英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第16話「表裏は互いに不干渉」

昼食を食べ終え。ユリアとアランは、屋敷の庭で剣を交える事にした。当然ながら、木剣で。


「はァァァ!」
「いよっと」


ユリアの鋭い振り下ろしをアランは余裕綽々と受け止めて、絶妙な魔力を宿した木剣で弾き返す。乾いた音が虚空に残響した。


ユリアの一撃は、間違いなく学院生として上位に位置するほどの強力な攻撃だ。だが、そんな攻撃も竜種に比べればまだまだ弱い。そんなことを思いながら、アランは簡単に捌く。


いつも振るっている剣よりも軽いせいか、感覚の変調に最初は戸惑っていたユリアだが、徐々に速度を上げ始め、風切り音が心地の良い音色のように奏でられた。


ーーーーだが。


「アルにぃ……うでっ、おもいっ」


「腕に疲労が溜まってんだな。しゃあない、じゃあ休むか」


剣戟を始めてから既に三十分が経過していた。常に全開で剣を振り続けていたユリアの腕は、おそらく限界間近だろう。


とりあえず休憩をしようと、アランは木剣を下ろして敵意を解除する。押し潰されるような感覚が失せたのを感じ取ったユリアも同様に、木剣を下ろした。


「はい、お疲れ様」


すると、タオルを持ってミリアがやって来た。どうやら二人の剣戟を側で眺めていたらしい。その顔には驚愕や驚嘆といったものはなく、むしろ平然としている。


それもそのはず。ミリアは今では主婦だが、かつては帝国騎士を目指して奮闘した学院生。しかも、その実力は未だにユリアを上回る。


タオルを受け取りながら、アランは尋ねた。


義母かあさんから見て、どう見えた?」


「そうねぇ……足腰がまだなってないのと、少し力任せに見えたかしら。まあ、身体はまだ年相応なのだから、無茶はしないことね」


やはり母親なだけあって子供を見る目は凄まじい。的確と言うべき指摘をされたユリアは、眉を八の字に歪ませて意気消沈したような顔を見せた。


「近接重視の戦闘ってなると、やっぱし足腰はどうにかしたいなぁ。ランニング……は毎日しているんだっけか?」


「うん。あと、素振りも」


それはアランが高等部に飛び級して進学すること前のこと。日々の日課として、ランニングと素振りを自身に課していたアランを見ていたユリアは、それに倣って彼女も同様な鍛錬を積んでいるのだ。


彼女は血筋による才能だけに頼らない。きちんと努力を重ねて目的にまで到達する信念と意欲がある。


……こういう所は、シルフィア姉さんに似てないんだがなぁ。


対するシルフィアは、そもそもが才能の権化だった。習ったことは大抵その日の内に出来るようになっていたし、魔術的知識においては既にシルフィアの方がアランを上回る。


顕現武装フェルサ・アルマ】があるからこそ、今も実力的にはアランの方が上手だが、使用禁止の状態で真っ向勝負ならば九分九厘で負けるだろう。


まあ、そんな事はおいておき。


「問題は二人。ゼリアとキャロンがどう闘うか、だな……」


ゼリアは言わずもがなカルダシア家の次男坊、ゼリア=ダー・カルダシアである。とにかく近接戦闘を得意とし、同年代ではシルフィアと肩を並べる実力者だ。


そしてキャロン、キャロン=スウェントは第一騎士団所属の細剣レイピア使いで、安定した魔力供給による速度重視型の剣士である。


ポイントはとにかく速いこと。確かにアランの《雷霆の戦鎧トーラ・シャクラ》や、セレナの《血華の炎巫女フレイア・ティターニア》と比較すれば遅い。だが、ジェノラフと共に前線で戦ってきた彼は、第一騎士団の中でもかなりの俊足だ。


剣捌きもなかなかに上手く、死角から放たれる鋭い刺突は一瞬でも油断すれば回避は不可能。リカルドやジェノラフあたりなら、目で動きを追いながら余裕に回避するが……まあ、あの化け物は無視しよう。


とにかく、準決勝へと駒を進めた四人のうち、三人が近接戦闘を得意とする選手だ。多くの観衆も、当日には近接戦闘になることを感じ取っていることだろう。


剣士型が三人。歴史的にも稀にしか見ない異常事態に、観客の熱気はいつにも増して熱々しく、商業区の隠れた場所では賭け事も開かれているらしい。違法なので即刻逮捕。


だがそうなると、さらに厄介なのはシルフィアだ。


シルフィアの戦術はオールラウンド。特に遠距離からの精密な魔術攻撃は、殺戮番号シリアルナンバーの中でも魔術師として名の知れたリリアナですら舌を巻くほどだ。


会場は半径五十メートル。最大でも百メートルしかない会場での戦闘では、長い詠唱を必要とする魔術は迂闊に使えない。一見すればそうも見える。


だが、シルフィアは安定した魔力操作能力を持っており、戦闘を続けながらも詠唱が可能だ。もはや彼女が戦闘中に魔術を使わない事は確実にない。


……ユリアも同じ事が出来れば良いんだが……まあ、無理だろうな。


詠唱しながら戦闘する。言葉で語るのはいとも容易いが、しかしこれがそう簡単なことではない。


刺激に対して人が無意識に力を込めるように、走りながら詠唱を行うとどうしても手のひらではなく、脚部に魔力が偏ってしまう。戦闘状態なら尚更だ。


詠唱しながら戦闘する技術は奥が深く、最短でも二年は要するハードレッスン。さすがのアランでも三日ではどうしようもなかった。


ーーーーと、いうわけで。


「出来ない事は無視して。出来る事で作戦を立てよう」


持ち得ない手段カードはあっさりと捨て、手札のみで勝利に最も近い作戦を立案する。無論、それが実行可能か否かはユリアに委ねる。


昔からそうしてきたアランにとって、その行為はとても単純で平凡で味気のないものだ。


だが、それで良い。自分を見つめ直す事も出来ない人間が他人に勝とうなどと、片腹が痛い話だ。自分の弱さを見れない人間が他人の弱さなど知れるはずが無い。


強さも弱さも舐め尽くしたアランにとって、他人の強さを測ることはとてもありふれたものだ。おそらくアラン以上に他者を見る目に精通した者は、誰一人としていないだろう。


きっと、それを分かっていたから、リカルドもセレナの元にアランを向かわせたのだ。


結果としてセレナは負けてしまったが、得るものは確かにあった。来年からはよりいっそうのこと、ユリアの強力なライバルとなっているだろう。


義兄としては、期待半分、懸念半分といったところか。ユリアには頑張って欲しいものだ。


「……ふぅ」


色々と考え終えたところで。


さあ、それでは始めようか。深呼吸をして意識を整え、アランの思考に回転がかかろうとした。


しかし、その時だった。


「アーラーンさまーッ!!」


声がした。振り返った。顔面に何か柔らかいものが飛来した!   そのまま勢いに身を任せて芝生に倒れる。


十秒か、一秒か。もしかしたらもっと短い時間だったかもしれない。だがそれでも、アランの精神は異常事態を発令した。


ふわりと上がった色素の薄い金色の長髪から香るほのかな柑橘系の匂いに、アランは覚えがあった。というか、忘れるはずがなかった。


「エルシェナ!?」


「来てしまいました!」


「しまいましたって、お前……」


久しく会えなかった分を埋めるように、エルシェナはアランに首に腕を回し、その身を摺り寄せる。まるで甘える仔猫のようだ。


一国の姫ともあろう存在が、かなり人目には付かないとはいえ一介の帝国騎士に抱き着くなどもってのほか。


それでもエルシェナは気にしない。愛するアランに猛アピールだ!   うりうり、スキンシップ!


アランの精神が不安定に揺れる!


情欲が煮え滾る!   爆発まであと僅か!


だがしかし、ユリアがそれを差し止めた。


「離れてエルシェナ。アルにぃが苦しそう」


引っ剥がすようにエルシェナの肩に触れ、注意するユリア。だが、アランは見逃さなかった。途轍もなく羨ましそうにエルシェナを見つめていた事に。


「はぁ、仕方がありませんね。未来の義妹のお願いですし、今は我慢するとしましょう」


「それは無い。アルにぃは私がもらう」


「「ふふふふふ」」


笑っていない。その目は絶対に笑っている時に使う目じゃあ無い。


「と、ところでエルシェナ。今日はどうしたんだ?   用事があるなら、前もって連絡をしろってこの前に……」


そう、彼女は他国の姫君であり、それなりの発言力を持つ人物でもある。そんな彼女が事前に呼びかけも無しに、こうして訪ねてくるのはアランとしても避けたい。色々な意味で。


というわけで何かしら用事のある際には、念話型魔道具、魔接機リンカーを用いて連絡をするようにと伝えておいたはずなのだ。


しかし彼女は微笑みを浮かべながら、


「いえ、特に用事は御座いませんよ?   ただ、ヴィルガ陛下にアラン様に会いたいと仰った際、特別に今日一日を余暇にしてくれたのです」


「…………へぇ」


この時アランは心に決めた。今度ヴィルガの書斎に行った時は、コーヒーでも淹れてやろうと。彼は苦い物が大の苦手で、特にブラックコーヒーは白目を剥いて倒れるほどに苦手なのだ。


皇帝陛下?   仕事が山積み?   そんな事は知ったこっちゃ無い。やられたからにはやり返す。それがアランのポリシーだ!


「そんで……護衛は?」


「アラン様がいるではありませんか!」


「うわぁ……責任重大じゃねぇか」


一国の姫君なのだから護衛がいて当たり前。そう思い周囲を見渡したものの、近辺どころか監視役の一人すらいない。


もしも襲われでもしたらどうしたのか。そんなアランの懸念を無視するかのように、エルシェナの期待は絶大だ。


どうやらここまでの道中は馬車で来たらしく、屋敷の前に停車してあった。さすがに人目につける訳にいかないのは、ヴィルガも重々承知らしい。


とはいえ、護衛の一人すら付けずにここまで連れて来るとか馬鹿なんですか?   ついこの前、大罪教に狙われたばかりなんですよ?


「あ、そういえば。これをリカルド様から預かっていたのでした」


「……手紙?」


そろそろ怒りが限界にまで達しそうなアランに手に、エルシェナから一通の手紙を渡された。ご丁寧に宛先には『アランへ』と殴り書きで記されていた。


とりあえず、怒りを鎮めたアランは封を切って中身を取り出した。中身は一枚のカードが入っており、


『あとは任せたぜッ☆』


という走り書きが添えられていた。ひっくり返して裏側を見てみたりしたが、その他には何も書き記されていない。


任せたって、誰を?   無論、この現状から察するにエルシェナだろう。


なんで?   どうして?   何故に自分?


とりあえず、文面から分かった事が一つ。


責任放棄。ついでに譲渡。


「泣きたくなるなぁ……っ」


目尻が熱い。日差しが眩しい。悲しい思いにもかかわらず、空はいつものように美しいほど青かった。









エルシェナがアランの元へと向かい始めた頃。皇帝城のとある執務室では。


「……さて、これで彼女の世話役はあいつに任せたとして」


「こっちも仕事を終わらせるとするか」


深緑の麻服に身を包んだ第一騎士団団長ーーリカルドと、同じく灰色の麻服を身に纏ったオルフェリア帝国皇帝ーーヴィルガが、山のように積まれた書類を視界の端にして、対峙するようにソファへと腰をかけていた。


積まれた書類は全て、この魔剣祭レーヴァティンの期間中に起きた事故騒動の数々だ。一見すればそれなりの数に見えるが、


「例年よりも少ないな」


去年はこの五割り増しほどあった。そう考えると、帝国騎士の頑張りが功を成したと思いたいのだが、そうはうまくいかない。


アランが帝都に帰還して以来、予期せぬ事件が立て続けに起きた。今回もその可能性が無きにしも非ずと考えたヴィルガは、帝都に待機していた第三騎士団の帝国騎士を西以外の三方の要塞都市へと派遣。


現状で帝都に滞在している第三騎士団は、去年と比べて六割程度しか存在しない。その埋め合わせは、残りの第一・第二騎士団に委ねられている始末だ。


「去年よりもフィニアからの来訪者が少ない事は分かっているが……それでも、この書類の激減には作為的なものを感じるな」


フィニア帝国は現在、国が総力を挙げて首都を再建している最中だ。そのため市民の多くも祭り事に感けている余裕が少ない。


また、大罪教が通行路の近辺にある森林に住み着いている恐れがあると知り、商人の気配も遠退いている。


そこから推測するに、事故騒動の件数の激減の一端にはそういった理由もあるのだろう。だが、それでもまだ足りない。


「数にして二十件程度。原因が不確かな騒動が起きている。……リカルド、何か感じないか?」


とりあえず、大まかに分類した中でも気掛かりとなる束を取り出し、手元に広げる。内容は放火や物盗りといった事案が多く、だがその経緯が不明なものばかり。


聞き込みをしても、その成果は全く無かった。まさに奇っ怪な事件というわけだ。


そんな事件に関して、机を挟んで向かいに座る帝国歴代最強の剣士に尋ねる。すると、リカルドは顎に指を添えながら言った。


「分からん」


「よし、お前に頼った俺が愚かだった帰れ」


即答なリカルドに、思わず眉間に皺を寄せて嘆息を漏らすヴィルガ。そんなヴィルガに反論するように、リカルドは言う。


「つーか、こういうのは俺じゃなくて、ケルティアの婆さんとか、アランの専門だろうが。なんで俺を呼んだんだよ?」


「おっといけない。本題を言う前に帰してしまうところだった。えーっと……報告書は……」


思い出したかのように唐突に腰を上げて、書斎机を物色し始めるヴィルガ。積み上げられていた他の書類が崩れ落ちても御構い無しだ。


一分ほどして見つけ出した三枚程度の短い書類をヴィルガはリカルドに投げ渡し、リカルドは黙ってそれを読み始めた。


読み始めにはこう書いてあった。


『大罪教幹部と思しき人物の発見について』


筆跡が歪んでいる所からして、かなりの恐怖体験でもしたに違いない。そこまでして調査に尽力した帝国騎士には、それなりの敬意を示さねば。


帝都から南東に二百キロメートルほど離れた位置にある、そこそこ大きな村に駐屯する帝国騎士からの報告書によると、今日から二週間前に近隣の森が荒らされた形跡を発見したようだ。


その森は『血に飢えブラッドファング』という魔獣が生息していることで有名で、毎週決まった日時に村の家畜を襲う事で知られていた。


だが、その日の昼頃に魔獣が姿を現す事はなく、怪訝に感じたので四人小隊を編成して森の調査を行なった。


そして、その森の中で見たのはーーーー


「『血に飢え』の全滅光景ってか」


「しかも一や二じゃない。およそ百匹の死骸が転がっていたそうだ」


「『血に飢え』って言や、あれだろう?   獲物に噛み付いて血を吸い取る、吸血型の下位魔獣」


蛭のような頭部に狼のような胴体。六本足で移動して、どんなに薄れた血の臭いですら嗅ぎつけるその有様は、まさに血に飢えた怪物だ。


彼らは常に集団で生活しており、討伐の際にはその頭数によって脅威が変動する。


今回の場合、『血に飢え』は百匹前後いたと考えられる。それはザクログモ一匹に相当する脅威とほぼ変わりない。


さらに調査を続けると、そこには一種類の足跡しか無く、その場にいたのが一人の大人である事が判明した。


「つまり……そいつが百匹の『血に飢え』を単独で屠った。そんな事ができるのは騎士団長や殺戮番号シリアルナンバー。もしくはーーーー」


「大罪教の幹部というわけだ。その日は騎士団長は全員帝都にいたし、殺戮番号も南東に向かったという報告は来ていない。そうなると、九分九厘で幹部だろうな」


まいったというヴィルガの疲れた顔に苦く微笑み、さらにリカルドは報告書を読み進めた。


死骸となった『血に飢え』を調べてみたところ、特に見当たった外傷は無く、まるで毒でも盛られたような死に方。しかも、百匹全てが同様な死に様なのだ。


一応、死骸を持ち帰って解剖してみたが、内部から毒物のような物は発見されず、これはますます怪しいと思い、今に至るそうだ。


「物理的で無いとするなら、やっぱ魔術的なのが怪しいだろうなぁ」


「同意見だ。だが、肝心の魔術を探ってみようにも俺はそのような物に覚えがない。無論、これはお前の娘であるシルフィアにも聴いた話だ」


「シルフィが知らんとなると、やっぱ大罪教絡みで正解だろうな……」


現存する魔術の総数はおよそ千二百。その過半数を熟知しているシルフィアにとって、その魔術に関しての知識が一切無いというのならば、それは紛う事なき固有魔術。


だが、そんな固有魔術だけで『血に飢え』が全て倒せるような猛者は、もはや大罪教に他ならないだろう。


「まいったなぁ……そいつが幹部なら、少しでも情報が欲しいところなんだが……」


「ああ。その証拠を残さずに敵を殺す事ができる魔術は、『兵士』だけで無く、『人間』にとって脅威だ。どうにかして探し出さなければ……」


二人して厳しい表情を浮かべ、腕を交差しながらソファに背を預ける。


大罪教に今さら倫理観があるとは思えない。そうなると彼らは雑草を踏み歩くように、人という存在を躊躇いの一つも無く殺し続けるだろう。


そのためには、固有魔術を解析するだけの情報が必要だ。毒をもって毒を制すと言うように、知らなければ何も対処は出来ないのだ。


こうして考え込む間にも、時は刻一刻と進んでいる。もしかしたら、どこかで誰かが殺されているかもしれない、というのに。


正直言って焦る。だが、それではいけない。心を落ち着け、静かに思案しろ。あらゆる原理に解答が存在するように、魔術にも必ず解答は存在する。


手始めに魔術学者たちにでも聴いてみるとしよう。ヴィルガはそう考えて、ソファから徐ろに腰を上げた。それに気付いたリカルドも後を追う。


だが、二人はまだ気付いていなかった。


その脅威が、既に帝都へと入り込んでいる事に。

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