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英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第21話「魔剣祭、再開」

そこは暗闇だった。


上も下も、右も左も分からない、ただ一色、暗黒という色に満ちた空間だ。一筋の光すら無いのだから、恐怖ゆえか心臓が握り潰されそうなほどに締め付けられる。


そんな暗い暗い虚無の中、どこからとなく奴がささやく。それはまさしく悪魔の囁きだ。


『いい加減、諦めろよ』


「何をだよ」


『無駄な抵抗さ』


そう言われて、改めて気がつく。


じわりじわりと身体は蝕まれ、神経が痛みを訴え脳からの信号が激しく沸騰する。嗚呼、どうしてこんなにも苦しいのだろうか。


その言葉に身を委ねるのが、いったいどれほど気持ち良いのだろうか。どれほど気が楽になるのだろうか。


『その身体を俺に貸せよ。ほら、ほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらーー』


「黙れよ」


『ーーーー』


しかし、俺はその言葉に応じない、誘惑に委ねない。たとえ今にも死にそうなほどの苦痛に苛まれたとしても、歯を食いしばり、前を見て、絶えず前へと足を進める。


生きる事が、しぶとく生きて幸せに死ぬ事が、俺の贖罪つぐないだと思っているから。どんなに不格好だとしても、それが幸せならば俺は何でもするだろう。


そう思って生きてきた。それが正しいのだと信じて続けてきた。それなのに、ふと足が止まる瞬間を感じる。


けど、これは俺の望んだ今か?


誰が求めた現状だ?


セレナやユリアと共に生きる中で、ときおり俺は彼女の事を忘れる瞬間が存在する。忘れてはいけないはずなのに、忘れる事で安らぐ時間が存在する。


誰よりも、彼女を想っていたはずなのに。誰よりも、彼女を幸せにすると約束したのに。そんな事すら忘れて、自分の幸せに身を浸してしまう。


私怨よりも幸福を選択するのか?


あの日の悲しみは虚構だったのか?


分からない。どうして良いのかも、どうしたら良いのかも。ただ、振り返った過去に散らばる悔恨を目に焼き付ける日々だ。


『何を今更な』


奴は嘲るように囁いた。


『なに人のように語っているんだよ?   人のように悔いているんだよ?   その手、その足、その顔……よーく見てみろよ。ほら、どこが・・・人間だ・・・?』


そう言われて、ようやく自分の異常さに気が付いた。いや、本当は気が付いていたけれども、無視していたのかもしれない。


ーー鋭利に尖った長爪。
ーー骨をも噛み砕く強靭な顎。
ーー吐き出す息は血生臭い。
ーー全身は漆黒に覆われている。


それは言うまでもなく、獣そのものだった。いや、そもそもこれは獣なのか?   獣という分類すら通り越して、もはや化け物なのではないだろうか。


だが、そんな化け物の身体を、たった二本の鎖がこの暗い世界に繋ぎ止めていた。これは見れば分かる、ーー封印だ。


周囲には同じような鎖がいくつも錆びれて散らばっており、身体を縛るこの鎖も、もはやいつ壊れても可笑しくは無い程度に脆くなっている。


それは耳元で囁く奴にとって、これ以上にない好都合なわけだ。ゆえに、奴は言葉で俺を惑わせる。封印の綻びを強めるために。


『壊せよ』
「壊さない」
『苦しいだろう?』
「苦しいさ」
『解放されたいだろう?』
「俺はそれを望まない」
『抗えよ』
「これは俺への戒めだ」
『哀れな奴だ』
「なんとでも」


その言葉を最後に、腹立たしいように舌打ちをしたと思えば、その存在の重圧が消えて無くなった。


独りになったと感じた瞬間、身体に巻き付いていた鎖は姿を隠し、俺は再び自由を得る。醜い化け物の面影は霧散し、いつも通りの俺に戻る。


ここは俺ーーアラン=フロラストの心の中。十人いれば各々が異なる世界を描く、夢幻の心象世界である。だが、ここにもはや俺の面影は微塵にも残っていない。


心象世界は、その人の心の根底に存在する想いや願い、その人の拠り所が精神に影響して形を現している。だから、この世界のように虚無や暗闇だけの世界など存在しない。


それはつまり、その人の心に何もない事を現しているから。その人が、人の心を持たない事を現しているから。


かつての心象世界はこうでは無かった。はるか天の頂きにまで達するような、高い本棚に囲まれ神域にすら感じた世界。まるで自分自身でも見ているかのような錯覚に襲われそうになるほど、姿形の酷似した人物が心象世界を管理している。


もうそんな世界も、彼の姿も見えない。時折聞こえる声だって、雑音が強すぎて一体誰の声なのか理解すらできない。


暗い世界でたった一人。


それはまるで、俺が進んできた道が間違いだったように、黒に塗りつぶされている。


それはまるで、俺が進む未来が何一つ無いかのように、黒に塗りつぶされている。


それはまるで、選択に迷う現在の俺の心を表すように、黒に塗りつぶされている。


もはや、前進も後退も一寸先は闇。遥か先には一筋の光すら見えてこない。俺という存在の人生が、終わりを告げているようだ。


だが、このままでは終わらないし、終われない。俺という存在が、俺という化け物が終止符を打つ前に、確かな証拠を残さねば。


そう、俺を殺せるだけの、確固たる証拠を。


それまでは、必死に抗わねばーーーー。









日々はすぎる事、明々後日。


ついに魔剣祭レーヴァテインが再開した。


朝方だというのに、学院前では大勢の観客が今か今かと待ち構えており、学院側も最終確認に大忙しだ。


「始まるわね」


「先に学院に入っておいて正解だったな」


そんな中、カフェテリアの二階テラスから入り口を見下ろす人物がいた。セレナとアランである。


入り口の警備兵とは見知り合いである故に、セレナは交渉のすえ、先行して学院に入る事を許可された。もちろんアランは護衛として入る事に。


ユーフォリアも付いて行こうと考えていたようだが、侍女としての仕事が残っていたので断念。仕事を終わらせてから合流する予定だ。


『お嬢様をよろしくお願いしますね?』


だからその笑顔は怖いですよ、ユーフォリアさん。分かってる、何かあったら許さないって言う気迫だけは分かってるから!


改めて侍女長ユーフォリアの凄みを理解したアランであった。


なんにせよ、セレナの護衛は今のところアランだけだ。祭典中で厳重な警戒網が敷かれているとはいえ、大罪教に狙われたという過去の烙印は消えない。


……今のセレナなら、雑魚は大丈夫だろうが。


地道に積み上げた剣術と魔術、それを扱うための知術や詐術といった技能を磨き続け、総合的な戦術を身に付けた結果、セレナも新米帝国騎士ほどには実力をつけた。


あとはセレナの【顕現武装フェルサ・アルマ】ーー《血華の炎巫女フレイア・ティターニア》も加えれば、中堅クラスとも良い勝負ができるだろう。


だが、アランやリカルド、大罪教幹部といった次元の違う相手にはまだ手が届かない。そこだけはアランの分野と言える。


「ある意味めんどくせぇ」


「はあ?   何が面倒臭いのよ」


「いんや、何でもねぇよ」


セレナに言っても意味は無いというか、むしろ気分を害してしまうと思うので、敢えてアランははぐらかして紅茶を飲む。


「それよりも、だ。本当に皇族特権を使わないのか?   そっちの方が良い席で観られるだろうに」


それは今朝、屋敷を出る前の話だ。皇族と貴族のみが入る事が許可されている特等席への招待状が届いていると、ユーフォリアがセレナに伝えた。


だが、セレナは「要らないわ」の一言でそれを片付けてしまった。ユーフォリアもそれには無言で従ったが、アランはそうはいかない。


特等席は騎士団各団長が座る席の後方、つまり最も安全な場所にあると言っても過言では無い。しかも席周辺には特別な結界魔術が展開されており、たとえ大罪教の幹部だとしても迂闊に近寄る事すら出来ないだろう。


だが、安全のためにそこへ行けとも言い辛いので、試合の観やすさでセレナの心を揺さぶってみた。


「気にしないわ。外周席でも試合はしっかり観れるし」


それに、と続ける。


「敵だって木が隠れるなら森の中だと思うでしょう?   もしものため・・・・・・に剣以外は全て手元にあるし、絶対とまではいかなくとも、そっちの方が安全よ」


そう言って、自慢げに微笑むセレナ。


どうやら自分の身がまだ狙われている事は、セレナも承知だったようだ。その上で自分で考えて場所を選んでいる事は、指南役であるアランとしても嬉しい誤算だった。


それにアランとしても、そっちの方が助かる。なにせ年若き帝国騎士が、皇位継承権が低いとはいえ皇族の護衛を独りで担っているとなると、アランの真の素性を知らない六貴会ヘキサゴンあたりは全力で探りを入れるだろう。


無論、それをヴィルガやリカルドが見過ごすとは思えないが、仲裁が入るという行為は、益々アランの正体が皇帝にとって隠しておきたい存在だというアピールにもなる。


それは私的にも公的にもしたくない。故にアランは自慢げに微笑むセレナの顔を見て、内心かなり安心していた。


するとその時、会場の方角が一気に湧き出した。どうやら試合会場に、実行委員である司会役ーーラパン=パルサーが姿を現したようだ。


「それよりも、そろそろ始まるわよ。解説役さん、選手の詳しい事を教えてくれないかしら?」


「解説役って……はいはい、分かったよ。可能な範囲で教えてやる」


会場では開会の儀が執り行われている途中だ。しかしそれは既に予選の段階で行われたことの重複なので、二人は落ち着いた物腰でカフェテリアに残り、無視して会話を続ける。


「第一試合の二人はゼリア=ダー・カルダシアとキャロン=スウェントって事は知っているよな?」


「ええ。あとはゼリアさんが第三騎士団、キャロンさんが第一騎士団って事くらいかしら」


「そうだな。キャロンは十九歳で俺の一つ年下だが、ジェノラフの爺さんを師事していて、高等部第三学年の時点で爺さんから剣術を直に学んでいたらしい」


これはかなり特例だが、決して無いというわけでもない。だが、伝手のない状況下で師事するというのは珍しい話だ。


「現在もキャロンは爺さんの部下として働いているし、今回の魔剣祭への参加だって爺さんからの推薦だ。今じゃ次世代の殺戮番号シリアルナンバー候補としても挙がっている」


「へえ、凄いのね」


「まあ、端的に言ってしまえばそうだな。ど根性でそこまで登ってきた、凡人ってところか」


キャロンはジェノラフと似て、魔術の才能はあまり無い。けれども、彼が恥を忍んで鍛え上げた剣術はかなりの域に達している。


だが、対する相手が尋常ではない。


「ゼリアは……そうだなぁ、素直に言って強いな、マジで」


「どの程度?」


「第三騎士団に入ったとほぼ同時に、騎士団長から副団長に推薦される程度には強い」


「うわ……とんでもない化け物ね」


そう、セレナは単純に言ってのけるが、本当にとんでもない事なのだ。


入団時という事は、当時のゼリアは十八歳だ。帝国騎士としての経験の少ないそんな青年を、騎士団長の右腕としてそばに置くという事は、常軌を逸していると言えるほどにあり得ない話なのだ。


結局ゼリアは副団長にはならなかったものの、その実力と騎士団長からの厚い信頼は瞬く間に帝国騎士に広まり、もはや同年代の中では、ゼリアが『生きる伝説』の肩書きを継ぐのでは、という噂もある。


まあ、知っての通り殺戮番号にあたるアランやグウェンと比べれば、指定された通常武具での戦闘においては勝機は微塵にない。


そう、指定されて・・・・・いたら・・・、の話だ。


「ゼリアの実家、カルダシア家は古来から帝国を守護してきたいわゆる『王国の盾』なんだ。そういう所では、グローバルト家と似ているな」


『攻め』と『守り』。まるで相反するようでありながら、実際には守る事は攻める事であり、攻める事は守る事なのだ。つまり、カルダシア家とグローバルト家は、武家という意味では共通した出世コースを歩んだ仲、という事になる。


「けど、圧倒的に異なる点って言えば『宝具』だ」


「ほうぐ?   どこかで聞いた覚えのある話ね」


「皇族なら誰でも知ってると思うが……。まあ簡単に説明すると、宝具っていうのは古代文明の遺跡から発見された、特殊な力を保持する道具のことだ。古代武具の大抵は宝具に部類するな」


こう書くんだよと、アランはベルトポーチからペンと紙を取り出して第二神聖語で「宝具」と書いた。するとセレナはあっ、と何かを思い出したような声を漏らす。


「そういえばお義父様の持ってる剣も、確か宝具だって聞いた事があるわ」


「竜剣ベルニオリスだな。持ち主の魔力に呼応して切っ先から超高熱の炎を発する剣で、そこから『金の炎獅子』って言われるようになった訳だ」


「なんだ、それが由来だったのね」


まあ、それだけが理由じゃ無いんだがなと付け足しを加えるが、そのまま言葉を続けた。


「それより宝具だ。カルダシア家にも古くから伝わる武器があってな……それが宝具で、しかも現代の使い手がゼリアなんだよ」


「そんなの……ありなわけ?」


「まあ、宝具は持ち主を選ぶからなぁ。選ばれてしまった以上、使わないという手段は存在しないだろ」


そう、宝具は持ち主を選ぶ。


持ち主として選ばれなかった者は触る事すら叶わない。呪いの道具という訳でも無いのに、そんな効果が付与されているのはとても謎に満ちているが、そうであるとしか誰も知らない。


ただ、その武具が尋常ならざる性能を持っているが故に、その武器を手にする事を夢見て試そうとする者は後を絶たない。本当に困った武具である。


「んで、ゼリアの宝具は雷剣ヴェルズリ。名前通り雷を剣身に宿した剣で、相手は触れただけで感電死する。遠距離なら雷を放出して攻撃する。まあ、ゼリアが選ばれたのも頷けるっていうか……」


「近接戦闘が得意な彼に、そのうえ特殊な能力を加えるとか……確かに副団長として欲しいわけね」


「ああ。けど、魔剣祭レーヴァテインで宝具は使用不可。そんな祭典の雰囲気ぶち壊すような武器使われても困るしな。だから、実質技量が勝敗を決める戦いって事だ」


「アンタの見解として、どっちが勝ちそう?」


「知らん。なにせ二人の実力は知らないし、知る機会も無かったからな」


「『機会が無かった』?   でも、この本戦の中で何度も戦っている場面はあったじゃない」


セレナの返答は最もだった。だが、アランはため息をこぼして腕を組むと言った。


「まだ本気じゃないんだよ、二人とも」


「本気じゃない?   何でわかるのよ」


「目が言ってんだよ。退屈だ、ってな」


「ーーーー」


確証はない。だが、キャロンもゼリアも何か物足りなさそうな目をしている。それは戦いに飢えた者が見せる、束の間の欲望だ。


アラン達の世代は最後の戦争ーーアステアルタ魔術大戦が最も印象に残った戦争であり、それ以降に大規模な戦争が起きていない事から、本気の戦い、つまりは殺し合いを経験した者がとても少ない。


しかも、未だに国境侵略防衛戦を繰り広げる第一騎士団に入団を志望する者は年々減少する傾向にあり、本当の意味で戦える帝国騎士は、百人の中に一人いれば奇跡と言えるくらいに希少だ。


カルダシアの名に連なる者としての役割ゆえに、第一騎士団に入団する事は叶わなかったゼリア。その心の中に、どれほどの闘争心が燃え滾っていたのだろう。


その炎に薪をべた者の中には、セレナも入っている。負けたものの、彼に本気を出させたのは、魔剣祭の中でもセレナだけ。そこは誇りに思っても良いとアランは思う。


そして、そんな中で同類とも呼べるキャロンとの試合だ。退屈を物語っていたゼリアの瞳から生気が戻ったのは言うまでもない。


キャロンも同様に退屈を感じていた。今まで溜め込んでいた欲望という名の鬱憤が、この日この時に発散されようとしている。


衝突する猛者と猛者。二人が繰り広げる剣戟は、間違いなく後世にも語り継がれる逸話となるであろう。


そこまで考えた上でのアランの「目が言ってんだよ」という言葉に、セレナは口を噤んでただ沈黙するしか出来なかった。


するとそれを察したのか、


「……さて。こんな場所で長々と語るよりも、見たほうが何倍も分かりやすい。そろそろ行こうぜ」


紅茶を飲み終えたアランは椅子から腰を上げる。会場の方はちょうど開会の儀が終わりを迎えたようで、ここから聞こえてくるラパンの声を察するに、そろそろ選手の入場といったところだろうか。


学院の門から会場に通ずる道には人の気配はそれほど無く、これなら何があっても対処可能だ。


そうやってアランが周囲を警戒して見渡している間に、セレナも呼応するように残った紅茶を一気に飲み干した。淑女らしくないが、それは我慢していただこう。


「そう、ね。今後、彼らみたいな敵と戦う機会があるかもしれないし。観戦しながら情報収集としましょうか」


そう言って席を立つ。代金はアランが既に払ってあるので、二人は会釈する従業員の横を通ってカフェテリアから外に出る。


遠方では、ラパンがゼリアとキャロンについて大まかな説明を語っているらしい。だが、聞こえる内容はアランから聞いた情報とほぼ酷似しているので、無視するセレナ。


「寄り道でもするか?」


「大丈夫よ。ほら、早く行きましょう」


意識を別に逸らしていたせいか、アランが沿道に並ぶ露店を指差して言った。


だが、時間が時間だ。これは少し早めに向かうべきだったと考えながら、小走りでセレナは先駆けた。






午前十時少し過ぎ。二人はようやく会場へと向かうのであった。

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