英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第4話「休息が休む事だとは限らない」

商業区のとある店内の、数多あるテーブルの一つにて。そこでは陰険な雰囲気が充満していた。


「…………」


ユリアはとっても不機嫌だ。


「ゆ、ユリア……?」


「……おかわり」


「うぃっす!」


若い男性のスタッフがユリアの眼光にやられて、焦り気味に厨房へと駆け戻って行く。


もう一度言おう、ユリアはとっても不機嫌だ!   それはもう、自分の顔と同じ大きさほどのステーキを顰めっ面で平然と食べ切るほどに!   しかも今注文したので四枚目!


見ている此方が胃もたれしそうだ。カウンターでお酒を振舞っている店主も、心配そうにこちらをちらほらと見ている始末。


ユリアが不機嫌な理由は分かっている。先ほどのリーゼッタとの一戦に関してだ。あと数十秒さえあれば、おそらくあの戦いは決着がついていた事だろう。どちらが勝つかまでは不確かだが。


「ユリア。そんな膨れっ面で飯食って美味いか?   飯の時くらい忘れてちゃんと美味しそうに食べろよ」


そんなユリアと場の雰囲気を傍観しているだけではいられなかったアランが、頬杖をつきながらユリアに言う。


「う……だって……」


「そもそもお前が最初の五分、あんな探りを入れるような戦い方をしていたのが原因だったんだ。俺も言ったろうが、最初から殺す気で行けってさ」


「……でもアルにぃなら、ああすると思ったし……」


「それは俺の場合の話だ。お前のじゃないし、そもそも情報なら俺が教えたのがあるじゃないか」


「うぅ……ごめんなさい」


素直に謝るユリア。やはり兄の言葉には弱いようだ。心なしか店内の雰囲気も一変し、客人達の賑わう声がゆるりと聞こえるようになってきた。


話を戻す。


先ほどのユリア対リーゼッタの試合は、制限時間内に終了しなかったために、規定通りに審判五名による多数決で結する事となった。


そしてその結果が……


「まさか三対二で、ユリアが勝利とはなぁ……」


「……アルにぃは、私の勝ちに不服?」


「いや、不服と言うか何と言うか……」


確かに。アランの見解から察するに、審判達はおそらく後半の怒涛の攻撃を評価しての判断だったのだろう。あとは帝国騎士と学院生という違いとか。


だがアランからしてみれば、この試合はリーゼッタの甘さが生み出した余暇であったとしか思えない。後半のユリアに応ずるかの如く、爆発的に膨張した魔力の奔流が何よりの証拠だ。


そこを汲み取れば、アランとしては審判の判断に不服を感じざるを得ない。


だがそれを親愛なる義妹に言っても良いべきなのか、そこに迷うアランだった。思わず眉間に皺が寄る。


「……うん。アルにぃの気持ちはすっごく分かった」


しかしそれを、ユリアは察して見せた。付き合いが長いからだろう。二人にとって無言とは沈黙では無いのだ。


「リーゼッタさんも、同じような事言ってたし」


「何て?」


「『今回私が貴女に敗北したのは、私の見誤った愚かな行為から発展したものです。最初から本気で、貴女を敵として見ていれば負ける事は無かったでしょう。ですのでその勝利は、私への戒めとして貴女に差し上げましょう』だって。なんか腹立った」


「互いに負けず嫌いと言うか、何と言うか。あははは……」


その光景が瞼の裏に浮かび上がるセレナとアラン。思わず苦笑してしまった。


が、それで確信した。


「ユリア。今後はああいった行為は一切禁止する。これは義兄としての絶対命令だ。拒否したら今後お前に手ほどきはしてやらん」


今回の接戦の原因は自分の柔らかな忠告も一端にあったのだろう。そう判断したアランは今度こそ、厳しくユリアに勧告した。


「……分かった」


義兄と出会う機会が減ってしまう。それだけでユリアとしては最もな脅威だった。少しシュンとした顔付きで、俯きながら渋々と頷いた。


「さてと……それじゃあ今後の話をしていくとしよう。次はセレナだが……相手は?」


「ええと……クローラ=パル……なんとかって言う人。第一騎士団よ」


「クローラ?   ……多分、三年前の第三学年生の体験入団でいた奴だな。貴族と農民の半血者とかで、上では問題視されてた覚えがある」


相変わらずの物知りだと感心しながらも、最後にアランが言い残した言葉にセレナは引っかかった。


「問題視?   どうして」


「クローラの母親はミレヴィア=ヴァン・シーフォード。つまり六貴会ヘキサゴンの一席を担う貴族シーフォード家の血筋の者だ」


シーフォード。オルフェリア帝国内においてその名を知らない商人・・は、まず存在しないだろう。


彼の家系は代々から続く経済界の重鎮であり、彼らの一声さえ存在すれば、例えどれほど弱輩商人でさえ巨大な商業組合に打ち勝つ事すら敵ってしまう、そんな貴族なのだ。


「確かに聞いた事があるわ……二十年くらい前に、シーフォード家の息女が駆け落ちしたって噂を……まさかそれなの?」


「ああ。シーフォード家の現当主がそのミレヴィアの兄貴でな。余りにも妹に面影が似ているからと周辺から探りを入れてみたら案の定って言うわけだ」


「…………で、なんでそんな事をアンタは知っているわけ?」


「ふっ、帝国騎士の秘密だ」


格好付けて言うような事でも無いだろう、とセレナはジト目で見つめながら考える。


だが今に限ってその情報収集能力は武器になる。ここは黙ってアランの話を聴くべきだとセレナは判断した。


「クローラは安定した魔力操作、半血者と言われるだけの魔力の多さ、グウェンに憧れを抱いている辺りからして、おそらく奴は魔術戦に特化した帝国騎士だ」


体験入団の際にもグウェンにしつこく付きまとっていたのを覚えている。あれが羨望や憧れで無いのだとすれば、クローラにはそっちの趣味がある御仁なのだと勘ぐってしまう。


それはさておき。クローラは第一騎士団、つまりは実戦経験が豊富な騎士というわけだ。ヴィルガが皇帝になって以後確かに争い事は激減したが、それでも両手の指では足りない程度にそこそこな規模の戦争は起きている。


「奴が騎士団に入ってから二年。その間、何があったのか俺は全然知らんが……それでも第一騎士団の一片として選ばれた実力者だからな。驕りは出来んだろう」


「…………」


アランは柔らかく言ったが、明確に言った。調子に乗るなよ、と。


確かにセレナはアランから授かった【顕現武装フェルサ・アルマ】によって新米帝国騎士にすら勝る力を手にした。さらにこの二週間の訓練の成果で更に磨き上がったそれは、もはや彼らなど歯牙にも掛けないだろう。


だが油断は禁物だ。如何に強くなろうとも勝負に「絶対」という言葉は存在しない。どれほど実力差があろうとも、ちょっとした些細な事柄で戦況が変わるかも知れない。


それが戦いであり、殺し合いの鉄則だ。


「……さてと、やんわりと忠告をしたところで。お前はクローラとどう戦う?」


「どうって……相手が魔術特化の帝国騎士なら、詰め寄って剣術で倒すとか……」


「まあ、それも一つの手段だな。あとは正々堂々と魔術戦を挑む、とかな」


「魔術戦!?   無理に決まっているじゃない!」


「うん、俺も思ってる。あははは」


「喧嘩売ってんの!?」


自分の無茶振りな言い分に狼狽するセレナを見て、楽しそうに笑うアラン。殺気が漲るセレナである。


「……アルにぃの言いたい事は分かる。騎士団へのアピールも兼ねて、でしょ?」


「あ、アピール?」


ステーキを食べ終えたユリアがアランの代わりに言葉を加える。お口の周りにソースが付いております。


「各騎士団によって戦術のスタイルがあるの。第一なら『状況に応じた最善手』、第二なら『防御主体の持久』、第三なら『最小限で最大効率』みたいに。こういう試合も将来の試験に影響があるから、そこらへんの事も考えた方が良いってお父さんが」


「付け加えて言うと、この本戦に出場する時点で試験を執り行う側からかなり評価される。今後騎士団むこうから声をかけられる機会が増えると思うが、気になったらどんどんお誘いに乗ると良い。人脈で情報網を作るのも手の内だ」


「アンタが言うとあんまし実感が湧かないわね……。そうだ、ならユリアはどうなの?」


「愚問だよ、セレナ。私はアルにぃのいる騎士団に入るに決まっているじゃない」


堂々と真剣な眼差しでサムズアップするユリア。再考する時間すら必要ないようだ。義兄への愛、恐るべしである。


すると。


「さて……と」


「あれ、どこかへ行くの?」


徐に腰を上げたアランを見てセレナが尋ねる。その眼はアランをこの場に縛り付けようとしている様子だった。数時間前に受けた領収書事件の事を忘れていないセレナである。


だがアランは飄々とした顔付きで、


「屋敷に戻って剣を取って来る。どうやら大小様々な問題が山積みになってるぽいからな」


アラン達がここまで来る途中も暴行沙汰にまでは至らずとも、声高々と口論をし合う場面を幾度か見てきた。こういった仕事は本来、第三騎士団の見回り隊が行うべきなのだが、いかんせん隊員の数では処理し切れないだろう。


そこでアランも見回り隊には入らずとも、個人として仲裁をしようと考えたのだ。騎士服だけでも凄みはあるが、その腰に業物の剣が提がっていれば雰囲気は倍増間違いなし。


「ユリア。セレナの準備運動を手伝ってやってくれ。セレナ」


「な、何よ」


「今回お前がどう戦うかはお前が決めろ。今の実力からして、お前が負ける可能性はまず低い。その上でどうするかを、お前が考えろ」


「……了解」


素直に褒められて嬉しいが、自分で考えて戦えという課題を与えられたセレナは、少し眉間に皺を寄せながらボソっと言った。じゃあ後でなと、アランは二人をその場に残して去って行く。


無論、この場の食事代は前払い制なのでアランが全額払い終えている。それにセレナの試合まであと一時間ほどしかない。


「セレナ、私達も行こう」


「……そうね」


席を立ち出口へと歩むユリアの背後を、戦術を考え込むセレナが追随する。外は大勢の客でごった返していたが、今朝よりはだいぶ歩きやすくはなっていた。そのまま二人は学院に向かって歩いて行く。


「……ふぅ、さてと。それじゃあ行きますか、皆さん・・・?」


それを少し離れた所で見ていたアラン。フッと微笑みながら狭い小道へと入り込んで行く。アランの問いに応じる者は誰一人としていなかった。だが、


『…………』


アランの背を追うように、幾人の人達が同様に小道へと入り込んでいった。









先に言っておこう。


アランの所属は第一騎士団であり、第三騎士団の仕事を手伝う事は、各騎士団長の許可を得た上でなければ許されない行為だ。たとえ影でこっそりと仕事をしても、それがバレれば拳骨では済まない。それがルールだからだ。


すなわち、アランは最初から二人に嘘を吐いた。理由は言わずもがな、危険から遠ざけるためだ。


「さて、と……それじゃあ、用件でも聴きましょうかね?」


人混みかられるように小道へと入ったアランと謎の人達。見たところアランを狙った暗殺者というわけでも無さそうだ。


アランの後を付いて来たのは三人。初老の男性と汚れた外套を纏った旅人の様な男性、そして腕に籐籠とうかごをぶら下げた小美人な女性だ。


「わ、私達はとある人に雇われて貴方に忠告を伝えに来た者です」


先陣を切って初老の男性がアランに話しかける。やはり帝国騎士という立場ゆえだろうか、話しかける声に幾ばくかの緊張を感じた。


そして初老の男性の言い分を肯定するかのように、背後にいた二人も黙って頷いた。普通の騎士ならばここで「そういう事か」と納得していたところだろう。


……だが。


「嘘は良くないな、ご老人。貴方は芝居が上手なようだが、幾つかミスがある」


「な、何の事ですか?」


不敵な笑みを浮かべるアランに気圧されるように一歩、背後へと退く初老の男性。


「まず一つ。言伝を受けもらった割には、俺達があの店に入ってからずっと待っていただろう?   殺気も敵意も無いからって、気配が無いわけじゃない。ただの伝達人なら普通に店に入って来れば良かったんだ。そして二つ。そこで立っている女性もそうだが……長年の職業柄、癖になっているんだろう。両足を綺麗に揃えて立つ仕草が、様になり過ぎだ。そうだろう?   カルダシア家の執事さん」


『…………』


答えは返ってこない。だが……正解のようだ。


「言伝っていうのは、大方『セレナ=フローラ・オーディオルムにこれ以上の助言を与えるな』とかそんなのだろう?   確かアンタの所の次男坊が今年で十九だったはず。貼り出された出場選手の事は知らんが、セレナと同じブロックなんだろう」


「……見事。流石のご慧眼で御座います」


ついに言葉が返ってきた。


「別に世辞とかは要らん。……それにしても『帝国の盾』とまで呼ばれたカルダシア家が、一体どうしてセレナを危惧するんだ?   するならむしろ、ユリアの方だろう?」


カルダシア。二百年も昔から帝国が窮地に至る度に救ってきた、まさしく『帝国の盾』として異名高き英雄の一家だ。


現在では第二・第三騎士団に軍事支援を行いながら、右大臣として帝国の治安維持に尽力している。旧皇帝とは元々仲が良くなかったようで、ヴィルガが革命を実行時には影ながら支援を行っていた事もある。


だが異名の通り、カルダシア家は知力よりも武力。特に常人を遥かに超えた身体能力によって繰り出される近接戦闘が、武器であった。今や魔術騎士という概念が広まっているオルフェリア帝国だからこそ、その凄みは消えつつあるが、アルダー帝国やフィニア帝国では未だ怪物として名の知れた名家でもある。


ならばこそ、カルダシア家が畏怖すべきなのはセレナではなく、生きる伝説リカルドの娘であるユリアであろう、とアランは思ったのだ。


だが老執事は言った。


「はい。デーリス様もそう仰いました。しかし差し出がましいようですが私めの意見を申し上げますと、むしろセレナ様こそ危惧すべきお方であると考えたのです」


「……というと?」


「先日の予選の際に、セレナ様がお使いになったあの特殊な魔術。戦争に関しては若輩者の私めにも分かりました、あの魔術は異質であると。あの魔術は人では勝てないと」


確かにアランの教えた魔術【顕現武装フェルサ・アルマ】は理論上、人間の枠組みを超えた力を発揮する為の魔術だ。人間よりも高位の存在に人間が勝てないように、人間があの状態のセレナに勝てるはずがないのだ。


というか互角に渡り合えるならば、その人間は人間とは定義できない存在としか言えない。リカルドや大罪教のツウィーダのように。


ともかく老執事の考えは強ち間違いでは無い。おそらく彼自身、元は魔術師として帝国に尽力していたのだろう。


「だがあれはもう完成している。今更俺がアイツに干渉せずども、アイツの勝利はほぼ確定だ。だったらーー」


「ーーアラン様がセレナ様やユリア様に助言をなさっている事は、事前の調査により判明しております。貴方様がセレナ様に手を差し伸べれば勝利は確固とした物になりましょう。だからこそ、私達は貴方様にお願いしに参ったのです」


老執事を含んだ彼らの眼は本物だった。そこまでしてカルダシア家の次男坊を優勝させ、そして願いを叶えさせてやりたいのだろうか。


「…………」


アランは悩む。老執事の話を承諾するかどうかではなく、カルダシア家の真意・・が分からないからだ。


魔剣祭レーヴァテインにはこういった裏から根回しを行なって八百長をする場合もある。特に貴族には多い事だ。数は減ったとはいえ、いずれこういう事もあるだろうと考えていたアラン。


……だが何故今になって?


セレナがようやく次男坊の脅威たる実力を手に入れたから?   セレナが【顕現武装】を使えるから?   主人の命令すら拒否してこうして交渉に来た理由は一体?   謎は深まるばかりだ。


ーーだがそこでアランは、最も初めに感じた疑問に振り返った。


「……なあ、執事さん。この場に来た使用人は何人だ?」


寸前まで緩やかだった気配を一瞬にして際立たせ、騎士としての風格をその身に宿す。


「?   三人で御座いますが……」


「そうか……」


老執事はアランの唐突な問いに首を傾げるが、アランにはそれで十分だった。


瞬間。


「アラン様!?」


ベルトポーチから常備している短剣を取り出し、即座に構えるアラン。その目には淡々とした殺意が溢れ出している。


「十秒以内にもと居た道に引き返せ。一瞬たりとも振り返るな、さあ!」


「は、はいっ!」


渾身の訴えが乗じたのか、老執事と後の二人は何かを聞き返すことなくそそくさと駆けて行く。その間もアランの警戒心が休まる事は無い。


「さーて、俺が店内から感じた視線は八つ。つまり五つ足りない訳だが……もうそろそろ出て来ても良いんじゃないの?」


沈黙。そりゃそうだ。眼前にアランがいてそれでも姿を見せないとなると、考えられるのはただ一つ。


暗殺だ。


だがそれは、唐突に姿を現した。


『ーーーー』


黒い外套を纏った人物は、まるで影から姿を現わすーーいや、実際にそうなのだ。この人物は正真正銘、影から姿を現したのだ。


さらにそれに呼応するかのように、一人二人と同じ様に影から姿を現して……最終的に四人・・が現れた。


「【影絵】、じゃねぇな。鬼族か?」


『然り』


アランの問いに最も高身長な鬼族がポツリと応える。アランもその正体を知ってなるほどなと判断した。


旧皇帝時代から一変して奴隷制度を廃止した現代のオルフェリア帝国。だがそれでも鬼族や森人族を奴隷として見なす者達や、視線を感じてしまい姿を見せたがらない事が多い。


だがそれと今とは話が別だ。


「用件はなんだ?   俺の暗殺が目的ならーー」


『否。我々はそれを望まない』


「……あれ?」


アランが言い切る前に、即座に否定した。思わず大きく目を見開いて驚愕するアラン。瞬時に「暗殺だ」なんて考えた自分が恥ずかしいっ!


『私達が望むのは私達の同胞……ググラッドの遺体の回収だ。情報屋に尋ねたところ、其方に頼むのが手っ取り早いとの助言を得た』


今度は女性の声だ。おそらく彼と所縁のある者なのだろう。その名を語る時に躊躇いを感じたのは、きっと一族を離れて傭兵団「骸の牙」として働いていたから。鬼族には色々としがらみがある事はアランも知っていた。


少し考えてから言葉を紡ぐ。


「ググラッドの遺体、ねぇ……確かに遺体はあるかも知れんが、あいにく大罪教の輩に内側から爆発されてな。原型は留めていない。それでも良いか?」


『構わぬ。我等が望むのは奴の亡骸であり、ググラッドであったという想いだ。骨の一つでもあれば、我等には十分なのだ』


鬼族達は黙って首肯した。


「そうか……なら明日の晩、帝都南大門付近に遺体を包んだ布を置いておく。細かな時間調整は必要か?」


『無用。それでは明日の晩に頼む』


『感謝する、若き騎士よ』


「互い様だよ。お陰で俺も面倒な交渉ごとから逃げられたしな」


『そうか……では』


ズズズと飲み込まれる様に、鬼族達は影に姿を消した。その場にはもはや殺意も敵意も、そして気配すらも存在しない。鬼族の隠密術は隙がない。


やはり鬼族の性質は暗殺に長け過ぎているのではないだろうか、と考えてしまうアラン。鬼族と人間の半血者であるキクルもそうだが、小指の先ほどの影ですら熟達者ならば潜り込めるという。


察するに魔術の一種ではとアランは考えているのだが……いかんせん突破口が見つからない始末なのだ。


「こりゃあもう一回、鬼族の里に潜らなきゃならんかねぇ……」


過去に経験のあるアランからして鬼族の里はあまり好まない。朝晩が逆転しているし、魔力を使えば即バレる。かといって魔力を使わなければ肉体が貧弱すぎて一日も体力が保たないのだ。


肉体よりも精神的にあの里は堪える。はふぅとため息を漏らしながら遠い目をするアラン。しかしまだ仕事は終わっていない。


店内から感じた視線は八つ。執事達が三人、鬼族が四人。


ではもう一人は何処に?


……というか、あの視線だけは直ぐに誰なのか分かったんだよなぁ。


これから訪れる気苦労に深くため息を漏らしながらアランは一度深呼吸。そして、


「……もうそろそろ。というかいい加減出て来ても良いんじゃないの?   シルフィア姉さん・・・


「あははは。バレちゃいましたか」


軽快な笑い声と共にアランの後方の光景が歪む。行き止まりだった光景はただの小道へと変貌して、そこには一人の女性が立っていた。


甘い香りの漂う煎茶色の長髪に、神聖な湖を想起させるようなナイルブルーの円らな双眸。身長はアランよりもやや低めの百七十程度で女性としては高身長だ。


それに加えてエルシェナに劣らずの魅惑のプロポーション。だがエルシェナとは異なり、色気よりも活気溢れるオーラによって人はその理性を平然に保っていられるのだろう。


無論、アランは論外だ。最初から普通である。


「……で、一体全体なにをしてたーーおわっ!?」


「久しぶりのはぐぅ!!」


振り返るアラン目掛けて飛び込んで来た少女。心なしか頬がほんのりと朱に染まっている。だが離れない。


「ユリアにアルにぃが云々って聞かされる側にもなってよね!   私の方が何度も会いたいって思ってたのに、先越されるんだもん!」


「いや、そこ比べる所じゃ……」


するといきなりピタリと止まった少女はアランの顔を見るや、


「……背、伸びたね!」


「は?   いきなり何を……」


「声も少し男性の人っぽくなったね。髪の毛は相変わらず整えないんだから。筋肉付いたね流石は男の子だ。しかも相変わらずの男前、だけど相変わらずの疲れた目をしてる」


「ーーーー」


アランの顔をまじまじと見つめながら思い出す様に語り出す少女。本来ならば強引にでも引き剥がすであろうアランも少し躊躇った。


「色々変わっちゃったけど、それでも色々変わってないね、良かったよ。もしかしたらアランが戦場で心身共にボロボロなんじゃないかって、ずっと……ずっと考えてたんだよ?」


それはまるで心の内に溜め込んでいた物を吐き出すかの様に、息を大きく吸ってはアランの言葉を待つ事すら忘れ、ひたすらに吐き出し続ける。


「ようやく帝国騎士になったと思えば途端にアランは消えちゃうし、お父さんは何も教えてくれないし。私なりに情報を集めてもアランがどこにいるか分からなかったから、もしかしたら死んじゃったんじゃないかって。すっごく、すごくすごく考えたんだから……」


「……そうか。うん、そうだよな。ごめん」


「なんで……なんで誰も教えてくれないかな。私だって心配したんだよ?   アランがいつ帰ってくるんだろうって、眠れない日だってあったんだよ?   お父さんは帰ってくるのにちっとも姿を見せないんだもん。私、すっごく怒ってるんだから……」


「悪かったよ。反省してる」


「うぅ…………」


ここは小道。人気の無い事を良いことに、少女はいつもの自分を崩し、五年前に戻るかの如く小さくしゃくり上げた。そんな少女の頭を優しく撫でながら、アランは言った。


「帰って来たよ、シルフィア姉さん」


「うん……ただいま、アラン」






それは思い掛けない義姉弟の再会であった。

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