英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第15話「おやすみ」

遠方から賑わいの喝采が聞こえる。こんな穏やかな朝方には、すこし煩いくらいだ。


時折に大空へと放たれる魔術は、何かのパフォーマンスだろうか。まるで芸術のようで、思わず目を奪われる。


香辛料の香りがする。どこか近くで売店でも開いているに違いない。あとで食べに行ってみようか。


「…………はぁ」


そんな色々な感情を、セレナは揺り椅子に背をかけながら心の中で思案する。手元には愛読本である『名無き勇者の物語』が置いてあるが、そんな物を読む気すら今は無かった。


「暇だなー……」


心情を声に出す。その声には昨日までの迫力は感じられず、なんとも弱々しいものだ。


ケディンとの一戦から翌日。見事ケディンから勝利を手にしたセレナは、医療班からの簡単な健康診断を済ませて、今後を左右するゼリアとクローラの試合を観戦しに行った。


帝国騎士どうしの戦いは胸を躍らせた。特にこの二人の戦いは緻密に計算された動きと、それを捩じ伏せる圧倒的な実力との衝突で、何度も固唾を飲んだ。


だが、八分ほどの末に、戦闘は決した。


言わずもがなゼリアの勝利だった。ゼリア自身もかなり疲弊はしていたものの、それでも地に伏せるクローラよりは毅然としていた。


結果として、セレナはこの瞬間に予選敗退となった。悔しげに顔を歪めて嗚咽を漏らしたのは、言うまでもない。


昨日のうちに後悔の念は吐き出したセレナは、やる事をなくして現在、暇を謳歌しているところだ。


執事のヴィダンは厨房で朝食時の食器を片付けており、侍女のユーフォリアは今晩の夕食の買い出しに行っている。残りの侍女達は休暇を与えられて、今は屋敷にいない。


そして肝心のアランもいない。つい先ほど家を出て、ユリアと待ち合わせをしているらしい。おそらく、明々後日から再開する魔剣祭で戦う相手の情報収集といったところか。


順当に準決勝戦へと進んだユリアとその姉のシルフィアは、明日の正午に会場の掲示板に貼り出される対戦表を見て、その明後日に戦う相手を確認する必要がある。


だが、三日という少ない時間を有効に活用するため、シルフィアを含んだ三名の情報を入手せんと、ユリアはアランと共に今日も張り切っているだろう。


朝食時にはアランも「とりあえず、今日は図書館だな」と言っていたのをセレナは覚えている。手伝おうと思えば行けなくもないがーーーー


「ユリア、絶対に気を使うわよね……」


ユリアはいたって純粋で天然という感じに見えるが、実は友人や家族のことになると、かなり鋭敏な感性を持っている。


中等部の頃、影でいじめを受けていたセレナの心情を、たったの数秒で把握したユリアは、その日のうちにいじめの代表者を見つけ出し、こてんぱんに打ちのめした。


それがきっかけでセレナを取り巻いていた、学院生達からのいじめは無くなった。まあ、今でも皮肉を言いに来ることは稀にあるが。


ユリア自身、大した事ではないと言ってはいるものの、その後の彼女の扱いが変わった事は目に見えてはっきりとしていた。未だに続くまるで猛獣のようなユリアの扱いに、セレナは心底後悔している。


あれ以来、ユリアに悟られないように努力をしているセレナ。だが、今回はあまりにも分かり切った事。ユリアが心配しないはずが無い。


「まあ、もう少しでリアも帰ってくるだろうし……待っていましょうか」


ふぅ、とため息を漏らしながらセレナは揺り椅子に背を預けて青空を見上げた。


そんな青空はいつもと変わらず、美しく壮大である。









帝立図書館。


オルフェリア帝国の帝都リーバスに設立された国内最大の図書館であり、臣民にも気軽に利用できるように配慮された、なかなかに柔和な雰囲気を感じさせる巨大な書庫だ。


館内は三つの区域に分断される。


全体の七割を占める『一般区域』。
帝国騎士のみが入室を許可される『騎士区域』。
そして禁書を保管している『禁書区域』。


臣民が許可されているのは一般区域のみ。だが、それでも豊富な本が数々保管されており、ここを利用するためだけにフィニア帝国から訪ねて来る者もいるほどだ。


騎士区域は過去の帝国騎士の活動記録を保管している場所である。かつての英雄や、果てにはマイナーな帝国騎士まで。ほぼ完璧に記録された情報に狂いは無く、違反を犯した帝国騎士などを裁くためにも用いられる。


禁書区域に関しては、ほとんどが第一神聖語で記された著書であり、未だ解読出来ていない古代の文明や神代の魔術について、多くが記されている。


そのため、この区域に入室するためには帝国上層部であると同時に、第一神聖語を解読できる者の証として『専門証明書ライセンス』を所持していなければならない。


生半可な努力では手にする事が出来ない専門証明書。それを持っているアランは、いつでも入室を可能とされているが……


「まあ、今日はここじゃないからな」


と、牢獄のような鉄格子の向こう側に見える未知が秘められた本の数々を目の当たりにして、爛々と目を輝かせるユリアを宥めるように、アランは言った。


帝国騎士の同伴の上ならば、騎士区域への入室が許可される事を知っていたアランは、それなりに見知っていた監視員の老人に会釈をして、ユリアと共に騎士区域へと入室。


そして、情報収集として過去の記録を漁る現在に至る。


準決勝へと進んだのはユリアを含めて四人。そのほとんどが帝国騎士となって日は浅いものの、実力者であるがゆえに記録に残っている事は確かだろう。


とはいえ、そのうちの一人は既に調べる必要が無いまでに知っているのだが。


「ユリアー。ちょっとだけ休憩でもするかー?」


「んー……そうする」


丁度良く記録書を読み終えたユリアが、パタンと本を閉じる。その軽い風圧で埃が舞い上がるが、慣れてしまったのか今はもう気にする素振りすら見せない。


時刻は昼少し前といったところか。商業区からかなり離れているためか、喧騒はとても遠くから聞こえ、むしろ小鳥の囀りの方がよく聞こえる。


……さすがの俺も、ちょっと疲れたなぁ。


アランも資料を置き、凝り固まった肩や首をポキポキと鳴らしながら、ユリアの元へと近づく。


今のユリアは学院生という証明として、アルカドラ魔術学院の藍色を基調とした制服を着ている。その方が監視員に怪しまれないからだ。


だが、その見た目と仕草、さらには座り方が複合して、まるで図書館に現れた白銀の髪をした妖精のようだ。


ひとつの完成した絵画。しかし、どのような高名な画家ですら、この絵を描く事は出来ないだろうと確信していた。


木漏れ日が銀色の髪を照らし、ときおり口元に添える指先が、問答無用でアランの心を奮わせる。これらを全て、絵画なり彫刻なりで表現してみせるというのならば、よろこんで全財産を投じてみせよう。


義兄の愛は無限大だ!


「……アルにぃ?」


「図書館は最高だな……っ」


「うん?   そうだね?」


目元を押さえて天を仰ぐ義兄を見て、義妹はとても不思議そうに首を傾げながら見守るのであった。









とりあえず、歩いて商業区へと向かったユリアとアラン。


区域内に入るや否や、油の弾ける音とジューシーな肉の薫りを察知した二人は、匂いの元へとダッシュで直行。パンに細かく切られた鶏肉と、千切りキャベツを挟んだサンドイッチを買って食べていた。


齧り付くと同時に肉汁が弾け、採れたのように水々しいキャベツと混ざり合い、それを調和すべく程よく焼かれたパンが全体を包み込む。なんとも言えない旨さが口の中に広がる。


「俺はもうちょっと、辛いのが好きだなぁ」


「うん、私も同感」


だが、かなり味に肥えている二人は愚痴をこぼし食べ歩きながら、賑わう周囲を見渡していた。


時刻は正午前。この時間帯から商業区は更なる賑わいを見せ始め、人集りもよりいっそう激しくなる。朝方に帝都に辿り着いた旅商人も敷き布を広げるので、掘り出し物も多い。


無論、そういった物もこうして歩いている最中に何度も見かけたが、アランの物欲を刺激するような逸品には未だ出会わない。


……興味を惹く物はあるんだが、別になぁ。


ここ最近では必要な日用雑貨、帝国騎士としての魔道具、果てには服に至るまで。その全てを、セレナもとい彼女の侍女であるユーフォリアが準備してくれて、何かを買う必要もほとんど無くなっている。


まあ、その対価としてセレナの指南料の大半を、セレナに肩代わりしてもらった家屋損害の借金の大半に費やしているのだが。


何はともあれ、そこらへんの臣民に比べればポケットマネーに余裕があるアランだが、何が欲しいという訳でもなく。ただ呆然と陳列する商品を眺めていた。


「……そういや」


商品の中にあった本の束を眺めていると、ふとアランは少し前に旅商人から手渡された謎の書物を思い出した。


表紙に記された文字は第一神聖語にも関わらず解読出来なかったが、本を開いて中を読んでみれば、些細な違いはあれど、たしかにそれは『名無き勇者の物語』であった。


だが、問題はそこではない。一番気掛かりなのは、この本をアランに渡そうと考えた正体不明の人物だ。


存在不明。性別は?   人種は?   年齢は?   思想は?   身長は?   体重は?   何一つ分からなければ、推測の一つすら立てられない。


そんなわけで記憶の片隅に放って置いたのだが、今になって少しだけあの本に記された『名無き勇者の物語』に、妙な違和感を感じ取った。


第一神聖語で書かれているので、翻訳した全てが正しいとは言い難いが、それでもアランの翻訳精度は帝国騎士の中でも折り紙つきだ。そんなアランが翻訳の際に、数箇所だけ本来の意味とは異なる単語を見つけた。


翻訳の際には、誤字だろうと考えてそのまま普通に訳した。だが、もしもそれが本当は誤字では無かったとしたら?


「確か、勇者の性別に関して言ってたよな……もしもあれが『男』ではなく『女』だったとするなら……」


「……アルにぃ?」


ユリアに声に耳もくれず、ぶつぶつと呟きながら完璧に見えていたパズルを一旦崩し、再構築し始める。それが正しいのか正しくないのかはさておき。


「となると、勇者と敵対した魔王は男になるのか?   いやだが、眷属達が仕えていたのは女性だったはず……。『異性』もまた誤字か?   だが、あれは俺の持っている本にも間違いなく記されていたはずだ……。待て待て、もっと初歩的な事から考えろ。まさか眷属が仕えていたのは『魔王』の方じゃなくて、もしかしてーーーー」


「アルにぃ、前だよ」


「あ?   前って……ぇぶぉ!?」


前方への不注意。気付いた時には既に遅く、アランはそのまま前方に広がる壁に衝突した。奇妙な声を漏らしながら、二、三歩と後ずさる。


「いっつつ……なんでこんな所に壁が……」


ここら一帯の地図は既に把握しているアランは、この道にはしばらく突き当たるような壁がないことを知っていた。


疑問に思いながら顔を見上げる。するとそれは壁ではなく人であった。


その人物の体躯は二メートル近くにも及び、全身を赤い布で覆っている。詳細に顔は見えないが、縫い合わされた口元や何も感じさせない・・・・・・・・視線からして、相当な戦士だと見受けた。


「…………」


大男はアランをじっと見つめ、しばらくすると軽く会釈をしてそのまま去って行った。その後ろ姿はまるで、すぐにでもアランから離れなければならないと言わんばかりだ。


そして当人であるアランも、どうしたものか物静かにその背中を見つめていた。しかし、視線はやけに真剣で。


……既視感?   どうして懐かしいと感じたんだ?


記憶には覚えは無いのに、身体はたしかに覚えている。この絵画をどこかで見た覚えはあるのに、名前が出てこない。そんな感覚と少し似ている。


だが、既視感だけならばともかく。どうして自分はあの大男を懐かしいと感じたのだろうか。


あの男の風格からして、おそらく出会ったとしたならば戦場だろう。人種が分かればもう少し詳細な推理ができるが、今ではこれが限界だ。


「…………」


「アルにぃ。知り合いの人?」


「いや、そういう訳じゃ無いんだが……」


遠ざかる大男の背を呆然と見つめる義兄を疑問に思ったユリアは問いかけるが、アランはなんとも曖昧な答えを返す。


アランにしては珍しい。そう思ったユリアもまた、人集りから頭一つ出ている人物の後ろ姿を見つめ、疑念の眼差しを向ける。


……すごく、強い。


百メートルも離れた今ですら、ユリアが殺気を孕んだ眼差しを向けると同時に、大男は一瞬にしてユリアの懐へと潜り込んで、先手を仕掛けてくるに違いない。


おそらく、その時にユリアは反撃できない。もし反撃できるだけの余力があったとしても、反撃の隙など一瞬も与えてくれない。


これが圧倒的実力差なのかと、固唾を飲む。


帝都襲撃事件からしばらく。あの時よりも、さらに強くなったと自覚しているユリアだが、リカルドのような『真なる強者』の領域に立つ人々とは未だに距離が縮まった感覚を得ない。むしろ遠ざかった気さえする。


そして、あの大男もそこにいる。アランは気付いていないようだが、あからさまにアランを意識して離れたのだ。一触即発、このまま近くにいては危険だと察知したのか。


だからユリアも決断した。あの男にアランを近付けてはならないと。


「アルにぃ、行こ?」


「あ、ああ。そうだな……」


手を引いて、無理やりにでも連れて行く。そんなユリアの必死さを我知らず、アランはされるがままに商業区を再び歩き始めた。









ユリアとシルフィアの母親であり、リカルドの妻であるミリア=グローバルトは根っからの貴族である。


とはいえ、ミリアが学院生として勉学に励んでいた頃の実家は子爵家で、しかも統治する領土は少なく貧しい。貴族というよりは、村の代表者といった方が近かったかもしれない。


そんなミリアだが、その学院では成績優秀で眉目秀麗。人当たりも良くて、将来は帝国でも五指に入るほどの高名な賢人になるのではないかと有望視されていたほどだ。


だがその運命は、幸か不幸かリカルドとの出会いによって全て変わった。学院を卒業したミリアは家庭に入り、リカルドを支える良き妻となった。


四十路になった今でもその美しさは変わらず。屋敷に帰ると女神のような微笑みを浮かべながら、ミリアはそこにいた。


「あら、アラン!   お帰りなさい!」


「ただいま……で良いのかこの場合?」


久し振り(五ヶ月ほどだが)に会ったアランを歓迎するように、駆け寄って我が子を愛でるように頭を撫で始めるミリア。そんなミリアの態度にしどろもどろしつつ、アランは微苦笑を浮かべた。


鮮やかな赤銅色の長髪を後頭部でポニーテールに纏め、ユリアと同じ鮮血のような双眸はアランと目を合わせている。白いワンピースの上にベージュのエプロンを身に付けており、どうやら昼食の準備を終えた頃に帰ってこれたようだ。


「良いのよ。貴方だって私達の家族なんですから。今は一緒じゃなくとも、貴方が私達といた事は変えられない事実なのだしね」


ふふっと笑い、それじゃあ昼食にしましょうかと先陣を切ってダイニングへと向かって行った。


「お母さん、とっても楽しそう」


「そうか?   いつもあんな感じだろう?」


アランの覚えているミリアは、感情の裏表が無いくらいに笑い、喜び、怒り、悲しむ人だ。無論、裏表が完全に無いとは言わないが、それでも通常よりはそう感じる。


だが、ユリアはアランの顔を見ながら「ううん」と首を横に振った。


「いつものお母さんなら、ここまでお昼ご飯を作るのに張り切らない。この時間なら、まだ作ってる途中が当たり前」


「なるほど……今日は嬉しいから、いつもよりも早めに作り終えたってことか……」


「実質、アルにぃがこの屋敷いえに帰って来たのは五年振りだもん。自分の息子が久し振りに帰って来たら、私だって嬉しい」


すると、ふと何かを思い出したのか。タタタと駆けてアランの眼前にユリアは立つと、


「お帰り、アルにぃ」


笑顔で言った。長年、この言葉を言う機会を待ち続けていたのだろう。ユリアの言葉には、計り知れない威力があった。


そしてそれは、アランも同様だった。帰って来たという感覚。実際には、もう帝都に戻って来てから一ヶ月は経とうというのに、その言葉を一度として聞いてはいなかった。


だからなのか。全身を電流が走り回り、心臓の鼓動が一度だけ強さを増した。途端に目尻が熱くなり、なにかが押し上がってきた。


だが、抑えた。今この瞬間は、泣くことが正解では無いだろう。アランの理性がそう訴えて、仕方無しにとアランの涙は消失した。


そして、震える唇で二、三度呼吸をした。心を平静に保とうと試みて、目を瞑り、そして見開く。そこには次の言葉を待つユリアの姿があった。


だから、アランはクシャッとした笑顔で、こう応えた。ユリアのため、そして自分のために。


「ああ……ただいま」






その笑顔を裏側にある意味を、この時はまだ彼以外は誰も知らなかった。

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