英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第18話「人類史上への挑戦」

……正座していた。


「何か、言う事は?」


「申し訳ありません」


敢えて二度言おう。アランは正座していた!


時刻は正午手前。珍しくも朝方から姿を見せないアランを不思議に思ったものの、主人であるセレナの制止の一言によって待っていたユーフォリア。


だが、実際に起きて来たアランを見たらどういう事か。


血に染まったベッドシーツを脇に抱えて、ワイシャツも同じように血に染めていた。通常ではあり得ない程の出血量にも関わらず、アランの顔はいたって平然としたものだった。


これを普通と考えられるほどユーフォリアの頭は異常ではない。


取り敢えず……レッツ尋問☆


という事で現在に至る。


相変わらず表情は読めないが、今回ばかりは怒っているんだなあ……とアランも察することはできた。


「理由は……教えてくれないのですか?」


「悪いけど、それだけは言えない」


「「…………」」


沈黙が広がった。遠方から喧騒が聞こえるが、二人の耳には届かなかった。それほどにその瞬間は緊迫した雰囲気だったのだろう。


ジッと互いの眼を見つめ合う二人。すると遂に諦めたのか、ユーフォリアが深く息を漏らした。


「……まあべつに、アランさんが何を隠しているのか、どうして隠しているのか。そこを問い詰めようとは思いません。それが、貴方を雇った際にリカルド騎士団長から提示された契約の一つですから」


「そ、そうっすか」


「ただし、それが原因で私達、つまりはお嬢様に迷惑をかけるのであれば、それがどのようなものだったとしても、私達は全力で突き詰める次第です」


「ーーーーーー」


嘘は言っていない、本気だと、琥珀色の双眸が静かに主張する。そしてその中には、薄っすらと殺気すら感じ取れた。


従者は主人に忠実たれ。
主人は従者に誠実たれ。


言葉とは裏腹に、それを成し遂げられる者は双方ともに数えられる程しか存在しない。従者は主人に少なからず嫌悪を抱くし、主人も従者に幾ばくの偽りを見せる。それが人として当たり前なのだから仕方がない。


だが、この主従は違う。セレナはユーフォリアに全幅の信頼を抱いており、ユーフォリアもセレナに絶対なる忠誠を誓っている。


きっとこの瞬間、セレナがユーフォリアに死ねと言えば、彼女は躊躇うことなく行動に移すだろう。


その忠誠は、まるで信仰のようだ。


「どうして……どうしてそこまで、セレナを信用出来るんだ?」


疑問ゆえに、尋ねてみた。


すると、ユーフォリアは間を置く事すらなく言った。


「先に言っておきましょう。私は、お嬢様を信頼しているのではありません。リエル様の御息女・・・・・・・だからこそ、信頼しているのです」


「つまり、リアが忠誠を誓ったのはーー」


「ええ、リエル様です。ここにいる従者の中で、セレナお嬢様に忠誠を誓ったのはヴィダンだけ。ですが、だからといって私達がお嬢様に反旗を翻す事は決して無い。これはリエル様との最初で最後の約束ですから」


「そう……か」


納得したような口振りだが、そうでもない。


セレナではなくリエルに忠誠を誓っている。それは単純に聞こえて、妙な違和感をアランに感じさせた。


旧皇帝時代まで遡って見ても、フローラという家名の貴族は存在しない。少しだけ外部からの逃亡者かもしれないとも考えたが、その当時の隣国との関係性から鑑みるに、絶対にあり得ない事を思い出す。


となると、リエル=フローラは帝国内の貴族であるはずなのだが、昨日も帝立図書館に入って調べたにも関わらず、その辺りの収集は何も無し。


帝立図書館には旧家も名家も、果てには没落貴族すらも事細かく記載された貴族大全が保管されている。その大全にすら載っていないとなると、彼女は無名、つまりは貴族でないとも考えられる。


はっきり言って、リエルは謎過ぎる人物だ。


ユーフォリアから聞き出そうにも、かなり口は硬そうだし、他の侍女に関しては視線を合わせすらしてくれない。地味に傷付くアランであった。


彼女を娶ったヴィルガ自身も、リエルに関してはそこまで詳しい事を知らない様子で、ではどうしてとアランが尋ねても黙秘を続けている。


リエル=フローラは何かある。それだけがアランの得た真実だ。


「とにかく、アランさんがお嬢様に言えない事を私達に言う必要はありませんが……可能な限りで構いません。お嬢様には必ずお伝えください」


「まあ、気が向いたらな」


「はい、それで構いません」


それでは失礼しますと、ユーフォリアは優雅にお辞儀をして、その場から去って行った。きっと今から、アランの汚したシーツを洗いに行くのだろう。


今この屋敷にいるのはアランとユーフォリアの二人だけ。ヴィダンは実家に帰郷しており、休暇をもらった侍女達は明後日に帰省する予定だ。


一方で、特に予定の無いアランは膝を上げると、頭を掻きながら窓の外を見た。都内は相変わらず賑わいを見せており、帝国が徐々に危機へと瀕している事に、誰も気付いていない。


無論、それはアランもだが。


活気に満ち溢れた商業区に気圧されて、どうしようかと逡巡するアラン。普段ならば何気なく商業区に立ち寄っては、武具や発掘品といった物を物色するのだが、気分的にもお財布的にも行こうとは思えない。


かといって、騎士団の宿舎や皇帝城に行こうものならば、否が応でも仕事を押し付けられる。それだけは絶対に避けたい。


この時期の仕事といえば、長時間低賃金か超高難度の討伐依頼しかない。当然アランは殺戮番号シリアルコードなので、不可能にほぼ近い討伐依頼を請け負う羽目になる。


真竜に成りかけの竜種を屠って来いとか、『屍喰らい』と呼ばれる巨大熊の単騎討伐とか。


はっきり言おう、命が惜しい。


というわけで商業区、宿舎、皇帝城は却下。そうなると、居住区と工業区、もしくは学院が選択肢になるのだが……。


「……まあ、そこは気分で良いか」


取り敢えずは保留だ。今はこの汗と血で汚れた身体を洗いたい。不意にそう思ったアランは、着替えを取りに行くべく食堂を後にした。


時刻は午前十時過ぎ。魔剣祭の決勝トーナメント発表まで、二時間を切っていた。









一流の剣士は対人戦の際、どこを見て戦うのか。


視線の動き、重心の変動、筋肉の流動、呼吸の強弱、魔力の密度。その答えはさまざまだ。


だが、あらゆる剣士に共通して近接戦闘に挙げられる理念が一つある。


斬られる前に斬り殺せ、だ。


攻撃が最大の防御と言うように、敵に反撃の隙すら与える事なく、連続して攻撃を叩き込む。そうする事で、勝利を掴みとる。


「だがまあ、当たり前な事にそれが一番難しい」


学院の訓練場に、真剣を持った二人がいた。


一人は第一騎士団、リカルド=グローバルト。持っている剣は安物なはずなのに、放たれる威圧感は魔剣にすら匹敵する。


もう一人は学院生、ユリア=グローバルト。アランから借り受けた剣を中段に構えながら、ジッとリカルドの動きを見据えて、攻撃の手段を模索していた。


「一流と一流がぶつかり合えば、そこにあるのは凡人には到底理解し得ない、超常的な戦闘の風景だ」


不可能は否定され、無茶難題を貫き通す。洗練された互いの一撃は、見る者の知覚領域すら通り越して、瞬時に背筋を凍てつかせる。


恐怖、畏怖。まさにそれだ。


「だが、二人の剣士に確かな差があれば、間違いなく弱者が負ける。これは運や偶然でひっくり返せるほど、生易しい現実じゃねぇからな」


その言葉はまるで、今の二人を指し示すようだった。圧倒的な強者であるリカルドと、娘でありながら弱者の立場に座らざるを得ないユリア。


無意識に剣の柄を握る力が強くなる。目線をひっきりなしに左右に動かし、持続し続ける集中力と代償に呼吸は次第に荒くなる。


互いに一合と剣は交えていない。だというのに、ユリアの疲弊は見る見るうちに濃さを増す。


「つまり、剣術は魔術よりも明確に実力差が現れる。お前は正直に言って、決勝に残った他三人よりも魔術に疎い。シルフィアと互角に渡り合えない以上、魔術は魔力の無駄遣いだと思っとけ」


では、どうやって戦うのか。


遠距離戦闘が不利ならば、もはや残された手段は一つしかない。


だからこそ、今こうして特訓すべくユリアは剣を握っているのだ。揺らぐ事なき『帝国最強』の名を冠するリカルドから、ほんの僅かでも何かを手にするために。


……焦らない。落ち着くのが肝心。


深く息を吸う。一時的に思考を切り離して視界を明瞭に。頭の中がすっきりしたせいか、重く感じていた剣に軽さが戻り、かちこちに固まっていた指先も意識できるようになった。


思考に十分な余裕が出来れば、次第に視線は鋭さを帯び、針のような敵意がリカルドの皮膚を刺激した。


だが、リカルドはそれに怯える仕草すら無く、むしろそれを嬉々として受け入れた。


「うっし。準備は出来たな?」


「いつでも」


生意気を、とは言わない。それが娘の精一杯の強がりだと知っているからだ。不敵な笑みを浮かべたリカルドは、先手を譲るように挑発した。


だが、ユリアも動じない。


挑発に乗るという事は、敵の策略に自らの意思で乗るという事だ。リカルドにそこまでの策略があるとは到底考え難いが、それでも警戒するに越した事はない。


互いに十秒ほど睨み合い、つむじ風が吹いた時。


「「ーーッッ!!」」


親子ゆえの偶然か。二人は同時に駆け出した。


訓練場の両端に砂埃が舞い上がり、それとほぼ同時に中央で金属音が反響する。反響音が合成を繰り返し、甲高い音に鼓膜が度々刺激される。


鍔迫り合いは互角。だが、リカルドは余裕を含んだ笑みをユリアに向かって浮かべ、精神的に挑発する。


「こ、のォ!」


怒りを口に漏らしながら、ユリアは器用に魔力の性質を変化。油でも塗られたかのように滑性を得た剣身は、摩擦を知らんと言わんばかりに迫合いから逃れる。


……単純な迫合いだけなら、確実に負ける。


男子と女子の筋肉量の差は言わずもがな。さらに言えば、未だに前線で戦い続けるリカルドにしてみれば、ユリアなど幾度と出会ったことのある雑魚であろう。


剣術だけでは、力任せでは勝てない。だが、魔術ならば勝算はさらに低い。なにせリカルドには、雷属性の魔術しか使えない事を代償とした無詠唱魔術があるのだ。


では、他に何が必要か。


答えは既に知っている、ーー戦術だ。


「ふッ!」


近接戦によって鍛え上げたユリアの脚力は、魔力による身体強化を組み合わせればリカルドのそれ以上。そこにさらなるアレンジを加える。


「ほぉ……音を消したな・・・・・・


隠密特有の足運びと、一定空間内における空気振動を減衰させる魔術を組み合わせ、ほぼ完璧に足音を消失させた。第三騎士団団長であるシェイド=カルツォの得意技の一つである。


視覚では追えず、聴覚は意味を成さない。嗅覚で反応しようにも、動き続ける敵をそれだけで追い続けるのは到底不可能だ。


しかし、それは一般論。


「それだけじゃあ、足りねぇな」


ユリアが対峙するのは、人智を踏み越えたような化け物だ。人間の理論が通じるような相手ではない。


動く魔力の鼓動を、気流の動きを、本能的に感じ取る。視覚でも聴覚でも嗅覚でも無い、人間が忘れ去った生物としての感覚だ。


ユリアから繰り出される幾多もの剣撃を、リカルドは見もせずに全て弾き、躱し、往なす。どういう理屈で可能としているのか、それをユリアは理解出来ないでいた。


けれども、諦めてはいなかった。


剣をひとたび交えるにつれ、攻撃を最適化せんと工夫を凝らす。僅か数十秒の間に、おびただしい数の試行が繰り返される。


しかし、相変わらずリカルドには一撃すら当てられない。だが、それで良い。ユリアはまだ途上にいる。ここが限界では無いのだ。


何度も、何度でも。失敗して挫折して、それでも前を向いて強くなるのだ。いずれ完成する唯一無二の宝玉となるために。


いずれこの国を、オルフェリア帝国を背負うに値する新たな英雄になるために。


そんなリカルドの想いなど露知らず。


「らァァァ!」


覇気を纏ったユリアの声が、会場全体を威圧する。鋭く重い剣撃が、リカルドの持つ安そうな剣に叩き込まれ、鈍い振動となって身を苛む。


しかし、リカルドは表情を一切崩す事なく、剣撃を受け流し続ける。防戦一方かと勘ぐったその瞬間、握りしめた左拳を打ち上げるように前方へと放った。


「がは……っ」


咄嗟に魔力で障壁を張ったものの、それすらを通り越して貫通する、リカルドの尋常では無い打撃力。


肺の中に残っていた空気を咳き込むように全て吐き漏らしながら、ユリアは三度の跳躍によって距離を取った。


腹部に残る鈍痛に歯を食い縛らせながら、次のために思考を回転させる。しかし、痛みに苛まれた状態での思案は、ユリアに勝算的な思考を与えない。


……勝てる気配が無い。


リカルドの実力は紛れも無い本物だ。こうやって手加減されていてもなお、ユリアは一撃すら加える事が出来ないのだから。


突如、ユリアの背筋に悪寒が走った。それが生物的な本能による恐怖だと理解するには、それほど時間を要さなかった。


これが初めてという訳でも無い。だが、この感覚は今までとは別格に何かが違う。そう感じれるほどに、感覚が傷跡のように残っている。


この屈辱を、この恐怖を、この劣等感を。いつまで味わい続ければ良いのだろうか?


果ての見えない結論は、ユリアに不安だけを残し、無駄な思考を植え付けた。


「おいおい、一旦休憩か?    仕方ねぇ……そんじゃあ、こっちから行ってやるーーよっ!」


「っ!?」


そんなユリアの気持ちなど露知らず。不敵な笑みを浮かべたリカルドは大地を踏みしめ、急激な速度を纏って駆けた。余波で大地が砕け、余りの速度に乱気流が発生する。


死んだと、直感的に予測した。


体勢も整っておらず、しかもこの一撃は間違いなくリカルドの中でも本気に部類する。ユリアが本気で防いでも、間違いなく致命傷となるだろう。


リカルドは手前で止まる素振りを見せない。どうやら本気で止めてみろと、物理的に言っているのだろう。無理に決まっている。


彼の一撃は真竜のそれに匹敵する破壊力だ。かつて戦場の最前線にて、アルダー帝国の誇る要塞門を一撃で崩したのも、他の誰でも無いリカルドなのだ。


覚悟を決めて全力防御の体勢に入ったユリア。しかし、そこで思わぬ横槍、もとい横蹴りが入った。


「殺す気か!」


「うぇぼしっ!?」


ユリアに衝突するかしないかくらいの所で、突如現れたアランの回し蹴りによって為す術なくリカルドは吹っ飛んだ。そしてそのまま壁にめり込む。


ピクリともしない。よし、くたばったか。思わず悪役上等な笑みを浮かべてしまうアランである。


「アルにぃ!」


「任せろ。死体は森に埋めて証拠隠滅だ」


「死んでねぇよ!?」


何という事でしょう。ほぼフルスピードで顔面から壁へと突っ込んだというのに、リカルド本人は全くの無傷です。


むしろ会場の方が大被害だ。これは今日中にでもグウェンに修復を依頼せねば。


……とりあえず、まあ。


「チッ」


「喧嘩売ってるんだな?   売ったんだよな?   よし、剣を抜け。ここがお前の墓場だ」


あわよくば変態性欲の権化を屠ることが出来れば良かったのにと、しかし残念なことに生存していたリカルドへ舌打ちを漏らす。


険悪な雰囲気が辺りを支配する!


だがしかし、そんな状況を誰よりも素早く破壊したのはリカルドだった。アランを一瞥すると、吐き捨てるように息を漏らし剣を鞘に収める。どうやらひとまずは安心できそうだ。


「で、何の用だ?   ここにいる事は、ミリアくらいしか知らねぇはずだが?」


偶々たまたまだ。なんとなく学院側に来てみたら、妙に訓練場の方向から身に覚えのある魔力を感じたもんでな。興味本位で見に来たんだよ」


こうなってるとは知らなかったけどな、とアランは付け加えるように言った。


リカルドは信じないかもしれないが、本当に偶然なのだ。風呂上がりのアランが偶然にも外を見ると学院が見えたものだから、なんとなく足を向けてみた。本当にその程度。


だが、愛する娘との時間を邪魔された事に憤慨しているリカルドは、それを偶然とは考えなかったようだ。隠す気の一切無い、猛烈な殺意を露わにしている。


面倒くさそうなので、アランは無視する事にした。触らぬ変態に事は無しだ。


「ユリアは怪我無いか?」


「うん、大丈夫。ありがとアルにぃ」


「どういたしましてだ」


問答で尋ねると同時に、自分の目でも確認したアラン。本当に異常無いことを確認すると安心したようにユリアの頭を優しく撫でる。だが、ユリアの心の内までは読み取れなかったようだ。


……蹴り一発かぁ。


先ほどのリカルドの攻撃を、蹴り一発で難なく防いだアラン。今のユリアでは到底出来ない芸当であると同時に、アランの技術の卓越さに思わず感嘆してしまう。


無論、リカルドの攻撃がユリアに向いていたからこそ、アランの攻撃が容易く当たったという事もあるだろう。だが、それを除いてもアランの一撃は楽観視できない。


鍛錬を重ねる事でアランに少しでも近づいたかと思えば、やはりまだまだ遠いらしい。剣術や魔術とは違う、もっと根本的な何かが足りないのだと改めて自覚したユリア。


しかし、ユリアの心には嫉妬や恐怖や劣等感というものは無く、そこにあったのは、


「やっぱりアルにぃだなぁ……」


愛する義兄への憧れと尊敬だった。

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