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英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第8話「消えた元凶の行方」

ーー八時の鐘が鳴った。


「え……アランは仕事なの?」


朝食時のセレナの屋敷。起床したユリアとともに朝食を食べ始めたセレナに向かって、ユーフォリアが給仕を続けながら、アランに託された伝言を伝えた。


どういった反応をするのか。侍女であるという立場を忘れて内心面白げにしていたユーフォリアだったが、思ったよりも反応が薄い。やはり、まだまだアランはセレナの心に近寄れてないと考えられる。それが少し嬉しかったりするユーフォリアであった。


「はい。ですから、本日の試合観戦には迎えない、と申しておりました」


「まあ、私はいいけど……」


くし型に切られたトマトをフォークで刺して、口に運びながら少し考えるセレナ。


アランがいなかったところで敵選手に関する情報は、昨晩のうちに粗方教えてもらっている。その後アランが何やら手に持って屋敷を出たが、その後についてはよく知らない。知ろうとも思わない。だからアランがいなくともセレナには関係は無いのだ。


だがそれは、セレナの場合だけ。


「ーーーーー」


やはりと言うべきか。ユリア、思考停止。


アランが来れないと知っただけで、凄まじいほどの気落ちざまだ。まるで魂が抜けたように虚ろな状態。ユリアにとってのアランの存在が壮大なのだと、再度理解するセレナであった。


ここは何か言わなくては。親友としての思いがセレナを動かした。


「ユリア。アランは帝国騎士なのだから、帝国に何かあれば動くのは当然の事なのよ?   それにアランが帰って来て、貴方がいなくて負けましたー、みたいな雰囲気があったらアイツの事だもの。部屋から出てこなくなっちゃうわ」


「む……。確かにそれは良くない」


「ならしっかりと準備をして、今日の試合もきっちり勝って、帰って来たアイツに向かって笑ってやりましょう」


「だね。それじゃあ、改めて」


部屋から出てこなくなる事は流石にあり得ないと思いながらも、セレナはユリアを奮起させるために一応言ってみた。効果は十分にあったようで、気を取り直しフォークを手に取ったユリアはサラダを食べ始める。一先ずはこれで大丈夫だろう。


今日の試合は一昨日と同時刻に同じ場所で行われる。故に時間にはそれなりの余裕がある二人は、昨晩アランから教えてもらった情報を脳裏で反芻しながら、しっかりと食事を続ける。


今回の場合は自分で掻き集めた情報を自分なりに纏め上げ、それをアランに対して発表し、そこへさらに上積みする形で情報開示が行われた。骨組みをセレナとユリアが、肉付けをアランが行ったようなものだ。


そしてアランは情報開示の後、しかめっ面で道筋を考える二人に向かってこう言い放った。


「勝率は極めて低い。だが、それが勝てない理由にはならない」


言葉を逆転させて考えれば、敗因は戦いの最中にあるものでは無く、何気ないあらゆる点に存在するのだと言うことだ。食事や睡眠、敵の情報や戦闘におけるあらゆる可能性の予測。そういった数え切れない過程によって、敗因というものは大きくも小さくもなる。


どんな些細な事であれ、その『何か』を怠ってはならない。勝負は始める前に始まっている。だからセレナは数時間後にやって来る『その時』を気負う事なく、平常にいつも通りに生活を送る。


というわけで、


「リア。コーヒーのお代わり」


「かしこまりました」


自身にガッツを入れる時には、紅茶ではなくコーヒーを所望する。これもいつも通りの行動だ。ただし、苦手なコーヒーをお代わりすること自体は、案外珍しいのかもしれない。


けれど自身の不安を打ち消すためにも、コーヒーをグイッと飲み干したい気分なのだ。


「ふふふ。お嬢様ったら……」


そしてその頑張りは、今ではセレナの最もな理解者である侍女ーーキッチンにてコーヒーを注ぐユーフォリアに、ほんの少しであれど確かに届いていた。









時刻は十時半ごろ。アラン達の魔獣討伐任務は順調に進んでいた。魔獣の数が不明瞭という中で、グウェンの指揮の下、たった八人の帝国騎士の手によって既に百を超える魔獣を仕留めていた。


だがそれは、百以上もの魔獣が突然発生したという事実の裏付けでもあった。


「これで、最後……っと!」


ミミズのような魔獣の核となる心臓を真っ二つにしたアランは、周囲の魔獣の気配が無くなった事を確認して、深く息を吐き出しながら剣を鞘に収める。


相変わらず魔獣は比較的にみて弱く、これならば新米帝国騎士に処理を任せても十分な案件だったとしか思えないアラン。この任務を発令した本人ーーヴィルガ皇帝は、何か思い当たる節でもあったのだろうか。


「ま、それは帰ってから聴けばいいか」


学院生時代の頃からクソ親父ーーリカルドのおかげもあって親交のあるアランは、ヴィルガとほとんど対等に話すことが出来る数少ない人物だ。


政治的な場面や皇帝としての立場を必要とする場合を除いて、アランはヴィルガをさん付けで呼ぶ。これを六貴会ヘキサゴンあたりが知れば、卒倒するであろう。


「おいアラン。着いたぞ」


などと考えているうちに、アランとグウェンは視界の開けた場所へと到着した。どうやらここが森の深部らしい。


そこはなんとも奇妙な場所だった。


直径二十メートル程度の範囲にわたって雑草の一本たりとも生えておらず、豊穣なはずの大地は水分を失い見るからに痩せてひび割れ、まるでこの一帯だけが荒野に急変したかのような光景だ。


森の茂みによって暗がりな森林地帯とは裏腹に、太陽光をめいっぱいに浴び続けるその大地はなんとも虚しく、殺風景と言わんばかりの荒野に異常性を感じたアランは、背筋に冷や汗が流れ思わず固唾を飲んでしまった。


「見るからに奇妙な光景だな……」


「全く同感だ」


ともかく二人はその荒地へと足を踏み入れる。何が起こるか分からない。二人は周囲への警戒心を最大にまで引き上げて、じりじりと荒地の中心部へと足を動かす。


魔獣の気配は一切ない。だがこんな人為的としか考えられない状況を目の当たりにして、誰もいないとは考えにくい。少なくとも、誰かがいた・・・・・のは確定なのだから。


そして。


「……何も無い、な」


「周辺に罠や魔術の形跡は無し。ただの荒地か」


ついに無草地帯の中心へと足を踏み入れた二人は、何か起きることを内心期待しつつも何もなかった事に対して嘆息を漏らした。どうやら不毛な魔獣退治にも飽きてきたらしい。


とりあえず中央へと腰を下ろしたグウェンは、ベルトポーチから地図と魔接機リンカーを取り出して、他の組と連絡を取ろうと試みる。その間アランは周辺への警戒を常にしながら、急変した大地を調査し始めた。


手慰みに土を拾い上げて弄ったり、少し深めの穴を掘って地中の含水率を計ってみたりと様々だ。ときおりアランの魔力に惹かれてやって来た昆虫型の魔獣は、剣を用いず拳闘で倒した。昆虫型の魔獣は表皮が硬くなっているのが多いので、内部に振動を加えられる拳撃の方が楽だからだ。


それから十分ほどして、グウェンが魔接機から指先を離したのを見計らってアランは話しかけた。


「どうだったー?」


「予定通り、奴等はまだ七割程度しか終わっていない。別に責めている訳ではないのだが……心底謝罪された」


「お前、心の中まで口調が鋭いからなぁ。慣れてない奴からしてみれば、怒られている風にも感じる訳よ」


「チッ、小心者どもが」


「そういうのをまずは止めません!?」


相変わらずの棘を含む言い方をアランは叱責しながら、ベルトポーチからいくつかの道具を取り出した。謎の緑色の液体が入った試験管二本と、親指程度の小さな紙だ。


「なんだ、それは」


「魔力含有率測定器」


グウェンが意味分からんとでも言いたそうな顔をする傍ら、アランはそれを無視して調査を始める。


まずは先と同様にグウェンが座っていた荒野の中心部に穴を掘り、ある一定の深さに到達したところで、そこから採取できた土を試験管に投入。菅の口を紙で押さえて何度か振った。すると、緑色の液体は変色作用を起こし、赤色へと変わった。


「……赤か」


「おい。赤だとどうなんだ」


「単純。ここには魔力が一切無い・・・・


魔力はあらゆる物に含まれる、それすなわち大地にも含まれている。場所によっては魔力の含まれていない土地もあるが、そこらへんは大抵が砂漠や荒野といった無草地帯なのだ。


だがそういった地帯でも、僅かながらには魔力は残存している事が多い。砂漠にオアシスがあったり、荒野に枯れ木が残っている理由がこれだ。


しかしこの無草地帯には、ーー魔力がない。


アランの使った試験道具『魔力含有率測定器』は、かつてカルサ共和国の豊穣な大地を調べるために作成した特殊な道具だ。その性能は折り紙付きで、魔力が豊富に含まれている地中の真上には森林地帯が多いという研究成果を、アランだけが知っている。


そしてアランがこういった場面で嘘を言わない事を知っているグウェンは、アランの言葉を聞いて目を見開いた。


「馬鹿な!?   では、ここだけが無草地帯になっている原因は……」


「魔力が急激に無くなったから、だろうな。地中の含水率もほとんどゼロ。まるでここら一体だけが、森として死んだみたいだ」


「そんな事を自然ができるわけがーー」


「まあ、普通に考えれば無理な話だわな。出来たとしても、最短で数十年は必要な作業だし。一夜でぱぱっとするような行為じゃねぇよ」


別段大地に含まれる魔力を奪い取って空にしてやろうと思えば、アランにだってできる。だが、それでも最短で十数年は必要とする大規模な作業だ。


自然的に不可能。そして人為的にも不可能。だったら可能性は一つだけ。グウェンは顎元に指を添えながら呟く。


「……元から、数十年も以前からこうだったという可能性は?」


「それも無いな。ほれ、これ見てみろ」


「……土?」


否、それはただの土では無かった。


腐葉土だ。


たとえ地面から水分が失せ、大地が割れて乾燥しきったとしても、土の成分が変わる事は決して無い。だからここには、腐葉土と思しき乾燥した土が残っているのだ。


そして表面近くに腐葉土があったという事は、この場には最低でも一年以内には森があった事を証明する。ということはーー


「ーーこれは人為的で間違いない、ということか」


「だろうなぁ」


自然的現象か人為的現象か。どちらでも不可能だと考えた上での判断。確かにどちらも不可能だ。だが人為的現象の場合、不可能と定義するのはあくまでも人が行った場合・・・・・・・による。


この世には森人族だけが見える『精霊』と名付けられた生命体だって存在するし、もっと言えば竜種の上位個体である真竜も人の常識を覆すだけの力を有している。


つまり人で無いならば、豊穣な大地を更地に変えること自体は難しく無いのだ。その証拠にかつて五大竜が争ったとされる南東の山岳地帯は、二百年経った今でも草木の一本すら生えていない。


だがそうなると次に問題になるのは、それらの存在が帝都から僅か四十キロメートルの位置までやって来ていた、という事だ。存在自体が厄災と同等の彼らは気紛れで、ちょっとした気分転換に国一つを滅ぼす事さえあり得る話なのだ。


ここまでは、知者ならば誰でも予想できる範囲だ。そして更なる疑問が二人を苛む。


「ならばその存在は、何処に消えた?」









真竜にしろ精霊にしろ、厄災と呼ばれる存在達が移動すればそれなりに被害が出てくる。だがおかしな事に、森周辺にはそういった存在による被害が一切出ていない。


平均しても一国の王城並みの巨体である真竜が大空へと飛び上がったというならば目撃情報があっても変では無いし、あれほどの魔力を有した精霊が移動すれば、一般市民が魔力酔いによる意識障害などを受けていも普通な話だ。


「ここにあった魔力が具体的にどれほどだったのかは知らんが……地中に含まれる魔力は、一般人の数倍だという事は確かだ」


その土地にもよるが、カルサ共和国で言えば森人族の住まう森などはリカルドの数倍もの魔力が地中から外へと溢れ出ている。


魔獣が出没した事の無い森ゆえに調査を怠っていたのが、今になって身に染みる結果を生み出した。二人揃って眉間に深い皺を刻む。


ーーと、その時だった。


「グウェン。光ってる」


グウェンにベルトポーチから淡い赤色の光が漏れ出ている。その現象だけで、二人には魔接機からの着信だと理解した。


「おや……リリアナさんからだ」


魔接機を取り出したグウェンは、予想外の人物からの連絡に驚嘆の声を上げながらも、視線でアランに周囲の警戒を任せて念話を始めた。


『こちらグウェン。……何かありましたか』


『その様子だと、不可思議な物でも見つけたんでしょうね。……相変わらず気味の悪い魔道具だこと』


リリアナは精神系、特に自分と相手の思想を干渉し合うような魔術を嫌悪している癖がある。ゆえに魔接機は、持っていても滅多な事でしか使わない。


思想を触れ合わせている事あって、使用に対する抵抗心や嫌悪感が濁流のように流れて来る。思わず干渉を解除しようかと迷ったグウェン。だがその前にリリアナから念話が届いた。


『こっちもお知らせ。村人の一人がね、昨日の夕方に森から飛び立つ大きな鳥を見たんですって』


『……鳥?   それが何を……』


『さあ。でも、不思議なのよねー。その鳥はここから三キロも離れているっていうのに、二メートルくらいは大きかったって言っているのよ。……意味は、分かるわよね?』


鳥。三キロメートルも離れた地点から見ても体長は二メートル程度もあった、巨大な鳥類。リリアナから与えられた言葉を使って、脳内に図形を作り出す。


はるか遠方に見えた物体は、遠近法によって実際はもっと巨大な物体になる。三キロメートルも離れた地点に二メートルの鳥。単純に計算すればそこにいたのは、


『その鳥、ゆうに百メートルはありますよ。そんな鳥がなぜこんな所に……』


だがそこで、ふとグウェンは言葉を止めた。もしかしたらという可能性を手にしたからだ。


ーーもしもその村人が見た『鳥』が、実はそうではなく『竜』だったとしたら?


ーーそしてその竜が昨日までいた場所が、もしもここだったならば?


百メートルを超える魔獣がここにいたという可能性。それをグウェンはただの気紛れとは考えない。魔獣には理性は無いが、知性はある。物事を考える力はあるのだ。


「アラン。周囲に竜の鱗か何か落ちていないか探してくれ」


「りょーかい」


訳を尋ねず、即座に証拠探しを始める。グウェンがアランの事を知るように、アランもグウェンの事は隠し事以外は大抵知っているつもりだ。こういう時のグウェンはアランに無駄をさせない。自分が発した指示は常に最善最良であれ。それがグウェン信条だ。


『……それで、その鳥はどこに』


『消えたってさ』


『消えた?』


『うん、そう、消えた。空に飛び上がったと思ったら、一瞬で視界の外に消えた、だってさ』


『……視覚妨害の結界を張った、という可能性は?』


いくつか浮かび上がった可能性の一つを、結界魔術の専門家とも言うべきリリアナに尋ねてみた。するとリリアナは考える暇もなく、


『無い、と思うわ。視覚妨害の結界で百メートルを超える物を包み隠すなんて、私でも触媒無しでは出来ないわ。それに、それを成し遂げるにはそれ相応の魔力が必要。それだけの魔力を使って魔力波動を立てないなんて、どうやっても不可能よ』


リリアナの考えは理に適っている。結界魔術の中でも基礎に位置する視覚妨害の結界は、対象の大きさによって結界の範囲を定めるため、広範囲になるほど魔力の消費も激しくなる。


魔力を一定時間に大量に消費すれば、その分強烈な魔力波動が身を襲う。今回の場合は、暴風が巻き起こる程度の波動が起きてもありえる現象なのだ。


繋がらない。気味が悪いほどに、繋がらない。


今回の一件、間違いなくその飛び立った『竜』が元凶である事は間違いない。たとえそれが鳥類の魔獣だったならば、最も近い森近辺の村を襲わないはずがない。


『竜』は消えた。人間で推測できるあらゆる可能性を模索したところで、消失した方法を知る事はできず、ただ眉間に皺を寄せながら考える事しかできない。


「…………チッ」


常識外で物事を考えることは、人間にとって最も難しい事である。この歳になって再度確認する人間としての重大な欠点に、グウェンは嫌悪を催した。オルフェリア帝国で名だたる魔術師になったとしても、それは人間・・のランキング。そこに真竜や上位魔獣、森人族などが加わると、グウェンなど数百位、酷ければ数千位にまで下落してしまうだろう。


『……人間は、弱過ぎる』


『心の声がそのまま会話になる事、忘れていないでしょうね?   なに、私の存在なんて塵芥の一塊だとでも言いたいの?』


『む……。すまない、少しだけ方向性を見失った。急速な報告感謝する。以降も村の守護を頼んだ』


リリアナの愚痴が始まる前にグウェンは少し無理やりに接続を断つ。少しだけ目眩が発生するが、魔獣群生の森のど真ん中で無駄な事を考えてしまった自分には丁度いい罰だ。などと考えながら徐ろに腰を上げた。


「ーー話は終わったか?」


丁度アランが帰ってくる。その手に何も持っていない所からして、収穫は無かったのだろう。


「おそらくこれは真竜が原因だろう。あれに関しては未だ不明瞭な点も多いし、なにより竜らしき影を見たという証言がある」


「とは言っても、その真竜と今回の魔獣出没の件がどう結び付くかは未だ不明。……どうする、応援でも要請するか?」


真竜が如何に規格外だとはいえ、飛び立った時から未だ一日と経っていない。おそらく真竜はオルフェリア帝国のどこかにいるはずだ。そうなると真竜がいつ帝都に牙を剥くとも限らないので、今の内に国外へと撃退するために多くの人員が必要となる。


『真竜』と一塊に言えど、その強さは個体によって様々。成り立ての真竜はアラン一人でも倒せるが、五大竜と呼ばれる真竜には、大陸最強を誇るリカルドですら歯が立たない。


真竜の正体が分からない現状、まずは帝国騎士を分散させて各地の調査に赴かせ、真竜の発見と同時に強さを識別する。それから十分な戦力を整えて、討伐もしくは撃退を行う。


これらの作戦を行うためには、最低でも千人程度の帝国騎士を要する。ここにいる数だけでは圧倒的に足りない。【顕現武装フェルサ・アルマ】を使えばリカルドとほぼ互角に戦えるアランがいるので、それなりに戦局は保てるだろうが、真竜の正体によっては全滅という可能性も捨てきれない。


だが、現在帝都では魔剣祭レーヴァティンが開催している。そんな膨大な人員を動かせば臣民だって何かを察するし、不安を感じさせかねない。帝都の防衛にだって影響を及ぼす。


どちらにせよ、帝国が恐怖の渦中へと追い込まれているのは必至。今回の調査任務の隊長を任されているグウェンの決断によって、帝国は今後を左右するのだ。


数百万人の命を背負いながら、グウェンは最適解を探り続ける。その時だった。


「がァァァァァァァァ!?」


鼓膜を震わせる悲鳴。村人達が森に入る事は現状禁じられているので、この悲鳴は帝国騎士のものである。そして今の悲鳴はまるで、ーー断末魔。


何かあったと即座に悟った二人は、躊躇う事もなく身体強化で速力を上げ、不規則に並んだ木々を的確に避けながら悲鳴の元へと駆けた。


最悪な状況を予想して、アランとグウェンは戦闘準備。魔獣討伐に選ばれたアラン達を含めた八人は、今回の帝国騎士達の中でも選りすぐりの面子が揃っていた。上位魔獣との戦闘経験を持つ者や、戦争に幾度と赴いた過去を持つ者など。


そんな彼らが恐怖、または死を直感するような相手など強敵であるとしか考えられない。


だがどうしてか。そんな強敵が味方を襲っているというのに、二人は不気味なほどに笑っていた。まるで望んでいた獲物を遂に見つけた肉食獣のような、もしくは血湧き肉躍る戦いに飢えた獣のような、そんな顔だ。


疾走すること二十秒。ついに現場へとたどり着いた二人が見たものは、首筋から血を流して倒れる帝国騎士と、及び腰になって戦意の失せたもう一人の帝国騎士。そして、


『kkkkkkkkkh……』


体長三メートルはあろう程の、巨大な蜘蛛。頭胸部と八本足は墨のように黒く、腹部は気味の悪いほど血のように赤い。拳大ほどありそうな四つの複眼が、突如現れたアラン達をじっと見つめ、今すぐにでも嚙み殺したいと言わんばかりに鋏角をガチガチと鳴らしている。


「……ぁ、隊ちょぉ」


「安心しろ。それよりも報告を」


蜘蛛にはアランが敵意を向けながら、グウェンは無事だった二十代半ばの帝国騎士に話し掛ける。


話を聞くと、どうやらグウェンと行動する事になったアランに対して疑心を抱いていたらしく、試してみようという事でそれなりに強そうな魔獣を探していたところ、背後からもう一人の帝国騎士が襲われたようだ。傷は浅かったので即座に反撃しようとした途端、まるで糸が切れた人形のようにパタリと倒れたので、驚き余って叫んでしまったらしい。


「え、待って。つまり俺の所為って事かな!?」


「騒ぐな迷惑者。それよりも……毒か」


何も関与していないのに責任をなすりつけられそうになったアランの、怒りの混じった疑問に叱責を返しながら、グウェンは倒れているもう一人の状況を確認する。


体温が低く、口内から発泡。血色の大した変化はなく、だが意識はない。どうやら脳を麻痺させる毒を食らったようだ。


「やはり麻痺させてから食べるつもりだったようだな。……知っていたが」


グウェンの言葉にアランも同乗するように苦笑い。なにより、アランとグウェンはこの蜘蛛に関しては、嫌という程よく知っていた。


カルサ共和国にて長命な森人族を好んで食す事から『長寿喰らい』とも名付けられた、上位魔獣の中でも面倒な相手として有名な蜘蛛だ。その特殊な生態から、正式名称はこうなっている。


「ザクログモ……クソが」


何故このような所にいるのか。普通ならばそう考える所だが、


「やる気出ねー……」


まるで汚物でも見るかのような眼差しで、アランとグウェンは嘆くように深いため息を漏らす。


久々の獲物は、どうやら気持ちよく倒せそうにはなかった。

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