英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第13話「決別の戦い」

魔剣祭三日目。通算して数えれば、今日で五日目なのだが。まあ、そのあたりはどうでも良い。


前回の試合で黒星を獲得してしまったセレナは、現在崖っぷちな状態だ。これ以上の敗北は許されず、かと言って勝ったとしても確実に準決勝に進出できるとは限らない。


現在セレナから白星を勝ち取ったカルダシア家の次男坊ーーゼリア=ダー・カルダシアは、二連勝を成し遂げている。今日の試合にも勝てば、三連勝で準決勝への進出は確実となるのだ。


その事を知ったのは、昨日のこと。ユリアと仲睦まじく剣を交えていた時のことだった。事のあらすじを優しく語ってくれたユリアはどこか心配そうで、そして哀愁を含んだ目をしていた。


そう、前回の試合とはそれほどに重要だったのだ。ただ負けたという事ではなく、たった一度の敗北で、結末が容易く見えてしまったのだ。


正直、動揺しない筈がなかった。


思考が加速し、不安要素ばかりが浮かび上がり、視界が色褪せ歪み、唐突に胃が空虚を伝達する。呼吸が荒くなり、全身に不可視の重圧が襲いかかり、思わず四つん這いになろうと思った。


だが、そこで止まった。
「思った」でとどまった。


昨日、散々に吐き出したあれは一体何なのか。屈辱を、悔恨を、恐怖を、泣いて吐き出したのではないのか。


ーー過去を悔やむな、とアラン声が聞こえた。


きっと、それは幻聴だろう。だが、現実に起こり得た事だ。突如として現れたアランとの記憶は、不安定だったセレナの心に平穏を与え、情緒に安らぎを与える。


深呼吸をした。荒くなっていた呼吸が正常さを取り戻し、揺らいでいた精神が安定を取り戻す。脳が酸素を受け取り、身体に襲いかかっていた重圧が消え失せる。ーーもう、大丈夫。


こうしてアランの知らぬ影で、大きな挫折を味わったセレナ。その後、アランの口からその事が出てこなかったのは、おそらく彼なりの配慮なのだろう。もしかしたら、ユーフォリアが口止めしていたのかもしれないが、どちらにせよ自分は恵まれている。


「ーーふふっ」


不意に、笑みが溢れた。


傍から見れば奇妙な行為にも見えただろう。だが、試合を前にしたセレナの周りには、指導者であるアランすらおらず、石壁の室内を照らすカンテラの炎が静かに揺らいでいるだけだ。


そう、本当に恵まれている。


アルダー帝国の三大英雄を、単騎にて屠ったとされる影の英雄ーー『英雄殺し』のアランに指導をしてもらい、全霊をもって尽くしてくれるユーフォリアを筆頭とした侍女がいて、ライバルでもあり親友でもあるユリアがいる。


過去から辿れば、それはすべて確率論だったのかもしれない。美化して例えるならば、奇跡、とでも言うべきだろうか。


誰にでも有り得るとは言い難い道筋を歩み。
誰にでも起こり得るとは言い難い出会いをし。
誰にでも出来ない経験をした。
今まで出会った誰よりも、魔術に詳しい人物に魔術を教えてもらい。
帝国騎士を目指す誰もがいつかは歩む道を、勝つために先に歩ませてくれた。


恵まれている。恵まれている自分を自覚している。恵まれていない他人を知覚している。恵まれたからこそ、自分はここまで辿り着いたのだ。


ならば、自分は全力を尽くさなければならない。感謝の意を示すために、うずくまることはならない。


勝利した自分に誇りを抱き、倒してきた戦友に敬意を抱く。そこには同情や嫌悪などの負の感情は必要ない。


ーー覚悟は出来たか。


ーー眼前は決戦の場だ。


ーー心の準備は良いか。


ーーさあ、前に進め。


試合、開始だ。









セレナが控え室で意気込む、少し前。


『さてさてぇ!   今回はとびっきりのゲストにご登場していただきましょう!   第一騎士団所属、生きる伝説として名高き六貴会ヘキサゴンが一端!   リカルド=グローバルト氏です!』


『どーも』


湧き上がる喝采。やはりリカルドの支持は、民衆を問わず絶対的のようだ。鼓膜を劈く爆音のような人々の声に、アランは身を竦ませながら両手で耳を押さえる。


時刻は午後。予定よりもやや遅れ気味だが、予定通りにセレナの試合が今始まろうとしている。


午前はユリアとシルフィアの試合を観戦したアラン。アランがいると知った二人の勢いは留まる所を知らず、怒涛の攻撃の末に両者とも準決勝へと切符を勝ち取った。


グローバルト姉妹、恐るべし。


そんな熱が冷める間も無く、今度は期待の新星として名を知らせ始めたセレナの試合だ。帝国騎士としては、臣民に適度な休憩を強要したいところである。


『さぁて、会場にいらしたほとんどの皆様がご存知の事だと思いますが、セレナ選手は現在一勝一敗と後に退けない状況。同じく対戦相手であるケディン帝国騎士も一勝一敗。この戦いが大きな節目となっている事は確実ではないでしょうかッ!!』


『いやぁ、俺の見た感じだとセレナ嬢ちゃんが圧しょーー痛ぁ!?』


『余計な事は言わなくて結構です』


拡声器の向こう側から、何やら鈍い音がした。恐らく拳骨でリカルドの後頭部でも殴ったのだろう。ナイスだ実況者と、心の内でサムズアップするアラン。


ここしばらくリカルドに会っていなかったアラン。アランと言う名の鎖が無くて、性欲の赴くままに暴れていなかっただろうかと、心配(主にリカルドの生命を)していたのだが、


「大丈夫。お母さんが家に閉じ込めてるから」


などと、家の事情を知らない人物が聞けば、背筋が凍てつくような事をさらりと言ってのけるユリア。それと同時に、帝国最強の魔術騎士を平然と屋敷内に封じ込めている、アランにとっても母親であるミリアにも、心の内で平伏するアランであった。


ちなみにユリアとシルフィアは、魔力の大幅消費と集中のし過ぎで疲れたという。しばらくは医務室で仮眠を取るそうだ。親友の応援をしたいとはいえ、身体を酷使して倒れてしまっては元も子もないので、アランが強要した。


『えー……さて、改めまして。現在A・Bブロックにて、準決勝戦への切符を手にしたシルフィア=グローバルト帝国騎士と、ユリア=グローバルト学院生は、セレナ学院生と家族ぐるみの仲であり、同時に因縁のライバル関係でもあります。天才肌のユリア学院生に対して、努力を積み上げ高みに達したシルフィア帝国騎士。そんな二人が先に進んだ今、セレナ学院生はどのような戦いを見せてくれるのでしょうか!?』


解説を行う実況ーーラパン=パルサーの、試合に向ける熱意がここにまで伝わってくる。だが、それ以上に感じたのは、選手控え室の奥にいるであろうセレナの強気な魔力圧だ。


負ける気がしないとでも言いたげなセレナの魔力は、魔力を感知できる者に少なからずの影響を与え、感知できない者には緊張からの圧迫や、過度な高揚による心拍数の上昇などに形を変えて発揮している。


その魔力は言わずもがな、ケディンの控え室にも届いており、これは言わば試合前の牽制といったものであろうか。


だが、ケディンの控え室からは何も返って来ず、ゾッとするほど静かな闇がアランの視界には映る。


しかし、アランには即座に分かった。その闇の奥にもまた、セレナにも劣らない鋭い剣気が漲っていることを。


「…………」


ケディンの控え室をじっと見つめるアラン。


実は一時間ほど前、突如アランの前にケディンが姿を現したのだ。何か用があるのだろうかと思っていたら、唐突に頭を下げた。


ーー先日は、大変勉強になる手合わせをしていただき、ありがとうございました。同年代を相手に、ただ純粋な剣技のみで敗北を味わったのは久しぶりで、あの敗北以来、自分で評価しては何ですが、厳しい特訓を重ね、さらに高みへと精進いたしました。今回はセレナ皇女殿下がお相手ですが、身分を忘れ、正々堂々と手合わせをさせていただきます。


それは先日の手合わせに関して負け惜しみを言っている訳でも無く、ましてや今日の試合にアランに向けて勝利宣言を唱えているという訳でも無い。


純粋に、そしてひた向きに。勝ちたいという信念と熱意を感じさせる強い眼差しをアランに向けていた。


傍から見れば、馬鹿正直だとか暑苦しい奴だとか思うかもしれないが、ナルシズムを抱いて惨敗するような阿呆を相手にするよりは、断然マシだと考えるアラン。


今回のケディンはあの時よりも手強いはずだ。意味の分からない手合わせとは異なり、これは自分の決意を試す戦いなのだから。剣は鋭さを増し、呼応するかのように軽くなる。


時に信念とは、個人の技量や身体能力にも劣らない絶対的な『力』へと変換される。剣なら鋭く、拳なら硬く。かの英雄リカルドが、自分に純粋であるように。


『それでは両者共にご登場していただきましょう!   ケディン=ペグメンソン帝国騎士と、セレナ=フローラ・オーディオルム学院生でーっす!』


再び湧き上がる喝采。不意に放たれる《五属の矢》は、熱狂的なファンによる追加効果だろうか。魔術を察知した巡回中の帝国騎士がその場へと向かった事からして、運営側のサービスでは無いことは確実だが。


なんにせよ、二人の登場は華々しいものとなった。歓声はさらに湧き上がり、アランの腹部を揺さぶるように会場全体を振動させる。


互いに歩み寄り、どちらが先とも言わずに手を出し握手を交わす。


「……ん?」


何やらケディンがセレナに向けて言ったようだが、この場で聴覚強化などしようものなら、鼓膜が破裂してショック死する恐れがある。


かといって読唇術が出来るほどアランの技術は無いので、訝しげに視線を向けるだけに終わった。


五秒ほどで会話を終えた二人はつま先を翻して五歩進み、再び翻して今度は剣を鞘から抜き放つ。それが合図と言わんばかりに会場全体が静まり返り、緊張感が空気に乗って伝播する。


顔色はいたって良好。


緊張を感じさせない表情。


剣を持つ手は震えを見せない。


最高のコンディションだ。


『それでは。試合ーーーー』


ラパンの声に便乗するように、二人が魔力を迸らせ、わずかに砂埃が舞い上がる。近くの誰かが固唾を飲んだ。呼吸の一つが鮮明に聞こえる。


そんな中でも、平然とした顔でセレナを見つめるアラン。だがそんな時、


「ーーーー?」


セレナと目が合った。それは時間にしてコンマ五秒にも満たない刹那だったが、その一瞬で二人の間には確かに届いた。


ーー勝つから。ちゃんと見てなさいよ?   と。


自信満々、勝率なんて五分五分。だというのに、セレナは微笑んで、アランに向かって勝利宣言を訴えた。


面白いじゃねぇかと、アランも不意に不敵な笑みを浮かべている。周囲の人々が訝しげな視線を向けるが、アランは気にもしない。


静寂によって空気が限界にまで張り詰められた。会場全体が不可視の重圧に襲われて、無性に胃がキリキリと痛む。静寂が苛立ちに変わろうとしたその瞬間、


『開始ですッ!!』


戦いのコールが響き渡った。









ラパンの合図が耳に届くや否や、二人はほぼ同時に前方へと駆け出した。セレナは下段からの切り上げ、ケディンは上段からの切り下ろしだ。


弾け散る火花。身の毛がよだつような金属音と共に、激しいせめぎ合いが繰り広げられる。


……アランとの訓練を思い出せ!


アランは言った。今の実力では、ケディンに力押しで勝てないと。だからこそ、この日のために磨き上げた技量がある。


アランと行った数百という剣戟の記憶の中から、適切な情報を引っ張り出して、その身に再現アウトプットする。


僅かに剣を傾けた。それだけなのに、競り合っていた剣身は力のベクトルを転換させ、激しく火花を散らしながら動き出す。


「……っ」


体勢が崩れる。そう悟ったケディンは押し込む力を止めて、後方へと二度の跳躍。距離を置いたものの、重心が不安定だったケディンは勢い余って膝をついた。


膝を折ったままのケディンの下に、セレナが剣を横薙ぎに振るい、ケディンも剣身で受け止める。高鳴る金属音に二人は顔を顰めながら、再び競り合いが始まる。


上から押し込むように剣を持つセレナは、押し込まれるように膝立ちするケディンよりも状況的に優勢だ。だが、単純な筋力の差があと一歩のところで状況を好転させてくれない。


「ぜァァァ!」


「ッ!?」


ギィィンという高音を発しながら、セレナの剣はその身諸共ケディンの筋力によって押し飛ばされた。ゆうに三メートルは空中に飛ばされたか。


安定しない軸をわずか二秒で取り戻したセレナは、着地時の衝撃に備えて脚部に魔力を集中させた。


「甘いッ!」


だが、そんなチャンスを逃すはずがない。ケディンはセレナが着地すると同時に剣を振り下ろし、会心の一撃を狙う。


全身への魔力強化が不十分だ。特に両腕への魔力が足りない。このままケディンの剣を受けてしまえば良くて麻痺、悪くて骨折だ。


受け切れるか。頭でそれだけを考えていた、そんな時だった。


ーーあからさまな攻撃は即座に回避!


アランの声が聞こえた。だが、切羽詰まっていたセレナはそんな事に構う暇もなく、声に従うように脚部への魔力をさらに強化。剣が完全に振り下ろされる前に、セレナは回避に成功した。


誰も前方から剣が振り下ろされているというのに、わざわざ攻撃を受けるように前方へと跳ぶような行為は考えられなかった。騒めく観衆、口を開けて閉じない帝国騎士達。


そんな中、アランだけが愉快そうに微笑んでいた。


ーー同時に相手の隙を突いて、一撃を叩き込め!


「ぜァァァっ!」


左足で地面を掴み、そのまま左足で地面を蹴る。抜刀術の応用で剣を構えたセレナは、反応が遅れているであろうケディンの背中目掛けて剣を薙いだ。


その剣速は今までの攻撃を凌駕し、フィィンと風鳴り音が超音波のように鼓膜を震わせた。確実に入ったと、セレナは確信した。


ーーギィィン!


「な……っ!?」


だが、その死角の一撃すらケディンは防いで見せた。どういう反射神経と動体視力を持っているのか、少し興味が湧いたセレナ。


次いで二度、三度と剣を叩き込むが、安定した防御力で全てを防ぐ。しかも背面のままだ。


これ以上は無駄だと悟ったセレナは、後方に跳躍して距離を置く。少し悔しそうに、それでもどこか楽しそうに歯を噛む。


「……驚きました。後ろではなく、敢えて前に跳ぶとは」


「まあ、ね。自分は凡人だとか言い張る、化け物級師匠の教えの賜物よ」


「ははは。まったく、違いない」


身を翻してこちらを見つめるケディンは、笑ったように言葉を発するが、実のところ、目は依然として変わらない。


勝機があるとか勝算を知っているとか、そういう理知的な眼力ではなく、ただ勝ちたい勝ってみせるという強い信念を感じた。


……でも。


そう、セレナ自身も負ける訳にはいかず、負けたくはない。


たとえ、この先へと進む可能性がほぼ皆無であったとしても。


たとえ、この日のために積み上げてきた努力が無駄になったとしても。


だからといって、捨てる事なんてセレナにはできない。無駄にする事なんてセレナはしたくない。


セレナの夢は、他者から見れば荒唐無稽で、高望みなのかもしれない。それでも、叶えたいのだから仕方がない。そう思ってしまったのだから、この衝動は止まる事を知らない。


互いに強い信念を抱き、それを為すべく剣を握る。少々の会話の後、不敵な笑みを互いにこぼし、切っ先を向けた。


「改めて。セレナ=フローラ・オーディオルム」


「帝国騎士、第三騎士団所属。ケディン=ペグメンソン」


「「貴方(貴女)を越えて、更なる高みへ」」


魔力が衝突し、砂風が吹き荒れる。なんとも絵になる光景に、いったい何人の観客が固唾を飲んだことか。


だが、第三者達がそんな風に見ていた事も気にする事なく、試合開始前と同様に、両者ほぼ同時に全身へと魔力を迸らせる。


そして、タンッという足音を奏でながら、学院生と帝国騎士が強い信念を胸にして、鋼の剣を交える。








激しい剣戟が、再度始まった。

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