奇妙な魔術師とゆかいな仲間たちの冒険(旧題:Labyrinth & Lords ~奇妙な魔術師とゆかいな仲間たち~)
第九話 エルザ、部屋に踏み込まれる(兼元も)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ボスぅ!大変です」
煙草の煙が充満する部屋にくぐもった声が突如聞こえ出した。葉巻を咥えた男は何時もの日誌に”スラスラ”とペンを走らせていた。墨壺にペンを戻すと、くぐもった声の発生源へと顔を近づけ返答を返す。
「お前ら、いつも言うだろ。ボスと呼ぶなと。それに誰かいたらどうするんだ。今はいないからよかったものの」
「あう、すいやせん、【ベネット】さん」
ベネットと呼ばれた男は、メガホンの様になった筒の先端に向かって声を発していた。金属製の管の先にメガホンが装着された通信装置、伝声管である。
船内のとある場所と結ぶ音声伝達手段で、ベネットと別の者が話をするためだけに今は存在していた。
「俺の名前を呼ぶんじゃない」
「すいやせん」
「それでどうした?急いでいたんじゃなかったのか?」
急いで入た様に聞こえたが、注意された声の主はだんだんと声が小さくなり自信を無くしていたが、ベネットに諭されると思い出したように声を上げる。
「そうです、そうです、大変なんですよ」
「わかったから落ち着いて話せ」
「すみません。ボスから聞いたあいつ等なんですが、俺等の計画に気が付いたかもしれないです」
「ああ、やっぱりそうなったか……」
ベネットは厳しい顔をして伝声管を見つめる。生き残りの三人に面通しをさせて欲しいと提案されたときに、今のような結果になるのではと思っていたのだ。あのまま、許可を出さなければ独自に動かれて、最終的にはベネット自身に行きつかれるだろうと考えていた。
だが、ほんの少しだけ疑いの目を背けさせれば良いと思っていたので、それで十分だったのだ。
「ボスぅ、如何するんですか?」
「つべこべ言うんじゃない。お前達はその二人を始末して来い。それが終わったら、計画を進めるんだ」
「いつもボスが言う、不確定要素の排除ってやつですね」
「そうだ。あと数日で港に入ってしまう、猶予はないぞ」
「へい、お任せください」
伝声管から”カポッ!”と蓋が閉まる音を合図に会話が終了した。
声の主の声や音が漏れ聞こえない所を見れば、完全にその場から姿を消したと思われた。
(それにしてもオレ達の計画に気が付いたか……。どうにかして消してやりたいが、アイツ等に排除できるとは思えん。それに、アイツ等もそろそろお役御免と行きたいが……)
胸のポケットから葉巻をもう一本取り出して火を付けると、煙を口いっぱいに吸い込み味を楽しむ。”ぽわっ”と輪にして煙を吐き出しながら、この後はどうするかと考えをめぐらすのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
船のとある船室。二人の男がかすかな光を頼りに顔を合わせていた。だが、二人の顔には苦悶の表情が現れており、さらに焦っていた。
先程、二人が仕えるボスとの会話で無理難題を命令されたからであった。
「なぁ、どうする?あいつらを排除しろって言われたけどよぉ……」
「知るかよ。でも、殺らなきゃ、俺達がボスに殺されっちまう」
実行しなければ、組織に必要が無いとして逆に殺されてしまうだろうと、組織の命令は絶対であった。命令が理不尽であろうとも、船上では逃げる場も無く実行するしかないのだ。
男達は人殺しに何の抵抗も持っていないが、相手が悪いと頭を悩ませていた。
「女は別にいいんだよ。あんなの力でどうにでもなるしよ。問題は男の方だ」
「確かにな。いつも腰に差している見慣れないあの武器が気になるんだよなぁ。あれが何なのかだな」
「違いない!」
二人は殺す対象の一人を思い浮かべ、どの様な手段を用いるべきかと考え始める。
「お前の特異な、毒薬ではどうだ?」
「無理だな。あいつの飲み物は全て食堂スペースで貰っているらしい。部屋に持ち込むこと自体無理だろう」
「忍び込んで混入させるのは無理か?」
「やってみないとわからんな。食事時以外はずっと籠っているし」
「それなら食事時に実施して見ろ」
「おお、わかった」
二人は男に対し毒殺を試みようと話を付けた。
ただ、この二人は忘れていたのである。食堂スペースで飲み物を貰っているのはどういう意味なのかと。
「それで、女の方はどうする?」
「毒殺じゃ駄目だ。生きてないと俺達が楽しめないもんな」
「そうだな。この部屋に連れてきて楽しんでからゆっくりと殺すか?」
「そうするか。腕力で敵わんだろうから、楽勝だな」
「俺は男の方に忍び込んで毒を入れて来る」
「深夜に女の部屋に行く。そして攫って来るぞ」
「時間までここで待機だな、そして今夜が……」
「「たのしみだな」」
二人の男は嫌味な笑いを浮かべて、時間を待つ事になったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
太陽はすでに水平線の彼方へと沈み、船を夜の帳が覆い隠そうとしていた。船窓から見える海の色も、すでに青色から紺色へと変わり、悲し気な白い三角波が後方へ流れて行く。
もう夕食時だと言うのに、ベッドに寝転ぶ男は今だに起きようともせず、高鼾をかいていた。普段ならお腹の虫が盛大に鳴き出し、まっしぐらに甲板へ向かって行くはずだが、明け方まで起きていたせいか、夕食時のこの時間まで体内時計が狂ったままであった。
それに付け加え、季節が夏と言うのも、心地よい海風が部屋を吹き抜け、船室で寝るには心地良かったのである。
”カチャリ”
そんな彼の部屋に金属が打ち合う音が聞こえたのである。それは、注意をしていなければ耳に届かない程の音であった。
それからすぐに、”ギー”と、耳障りな音と共にドアが開かれるのであった。
そして、暗い船室へ紺色の服とズボンを履いた男が慎重に足を運び部屋へと侵入してきた。足を一歩出すごとに、床木が”ギシッ”と軋みゆく。だが、寝ている男の耳に届くほどの音は発していない様で気付かれる事は無かった。
侵入した男は数歩歩いてベッドの横まで来ると、思いがけない光景にビックリして体を硬直させた。
(何でこの男がここにいるんだ?今は食堂に行ってるんじゃないのか)
いつも通りであれば、食事時に真っ先に向かって行動する男が高鼾をかいてベッドに横たわっていたのだ。普段通りだと思い、確かめもせず行動してしまった侵入者の落ち度である。だが、それを今さら悔やんでも始まらぬと思い、当初の目的を果たそうと部屋を見るのであるが、その時に別の事を考え付いた。
(寝ているんだから、ここで殺しちゃっても大丈夫じゃないか?)
わざわざ毒殺するよりも、寝首を掻いてしまった方が早いのではないかと。侵入者の顔に思わず笑みが浮かんだ。
だが、侵入者は一つ考え違いを起こしていた事をこの後、思い知るのであった。
侵入者は懐から刃渡り十五センチ程のナイフを取り出した。獣肉を切ったり、暗殺に使ったりと侵入者が愛用するナイフである。鋭い切っ先を寝ている男の首に突き立てれば一貫の終わりだと、渾身の力を込めてナイフを振り下ろした。
(死ねぇ!!)
侵入者は寝ている男の首に鋭い切っ先を突き立てた……はずであった。だが、渾身の力を込めたその切っ先は首ではなく、白いシーツが敷かれたベッドに突き刺さっただけであった。
「おいおい、物騒なモンを振り回しているんじゃないぞ」
寝ていた男は侵入者の殺気を察知して体を捻り、渾身の力を込めたナイフの一撃を躱したのである。
「ったく、もう。拙者じゃなかったら確実に死んでいたぞい」
寝ていた男、東の国から諸国漫遊の旅をして奇妙な格好をした兼元は嫌味を吐き出しながら、侵入者へ掌底を撃ち出した。
”ギッギッ”
掌底は空を切ると同時に、床木がきしむ音が兼元の耳に届いた。侵入者は兼元の攻撃を察知し、身を翻して船室の入り口へと急いだのである。
ベッドの上で碌な戦闘態勢も取れていなかったが、鋭い掌底は確実に侵入者を捕らえていたはずだった。だが、兼元の体勢が掌底の速度をわずかばかり鈍らせ、侵入者に躱されてしまった。
「聞きたい事もあるで御座るから、そこから動くんじゃないぞ」
「それは無理だな」
「それならば、力ずくで御座るぞ」
侵入者は咄嗟の攻撃にベッドに突き立てたままナイフを離してしまい、毒づく事しか出来ずに焦りを感じていた。
侵入者の焦りを読み取った兼元は、ベッドに刺さったままのナイフを逆手で掴み、力いっぱい引き抜いて、躊躇なく侵入者へと投擲する。投げたナイフは回転しながら侵入者へと向かうが、余裕を持って躱され廊下の壁へと突き刺さった。
侵入者はナイフが自らに飛んでくると見て、その場から全力で逃げ出していたのだ。兼元がベッドから飛び起き、船室から出た時には侵入者の姿は何処にも見えなかった。
「ちっ、逃げたで御座るか。それにしても腹が減ったで御座る、準備して夕食を食いに向かうか」
壁に突き刺さった侵入者のナイフを引き抜いて自室へと引き返すと、身だしなみを整え、自らの武器を全て持ち、食堂スペースへと向かうのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
船が生み出す波の音だけが耳に届き、生き物の息遣いも聞こえぬ深夜。濃紺の布を頭から被った一人の男が甲板から首を出して海を眺めていた。
実際には海を見ていたのではなく、船窓から漏れる光を見ていたのである。
船窓から光が漏れているのであれば、確実に船室の主が起きている証拠であり、それが全て消え去るのを待っていたのである。そして、男が待ち望んだその時が現れたのである。
ゆっくりと身を起こし移動を始める。帆柱の見張りに発見されない様にと死角を進みつつ、一般客があてがわれる甲板下二層へと向かう。
船窓からの光が消えたとは言え、全ての乗船客が寝静まった証拠にはならない。それに余計な船員も起きている可能性も捨てきれない。念には念を入れ、足音を立てぬ様に目的の船室へと足を進めるのだ。
「……ここだな」
男の口から思わず言葉が漏れた。幸いにも声が小さかったので廊下にも響かず、誰の耳にも届いていなかった。尤も、この深夜に起きているとすればトイレに用をたすぐらいな者であろう。
それに、目の前のドアの向かう先は、光が消えてからすでに一時間以上は経過しており、夢の中を旅している頃見られた。
男は懐から小さな針金のセット、ピッキングツールを取り出すとカギ穴に差し込む。道具を通して手応えを感じると、ゆっくりと回して鍵を外す。
”カチャリ”と小さな音が耳に届くと、ノブを回してゆっくりと、そして静かにドアを押し開いて行く。部屋を覗けるだけの隙間が開くとその中を一瞥する。
船窓から入る月明りだけが頼りだが、目の届く範囲には異常がない。ベッドを見ればすでに寝込んでいる様でシーツが人の形に膨らんでいる。
(忍び込まれるとも知らずに寝ているとは残念な女だな)
それから、人が入れるだけドアを開けると、後ろを気にしながら船室へと体を入れて行く。だが、その時であった。
「閃光!!」
忍び込もうとした男の眼に急激に立ち上がった真っ白い光が浴びせられた。ほぼ真っ暗な空間に、信じられない程の閃光である、瞳孔が開いた人の目には閃光はしばらく視力を奪う程の武器になる。
そして、その閃光は船室に収まらず、入口からや船窓から漏れて、廊下や海面を照らしたのである。海面を照らした閃光は、帆柱の見張りの目にも見られたが、一瞬の事だったので、報告に上がったのは明るくなってからであった。
「な、何があったぁ!!」
侵入者は突如と受けた閃光を受け、目に痛みを感じていた。そして、両手を目にあてがうのであるが、その痛みを和らげることも出来ずに、床へと膝を付くのであった。
「こんな夜中に女の部屋に入るとは、マナーも無いのね、マードックさん」
「ち、畜生。な、何故、俺の名前を!!」
侵入者は、何故自らの名前を呼ばれたのかを疑問に思った。だが、それは簡単な事だった。船長に違和感のある四組の名前を教えて貰っていたからに過ぎない。それに、食堂スペースに現れない犯人候補である、わからない方が不思議であろう。
目を両手で擦り、徐々に突き刺す様な痛みが引くと同時に、首筋に冷たい金属の板がスッと当てられた。マードックはそれが何かと察すると動きを止めた。
「あら、殊勝な事ね。でも少し遅かったわね」
首筋に当てられたそれが離れ、ホッと溜息を漏らそうとした瞬間である。風を切る音が耳に届くと同時に、ブーツを履いた足に激痛が走ったのである。
「う、うぐぅ!!」
かすかに見え始めた目を見開き、痛みの原因に目を向けると細長い刀身、--細身剣の刃--が、自らの足から生えていたのである。さすがの光景にマードックは痛みも忘れ、呆然とそれを見つめるのである。
マードックのブーツは隠密行動に重きを置いて作られており、動き易さと音が出にくい構造であった。その為に、戦闘には向いておらず、鉄板を織り込むなどもしていないので、細身剣の刃が易々と通ったのである。
マードックは細身剣の持ち主を見上げるが、月明りの差し込む窓が後ろのあるために表情はわからなかった。だが、女の顔は笑みを浮かべている様でもあり、背筋に悪寒が走るのである。そして、足の痛みを堪えていると、今度は鳩尾に痛みを感じ、徐々に意識を失っていくのであった。
※兼元が狙われたナイフが簡単に抜けるのかよ!
いえ、今回は深くまで刺さる前に手を離したのです。それで簡単に抜けたんです。
※ええっ?エルザってこんなに強かったっけ?と思ったあなた。次回、その謎を明かしますよ(予定)
「ボスぅ!大変です」
煙草の煙が充満する部屋にくぐもった声が突如聞こえ出した。葉巻を咥えた男は何時もの日誌に”スラスラ”とペンを走らせていた。墨壺にペンを戻すと、くぐもった声の発生源へと顔を近づけ返答を返す。
「お前ら、いつも言うだろ。ボスと呼ぶなと。それに誰かいたらどうするんだ。今はいないからよかったものの」
「あう、すいやせん、【ベネット】さん」
ベネットと呼ばれた男は、メガホンの様になった筒の先端に向かって声を発していた。金属製の管の先にメガホンが装着された通信装置、伝声管である。
船内のとある場所と結ぶ音声伝達手段で、ベネットと別の者が話をするためだけに今は存在していた。
「俺の名前を呼ぶんじゃない」
「すいやせん」
「それでどうした?急いでいたんじゃなかったのか?」
急いで入た様に聞こえたが、注意された声の主はだんだんと声が小さくなり自信を無くしていたが、ベネットに諭されると思い出したように声を上げる。
「そうです、そうです、大変なんですよ」
「わかったから落ち着いて話せ」
「すみません。ボスから聞いたあいつ等なんですが、俺等の計画に気が付いたかもしれないです」
「ああ、やっぱりそうなったか……」
ベネットは厳しい顔をして伝声管を見つめる。生き残りの三人に面通しをさせて欲しいと提案されたときに、今のような結果になるのではと思っていたのだ。あのまま、許可を出さなければ独自に動かれて、最終的にはベネット自身に行きつかれるだろうと考えていた。
だが、ほんの少しだけ疑いの目を背けさせれば良いと思っていたので、それで十分だったのだ。
「ボスぅ、如何するんですか?」
「つべこべ言うんじゃない。お前達はその二人を始末して来い。それが終わったら、計画を進めるんだ」
「いつもボスが言う、不確定要素の排除ってやつですね」
「そうだ。あと数日で港に入ってしまう、猶予はないぞ」
「へい、お任せください」
伝声管から”カポッ!”と蓋が閉まる音を合図に会話が終了した。
声の主の声や音が漏れ聞こえない所を見れば、完全にその場から姿を消したと思われた。
(それにしてもオレ達の計画に気が付いたか……。どうにかして消してやりたいが、アイツ等に排除できるとは思えん。それに、アイツ等もそろそろお役御免と行きたいが……)
胸のポケットから葉巻をもう一本取り出して火を付けると、煙を口いっぱいに吸い込み味を楽しむ。”ぽわっ”と輪にして煙を吐き出しながら、この後はどうするかと考えをめぐらすのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
船のとある船室。二人の男がかすかな光を頼りに顔を合わせていた。だが、二人の顔には苦悶の表情が現れており、さらに焦っていた。
先程、二人が仕えるボスとの会話で無理難題を命令されたからであった。
「なぁ、どうする?あいつらを排除しろって言われたけどよぉ……」
「知るかよ。でも、殺らなきゃ、俺達がボスに殺されっちまう」
実行しなければ、組織に必要が無いとして逆に殺されてしまうだろうと、組織の命令は絶対であった。命令が理不尽であろうとも、船上では逃げる場も無く実行するしかないのだ。
男達は人殺しに何の抵抗も持っていないが、相手が悪いと頭を悩ませていた。
「女は別にいいんだよ。あんなの力でどうにでもなるしよ。問題は男の方だ」
「確かにな。いつも腰に差している見慣れないあの武器が気になるんだよなぁ。あれが何なのかだな」
「違いない!」
二人は殺す対象の一人を思い浮かべ、どの様な手段を用いるべきかと考え始める。
「お前の特異な、毒薬ではどうだ?」
「無理だな。あいつの飲み物は全て食堂スペースで貰っているらしい。部屋に持ち込むこと自体無理だろう」
「忍び込んで混入させるのは無理か?」
「やってみないとわからんな。食事時以外はずっと籠っているし」
「それなら食事時に実施して見ろ」
「おお、わかった」
二人は男に対し毒殺を試みようと話を付けた。
ただ、この二人は忘れていたのである。食堂スペースで飲み物を貰っているのはどういう意味なのかと。
「それで、女の方はどうする?」
「毒殺じゃ駄目だ。生きてないと俺達が楽しめないもんな」
「そうだな。この部屋に連れてきて楽しんでからゆっくりと殺すか?」
「そうするか。腕力で敵わんだろうから、楽勝だな」
「俺は男の方に忍び込んで毒を入れて来る」
「深夜に女の部屋に行く。そして攫って来るぞ」
「時間までここで待機だな、そして今夜が……」
「「たのしみだな」」
二人の男は嫌味な笑いを浮かべて、時間を待つ事になったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
太陽はすでに水平線の彼方へと沈み、船を夜の帳が覆い隠そうとしていた。船窓から見える海の色も、すでに青色から紺色へと変わり、悲し気な白い三角波が後方へ流れて行く。
もう夕食時だと言うのに、ベッドに寝転ぶ男は今だに起きようともせず、高鼾をかいていた。普段ならお腹の虫が盛大に鳴き出し、まっしぐらに甲板へ向かって行くはずだが、明け方まで起きていたせいか、夕食時のこの時間まで体内時計が狂ったままであった。
それに付け加え、季節が夏と言うのも、心地よい海風が部屋を吹き抜け、船室で寝るには心地良かったのである。
”カチャリ”
そんな彼の部屋に金属が打ち合う音が聞こえたのである。それは、注意をしていなければ耳に届かない程の音であった。
それからすぐに、”ギー”と、耳障りな音と共にドアが開かれるのであった。
そして、暗い船室へ紺色の服とズボンを履いた男が慎重に足を運び部屋へと侵入してきた。足を一歩出すごとに、床木が”ギシッ”と軋みゆく。だが、寝ている男の耳に届くほどの音は発していない様で気付かれる事は無かった。
侵入した男は数歩歩いてベッドの横まで来ると、思いがけない光景にビックリして体を硬直させた。
(何でこの男がここにいるんだ?今は食堂に行ってるんじゃないのか)
いつも通りであれば、食事時に真っ先に向かって行動する男が高鼾をかいてベッドに横たわっていたのだ。普段通りだと思い、確かめもせず行動してしまった侵入者の落ち度である。だが、それを今さら悔やんでも始まらぬと思い、当初の目的を果たそうと部屋を見るのであるが、その時に別の事を考え付いた。
(寝ているんだから、ここで殺しちゃっても大丈夫じゃないか?)
わざわざ毒殺するよりも、寝首を掻いてしまった方が早いのではないかと。侵入者の顔に思わず笑みが浮かんだ。
だが、侵入者は一つ考え違いを起こしていた事をこの後、思い知るのであった。
侵入者は懐から刃渡り十五センチ程のナイフを取り出した。獣肉を切ったり、暗殺に使ったりと侵入者が愛用するナイフである。鋭い切っ先を寝ている男の首に突き立てれば一貫の終わりだと、渾身の力を込めてナイフを振り下ろした。
(死ねぇ!!)
侵入者は寝ている男の首に鋭い切っ先を突き立てた……はずであった。だが、渾身の力を込めたその切っ先は首ではなく、白いシーツが敷かれたベッドに突き刺さっただけであった。
「おいおい、物騒なモンを振り回しているんじゃないぞ」
寝ていた男は侵入者の殺気を察知して体を捻り、渾身の力を込めたナイフの一撃を躱したのである。
「ったく、もう。拙者じゃなかったら確実に死んでいたぞい」
寝ていた男、東の国から諸国漫遊の旅をして奇妙な格好をした兼元は嫌味を吐き出しながら、侵入者へ掌底を撃ち出した。
”ギッギッ”
掌底は空を切ると同時に、床木がきしむ音が兼元の耳に届いた。侵入者は兼元の攻撃を察知し、身を翻して船室の入り口へと急いだのである。
ベッドの上で碌な戦闘態勢も取れていなかったが、鋭い掌底は確実に侵入者を捕らえていたはずだった。だが、兼元の体勢が掌底の速度をわずかばかり鈍らせ、侵入者に躱されてしまった。
「聞きたい事もあるで御座るから、そこから動くんじゃないぞ」
「それは無理だな」
「それならば、力ずくで御座るぞ」
侵入者は咄嗟の攻撃にベッドに突き立てたままナイフを離してしまい、毒づく事しか出来ずに焦りを感じていた。
侵入者の焦りを読み取った兼元は、ベッドに刺さったままのナイフを逆手で掴み、力いっぱい引き抜いて、躊躇なく侵入者へと投擲する。投げたナイフは回転しながら侵入者へと向かうが、余裕を持って躱され廊下の壁へと突き刺さった。
侵入者はナイフが自らに飛んでくると見て、その場から全力で逃げ出していたのだ。兼元がベッドから飛び起き、船室から出た時には侵入者の姿は何処にも見えなかった。
「ちっ、逃げたで御座るか。それにしても腹が減ったで御座る、準備して夕食を食いに向かうか」
壁に突き刺さった侵入者のナイフを引き抜いて自室へと引き返すと、身だしなみを整え、自らの武器を全て持ち、食堂スペースへと向かうのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
船が生み出す波の音だけが耳に届き、生き物の息遣いも聞こえぬ深夜。濃紺の布を頭から被った一人の男が甲板から首を出して海を眺めていた。
実際には海を見ていたのではなく、船窓から漏れる光を見ていたのである。
船窓から光が漏れているのであれば、確実に船室の主が起きている証拠であり、それが全て消え去るのを待っていたのである。そして、男が待ち望んだその時が現れたのである。
ゆっくりと身を起こし移動を始める。帆柱の見張りに発見されない様にと死角を進みつつ、一般客があてがわれる甲板下二層へと向かう。
船窓からの光が消えたとは言え、全ての乗船客が寝静まった証拠にはならない。それに余計な船員も起きている可能性も捨てきれない。念には念を入れ、足音を立てぬ様に目的の船室へと足を進めるのだ。
「……ここだな」
男の口から思わず言葉が漏れた。幸いにも声が小さかったので廊下にも響かず、誰の耳にも届いていなかった。尤も、この深夜に起きているとすればトイレに用をたすぐらいな者であろう。
それに、目の前のドアの向かう先は、光が消えてからすでに一時間以上は経過しており、夢の中を旅している頃見られた。
男は懐から小さな針金のセット、ピッキングツールを取り出すとカギ穴に差し込む。道具を通して手応えを感じると、ゆっくりと回して鍵を外す。
”カチャリ”と小さな音が耳に届くと、ノブを回してゆっくりと、そして静かにドアを押し開いて行く。部屋を覗けるだけの隙間が開くとその中を一瞥する。
船窓から入る月明りだけが頼りだが、目の届く範囲には異常がない。ベッドを見ればすでに寝込んでいる様でシーツが人の形に膨らんでいる。
(忍び込まれるとも知らずに寝ているとは残念な女だな)
それから、人が入れるだけドアを開けると、後ろを気にしながら船室へと体を入れて行く。だが、その時であった。
「閃光!!」
忍び込もうとした男の眼に急激に立ち上がった真っ白い光が浴びせられた。ほぼ真っ暗な空間に、信じられない程の閃光である、瞳孔が開いた人の目には閃光はしばらく視力を奪う程の武器になる。
そして、その閃光は船室に収まらず、入口からや船窓から漏れて、廊下や海面を照らしたのである。海面を照らした閃光は、帆柱の見張りの目にも見られたが、一瞬の事だったので、報告に上がったのは明るくなってからであった。
「な、何があったぁ!!」
侵入者は突如と受けた閃光を受け、目に痛みを感じていた。そして、両手を目にあてがうのであるが、その痛みを和らげることも出来ずに、床へと膝を付くのであった。
「こんな夜中に女の部屋に入るとは、マナーも無いのね、マードックさん」
「ち、畜生。な、何故、俺の名前を!!」
侵入者は、何故自らの名前を呼ばれたのかを疑問に思った。だが、それは簡単な事だった。船長に違和感のある四組の名前を教えて貰っていたからに過ぎない。それに、食堂スペースに現れない犯人候補である、わからない方が不思議であろう。
目を両手で擦り、徐々に突き刺す様な痛みが引くと同時に、首筋に冷たい金属の板がスッと当てられた。マードックはそれが何かと察すると動きを止めた。
「あら、殊勝な事ね。でも少し遅かったわね」
首筋に当てられたそれが離れ、ホッと溜息を漏らそうとした瞬間である。風を切る音が耳に届くと同時に、ブーツを履いた足に激痛が走ったのである。
「う、うぐぅ!!」
かすかに見え始めた目を見開き、痛みの原因に目を向けると細長い刀身、--細身剣の刃--が、自らの足から生えていたのである。さすがの光景にマードックは痛みも忘れ、呆然とそれを見つめるのである。
マードックのブーツは隠密行動に重きを置いて作られており、動き易さと音が出にくい構造であった。その為に、戦闘には向いておらず、鉄板を織り込むなどもしていないので、細身剣の刃が易々と通ったのである。
マードックは細身剣の持ち主を見上げるが、月明りの差し込む窓が後ろのあるために表情はわからなかった。だが、女の顔は笑みを浮かべている様でもあり、背筋に悪寒が走るのである。そして、足の痛みを堪えていると、今度は鳩尾に痛みを感じ、徐々に意識を失っていくのであった。
※兼元が狙われたナイフが簡単に抜けるのかよ!
いえ、今回は深くまで刺さる前に手を離したのです。それで簡単に抜けたんです。
※ええっ?エルザってこんなに強かったっけ?と思ったあなた。次回、その謎を明かしますよ(予定)
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