英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第28話「隔絶した怪物」

憤怒。またの名を、怒り。


人間の心をかたどる根元の一つにして、感情を表す言葉の一つ。生物として当たり前に持っているもの・・だ。


だが、その男が体現する『憤怒』は、人間の理解できる常識をあまりにも逸脱していた。


溢れ出る魔力によって威圧を覚えたのは、決して生物だけではない。世界そのものが彼の剥き出しの憤怒に呼応するように、沈黙を遵守していた。


黙らなければ殺される、そして死ぬ。そのイメージだけが、会場につどうあらゆるものが感じ取っていた。


「貴方は一体……」


しかし、そんな世界に牙を立てるように、沈黙を破る存在がいた。シルフィアだ。錫杖を構えて男の動作を常に警戒している。その横には同様に、剣を中段に構えて男の顔を見つめるユリアもいる。


「…………」


シルフィアの問いに対し、男は口を動かさない。沈黙が圧力をさらに増長させる。


二人とも【顕現武装フェルサ・アルマ】を纏った状態にも関わらず、殺気の混じった敵意を男に向けていた。人智を超越した存在であるはずなのに、震えが止まらない。


いや、超越しているからだろうか。人間では決して理解できない領域に踏み込んでいるからこそ、男が立つその領域が異次元であることを知覚できる。


今の二人では、決してこの男の領域には到達できないことが知覚できる。それは単純に恐怖でしかない。


だが男は、二人とは隔絶したかのような領域に立つにも関わらず、淡々と名乗りを上げた。


「ディエト。ただ、それだけだ」


「ディ、エト……」
「その名前、どこかで……」


発音が難しいとか、そういうわけで繰り返したのでは無い。その名を聞いた瞬間、シルフィアとユリアの脳裏に何かが引っかかった。


まるで子供の頃、母親に聞かされたお伽話の内容をぽっかりと忘れてしまったように、この男ーーディエトに関する情報が故意に消されたような感覚。


知りたい、それが何を意味しているのか。だがそんな好奇心に心を震わせている余裕は無かった。


次の瞬間、会場内に殺意が満ちた。


木目の荒い布で全身を擦られたような、心の芯まで削られたような感覚。悪寒などという言葉では解決できないほどの気持ちの悪さ。


目の前のディエトからではない。この男が発すれば間違いなく一般人の二、三人は恐怖のあまりに死ぬことになる。そうであることをユリアは本能で知っていた。


知っているからこそ、ユリアは眼前で毅然と立つディエトではなく周囲に警戒を向けた。ディエトにはシルフィアが立ち向かっている、自分が警戒しなくとも大丈夫だ、


「傲慢であるな」


という甘さが出た。


「ッ!?」


音を殺し、音を消し去り、砂埃の微塵すら立てることなくユリアの正面に詰め寄ったディエト。余りの唐突な展開に、ユリアの思考は開始と同時に急加速を起こした。


その瞬間から、世界はまるでスローモーションのようにゆっくりと動き始めた。


反応に遅れて焦るシルフィア。
未だ展開に付いていけない騎士達。
右手を天に掲げるディエト。
音がほとんど存在しない空間。
高鳴る鼓動が自分の命を語る。


天に掲げられたディエトの右手には、ユリアの全魔力量に匹敵するほどの膨大な魔力が込められていた。だが、それだけだとは思えない。


何よりその手を見つめてからというもの、死のイメージがより濃く密度の高いものへと変わっていく。死が想起されるほどに。


回避は不可能。防御が通用するとも思えない。第三者からの介入があるとも思えない。


……死んだ。


そう認めざるを得ないほどに、ユリアは危機的状況に陥っていた。走馬灯を見る時間すら与えられずに、その瞬間ときはやってきた。


手がーーーー振り下ろされる。


………………………………っ。


…………………………


……………………


………………


…………


……


…?


諦めを決めて、せめて痛みを感じずに死ねることを祈っていたユリア。


だが、数秒が経った今、その瞬間が訪れることはない。ばくばくと鼓動する心音だけがユリアの鼓膜を激しく揺らす。


おそるおそる目を開く。するとそこには。


「ふざ、けんな……よォォォォ!」


一人の青年がディエトに向かって立ち塞がっていた。そして、おかしなことにその青年はディエトの必殺を見事受け止めていた。


青年……いや、その人物をユリアは知っていた。


髪が灰色になろうとも、雷のような魔力を纏っていようとも。この状況で自身の命を顧みずそこに立ってくれる青年など、一人しかいない。


「アルにぃ」


そう、アランだ。自身の魔術の奥義【顕現武装フェルサ・アルマ】を発動し、その雷と同格の速さを活かしてユリアの危機に馳せ参じたのだ。


どうやってこの状況を知ったのか、どうやってその攻撃を防いでいるのか、知りたいことが募るユリア。しかし一方で話しかけるべきでは無いことを、ユリアは理解していた。


アランの【顕現武装】ーー《雷神の戦鎧トーラ・シャクラ》は、速さを追求した速度重視の形態だ。完全なる力重視のディエトと互角な迫り合いを続けている余裕はない。


「ちッ」


徐々に力で圧倒され始めたアランは、舌打ちをすると肉体を雷へと変換。後退してユリアの側まで移動すると、今度はユリアを抱えてさらに距離を取った。


「ユリア。怪我は?」


「大丈夫。それより、アルにぃ?」


俺もない、と言うアランの顔はどこか険しかった。だがアランの言う通りその見た目に外傷などは無いし、そもそも【顕現武装】には「超速再生」という能力が備わっている。怪我が残るはずがない。


故に、その顔が表す真実を、その時のユリアは理解できなかった。


だがアランにとってそれはどうでもいい。ユリアの動揺も、側に近付いて来ているシルフィアの心配そうな表情も、アランにとって些事となっていた。


視界に立つ男。それが異常に異端で異質だから。黒色をさらに黒くしたような、決して闇ではなく黒い何かを感じさせる。汚濁に近いかもしれない。


見たくない。見させたくない。繋ぎたくない。繋がせたくない。嗅ぎたくない。嗅がせたくない。近寄りたくない。近寄らせたくない。触れたくない。触れさせたくない。聞きたくない。聞かせたくない。話し合いたくない。話しかけたくない。紡ぎたくない。紡がせたくない。動きたくない。動かしたくない。混じり合いたくない。合わせたくない。感じたくない。感じさせたくない。知りたくない。知らせたくない。覚えたくない。覚えさせたくない。


精神的嫌悪感が増長する。


だが、だがそれでもだ。アラン=フロラストという人間は、この場から去ることを許されていない。家族として、そして帝国騎士として。しかし、


……やば過ぎるぞ。


アランの思考は、対面と同時に敗北感のみを増大させていた。敗北だけがアランの適切な解答であった。


まず、この男は人類という枠組みを超えた存在である。それは【顕現武装】を発動していたシルフィアの知覚領域を凌駕している時点で確定事項である。


そして次に、魔力量もまた人間で蓄えられる限界を嘲笑うかのような領域に達している。ユリアの全魔力をドブに捨ててようやく使えるような戦法を、この男は容易く使う。


そして最後に、この男からは人間臭さ・・・・を感じないことだ。呼吸のずれ、周囲への目配り、筋肉の伸縮、重心の修正、瞬きのタイミング、気配の揺らめき。そういったものがまるで人間ではなく機械のようだ。


無機質で不気味。人間の見た目をした怪物は今までも幾度と対峙したことがある。だがこれは、間違いなくそれらの怪物たちとは別個の存在だ。


別個の存在。つまり詳細不明であり、情報が無いということ。


戦闘において重要なのは、実力ではない。いや確かに、実力も戦闘における必要な要素の一つではある。だが相手の実力を見定めるための情報は、それ以上に重要な要素だ。


情報戦によって実力を塗り替える場合だって、アランは過去に散々と見てきた。見たならば、確証付ける根拠などそれ以上に必要あるまい。


そして、その事実が確固たるものになった瞬間、アランの勝率は格段と下がる。何故ならアラン=フロラストという人間にとって最たるものは武力ではなく、隅にまで至る膨大な知識量なのだから。


多くの知識を取り込み、それらを組み合わせ、新たな知識を生み出したアランでも、無の状態から敵を知ることは不可能だ。


「ハッ」


全くもって笑えない。実力的に劣っている上に、情報的にも何も掴めないなんて、勝率は格段と下がるどころか皆無だ。五大竜に全裸で挑むよりも無謀だ。


絶賛アランさん、目が死んでおります。クソ親父リカルドに公共の面前で笑えない駄洒落をされた時以上に、死んで冷めた目で前を見つめております。


それでも言えることはたった一つ。


だから、どうした。


こんな展開は戦争で幾度も対面した。命からがら逃げてきた時もあれば、土壇場で覆した逆転劇を繰り広げたこともある。死地なら嫌ってくらい味わっている。


「ユリア、そこから動くなよ」


よって、アランはすぐに攻撃をへと転じた。魔石に貯蔵してあった魔力を全て使い、膨大な雷の性質を得た魔力を生成。魔力を分離し、大まかな人の形を造形する。その数、およそ五十体。


これはアランと同じく第一騎士団所属、殺戮番号シリアルナンバーNo.6、ビット=グレルスキンの固有魔術【我が軍隊は道を成すロード・オブ・カリバー】を模造したものである。


本来ならば大型の魔術方陣、模造兵ゴーレムを作るための材料、効率よく魔力を消費するための魔道具が必要な訳だが、それらをアランは見事に端折って実現してみせた。


あとで特許権が云々と、ビットから愚痴と文句を言われそうな気がしてならないが、今はそんなことは横に流しておく。


「さあ、行け」


雷の模造兵はアランの命令に従い、ディエトめがけての突撃を開始した。材料が岩や木材などではなく純粋な魔力、しかも雷属性が付与された模造兵だ。言わずもがなその動きは速い。


上下左右前後と、不規則な動きで翻弄する五十体の模造兵。さすがのディエトでも、その全てを把握するには多少の時間を要する。その隙を使ってーーーー




「遅い」




使おうと、思っていたのに。


一瞬だ。瞬きの時間すら必要としない刹那に、アランが生み出した模造兵の悉くを、容赦なく破壊した。


模造兵の全滅に繋がるディエトの動作は何一つして無く、またしてもアランは情報の不足さを恨み、そして悔やまなければならなかった。


しかし悔やんでいる時間は無かった。


使い捨ての駒として作り出した模造兵が全滅したということは、アランを守る存在は無いということ。この場にいる味方の中で最も強いであろうアランが虚を衝かれる行為は、味方の全滅に直結する。


ならば即座に武器を構え、立ち向かわなければ。理性がそう判断するのに、時間はそう掛からなかった。


だが、それでも遅いことを痛感した。


「鈍い」


「な……」


ディエトは既に眼前にいた。その巨体に相応しい大きな手には、竜種でも討ち取らんと言うばかりの魔力が込められており、見ただけで『死』を直感した。


振り下ろされる手。それに比例すべく、死ぬ気でアランは魔力を絞った。ガクンと力が抜けるが構っている余裕は無い。負ければ死ぬのだから。


「ゼェァァァァァァ!」


炎の如き魔力を帯びた右手と、雷の如き魔力を帯びた真剣が、一拍を置いて接触した。接触音は金属特有の甲高い音では無く、まるで鈍器を床に落としたような鈍い音。


しかし次の瞬間、二人を中心として乱気流が発生した。地形が変わるほどの強い衝撃に、大気までもが強い影響を受けたのだ。


吹き飛ばされまいと剣と錫杖を地に突き立てるユリアとシルフィア。二人がつい先ほどまで繰り広げていた戦闘と比べることすら烏滸がましい迫力の違いに、ただ静かに見つめていた。


それが正解だ。ディエトという未知を相手に、アランは誰かを助けている余裕は無い。ディエトの攻撃射程に入った瞬間、命など簡単に消し飛ぶことを理解したほうがいい。


そしてアラン当人はというと、剣で攻撃を防ぎつつも情報収集に専念していた。崖っぷちではあるが、勝率を上げるにはこの手段しかアランは持ち得ていない。


……属性は、火か!


じわりじわりと追い詰められる迫り合いの中で、アランはディエトの魔力を解析。右手自身に魔術方陣は無く、それでも魔力に属性を有しているということは、


「あんた、希少種か……!」


自身が属する第一騎士団の団長、リカルド=グローバルトと同様に、この男は魔力そのものに属性を有しているのだ。希少種というよりは特異体質といった方が正しいだろう。


火属性、つまり攻撃特化。一撃における破壊力は他の追随を許さないほど凄まじく、事実として火属性を得意とする皇帝ヴィルガは、帝国の中でも破壊力に突出した戦士であった過去を持つ。


だがヴィルガと異なり、この男は魔術戦よりも肉弾戦を武器としている。そのガタイの良い肉体に釣り合う膂力を大いに活かし、近距離から敵を殲滅する戦法だ。


続々と情報を解析するアラン。しかし一方でディエトは無言のまま、アランの鉛色の双眸を黙して見つめていた。


迫り合いが続く。


この後の展開で、周囲を取り囲む帝国騎士の行動は大きく変化する。加勢か、散開か。


戦闘経験の多い帝国騎士は、この時気付いていた。敵はここだけでは無く、帝都の至ると・・・・・・ころに現れ・・・・・ている・・・ことを。


彼らの存在意義は、帝都および国民を守護することにある。現状は第三騎士団の警備隊でおそらく凌いでいるが、それもいつまで続くか分からない。


固唾を飲み込み、冷や汗が頬を伝う。殺気の充満した空間に立つことは、熟練した戦士ほど危険だということを理解している。本当ならば今すぐに逃げ出して、どこかへ隠れたい気持ちがあるに違いない。


躊躇ためらいや焦燥といった感情がごちゃまぜになったような顔で、アランたちの激闘を眺める帝国騎士たち。知っているのだ、あの場に加勢したところで数秒と耐えられる筈がないと。


「ぐ、ぁ……っ」


しかし徐々に力で押されるアランは、ついに片膝をついてディエトからの攻撃を防ぐ状態へと変わってしまった。


その時が来た。そう感じた帝国騎士たち。だが、心構えはしていた筈なのに、足がどうしても動かなかった。


それも当然だ。自ら死地に身を投じる馬鹿はいない。その先に待っているのが九分九厘の確率で死であるのだから、躊躇うのが正常な判断だ。


そして正常な判断を下せる人間に、アランは加勢を求めない。まともな人間ほど、この場において足手まといになり兼ねないからだ。


だからアランは、その時を待った。


アランに固執するように、アランにだけ注意が向くように。周囲への警戒が薄れるその瞬間を見計らって、アランは呟いた。


「やれ、クソ親父」


その呟きは彼との縁が少ない人物には、どういう意味なのか判別できなかっただろう。しかし縁が濃いどころか、もはや腐れ縁にも近いその男には聞こえずとも分かっていた。


アランが呼んでいる。


そう悟った瞬間、男は駆け出した。久方ぶりに手に持つ得物に溢れんばかりの殺気を込め、しかしその表情はどこか楽しげに。


かの英雄ーーリカルド=グローバルトは、躊躇いなど抱く素振りも無く、戦場へと身を投じた。


「らァァァァァ!!」


品性のかけらもない掛け声と共に、その一撃は振り下ろされた。その剣身に宿るのは、極限まで凝縮された雷の魔力。触れれば切断、擦れば感電の代物だ。


仕留めたと感じたアランとリカルド。だが、刃がディエトの周囲五センチほどまで近づいた時だった。


「な……っ」


まるで見えない盾に阻まれるように、リカルドの剣撃は動きを止めた。予想外の展開に思わずリカルドも驚愕の声を漏らす。


「足りんな」


その一言で、巡らせた知略も、凝らした技能も、鍛えた膂力も、それらを含んだ全てを纏め終える。とても残酷だ。


しかしそこで終わらない、終わらせないのがリカルドの技量。剣身から雷を迸らせ、ディエトの周囲に電気の檻を形成。身動きの止まったのを見計らって、アランとリカルドは後退した。


「助かった親父」


「あれを助けたって言うのかねぇ……」


感謝を述べるアランに対し、リカルドは苦笑いを浮かべる。相手に対して不意であり、防御もままならぬ状態で、しかも殺意を持った本気の一撃だった。それを余裕で防がれたというのは、精神的に辛い。


「つーか、なによあれ。死角からの確実に急所を狙った一撃ですよ?   一応本気で殺す気で攻めてみたんですけど、不可視の防御とか。どこの超越者だっつーの」


……というわけでも無さそうだ。呆れたようにため息を漏らすリカルドを見て、むしろアランが精神的に辛い。


一方でディエトは動かない。依然と毅然と悠然に、その場から一歩として動く気配はない。


だがそれは好都合だ。アランは即座にベルトポーチから魔石を取り出し、魔力の回復に専念する。それを横目にリカルドも魔力を練り直す。


「親父。あいつがどう見える?」


「どうって……キモい?」


「具体的に」


「何つーか、得体の知れない無機質さ、みたいな感じが気持ち悪い」


「……なるほどね」


どうやらリカルドもまたアランと同様に、ディエトに対する精神的嫌悪を抱いているようだ。それが何を意味するかは分からないが。


ともかく、今の攻撃の流れでアランとリカルドが同時に攻めたところで、ディエトと互角以下でしかないことが理解できた。ならば次は、その上を超えるしかない。


「二分かかる。前は任せた」


「あいよ。流れ弾は無責任だからな」


この攻撃が通じるかは分からない。だが、今のアランの全力をもってディエトに立ち向かう。そのためにアランは魔力を編み始めた。


そしてその間無防備になるアランをリカルドが防護する。二分という短いようで膨大な時間を、たった一人の人間を守護するために要するのだ。


ふぅ、と息を吐くリカルド。四十路の中年だが、その身から溢れる覇気は戦場の最前線に立つどの英傑よりも際立っている。


ゆったりとした動作で剣を構える。隠す気の無い殺気を刃に込め、先程までの柔和な表情は霧散する。そこにいたのは獲物を仕留めんとする一匹の獣。


「「…………」」


再び訪れる会場内の沈黙という圧力に、アランの後方で身構えていたユリアとシルフィアは静かに息を飲んだ。


機械のように無機質な表情を向けるディエトと、守るために殺さんと殺意を剝き出すリカルド。対極的なはずなのに、どこか似た雰囲気を感じる。


だがそこに、和解などという甘言は無い。数秒のあいだ睨み合った後に、


「殺す」


「傲慢であるな」








化け物同士の殺し合いが始まった。

「英雄殺しの魔術騎士」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

  • 330284【むつき・りんな】

    続きが楽しみです 頑張ってください

    0
コメントを書く