盲者と王女の建国記

てんとん

第9話 魔法体験

黴臭い地下通路。
そこは盗賊の根城で、どこへ続くともしれない、どの程度あるかもしれない。
少なくとも目が見えない盲者にとってはそんな場所だ。


手を引くは、金色の髪を血で塗れさせた、目の潰れた少女。
手を引かれるは、弱々しい盲目の少年。


先導する少女の足取りは慎重で、ゆっくり、悪い足場に躓かない様に。
それに続く少年も、少女に呼吸を合わせて歩いていく。


「……さて、どうしましょうね?」


ぽつんと、無造作にその場に置かれたようなそんな言葉を、先導する少女が呟いた。
ただ、言葉の置かれた場が死地であるならば、その意味は大きく変わってくる。
何気ない道端の小石から、喉を突く致死の短剣に化けてしまう。
彼女――リセリルカが何気なく呟いたその言葉は、『現状に対する何かを悩んでいる』ことを強く盲目の少年に意識させた。


言葉がもたらす不安という毒は、心を蝕む。
だからケルンは、毒が全身に回る前に解毒を試みようと、言葉を紡いだ。
言葉に対する、即効性のある薬は言葉だけなのだから。


「どうしましょうね、って……ええっと、盗賊団長ゲリュド? を殺すとか言ってなかった?」

ケルンの手を握りながら、地下通路内で慎重に足を動かしていたリセリルカ。
同じ暗闇の視界を共有するもう一人から放たれた疑問に、潰れた両目から血の涙を流しながら、彼女はこてんと首を傾げた。


「ええ、それは確定事項なのだけれど……どうやって追跡しようかと思って。目を治してしまっては『盲者であっても何かを成せる』ことの証明にならないし」


――「困ったわね」と続けるリセリルカの返答を聞いて、どこかケルンはどこか引っ掛かりを覚えた。
まるで、彼女は潰れた目を治せるかの様な言い回しをしている。


「いや、治せるならそれに越したことはないよ!! さっきの言葉で十分俺は、その、救われたんだから……というか、考え無しに自分の目を抉ったの……? 俺が言うのもなんだけど、常識を疑うっていうか」


「か、考え無しじゃないわよ!! 折角良い気骨があるのに、うじうじしてるケルンが悪いんじゃないの!!」


ぎゅうとつながれた手を握り締め、リセリルカは堰を切る様に喋る。
その褒めているのか貶しているのか分からない彼女の言葉に、ケルンは頬を掻いた。


「……ええと、褒めてくれてありがとう、それでもって気弱でごめん」


照れくさくなったのか、リセリルカはぷいっとそっぽを向いて返答する。


「あのね、貴方がどうこうじゃなくって、私が嫌なのよ。それに――」


バチリと甲高い音を立てながら、紫電が彼女の体表を駆け回った。
目から口元へ流れ落ちた自身の血を鬱陶しそうに吐き出しながら、彼女はにやりと口角を上げる。


「――できるかどうかは、やってみないと分からないじゃない?」


そう言って口角を上げたリセリルカは、ぱっと繋いでいた手を振り払った。





「っ、……ふぅ」


浅い呼吸を繰り返して、俺は咽る様な血生臭さのする空気を肺に取り込む。
――怖い。
出来ることなら、この場から一歩も動きたくない。
目は見えなくても、想像力は無限だ。毎度毎度、俺は同じ問いを頭の中で自問する。
踏み出した一歩先には、一体何があるのだろう? と。
何かに触れる時だってそうだ。
無数の針が、俺の指を貫こうとしているのかもしれない。火傷を負う程の熱を持っているのかもしれない。
――未知が、見えないことが、怖い。


でも、だからと言って踏み出さないわけにはいかない。
今だけは、前で手を引いてくれる少女が居る。


自ら目を潰し、俺と同じ『盲者』になってもなお、歩くことをやめない少女。
きっと怖いはずだ、恐ろしいはずだ。
見えないことの恐怖は、誰よりも俺がよく知っている。
きっとその、背筋を這い上って来るような恐怖に抗って、打ち勝ち続けているのだ。
何故こんなにも、リセリルカは強いのだろう?
その答えは俺なんかには到底想像も付かないけれど。
握られた手から伝わる彼女の熱が、挫けそうになる俺の弱さを焼いてくれる。


一歩一歩、ちっぽけな『覚悟』を幾万も積み重ねよう。暗闇へ踏み出す勇気を、未知に触れる胆力を。


誰でもない俺が、強い彼女の隣を歩きたいと望んでる。
だから『覚悟』を持って、強くなろう――


そんな風に思っていたところでリセリルカが笑う気配と共に、唐突に握られていた俺の手が解放された。


「……っ、どこに居るの、リセリルカ!?」


焦って遮二無二振り回した俺の手に、何かが当たる感触はない。


「――!?」


次いで――耳朶を打ったのは、バチバチと甲高い音だ。
今まで生きてきて聞いたことが無い、異様な音。幾たびも何かが弾け続けているような。
恐らく、リセリルカが発している音なのだろう。


何も見えない暗闇の中、彼女への手がかりはそれだけ。
――生きる支えを失ってしまったかのような喪失感が、俺の胸を蝕んでゆく。
同時にやってくるのは、恐怖だ。


俺は一人では、何もできない。歩くことさえ、家に帰ることさえ。
どうしようもない恐怖が、どうしても這い上がってくる。

目が見えないと、起こる事象の全てが唐突になる。
――がばっ、と。
細くて、柔らかな感触が背中に走った。


「……なにっ!? 誰ッ!?」


俺は思わず叫ぶ。
予期しない感触は、俺の体をどうしても硬直させてしまう。
何が起きたのか理解が出来ないまま状況が進んでいく、それがどうしようもなく怖いのだ。


「ごめんなさい、突然。私も、貴方の生体反応が大まかにしか感じ取れないから」


聞こえてきた声は、金声玉振の調べ。
リセリルカの声を聞いてようやく、俺は彼女の声以外聞こえるはずがないことに気が付いた。


次いで俺の耳朶を打つのは、するすると鳴る衣擦れの音。
それと共に、さっきまでリセリルカと手を繋いでいた俺の右手の甲に、しなやかでそれでいて硬い感触が伝わってくる。
背中に感じる圧迫感と合わせると、俺の手に絡まるようにリセリルカの腕が伸ばされたようだ。


これは――抱きしめられている!?
え、なんで!? と、無理解が俺の頭の中を支配した。
リセリルカの行動が突拍子もなさ過ぎて、彼女の心境を読み取れない。
それになにより、俺は母さん以外の女性に抱きしめられたことがない。
先ほど叱咤されたときとは違う意味で、顔が赤くなってくる。


「あの……あのさ、何してるの!?」


彼女に奇行の意味を問いつつ、たまらず俺は身を捩った。


***


「ああもう!! 動かないで頂戴な、感電死・・・したいの!?」


反射的にリセリルカを振りほどこうとするケルン。
そんな彼に、彼女は後ろから抱き着いた状態のまま、少し顔を赤らめて「自分だって恥ずかしい」と言わんばかりの剣幕で叫ぶ。

「感電……ええッ!?」


聞き覚えの無い言葉だったが、「死」という部分に反応したケルンは、ピンと全身を強張らせた。
リセリルカは、その身に纏う紫電を慎重にケルンの体にも這わせてゆく。
互いに密着している胴から伸びる蔦のように電気が伝わり、手足の先まで紫の枝が伸びて行った。


(なんか、手足がしびれる様な……でも不思議と、不快な感じはしない。普段より体が軽いような気がする)


盲目は、視覚以外の感覚を鋭敏にさせる。
触覚や体感は、盲者にとっての生命線と言っても過言ではない。それ故、少年のそれらも例外なく高められていた。
自身が感じた体感の変化を確かめようと、ケルンが不用意に指先をピクリと動かした――瞬間、バチィン!! と凄まじい衝撃音が響く。


「い゛ったぁ!?」


頓狂な声を上げてビクッと強張ったケルンの体。
密着した体からそれを感じ取ったリセリルカは、警告を込める様に声を低くして彼の耳元で囁いた。


「もう一度言うけれど……迂闊に動くと感電して死ぬわよ、いい? 動かないでケルン」


「……ハイ、ワカリマシタ」


一度雷に打たれて懲りたケルンは、冷や汗をかきながら震え声で返答した。
その返事に満足したのか、リセリルカは己が魔法に集中し始める。





見えない視界の中、私は魔法陣をケルンの背中に描いてゆく。
描くための塗料は、未だに目から滴る私の血液だ。


――中々に、厳しいわね。
何よりも目が見えないというのは、私の想像以上に厄介な状態だった。
雷魔法『紫電波』で生体の位置だけは大まかに分かるが、地形――特に足元が覚束ない。
ケルンが頭を抱えてうずくまっていたときの気持ちが、同じ状況に陥った今ではよく理解できる。
何がどこにあるか分からないから、踏み出すのを躊躇う。
何が飛んでくるか分からないから、蹲る。


でもそれは見えない恐怖から生まれ出づる、杞憂の幻視でしかない。
盗賊の塒、その通路内で急に崖が現れるか? そうそうあり得ない。
不意に手に触れたものが、千の針と毒を持つか? 幾万に一つあるかないかだろう。
恐れず踏み出すしかないのだ。手を伸ばして触れなければ分からないのなら、触るべきなのだ。
そして、『見えない』事が致命的な不利益になるのならば、自力でどうにかするしかない。


どうしようもない困難に立ち向かうその手段――例えば、魔法。
風魔法の防壁を足裏に纏えば、見えない悪路の走破が楽になるだろう。
土魔法で頭上を掘削すれば、忽ち地上に出ることができるだろう。
肝心要は、対応力と発想力。
見えないならば、どうする? 問うて、自答して、実行だ。
恐怖に打ち勝つだけではまだ足りない。自分が何を成したくて、そのためには今何をすべきか。
考えて続けて、試行して、それがようやく現状の打開に繋がった時。
初めてヒトは、成長できる。


――どうすれば、ケルンに私の考えがきちんと伝わるのかしら。
言葉と目を潰す行為でもって、私はケルンを少しだけ前に進ませることが出来たと思う。
まだ暗闇の恐怖に耐えて、一歩歩き出す程度だけれど。
でもきっと、ケルンは現状を自分で打開しようと考える事が出来ていない。
それは多分、自分の力で何かを成せた事が無いからだ。
何も出来ないという自己評価――決めつけが、ケルンの可能性を奪ってしまっている。


――なら、私が最初にケルンにしてあげられる事は、成功のキッカケを与えること。
どうしようもない、でなく、どうすればいい? と考え始めるための力を貸してあげる事。


その為の力――魔法陣を、私はケルンの肌に描き上げていく。





金髪の王女は、盲目の少年の体を触診するかのように、その手の平で撫ぜる。
ローブの上からでは飽き足らないといった風に、裾の隙間からその華奢な手を入れ、愛撫するかの如く。
血で紅く染まった王女の手は、少年の白く線の細い体を、自らが纏う紅と紫に染めていった。
それはさながら、少年が王女の物であることを示す烙印らくいんのようであり。
その場にいる盲目の当事者二人は、そんなことには気づかない。
一方は、顔を羞恥に赤らめながら。他方は心ここにあらずといった風に、集中しながら。

魔法構成の難所を抜けたのか、リセリルカがふぅと一息をついて、ケルンに向けて言葉を紡ぐ。


「今試してるのは、私の研究成果なの。『電転でんてん』って名付けた魔法で、対象に雷魔法を付与できるものよ」


「――研究成果?」


聞きなれない言葉にケルンが反射的に問い返すと、リセリルカは意外そうな声を上げた。


「あら、貴方の母親――ミゥ・ツィリンダーも研究者でしょうに。聞きなれない? ……そうね、俗に言えば既存のものでない、自分にしか使えない魔法のことを指すかしら」


魔法の魔の字すら知らないケルンは、言葉の上でしか研究成果がいかにすごいのかが分からない。
それでも、自分の想像よりもはるか高みの話題だということは理解できた。
母が彼に、あえてそれを言わなかった理由も。
リセリルカに出会う以前であれば、ケルンは自らの親の偉大さと自分のちっぽけさを比較して、んでいたかもしれない。
だが、できない事に飛び込む覚悟を決めた今では、素直に憧れることができていた。


「自分にしか使えない魔法か……すごいや。俺の母さんが研究者ってのは知ってるけど……何の研究をしてるのかまでは知らないな」


リセリルカは不思議そうに首を傾げ、彼の母親であるミゥ・ツィリンダーについていくつかの情報を話していく。


「ふうん……ミゥ・ツィリンダーは《白の堅守》って呼ばれてる、白魔法の研究者よ。大体的に研究成果の発表はしていないけれど、魔法使いとしての実力は屈指だわ」


「白魔法……母さん、そんなに有名なんだ」


「貴方も、才能があるかもしれない。最近分かったことなのだけれど、具体的には十四年前かしら。魔法の才能が、遺伝によって決まるんじゃないかって言われ始めたの。――よし、調整はこんなものね」


電転でんてん』の調整を終えたリセリルカは、ケルンの体から身を引いた。
そして、彼女はケルンに魔法を掛けた真意を話し出す。


「雷魔法でできることに、『探知』というものがあるわ。魔力の発生源及び、生物の大まかな場所と数を調べることができるというものよ」


「探知……そっか、それを使えばリセリルカは目が使えなくても大丈夫ってことか」


ケルンの返答にリセリルカは、否定の意味を込めて首を振りかけて止める。
両者とも目の見えない状況では、意味のない行為だ。


「いいえ。魔力や生物探知ができたからと言って、地形が分かるわけじゃないわ。精度も低いし、とてもじゃないけど目の代わりにはならない」


それを聞いた盲目の少年は、頼りになる少女に問いかける。


「え、じゃあどうするの……?」


「――どうにかするのよ。私だけじゃなく、私達でね。一緒に考えて、試行するの」


リセリルカはケルンの肩を探り当て、ポンと叩く。
急な衝撃に、少年の体が少し震えた。


「ケルンは今、この場に限り、只の盲者ではなくなっているわ。貴方はもう、雷魔法使い。貴方が魔法を使えば、地形を調べることができるかもしれないから」


「俺が、魔法使い……できるのかな、リセリルカにも出来ない、そんなことが」


言葉こそ弱々しいが、ケルンは「出来ない」とはもう口にしない。
その小さな変化に、リセリルカは顔を綻ばせた。


「出来るかどうかは、やってみないと始まらないわよ。今の貴方に何ができるのかは、私も、誰も知らない。ただ、私はケルンに可能性があると思ったから、『電転』を試しているの」


「……やってみるよ。ここまでしてもらって、ウジウジ立ち止まってるのは、嫌だから」


ケルンは、導かれるように手を虚空に掲げる――その手指の先から、その髪と同じ黒色の稲妻が伸び始めた。

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