て魔法を紡ぐ屍人に攻撃を仕掛けようと、機を伺っていたケルンは、使用人メイドの声に一も二もなく従った。
ケルンが返事を返したのを聞き取り、彼女は背後――話に聞いていたミゥの弟子にも呼びかける。


「エイシャ様、白魔法をお願いします。少々手荒に屍人を一掃するので、余波が心配ですから。彼らを守って下さい」


「えっ……と、はい――『魔法壁』!!」


エリーと未だ面識のないエイシャは、何故彼女が自分の名を知っているのか分からなかった。
加えて、エリーは『白魔法』を使えと言ったのだ。冒険者たちが一目見てなんの魔法か分からなかったほど、稀有な魔法を。


――彼女は、自分の事を知っている?


逡巡を見せたエイシャだったが、それでも圧倒的な風魔法を紡ぎ、尚且つ落ち着いているエリーを信頼することにしたらしい。
頷き、白魔法『魔法壁』を行使する。


ケルンが魔法同士の激突の余波を受けないように、迂回しながら東門に到着した――直後、エリーはびゅうと風を切り、大きく短杖を振り上げる。


暴風の巻舒トルネーディア』はその"巻舒けんじょ"の名に違わず、小さく縮んでいた。
縮み、圧縮された風は、広がりを求めて内側で暴れ狂っている。


「――『伸び広がれグロウレッド』!!」


戦場を駆ける一陣の風のような砲声が、『暴風の巻舒トルネーディア』にかかっていた圧力を開放した。
若草色の魔法陣が濃ゆい暗緑に変化し、凄まじい勢いで激流を遡ってゆく。
屍人が展開する青色の魔法陣のたもとまで行きつき――


範囲内のモノ全てを切り裂く風の爆弾が、水しぶきを高く巻き上げながら弾け飛んだ。

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