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英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第17話「どんな物語にも裏があるように」

当然の事ながら、帝都を囲む城壁の東西南北には関所が存在する。このあいだの騒動もあって、検問はかなり厳重だ。


特に南北からの来訪者の数は圧倒的で、日に百や二百は当たり前。それでも門番を任された第三騎士団のやる気は、途切れる事はない。


検問の甘さが原因で、帝都内に敵を送り込んでしまった。そのせいあってか、第三騎士団に対する疑惑の声が上がっている。


さらにはこの間のアルダー帝国侵攻の際にも、門番という大役を放棄して、戦闘の全てを第一騎士団に任せてしまった。


騎士団を三分立にしたのは、もともと強力な戦力として危険視されていたが故の対処だったのだが、ここにきて民衆からの期待度が第一騎士団へと偏り始める。


いずれこのままでは、帝国騎士としての発言力が弱まってしまう……。


故に、このままでは良くない。そう考えた第三騎士団の団員達は、その思いを胸に、今までとは比べ物にならないくらい、真剣に職務を全うしていた。


そんな中、南門側での出来事だった。


時刻は昼。雲一つない青空が大地を睥睨しているような、そんな頃の話だ。


「ーーーーよし、次!」


検問はいたってシンプル。訪問の目的を尋ねて虚言か否かを調べ、さらに積荷がある場合は探査型の魔術を用いて中身を調べる。そうして危険性が無いと判断された者のみが、帝都へと入ることを許されるのだ。


問答を担当する帝国騎士は、どの大門も高齢者。つまりは戦闘目的ではなく、経験によって培われてきた鋭い洞察眼を目当てとした配置だ。


この南大門も他同様に、地理に詳しい四十路の初老だ。戦闘能力は低いものの、真偽を見抜く鋭い洞察眼は未だ衰えを見せない。


そんな初老の門番に言われるがまま、次の訪問者達は帝国騎士の前へと進み出た。


「フェルダー=メルトクォリスと申します」


「フェルダー様の従者、ツウィーダです」


「……出身と訪問の目的を言え」


二人の身なりを見た瞬間、帝国騎士は疑念を抱いた。なにせ、何も持って・・・・・いなかった・・・・・のだ。


南側にある最も近辺の町までは、一般人の足で歩いて半日はかかる距離だ。しかも、道中で魔獣に襲われないとも限らない。


道中で魔獣に襲われて荷物を捨てて逃げてきた、という発言の可能性も考えたが、それならば多少なれど彼らの身に纏うベージュの外套に傷が無ければおかしい。


つまりは怪しいのだ。


一瞬の表情の動きすら見逃すまいと、目を見開く帝国騎士。だが、そんな事は知らないとでも言うように、フェルダーは微笑みながら言った。


「サロルからです。ここまでは馬車に乗って来ました」


「馬車だと?   だが、馬車など見当たらないが?」


「ええ、当然ですよ。なにせ私達が乗って来た馬車は、先ほどあなた方がここを通した馬車なのですから」


「…………」


サロルとは、西南西にある小さな村のことだ。以前、アラン達が向かった魔獣生息域の森林調査の際に、リリアナが防衛に向かった場所である。


サロルならば身体強化して走れば、二時間とせずに辿り着ける距離だ。確かめようとすれば、すぐにでも駐在している帝国騎士に訊ねられる。


だが、視線に泳ぎはなく、声帯からは緊張や焦りを感じない。取り繕った笑み、といった風にも感じない。どうやら、嘘を言っている様子は無さそうだ。


一応、他の帝国騎士にも視線を送り、大丈夫か否かを確認する。三人に視線を送ったが、三人とも首を縦に振った。


「そうか。なら、これが滞在許可証だ。無くした場合、帰省時に銀貨を三枚払う必要があるから、無くさないように」


「はい。分かりました」


安全だと判断した帝国騎士は、ベルトポーチに入っている許可証を一通取り出し、丸めて麻紐で結び、フェルダーに手渡した。


ほんの一瞬だけ傭兵か何かではないかと考えたが、肉体接触してもなお魔力を一切感じなかったので、無害であると即座に判断。


その後二人は何者にも止められる事なく、静かに南大門を歩き抜けるのであった。


それからしばらくして。


「……フェルダー様。本当に、良かったのでしょうか?」


懸念を覚えたのか、おずおずと大罪教『怠惰司教』であるツウィーダが尋ねた。その見た目は、年若い少女の姿だ。


「何が心配なんだい?」


しかし、フェルダーは何も心配要らないと言わんばかりの微笑みを浮かべながら、ツウィーダの方へと振り向いた。


「名前です。ああも大っぴらに名乗っては、さすがに我らと言えど、存在が明るみになってしまうのでは?」


ツウィーダの言い分はもっともだ。


大罪教『怠惰司教』ツウィーダ=キメラニス。
大罪教『大司教』フェルダー=メルトクォリス。


この名を耳にして、平然としていられる人間などいるはずもなく、恐怖は凄まじい早さで伝播する。


特にフェルダーは『大司教』、大罪教を管理する頂点の存在だ。そんな存在が態々わざわざ帝都内に現れたのだから、これを機に捕縛しようと帝国側が考えるのも当然。


だが、フェルダーは焦る素振りすら見せる事なく、むしろ微笑みを保ちながら優しく諭した。


「以前にも言ったけど、心配は無用さ。僕達と彼らは表と裏。互いに干渉しているようで、していない。常に交わる事のない平行線なのだからね」


「たとえ名乗ったところで無意味だと?」


「そう。彼らにとって僕達は、詰まる所他人でしかない。君は見ず知らずの相手に不信感を抱くかい?」


「少々は」


「そうか、君はそういう人間だったね。でも、普通の人間は抱かない。だって他人だもの。今後出会うことすら無いかもしれない相手に不信感を抱くなんて、無駄でしかない。そういうように、彼らは調整されている・・・・・・・のさ」


「調整、ですか……」


「君はまだ『彼』に成り立てだから嫌な風に聞こえるだろうけど、いずれ分かるさ。その調整のせいで、人間がどれほど狂わされているかをね」


さあ、行こうか。フェルダーは顔を暗くして逡巡する少女の手を引き、再び道を歩き始めた。


その不穏な足音が、帝都に歩み寄る。


それを感じ取った人物は、いったいどれだけいたのだろう。









とろけるほどの痛み。


蹲り、握りしめ、悶え、吐き、撒き散らす。


声無き声がその部屋に残響する。


死ぬか、死に損なうか。そんな瀬戸際の痛みが絶えず続き、次第に脳は正常という言葉を忘れて、放棄する。


まるで底無し沼に嵌ったように、足掻くことすら無意味になる。


そしてゆっくり、ゆっくりと。理性を喪失していったそれ・・は、人でも獣でも無い、ただの物へと成り果てる。


それには善悪も良否も無く、ただ視界に入った全てを壊し続ける。


生物本来の姿でありながら、同時に圧倒的な暴力の存在。羨望と畏怖の象徴。破壊の権化。


「…………っぁ」


薄暗がりな部屋のベッド。


そこには胸の辺りを抑えて苦しむ青年の姿があった。


常に新品のように綺麗なベッドシーツには、真っ赤な血溜まりがいくつもできており、そしてまた、新たな鮮血が飛び散った。


「はぁ……はぁ……周期が、縮まってるのか?」


半年に一度、青年にはこうして苦しむ習慣があった。既に原因は分かっている。


だが、青年はこれを拒まなかった。


愛する人を守れなかった戒めとして。
愛する人を自ら殺めた戒めとして。


犯した罪を忘れないために、青年はこの痛みを受け入れた。否、受け入れざるを得なかった。


これは病気などでは無い。ましてや、呪術といった部類でも無く、解除の魔術を使ったところでこの痛みは何も変わらない。


「あが……ぁっ」


再び訪れる。真剣によって心臓を貫かれるような、何もかもを投げ出して、いっそのこと死んでしまいたいと切望するような、そんな痛みが訪れる。


自分が底無し沼に嵌っているなどと勘付く訳もなく、青年の精神からは徐々に痛みに対する理性が喪失されていく。


希望などは抱かない。
可能性などは信じない。
幸福などは望まない。


ゆっくりと、ゆっくりと。青年は人間性を捨てていく。


「あ……かね……っ」


それでもまだ、愛する人は忘れない。
死んでも決して忘れない。これは意地だ。


零れ落ちそうになる最後の理性を握り締めるように、鮮血に染まったシーツを掴みながら、青年は、アラン=フロラストは。その激しい痛みに歯を食い縛る。


苦悶の声は、夜明けまで続いた。









きっかけは、ほんの些細なことだった。


目が覚めた少女は夜風にあたろうと、荘厳な作りのベッドから腰を上げ、一歩を踏み出そうとした。


その時だった。まるで断末魔のような苦悶の声が、どこからか聞こえた。それが彼女のいる屋敷内だと分かるには、それほど時間は要さなかった。


あかりを手に、少女は声のする方向へと足を進めた。無論、恐怖はあったが、それ以上に少女は緊張感を抱いていた。


少女の暮らす屋敷には現在、男性は二人しかいない。そして片方は老人だけあって、今も聞こえる苦悶の声は、もう一人の二十歳の青年だとすぐに把握した。


最初はただ、悪夢にうなされているだけだと思っていた。だが、どうやら違うと感じた少女は、手を掛けていたドアノブから手を離し、その扉に背を預けた。


病魔に苦しむような声ばかりが聞こえた。水が散り撒かれるような音と共に、青年が咳き込む音が少女の鼓膜を震わせる。


扉の僅かな隙間から血の臭いがした瞬間、少女はその異常さに歯を食い縛った。


吐血して、ベッドの上で苦しみに悶えているというのに、青年は助けを呼ばない。それはまるで、助けを求めていないかのようにも感じられた。


故に、少女はただ静かに待つことにした。


青年が求めないのならば、そこに少女が助けに入るのは無粋というもの。お人好しに助けたとしても、それは決して青年のためにはならない。


だが、その真実を知っていながらも動くことが出来ないというのが、これほどにも辛いことだとは知らなかった。


青年同様に少女も胸倉を掴み、苦しみに悶えるように歯を食い縛る。代弁するかのような小さな悲鳴が、少女の脳内で反響する。


最初から青年は、謎多き存在だった。


若干二十歳で皇帝の懐刀ともいうべき殺戮番号シリアルナンバーの一端を担い、世に知られていない魔術の知識や魔導技術を持っている。さらには、アステアルタ魔術大戦においての影の英雄。


これほどの存在でありながら六貴会ヘキサゴンですら認知しておらず、また同年代の帝国騎士も、彼がそのような大それた存在だとは知らない者の方が多い。


完璧な情報統制。それを為せるのは、この国の頂点たる皇帝にしか不可能だ。


皇帝がそこまでして隠したい存在。どうしてかは少女は知らない。だが、何かあることは既に間違いなかった。


「…………っ」


考えが甘かった。


青年を知るという事は、青年が味わってきた「地獄の三年間」を理解するという事だ。


だが、そんなことを果たして齢にして十六の少女が成し遂げられるのだろうか。否、不可能と言っても良いほどに出来はしない。


自分の歳の頃には、既に戦場に立つことが当然となっていた青年。自分が強くなれば、青年の苦悩を理解してあげることが出来るなどと、甘い理想を抱いていた自分が愚かしい。


青年と少女の間には隔絶した力の差がある。今はまだ順調に成長していたとしても、いつかはそうならない時がやって来る。


いったい青年に追い付くには、どれだけの年月を要するのだろうか。一年?   二年?   いいや、そんな単純な数字では無い事だけは確実だ。


遠い、遥かに遠い存在。


どれだけ必死に追いかけても、一向に変わる事の無い。もはや敬拝の域にすら達する青年の後ろ姿。


青年のいる高みだけを見続けていた。
足元など見る事すらしなかった。
そこに隠れた地獄を知りもしなかった。


……私は、駄目だなぁ。


真実に打ち拉がれた少女は、無理やりに微笑みながら踵を返し、もといた自室へと帰っていった。


足取りが重い。きっと、心が重いからだ。


自分の事だけで手一杯で。他の誰かが必死に足掻いている事すら知らないで。青年よりも自分の方がずっと大変だと勘違いして。


少女は、セレナ=フローラ・オーディオルムは。


ただ、溢れそうになる罪悪感と悲しみを目尻に浮かべ、静かにベッドの上で嗚咽するのであった。

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