奇妙な魔術師とゆかいな仲間たちの冒険(旧題:Labyrinth & Lords ~奇妙な魔術師とゆかいな仲間たち~)
第二十九話 見知った天井と体の痛み【改訂版1】
(ここは何処だろう)
彼の見つめる先には見知ったような白い天井がぼんやりと浮かんで見える。掃除が行き届いていないそれは、煤けて黒い汚れが目立ち、掃除をしなければならぬだろう。
どこかに寝かされているのはわかるが、”ふわふわ”と浮き上がるような感覚は何処か死後の感覚と思えるようだった。
”ぼーっ”とした頭に渇を入れ、視線を動かして部屋を見渡す。
何とか顔を横に向けられたが、体は動かせないし手も足も自由に出来ない。左を向けば白い雲が浮かぶ青い空が窓越しに見える。時々、小鳥が窓を横切り元気な姿を見せている。
そして、右を向けば、木目板の壁の茶色い風合いが部屋の雰囲気をとてもよく表してた。
茶色い木目の壁に白い天井、そして、二人でも寝そべる事の出来る大きなベッドのあるこの部屋がエゼルバルドは大好きだった。そう、彼はそのベッドに横たわっていたのだ。
そして、右を向いたまま足先へと視線を動かすと、右手のある辺りで床に横座りしベッドへ顔をうずめている明るい茶色の髪が見えた。頭の後ろには銀色の髪留めが光り、美しく飾り立てている。
「ヒルダか……。良く寝ているな」
蚊の鳴くような声は違和感しか感じないが、それでも息を絞り出して呟きを吐き出した。ヒルダの頭へ、”そぉっ”と撫でたい気持ちになるが、体が言う事を利かずもどかしさだけが募って行く。
体を動かそうと頑張るが、ほんの少し指先が動く程度であった。それだけでも傍らで眠るヒルダを起こすには十分であった。
「んん、んんん~~~~!!」
上体を持ち上げながら肺の空気と共にうなり声をあげる。そして、腕を伸ばし、丸まっていた体を反らして体を覚醒させた。
それから、エゼルバルドが目を覚ましたと気が付くと、涙を浮かべながら布団越しに抱き着いて来るのであった。
「ああぁ~、良かった~。気が付いた。もう気が付かないかと思った~~!!」
「おはよう、でいいのかな?体が動かないんだけど、何かやった?」
ぎこちない声で体が動かない現状を説明し、どうなっているのかとヒルダに尋ねる。
「もう……心配したんだから、死にそうだったの覚えてないの?」
薄目を開けてエゼルバルドを見つめるヒルダの瞳にはうっすらと涙を浮かべ、そして、心配したと怒り気味に声を出す。だが、彼女の表情は声とは裏腹に笑みを浮かべていた。
それからヒルダは、魔法で治している最中であると告げるのだ。
「そうか、だから体が動かないのか……」
「大きな怪我だったから首から下は動かない様に処置してるわ」
「ヒルダに怒られちまっては、田舎に引きこもるしかないか?」
「あら?怒ってなんかいないわよ。でも……それだけ、冗談が言えるなら大丈夫ね」
体が動かないのは孤児院のシスターから習った魔法の一つを掛けているからだろうとエゼルバルドは理解した。だが、その魔法を掛けねばならぬ程の大怪我を負ったこと自体、ショックな出来事でもあったのだ。
その時である、右手奥のドアが開き”ドカドカ”と人の迷惑を顧みないすさまじい足音を立てながら賑やかな人達が入って来たのである。静かな病院に入院していたら、看護師さんから”お静かに!!”と怒られる程であった。
「エゼル!やっと起きたか?」
良く知る、珍しいハーフドワーフ(本人はクオーターと言っている)のヴルフだ。今の剣の師匠であり訓練相手でもある。酒好きで旅の宿では飲み過ぎる為、何度部屋まで担いで行った事だろうか。見た目より重い体重なので程々にして欲しいのだが、まだ止める気は無いのだろう。
「ヒルダの声が聞こえたのでひょっとしたらと思ったのですが……。思っていたより元気そうですね」
後見人、そして義理の父親、魔法の師匠であるスイールだ。魔法の腕と薬師としては超一流なのだが、何かと問題発言を言う事で”変り者”と呼ばれ、ブールの街では有名人だった。
「起きたの?羨ましいな~。アンタが寝ている時に誰かさんが”わんわん”泣いてたわよ~」
「ちょ、ちょっと!それは言わない約束でしょう?」
派手に腕を動かし、ヒルダをいじめている様に見えるのが、旅の途中で知り合ったアイリーンだ。燃えるような長髪が特徴で弓の名手でもある。狩りでは百発百中で今は欠かせない仲間だ。ただ、胸の大きさを武器にする事があるらしく、スイールが頭を悩ましていたのを覚えている。
そして、ヒルダ。今回は迷惑をかけたみたいだが、孤児院にいた時に毎日顔を合わせている可愛い妹分だ。多少気が強く度胸もある事から後ろを任せられると思っている。
でも、泣いていたとは驚いた。
「皆も無事だったんだね。オレは何とか生きているらしい……。えっと、ここは王都の屋敷?」
「そうよ、王都のお屋敷。ここに運ぶまで大変だったんだからね。ヒルダに感謝しなさいよ」
アイリーンが大きな胸を弾ませて、エゼルバルドに指を向けながら強い言葉を浴びせる。
「ヒルダには迷惑をかけたみたいだな。ありがとう」
今だに状況は知りえないのだが、一番苦労を掛けたヒルダに感謝の言葉を掛ける。
顔が赤く火照って見えるが大丈夫だろうか?熱を出して倒れない事を祈るばかりだ。
「スイールもヴルフも、もちろんアイリーンにも迷惑かけたみたいだ。ありがとう」
「あとでパティにもお礼をしておいてね。彼女のおかげもある事だから」
「わかった。パティにも起き上がれる様になったら挨拶に行くよ」
どんなに感謝しても足りない程の迷惑をかけた様で、回復したら挨拶回りが必要だなと思う程であった。
「それにしても驚いたわい。お前さんが立ち木にもたれ掛かり、気絶しているだけかと思ったら、左胸を細身剣の刃が貫いて貼り付けみたいになっていたからな。死んでいるかと思ったわい」
ヴルフの衝撃的な発言を耳にし、エゼルバルドは記憶を呼び覚ましていく。そうだ、あの男と打ち合ったときに、アイツの剣で貫かれたんだ、と。
「そうです。私も嫌な予感がしていたのですが、最悪の事態にならなくて今はホッとしています。敵が平突きで止めを刺そうとした事も今では運が良かったと言わざるを得ないでしょうね。エゼルの体重で肩まで切り上げられていたら、それこそ命は無かったでしょうから」
スイールは平然と恐怖を思い出させる事を口に出して来ると苦笑する。
確かに突き刺さっただけであれば血が流れ出る量は少なくなる。だが、肉を切られてしまえば、そこから大量の出血を強いられ、命を落としていただろう。
「尤も、あれから四日も目を覚まさなかったんだからな。ヒルダの魔法で傷は塞がっているとは言え痛みは消えないからしばらくは大人しくしているんだな」
ヴルフが大人しくしていろと告げると、エゼルバルドが気を失った後がどうなったかを説明し始めるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「アイツか!殺らせない」
アイリーンが矢を番え、力いっぱい弦を引き絞りそれを放った。まだ百メートルはあるが、アイリーンが放った矢は寸分たがわず男の右腕に命中し、ナイフを落とすのをその目で見た。
放った矢は腕を突き抜けず、その腕に留まり敵に痛みを与え続ける。
さらに追い打ちを掛けようと、矢筒から急いで矢を引き抜くと、もう一射しようと敵に矢を向ける。
「ちっ!!”赤毛の狙撃者”が来たか!これではもう無理か」
黒ずくめの男は、左手を使いバッグから玉を取り出すとそれを地面に投げつけた。それが爆発し、白い煙が辺りを充満し視界を覆い隠して行く。
「ヒルダ、急いで」
「はいっ!!」
二人がその場に着くまで二十秒程、走り難い凸凹の地面を考えれば驚異的な速度で駆け抜けた事になる。その間に煙は薄くなるが、視界の先にいたはずの男は姿を消した後だった。
そして、二人が見た光景にどこまでも届くような悲鳴を上げるのだ。
「きゃあぁぁぁ、エゼル、エゼル!!」
「な、何よこれ!!」
立ち木にもたれ掛かったエゼルバルドが二人の視線の先に見えた。目を瞑り、意識を失っているのがわかるが、それ以上に衝撃的だったのは、左胸に深々と突き刺さっている銀色に鈍く光る折れた刃だった。
その叫び声を上げた後に、ヒルダは気を失いたくなる程、酷い光景だった。
「皆を呼んでくるわ。ヒルダはその血を止めなさい。気絶するのは全て終わってからよ」
エゼルバルドの口元を指してヒルダに命令をする。アイリーンが怒りの声を上げているのは時間との勝負だからに他ならない。そして、アイリーンが地を蹴ると、皆のいる方へと全速力で駆け出した。
「お願い、戻って来て!お願い!」
ヒルダが回復魔法をこれでもかと掛けまくる。
気が動転しているヒルダには治っているのか、判断は出来ないでいた。今はエゼルバルドを救う事だけを考えて闇雲に魔法を使っているに過ぎない。
それでも、効果が表れたのか、口元から流れていた血が止まり、不規則だった呼吸が安定を始めていた。
それから五分程過ぎた頃、アイリーンが皆を連れて戻ってきた。
「ヒルダ、どう?」
「口からの血は止まったけど、何もできなくて……」
アイリーンの問いに、浮かべた涙を腕で拭きながら答える。
遅れてきたスイール達は無残な姿になったエゼルバルドに戦慄の言葉を並べる。
「これは酷い!!」
「もっと早く気が付いておけば!」
「何事が、うっ!!」
「「……」」
無残な姿を見せるエゼルバルドをその目で見てしまったパティとナターシャは、気を失いその場に崩れ落ちた。立ち木に貼り付けにされている様は、狼の首を刎ねた跡を見た比では無かったのだ。
「先ず、そこから離そう。アイリーンとヒルダは何でもいい、シートを敷いてくれ」
ヴルフが素早く冷静に指示を出して行く。この様な状況を散々経験してきたのだろう。
内心はエゼルバルドをこのようにした敵に怒り狂っている筈だが、ここで怒りを表に出しても状況が好転する事は無いと、荒ぶる心を強引に落ち着けているのだ。
そして、ヴルフ、スイール、そしてアンブローズの三人でエゼルバルドを立ち木から離そうとするが、刃が突き刺さって動かせないでいた。
「なんてこった、刃が木に刺さって抜けやしねぇ」
「そのまま抜くと出血で死にそうです」
「何とか木の根元で折れないですか?」
スイール達は打開策を見つけようと知恵を絞る。そして、周りを見渡していたアンブローズが使えそうな物を見つけ声を上げた。
「あの両手剣、使えませんか?」
エゼルバルドが敵と切り合っていた両手剣を指したのだ。そう、その両手剣とアンブローズが扱う戦槌で挟み込むようにすれば、細い細身剣の刀身など折るのは簡単なのではないかと。
「時間に余裕がない、それで行こう。ワシが両手剣を引き抜く、二人は少しエゼルの背中を木から離してやってくれ」
ヴルフが指示を出し始めてからの動きはとても速かった。
気に食い込んでいた両手剣を一瞬で引き抜き、両手剣とアンブローズの戦槌を打ち付けて刃を折る。エゼルバルドに多少のダメージが入るが、負っているダメージに比べれば誤差の範囲だろう。
斜めに背負っている両手剣の鞘をベルトを切って放り投げると、シートに横に寝かせ貫通した刃を引き抜こうとする。刺突性の武器とは言え、鋭い刃を持ち合わせた刀身は布を幾重にも巻き、それで引き抜くことが出来たのだ。
エゼルバルドを貫いていた刃を引き抜くと同時に、ヒルダが回復魔法を使って傷口を塞ぎ流血を最小限で抑える。
さらに、背中に突き刺さっていた鞘の破片を丁寧に抜き取り、これもヒルダの回復魔法で塞いで行く。
「呼吸も…安定したし、大丈夫……だと思う……」
まだ瞳に涙を浮かべているヒルダだが、自らの仕事をこなそうと精一杯の言葉で告げた。
それを聞き、スイール達は安堵の表情を見せ、”何とかなった”と言葉を漏らした。
「少し休んで帰りましょう。それにしても……両手剣で対峙していたとしても、エゼルがこんな大怪我を負うとは思いませんでした。大切な家族を失くしてしまうところを皆で助けていただき、ありがとうございます」
スイールは皆の前で深々と頭を下げ、感謝の気持ちを表した。
「気にするな、ワシも息子みたいに思っているんだからな」
「わたしだって大好きなエゼルだもん。何でもするわよ」
「そうそう、気にすることは無いよ。ウチら、家族みたいなもんじゃん」
ヴルフ、ヒルダ、アイリーンの三人の思いは同じであり、スイールを元気づける言葉を次々と口にするのであった。
エゼルバルドの怪我はそれだけでは無かった。
胸当てや籠手を外し、シャツと鎖帷子を脱がすと切り傷が至る所に見えた。肌を覆う防具が無い場所に傷が集中していた。
確かに、致命傷となりうる細身剣が貫通した怪我が一番酷いのだが、それを含めても傷を負い過ぎていた。それらが完全に治るまでに数週間は必要で、その間は左腕を動かすことは不可能と見られた。
エゼルバルドの治療が一段落し、落ち着きを取り戻したところでスイールが思い出したように声を上げた。
「そうです!私とアイリーンで止めを刺した敵が一人転がっている筈です」
「エゼルに気を取られて忘れてたわね」
襲ってきた相手の手掛かりが残っているだろうと、淡い期待を抱いて見るのだった。
「それで、襲ってきた黒ずくめの男達が何者か、二人は知っているようですが」
ヴルフとアイリーンに顔を向けて、知っているだろうと問い掛ける。
「それじゃ、エゼルも落ち着いたし、スイールが倒した奴の所へ行きながら説明するとしよう。二人で見てくるから皆はここで待機しててくれ。アイリーンはあいつ等が何者か説明できるだろう?」
「当然じゃない。ウチを誰だと思ってるの」
大きな胸を反らしてアイリーンが自信満々に答えたのを聞くと、スイールとヴルフは倒した敵に向かって歩き始めるのであった。
「黒ずくめのあいつ等は、”黒の霧殺士”と呼ばれる暗殺者集団だ」
「暗殺集団……ですか。随分と物騒ですが」
確かに物騒な集団だなとヴルフは頷く。
「何回か、あいつ等とぶつかった事があるんだが、その名の通り、霧の様にその存在を知られる事なく対象に近づき仕留める最悪な殺人者の集まりだ。ワシも当たりたくは無かった存在だ。今回も先に弓を射かけられ、危うくパティとナターシャが命を落とすところだったしな。金の為ならどんな危険な事も汚い事もする事で有名だ。大方、何処かの金持ちに雇われたんだろうよ、今回も」
嫌悪感しかないとその感想を表情に現しながらヴルフが毒付く。
だが、今回の襲撃では、狩りに向かう事、そして、パティが王城から出掛ける事を事前に王都で集めていなければ、この場に現れることなどなかったはずだとヴルフは見ていた。
「黒ずくめの男達ですか……。目立つ格好ですから、王都でも見かけた人がいるかもしれませんね」
「ああ、そうだな。夜に行動をする奴らだが目撃情報が皆無とは言えんはずだ。王都に戻ったらカルロに協力を要請してみよう」
「それが良いと思います」
ヴルフはカルロ将軍が手足のように扱うトルニア王国が有する諜報部隊に淡い期待を抱いていた。個人の力だけでは探し出せずとも、それを専門に扱う部隊であれば易しいのではないかと。
それに加え、エゼルバルドにあの仕打ちをした敵を見つけ出して仇討をも考えていたのだ。ただ、ヴルフ自身の手でそれが達成される事は無いのであるが……。
「それで、っと……あいつだな」
「そうです!」
言葉のやり取りをしていると、地面をどす黒く染めて胴体を真っ二つにされた黒いローブの男が横たわっていた。
「おや?衣服が乱れていますね」
衣服の乱れに気が付いたスイールが”ゴソゴソ”と懐をまさぐり持ち物を探るが、一足遅く身分を明かす様なものは抜かれた後だった。
それでも小さな装備品と使用していた武器はそのまま放置されていたので回収する事にした。
その中には特徴のあるナイフと射撃に使われた弓も含まれている。
「この弓はなかなかの物ですね。アイリーンの弓と同じ位でしょうか?そして、このナイフは刀身の根元に刻まれた紋章が見えますね、これが霧殺士の紋章でしょうか」
弓とナイフを手に取り、まじまじと眺める。
弓を形作る素材は高級と言うよりも実用性重視で作られ耐久性、強靭性など全てにおいて一級品の性能を誇るだろう。
ナイフにはダマスカス鋼の綺麗な文様が浮かんでおり、表面には蝙蝠をかたどった紋章が刻まれている。
「ダマスカス鋼に刻むとはかなりの腕を持った鍛冶師だな。これを見たのはワシも初めてだ」
ヴルフがナイフを光に当てたり、刃を眺めたりとを吟味を加える。敵を見つける助けになる証拠だと考え、カルロ将軍に提出しよう心に決めるのであった。
一通りの検分を終えるとエゼルバルドの容態が気になると仲間たちの元へ戻る事にした。
「それじゃ、戻るとしましょう。死体は獣達が処分してくれるでしょう」
「ワシ等が手を下さなくてもよいか」
スイールとヴルフは屍になった男をそのままにして、仲間達の待つ場所へと向かって行った。
二人がその場から立ち去ると、様子を窺っていた獣達が”のそり”と姿を現し、血の匂いをまき散らす死体に群がるのであった。
彼の見つめる先には見知ったような白い天井がぼんやりと浮かんで見える。掃除が行き届いていないそれは、煤けて黒い汚れが目立ち、掃除をしなければならぬだろう。
どこかに寝かされているのはわかるが、”ふわふわ”と浮き上がるような感覚は何処か死後の感覚と思えるようだった。
”ぼーっ”とした頭に渇を入れ、視線を動かして部屋を見渡す。
何とか顔を横に向けられたが、体は動かせないし手も足も自由に出来ない。左を向けば白い雲が浮かぶ青い空が窓越しに見える。時々、小鳥が窓を横切り元気な姿を見せている。
そして、右を向けば、木目板の壁の茶色い風合いが部屋の雰囲気をとてもよく表してた。
茶色い木目の壁に白い天井、そして、二人でも寝そべる事の出来る大きなベッドのあるこの部屋がエゼルバルドは大好きだった。そう、彼はそのベッドに横たわっていたのだ。
そして、右を向いたまま足先へと視線を動かすと、右手のある辺りで床に横座りしベッドへ顔をうずめている明るい茶色の髪が見えた。頭の後ろには銀色の髪留めが光り、美しく飾り立てている。
「ヒルダか……。良く寝ているな」
蚊の鳴くような声は違和感しか感じないが、それでも息を絞り出して呟きを吐き出した。ヒルダの頭へ、”そぉっ”と撫でたい気持ちになるが、体が言う事を利かずもどかしさだけが募って行く。
体を動かそうと頑張るが、ほんの少し指先が動く程度であった。それだけでも傍らで眠るヒルダを起こすには十分であった。
「んん、んんん~~~~!!」
上体を持ち上げながら肺の空気と共にうなり声をあげる。そして、腕を伸ばし、丸まっていた体を反らして体を覚醒させた。
それから、エゼルバルドが目を覚ましたと気が付くと、涙を浮かべながら布団越しに抱き着いて来るのであった。
「ああぁ~、良かった~。気が付いた。もう気が付かないかと思った~~!!」
「おはよう、でいいのかな?体が動かないんだけど、何かやった?」
ぎこちない声で体が動かない現状を説明し、どうなっているのかとヒルダに尋ねる。
「もう……心配したんだから、死にそうだったの覚えてないの?」
薄目を開けてエゼルバルドを見つめるヒルダの瞳にはうっすらと涙を浮かべ、そして、心配したと怒り気味に声を出す。だが、彼女の表情は声とは裏腹に笑みを浮かべていた。
それからヒルダは、魔法で治している最中であると告げるのだ。
「そうか、だから体が動かないのか……」
「大きな怪我だったから首から下は動かない様に処置してるわ」
「ヒルダに怒られちまっては、田舎に引きこもるしかないか?」
「あら?怒ってなんかいないわよ。でも……それだけ、冗談が言えるなら大丈夫ね」
体が動かないのは孤児院のシスターから習った魔法の一つを掛けているからだろうとエゼルバルドは理解した。だが、その魔法を掛けねばならぬ程の大怪我を負ったこと自体、ショックな出来事でもあったのだ。
その時である、右手奥のドアが開き”ドカドカ”と人の迷惑を顧みないすさまじい足音を立てながら賑やかな人達が入って来たのである。静かな病院に入院していたら、看護師さんから”お静かに!!”と怒られる程であった。
「エゼル!やっと起きたか?」
良く知る、珍しいハーフドワーフ(本人はクオーターと言っている)のヴルフだ。今の剣の師匠であり訓練相手でもある。酒好きで旅の宿では飲み過ぎる為、何度部屋まで担いで行った事だろうか。見た目より重い体重なので程々にして欲しいのだが、まだ止める気は無いのだろう。
「ヒルダの声が聞こえたのでひょっとしたらと思ったのですが……。思っていたより元気そうですね」
後見人、そして義理の父親、魔法の師匠であるスイールだ。魔法の腕と薬師としては超一流なのだが、何かと問題発言を言う事で”変り者”と呼ばれ、ブールの街では有名人だった。
「起きたの?羨ましいな~。アンタが寝ている時に誰かさんが”わんわん”泣いてたわよ~」
「ちょ、ちょっと!それは言わない約束でしょう?」
派手に腕を動かし、ヒルダをいじめている様に見えるのが、旅の途中で知り合ったアイリーンだ。燃えるような長髪が特徴で弓の名手でもある。狩りでは百発百中で今は欠かせない仲間だ。ただ、胸の大きさを武器にする事があるらしく、スイールが頭を悩ましていたのを覚えている。
そして、ヒルダ。今回は迷惑をかけたみたいだが、孤児院にいた時に毎日顔を合わせている可愛い妹分だ。多少気が強く度胸もある事から後ろを任せられると思っている。
でも、泣いていたとは驚いた。
「皆も無事だったんだね。オレは何とか生きているらしい……。えっと、ここは王都の屋敷?」
「そうよ、王都のお屋敷。ここに運ぶまで大変だったんだからね。ヒルダに感謝しなさいよ」
アイリーンが大きな胸を弾ませて、エゼルバルドに指を向けながら強い言葉を浴びせる。
「ヒルダには迷惑をかけたみたいだな。ありがとう」
今だに状況は知りえないのだが、一番苦労を掛けたヒルダに感謝の言葉を掛ける。
顔が赤く火照って見えるが大丈夫だろうか?熱を出して倒れない事を祈るばかりだ。
「スイールもヴルフも、もちろんアイリーンにも迷惑かけたみたいだ。ありがとう」
「あとでパティにもお礼をしておいてね。彼女のおかげもある事だから」
「わかった。パティにも起き上がれる様になったら挨拶に行くよ」
どんなに感謝しても足りない程の迷惑をかけた様で、回復したら挨拶回りが必要だなと思う程であった。
「それにしても驚いたわい。お前さんが立ち木にもたれ掛かり、気絶しているだけかと思ったら、左胸を細身剣の刃が貫いて貼り付けみたいになっていたからな。死んでいるかと思ったわい」
ヴルフの衝撃的な発言を耳にし、エゼルバルドは記憶を呼び覚ましていく。そうだ、あの男と打ち合ったときに、アイツの剣で貫かれたんだ、と。
「そうです。私も嫌な予感がしていたのですが、最悪の事態にならなくて今はホッとしています。敵が平突きで止めを刺そうとした事も今では運が良かったと言わざるを得ないでしょうね。エゼルの体重で肩まで切り上げられていたら、それこそ命は無かったでしょうから」
スイールは平然と恐怖を思い出させる事を口に出して来ると苦笑する。
確かに突き刺さっただけであれば血が流れ出る量は少なくなる。だが、肉を切られてしまえば、そこから大量の出血を強いられ、命を落としていただろう。
「尤も、あれから四日も目を覚まさなかったんだからな。ヒルダの魔法で傷は塞がっているとは言え痛みは消えないからしばらくは大人しくしているんだな」
ヴルフが大人しくしていろと告げると、エゼルバルドが気を失った後がどうなったかを説明し始めるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「アイツか!殺らせない」
アイリーンが矢を番え、力いっぱい弦を引き絞りそれを放った。まだ百メートルはあるが、アイリーンが放った矢は寸分たがわず男の右腕に命中し、ナイフを落とすのをその目で見た。
放った矢は腕を突き抜けず、その腕に留まり敵に痛みを与え続ける。
さらに追い打ちを掛けようと、矢筒から急いで矢を引き抜くと、もう一射しようと敵に矢を向ける。
「ちっ!!”赤毛の狙撃者”が来たか!これではもう無理か」
黒ずくめの男は、左手を使いバッグから玉を取り出すとそれを地面に投げつけた。それが爆発し、白い煙が辺りを充満し視界を覆い隠して行く。
「ヒルダ、急いで」
「はいっ!!」
二人がその場に着くまで二十秒程、走り難い凸凹の地面を考えれば驚異的な速度で駆け抜けた事になる。その間に煙は薄くなるが、視界の先にいたはずの男は姿を消した後だった。
そして、二人が見た光景にどこまでも届くような悲鳴を上げるのだ。
「きゃあぁぁぁ、エゼル、エゼル!!」
「な、何よこれ!!」
立ち木にもたれ掛かったエゼルバルドが二人の視線の先に見えた。目を瞑り、意識を失っているのがわかるが、それ以上に衝撃的だったのは、左胸に深々と突き刺さっている銀色に鈍く光る折れた刃だった。
その叫び声を上げた後に、ヒルダは気を失いたくなる程、酷い光景だった。
「皆を呼んでくるわ。ヒルダはその血を止めなさい。気絶するのは全て終わってからよ」
エゼルバルドの口元を指してヒルダに命令をする。アイリーンが怒りの声を上げているのは時間との勝負だからに他ならない。そして、アイリーンが地を蹴ると、皆のいる方へと全速力で駆け出した。
「お願い、戻って来て!お願い!」
ヒルダが回復魔法をこれでもかと掛けまくる。
気が動転しているヒルダには治っているのか、判断は出来ないでいた。今はエゼルバルドを救う事だけを考えて闇雲に魔法を使っているに過ぎない。
それでも、効果が表れたのか、口元から流れていた血が止まり、不規則だった呼吸が安定を始めていた。
それから五分程過ぎた頃、アイリーンが皆を連れて戻ってきた。
「ヒルダ、どう?」
「口からの血は止まったけど、何もできなくて……」
アイリーンの問いに、浮かべた涙を腕で拭きながら答える。
遅れてきたスイール達は無残な姿になったエゼルバルドに戦慄の言葉を並べる。
「これは酷い!!」
「もっと早く気が付いておけば!」
「何事が、うっ!!」
「「……」」
無残な姿を見せるエゼルバルドをその目で見てしまったパティとナターシャは、気を失いその場に崩れ落ちた。立ち木に貼り付けにされている様は、狼の首を刎ねた跡を見た比では無かったのだ。
「先ず、そこから離そう。アイリーンとヒルダは何でもいい、シートを敷いてくれ」
ヴルフが素早く冷静に指示を出して行く。この様な状況を散々経験してきたのだろう。
内心はエゼルバルドをこのようにした敵に怒り狂っている筈だが、ここで怒りを表に出しても状況が好転する事は無いと、荒ぶる心を強引に落ち着けているのだ。
そして、ヴルフ、スイール、そしてアンブローズの三人でエゼルバルドを立ち木から離そうとするが、刃が突き刺さって動かせないでいた。
「なんてこった、刃が木に刺さって抜けやしねぇ」
「そのまま抜くと出血で死にそうです」
「何とか木の根元で折れないですか?」
スイール達は打開策を見つけようと知恵を絞る。そして、周りを見渡していたアンブローズが使えそうな物を見つけ声を上げた。
「あの両手剣、使えませんか?」
エゼルバルドが敵と切り合っていた両手剣を指したのだ。そう、その両手剣とアンブローズが扱う戦槌で挟み込むようにすれば、細い細身剣の刀身など折るのは簡単なのではないかと。
「時間に余裕がない、それで行こう。ワシが両手剣を引き抜く、二人は少しエゼルの背中を木から離してやってくれ」
ヴルフが指示を出し始めてからの動きはとても速かった。
気に食い込んでいた両手剣を一瞬で引き抜き、両手剣とアンブローズの戦槌を打ち付けて刃を折る。エゼルバルドに多少のダメージが入るが、負っているダメージに比べれば誤差の範囲だろう。
斜めに背負っている両手剣の鞘をベルトを切って放り投げると、シートに横に寝かせ貫通した刃を引き抜こうとする。刺突性の武器とは言え、鋭い刃を持ち合わせた刀身は布を幾重にも巻き、それで引き抜くことが出来たのだ。
エゼルバルドを貫いていた刃を引き抜くと同時に、ヒルダが回復魔法を使って傷口を塞ぎ流血を最小限で抑える。
さらに、背中に突き刺さっていた鞘の破片を丁寧に抜き取り、これもヒルダの回復魔法で塞いで行く。
「呼吸も…安定したし、大丈夫……だと思う……」
まだ瞳に涙を浮かべているヒルダだが、自らの仕事をこなそうと精一杯の言葉で告げた。
それを聞き、スイール達は安堵の表情を見せ、”何とかなった”と言葉を漏らした。
「少し休んで帰りましょう。それにしても……両手剣で対峙していたとしても、エゼルがこんな大怪我を負うとは思いませんでした。大切な家族を失くしてしまうところを皆で助けていただき、ありがとうございます」
スイールは皆の前で深々と頭を下げ、感謝の気持ちを表した。
「気にするな、ワシも息子みたいに思っているんだからな」
「わたしだって大好きなエゼルだもん。何でもするわよ」
「そうそう、気にすることは無いよ。ウチら、家族みたいなもんじゃん」
ヴルフ、ヒルダ、アイリーンの三人の思いは同じであり、スイールを元気づける言葉を次々と口にするのであった。
エゼルバルドの怪我はそれだけでは無かった。
胸当てや籠手を外し、シャツと鎖帷子を脱がすと切り傷が至る所に見えた。肌を覆う防具が無い場所に傷が集中していた。
確かに、致命傷となりうる細身剣が貫通した怪我が一番酷いのだが、それを含めても傷を負い過ぎていた。それらが完全に治るまでに数週間は必要で、その間は左腕を動かすことは不可能と見られた。
エゼルバルドの治療が一段落し、落ち着きを取り戻したところでスイールが思い出したように声を上げた。
「そうです!私とアイリーンで止めを刺した敵が一人転がっている筈です」
「エゼルに気を取られて忘れてたわね」
襲ってきた相手の手掛かりが残っているだろうと、淡い期待を抱いて見るのだった。
「それで、襲ってきた黒ずくめの男達が何者か、二人は知っているようですが」
ヴルフとアイリーンに顔を向けて、知っているだろうと問い掛ける。
「それじゃ、エゼルも落ち着いたし、スイールが倒した奴の所へ行きながら説明するとしよう。二人で見てくるから皆はここで待機しててくれ。アイリーンはあいつ等が何者か説明できるだろう?」
「当然じゃない。ウチを誰だと思ってるの」
大きな胸を反らしてアイリーンが自信満々に答えたのを聞くと、スイールとヴルフは倒した敵に向かって歩き始めるのであった。
「黒ずくめのあいつ等は、”黒の霧殺士”と呼ばれる暗殺者集団だ」
「暗殺集団……ですか。随分と物騒ですが」
確かに物騒な集団だなとヴルフは頷く。
「何回か、あいつ等とぶつかった事があるんだが、その名の通り、霧の様にその存在を知られる事なく対象に近づき仕留める最悪な殺人者の集まりだ。ワシも当たりたくは無かった存在だ。今回も先に弓を射かけられ、危うくパティとナターシャが命を落とすところだったしな。金の為ならどんな危険な事も汚い事もする事で有名だ。大方、何処かの金持ちに雇われたんだろうよ、今回も」
嫌悪感しかないとその感想を表情に現しながらヴルフが毒付く。
だが、今回の襲撃では、狩りに向かう事、そして、パティが王城から出掛ける事を事前に王都で集めていなければ、この場に現れることなどなかったはずだとヴルフは見ていた。
「黒ずくめの男達ですか……。目立つ格好ですから、王都でも見かけた人がいるかもしれませんね」
「ああ、そうだな。夜に行動をする奴らだが目撃情報が皆無とは言えんはずだ。王都に戻ったらカルロに協力を要請してみよう」
「それが良いと思います」
ヴルフはカルロ将軍が手足のように扱うトルニア王国が有する諜報部隊に淡い期待を抱いていた。個人の力だけでは探し出せずとも、それを専門に扱う部隊であれば易しいのではないかと。
それに加え、エゼルバルドにあの仕打ちをした敵を見つけ出して仇討をも考えていたのだ。ただ、ヴルフ自身の手でそれが達成される事は無いのであるが……。
「それで、っと……あいつだな」
「そうです!」
言葉のやり取りをしていると、地面をどす黒く染めて胴体を真っ二つにされた黒いローブの男が横たわっていた。
「おや?衣服が乱れていますね」
衣服の乱れに気が付いたスイールが”ゴソゴソ”と懐をまさぐり持ち物を探るが、一足遅く身分を明かす様なものは抜かれた後だった。
それでも小さな装備品と使用していた武器はそのまま放置されていたので回収する事にした。
その中には特徴のあるナイフと射撃に使われた弓も含まれている。
「この弓はなかなかの物ですね。アイリーンの弓と同じ位でしょうか?そして、このナイフは刀身の根元に刻まれた紋章が見えますね、これが霧殺士の紋章でしょうか」
弓とナイフを手に取り、まじまじと眺める。
弓を形作る素材は高級と言うよりも実用性重視で作られ耐久性、強靭性など全てにおいて一級品の性能を誇るだろう。
ナイフにはダマスカス鋼の綺麗な文様が浮かんでおり、表面には蝙蝠をかたどった紋章が刻まれている。
「ダマスカス鋼に刻むとはかなりの腕を持った鍛冶師だな。これを見たのはワシも初めてだ」
ヴルフがナイフを光に当てたり、刃を眺めたりとを吟味を加える。敵を見つける助けになる証拠だと考え、カルロ将軍に提出しよう心に決めるのであった。
一通りの検分を終えるとエゼルバルドの容態が気になると仲間たちの元へ戻る事にした。
「それじゃ、戻るとしましょう。死体は獣達が処分してくれるでしょう」
「ワシ等が手を下さなくてもよいか」
スイールとヴルフは屍になった男をそのままにして、仲間達の待つ場所へと向かって行った。
二人がその場から立ち去ると、様子を窺っていた獣達が”のそり”と姿を現し、血の匂いをまき散らす死体に群がるのであった。
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