盲者と王女の建国記

てんとん

第2項16話 忘れ人の宴Ⅵ

目覚めたベルグ東通りが、ガヤガヤといつも通りの喧騒に包まれている。
市街を貫く通りの左右には、準備を終えた朝の出店が所狭しと構えられ。
並んだ出店には、転移ゲートを通って仕入れられる、他地域の食材が新鮮なうちにと並べてあった。


料理を供する店の従業員や、朝食の食材不足に気づいた主婦がそれらを物色して回っている。
そんな中、ひときわ目立つ使用人メイド服に身を包んだ長身の麗人が、八百屋を訪れた。


「おはようございます。今日は良いお野菜入ってますか?」


白の頭飾りカチューシャがちょこんと乗った栗色の髪を揺らして、彼女は八百屋の店主に問いかける。
物珍しい使用人メイド服に、成人男性よりも高い長身。
鋭利な翡翠色の瞳が与える尖った印象を、可憐な衣装で見事に中和させる彼女は、最近『都市台』に赴任した王女の側近として疎らに認知され始めている。


「こりゃあ、王女家臣のグリフォンス様……!? どうしたんですかい、こんなチンケな八百屋までわざわざ」


慌てる八百屋の店主に苦笑しながら、リセリルカの家臣であるエリー・グリフォンスは軽く頭を下げた。


「ああ、驚かせてしまってすみません。ミゥ様に、ここの八百屋の野菜は美味しいと聞いたものですから。リセリルカ様の朝食にと思いまして」


盗賊団の一件があってから、白魔法研究者でケルンの母であるミゥは、都市の長が住まう『都市台座』によく足を運んでいる。
ミゥは主に、王女リセリルカに頼まれている調査――幻魔法に心得のある研究者を当たり、他の王女が師事を乞うてきたことがあるかを聞いて回る――の成果報告に来るのだが、その際エリーは彼女と言葉を交わしていた。
ミゥと同じく、エリーも家事をきりもりする身である。
二人は何かと話が合い、食事の料理法レシピ等の生活の知恵を交換し合っていた。
今回エリーがこの八百屋を訪れたのは、ミゥが懇意にしていると聞いたからである。


「は……するってぇと、ウチの野菜が『都市台』様のお口に……?」


「ええまあ、そうなりますね。お嬢様――失礼、リセリルカ様の食事は全て、私が作らせていただいています」


ちょっとだけ誇らし気な声音で、エリーが店主に返事を返す。


「なんか光栄やら畏れ多いやら……まあ見ていってくださいや!! あ、普段なら、外皮が硬い野菜は切って提供してるんですが、今日はちょっと事情がありましてね……そのままで良ければ」


エリーが並べられた野菜に目を向けると、確かに南瓜かぼちゃなどの野菜が取れたままの状態で置いてあった。
小首を傾げ、彼女は店主に問う。


「何かあったのですか?」


「ええ、今しがた……四半刻30分もいかない位だったかな、ミゥさんとこの坊主と嬢ちゃんが包丁を貸してくれって言って。あんまりにも真剣な顔してたから、貸したんでさぁ」


エリーは、訓練の一環でケルンとエイシャが朝体力づくりランニングをしていることを、ミゥから聞いていた。
故に二人がこの時間帯に東通りに居たことには疑問は持たなかったが、だが包丁が必要な状況というのが思い浮かばない。
使用人は訝し気な顔をしながら、質問を続ける。


「ケルン様達が……彼らは今どこに?」


「血相変えてベルグ東門の向こうに走っていきましたね……ありゃ、今は閉じてるのか?」


八百屋の店主がベルグ東門に目を向けると、開いていたはずの門は堅く閉ざされている。
太陽も上り、夜を『森林迷宮』で過ごした冒険者たちが戻ってきてもおかしくない時間帯だ。
門がいつまでたっても開かないと、彼らが痺れを切らして門兵に噛み付くだろう。
それ以上に、魔物が出るベルグの外に冒険者でもない二人が出て行った、というのが何よりもおかしな話だ。
エリーは前掛けエプロンの裏から短杖を取り出し、風を切って振り払う。


「少し気になりますね。すみません、また後で買いに来ます」


無詠唱で自身に魔法を付与し、エリーは風の如く東門へ向かう――と、血相を変えて走る全身鎧。壁上にいるはずの歩哨とすれ違った。


「――どうしたのですか?」


「グリフォンス様!? 良かった……魔族の襲来です!! 種は屍人リビングデット。現在門兵と木等級の冒険者二人、ベルグ市民二人が交戦中!!」


なんたる偶然か、のっぴきならない状況で『都市台』直属の家臣を見つけ顔を綻ばせた物見はしかし、即座に厳しい声音で状況を説明した。


「状況は理解しました、私は東門の守備に加勢しましょう。貴方は『都市台』傍の兵士詰所に急いでください」


「はっ!!」


敬礼をして去ってゆく歩哨を尻目に、エリーは前掛けエプロンの裏から石型の魔法具――通信用の『集音器』と『拾音器』を取り出す。
彼女は慣れた手つきで集音器に魔力を流し、魔法具の向こうに居るであろう相手に向けて声を発した。


「リセリルカ様、起きておいでですか? エリーです」


『ええ、大体状況は掴んでるわ。ベルグ南門・・付近で屍人の襲撃があったそうね、ヅィーオから先ほど報告が入ってきた』


拾音器の向こうから通信時の環境音と共に、エリーの主たるリセリルカの声が聞こえてくる。
使用人は王女の言葉から、ベルグの南側でも同様の事態が起きていることを知った。


「いえ、私が今居るのは東門・・です。恐らく相当数の屍人が南東に、それもベルグを囲むように展開しているものと思われますね」


『なるほど。十中八九、魔族の上位種が絡んでいるでしょう。ヅィーオにはもう南門に向かってもらってる、私は魔法貴族と兵士師団長達を『都市台』に集めておくわ』


一瞬、南側への対処をどうするか考え出したエリーだったが、同じく家臣のヅィーオが向かったことを聞いて放棄する。
彼女が今すべきことは、東門の向こうに居るであろう屍人を殲滅し、『都市台』へ報告へ戻ることだ。


「朝食はお預けですが、ご容赦を」


『ええ全く、一日の始まりとしては最悪ね。エリー、武運を』


「ありがとうございます」


軽口を交わし合い、王女と従者は通信を切る。
エリーは魔法具を前掛けの裏にしまい込み、一足跳びに10Mメルトはあろうかというベルグ外壁上に飛び乗った。


***


ベルグ東門付近でのヒト種と屍人リビングデットとの攻防は、市内のヒト種の生活を脅かすことなく静かに続いていた。

黒髪の少年ケルンは、十匹はいようかという屍人リビングデットに囲まれている。
絶望的なことにその手元にあるのは、半ばから折られた菜切包丁の柄だけ。
打開策を探るように、ケルンは空間魔法『視界モノクローム』に魔力を込め、屍人をよく観察した。


(あの修道女シスターのヒト……すれ違ったときに確か、噛まれたら魔族に堕ちるって言ってた。一応、体液を避けて戦って来たけど……ここまで囲まれてると無傷って訳にはいきそうにないな)


ケルンは戦闘技術の他にも森林迷宮に住まう魔物に対しての知識など、生き残りサバイバルに必須な事柄をミゥとテインに教え込まれていて。
その知識の中に魔族である屍人リビングデットは含まれてはいなかったが、先ほどの冒険者の言葉から解毒薬アンチドーテが必要な類の敵、すなわち体液に毒を持っていると当たりをつけていた。


「く、そっ!! 攻撃手段が無い、素手じゃこの数は無理だ……っ!!」


ケルンは迫り来る屍人たちの手を、脚を、噛みつきをギリギリで躱し、いなす。
当然、そんな状態は長く続かない。じきに逃げ場が無くなるのを、少年は許容しなかった。
自身が放つ大振りの攻撃で体勢が崩れた屍人ならば、非力なケルンの力でも足払いでダウンを奪える。
そうして開いたスペースに間髪入れずに滑り込み、絶えず攻撃が届かないように立ち回っていた。
囲まれている状況下で、ケルンは『視界モノクローム』を用いて瞬時に状況判断を下し、屍人の間を縫ってゆく。


不意に――少年の空間魔法に、彼の手が届かない端の屍人の一匹、その奇怪な行動が映し出された。
他とは違い、地に着くまでの裾を持った襤褸切れを纏うそいつが手に持つのは、小枝のような短杖――魔法の威力を高める、魔法使いの装備だ。
その特異な屍人の周りを、集まる魔力が真白に染め上げてゆく。
ケルンの視界、その虚空に描かれたのは、巨大な白い魔法陣だ。


「なッ――!?」


ケルンは驚愕に目を剥き、股下を潜り抜け、肩を踏んで頭上を飛び越え、強引に屍人の群れから離脱する。
魔法の恐ろしさを、黒髪の少年はよく知っていた。
彼が最初に体感したのは、王女リセリルカが放った中級風魔法『風裂ラスレイト』だ。
音を立てる風が、触ることなく中距離の標的を細切れにするという事実は、それが自分の身に降りかかったときいかに危険かを想像させた。


(かなりの魔力量だ……!! 少なくとも中級以上の、殺傷能力の高い魔法!!)


空間魔法『視界モノクローム』に映る魔法陣の光度から、ケルンは込められた魔力量の当たりを付ける。
詠唱を省略していて、かつ発現までの時間が相当に短く、かなり魔法を収めていなければできない芸当だ。
少年は歯噛みしながら、門の前で魔法を展開しているエイシャに向けて叫ぶ。


「義姉さん!!!! 『魔法壁』だ、門を守って!!!!」


屍人の群れから抜け出ながら叫ぶケルンに、東門前の兵士、冒険者、そしてエイシャが目を剥く。
直後――屍人が描いた魔法陣から、全てを押し流す水の奔流が放たれた。

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