英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第23話「義姉と義妹」

苔色のローブを被った女性は、アランの頬に手を添えながら囁くように言った。


「『英雄殺し』」


「ーーっ!?」


刹那、全身に鳥肌が立つ。殺意を覚えたとか、触れた手のひらから何かを感じたとか、そう言うわけではない。


一言。そう、たった一言だけ。それだけのはずなのに、アランは精神的な衝撃と共に恐怖を身に感じた。


本能的に危機を感じ取ったのか、意識とは解離して身体が後方の壁際まで飛び退く。そして剣の柄に指が触れると同時に、二つ目の異常・・・・・・に気がついた。


「観衆が……いない……?」


そう、アラン達が立っているのは、魔剣祭の会場である学院敷地内にある訓練場の一般通路だ。しかも今は試合と試合の合間で、人通りは言わずもがな凄まじい。


だというのに、アラン達を中心とするかのように人の気配はまったくせず、それどころか遠方から聞こえていた実況者であるラパンの声や観衆のざわめき、大勢の人々が奏でる足音すらも消失している。


結界魔術か、と考えたが即座にその可能性を捨てた。結界魔術には音声を遮断する防音結界は存在するが、他者の気配を遮断する結界は未だに存在しない。つまり、これが何なのか分からないのだ。


しかも、魔術を発動した前兆すら感じさせない人間の範疇を逸脱した技能。リカルドと同じような実力の根底が見えてこない、はっきり言って気持ちの悪い感覚。


勝てない。素直に感じてしまった。


それでも逃げない姿勢なのは、アランが帝国騎士という立場ゆえか、それともまだどこかに勝機があると勘違いをしているのか。


なんにせよ、次の行動はかなり慎重に起こさなければならないのは確実だ。彼女の怒りを買った時点で、この訓練場がもろとも消滅する恐れだってあり得るのだ。


ゆっくりと柄に触れていた指を離し、目をつむり、一呼吸して心を整える。幸か不幸か、女性の存在感は目を閉じていても、濁流に襲われるが如く伝わってくる。


この場に残り、少しでも情報を引き出そうと覚悟を決めて口を開いた。だが、


「『何者だ』かな?   残念なことに、それを今の君に伝えるには私の力ではどうする事もできない。まあ、強いて印象を付けて名乗るとするならば……占いのお姉さん、と名乗っておこうかな」


またしても、思考を読み取ったようにツラツラと語り始める女性。そんな女性を唖然と見つめながら、しかし尋ねたかった事を的確に当てているので、口を噤んで見つめている。


「そして次の質問は『俺に何か用か』かな?   いやなに、特に大した用事では無いんだが、君の顔を見ておこうと、ふと思っただけだ」


「俺の顔?」


「そ、君の顔だよ」


そう言って女性ーー占いのお姉さんと名乗った彼女は、左手でフードの端を掴み、ためらう様子なく脱いで見せた。


端的に言って、綺麗な女性だ。年齢は二十代半ばといったところで、青空のような鮮やかな空色の長髪は彼女の魅力をより一層に引き立てている。


髪と同じく空色の双眸は真っ直ぐアランを見つめており、小さな唇は優しく微笑んでいた。その立ち姿はまるで聖女のようで、見る者を容易く恋に落としてしまうだろう。


だがしかし、エルシェナという規格外の美女のおかげあって耐性がついているのか、アランはとても静かに彼女の事を見つめていた。


……やっぱ、覚えが無い。


同時に確信へと至った。アランはこの女性とは、一度として会った事がない。でなければ、世界でも指折りの美女であろう彼女の事を忘れるはずがない。


だからこそ、疑問を覚える。


「本当に、あんたは何者だ?」


「今は明かさない。というか明かせない。今の君では、聞いたところで一瞬にして忘れるだろうからね」


「……?」


何を言っているのか理解できなかった。だが、彼女がアランに名を明かすことは無い、という事実だけは理解できた。


ならば、次の問いだ。


「どうして俺を知っている?」


「んー……どうして、と尋ねられても、正直なところ返答が難しい。知っての通り君と私は初対面、これは事実で変わらない。けど私は君の魔力、正確に言うならば『君の魔力の本質』を感じ取ってここまで来たんだ」


「俺の魔力の本質……?」


彼女の話す内容は、アランにすら到底理解の及ばない高次元なようだ。しかし彼女は、そんな事はお構い無しに話を続ける。


「ーー君、本当の力を封印しているでしょう?   いや、正確には封印されている・・・・・、が正しいかな?」


「……っ」


図星だ。しかしどうしてそれが分かるのか、アランは分からない。


アランには封印魔術が仕込まれている。この事実を知る者は、ごく限られた人物だけだ。しかも、アランに掛けられた刻印魔術は視認する事ができないように細工された高位の魔術である。


この事を踏まえた上で、どうして彼女がその事実を知っているのか分からない。殺戮番号No.5のトーマスと同系の魔眼持ちなのか、それともただのブラフなのか。


……けど、重要なのはそこじゃない。


たとえアランの隠された真実を、占いのお姉さんと名乗る彼女が知っていたとしても、それがアランにとってそれほど重要では無い。


「……あなたは敵、それとも味方?」


そう、最も重要なのはそれだ。彼女がアラン=フロラストという人物に対して、敵なのか味方なのか。


敵ならばここで容赦なく殺すしかない。勝てる可能性が皆無だったとしても、単独で行動している今こそが絶好の機会と言える。


だが味方ならば、今この場で彼女を殺す必要性はない。知り得るだけの情報を聞き出して、今は放っておくことにする。


固唾を飲み、再び戦闘態勢へと移行する。肩幅程度に足を開き、迸る魔力を全て身体強化へ。少しでも敵対行動を起こした場合、即座に対処できるように心構えをする。


だが彼女は困ったように眉間に皺を寄せると、


「敵でも、そして味方でもない」


とだけ述べた。とても簡潔な返答だが、それでは答えにはなっていない。


「とは言ったものの、君に危害を加えるとかみたいなそっち方面で敵か味方かと尋ねているなら、率直に言って味方に近いかもしれない」


「……は?」


「ほら、たとえば帝国の市民はどうだい?   帝国騎士という武力の象徴に不満を抱きながらも、戦争になれば頼れるのは彼らだけだ。敵ではなく味方でもない、どちらかといえば味方寄りだろう?」


「…………」


本当に得体の知れない人物だ。リカルド以上と思われる卓越した魔術的技能に、まるで最初から全てを知っていた事を物語るような話の数々。


本当に国家に危険視されるような人物ならば、フィニア帝国やカルサ共和国と同盟を結んでいるオルフェリア帝国が知らないはずがない。


つまり、彼女はこれほどの実力がありながら、世界に知られていない存在というわけだ。それは良くも悪くも世界の不確定要素となるだろう。


……この事をクソ親父に知らせたいがーー。


彼女が本当にアランの心を読んでいるならば、この事すら予感しているに違いない。迂闊に魔接機リンカーで連絡をとる訳にはいかない。


とにかく、危機的状況にあるのは変わりないという事だ。今は現状を保ち続けるとしよう。


「じゃあ、味方というなら聞きたい。この後あんたはどうするつもりだ?」


「そうだね……久し振りにこの街に来たんだ。少し観光でもしようかな、と考えている」


「か、観光?」


意外にも平和的だな、と思いその疑問が口から漏れ出たアラン。だが、彼女はそんな疑問を露わにするアランの顔を見て、面白そうに微笑んだ。


「そ、観光。あ、それならアラン君。この街でお茶が美味しくて、少し摘めるような物を出してくれる店を知らないかな。もちろん、お礼は出すよ?」


「お礼……?」


「そう。たとえば君が今、最も望んでいる『キャロン=スウェントの居場所』とかね」


「ーーっ!」


それは願ってもないお礼だった。彼女の言葉が確実に信用できる確証はどこにもないが、この広い帝都を走り回るよりはわずかな希望がある。


よし、と決意を固めたアランはベルトポーチからメモ用紙を取り出して、この間シルフィアと行った商業区と工業区の狭間にある喫茶店への道筋を書く。


「少し隠れた場所だから見つけるのに苦労するけど、それに見合う店だと俺は思う」


「へえ、それほど。それじゃあ期待するとしようかな」


用紙を受け取る占いのお姉さん。


「ではお礼だ。工業区の北北東あたりにある赤い屋根の古びた鍛冶場に行くといい。きっとそこに、君の求める答えはあるはずだ」


「分かった」


尋ね返すことなく、アランはそのまま会場の出口に向かって駆け出す。その時すでに、アランはリカルドに連絡するという事を失念していた。


そんな彼女はと言えば、駆けて行くアランの背を見つめながら、


「……二百五十年くらい、だったかな?」


などと、意味のわからない言葉を残し、彼女も会場の外へ向かって歩み出すのであった。









爆発したように、歓声が耳の中で木霊する。


「…………」


乾いた喉が潤いを求めるが、今踵を返して戻ることは棄権を表す。それだけは絶対にならない。


対峙するように二十メートル先で、不敵に微笑むシルフィアがいる。その笑みが挑発なのか、それともただ笑っているだけなのか、区別をつける事ができない。


保っていた冷静さが呼吸を行うたびに乱れ、落ち着きが戻ると、またしても脳が酸素を求めてくる。まるで終わりが見えない洞窟を進んでいるようだ。


「それでも」


これは焦りではない、恐怖ではない。ただ単純に、心が昂ぶっているのだ。今この瞬間に剣を鞘から抜きはなち、目の前にいるシルフィアと剣で語り合いたいのだ。


ユリアの芯は揺るがない。願いを最速最短で叶えるには、これしか方法がない。だからこそ、たとえ相手が尊敬する姉だったとしても躊躇いを見せない。


しかし、それはシルフィアも同じだ。自分の願いを叶えるために、たとえ相手が親愛する妹だったとしても遠慮は一寸たりとも介在しない。


油断のならない敵として、ここで倒さなければ、後に自分が確実に倒されるであろう恐るべき存在として。殺意と敵意を込めた視線を、容赦なく放ち続ける。


「「…………」」


両者、何も口に発する事なく睨み続ける。開始の合図は未だ無く、二人は煮え滾る敵意を腰に携えたその剣に集約する。


一触即発、刀光剣影。時が刻まれるたびに、周囲の空気は鋭さを増していく。観客も次第に感化され、口を閉ざす。


そして。


『試合ーーーー開始ですっ!』


実況であるラパンの合図とともに、


ーーーーギャィィィン!!


金属音が鳴り響いた。魔力と魔力が衝突し、不規則な波長を作り出す。


どちらからとも無く迫り合いを解除して一歩後退。だが、ユリアは瞬時に前方へと駆けた。


剣術においては、まだユリアに分があるかもしれない。だが遠距離による魔術戦となると詠唱速度や安定した魔力操作、一撃ごとの威力など。全てにおいてシルフィアが優位だ。


……詠唱する暇はあげない!


だが詠唱速度が早けれど、唱える時間が無ければシルフィアが不利である事に変わりはない。そう信じてユリアは剣を振るい続けた。


「ぜあァァァッ!」


「く……っ」


剣の性能が相乗して、ユリアの剣撃は速度を増す。シルフィアも応じるように速度を上げるが、なんの細工も凝らされていない剣ではユリアの速度に合わせることは難しい。


均衡していた剣戟は次第に傾きを見せ、少しずつシルフィアが追い込まれる形へと変わりつつあった。


だがそんな時、シルフィアがベルトポーチから何かを取り出し、自身とユリアの中間あたりに放った。それは赤く輝き、独特な透明感があった。そう、それはルビーの宝石だ。


戦闘の最中で、シルフィアが無意味に宝石を放るはずがないとユリアは判断して、それを脅威のある物だと断定。


というか、ユリアはその宝石にどこか既視感があった。それはアランが得意とする戦術に組み込まれた魔道具の一つ、


「魔石!?」


刹那、ユリアは後方へと跳躍。未だ滞空するその宝石に何の魔術が刻印されているかは定かでは無いが、とにかく無策に受けてはならない事だけは確実だ。


それは、アランとの何十回と行った模擬戦による経験則からの結論。魔術方陣が読み取れないユリアがとれる唯一の解決法だ。


ーーだからこそ、その選択は読まれ易い。


「そうすると思った」


「え……ぐぅッ!?」


魔石の射程外に後退することばかりに意識が向いたせいで、シルフィアの観察が疎かになった瞬間、シルフィアはユリアの懐に一気に潜り込んで、限界まで身体強化した状態で回し蹴りを叩き込んだ。


追いつかない思考の中で、ユリアは精一杯に姿勢制御を試みる。地面に体が打ち付けられるたびに、鈍器で殴打されたような痛みが襲う。


追撃がこない。そしてシルフィアの方角から微弱ながらも魔力波動を感じる。魔術の前兆だ。


「くぅ……っ」


このままでは狙い易い的になってしまう。そう判断したユリアは、剣を地面へと突き立て姿勢を無理やり整えて、シルフィアの方を見た。


「ーー汝の牙を以て立ち向かう愚者を払いたまえ》」


同時にシルフィアの手の平から、燃え盛る炎の竜巻が姿を現わす。【五属の風】だ。しかも通常よりも威力が高く、範囲も調整されている。


直撃までおよそ二秒弱といったところか。完璧に回避するためには、ほんの少し時間が足りない。だからユリアは強硬手段を・・・・・選択した・・・・


ユリアの剣は、アランの刻印によって魔力の伝導性が高い。それはつまり、剣に魔力を宿し易いという事だ。


コンマ数秒で剣に魔力を宿したユリアは上段に構えて、


「ぜあァァァッ!」


斬撃を放った。次の瞬間、ユリアの剣に纏っていた魔力は、斬撃の勢いに乗じて放出される。炎の竜巻と魔力の斬撃が衝突し、しばし拮抗したのちに霧散した。


吹き荒れる風の中、互いに睨み合う二人。湧き上がる歓声は二人の耳には届いていない。ただ静かに、次の手を予測していた。


……今のはシェイド騎士団長の【から斬り】ね。


技術的に難しいが故に、使える者が圧倒的に少数な剣技を使ったユリアに警戒心を抱き、


……魔石の危険性を逆手に取られた。


アランとの何十回と行った戦闘の感覚を逆手に取った、ただの宝石を使ったシルフィアの詐術に畏敬を抱く。


本当に、試合という時間の中で見てしまえば、ちょっとした事柄なのかもしれない。だが、この刹那の時間に二人が勝率を再計算し、最善手を模索している事を理解する者はほんの僅かであろう。


そして、そんな僅かな者達ですら、一分足らずの間に起きた攻防の数々で、戸惑ったことに違いない。


この試合、どちらが負けてもおかしくない、と。

「英雄殺しの魔術騎士」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く