英雄殺しの魔術騎士
19話「姉妹だからこそ」
鍛錬を終えたアラン、ユリア、リカルドの三人は、昼食に学院の喫茶店へと向かおうと試みた。
だが、魔剣祭の期間中は学院の敷地内も解放されており、行き交う人という人に、握手やらサインやら手合わせやらと、もはや歩く暇すら与えられない。
「「やってられるか!!」」
という義妹と義父の発言あって、仕方なく三人は学院から離れてグローバルト家で食事をとる事にした。当初はそんな予定は微塵に無かったのだから、ミリアがそんな準備をしているわけが無いと考えていたのだが。
「やっぱりね。待ってたわ」
最初からそうなる事が分かっていたかのように、出来立ての昼食がテーブルに並べられていた。
「「「女神か」」」
いいえ、母親です。
ともあれミリアに感謝して昼食(白身魚のグリルと野菜多めのスープ、焼きたてのパンだった)を食べた三人は、各々支度を整えて、再び学院へと向かったのだった。
時刻は正午を少し過ぎた頃。今ごろ訓練場の前は大勢の観衆で賑わっている事だろう。なにせつい先ほど、明後日に再開される魔剣祭の準決勝および決勝のトーナメント表が開示されたのだから。
その中にはアランの隣を歩く義妹ユリアと、その姉であるシルフィアの名前も記されている。多くの観衆からしてみれば、そこが最も見所でもあろう。
高等部一年生でありながら既に学院最強の栄冠に手を掛けているユリアと、かつての学院最強であり、現在においても女性帝国騎士でありながら頭角を現しつつあるシルフィア。
二人が衝突した際、帝国騎士の視野から見ればシルフィアの勝率は揺るぎないほど高いが、ここまでのユリアの善戦を見る限りそうとも言えない。確実に勝てる戦いが無いように、確実に負ける戦いも存在しないのだ。
着実に父親と姉の背中に近づきつつあるユリアと、シルフィアはどのような戦いを繰り広げるのであろうか。義兄としてはそこも気になる。
だが、それ以上に気になることが。
「ユリアとシルフィア姉さん。どっちを応援すれば良いのやら……」
義理の兄(もしくは弟)としては、どちらにも勝ってほしいのが本願だ。だが、最終的にはどちらかが負けてどちらかが勝つ。それは逃れられない運命だ。
義兄として可愛い可愛いユリアを応援するか、義弟として敬うべきシルフィアを応援するか。
ユリアの左隣を歩く変態帝国騎士に言わせれば、どっちも応援すれば良くね?   となんとも軽々しく言ってくれるが、それは色々と嫌な事態を起こしかねないので、却下。
どうしたもんかねぇ……と腕を組んで悩むアラン。そんな彼に究極の選択がやってきた。
「アルにぃ。私とシルねぇ、どっちを選ぶ?」
「なん……だと……?」
ユリアから容赦の無い問いかけが投げられた!   脂汗が止まらないアラン!
ここで整理をしてみよう。ユリアを選ぶか、シルフィアを選ぶか。どっちにしたってその後のアランの生活に差した影響は無い…………はずだ。
では、どちらを選べというのか。
シルフィアを選んだとする。すると、ユリアは間違いなく拗ねるだろう。かつて喧嘩の仲裁役を担った時にシルフィアの肩を持ったアランは、一ヶ月も口を聞いてくれなくなった時があった。
……今度は一ヶ月じゃ済まないなぁ。
ならばユリアを選んだとする。すると、その場だけは凌げるだろう。だが、その後に待つのは義姉による容赦の無い問答攻めだ。女に口では勝てない、これは自明の理である。
……色んな意味で、これも嫌だなぁ。
進んでも退いても、結果として待つのはややこしくて面倒くさい地獄だ。その上事を察知したリカルドに何されるか、考えただけでも身の毛がよだつ。
「ーーーーーーーー」
「……アルにぃ?」
究極の難問を前にしたかのような表情で、その場から微動だにしなくなったアラン。それを不思議そうに見つめるユリア。
馬鹿らしいぜ、とリカルドは鼻で笑いながら先に行ってしまった。まあ、ろくな答えを持っているとは到底思えないので、アランは無視した。
さて、客観的に見れば恋愛コースに突入しそうな状況下だが、色々と知っている本人としてみれば刃傷沙汰の修羅場コース。しかも最強の怪物つきという逃れる事の出来ない確定コースだ。
……駄目だ。何考えても死ぬ未来しか見えてこねぇぞ、マジで。
マイナス思考へと陥った途端、血の気が薄くなったように顔が真っ青に染まり、引き攣った笑みを浮かべながらどこか遠いところに視線を向けるアラン。
仕方がない。使いたくは無かったが、ここは第三の選択肢に全てを任せるとしますか……。
もう投げやりとでも言わんばかりのアランは、深呼吸をして心を落ち着かせたらユリアの肩に手を置き、諭すように言った。
「どっちも、じゃあ……駄目か?」
「…………」
おおっとぉ、ユリアの顔が途端に硬直した。予想外の言葉に、脳が異常事態を引き起こしているのか!?
たっぷり時間を使う事、三分。その間にも学院へと向かう市民や学院生、帝国騎士から道のど真ん中で立ち止まる二人は視線を向けられ続けたが、知らぬふりをしてその場は凌ぎ切った。
そしてユリアは一言だけ言った。
「アルにぃの……ばか」
それだけ言って、すたたたと素早い動きでアランの元から離れて行く。横を通りざまにアランが見たその顔は、なんの変わり映えの無い平然としたものだった。
本来ならば、すぐさまにでも追いかけて謝るべきなのだろうが、当のアランと言えば。
「ユリアに、馬鹿と、言われた……」
地面に両手をついて、ユリアの放った残酷な事実に、全力で打ち拉がれていた。何年振りだろう、こんなにも心から泣きたくなったのは。
まあ、泣かないが。
なお、これが皇帝であるヴィルガの耳に届かなかったことは無く、あのシスコン馬鹿は……と呆れて果ててため息すら漏らさなかったという。
◆
正午ぴったりに貼り出された、魔剣祭準決勝および決勝トーナメント表。
トーナメント表は、これでもかというくらいに大きな紙に記されており、それは数百メートル離れた位置にいたユリアですら、魔力による視力強化無しでも容易く見ることが出来た。紙の使い方にいささか問題があるのでは?   と考えられずにはいられない。
しかし、その大きな用紙には、ユリアの望まない現実が書き記されていた。
『第二試合   ユリア=グローバルト  対  シルフィア=グローバルト』
準決勝から、まさかの姉妹対決である。これには常に無表情に近いユリアも、冷や汗と焦りが止まらない。
すると、横にいたリカルドが言う。
「まあ、当然っちゃあ当然の組み合わせだな」
「ど、どうしてっ」
至って平静なリカルドに感情の矛先を向ける。だが、リカルドの心はまったくもって微動だにしない。
「これはあんまし言っちゃ駄目なんだが……。この大会はな、縮小化された内戦なんだよ」
「ない、せん……」
「ああ。この大会の優勝者に与えられる『願いを叶える』ていう唯一無二の報酬は、今でもなおオーディオルム家が手にした皇の座を狙った六貴会にとって、これ以上にない格好の武器なんだ」
たった一度の勝利によって、たった一つの願いによって。この国の秩序は、力関係は容易く変形してしまう。それほどに「魔剣祭優勝」は恐ろしくも強力な結果なのだ。
「もしもだ。ユリアとシルフィアを別々に組み合わせて、そして二人ともが決勝に勝ち上がった場合、六貴会からしてみればどう見えるよ?」
決勝に勝ち上がった二人は六貴会の一家、グローバルト。しかも国に関与する権力は既に高い位置に座している。
各貴族が対等な存在だからこそ成り立っていると言っても過言ではない六貴会。それが、現当主が元平民というぽっと出の貴族によって崩されるというのはーー。
「気にくわない」
「そうだ、気にくわないんだ。貴族っていうもんは、どれだけ時が経っても、皇帝が変わっても、人望のある良人だとしても。力には、すこぶる執着してきやがる」
たとえどんな聖人だとしても、この世は力が無ければ、今日すらも生き抜くことは出来ない。信仰も尊敬も忠誠も。所詮は力によって為せる事だと誰も気付かない。
財力、権力、暴力。これが人の真理なのだ。
くだらない、と思えば確かにそうだろう。事実、ユリアは以前リカルドからこの言葉を聞いたとき、やはりくだらないと思った。
だが、人の理解を超えるそれらを人が目の当たりにした時、人の価値観は変貌し、概念は崩壊する。今のユリアはそれを知っている。
……アルにぃを求めた彼らのように。
だから、ユリアは理解する。リカルドの言葉から、真意を理解する。
この対戦表には六貴会が関与しているということを。六貴会はグローバルト家にこれ以上の権力を与えたく無いことを。
「思い通りにはさせない」
「ははっ、だな。けどまあ、そんな事は考えるな。今はシルフィアとの戦いに集中しろよ?   そっちは俺の領分だからな」
強欲な貴族達に熱をたぎらせるユリア。だが、娘に政治に関わる事はさせたくないので、同意するように言葉を発しながらもシルフィアとの試合はと話題を転換させる。
ユリアもそれに気付きつつ、リカルドの本心の現れたその言葉に対して素直に首を縦に振った、その時だった。
「……!」
空気が変わったのを感じた。と同時に、周囲の雰囲気も変化したのを肌で感じ取った。
馴染み深い魔力の感覚。敵対するでも同調するでもなく。まるで森の真ん中に広がる湖のように静寂で壮大。魔力量の差ではなく、単純ながらも圧倒的な質の差。
振り返ったその先には。
「シルねぇ……っ」
次の対戦相手にして尊敬すべき姉、シルフィアがいた。距離にしておよそ百メートルほどあるが、それでもユリアの心は大きく揺さぶられた。
ユリアは魔力に対する感覚感知が、リカルドやシルフィアに比べて弱い。だがそれでも、くっきりとそこにいることが分かる程、シルフィアの魔力波動は猛々しいものだった。
魔力波動の強さは魔術師、ひいては魔術騎士としての強さを証明する。アランやリカルドのそれが何よりの証拠だ。
今のシルフィアの魔力波動は、間違いなく殺戮番号のものとほぼ同格だ。そう彷彿とさせるほど、その圧力は徐々にユリアの心に弱さを蔓延らせる。
こんな人を相手にするのか。勝つ見込みはやはり薄いのか。この実力差を無視して戦うことが、果たして今の自分に出来るのか。
大衆の集まる中。ユリアの心は、依然として落ち着きを取り戻す気配を見せなかった。
◆
第二騎士団としての任務があった故に、トーナメント表の開示時刻には遅れてしまったシルフィア。既に訓練場前には多くの観衆がごった返しており、三百メートル程度は離れた位置からしか確認する事は出来なかった。
だが、それ以上に気になったのは。
「なんか……すごい睨みを利かせた視線を感じるんだけど……」
右斜め前。そこから感じる害意では無く、殺意でも無い。ただ見つめているだけの鋭い視線を感じた。悪寒は受けないが、気が立って仕方がない。
「どうせ姉さんの魔力波動を感じ取ったユリアだろう?   気にするなよ」
そんな警戒心を剝き出すシルフィアの側で平然といるアランは、紙袋に入った細切り状のジャガイモを揚げた物を口に含みながら言った。
するとシルフィアは頬を引き攣りながら、
「いや、なんで睨む必要があるのよ……」
「多分、あれだろ」
指差したのは対戦表。そこには準決勝からシルフィアとユリアが激突するという事実が、大きく記されていた。
「あらら……」
「まあ、やっぱりか、って感じだよな」
ユリアに比べて二人はそれほど甘くない。六貴会が何らかの関与はしてくるだろうと踏んでいたし、ユリアと対戦する場合の方が考えられるとも予測していた。
だが、実際に見せられると何とも釈然としない気持ちが湧き上がり、苛立ちを含んだ表情がほんのりと表に現れる。
「おーい、姉さんや。魔力が漏れてますよー。抑えて抑えて」
「ううっ。無意識にやっちゃった……」
今二人の周囲には、魔力波動にそれほどの耐性の無い一般人も集まっている。彼らがシルフィアの波動を直に受けようものなら、少なからず何人かは意識を失い気絶していただろう。
しかし、咄嗟の機転でシルフィアと自分の周囲に簡素な保護結界魔術を展開したアランによって、その心配は無用になった。ナイスな反応である。
何度か呼吸を繰り返して波動を整えると、アランも結界魔術を解除。周囲を包んでいた半透明の膜が霧散して、いつものように眩しい陽光が二人を照らす。
落ち着いたシルフィアは、再度対戦表を見る。その対戦表を六貴会の事をよく知らない者が見れば、ただの対戦表。よく知る者が見れば、よく仕組まれた対戦表だと思うだろう。
だが、それ以上に知っている二人は、大衆の耳など気にする事なく推察を始めた。
「ねぇ、アラン。どの貴族あたりが関与していると思う?」
「んー……多分だけど、カルダシアかアーカディアじゃね?   あそこは妙にクソ親父に対する敵対心が強いからな」
「シーフォードやフェミングは?   ジャニールは元からそういう事に興味無さそうだから良いけど、両家とも野心家よ?」
「いや、シーフォードはむしろ賛成だろうさ。ヴィルガさんよりも、クソ親父の方が動かし易いと思っているはずだしな。フェミングはまあ……傍観者って立場じゃないか?」
「まったく……そんな情報はどこで手に入れているのやら……」
「企業秘密で」
分かってるわよと、シルフィアは真剣な表情で言い返すと、踵を返してその場を去ろうとする。アランも同行するか逡巡したが、ユリアのそばにはリカルドがいるので、シルフィアに付いて行くことにした。
横に並ぶアランに、シルフィアは端的に尋ねた。
「昼食は?」
「家で食った」
「なら紅茶?」
「良い店知ってる」
「よし、じゃあ行こうか」
二人はその場を足早に去って行った。
◆
やはりと言うべきか。今日がトーナメントの発表という事もあって、正午過ぎになると商業区の人口密集度は低減していた。
それと相まってアランがチョイスした喫茶店は、相変わらずどうやって見つけたのかと尋ねたくなるほどに隠れた場所にあり、店内に入った時点では老夫婦が一組。今は既に、彼らの姿すら無かった。
「アランから見て、勝率はどう?」
「どっちの」
「もちろん私よ」
注文を済ませた後に、そんな事を聞いてきたシルフィアに対し、そんな事を聞くなんて珍しいなと思いながら、しばらく考えるアラン。
「八割で姉さんの勝利。あとは偶発的なユリアの勝利ってところか」
「ユリアの実力じゃ勝てないっていうの?   アラン自身が直々に教えたのに?」
「まあ、仕方がないさ」
実のところ、アランは現状でのシルフィアの実力を詳しく知らない。分かるとするならば、こうして目の前で座っているシルフィアから感じ取れる魔力波動が、五年前とは比べものにならないほど強くなっている事だ。
それはユリアも同じだが、結果論として述べるならば、伸び代はシルフィアの方が大きい。しかも帝国騎士としての二年間は、ユリアとのさらなる力量差を生み出している事だろう。
それを理解した上で、アランは五分五分だろうと言えるほど、優しい人間ではない。その嘘はかえってユリアとシルフィア、二人共を傷つけてしまうからだ。
だがアランもそこで終わる訳ではない。
「でも、舐めない方が良いと思うぜ?   最近のユリアは何かを隠してる。多分だと思うが、姉さんと対等に戦うために何かしたんだろう」
「その何かって言うのは?」
「分からない。けど、実力を隠しているって事だけは確実だ」
「……ふーん」
アランにすら隠し通すユリアの奥の手。それが本当に、シルフィアの実力に届き得るならば、シルフィアにとってそれ以上の脅威はないだろう。
しかし、元からシルフィアは油断などしていない。ユリアが確実に脅威になる事は予測していたし、敵になれば厄介だという事も感じていた。
姉妹だからといって油断など毛頭無い。むしろ、姉妹だからこそ警戒すべき相手なのだ。
灯台下暗し。アランのことを、全くといっても良いほどに把握できないように、身近な相手ほどその真意は計り知れないのだ。
だから、シルフィアは笑みを浮かべて、
「そうこなくっちゃ」
意気揚々と言った。
そんな楽しそうな笑みを浮かべる義姉さん前に、アランは静かに「死なない程度で頼むよ」と、二人の無事を祈るのであった。
だが、魔剣祭の期間中は学院の敷地内も解放されており、行き交う人という人に、握手やらサインやら手合わせやらと、もはや歩く暇すら与えられない。
「「やってられるか!!」」
という義妹と義父の発言あって、仕方なく三人は学院から離れてグローバルト家で食事をとる事にした。当初はそんな予定は微塵に無かったのだから、ミリアがそんな準備をしているわけが無いと考えていたのだが。
「やっぱりね。待ってたわ」
最初からそうなる事が分かっていたかのように、出来立ての昼食がテーブルに並べられていた。
「「「女神か」」」
いいえ、母親です。
ともあれミリアに感謝して昼食(白身魚のグリルと野菜多めのスープ、焼きたてのパンだった)を食べた三人は、各々支度を整えて、再び学院へと向かったのだった。
時刻は正午を少し過ぎた頃。今ごろ訓練場の前は大勢の観衆で賑わっている事だろう。なにせつい先ほど、明後日に再開される魔剣祭の準決勝および決勝のトーナメント表が開示されたのだから。
その中にはアランの隣を歩く義妹ユリアと、その姉であるシルフィアの名前も記されている。多くの観衆からしてみれば、そこが最も見所でもあろう。
高等部一年生でありながら既に学院最強の栄冠に手を掛けているユリアと、かつての学院最強であり、現在においても女性帝国騎士でありながら頭角を現しつつあるシルフィア。
二人が衝突した際、帝国騎士の視野から見ればシルフィアの勝率は揺るぎないほど高いが、ここまでのユリアの善戦を見る限りそうとも言えない。確実に勝てる戦いが無いように、確実に負ける戦いも存在しないのだ。
着実に父親と姉の背中に近づきつつあるユリアと、シルフィアはどのような戦いを繰り広げるのであろうか。義兄としてはそこも気になる。
だが、それ以上に気になることが。
「ユリアとシルフィア姉さん。どっちを応援すれば良いのやら……」
義理の兄(もしくは弟)としては、どちらにも勝ってほしいのが本願だ。だが、最終的にはどちらかが負けてどちらかが勝つ。それは逃れられない運命だ。
義兄として可愛い可愛いユリアを応援するか、義弟として敬うべきシルフィアを応援するか。
ユリアの左隣を歩く変態帝国騎士に言わせれば、どっちも応援すれば良くね?   となんとも軽々しく言ってくれるが、それは色々と嫌な事態を起こしかねないので、却下。
どうしたもんかねぇ……と腕を組んで悩むアラン。そんな彼に究極の選択がやってきた。
「アルにぃ。私とシルねぇ、どっちを選ぶ?」
「なん……だと……?」
ユリアから容赦の無い問いかけが投げられた!   脂汗が止まらないアラン!
ここで整理をしてみよう。ユリアを選ぶか、シルフィアを選ぶか。どっちにしたってその後のアランの生活に差した影響は無い…………はずだ。
では、どちらを選べというのか。
シルフィアを選んだとする。すると、ユリアは間違いなく拗ねるだろう。かつて喧嘩の仲裁役を担った時にシルフィアの肩を持ったアランは、一ヶ月も口を聞いてくれなくなった時があった。
……今度は一ヶ月じゃ済まないなぁ。
ならばユリアを選んだとする。すると、その場だけは凌げるだろう。だが、その後に待つのは義姉による容赦の無い問答攻めだ。女に口では勝てない、これは自明の理である。
……色んな意味で、これも嫌だなぁ。
進んでも退いても、結果として待つのはややこしくて面倒くさい地獄だ。その上事を察知したリカルドに何されるか、考えただけでも身の毛がよだつ。
「ーーーーーーーー」
「……アルにぃ?」
究極の難問を前にしたかのような表情で、その場から微動だにしなくなったアラン。それを不思議そうに見つめるユリア。
馬鹿らしいぜ、とリカルドは鼻で笑いながら先に行ってしまった。まあ、ろくな答えを持っているとは到底思えないので、アランは無視した。
さて、客観的に見れば恋愛コースに突入しそうな状況下だが、色々と知っている本人としてみれば刃傷沙汰の修羅場コース。しかも最強の怪物つきという逃れる事の出来ない確定コースだ。
……駄目だ。何考えても死ぬ未来しか見えてこねぇぞ、マジで。
マイナス思考へと陥った途端、血の気が薄くなったように顔が真っ青に染まり、引き攣った笑みを浮かべながらどこか遠いところに視線を向けるアラン。
仕方がない。使いたくは無かったが、ここは第三の選択肢に全てを任せるとしますか……。
もう投げやりとでも言わんばかりのアランは、深呼吸をして心を落ち着かせたらユリアの肩に手を置き、諭すように言った。
「どっちも、じゃあ……駄目か?」
「…………」
おおっとぉ、ユリアの顔が途端に硬直した。予想外の言葉に、脳が異常事態を引き起こしているのか!?
たっぷり時間を使う事、三分。その間にも学院へと向かう市民や学院生、帝国騎士から道のど真ん中で立ち止まる二人は視線を向けられ続けたが、知らぬふりをしてその場は凌ぎ切った。
そしてユリアは一言だけ言った。
「アルにぃの……ばか」
それだけ言って、すたたたと素早い動きでアランの元から離れて行く。横を通りざまにアランが見たその顔は、なんの変わり映えの無い平然としたものだった。
本来ならば、すぐさまにでも追いかけて謝るべきなのだろうが、当のアランと言えば。
「ユリアに、馬鹿と、言われた……」
地面に両手をついて、ユリアの放った残酷な事実に、全力で打ち拉がれていた。何年振りだろう、こんなにも心から泣きたくなったのは。
まあ、泣かないが。
なお、これが皇帝であるヴィルガの耳に届かなかったことは無く、あのシスコン馬鹿は……と呆れて果ててため息すら漏らさなかったという。
◆
正午ぴったりに貼り出された、魔剣祭準決勝および決勝トーナメント表。
トーナメント表は、これでもかというくらいに大きな紙に記されており、それは数百メートル離れた位置にいたユリアですら、魔力による視力強化無しでも容易く見ることが出来た。紙の使い方にいささか問題があるのでは?   と考えられずにはいられない。
しかし、その大きな用紙には、ユリアの望まない現実が書き記されていた。
『第二試合   ユリア=グローバルト  対  シルフィア=グローバルト』
準決勝から、まさかの姉妹対決である。これには常に無表情に近いユリアも、冷や汗と焦りが止まらない。
すると、横にいたリカルドが言う。
「まあ、当然っちゃあ当然の組み合わせだな」
「ど、どうしてっ」
至って平静なリカルドに感情の矛先を向ける。だが、リカルドの心はまったくもって微動だにしない。
「これはあんまし言っちゃ駄目なんだが……。この大会はな、縮小化された内戦なんだよ」
「ない、せん……」
「ああ。この大会の優勝者に与えられる『願いを叶える』ていう唯一無二の報酬は、今でもなおオーディオルム家が手にした皇の座を狙った六貴会にとって、これ以上にない格好の武器なんだ」
たった一度の勝利によって、たった一つの願いによって。この国の秩序は、力関係は容易く変形してしまう。それほどに「魔剣祭優勝」は恐ろしくも強力な結果なのだ。
「もしもだ。ユリアとシルフィアを別々に組み合わせて、そして二人ともが決勝に勝ち上がった場合、六貴会からしてみればどう見えるよ?」
決勝に勝ち上がった二人は六貴会の一家、グローバルト。しかも国に関与する権力は既に高い位置に座している。
各貴族が対等な存在だからこそ成り立っていると言っても過言ではない六貴会。それが、現当主が元平民というぽっと出の貴族によって崩されるというのはーー。
「気にくわない」
「そうだ、気にくわないんだ。貴族っていうもんは、どれだけ時が経っても、皇帝が変わっても、人望のある良人だとしても。力には、すこぶる執着してきやがる」
たとえどんな聖人だとしても、この世は力が無ければ、今日すらも生き抜くことは出来ない。信仰も尊敬も忠誠も。所詮は力によって為せる事だと誰も気付かない。
財力、権力、暴力。これが人の真理なのだ。
くだらない、と思えば確かにそうだろう。事実、ユリアは以前リカルドからこの言葉を聞いたとき、やはりくだらないと思った。
だが、人の理解を超えるそれらを人が目の当たりにした時、人の価値観は変貌し、概念は崩壊する。今のユリアはそれを知っている。
……アルにぃを求めた彼らのように。
だから、ユリアは理解する。リカルドの言葉から、真意を理解する。
この対戦表には六貴会が関与しているということを。六貴会はグローバルト家にこれ以上の権力を与えたく無いことを。
「思い通りにはさせない」
「ははっ、だな。けどまあ、そんな事は考えるな。今はシルフィアとの戦いに集中しろよ?   そっちは俺の領分だからな」
強欲な貴族達に熱をたぎらせるユリア。だが、娘に政治に関わる事はさせたくないので、同意するように言葉を発しながらもシルフィアとの試合はと話題を転換させる。
ユリアもそれに気付きつつ、リカルドの本心の現れたその言葉に対して素直に首を縦に振った、その時だった。
「……!」
空気が変わったのを感じた。と同時に、周囲の雰囲気も変化したのを肌で感じ取った。
馴染み深い魔力の感覚。敵対するでも同調するでもなく。まるで森の真ん中に広がる湖のように静寂で壮大。魔力量の差ではなく、単純ながらも圧倒的な質の差。
振り返ったその先には。
「シルねぇ……っ」
次の対戦相手にして尊敬すべき姉、シルフィアがいた。距離にしておよそ百メートルほどあるが、それでもユリアの心は大きく揺さぶられた。
ユリアは魔力に対する感覚感知が、リカルドやシルフィアに比べて弱い。だがそれでも、くっきりとそこにいることが分かる程、シルフィアの魔力波動は猛々しいものだった。
魔力波動の強さは魔術師、ひいては魔術騎士としての強さを証明する。アランやリカルドのそれが何よりの証拠だ。
今のシルフィアの魔力波動は、間違いなく殺戮番号のものとほぼ同格だ。そう彷彿とさせるほど、その圧力は徐々にユリアの心に弱さを蔓延らせる。
こんな人を相手にするのか。勝つ見込みはやはり薄いのか。この実力差を無視して戦うことが、果たして今の自分に出来るのか。
大衆の集まる中。ユリアの心は、依然として落ち着きを取り戻す気配を見せなかった。
◆
第二騎士団としての任務があった故に、トーナメント表の開示時刻には遅れてしまったシルフィア。既に訓練場前には多くの観衆がごった返しており、三百メートル程度は離れた位置からしか確認する事は出来なかった。
だが、それ以上に気になったのは。
「なんか……すごい睨みを利かせた視線を感じるんだけど……」
右斜め前。そこから感じる害意では無く、殺意でも無い。ただ見つめているだけの鋭い視線を感じた。悪寒は受けないが、気が立って仕方がない。
「どうせ姉さんの魔力波動を感じ取ったユリアだろう?   気にするなよ」
そんな警戒心を剝き出すシルフィアの側で平然といるアランは、紙袋に入った細切り状のジャガイモを揚げた物を口に含みながら言った。
するとシルフィアは頬を引き攣りながら、
「いや、なんで睨む必要があるのよ……」
「多分、あれだろ」
指差したのは対戦表。そこには準決勝からシルフィアとユリアが激突するという事実が、大きく記されていた。
「あらら……」
「まあ、やっぱりか、って感じだよな」
ユリアに比べて二人はそれほど甘くない。六貴会が何らかの関与はしてくるだろうと踏んでいたし、ユリアと対戦する場合の方が考えられるとも予測していた。
だが、実際に見せられると何とも釈然としない気持ちが湧き上がり、苛立ちを含んだ表情がほんのりと表に現れる。
「おーい、姉さんや。魔力が漏れてますよー。抑えて抑えて」
「ううっ。無意識にやっちゃった……」
今二人の周囲には、魔力波動にそれほどの耐性の無い一般人も集まっている。彼らがシルフィアの波動を直に受けようものなら、少なからず何人かは意識を失い気絶していただろう。
しかし、咄嗟の機転でシルフィアと自分の周囲に簡素な保護結界魔術を展開したアランによって、その心配は無用になった。ナイスな反応である。
何度か呼吸を繰り返して波動を整えると、アランも結界魔術を解除。周囲を包んでいた半透明の膜が霧散して、いつものように眩しい陽光が二人を照らす。
落ち着いたシルフィアは、再度対戦表を見る。その対戦表を六貴会の事をよく知らない者が見れば、ただの対戦表。よく知る者が見れば、よく仕組まれた対戦表だと思うだろう。
だが、それ以上に知っている二人は、大衆の耳など気にする事なく推察を始めた。
「ねぇ、アラン。どの貴族あたりが関与していると思う?」
「んー……多分だけど、カルダシアかアーカディアじゃね?   あそこは妙にクソ親父に対する敵対心が強いからな」
「シーフォードやフェミングは?   ジャニールは元からそういう事に興味無さそうだから良いけど、両家とも野心家よ?」
「いや、シーフォードはむしろ賛成だろうさ。ヴィルガさんよりも、クソ親父の方が動かし易いと思っているはずだしな。フェミングはまあ……傍観者って立場じゃないか?」
「まったく……そんな情報はどこで手に入れているのやら……」
「企業秘密で」
分かってるわよと、シルフィアは真剣な表情で言い返すと、踵を返してその場を去ろうとする。アランも同行するか逡巡したが、ユリアのそばにはリカルドがいるので、シルフィアに付いて行くことにした。
横に並ぶアランに、シルフィアは端的に尋ねた。
「昼食は?」
「家で食った」
「なら紅茶?」
「良い店知ってる」
「よし、じゃあ行こうか」
二人はその場を足早に去って行った。
◆
やはりと言うべきか。今日がトーナメントの発表という事もあって、正午過ぎになると商業区の人口密集度は低減していた。
それと相まってアランがチョイスした喫茶店は、相変わらずどうやって見つけたのかと尋ねたくなるほどに隠れた場所にあり、店内に入った時点では老夫婦が一組。今は既に、彼らの姿すら無かった。
「アランから見て、勝率はどう?」
「どっちの」
「もちろん私よ」
注文を済ませた後に、そんな事を聞いてきたシルフィアに対し、そんな事を聞くなんて珍しいなと思いながら、しばらく考えるアラン。
「八割で姉さんの勝利。あとは偶発的なユリアの勝利ってところか」
「ユリアの実力じゃ勝てないっていうの?   アラン自身が直々に教えたのに?」
「まあ、仕方がないさ」
実のところ、アランは現状でのシルフィアの実力を詳しく知らない。分かるとするならば、こうして目の前で座っているシルフィアから感じ取れる魔力波動が、五年前とは比べものにならないほど強くなっている事だ。
それはユリアも同じだが、結果論として述べるならば、伸び代はシルフィアの方が大きい。しかも帝国騎士としての二年間は、ユリアとのさらなる力量差を生み出している事だろう。
それを理解した上で、アランは五分五分だろうと言えるほど、優しい人間ではない。その嘘はかえってユリアとシルフィア、二人共を傷つけてしまうからだ。
だがアランもそこで終わる訳ではない。
「でも、舐めない方が良いと思うぜ?   最近のユリアは何かを隠してる。多分だと思うが、姉さんと対等に戦うために何かしたんだろう」
「その何かって言うのは?」
「分からない。けど、実力を隠しているって事だけは確実だ」
「……ふーん」
アランにすら隠し通すユリアの奥の手。それが本当に、シルフィアの実力に届き得るならば、シルフィアにとってそれ以上の脅威はないだろう。
しかし、元からシルフィアは油断などしていない。ユリアが確実に脅威になる事は予測していたし、敵になれば厄介だという事も感じていた。
姉妹だからといって油断など毛頭無い。むしろ、姉妹だからこそ警戒すべき相手なのだ。
灯台下暗し。アランのことを、全くといっても良いほどに把握できないように、身近な相手ほどその真意は計り知れないのだ。
だから、シルフィアは笑みを浮かべて、
「そうこなくっちゃ」
意気揚々と言った。
そんな楽しそうな笑みを浮かべる義姉さん前に、アランは静かに「死なない程度で頼むよ」と、二人の無事を祈るのであった。
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