奇妙な魔術師とゆかいな仲間たちの冒険(旧題:Labyrinth & Lords ~奇妙な魔術師とゆかいな仲間たち~)
第十三話 依頼主、自業自得で恨みを買う【改訂版1】
日が少し昇り、放射冷却の寒さが一段落した頃、馬車は街道を進み始めた。
馬の蹄が”パカパカ”と心地良い音を響かせる。朝焼けを浴びた雲が残っているが、春の日には申し分ない天気だろう。
明け方の出来事もあってか、依頼主のマルコムは終始無言で、朝食も食べず馬車の中をベッドにしたまま寝込んでいた。恥ずかしい姿を見られた相手が馬車内に存在する事に耐え切れないのだ。
護衛の任を受けるほどの腕前を持っていれば、商売人に襲われても跳ね退ける力を持つくらい、普通なら考えそうであるが、そこまで考えが回らなかったのだろう。
そして、秘書兼護衛のニコラスにまで愛想をつかされ、誰に甘えれば良いか、それすらも見い出せずにいる。この場には、この男に同情する者は皆無である。
一方、エゼルバルドとヒルダは隣同士で馬車の中で座っているが、どこか余所余所しかった。ニコラスが口にした一言が二人の頭上から圧し掛かっていたようだ。
十年以上、孤児院で顔を合わせていたが、この様な気持ちや雰囲気は初めてだった。
妹の様に感じていたヒルダに違った感情を持つ事は一度もなかっただけに、この瞬間から二人の関係が変わり始めていた。
馬車は街道を進み、無事にサマビルの村へと乗り入れる事が出来た。帰りの馬車まで護衛の依頼を請け負ってはいないので、無事に依頼完了となるだろう。
マルコムの結婚相手のご令嬢宅は何処かと思うほど、村の中を馬車は止まる事無くひたすらに進み続け、ある一軒のごく普通の屋敷で馬車が止まった。
金の力しか価値を見出せぬ男からは想像がつかないが、彼がここへ来たのは初めてなので仕方無いだろう。
「エゼルさん、ヒルダさん、到着しました。ここが目的地です」
馬車内に告げると御者席から勢いよく飛び降りたニコラスが馬車のドアを開ける。エゼルバルドとヒルダが降りると、主人のマルコムを揺らし到着したと告げ眠りから呼び戻すが、彼は目を開けようとしなかった。
「まぁ、仕方ないですね。依頼書にサインですよね。こちらへ」
目を開けぬ主人のマルコムに溜息を吐いて馬車から出てギルドの依頼書にサインを記入しようと声を掛ける。
そして、依頼書を受け取りサインを入れると、それと一緒に小さな袋をエゼルバルドに渡してきた。
「これは?」
「ご迷惑をお掛けしたお詫びです。帰りの馬車代くらいにはなるかと思います」
それならば受け取らなければ失礼にあたるとだろうと、袋を鞄に仕舞い込んだ。
「さて、お二人は少しお待ちくださいね」
その場に二人を待たせ、マルコムの結婚相手がいる屋敷の玄関をノックする。
ドアには獅子の顔に丸い鉄の輪っかが付いたノッカーが付いているが、青銅製なのか青白く酸化している。風雨にさらされ続けた証拠であろう。
”ゴンゴンゴン!”
青銅製のノッカーは周囲にその音を響かせ、住人に客か来た事を知らせた。そして、玄関にバタバタと足音が聞こえてくると、ドア越しに女性特有の高い声が聞こえて来た。
「はい、どなたでしょうか?」
「マルコム=マクドネルです。ただいま到着いたしました」
不貞腐れていまだに起きぬマルコムに代わり秘書兼護衛のニコラスが到着したと答えた。
「その声はニコラス様ですね。ただいまお開けします」
木製のドアが開けられると、深緑のワンピースに白いエプロンを付けた若い女性が現れた。ワンピースと同じ色の三角巾で髪を隠し、さも料理を作っていましたと主張しているようだった。
顔にはそばかすが見えるが十八歳か十九歳位であろうか思われる。だが、眼元の感じを見るともう少し上かなとヒルダは感じた。
エゼルバルドの目からはヒルダほど、綺麗だとは思えなかったが、街娘としては多数の男が振り向くであろう事はよくわかる。顔よりも仕草や性格で選ばれる、そんな雰囲気の女性だった。
「お久しぶりです。アンジュ様もお変わりない様子で……」
「はい。祖母も元気にしております。ところで、マルコム様はいらっしゃらないのですか?」
「それが……」
ニコラスの顔が曇り、バツが悪そうに言葉を続ける。
「……馬車の中で寝ております」
「あら、それでしたら起こさなければいけませんね」
サンダルを”カランカラン”と響かせ馬車に乗り込むと、マルコムに向かって熱心に起こそうとしている。始めは優しく体を揺すり声を掛けていたが、起きるそぶりを見せぬ彼に我慢できなくなり、その内にベッドから落ちるほどに揺らし始めた。
「如何されたのかしら?あんなに好きだった馬車の旅が嫌いになったのかしら」
起きぬマルコムを前に、アンジュの顔が徐々に涙目になる。
同性として、許せぬとヒルダも表情が徐々に歪んでいく。
二人共、まだ感情を爆発させずに堪えているが、我慢の限界が近いと見え、エゼルバルドはどう止めようかと思案を巡らす。
だが、女二人の我慢の限界を迎える前に、アンジュの一言がマルコムの逆鱗に触れてしまった。
「マルコム様、どうされたのですか?子供みたいに駄々をこねて。話せる口があるのですからお話になってください。分かりますか?貴方のアンジュですよ」
なるべく優しく声を掛けたつもりが、少し威圧を込めて声を掛けてしまった。
「うるさい!!結婚など取りやめだ!僕はもう帰る!!」
急に上体を起こし、声を荒げてアンジュを怒鳴り付けた。
(もうめちゃくちゃだ、この人)
エゼルバルドとヒルダだけでなくニコラスまでもが同じ考えを持った瞬間だった。一人称が”私”から怒ると”俺”に、そして駄々をこね子供に戻ると”僕”に変わった。
情緒が不安定なのかもしれぬと見え、この状態で結婚など不可能であろう事は誰の眼にも明らかだった
それを聞いたアンジュが両手で顔を隠し、声を上げて泣き出してしまった。
「酷い、私の事は何も思っても無かったのね。私はあんなに愛していたのに」
さすがのニコラスも彼女の姿に口も手も出せずにいた。
それはエゼルバルドもヒルダも同じで、誰もが慰めなど出来ぬ、重々しい空気が辺り一帯を覆った。
人口の少ない村とは言え、多少の人通りはある。
隣近所の住人からはその姿を見られ、冷たい目を向けられひそひそと噂されるだろう。人の口に戸は立てられぬとはよく言ったものだ。
噂は瞬く間に広がり、村中に泣く姿を知られ、アンジュの祖母一家は村にいられなくなるのだが、それは後日の話である。
「わかりました。この結婚は諦めます。どうぞ、お引き取りください」
馬車のドアを力いっぱい、これでもかと言わんばかりに閉め付ける。そして、家の中に戻り、ドア”バタン”と閉めると鍵を掛けた。
その後、ドアを挟んですすり泣く声が聞こえ出した。
マルコムのこれまでも、そして、アンジュのこれからが終わりを告げたのである。
「申し訳ない、こんな所を見られてしまい。我々はこの村で一泊してから帰ります。お二人には何と申したらよいか。もし馬車で帰られるのでしたら、停車場は村の入り口付近にあります。旅のご武運をお祈りしております」
ニコラスは深々と頭を下げ、自分の不甲斐なさと一人の女性を不幸にしてしまった事を悔やんでいた。癒す事が難しい深い傷をアンジュの心に残してしまった事に。
「顔を上げてください。私達はこれで失礼します。ニコラスさんも次は良いご主人と出会える事を祈っていますよ」
「そうです。元気を出してください。ニコラスさんは精一杯、頑張ったのですから!」
エゼルバルドに達も頭を下げると名残惜しそうにニコラスと別れ、停車場を目指して足を進める。もちろん、馬車に積んであった組み立て済みの携帯長弓を回収するのを忘れずにである。
「なぁ」
「なあに」
「ニコラスさん、いい人だったな」
「そうね」
「次は報われるといいよな」
「そうね。次こそいい雇い主に巡り合うといいね」
二人共がニコラスを気に入っていて、彼のこれからを心配していた。そして……。
「それにあのアンジュってマルコムの結婚相手だった女性。どうなるかな?」
「絶対に幸せになって欲しいわ。でも、あのままじゃ済まないかもしれないわね」
「恐ろしいこと言うな~」
「本気かもよ、ふふふ」
アンジュに立ち直って欲しいと願うだけで今は一杯だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お母さま、マルコム様から結婚を取り止めると怒鳴られました。どうしたら良いのでしょう」
涙があふれくしゃくしゃになった顔を隠さず、母親に打ち明け始めた。
母親はその姿にショックを受けていた。涙がとめどなく流れる娘の姿など始めてみたのだろう。気立ての良い、自慢の娘だったはずがドアの前で泣き崩れ、瞼を腫らしながら大声で泣いている光景は復讐を思わせるに十分だった。
「大丈夫よ。今は思い切り泣きなさい。今はその悲しみを十分受け入れるのよ。男はマルコムだけじゃないわ。もっと良い男があなたの前に現れるわ。それまで、しっかり気を持つのよ」
アンジュに声を掛けて励ます姿は母親以上の存在になっていた。
その後、マルコムが復讐され、その人生を別の意味で終えるのだが、それは少し後の話である。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「すいませ~ん。渡し場まで行く馬車はここですか?」
停車場の案内板を見て、二頭立ての馬車馬にブラシを掛けている男に声を掛けた。馬車一台しか見えないが、間違えて他に向かったら取り返しがつかない。
「おうよ、この村から出る馬車はこの時間、渡し場にしか向かわないぜ。あんちゃんたち二人か?あと少しで午後の便を出すけど、如何するよ?」
乱暴な言葉遣いでおっちゃんがだエゼルバルド達に向いて答えた。
ぶっきら棒な言い方だったが、馬を大事にしているのだろうか、新品のブラシが光っていた。
「ヒルダ、乗っちゃう?」
「ここにあまりいい思い出もないし……」
「そうだな」
さらっと相談すると、馬車に乗ると伝える。
「おっちゃん、二人だ。よろしく」
「あいよ。ちょっと待っててな」
ブラシを仕舞い出発の準備を始めたが、エゼルバルドは今にもお腹の虫が暴れ出しそうな雰囲気を感じる。
「おっちゃん、ちょっと食べ物を買ってくる」
「わかった。準備して待ってるから、少しなら遅くなっても構わないぞ。それより、おススメはあそこの酒場だ。村だと思って侮るなよ。サンドイッチが絶品なんだ。ついでにオレの分も買って来てくれよ」
「いいよ、買ってくる。ヒルダ行こうか」
「は~い。おじさん、ちょっと待っててね~」
軽く手を振り、紹介された酒場に足を向ける。そのついでに、夜に食べる食材も仕入れに。
そして、酒場に向かう途中、ニコラスからの貰い物が気になったヒルダがエゼルバルドにエゼルバルドにエゼルバルドの脇をつつき始める。
「ねぇねぇ、さっきのニコラスさんから幾らを貰ったの?」
「確認してないね。ちょっと待って……えっと……金貨一枚と大銀貨五枚だね」
鞄から袋を出し、こっそりと覗き込んで枚数を数えた。
「迷惑料って言ってたけど多くないか?」
「そう思うけど、今更返しに行くのも何しに来たって言われちゃいそうだし?」
「仕方ない。ニコラスさんと会えた時にでも考えるとしよう」
「それがいいわね」
迷惑料が予想以上に多く腑に落ちないながらも酒場と雑貨屋を回り、昼食と数食の材料を買い込み、停車場へと急いで戻ってきた。
すでに出発の整った馬車が待っていたが、二人以外に乗客は見えなかった。
”パカパカ”と馬車馬が奏でる蹄のリズムに耳を傾けながら馬車は街道を走って行く。
行きの高級箱馬車に比べる事は出来ないが、幌付きの荷馬車もなかなか快適だった。乗客が二人なのもあるのか、足を延ばしリラックスが出来るのがうれしかったし、小五月蠅い偉ぶった依頼人がいない事も非常に良かった。
出発してから二時間ほどが経った頃、街道の先から馬の立てる土煙が見えた。
念のためと思い、携帯長弓を組み立て始める。
「お~い、その馬車止まってくれ~!!」
それから直ぐに馬の一団と遭遇した。彼らは武装をしていたが、戦う意思は無いらしく緊張感に欠けていた。それなら良いかと幌の中から御者の応対をじっと覗く。
「ん、なんだね。お前さん達は」
定期便の馬車を止めるのだ。御者は良く感じないだろう。
とは言え、辺境の一山村に向かう道は、すれ違いを困難にするほど道幅が狭く、仕方なしに馬車を止めたのだ。
「いや、申し訳ない。乗客はいるかね?」
幌の内側をその男が覗き見てくると、エゼルバルドと目が合った。
「二人ほど運んでるけど、手ぇ出すんじゃねぇぞ!」
馬車に手を出したらオレが許さんと威圧を掛ける。それを受けても暖簾に腕押しとばかりに、ひらりと受け流して、”定期便の馬車に手を出すほど狂っちゃいない”と告げながら御者に何かを手渡した。
「いやいや、オレ達は戦いたいんじゃない。ちょっとばかし聞きたいことがあるだけさ」
「しょうがねぇな。少しだけだぞ」
握った感触で数枚の硬貨を確認した御者は表情を少し緩めた。
「恩に着るぜ。実はな、マルコムってのを探してるんだ。結婚するのを止めさせようと探してるんだ」
「オレは知らんなぁ。乗客のあんちゃん達、何か知ってねぇか?」
エゼルバルドもヒルダも先程まで護衛をしていたのが、対象者であるとわかった。幾ら聞かれても依頼者の情報を漏らす程ではなく、すんなりと答える訳には行かないのだ。
だが、アンジュとの結婚が無くなった今、多少の情報を放しても良いと考えた。
「お兄さん達は何処から来たの?目的は何なの?」
まず相手が何者なのかを知るべきだろうと逆に質問で返した。
これで名乗らないのであれば答える訳には行かない。たとえ戦闘になっても騎馬相手であるが、今の二人の前では練習相手にもならないだろう。それは相手の装備を見れば一目でわかった。
「これは失礼した。王都のギルドで依頼を受けて生計を立てている【ハワード】って言うもんだ。これ、ギルドカードな。あと、身分証」
ハワードの手から二枚のカードを受け取り確認する。不自然な所は無く、発行元も王都のワークギルドで間違いなかった。
「私たちもギルドで仕事を受けたりしてるけど、今は旅人ね」
ハワードに二枚のカードを返すと、二人のギルドカードと身分証を提示する。この時、不用意に相手に持たせるなどはしないのだ。この知識はヴルフが教えてくれたのだ。。
「同業者って訳ですな。それでは手短に。王都にいるあるお方らから、マルコムを探し出し、結婚を阻止しろと依頼があったのだ。なんでも恨みを持っているとかで、この手で殺すまでは死んでも死にきれない、とか言うんだよ。まぁ、依頼は殺すじゃないから、その依頼者が本気かどうかは不明だけどな。それでオレ達が出てきたんだが、渡し場の宿場町までは足取りが分かったんだ。情報を集めたらそこから護衛を雇い、サマビルまで行ったって」
息が続かないのか、一息入れるハワード。説明も一から十まで行うとかなり疲れるだろうが、こればっかりは仕方がない。
「それが二日前だからもう着いてしまって、この馬車に帰りのマルコムが乗っているのかと思ってしまったんだ」
”べらべら”良く喋ると呆れる二人。同業者でも味方とは限らぬのだが、どの様な認識を持っているのかと問い詰めたい衝動に駆られそうになる。だが、そこは我慢するヒルダだ。
「分かったわ。そこまで話すんじゃ、私たちも少しだけ話すわ。よく聞いてね」
御者に目くばせをすると、ハワードに向かって話し始める。彼も何が始まるのかと一瞬戸惑ったが、情報をくれるとわかり、頭を働かせるのだった。
「まず、護衛をしていたのは私達。すでにサマビルに届けたわ」
”え、そりゃないぜ~”と顔に現れているがそれを無視して言葉を続ける。ハワードは先制攻撃を食らった感覚であるが、話が続いているので口を噤んだ。
「次に、結婚はありません。乱心して女の子の前で結婚取り止めを叫びました」
しっかりとこの耳で聞いたと告げると、そんな事実があるのかと面食らっていた。
「サマビルへ向かってもいいですけど、ニコラスって秘書をしている人にこっそりと会えば教えてくれます。これで十分かしら?あぁ、私たちの事は黙っててもらえるんでしょうね」
それが本当ならすでに依頼内容は達成して報酬はばっちり貰える。後はそれが本当かを確かめるだけで良い。こんな仕事の終わり方で良いのかとハワードをあらぬ事を勘ぐってしまう。何かの罠ではないかと。
「ああ、一つ聞く事を忘れてましたわ。依頼人の女の子達は何人かしら?」
ヒルダがハワードに向けた言葉は決定的だった。
依頼人が恨みを持っていたと話しはしたが、依頼人が複数なのかは話していないと思った。ハワードはそう思っていたが、実際は一回だけ複数人と口にしていた。
だが、そうとは思わぬ彼は、それを知るのは依頼人となった女性達だけで、話をしている女性はその事を知っていると間違って受け止めてしまったのだ。
「一本取られたよ。オレ達が話してない事まで何で知ってるんだ?まぁいいか、話してくれて助かったよ。そのニコラスって人を探してみるよ。助かったお礼だ。それと聞いた事を話す程、口は軽くないから安心してくれ」
お礼と共にハワードからヒルダに小さな袋が渡された。
「よ~し、サマビルまでもう少しだ。急いでいくぞ~」
「「「おー!!」」」
無駄に元気なハワードを募る者達が声を上げ、馬車に敬礼をしてから走り抜けて行った。
その中で同じ外套を羽織っているが赤髪の女性が幌馬車を睨んでいたのをエゼルバルドは見逃さなかった。顔は判らなかったが、彼女と運命が繋がっていると感じたのだ。
馬の蹄が”パカパカ”と心地良い音を響かせる。朝焼けを浴びた雲が残っているが、春の日には申し分ない天気だろう。
明け方の出来事もあってか、依頼主のマルコムは終始無言で、朝食も食べず馬車の中をベッドにしたまま寝込んでいた。恥ずかしい姿を見られた相手が馬車内に存在する事に耐え切れないのだ。
護衛の任を受けるほどの腕前を持っていれば、商売人に襲われても跳ね退ける力を持つくらい、普通なら考えそうであるが、そこまで考えが回らなかったのだろう。
そして、秘書兼護衛のニコラスにまで愛想をつかされ、誰に甘えれば良いか、それすらも見い出せずにいる。この場には、この男に同情する者は皆無である。
一方、エゼルバルドとヒルダは隣同士で馬車の中で座っているが、どこか余所余所しかった。ニコラスが口にした一言が二人の頭上から圧し掛かっていたようだ。
十年以上、孤児院で顔を合わせていたが、この様な気持ちや雰囲気は初めてだった。
妹の様に感じていたヒルダに違った感情を持つ事は一度もなかっただけに、この瞬間から二人の関係が変わり始めていた。
馬車は街道を進み、無事にサマビルの村へと乗り入れる事が出来た。帰りの馬車まで護衛の依頼を請け負ってはいないので、無事に依頼完了となるだろう。
マルコムの結婚相手のご令嬢宅は何処かと思うほど、村の中を馬車は止まる事無くひたすらに進み続け、ある一軒のごく普通の屋敷で馬車が止まった。
金の力しか価値を見出せぬ男からは想像がつかないが、彼がここへ来たのは初めてなので仕方無いだろう。
「エゼルさん、ヒルダさん、到着しました。ここが目的地です」
馬車内に告げると御者席から勢いよく飛び降りたニコラスが馬車のドアを開ける。エゼルバルドとヒルダが降りると、主人のマルコムを揺らし到着したと告げ眠りから呼び戻すが、彼は目を開けようとしなかった。
「まぁ、仕方ないですね。依頼書にサインですよね。こちらへ」
目を開けぬ主人のマルコムに溜息を吐いて馬車から出てギルドの依頼書にサインを記入しようと声を掛ける。
そして、依頼書を受け取りサインを入れると、それと一緒に小さな袋をエゼルバルドに渡してきた。
「これは?」
「ご迷惑をお掛けしたお詫びです。帰りの馬車代くらいにはなるかと思います」
それならば受け取らなければ失礼にあたるとだろうと、袋を鞄に仕舞い込んだ。
「さて、お二人は少しお待ちくださいね」
その場に二人を待たせ、マルコムの結婚相手がいる屋敷の玄関をノックする。
ドアには獅子の顔に丸い鉄の輪っかが付いたノッカーが付いているが、青銅製なのか青白く酸化している。風雨にさらされ続けた証拠であろう。
”ゴンゴンゴン!”
青銅製のノッカーは周囲にその音を響かせ、住人に客か来た事を知らせた。そして、玄関にバタバタと足音が聞こえてくると、ドア越しに女性特有の高い声が聞こえて来た。
「はい、どなたでしょうか?」
「マルコム=マクドネルです。ただいま到着いたしました」
不貞腐れていまだに起きぬマルコムに代わり秘書兼護衛のニコラスが到着したと答えた。
「その声はニコラス様ですね。ただいまお開けします」
木製のドアが開けられると、深緑のワンピースに白いエプロンを付けた若い女性が現れた。ワンピースと同じ色の三角巾で髪を隠し、さも料理を作っていましたと主張しているようだった。
顔にはそばかすが見えるが十八歳か十九歳位であろうか思われる。だが、眼元の感じを見るともう少し上かなとヒルダは感じた。
エゼルバルドの目からはヒルダほど、綺麗だとは思えなかったが、街娘としては多数の男が振り向くであろう事はよくわかる。顔よりも仕草や性格で選ばれる、そんな雰囲気の女性だった。
「お久しぶりです。アンジュ様もお変わりない様子で……」
「はい。祖母も元気にしております。ところで、マルコム様はいらっしゃらないのですか?」
「それが……」
ニコラスの顔が曇り、バツが悪そうに言葉を続ける。
「……馬車の中で寝ております」
「あら、それでしたら起こさなければいけませんね」
サンダルを”カランカラン”と響かせ馬車に乗り込むと、マルコムに向かって熱心に起こそうとしている。始めは優しく体を揺すり声を掛けていたが、起きるそぶりを見せぬ彼に我慢できなくなり、その内にベッドから落ちるほどに揺らし始めた。
「如何されたのかしら?あんなに好きだった馬車の旅が嫌いになったのかしら」
起きぬマルコムを前に、アンジュの顔が徐々に涙目になる。
同性として、許せぬとヒルダも表情が徐々に歪んでいく。
二人共、まだ感情を爆発させずに堪えているが、我慢の限界が近いと見え、エゼルバルドはどう止めようかと思案を巡らす。
だが、女二人の我慢の限界を迎える前に、アンジュの一言がマルコムの逆鱗に触れてしまった。
「マルコム様、どうされたのですか?子供みたいに駄々をこねて。話せる口があるのですからお話になってください。分かりますか?貴方のアンジュですよ」
なるべく優しく声を掛けたつもりが、少し威圧を込めて声を掛けてしまった。
「うるさい!!結婚など取りやめだ!僕はもう帰る!!」
急に上体を起こし、声を荒げてアンジュを怒鳴り付けた。
(もうめちゃくちゃだ、この人)
エゼルバルドとヒルダだけでなくニコラスまでもが同じ考えを持った瞬間だった。一人称が”私”から怒ると”俺”に、そして駄々をこね子供に戻ると”僕”に変わった。
情緒が不安定なのかもしれぬと見え、この状態で結婚など不可能であろう事は誰の眼にも明らかだった
それを聞いたアンジュが両手で顔を隠し、声を上げて泣き出してしまった。
「酷い、私の事は何も思っても無かったのね。私はあんなに愛していたのに」
さすがのニコラスも彼女の姿に口も手も出せずにいた。
それはエゼルバルドもヒルダも同じで、誰もが慰めなど出来ぬ、重々しい空気が辺り一帯を覆った。
人口の少ない村とは言え、多少の人通りはある。
隣近所の住人からはその姿を見られ、冷たい目を向けられひそひそと噂されるだろう。人の口に戸は立てられぬとはよく言ったものだ。
噂は瞬く間に広がり、村中に泣く姿を知られ、アンジュの祖母一家は村にいられなくなるのだが、それは後日の話である。
「わかりました。この結婚は諦めます。どうぞ、お引き取りください」
馬車のドアを力いっぱい、これでもかと言わんばかりに閉め付ける。そして、家の中に戻り、ドア”バタン”と閉めると鍵を掛けた。
その後、ドアを挟んですすり泣く声が聞こえ出した。
マルコムのこれまでも、そして、アンジュのこれからが終わりを告げたのである。
「申し訳ない、こんな所を見られてしまい。我々はこの村で一泊してから帰ります。お二人には何と申したらよいか。もし馬車で帰られるのでしたら、停車場は村の入り口付近にあります。旅のご武運をお祈りしております」
ニコラスは深々と頭を下げ、自分の不甲斐なさと一人の女性を不幸にしてしまった事を悔やんでいた。癒す事が難しい深い傷をアンジュの心に残してしまった事に。
「顔を上げてください。私達はこれで失礼します。ニコラスさんも次は良いご主人と出会える事を祈っていますよ」
「そうです。元気を出してください。ニコラスさんは精一杯、頑張ったのですから!」
エゼルバルドに達も頭を下げると名残惜しそうにニコラスと別れ、停車場を目指して足を進める。もちろん、馬車に積んであった組み立て済みの携帯長弓を回収するのを忘れずにである。
「なぁ」
「なあに」
「ニコラスさん、いい人だったな」
「そうね」
「次は報われるといいよな」
「そうね。次こそいい雇い主に巡り合うといいね」
二人共がニコラスを気に入っていて、彼のこれからを心配していた。そして……。
「それにあのアンジュってマルコムの結婚相手だった女性。どうなるかな?」
「絶対に幸せになって欲しいわ。でも、あのままじゃ済まないかもしれないわね」
「恐ろしいこと言うな~」
「本気かもよ、ふふふ」
アンジュに立ち直って欲しいと願うだけで今は一杯だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お母さま、マルコム様から結婚を取り止めると怒鳴られました。どうしたら良いのでしょう」
涙があふれくしゃくしゃになった顔を隠さず、母親に打ち明け始めた。
母親はその姿にショックを受けていた。涙がとめどなく流れる娘の姿など始めてみたのだろう。気立ての良い、自慢の娘だったはずがドアの前で泣き崩れ、瞼を腫らしながら大声で泣いている光景は復讐を思わせるに十分だった。
「大丈夫よ。今は思い切り泣きなさい。今はその悲しみを十分受け入れるのよ。男はマルコムだけじゃないわ。もっと良い男があなたの前に現れるわ。それまで、しっかり気を持つのよ」
アンジュに声を掛けて励ます姿は母親以上の存在になっていた。
その後、マルコムが復讐され、その人生を別の意味で終えるのだが、それは少し後の話である。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「すいませ~ん。渡し場まで行く馬車はここですか?」
停車場の案内板を見て、二頭立ての馬車馬にブラシを掛けている男に声を掛けた。馬車一台しか見えないが、間違えて他に向かったら取り返しがつかない。
「おうよ、この村から出る馬車はこの時間、渡し場にしか向かわないぜ。あんちゃんたち二人か?あと少しで午後の便を出すけど、如何するよ?」
乱暴な言葉遣いでおっちゃんがだエゼルバルド達に向いて答えた。
ぶっきら棒な言い方だったが、馬を大事にしているのだろうか、新品のブラシが光っていた。
「ヒルダ、乗っちゃう?」
「ここにあまりいい思い出もないし……」
「そうだな」
さらっと相談すると、馬車に乗ると伝える。
「おっちゃん、二人だ。よろしく」
「あいよ。ちょっと待っててな」
ブラシを仕舞い出発の準備を始めたが、エゼルバルドは今にもお腹の虫が暴れ出しそうな雰囲気を感じる。
「おっちゃん、ちょっと食べ物を買ってくる」
「わかった。準備して待ってるから、少しなら遅くなっても構わないぞ。それより、おススメはあそこの酒場だ。村だと思って侮るなよ。サンドイッチが絶品なんだ。ついでにオレの分も買って来てくれよ」
「いいよ、買ってくる。ヒルダ行こうか」
「は~い。おじさん、ちょっと待っててね~」
軽く手を振り、紹介された酒場に足を向ける。そのついでに、夜に食べる食材も仕入れに。
そして、酒場に向かう途中、ニコラスからの貰い物が気になったヒルダがエゼルバルドにエゼルバルドにエゼルバルドの脇をつつき始める。
「ねぇねぇ、さっきのニコラスさんから幾らを貰ったの?」
「確認してないね。ちょっと待って……えっと……金貨一枚と大銀貨五枚だね」
鞄から袋を出し、こっそりと覗き込んで枚数を数えた。
「迷惑料って言ってたけど多くないか?」
「そう思うけど、今更返しに行くのも何しに来たって言われちゃいそうだし?」
「仕方ない。ニコラスさんと会えた時にでも考えるとしよう」
「それがいいわね」
迷惑料が予想以上に多く腑に落ちないながらも酒場と雑貨屋を回り、昼食と数食の材料を買い込み、停車場へと急いで戻ってきた。
すでに出発の整った馬車が待っていたが、二人以外に乗客は見えなかった。
”パカパカ”と馬車馬が奏でる蹄のリズムに耳を傾けながら馬車は街道を走って行く。
行きの高級箱馬車に比べる事は出来ないが、幌付きの荷馬車もなかなか快適だった。乗客が二人なのもあるのか、足を延ばしリラックスが出来るのがうれしかったし、小五月蠅い偉ぶった依頼人がいない事も非常に良かった。
出発してから二時間ほどが経った頃、街道の先から馬の立てる土煙が見えた。
念のためと思い、携帯長弓を組み立て始める。
「お~い、その馬車止まってくれ~!!」
それから直ぐに馬の一団と遭遇した。彼らは武装をしていたが、戦う意思は無いらしく緊張感に欠けていた。それなら良いかと幌の中から御者の応対をじっと覗く。
「ん、なんだね。お前さん達は」
定期便の馬車を止めるのだ。御者は良く感じないだろう。
とは言え、辺境の一山村に向かう道は、すれ違いを困難にするほど道幅が狭く、仕方なしに馬車を止めたのだ。
「いや、申し訳ない。乗客はいるかね?」
幌の内側をその男が覗き見てくると、エゼルバルドと目が合った。
「二人ほど運んでるけど、手ぇ出すんじゃねぇぞ!」
馬車に手を出したらオレが許さんと威圧を掛ける。それを受けても暖簾に腕押しとばかりに、ひらりと受け流して、”定期便の馬車に手を出すほど狂っちゃいない”と告げながら御者に何かを手渡した。
「いやいや、オレ達は戦いたいんじゃない。ちょっとばかし聞きたいことがあるだけさ」
「しょうがねぇな。少しだけだぞ」
握った感触で数枚の硬貨を確認した御者は表情を少し緩めた。
「恩に着るぜ。実はな、マルコムってのを探してるんだ。結婚するのを止めさせようと探してるんだ」
「オレは知らんなぁ。乗客のあんちゃん達、何か知ってねぇか?」
エゼルバルドもヒルダも先程まで護衛をしていたのが、対象者であるとわかった。幾ら聞かれても依頼者の情報を漏らす程ではなく、すんなりと答える訳には行かないのだ。
だが、アンジュとの結婚が無くなった今、多少の情報を放しても良いと考えた。
「お兄さん達は何処から来たの?目的は何なの?」
まず相手が何者なのかを知るべきだろうと逆に質問で返した。
これで名乗らないのであれば答える訳には行かない。たとえ戦闘になっても騎馬相手であるが、今の二人の前では練習相手にもならないだろう。それは相手の装備を見れば一目でわかった。
「これは失礼した。王都のギルドで依頼を受けて生計を立てている【ハワード】って言うもんだ。これ、ギルドカードな。あと、身分証」
ハワードの手から二枚のカードを受け取り確認する。不自然な所は無く、発行元も王都のワークギルドで間違いなかった。
「私たちもギルドで仕事を受けたりしてるけど、今は旅人ね」
ハワードに二枚のカードを返すと、二人のギルドカードと身分証を提示する。この時、不用意に相手に持たせるなどはしないのだ。この知識はヴルフが教えてくれたのだ。。
「同業者って訳ですな。それでは手短に。王都にいるあるお方らから、マルコムを探し出し、結婚を阻止しろと依頼があったのだ。なんでも恨みを持っているとかで、この手で殺すまでは死んでも死にきれない、とか言うんだよ。まぁ、依頼は殺すじゃないから、その依頼者が本気かどうかは不明だけどな。それでオレ達が出てきたんだが、渡し場の宿場町までは足取りが分かったんだ。情報を集めたらそこから護衛を雇い、サマビルまで行ったって」
息が続かないのか、一息入れるハワード。説明も一から十まで行うとかなり疲れるだろうが、こればっかりは仕方がない。
「それが二日前だからもう着いてしまって、この馬車に帰りのマルコムが乗っているのかと思ってしまったんだ」
”べらべら”良く喋ると呆れる二人。同業者でも味方とは限らぬのだが、どの様な認識を持っているのかと問い詰めたい衝動に駆られそうになる。だが、そこは我慢するヒルダだ。
「分かったわ。そこまで話すんじゃ、私たちも少しだけ話すわ。よく聞いてね」
御者に目くばせをすると、ハワードに向かって話し始める。彼も何が始まるのかと一瞬戸惑ったが、情報をくれるとわかり、頭を働かせるのだった。
「まず、護衛をしていたのは私達。すでにサマビルに届けたわ」
”え、そりゃないぜ~”と顔に現れているがそれを無視して言葉を続ける。ハワードは先制攻撃を食らった感覚であるが、話が続いているので口を噤んだ。
「次に、結婚はありません。乱心して女の子の前で結婚取り止めを叫びました」
しっかりとこの耳で聞いたと告げると、そんな事実があるのかと面食らっていた。
「サマビルへ向かってもいいですけど、ニコラスって秘書をしている人にこっそりと会えば教えてくれます。これで十分かしら?あぁ、私たちの事は黙っててもらえるんでしょうね」
それが本当ならすでに依頼内容は達成して報酬はばっちり貰える。後はそれが本当かを確かめるだけで良い。こんな仕事の終わり方で良いのかとハワードをあらぬ事を勘ぐってしまう。何かの罠ではないかと。
「ああ、一つ聞く事を忘れてましたわ。依頼人の女の子達は何人かしら?」
ヒルダがハワードに向けた言葉は決定的だった。
依頼人が恨みを持っていたと話しはしたが、依頼人が複数なのかは話していないと思った。ハワードはそう思っていたが、実際は一回だけ複数人と口にしていた。
だが、そうとは思わぬ彼は、それを知るのは依頼人となった女性達だけで、話をしている女性はその事を知っていると間違って受け止めてしまったのだ。
「一本取られたよ。オレ達が話してない事まで何で知ってるんだ?まぁいいか、話してくれて助かったよ。そのニコラスって人を探してみるよ。助かったお礼だ。それと聞いた事を話す程、口は軽くないから安心してくれ」
お礼と共にハワードからヒルダに小さな袋が渡された。
「よ~し、サマビルまでもう少しだ。急いでいくぞ~」
「「「おー!!」」」
無駄に元気なハワードを募る者達が声を上げ、馬車に敬礼をしてから走り抜けて行った。
その中で同じ外套を羽織っているが赤髪の女性が幌馬車を睨んでいたのをエゼルバルドは見逃さなかった。顔は判らなかったが、彼女と運命が繋がっていると感じたのだ。
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