英雄殺しの魔術騎士
第27話「血潮の憤怒」
なにかしらあると、ユリアは予想していた。自分の姉であるシルフィアは、【グラビトン】に捕まった程度で諦めるような愚者ではないことを、ユリアはよく知っている。
この一撃を防ぐにしろ回避するにしろ、ユリアはその先の展開すら予想して行動を起こしている。勝算を感じ取ったユリアは微笑みすら浮かべていた。
「…………ぇ?」
だが、現実は異なった。
振り下ろしたユリアの一撃に対し、シルフィアは防御も回避もせず、結果として破砕に似た一撃をもろに受けて地面に倒れ伏していた。
その衝撃の凄まじさを物語るように、シルフィアの周囲の地面は小さくもクレーターを形成し、ひび割れた隙間の中に水が吸い込まれていく。
【顕現武装】が解けたことで通常の姿に戻ったシルフィアは、起き上がる気配もなく、魔力波動の一つすらもなく、まるで死んでしまったかのように微動だすらしなかった。
……勝った、の?
まるで幻を見ているかのような気分で、ユリアの精神は安定しない。眼前に倒れるシルフィアが、まるで偽物であるかのような。
いや、偽物であるはずがない。剣を介して感じた触感は、間違いなく本物だった。もしもその感触まで再現できるほどの偽物を生成できるならば、それは正しく人間ではない。
……『人間ではない』?
自問自答を繰り返すユリア。そして結論にいたる直前、ユリアはそこに引っかかった。膨れ上がる疑惑と同等以上に、加速する思考がその疑問を捉えて離さない。
【顕現武装】。それは人間における理屈を凌駕し、不可能すら可能にしてしまう究極の魔術。そんなことを知らないシルフィアではないはずだ。
なら、眼前に倒れ伏せる『これ』は何だ?
シルフィアは常にユリアの数手先を読んで動いている。こうなる展開だって、間違いなく想定していたはずだ。
ユリアはもう一度、倒れるシルフィアを見つめる。腰まで届きそうな茶の長髪に、帝国騎士特有の藍色のコートを身に纏い、それらは彼女自身が呼び出した地下水によって濡れて………………濡れて?
……おかしい。
いや、身体が濡れることは何もおかしくない。もしも、濡れていればの話だが。
濡れていない。服も、身体も、髪の毛も。あたかも本物のように創造されているが、間違いない。これはーー
「偽物」
「正解」
真実を語るユリアに対し、その背後へ、虚をつくように音すら立てず、シルフィアは姿を現した。
振り下ろされる錫杖に対して慌てて剣でガードしようと試みるが、失敗。地面に数度と叩きつけられてユリアは吹っ飛んだ。
「ぐ……っ」
【顕現武装】による超速再生によってダメージを回復しつつ、態勢を整えるユリア。
なぜ?   とか、どうして?   と考えるが、それよりも先にシルフィアによって再召喚された模造水竜の追撃が繰り出される。
だが、恐るべき観察眼により、その動きに目が慣れてしまっていたユリアは、的確に首を切り落として頭数を減らしていく。十体目を切り倒した頃には態勢も回復し、そのまま跳躍で後方へと回避した。
やはり才能というものは驚嘆を受ける以上に、どこか恐ろしさを感じてしまう。
……そろそろ時間。
とはいえユリアも人間。試合時間の経過具合で残りの魔力量を確かめたユリアは、ベルトポーチからアランに借りている魔石を手に取り、魔力回復に励む。
いかに平均よりも数倍は多い魔力を持つユリアと言えど、コントロール不可能な状態で【顕現武装】を数分使えば、魔力は大幅に消費される。そんな彼女にとって魔石による魔力の回復は、最大戦力を維持する掛け替えのない手段であった。
だからこそ、シルフィアはそれを逃さない。
「囲め」
一言。それだけなのに、世界は彼女の言葉に従うように行動を開始する。
会場の大地を浸す地下水が、突如空へと舞い上がったかと思った刹那、瞬時に水は形を構築。緻密に作り上げられた水の檻が、魔力を回復するユリアを包囲した。
試しに水の檻に触れてみようと剣を動かしたユリア。だが、剣が格子の形をした水に触れようとした時、ぴたりとユリアは動きを止めた。
……この水、重い。そして硬い。
水の近辺に散漫した魔力の波動を、ユリアは剣を通じて感じ取る。透明なその水の表面には、クリームのような重厚感のある魔力が内包しており、おそらく剣で触れればたちまち剣身が折れていただろう。
ならばと、ユリアは再び息を吸い込み吐息の体勢をとる。だがシルフィアはそれすらも見越していた。
「包め」
水の檻は天幕へと変貌し、瞬時にユリアを包み込んだ。全方位、隙間の一つすらない完璧な水の天幕は、檻同様に魔力によってコーティングされている。
もしもこのまま吐息を放った場合、吐息に内包された膨大な破壊力は天幕の内部で暴走して、ユリアに甚大なダメージを与えるだろう。それが分かるユリアは、おとなしく吐息を中断して策を練る。
こうして移動が限定された空間に捕らえられてしまった以上、次に広範囲な攻撃が繰り出されてしまった場合、ユリアは回避する手段はない。
……それに、さっきのあれ。
眼前に倒れ伏すシルフィアと、背後から強力な一撃を与えてきたシルフィア。あの瞬間、シルフィアは確かに二人いた。そして本物は間違いなく後者。
これはユリアの予測でしかないが、シルフィアは自身を象った人形を作り出すことができるのだろう。しかもその精度は異常に高い。
アラン曰く、水の【顕現武装】は魔術に秀でており、特に何かを模倣するのは全属性で最高の精密さを誇るのだとか。
つまり、そういうことだろう。どのタイミングでそれが起きたのかは定かではないが、ユリアの一撃をくらったのは本人ではなく偽物。それに気付かせないシルフィアの手腕は、見事としか言い表せない。
とはいえ、それをただ素直に褒めているだけでは、勝つ見込みが格段と下がってしまう。それに対抗するための策を練らなければならない。
勝つための策と負けないための策。この両方が同時に成功することができる、最高の策を編み出さなければならないのだ。
しかし今のユリアは柔軟な策を練るだけの知識が足りない。いかに学習に対する意欲があり、人よりも多くの知識を得ていたとしても、それを彼女なりに形にすることに慣れていない。
だがそれでも練らねばならない。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて思案を巡らせるユリア。だが、そんな彼女に時間は与えられない。
「…………?」
水の檻の中を何かが泳いでいる。小さく、しかし力強い魔力波動を感じ取れる生物だ。
いや、これはーーーー
「まずーーーー」
不思議と湧き上がった悪寒。それは、反射的にユリアを回避行動へと誘った。
言葉よりも先に体を動かしたユリアの賢明な判断は、間違いではなかった。パンッという空気を裂くような音と共に、水の檻を泳ぐ未知の生物はユリア目掛けて迫ってきた。
未知の生物からの攻撃をかろうじて回避したユリアだったが、その頬には、なにやら温かいものが湿っていた。言うまでもなく血だ。
その速さはもはや音速と同等。ほんの僅かでも回避を選択するのが遅れていれば、いかに防御力を誇る地属性の【顕現武装】といえど大ダメージは免れない。
そして、その攻撃が一度であるはずがない。
「っ!?」
立て続けに放たれる水の弾丸。パパパパパパンッ!   と絶え間なく鳴り響く炸裂音に顔を歪めながら、ひたすらに回避を行う。
人智を超えた速度で繰り返される超高度な攻撃と回避の連続。だが、水の天幕によって視界を遮られた観衆は、その内部で何が起きているのか知る由も無い。
不規則な速さ・角度・水の硬度・魔力濃度で乱発される水の弾丸。余りの速さに水どころか空気までもが刃と化し、回避したユリアの表皮には僅かに薄い傷跡が増えていく。
超速再生で傷は癒えるとはいえ、再生の際に使用される魔力量は容赦がない。特にコントロールの出来ていないユリアにとって、僅かな傷でさえ致命傷に匹敵した。
「ぐぁ……っ」
そして、ついに直撃を受けたユリア。高い防御力を誇る地属性の【顕現武装】だが、ダメージを受けないのと痛みが無いのでは、別個の話だ。
しかし、一度の直撃によって回避が遅れたユリアはその次、またその次と続けて直撃を受ける。外見的には無傷だが、その痛みはユリアの精神を容赦なく攻め立てていた。
……なんとかしないと!
「はァァァ!」
焦ったユリアは魔力を放出し、全身を分厚い魔力でコーティング。これによって一層高い防御力を得たユリアだが、この状態があと何秒続くか分かったものでは無い。
その場凌ぎの応急処置。そうとしか捉えられない行動に心底苛立ちを覚えながら、必死に思考を巡らせる。
シルフィアが生み出したこの水の天幕は、薄膜のような見た目とは裏腹に、鋼鉄以上の硬度を備えている。それは目で見ればわかる事実だ。
だがそれは、水という物質にシルフィアが魔力を加えることで為している芸当だ。つまり、この水の天幕を破壊するためには水ではなく、シルフィアの魔力を見切らなければならない。
しかしそれは不可能だ。
魔力は目で捉えることはできず、他の五感で感じ取ることができる人間だってごく稀だ。そして、そのような希少な能力をユリアは有していない。
膨大な魔力によって生まれる威圧感は、生物の本能を利用して察知できるが、天幕の魔力は弱すぎて感じ取ることが難しい。
……どうすればっ。
荒れ始める呼吸に比例して、思考が焦りを帯び始める。勝ちたい。負けたくない。どうにかしないといけない。こんな負け方は嫌だ。濁流のように考えが脳に流れ込む。
だが、そんな時だった。
ガクンと、脳が揺さぶられたような錯覚を感じると、意識が深く潜り込む。
意識が、引き摺り込まれる。
……
…………
………………
……………………
…………………………
意識の奥底。沈み込んだそこは、荒れ果てた草原が広がる野生の世界だった。そして、眼前には不気味に佇む大きな扉が一つ。
ユリアは何一つ驚く気配もなく、扉に手を当て静かに押し開いた。
向こう側には一人の少女がいた。ユリアにどこか似ていて、しかし竜種特有の尾や翼といった、彼女に無いものを持っている。そう、それはユリアの『心の紙片』である。
荒野に降り立ったユリアは、心の紙片からの唐突の呼び出しに驚愕する様子なく尋ねた。
「……いきなり何?」
深層意識の世界では、時の流れが遅いことをユリアはよく知っている。ここでの対話がシルフィアの戦いに影響することはない。だが、思考を遮られたユリアは彼女に対して苛立ちを覚えていた。
それでも、少女の形をした心の紙片は、ユリアの気持ちなどいささかも知らぬとでも言う風に、眉ひとつ動かすことなく問うた。
『どうして考えるのだ?』
「……なにをーー」
馬鹿なことを、とユリアは思った。だが少女は首を振り、真面目な表情でユリアに諭しかける。
『私たちの本質は竜。如何に知能を有し、人の言の葉を口遊むとしても、その根底は変わらない』
少女は言う。
『もう一度言う。私たちは竜だ』
その言葉はとても重たい。
『頭で考えては、私たちは人に成り下がるだけだ』
それでも、彼女の言葉に偽りは無い。
『考えるな。その本能で感じ取れ』
それが彼女のーーユリア=グローバルトという少女の、小さくも強い心の本質なのだから。そして、少女はそれだけ述べると霧のように姿を消した。
広大な世界に取り残されたユリア。だが、不思議と独りではない感じがしていた。
「…………本能」
理性とは裏腹な言葉。思考とは乖離した、もはや異なる次元の言葉。最初は納得できなかったユリアも、その言葉を噛み締めることで身に浸透させていく。
それが何なのかはまだ分からない。だが、それが可能なことをユリアは知っていた。
……いや、ユリアが、というよりはユリアの中にある何かが、と表すべきか。だが、それが何なのか定かではないし、今の状況で考えている暇はない。
ただ単に、それを信じるだけ。それもまた、本能なのだろう。おぼつかないながらも、新たな感覚を手にしたユリア。
「……よし」
意を決し、踵を返すとそこには扉があった。五メートルはあろう大きな扉だ。大きな見た目とは裏腹に、扉に手をかけるといとも容易く扉は開いた。
扉をくぐり、その向こう側へ。
…………………………
……………………
………………
…………
……
そして再び危機的状況へと舞い戻ってきた。
水の天幕によって覆い尽くされた制限付きの空間。繰り広げられる弾丸の猛襲。絶望的という言葉が似合いそうなほどに崖っぷちな状況。逆転劇など誰もが予想していない。
だからこそ、覆してみせる。
覚悟を決め、魔力による防御を捨てる。
無駄な思考は全て切り捨て、本能の赴くままに体を動かす。視認して思考して動きに反映するのではなく、感じ取って動く。そのコンマ数秒の時間を省略することで、ユリアの動きは劇的に変化した。
水の流れに逆らうのではなく、その流れを活かして攻撃を上手くいなす。さっきまでよりも視界が広く感じるのは、僅かな動作で水の弾丸を避けているからだろう。
心の余裕ができたことで、ユリアの目は多くを読み取る。水が絶えず流れ続けていること、水の天幕の厚さは攻撃の密度によって変化していること、天幕が薄くなるほど天幕の向こう側が鮮明に見えること。
……この天幕、絶対じゃない。
新たな技能を得たことで、ユリア実力は試合開始以前とは比べものにならないほど進化していた。それこそ、彼女の父であるリカルドですら愕然としてしまうほど。
だが、この時のユリアは気付いていなかった。一瞬ですら集中を途切らせてしまえば敗北につながると確信していたユリアは、自分の成長など見つめている暇はなかった。
勝つために必死に足掻き、ほんの些細な隙をじっと待ち続け、自分の最大限を駆使して全身全霊の一振りを与える。その姿はまるで獲物を仕留めんとする獣のようだ。
何はともあれ、ユリアの成長は凄まじい。なにせ体と思考が別の個体として動いているのだ。それはアランですら七年、戦闘の異才と呼ばれるリカルドですら三年は要するほど精密な技術。ユリアが偶然とはいえ使いこなせているのは、まさしく奇跡と言えるだろう。
その奇跡を、今はただ信じるのみ。
弾丸を回避しながら右手に魔力を込める。ただ込めるのではなく、イメージして型を形成し、圧縮して強化する。その過程をわずか二秒で完成させる。
そして完成したものは大きな手だ。指の先端にあるものは、鉄板すら容易に削り取る竜の鉤爪を彷彿とさせた。
イメージ生成が完了すると、今度は水の天幕を観察する。天幕の攻撃は変則的だが、決して穿てない穴はないとユリアは確信していた。回避を繰り返しながらひたすら観察。その瞬間が来るまで、黙々と回避を続ける。
回避といっても全てではなく、必要最低限の動作で、致命傷のみを避けた行動だ。思考を割く余裕は無く、だがそれだけに一撃は必中すると確信している。
そして。
「しッ!」
攻撃が過密になった瞬間、すなわち水の天幕が薄くなった瞬間に、ユリアはその手を振り下ろした。その行いが正解かどうかは、ユリアに眠る本能のみが知っていた。
回避を捨て渾身を込めた斬撃は、空気を切り裂き、シルフィアの魔力によって強化されていた水の天幕を、容赦なく切り裂いた。
斬撃によって誕生した風圧は、そのまま勢いで会場を防護する結界にぶち当たり、パァンと盛大な音を立てて爆散する。
「な……!?」
優位的立場に立っていたシルフィアは、やはり驚かずにはいられなかった。なにせ水属性の性質を活かし、その上に結界魔術の理論を組み立てて形成した高度な多重結界魔術を、ただの物理攻撃で攻略されてしまったのだから。
自分で創作した魔術なのだから、その弱点も勿論のことながら分かっている。分かっているうえで、ユリアには対処できないと確信していたからこそ、この現状は衝撃的だ。
予想外の事実に衝撃するシルフィアの頬を遅れて暴風が叩く。それでも目を閉じなかったのは、唯一の救いといっても良かった。
その僅かな硬直を、ユリアは逃さない。
大地を砕かんという思いで地面を踏みしめて、一気に加速。音すら残して瞬時にユリアはシルフィアの懐に潜り込んだ。
脳が思考力を他に割り振っていたからこそ、その隙間は生まれたといっても過言では無い。防御に遅れたシルフィアは、ユリアが渾身を込めた拳撃を土手っ腹に受け吹っ飛んだ。
「がは…………っ」
口内に鉄の味が溢れ出す。それがなんとも現実的で生々しく、脳を伝わって溢れ出す痛みに歯をくいしばる。【顕現武装】による超速再生よりも過度のダメージだ。
揺らぐ集中力を安定させながら、シルフィアは壁に直撃する寸前に姿勢を制御。追撃を警戒したが、どうやらユリアにその意思は無いようだ。
挑発。そう捉えるべきか。
「あんなろ……」
吐き捨てるように、怒りを口から漏らすシルフィア。あまりにも子供じみたことであったが、今はそれでも口にせねばいられない。
気がつけば、【顕現武装】の魔力操作がこの数分の間で格段に上達している。彼女の何がその上達に繋がっているのか、色々と研究してみたいものだ。
だが、今はどうでも良い。
残り時間は……およそ二分といったところか。それほど長いわけでも無いが、時間が経つにつれてユリアの実力は今後も増していくだろう。
今は何とか拮抗した状態を維持しているが、このままでは最終局面にユリアが優勢になってしまう。それだけは避けねばなるまい。
「……よし」
残りの魔力量から戦術を考案。錫杖を武器に次の一手を踏み出すための魔術をイメージする。無駄な思考は魔術の精度を妨害するので取り払い、純粋に敵意だけを心に秘める。
イメージするは水弾。速度を上げるために表面に螺旋を描き、多方向からの奇襲を狙う。それでも今のユリアには回避されてしまうかもしれないが、僅かな隙は生まれるはず。
そこが狙い目だと、シルフィアは見た。
圧力で大地が唸るほどの魔力を高め、警戒するユリアに向けて魔術を放とうとした、その時だった。
爆炎の柱が、突如として現れた。
「なに、が……」
方角は北、いや北北東か。工業区域で何かトラブルでもあったのか。そう疑問に抱いたシルフィアだが、いや、と即座に否定した。
あの爆炎の高さはゆうに三十メートルを超える。ただの事故でそのような異常な爆発が起きるわけがない。となると、考えられるのは……
「魔術。しかも高度な」
だけど、いったい誰が?   そんな事を考え込もうとしたシルフィアだったが、そんな彼女に再び予想外が訪れた。
会場を囲む結界が、切り裂かれた。
そう、「破壊」ではなく「切り裂いた」。陶器を叩き割るのではなく、音すら立てずに鮮やかに切ったと言えば分かるだろうか。
だが、忘れてはならない。この結界を編んだ人物は、オルフェリア帝国でも名だたる天才結界術師、リリアナ=マグレッティである。
彼女が渾身の力を込めて完成させた絶対防御を誇る結界を、いとも容易く切り裂いた人物とはーーーー
「傲慢であるな」
その人物は、すぐそこにいた。
その男の背丈は二メートルにも迫ろうかというほど高く、ローブの中から見える鍛え抜かれた肢体はまるで鋼のごとき頑強さを彷彿とさせる。
ただそれ以上に、男から溢れ出る魔力の残滓は常軌を逸脱していた。まるでそれは、大気そのものように会場を満たす。
「シルねぇ……」
「ユリア」
二人は互いを制するように声をかける。だが、その声は震えていた。格が違うなどという生易しいものではなく、次元が違う。睨まれただけで竦み上がってしまう。
圧力が。
図体が。
魔力が。
眼力が。
気配が。
存在が。
男を構成する全ての要素が、人間という名の定義を破壊するかのように存在していた。しかし、男は変わらず人のように口ずさむ。
「この程度の結界が大陸最高峰とは、傲慢であるとしか言えんな」
嘲笑うように、だがしかし男の表情は、最初から変わることなく無のままだ。まるで感情というものを抱かないかのように、眉の一つすら動かさない。
だが、同じ大地に立つ二人は感じ取った。男から溢れ出す魔力の残滓から、ほんの僅かな、だが確かな揺らめきを。
「四百年の修錬の後、出直して来るが良い」
それは、憤怒であった。
この一撃を防ぐにしろ回避するにしろ、ユリアはその先の展開すら予想して行動を起こしている。勝算を感じ取ったユリアは微笑みすら浮かべていた。
「…………ぇ?」
だが、現実は異なった。
振り下ろしたユリアの一撃に対し、シルフィアは防御も回避もせず、結果として破砕に似た一撃をもろに受けて地面に倒れ伏していた。
その衝撃の凄まじさを物語るように、シルフィアの周囲の地面は小さくもクレーターを形成し、ひび割れた隙間の中に水が吸い込まれていく。
【顕現武装】が解けたことで通常の姿に戻ったシルフィアは、起き上がる気配もなく、魔力波動の一つすらもなく、まるで死んでしまったかのように微動だすらしなかった。
……勝った、の?
まるで幻を見ているかのような気分で、ユリアの精神は安定しない。眼前に倒れるシルフィアが、まるで偽物であるかのような。
いや、偽物であるはずがない。剣を介して感じた触感は、間違いなく本物だった。もしもその感触まで再現できるほどの偽物を生成できるならば、それは正しく人間ではない。
……『人間ではない』?
自問自答を繰り返すユリア。そして結論にいたる直前、ユリアはそこに引っかかった。膨れ上がる疑惑と同等以上に、加速する思考がその疑問を捉えて離さない。
【顕現武装】。それは人間における理屈を凌駕し、不可能すら可能にしてしまう究極の魔術。そんなことを知らないシルフィアではないはずだ。
なら、眼前に倒れ伏せる『これ』は何だ?
シルフィアは常にユリアの数手先を読んで動いている。こうなる展開だって、間違いなく想定していたはずだ。
ユリアはもう一度、倒れるシルフィアを見つめる。腰まで届きそうな茶の長髪に、帝国騎士特有の藍色のコートを身に纏い、それらは彼女自身が呼び出した地下水によって濡れて………………濡れて?
……おかしい。
いや、身体が濡れることは何もおかしくない。もしも、濡れていればの話だが。
濡れていない。服も、身体も、髪の毛も。あたかも本物のように創造されているが、間違いない。これはーー
「偽物」
「正解」
真実を語るユリアに対し、その背後へ、虚をつくように音すら立てず、シルフィアは姿を現した。
振り下ろされる錫杖に対して慌てて剣でガードしようと試みるが、失敗。地面に数度と叩きつけられてユリアは吹っ飛んだ。
「ぐ……っ」
【顕現武装】による超速再生によってダメージを回復しつつ、態勢を整えるユリア。
なぜ?   とか、どうして?   と考えるが、それよりも先にシルフィアによって再召喚された模造水竜の追撃が繰り出される。
だが、恐るべき観察眼により、その動きに目が慣れてしまっていたユリアは、的確に首を切り落として頭数を減らしていく。十体目を切り倒した頃には態勢も回復し、そのまま跳躍で後方へと回避した。
やはり才能というものは驚嘆を受ける以上に、どこか恐ろしさを感じてしまう。
……そろそろ時間。
とはいえユリアも人間。試合時間の経過具合で残りの魔力量を確かめたユリアは、ベルトポーチからアランに借りている魔石を手に取り、魔力回復に励む。
いかに平均よりも数倍は多い魔力を持つユリアと言えど、コントロール不可能な状態で【顕現武装】を数分使えば、魔力は大幅に消費される。そんな彼女にとって魔石による魔力の回復は、最大戦力を維持する掛け替えのない手段であった。
だからこそ、シルフィアはそれを逃さない。
「囲め」
一言。それだけなのに、世界は彼女の言葉に従うように行動を開始する。
会場の大地を浸す地下水が、突如空へと舞い上がったかと思った刹那、瞬時に水は形を構築。緻密に作り上げられた水の檻が、魔力を回復するユリアを包囲した。
試しに水の檻に触れてみようと剣を動かしたユリア。だが、剣が格子の形をした水に触れようとした時、ぴたりとユリアは動きを止めた。
……この水、重い。そして硬い。
水の近辺に散漫した魔力の波動を、ユリアは剣を通じて感じ取る。透明なその水の表面には、クリームのような重厚感のある魔力が内包しており、おそらく剣で触れればたちまち剣身が折れていただろう。
ならばと、ユリアは再び息を吸い込み吐息の体勢をとる。だがシルフィアはそれすらも見越していた。
「包め」
水の檻は天幕へと変貌し、瞬時にユリアを包み込んだ。全方位、隙間の一つすらない完璧な水の天幕は、檻同様に魔力によってコーティングされている。
もしもこのまま吐息を放った場合、吐息に内包された膨大な破壊力は天幕の内部で暴走して、ユリアに甚大なダメージを与えるだろう。それが分かるユリアは、おとなしく吐息を中断して策を練る。
こうして移動が限定された空間に捕らえられてしまった以上、次に広範囲な攻撃が繰り出されてしまった場合、ユリアは回避する手段はない。
……それに、さっきのあれ。
眼前に倒れ伏すシルフィアと、背後から強力な一撃を与えてきたシルフィア。あの瞬間、シルフィアは確かに二人いた。そして本物は間違いなく後者。
これはユリアの予測でしかないが、シルフィアは自身を象った人形を作り出すことができるのだろう。しかもその精度は異常に高い。
アラン曰く、水の【顕現武装】は魔術に秀でており、特に何かを模倣するのは全属性で最高の精密さを誇るのだとか。
つまり、そういうことだろう。どのタイミングでそれが起きたのかは定かではないが、ユリアの一撃をくらったのは本人ではなく偽物。それに気付かせないシルフィアの手腕は、見事としか言い表せない。
とはいえ、それをただ素直に褒めているだけでは、勝つ見込みが格段と下がってしまう。それに対抗するための策を練らなければならない。
勝つための策と負けないための策。この両方が同時に成功することができる、最高の策を編み出さなければならないのだ。
しかし今のユリアは柔軟な策を練るだけの知識が足りない。いかに学習に対する意欲があり、人よりも多くの知識を得ていたとしても、それを彼女なりに形にすることに慣れていない。
だがそれでも練らねばならない。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて思案を巡らせるユリア。だが、そんな彼女に時間は与えられない。
「…………?」
水の檻の中を何かが泳いでいる。小さく、しかし力強い魔力波動を感じ取れる生物だ。
いや、これはーーーー
「まずーーーー」
不思議と湧き上がった悪寒。それは、反射的にユリアを回避行動へと誘った。
言葉よりも先に体を動かしたユリアの賢明な判断は、間違いではなかった。パンッという空気を裂くような音と共に、水の檻を泳ぐ未知の生物はユリア目掛けて迫ってきた。
未知の生物からの攻撃をかろうじて回避したユリアだったが、その頬には、なにやら温かいものが湿っていた。言うまでもなく血だ。
その速さはもはや音速と同等。ほんの僅かでも回避を選択するのが遅れていれば、いかに防御力を誇る地属性の【顕現武装】といえど大ダメージは免れない。
そして、その攻撃が一度であるはずがない。
「っ!?」
立て続けに放たれる水の弾丸。パパパパパパンッ!   と絶え間なく鳴り響く炸裂音に顔を歪めながら、ひたすらに回避を行う。
人智を超えた速度で繰り返される超高度な攻撃と回避の連続。だが、水の天幕によって視界を遮られた観衆は、その内部で何が起きているのか知る由も無い。
不規則な速さ・角度・水の硬度・魔力濃度で乱発される水の弾丸。余りの速さに水どころか空気までもが刃と化し、回避したユリアの表皮には僅かに薄い傷跡が増えていく。
超速再生で傷は癒えるとはいえ、再生の際に使用される魔力量は容赦がない。特にコントロールの出来ていないユリアにとって、僅かな傷でさえ致命傷に匹敵した。
「ぐぁ……っ」
そして、ついに直撃を受けたユリア。高い防御力を誇る地属性の【顕現武装】だが、ダメージを受けないのと痛みが無いのでは、別個の話だ。
しかし、一度の直撃によって回避が遅れたユリアはその次、またその次と続けて直撃を受ける。外見的には無傷だが、その痛みはユリアの精神を容赦なく攻め立てていた。
……なんとかしないと!
「はァァァ!」
焦ったユリアは魔力を放出し、全身を分厚い魔力でコーティング。これによって一層高い防御力を得たユリアだが、この状態があと何秒続くか分かったものでは無い。
その場凌ぎの応急処置。そうとしか捉えられない行動に心底苛立ちを覚えながら、必死に思考を巡らせる。
シルフィアが生み出したこの水の天幕は、薄膜のような見た目とは裏腹に、鋼鉄以上の硬度を備えている。それは目で見ればわかる事実だ。
だがそれは、水という物質にシルフィアが魔力を加えることで為している芸当だ。つまり、この水の天幕を破壊するためには水ではなく、シルフィアの魔力を見切らなければならない。
しかしそれは不可能だ。
魔力は目で捉えることはできず、他の五感で感じ取ることができる人間だってごく稀だ。そして、そのような希少な能力をユリアは有していない。
膨大な魔力によって生まれる威圧感は、生物の本能を利用して察知できるが、天幕の魔力は弱すぎて感じ取ることが難しい。
……どうすればっ。
荒れ始める呼吸に比例して、思考が焦りを帯び始める。勝ちたい。負けたくない。どうにかしないといけない。こんな負け方は嫌だ。濁流のように考えが脳に流れ込む。
だが、そんな時だった。
ガクンと、脳が揺さぶられたような錯覚を感じると、意識が深く潜り込む。
意識が、引き摺り込まれる。
……
…………
………………
……………………
…………………………
意識の奥底。沈み込んだそこは、荒れ果てた草原が広がる野生の世界だった。そして、眼前には不気味に佇む大きな扉が一つ。
ユリアは何一つ驚く気配もなく、扉に手を当て静かに押し開いた。
向こう側には一人の少女がいた。ユリアにどこか似ていて、しかし竜種特有の尾や翼といった、彼女に無いものを持っている。そう、それはユリアの『心の紙片』である。
荒野に降り立ったユリアは、心の紙片からの唐突の呼び出しに驚愕する様子なく尋ねた。
「……いきなり何?」
深層意識の世界では、時の流れが遅いことをユリアはよく知っている。ここでの対話がシルフィアの戦いに影響することはない。だが、思考を遮られたユリアは彼女に対して苛立ちを覚えていた。
それでも、少女の形をした心の紙片は、ユリアの気持ちなどいささかも知らぬとでも言う風に、眉ひとつ動かすことなく問うた。
『どうして考えるのだ?』
「……なにをーー」
馬鹿なことを、とユリアは思った。だが少女は首を振り、真面目な表情でユリアに諭しかける。
『私たちの本質は竜。如何に知能を有し、人の言の葉を口遊むとしても、その根底は変わらない』
少女は言う。
『もう一度言う。私たちは竜だ』
その言葉はとても重たい。
『頭で考えては、私たちは人に成り下がるだけだ』
それでも、彼女の言葉に偽りは無い。
『考えるな。その本能で感じ取れ』
それが彼女のーーユリア=グローバルトという少女の、小さくも強い心の本質なのだから。そして、少女はそれだけ述べると霧のように姿を消した。
広大な世界に取り残されたユリア。だが、不思議と独りではない感じがしていた。
「…………本能」
理性とは裏腹な言葉。思考とは乖離した、もはや異なる次元の言葉。最初は納得できなかったユリアも、その言葉を噛み締めることで身に浸透させていく。
それが何なのかはまだ分からない。だが、それが可能なことをユリアは知っていた。
……いや、ユリアが、というよりはユリアの中にある何かが、と表すべきか。だが、それが何なのか定かではないし、今の状況で考えている暇はない。
ただ単に、それを信じるだけ。それもまた、本能なのだろう。おぼつかないながらも、新たな感覚を手にしたユリア。
「……よし」
意を決し、踵を返すとそこには扉があった。五メートルはあろう大きな扉だ。大きな見た目とは裏腹に、扉に手をかけるといとも容易く扉は開いた。
扉をくぐり、その向こう側へ。
…………………………
……………………
………………
…………
……
そして再び危機的状況へと舞い戻ってきた。
水の天幕によって覆い尽くされた制限付きの空間。繰り広げられる弾丸の猛襲。絶望的という言葉が似合いそうなほどに崖っぷちな状況。逆転劇など誰もが予想していない。
だからこそ、覆してみせる。
覚悟を決め、魔力による防御を捨てる。
無駄な思考は全て切り捨て、本能の赴くままに体を動かす。視認して思考して動きに反映するのではなく、感じ取って動く。そのコンマ数秒の時間を省略することで、ユリアの動きは劇的に変化した。
水の流れに逆らうのではなく、その流れを活かして攻撃を上手くいなす。さっきまでよりも視界が広く感じるのは、僅かな動作で水の弾丸を避けているからだろう。
心の余裕ができたことで、ユリアの目は多くを読み取る。水が絶えず流れ続けていること、水の天幕の厚さは攻撃の密度によって変化していること、天幕が薄くなるほど天幕の向こう側が鮮明に見えること。
……この天幕、絶対じゃない。
新たな技能を得たことで、ユリア実力は試合開始以前とは比べものにならないほど進化していた。それこそ、彼女の父であるリカルドですら愕然としてしまうほど。
だが、この時のユリアは気付いていなかった。一瞬ですら集中を途切らせてしまえば敗北につながると確信していたユリアは、自分の成長など見つめている暇はなかった。
勝つために必死に足掻き、ほんの些細な隙をじっと待ち続け、自分の最大限を駆使して全身全霊の一振りを与える。その姿はまるで獲物を仕留めんとする獣のようだ。
何はともあれ、ユリアの成長は凄まじい。なにせ体と思考が別の個体として動いているのだ。それはアランですら七年、戦闘の異才と呼ばれるリカルドですら三年は要するほど精密な技術。ユリアが偶然とはいえ使いこなせているのは、まさしく奇跡と言えるだろう。
その奇跡を、今はただ信じるのみ。
弾丸を回避しながら右手に魔力を込める。ただ込めるのではなく、イメージして型を形成し、圧縮して強化する。その過程をわずか二秒で完成させる。
そして完成したものは大きな手だ。指の先端にあるものは、鉄板すら容易に削り取る竜の鉤爪を彷彿とさせた。
イメージ生成が完了すると、今度は水の天幕を観察する。天幕の攻撃は変則的だが、決して穿てない穴はないとユリアは確信していた。回避を繰り返しながらひたすら観察。その瞬間が来るまで、黙々と回避を続ける。
回避といっても全てではなく、必要最低限の動作で、致命傷のみを避けた行動だ。思考を割く余裕は無く、だがそれだけに一撃は必中すると確信している。
そして。
「しッ!」
攻撃が過密になった瞬間、すなわち水の天幕が薄くなった瞬間に、ユリアはその手を振り下ろした。その行いが正解かどうかは、ユリアに眠る本能のみが知っていた。
回避を捨て渾身を込めた斬撃は、空気を切り裂き、シルフィアの魔力によって強化されていた水の天幕を、容赦なく切り裂いた。
斬撃によって誕生した風圧は、そのまま勢いで会場を防護する結界にぶち当たり、パァンと盛大な音を立てて爆散する。
「な……!?」
優位的立場に立っていたシルフィアは、やはり驚かずにはいられなかった。なにせ水属性の性質を活かし、その上に結界魔術の理論を組み立てて形成した高度な多重結界魔術を、ただの物理攻撃で攻略されてしまったのだから。
自分で創作した魔術なのだから、その弱点も勿論のことながら分かっている。分かっているうえで、ユリアには対処できないと確信していたからこそ、この現状は衝撃的だ。
予想外の事実に衝撃するシルフィアの頬を遅れて暴風が叩く。それでも目を閉じなかったのは、唯一の救いといっても良かった。
その僅かな硬直を、ユリアは逃さない。
大地を砕かんという思いで地面を踏みしめて、一気に加速。音すら残して瞬時にユリアはシルフィアの懐に潜り込んだ。
脳が思考力を他に割り振っていたからこそ、その隙間は生まれたといっても過言では無い。防御に遅れたシルフィアは、ユリアが渾身を込めた拳撃を土手っ腹に受け吹っ飛んだ。
「がは…………っ」
口内に鉄の味が溢れ出す。それがなんとも現実的で生々しく、脳を伝わって溢れ出す痛みに歯をくいしばる。【顕現武装】による超速再生よりも過度のダメージだ。
揺らぐ集中力を安定させながら、シルフィアは壁に直撃する寸前に姿勢を制御。追撃を警戒したが、どうやらユリアにその意思は無いようだ。
挑発。そう捉えるべきか。
「あんなろ……」
吐き捨てるように、怒りを口から漏らすシルフィア。あまりにも子供じみたことであったが、今はそれでも口にせねばいられない。
気がつけば、【顕現武装】の魔力操作がこの数分の間で格段に上達している。彼女の何がその上達に繋がっているのか、色々と研究してみたいものだ。
だが、今はどうでも良い。
残り時間は……およそ二分といったところか。それほど長いわけでも無いが、時間が経つにつれてユリアの実力は今後も増していくだろう。
今は何とか拮抗した状態を維持しているが、このままでは最終局面にユリアが優勢になってしまう。それだけは避けねばなるまい。
「……よし」
残りの魔力量から戦術を考案。錫杖を武器に次の一手を踏み出すための魔術をイメージする。無駄な思考は魔術の精度を妨害するので取り払い、純粋に敵意だけを心に秘める。
イメージするは水弾。速度を上げるために表面に螺旋を描き、多方向からの奇襲を狙う。それでも今のユリアには回避されてしまうかもしれないが、僅かな隙は生まれるはず。
そこが狙い目だと、シルフィアは見た。
圧力で大地が唸るほどの魔力を高め、警戒するユリアに向けて魔術を放とうとした、その時だった。
爆炎の柱が、突如として現れた。
「なに、が……」
方角は北、いや北北東か。工業区域で何かトラブルでもあったのか。そう疑問に抱いたシルフィアだが、いや、と即座に否定した。
あの爆炎の高さはゆうに三十メートルを超える。ただの事故でそのような異常な爆発が起きるわけがない。となると、考えられるのは……
「魔術。しかも高度な」
だけど、いったい誰が?   そんな事を考え込もうとしたシルフィアだったが、そんな彼女に再び予想外が訪れた。
会場を囲む結界が、切り裂かれた。
そう、「破壊」ではなく「切り裂いた」。陶器を叩き割るのではなく、音すら立てずに鮮やかに切ったと言えば分かるだろうか。
だが、忘れてはならない。この結界を編んだ人物は、オルフェリア帝国でも名だたる天才結界術師、リリアナ=マグレッティである。
彼女が渾身の力を込めて完成させた絶対防御を誇る結界を、いとも容易く切り裂いた人物とはーーーー
「傲慢であるな」
その人物は、すぐそこにいた。
その男の背丈は二メートルにも迫ろうかというほど高く、ローブの中から見える鍛え抜かれた肢体はまるで鋼のごとき頑強さを彷彿とさせる。
ただそれ以上に、男から溢れ出る魔力の残滓は常軌を逸脱していた。まるでそれは、大気そのものように会場を満たす。
「シルねぇ……」
「ユリア」
二人は互いを制するように声をかける。だが、その声は震えていた。格が違うなどという生易しいものではなく、次元が違う。睨まれただけで竦み上がってしまう。
圧力が。
図体が。
魔力が。
眼力が。
気配が。
存在が。
男を構成する全ての要素が、人間という名の定義を破壊するかのように存在していた。しかし、男は変わらず人のように口ずさむ。
「この程度の結界が大陸最高峰とは、傲慢であるとしか言えんな」
嘲笑うように、だがしかし男の表情は、最初から変わることなく無のままだ。まるで感情というものを抱かないかのように、眉の一つすら動かさない。
だが、同じ大地に立つ二人は感じ取った。男から溢れ出す魔力の残滓から、ほんの僅かな、だが確かな揺らめきを。
「四百年の修錬の後、出直して来るが良い」
それは、憤怒であった。
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