盲者と王女の建国記
第2項9話 深紅姫の峡谷探検Ⅲ
森林迷宮深部、『最果ての峡谷』上空にて。
歪な形の石塊が空に浮かびあがっている、その光景を形容するならば誰もがそう異口同音に発するだろう。
浮かび上がる生物の正体は、岩肌に擬態する空飛ぶ魔物、亜飛竜だ。
竜と名で呼ばれていても、その力は本物の竜種には遠く及ばない。それでも、この峡谷内で群れる彼らは、食物連鎖の中で上から数えるほうが早い程度には強い。
そんな一匹の亜飛竜の上で、魔族と猫獣人が姦しくギャアギャアと騒いでいた。
「た、高いニャぁ……ティメラ、降ろしてニャぁ!!」
「おい、暴れるでないわ。第一、ティリャが峡谷を案内してくれるのではなかったのかいや?」
不安を表すように尻尾をへにゃんと下げ、じたばたと落ちない程度に暴れるのは、猫獣人のティリャン。
もう一人の搭乗人であり、亜飛竜の主でもある吸血鬼のヒスティメラは、その慌てっぷりに呆れたような表情で友人を嗜める。
「亜飛竜に乗りながらだニャんて聞いてないニャぁ!! 第一、この峡谷は空飛ぶ魔物の巣窟ニャんだ!! こんなふうに目立つ移動をしてたら――ほらっ、言わんこっちゃニャい」
森林地域と他地域との境付近に位置する『最果ての峡谷』から、内地へ向けて百KMあまり。木都ウィールから来た冒険者であるティリャンは、自身の知識と経験則から、峡谷の上で身をさらすという状況がいかに危険かを理解していた。
峡谷の食物連鎖は、底へ下るほど逆に頂点へ近づいてゆく。
亜飛竜にしても、はぐれでもなければ本当は群れとなって峡谷の中ほどに生息する魔物なのだ。
――ずるずる、うねうね。
あるヤツは岩肌から。あるヤツは木の葉の影から。あるヤツは峡谷深くの闇の中から。
空中をゆっくり蛇行するという、途轍もなく気味の悪い動きをして亜飛竜に群がろうと姿を表したのは、一匹全長3Mはある太い蛇だ。
「ふむ? うっ、な、何じゃアイツは!? 空を泳ぐ蛇のような……うねうねうじゃうじゃとなんとも気色悪いのう。うぅ、さぶいさぶい!! お、おいおい、見た所数百は下らんぞ!?」
瞬く星灯りに照らされて、テカテカと光る黒みがかった紫色の体表。
ちろちろと見え隠れする先の分かれた長い舌が、獲物を舐らんばかりだ。
そんな空飛ぶ蛇を大量に見たヒスティメラは、生理的に受け付けないのか、両手でその見た目は華奢な二の腕をさすった。
「『遊泳蛇』ニャ。一匹見たら百匹いると思えってのが、てぃりゃー等冒険者達の共通認識ニャぁ。ヤツら動き自体は遅いから、囲まれさえしないうちに逃げれば大丈夫ニャんだけど」
幾度となく遠征でこの峡谷まで足を運んでいる冒険者ティリャンは、住んでいる魔物の特徴と対処法を頭に叩き込んでいる。
遊泳蛇も、亜飛竜と同じで群れて獲物を狩るという習性があり、遅い動きながらも物量で獲物を囲み込み、毒を打ち込みそれを喰らう。
出会ったからといって焦る必要はないが、決して油断してはならない魔物だ。
――そんな知識はつゆ知らぬと、ヒスティメラは羽を広げ遊泳蛇の大群へ向けて飛び立った。
「おいティメラ、何する気ニャ!?」
「……いやな? ゲテモノ程美味いと相場は決まっておろう? ちょいとばかし血を頂こうかと思う次第じゃ」
ティリャンの方を振り向き、ぺろりと唇を舐めるヒスティメラ。
そんな彼女に、獣人の冒険者は冗談じゃないと声を荒げた。
「ば、バカバカ!! 動きが遅いって言っても、それは獲物に近づくまでニャよ!? 数十Mの距離になると空気を蹴って凄まじい勢いで突進してくるニャ、噛まれたら強力な神経毒が回って……」
「ティリャ、今毒と言うたな!? 余は毒を好いておる、あのえも言われぬ辛味が堪らん――『眷属よ、そのまま突っ込め。なに、手前は余の体液のおかげで毒は効かぬ、大丈夫じゃ』」
ティリャンが慌てて、毒という生命の危険性をヒスティメラに説明する――が、それが良くなかった。
毒という単語を聞いた瞬間、ヒスティメラは目を輝かせた。
ヒトと吸血鬼の味覚の違い、というにはあまりにもかけ離れたもので。
ヒトにとっての劇毒が、吸血鬼にとっては癖になる辛みになってしまう程には、どうしようもなく異なってしまっている。
「ちょ、亜飛竜っ、お前なに遊泳蛇の大群に向かって行ってるニャ!?」
ティリャンを乗せたまま、ゆっくりと翼をはばたかせ始めた亜飛竜。
彼女はバンバンとその岩のような背中を叩くが、鳴き声ほどの反応も帰ってこない。
「――ニャぁぁああああっ、バカバカ、馬鹿ティメラ!! もう絶交ニャぁーー!!」
「……む。そうか、ティリャは毒に耐性がないのか――『眷属よ、止まれ。そしてティリャを守っているのじゃ』」
徐々に、しかし確実に近づいてくる遊泳蛇達にもはやこれまでと、涙目になって暴れまわるティリャン。
あんまりにもなその態度に、ヒスティメラは一旦羽ばたくのを止め、考えて――どうやらその答えはすぐに出たようだ。ヒト種の可聴域外の高音で、眷属に新たな命令を与える。
――ヒスティメラが余所見をしている間に、遊泳蛇の最初の一匹が飛び掛かる。
「『紅血装:刺創切創』」
背後からの飛び掛かりを始めから予期していたかの如く、ヒスティメラはその羽で素早く空気を叩き、高速で旋回。
同時に、剣並みの鋭さを誇るその爪に深紅の血管模様が浮かび、鈎爪のように伸びる。
そのまま旋回の遠心力を十二分に爪に乗せ、太い遊泳蛇の胴を千切りにした。
「よっ、と。さてはて、手前の味はどんなものかの? ……ゔぇぇ。辛いが、不味いな」
ぼたぼたと血肉をまき散らす遊泳蛇を傍目に、ヒスティメラは伸びた爪に付いた遊泳蛇の体液をペロリと舐めとる。
亜飛竜の時と同様に、また彼女の味覚は満たされなかったようだ。
――構えるでもなく隙を曝すヒスティメラに、百匹は優に居ようかという大群が群がってくる。
吸血鬼の全身を、余すところなく遊泳蛇達が噛みついた。
紅血装を纏わないヒスティメラの柔肌に牙が突き立ち、いともたやすく神経毒が送りこまれる。
「ティ、ティメラ……?」
その光景を、背後で亜飛竜に守られながら見ていたティリャンは、呆然と彼女の名を呼んだ。
「……そろそろ、頃合いか? 自分を食べるようで気が引けるが、毒だけ食べるにはこれしかなさそうだからの」
蛇玉、とでも形容すればいいだろうか。
遊泳蛇に群がられ、テカテカと紫に光る球体と化したヒスティメラから、独り言が漏れる。
「『血操槍』」
遊泳蛇達が噛みついた、ヒスティメラの傷口。
その一つ一つから毒と彼女の赤い体液が噴き出し、牙を押し返す。
――だけでなく、彼女の体液は極小の流れる槍と化し、狙いたがわず頭蓋を打ち抜いた。
音もなく峡谷の底へ、一匹、また一匹と落ちてゆく遊泳蛇。
最早ヒスティメラの興味は、彼らに微塵も注がれない。
「――うむっ、良い辛さじゃ!! かなり強い毒みたいじゃな」
ヒスティメラは流れ出た自身の体液を操作して四肢に戻し、ついでと噴き出した紫の液体――遊泳蛇の神経毒を、体中に舌を伸ばし舐めとる。
目を輝かせ、漆黒の尻尾を振り振り。
「うっわぁ……ティメラ、お前気持ち悪いニャぁ」
そんなヒトならざるグルメな吸血鬼の姿を見て、女猫獣人はドン引きした。
歪な形の石塊が空に浮かびあがっている、その光景を形容するならば誰もがそう異口同音に発するだろう。
浮かび上がる生物の正体は、岩肌に擬態する空飛ぶ魔物、亜飛竜だ。
竜と名で呼ばれていても、その力は本物の竜種には遠く及ばない。それでも、この峡谷内で群れる彼らは、食物連鎖の中で上から数えるほうが早い程度には強い。
そんな一匹の亜飛竜の上で、魔族と猫獣人が姦しくギャアギャアと騒いでいた。
「た、高いニャぁ……ティメラ、降ろしてニャぁ!!」
「おい、暴れるでないわ。第一、ティリャが峡谷を案内してくれるのではなかったのかいや?」
不安を表すように尻尾をへにゃんと下げ、じたばたと落ちない程度に暴れるのは、猫獣人のティリャン。
もう一人の搭乗人であり、亜飛竜の主でもある吸血鬼のヒスティメラは、その慌てっぷりに呆れたような表情で友人を嗜める。
「亜飛竜に乗りながらだニャんて聞いてないニャぁ!! 第一、この峡谷は空飛ぶ魔物の巣窟ニャんだ!! こんなふうに目立つ移動をしてたら――ほらっ、言わんこっちゃニャい」
森林地域と他地域との境付近に位置する『最果ての峡谷』から、内地へ向けて百KMあまり。木都ウィールから来た冒険者であるティリャンは、自身の知識と経験則から、峡谷の上で身をさらすという状況がいかに危険かを理解していた。
峡谷の食物連鎖は、底へ下るほど逆に頂点へ近づいてゆく。
亜飛竜にしても、はぐれでもなければ本当は群れとなって峡谷の中ほどに生息する魔物なのだ。
――ずるずる、うねうね。
あるヤツは岩肌から。あるヤツは木の葉の影から。あるヤツは峡谷深くの闇の中から。
空中をゆっくり蛇行するという、途轍もなく気味の悪い動きをして亜飛竜に群がろうと姿を表したのは、一匹全長3Mはある太い蛇だ。
「ふむ? うっ、な、何じゃアイツは!? 空を泳ぐ蛇のような……うねうねうじゃうじゃとなんとも気色悪いのう。うぅ、さぶいさぶい!! お、おいおい、見た所数百は下らんぞ!?」
瞬く星灯りに照らされて、テカテカと光る黒みがかった紫色の体表。
ちろちろと見え隠れする先の分かれた長い舌が、獲物を舐らんばかりだ。
そんな空飛ぶ蛇を大量に見たヒスティメラは、生理的に受け付けないのか、両手でその見た目は華奢な二の腕をさすった。
「『遊泳蛇』ニャ。一匹見たら百匹いると思えってのが、てぃりゃー等冒険者達の共通認識ニャぁ。ヤツら動き自体は遅いから、囲まれさえしないうちに逃げれば大丈夫ニャんだけど」
幾度となく遠征でこの峡谷まで足を運んでいる冒険者ティリャンは、住んでいる魔物の特徴と対処法を頭に叩き込んでいる。
遊泳蛇も、亜飛竜と同じで群れて獲物を狩るという習性があり、遅い動きながらも物量で獲物を囲み込み、毒を打ち込みそれを喰らう。
出会ったからといって焦る必要はないが、決して油断してはならない魔物だ。
――そんな知識はつゆ知らぬと、ヒスティメラは羽を広げ遊泳蛇の大群へ向けて飛び立った。
「おいティメラ、何する気ニャ!?」
「……いやな? ゲテモノ程美味いと相場は決まっておろう? ちょいとばかし血を頂こうかと思う次第じゃ」
ティリャンの方を振り向き、ぺろりと唇を舐めるヒスティメラ。
そんな彼女に、獣人の冒険者は冗談じゃないと声を荒げた。
「ば、バカバカ!! 動きが遅いって言っても、それは獲物に近づくまでニャよ!? 数十Mの距離になると空気を蹴って凄まじい勢いで突進してくるニャ、噛まれたら強力な神経毒が回って……」
「ティリャ、今毒と言うたな!? 余は毒を好いておる、あのえも言われぬ辛味が堪らん――『眷属よ、そのまま突っ込め。なに、手前は余の体液のおかげで毒は効かぬ、大丈夫じゃ』」
ティリャンが慌てて、毒という生命の危険性をヒスティメラに説明する――が、それが良くなかった。
毒という単語を聞いた瞬間、ヒスティメラは目を輝かせた。
ヒトと吸血鬼の味覚の違い、というにはあまりにもかけ離れたもので。
ヒトにとっての劇毒が、吸血鬼にとっては癖になる辛みになってしまう程には、どうしようもなく異なってしまっている。
「ちょ、亜飛竜っ、お前なに遊泳蛇の大群に向かって行ってるニャ!?」
ティリャンを乗せたまま、ゆっくりと翼をはばたかせ始めた亜飛竜。
彼女はバンバンとその岩のような背中を叩くが、鳴き声ほどの反応も帰ってこない。
「――ニャぁぁああああっ、バカバカ、馬鹿ティメラ!! もう絶交ニャぁーー!!」
「……む。そうか、ティリャは毒に耐性がないのか――『眷属よ、止まれ。そしてティリャを守っているのじゃ』」
徐々に、しかし確実に近づいてくる遊泳蛇達にもはやこれまでと、涙目になって暴れまわるティリャン。
あんまりにもなその態度に、ヒスティメラは一旦羽ばたくのを止め、考えて――どうやらその答えはすぐに出たようだ。ヒト種の可聴域外の高音で、眷属に新たな命令を与える。
――ヒスティメラが余所見をしている間に、遊泳蛇の最初の一匹が飛び掛かる。
「『紅血装:刺創切創』」
背後からの飛び掛かりを始めから予期していたかの如く、ヒスティメラはその羽で素早く空気を叩き、高速で旋回。
同時に、剣並みの鋭さを誇るその爪に深紅の血管模様が浮かび、鈎爪のように伸びる。
そのまま旋回の遠心力を十二分に爪に乗せ、太い遊泳蛇の胴を千切りにした。
「よっ、と。さてはて、手前の味はどんなものかの? ……ゔぇぇ。辛いが、不味いな」
ぼたぼたと血肉をまき散らす遊泳蛇を傍目に、ヒスティメラは伸びた爪に付いた遊泳蛇の体液をペロリと舐めとる。
亜飛竜の時と同様に、また彼女の味覚は満たされなかったようだ。
――構えるでもなく隙を曝すヒスティメラに、百匹は優に居ようかという大群が群がってくる。
吸血鬼の全身を、余すところなく遊泳蛇達が噛みついた。
紅血装を纏わないヒスティメラの柔肌に牙が突き立ち、いともたやすく神経毒が送りこまれる。
「ティ、ティメラ……?」
その光景を、背後で亜飛竜に守られながら見ていたティリャンは、呆然と彼女の名を呼んだ。
「……そろそろ、頃合いか? 自分を食べるようで気が引けるが、毒だけ食べるにはこれしかなさそうだからの」
蛇玉、とでも形容すればいいだろうか。
遊泳蛇に群がられ、テカテカと紫に光る球体と化したヒスティメラから、独り言が漏れる。
「『血操槍』」
遊泳蛇達が噛みついた、ヒスティメラの傷口。
その一つ一つから毒と彼女の赤い体液が噴き出し、牙を押し返す。
――だけでなく、彼女の体液は極小の流れる槍と化し、狙いたがわず頭蓋を打ち抜いた。
音もなく峡谷の底へ、一匹、また一匹と落ちてゆく遊泳蛇。
最早ヒスティメラの興味は、彼らに微塵も注がれない。
「――うむっ、良い辛さじゃ!! かなり強い毒みたいじゃな」
ヒスティメラは流れ出た自身の体液を操作して四肢に戻し、ついでと噴き出した紫の液体――遊泳蛇の神経毒を、体中に舌を伸ばし舐めとる。
目を輝かせ、漆黒の尻尾を振り振り。
「うっわぁ……ティメラ、お前気持ち悪いニャぁ」
そんなヒトならざるグルメな吸血鬼の姿を見て、女猫獣人はドン引きした。
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