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英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第11話「裏側の物語」

夜の帳が下りる頃、セレナの屋敷へと帰還したアランが真っ先に感じたのは、身の毛が立つほどの屋敷内の静寂だった。


それもそのはず。この屋敷の主人であるセレナが、魔剣祭にて敗北を得たのだ。それを知ってなお、侍女達が笑顔で仕事などしていられるはずがあるまい。


いつもならば、玄関を入ったすぐそこに待ち構えている執事長のヴィダンもおらず、気配の感じない所為か、僅かながらいつもよりも広間を広く感じてしまう。


「…………」


そんな沈黙の波に呑み込まれるように、アランも口を固く閉ざしながらダイニングへと向かい、そこに人がいない事を確認すると二階へと向かった。


相変わらず人気の少ない二階を一瞥し、唯一いることが確実であろうセレナの部屋へと足を進める。コツコツとブーツの音が屋敷内に響く中、アランはどんな言葉をかけようか考えた。


リカルドから魔接機リンカーを通じてセレナが試合に負けた事を知った途端、居ても立っても居られなくなったアランは、グウェンの制止すら聞かずに突っ走って帰ってきた。


だがそれは理性的な物では無く、なんともアランとしては珍しい直感的な行動。ゆえに、セレナに対してどんな反応をすれば良いかなど、微塵にも考えてはいなかった。


……こんな時に大人の対応なんて出来ねぇよ!


もとより精神年齢が十代半ば程度のアラン。人前では毅然とした態度で言動を露わにするが、それは人心掌握には態度で示せという第三騎士団団長であるシェイド=カルツォに教えられた真似事に過ぎない。


人生経験の密度で言えば、アランはとっくに大人であろうが、きちんとした段階を踏まなかった故、アランの精神は未だ二十歳にたどり着いていない。


何はともあれ、セレナが師事しているのはアランだ。セレナが負けて落ち込んでいるのならば、アランが何か言ってやらねばなるまい。


セレナの部屋の前に立つと一度だけ深呼吸をして落ち着き、無駄な思考を削ぎ落とす。


「……セレナ。入るぞ」


一応断りだけ入れておき、静かにドアを開ける。質素だが、名匠によって彩られた彫刻が目立つ扉は、音を立てる事なくゆっくりと開いた。


部屋内はカーテンが閉ざされておらず、遠方の商業区の喧騒を示す明かりがぼんやりと内部を照らし、さまざまな装飾品が乱反射を起こす。


白い光が淡く部屋中を照らす中、部屋の主人であるセレナはやはりと言うべきか、そこにいた。


荘厳な作りの椅子の上で足を抱えて身を丸くし、長く可憐な金色の髪はやさぐれたように乱れている。よく見るとその側にはユーフォリアが立っており、何を言う訳でもなく姿勢良く立ち尽くしていた。


アランは書斎机を挟んでセレナの前に立ち、すぅと息を吸うと、とても平然とした声音で言った。


「……負けたってな」


その言葉にセレナが少しだけ身を震わせた。気付かなければ分からない程度に小さな動作だったが、アランが見逃すはずもなかった。


「お前の実力なら勝てると思ったんだがな……」


頭を掻きながら深くため息を漏らす。


相手はゼリア=ダー・カルダシア。ご存知の通り六貴会ヘキサゴンの一端を担う貴族、カルダシア家の次男坊であり、第三騎士団の若きホープだ。


相伝によって洗練された武術と剣術によって、如何なる敵をも圧倒する戦術、通称『カルダシア戦法』。敵が魔術を得意としても、即座に詰め寄り相手を常に不利な状況で戦わせるこの戦術は、帝国騎士という概念が生まれてもなお、途絶える兆しはない。


だが、カルダシア家の長男と何度か実戦経験のあるアランは、既にカルダシア戦法の攻略法を知っていた。昨晩はそれをセレナに伝えたのだが……どうやら上手くいかなかったらしい。


すると。


「……失望した、でしょうね」


膝に顔を埋めたセレナがポツリと呟いた。いつもなら元気良くはきはきと聞こえるセレナの声が、今だけはとても弱々しい。


そしてアランがセレナの言葉に応じようとしたと同時に、再びセレナは話し始めた。


「叱りなさいよ。責めなさいよ。今日の試合に負けたのは、俺の所為じゃ無くてお前が原因だって言いなさいよ。……良いわよ、何言われてもそれが正しいもの。私が悪い、私が間違った、私がちゃんと考えていればーー」


自らを自らで責めるセレナはどこか卑屈で、そして弱気で。見ているだけでアランの心をざわめかせた。


「…………」


セレナがどういう経緯をもって、カルダシア家の次男坊に敗北を決したのかは分からない。大方剣による近接戦闘にもっていかれ、最終的に攻撃力もしくは技術力の差で負けた、というところだろう。


アランは最初からそうなる事を予測して、セレナにはあらかじめ剣術と魔術だけでなく、知術や詐術などの多彩な知識を蓄えさせた。その上でアランと実戦を行い、身体で学習し、知識ではなく経験として定着までさせた。


セレナはまだまだ本物の帝国騎士と比べて、魔術も剣術も経験として劣る。だからこそ、他の選択肢によって勝算を導き出せるように、アランは可能な限り手を差し伸べたのだ。


では今回何が足りなかったのか。セレナの練度?   ーー否、あれ以上努力をしたところで変化は差ほど無かっただろう。ましてや蓄積した疲労でぶっ倒れたかもしれない。


では一体何がーーーー。


そんなことを考える必要すらなく、答えは既にアランの中にあった。


「……セレナ。ちょっと顔上げろ」


「…………ぇ?」


アランの唐突な言葉に、思わず膝から顔を上げるセレナ。すると目の前には魔獣討伐の任務から帰ってきたばかりで、心身ともに疲弊しているであろうアランの姿が、月光と灯火によって映し出されていた。


少し伸びた夜空のような色の髪に、鉄を想起させる鈍色の双眸。以前よりは生気を取り戻したその目はじっとセレナを見つめ、視線を逸らす事を許してくれない。


そんなアランの顔がゆっくりと近づき、やがてセレナの顔の真ん前までやって来るとーー


「ふんッ!」


「あぅッ!?」


唐突に頭突きが繰り出された。互いに魔力による身体強化をしていないからか、ゴヅッという音と共に鈍い痛みが全身へと伝播する。セレナに関しては、反動で椅子から落ちそうになっていた。


「な、何をっ」


「ーーそれで満足したか?」


憤りを露わにするセレナに対し、アランは額をさすりながら再びジッとセレナの瞳を見つめる。背後でユーフォリアが殺意の混じった笑みを浮かべているが、今はそっとしておこう。


「言いたい事はそれだけか?   吐き出したい思いはそれだけか?   まだあるなら今のうちに全て吐き出せ」


「な、何を言って」


「後悔を残すな。禍根を残すな。負けたものは仕方がない。問題なのは、負けた事をいちいち思い続けるその様だ」


「だから負けたのは」


「負けたのはお前、いいや俺達・・が弱かっただけだ。なら今よりも更に強くなれば良い。一年でも一日でも一秒でも早く夢を成したいんだろう?   だったら迷うな、悩むな、悔いるな。それこそ時間の無駄だ」


「ーーーー」


「だが、お前はまだ未熟だ。だから今だけは吐き出せ。試合はまだある、悔やんでいる時間などあるはずがない。だからこそ、今日味わった敗北を噛み締めて、大いに悔やみ喚け」


「ーーーー」


「そしたらまた、明日から始めよう。お前のその大言壮語な夢物語を叶えるために、な」


「ーーーーっ」


ようやく息を吹き返したように、感情を溢れ出させるセレナ。目尻に涙を浮かべ、それを隠そうと再び膝に顔を埋めた。


そんなセレナを見て頭を少しさすると、後のことはユーフォリアに任せたと言わんばかりのアイコンタクトを送り、その場を後にした。


「……ふぅ」


久々に緊張を感じたアラン。糸が解れたと同時に、ドッと背中から大量の汗が流れ出す。どうやら、ようやく任務の疲れが身体に訪れたらしい。


身体強化に合わせて剣への魔力付与、終いには【アイスヘル】の使用。魔力自体は魔石によって回復するとはいえ、精神的な疲弊は身体に留まり確実に蓄積する。


思ったよりも疲れているのか、身体が思うように動かなくなってきた。脚が重い、視界が霞む、腰に提げた剣がまるで巨大な鉄の塊のようだ。


「早いとこ上に行って……ちょっと、寝る、か……」


なお、部屋に戻ってベッドに横たわると同時に、じんわりと頭痛がアランを襲った。セレナは意外と石頭だったのであった。









アランが屋敷に戻って三時間ほど。帝都リーバスから遥か東の空。


誰もが寝支度を整えているそんな頃に、月夜を滑空する存在があった。


遠近法ゆえに地上から見上げた人々には、その影はただの大きめの鳥にしか考えられないだろう。だがそれは大きな勘違いだ。


それはゆうに体長百メートルを超え、エメラルドのように輝く幾千枚もの鱗に覆われている。長い年月をかけて引き締まった肢体に、羽撃くだけで大地を抉ってしまえる程の巨大な翼。人間の顔ほどもある黄金色の双眸は、ギョロリと空全体を見回している。


そう、それは竜だった。しかもただの竜ではない、数百年の時を経て進化した竜種の上位種ーー真竜である。


生きた厄災、混沌の化身、天変地異の前触れとも名高き真竜。だが更にこの真竜は、『真竜』と格付けられる存在の中でも飛び抜けていた。


五大竜が一端、果てなき空を駆け抜ける天空の覇者。絶空の天竜シャオニールとは、まさにこの竜の事である。それを知れば帝都は大いに慌て、撃退せんと総力を挙げてシャオニールに襲い掛かるだろう。


だが残念なことにシャオニールには村町を襲うつもりは微塵に無く、ただ単に空を飛び続けているだけ。五大竜の中で最も人との争いを好まないが、未だそれを知る者はいない。


唯一を除いて。


「へっくち」


そのなんとも可愛らしいクシャミは、無論ながらシャオニールのものではない。というか、シャオニールがクシャミなどすれば、たちまち空が荒れて、嵐を起こす事もあり得るのだ。


そう、挙動の一つですら天災へと変わってしまう五大竜。ゆえに平和を望むシャオニールにとって、迂闊にもクシャミすら出来ない。


ーーましてや自分の背に、今は仕えし主人が乗っていれば、なおさらの出来事であった。


「あぁ……ざむ゛い゛……」


少し鼻声になったその人物は、両手で自分の二の腕あたりをさすりながら、ブルブルっと身震いを起こす。


声音からして年若い女性だろうか。日焼けした薄緑の古い外套で頭からすっぽりと覆い隠し、影に隠れてその顔は詳細に見えない。


「ねぇ、シャオ。確かに私は『出来るだけ上に飛んで』って言ったけど、ここまで高く飛ぶ必要はあったのかなー?」


『その後に、風が気持ち良いからもっと高く!   などと仰った御方は、どちら様でしょうか?   お嬢様は相変わらず勝手なのですから……』


「えへへへー」


笑って誤魔化した女性。だがそれ以上に驚愕すべき事が起きた。なんと、シャオニールが人の言葉を発したのだ。


真竜に関しては未だ不明な事柄が多い。年月を経た真竜が、独自に人語を話すという事実を、今はまだシャオニールの背に乗る彼女しか知らない。


だが彼女はそれが当然だと言わんばかりに平然としており、再び可愛らしいクシャミを一つ。


『降りましょうか?』


「ううん、このままで良いよ。私が無闇に地面に降りちゃうとどうなるかは、シャオが一番知っているでしょう?」


『……そう、でしたね』


グルルルと喉を鳴らしたシャオニールは、無駄に主人の心を抉ってしまったと考え、気まずそうに翼をはためかせる。


彼女だって好きでこんな夜分に、シャオニールの背中に乗って空を散歩している訳ではない。そうせざるを得ない呪いのような力が、彼女に意志に関係なく発動するからだ。


幸か不幸かシャオニールはその呪いを受ける事はなく、現状の唯一の安全地帯として可能な限り背の上で生活をしている。今日もすでに、半日以上をシャオニールの背中で過ごしていた。


シャオニール自身は、元より空を生活区域としていたので、一日どころか半年以上もぶっ通しで飛び続けても疲労は感じない。さすがは天空の覇者と言うべきか。


「あーあ。私だって好きでこんな力貰った訳じゃあ無いのに……。あれから一年も魔女について探してるのに、まったく尻尾が見えないもんねー」


『さすがは神代の魔女、と言うべきでしょうね。ほんの少しでも魔力の残滓があれば探し出せるというのに、全くをもって隙がない。これはいよいよ彼らに手を借りるしか……』


「絶対に嫌!   始めた会った時にあの双子、私になんて言ったと思う?   何を言うも無く鼻で嘲ってきたんだからね!?   あの双子だけには手を貸してください、なんてぜーったいに言いたくない!」


『はぁ、お嬢様は頑固なのですから……』


「それよりもお腹すいた!   下に降りてご飯食べよう!」


『先ほど降りなくていいと言ったのは、何方でしたでしょうか!?』


夜空に向かって叫ぶ自由奔放な主人に嘆息を漏らしながら、シャオニールは優雅に夜空を飛び続ける。


月明かりに照らされエメラルドグリーンの鱗が怪しく輝き、よりその姿は幻想的なものになっていく。


まるで絵画の中から出て来たような、神秘性を醸し出すシャオニールの背の上で、女性はまたしても可愛らしいくしゃみをするのであった。









今度は北に広がる平野にて。


「…………」


雲ひとつない夜空の下に、その男はいた。


寡黙という言葉を体現するように口は固く閉ざされ、鍛錬によって磨き上げられた鋼にすら匹敵する肢体を、青々と茂る草原の上に広げている。


何も発しないが故に、その身から漏れ出る微々たる気迫はあらゆる生物を圧迫し、世界で最も単純な力による恐怖によって、この空間を支配していた。


この平野には魔獣は現れる事が少なく、近辺の村では、毎年決まった日時に豊作を祈って祭を行うのだとか。まあ、男にはそんな事はどうでも良かった。


「…………」


呑み込まれそうなほどに壮大な星空へ息を漏らす訳でも無く、ただただ静寂の世界に身を沈めるように男は沈黙を保っていた。


男は世界の汚濁であった。男は世界の裏側にいた。人が永きと語る数百年を、その身一つで生き続けていた怪物であった。


男はそむいた罰として、世界のシステムと化していた。意志を持たない、ただそこに存在し続ける傀儡の番人と成り果てていた。


だが五年ほど前、世界のシステムとして生き続けていた男の前にそれ・・は現れた。男にとってはそれが男なのか女なのか、果てには人間なのか魔族なのか、それすらどうでも良かった。


だがそれは男に手の差し伸べると言った。


ーー時は来た。さあ、行こう。


以降男は番人という枷から解放され、元来の目的を果たすべく、旅を続けていた。あらゆる物を溶かす海を渡り、雲海を突き抜ける山々を超え、数十倍にも重みが変化する渓谷を歩いた。


そしておよそ二年前、それは男の前に姿を見せた。夜空のような色の髪に、鉄のような鈍色の双眸。見た目からはどうにも連想が出来なかったが、その魂は間違いなく探し続けたものであった。


だが残念なことに、彼も過去の残骸と共に失敗作であった。強いて違いを述べるならば、男が殺し終える前に彼の仲間が横槍を入れて、彼の身柄を奪取したという所であろう。


なんにせよ、その人物が生きていようとも死んでいようとも、男にとって彼が既に失敗作である事に変わりは無かった。


だが数日前、予想だにしない事実が男の耳に届いた。


ーー彼はまだ生きている。人として、ね。


男は彼が堕ちた瞬間を間違いなく目の当たりにした。堕ちた存在が元に戻るのは不可能であると、それは神すら覆せない絶対の法則であったのだ。


だというのに、彼は本当に人として存命していた。やや不安定ではあったものの、魂もその存在を人であると定義していた。


ならばまだ、可能性はある。


「…………フ」


男が笑う。するとそれに呼応するように風が吹き、草花が騒めいた。まるで不穏の前触れを示すように。


だが男が不快を覚える直前に風は止み、黙らなければ殺される事を知っていたように、動きを止めた。


再び静寂が男の寝転がる平野を支配する。全てが虚無に至ったように、恐ろしいほどに何も聞こえず、強さを誇示する上位魔獣ですら本能的に近寄って来ない。


「……行くか」


だがそんな静寂を他の誰でもない生み出した本人が破砕し、何もかもを燃やし尽くしてしまいそうな程に人智を超越した魔力を纏いながら、徐ろに身を起こした。


その時だった。


『Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』


夜の静けさを切り裂くように、一羽の怪鳥が男の前に姿を現した。


その怪鳥は体長十メートル前後で赤を基調とした色彩豊かな羽を身に纏い、月光に輝く鉤爪と嘴はまるで大剣のように鋭く、肉厚。見開かれたその目は、間違いなく男を睨んでいる。


怪鳥の名称はブロックバードといい、強靭な鉤爪と竜種にも匹敵するという揚力を用いて、巨大な岩石を空中へと運び、獲物の頭上で落下させる。こうして殺した獲物を捕食する、少し変わった怪鳥だ。


その鉤爪には岩石など見当たらないが、おそらく男の強大な魔力を察知したブロックバードは、その過程すら忘れて、捕食したいがためにこうして飛んで来たのだろう。


だがブロックバードは知らない。こうして男の前に姿を現したのが、単なる自殺行為でしかないという事を。


「…………フン」


奇声が癪に触ったのか、男は眉間にしわを寄せながら徐ろに右腕を天に仰いだ。暴力的なまでの魔力が右手に集約され、それは巨大な手のひらと化した。


そして、振り下ろす。


たったそれだけ。誰が見ても、上げて下ろしただけの何気ない行動。


そして、たったそれだけの動作で。






怪鳥は、竜種にも匹敵する巨体が、ーー消滅した。

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