英雄殺しの魔術騎士
第3話「才女は努力を惜しまない」
『ーー試合、開始です!!』
第三騎士団広報部隊第三班所属、ラパン=パルサーの合図によって試合は始まった。歓声がけたたましく思わず顰めっ面になるアラン。
予想通りと言うべきか、リーゼッタは変わらず大陸北東部で汎用されている刀類を使用していた。変わった事といえば、リーゼッタのシェイドに対する執着心が更に増していた、という事だろう。
しかも初手から思いもよらぬ技を見せてきた。
「あれは……【空斬り】か?」
シェイドが対人戦でよく使っていたという暗殺術【空斬り】。初見であれば大抵の敵が首と頭部を切り離されていた事だろう。以前のリーゼッタならば扱えなかった高難度の技法だ。
だがユリアはアランの言いつけを守り、危険を察知して即座に回避行動へと入った。
「ギリギリだな……」
しかし回避は成功。続け様に放たれる【空斬り】に対して、ユリアは直剣に魔力を通して防御。無色無臭の刃がユリアの剣と衝突した。
ユリアの戦闘に関する才能はリカルド並みだ。このまましばらく捌き続ければ【空斬り】に慣れ始め、均衡が崩れてユリアが前に出た。
「けどまあ、俺の剣じゃなかったら剣がポッキリ折れてただろうな」
ユリアが使っている直剣は、以前セレナとの一戦で使い捨てのように振るっていた例の剣だ。帝都襲撃事件からしばらくして、ユリアから修復を依頼されていたのだが……少しばかりユリアに合うようアレンジを加えてみた。
剣身を少し短くし、身体強化の付与効果だけでなく「魔力消費の抑制」や「剣身の強靭化」を付与し、現段階のユリアの攻撃力に見合った剣を作成した。
もちろんユリアにこの事は伝えてはいないが、しばらくの間使い続ければ今までとの違和感に気付くだろうから、いずれ知る事だろう。
ともあれ剣の耐久性の心配をせずに思い切り戦えるというのは、騎士としては爽快であること間違いない。次第に二人の距離は詰まり、近接戦闘が始まった。
すると。
「ユリアが優勢だな」
「ちっ……グウェンか」
一人でユリアの健闘を観覧するアランの横に、相棒であり最も嫌悪する同僚ーーグウェンが姿を現した。普段通りに帝国騎士を示す騎士服をきっちりと身に付け、その視線はユリアに向いている。
「お前、今の今までどこにいやがった。お前に言いたい事が山ほどあるんだぞ」
大声は張り上げない。今は試合中、時と場所くらいアランだって理解できる。だからこそアランは冷たい目線でグウェンに問い掛けた。
「貴様の代わりに皇城の修理をしていたのだ。それに言いたい事はこの後にすれば良い。しばらくは団長から休暇を与えられたからな」
「休暇ぁ?   あの労働という言葉から最もかけ離れたクソ親父が、そんなものを与えるような心優しい人間なわけーー」
「事実なのだから仕方が無いだろう。先日の内乱を俺たちの手だけで終息させた功績として、今回の警戒班には参加しなくても良いと言われたのだ」
「…………」
信じられない。だがグウェンの表情からは嘘を言っている感じは全くない。むしろ嬉々とした表情で、気楽にユリアの健闘ぶりを見つめている。そんな顔をするグウェンを見るのは久しぶりだ。
「……あれからもう十年か。あの甘えん坊だったあの子が帝国騎士と張り合えるほどに実力を付けたとは驚愕だ」
「ちょっとグウェンくんったら、キモいー」
「黙れ、このシスコン童貞が」
「「あ゛ぁ!?」」
互いに睨み合うアランとグウェン。さすがにこれは目立ち過ぎたのか、周囲の観客が面白そうにこちらに視線を向けていた。それに気付いた二人は反省して話を戻す。
「……んで?   休暇中とはいえ、お前はこういった遊び事の決闘は嫌いだったんじゃ?」
「ああ、嫌いさ。だが恩師の子供が出ているというのであれば話は別だ。少しばかりは興味が湧くというものだ」
「そういうもんかね」
「そういうものだ。……それよりもユリアがそろそろ動き出しそうだぞ」
グウェンに言われるまでもなくアランはその光景を見ていた。あらかじめ渡しておいたベルトポーチに手を突っ込み、中に貯蔵してある魔道具を取り出すユリア。
投げたのは魔石。近接戦闘で不利を感じたリーゼッタが退いた時にユリアが投げ放った事を考慮すると、
「爆発か」
「だな」
二人の推測は命中。盛大な爆発と共に二人を爆煙が包み込んだ。ルール違反ぎりぎりの威力調整だが、これでリーゼッタが倒れるとは思えない。ユリアもそのはずだ。
湧き上がる歓声。だが二人は静かに顛末を見届ける。向かいの観客席に鎮座する手練れの騎士達も同じ様子だ。
数秒後、爆煙の中から飛び跳ねるようにして、ほぼ同時に二人が姿を現した。ユリアもリーゼッタも見た目は大した怪我はなく、何事も無かったかのようだが、
「【外傷置換】のデメリットだな」
「ああ。敵がどの程度痛手を負ったのかを肉眼で判断できないっていうのは、思う以上に精神に堪える。相手が怪我になれた帝国騎士なら尚更な」
「しかもリーゼッタ=シュベルクオーグはシェイド騎士団長の真似事が得意なのだろう?   ポーカーフェイスも得意というわけだ。これは心理戦もありそうだな」
フッと愉快げに笑うグウェン。こちらとしては腹立たしいこと極まりないが、事実だ。
もともと結界魔術【外傷置換】は逃亡した犯罪者などを封じ込めるための檻として用いられていた結界魔術が技術的に進歩した結果生まれた魔術、殺戮番号No.4、リリアナ=マグレッティが生み出したものだ。
よって戦闘用というよりは安全対策用のもの。本来この様な戦闘を意識した催し物に使うには間違っているとしか言えない。アランの言う通り、怪我の程度が判断できないと今後の威力調整が難しい。下手をすれば過剰な攻撃で殺してしまう可能性だってあるのだ。
だが有るものに愚痴を付けていても仕方は無い。アランとグウェンは黙って二人の戦闘を見続ける。
「詐術では圧倒的にリーゼッタが有利だが、貴様が教えた事によって、ほんの僅かだが対応が上手くなっている」
「剣術や魔術はユリアが優勢だな。もともと剣に関してはクソ親父にみっちりと鍛えられているんだ。魔術は俺がやった術符と魔石が優位性を築いている、といっても過言じゃない」
「だが機動力では若干劣る。如何に魔力で身体を強化しようとも、リーゼッタの方が実戦経験がある。ユリアのほんの僅かな予備動作で次の攻撃を予測、余裕を持って回避行動を選んでいると見えるな」
二人なりに客観的に観察し、意見をぶつけ合う。努力の果てに異常なまでの観察眼を身に付けたアランと、才能と弛まぬ努力によって確かな答えを導き出せるグウェン。強者だからこそ理解できる領域の話だ。
武器の性能、剣術と魔術、歴戦の猛者と手合わせを続けてきた事によって生み出された戦闘勘。才能とそれを支える確かな努力。それらによって近接戦闘で優位に戦いを続けようとするユリア。
実戦経験による予測、皇族由来の魔力量、シェイドを真似た詐術による特殊な攻撃、体格差によって生まれる膂力の違い。自分のステータスを恥じる事なく活かし、攻防を繰り返しながら機会を伺い続けるリーゼッタ。
時折鳴り響く重低音と、消えたと思えば途端に聞こえる軽高音。音の軽快さからして、いまだ優位なのはユリアで間違い無いだろうが……アランは不安を覚える。
……彼女の行動は何かを待っているのか?
さきほどからユリアが若干隙を見せても攻撃を仕掛けずに、防御に徹している。まるでユリアの全力を見定めるかのように。
「……ああ、そういうことか」
「どうしたんだ、いきなり」
「リーゼッタの動きの不自然さだ。あれはきっと、他の帝国騎士達に見せるために態とああやって防勢に回っているんだ」
「ユリアの全力を見て、何になると言うんだ」
「単純な話、強さだ。現貴族、つまり六貴会に向けての牽制というか挑発というか。『私は貴様らの期待する子供よりも強いんだぞ』という、まあ子供の自慢みたいな事だよ」
「……まあそれに加えて、同じブロックにいる帝国騎士に実力をあまり見せないためだろうな。数日程度でそれほど実力が伸びるとは誰も思わんだろうからな」
「けど、ユリアに手加減をして勝てるほど殺し合いの世界は甘くない」
今度こそ【空斬り】に対応した滑らかな動きによって、ユリアはリーゼッタの懐に潜り込む。
だがリーゼッタもそこまで愚かではない。手首のスナップだけでユリアの首筋めがけて短刀を投げ放つ。予備動作で予見し、回避を選択したユリアは頬を掠めながらそれを躱し、再び懐へと潜り込もうと試みる。
最悪、遠距離における魔術戦では魔力量の違いと魔力の操作性能の差異においてユリアはリーゼッタに少なからず劣る。半径五メートルも距離を置けば何が起きるか分かったものではない。
……隙間は与えない!
あいにくアランとの密度の高い集中的な戦闘訓練のおかげで、十分程度ならばユリアは休む暇なく戦い続けられる。リーゼッタも同様だ。
一方は距離を詰めるためにひたすら攻め続け、他方は自身が有利な状況へ移り変えるために施行を繰り広げる。ユリアの気迫が最も離れた位置にいたアラン達にまで届いた。
「いい勝負だ」
「腹立たしいほど同感だ」
魔術を扱う者のみが理解できる魔力の奔流に身体が疼く。このまま会場へと身を投じ、乱入して戦いたいほどに心が焦がれる。
しかし。
ーーガァン!
ーーギィン!
帝国騎士同士の剣戟に負けず劣らずの戦いが続くこと五分が経過。次第に動きのキレが弱まり、疲労が見て取れた。
「あっちゃー……ここまで防御が得意だとは想定外だったなあ」
「ま、流石は東大門の警護を任された身と言うべきだな」
あれから一度として、リーゼッタは反撃に出る事は無かった。ユリアの剣撃を防ぎ捌き弾いて距離を取り、【空斬り】で牽制。彼女ほどの推察眼ならばユリアにもう【空斬り】が通じない事くらい分かるはずだ。
なのにそのスタンスを続ける。それが好機だと思ったユリアは後の事を考える事なく攻め立てた。
その結果が今だ。防御一筋だったリーゼッタはユリアに比べて体力の疲弊は少なく、息荒く呼吸を繰り返すユリアと対して平然とした顔をしている。
それを見たグウェンが塀に肘をついて無表情に近い顔で言う。
「あれ、不味くないか?」
「……」
グウェンは理解している。リーゼッタの平然とした顔が偽りから来ているものだと。
防御一筋と言えばただ防いでいるだけに感じるが、実は違う。敵の攻撃速度に対応した迅速な防御態勢、攻撃をいなす強靭な筋力、一瞬すら弛ませられない集中力。防御は攻撃よりも圧倒的に疲弊速度が早いのだ。
ならば何故、リーゼッタは平然としていられるのか。それはただ騙しているから、偽ってユリアの心を揺さぶるためだから。
だからグウェンは言ったのだ。「あのユリアへの精神攻撃、不味くないか?」と。
だからアランも返す。
「大丈夫。アイツは最初から知ってるよ」
「……?」
何を言ってる、とでも言いたそうな顔を見てアランに向ける。だが刹那、
「っ!?」
『おおっとぉ!?   なんだこの凄まじい魔力の奔流はぁ!?』
パルサーの解説を聞くその前に、グウェンは先までとは比べ物にならない魔力の重圧をその身に感じた。まるでこの感じは、
……団長の魔力圧と酷似しているだと!?
オルフェリア帝国の最大戦力、リカルドに負けず劣らずの魔力圧。それはこの会場にいる帝国騎士全員の緩んだ警戒心を、強制的に張り詰めさせた。
ーーいや、一人を除いて。
「アラン!」
「ん?   ……ああ。凄いだろう?   あれ」
説明を求めるグウェンに対し、さも最初から知っていたような顔でアランはジッとユリアを見つめる。
ほとんどの帝国騎士が視認すら出来ないはずの魔力を、視認可能なまでに密度を上げ、瀑布のような魔力が会場全体に広がっていく。きっと一般市民の中でも魔力に敏感な者ならば、魔力の濃さに魔力酔いを起こしているかもしれない。
「最初は単に、魔力の放出量を上昇させるためにした訓練だったんだ」
魔力量は生まれた時点で限られており、その後どのような訓練を積んだところで増える量はほんの微々たるものでしかない。
だからこそ、魔力を用いて強くなるためにはその放出量を強化すべきなのだ。放出量が上昇すれば魔術の威力も上がり、身体能力も飛躍的に強化される。
故にアランはセレナとユリアに日課として、魔力放出の訓練を課していたのだが……
「けどやっぱ、クソ親父の子供なんだろうなぁ。……ほんのちょっと感覚掴んだだけで、あんな馬鹿みたいな放出が出来るようになってやんの」
「だがこれは不味いのではないのか!?」
「魔力限界か?   心配ご無用、そもそもこれは魔力が満タンな状態でも五分しか保たん。魔力は魔石で回復したし……ま、ここからが本気の勝負ってことだ」
アランがそう言うや否や。
ユリアが、消えた。
◆◆◆
人というものは、ある一定の速度に見慣れてしまうと、次の瞬間にその速度を上回る速度で移動する物体を視認する事が出来ない仕組みになっている。
アランとユリアは、それを利用したのだ。
「っ!?」
……消えた!?
津波のような魔力圧が身を襲ったかと思えば刹那、光の如くユリアの姿が視界から消える。そして、
「ぐあッ!?」
襲いかかる背後からの一撃。唐突だった事もあって、そのまま地面に数度身体を打ち付けてから態勢を立て直すリーゼッタ。
身体に纏った魔力が吸い取られるような感覚とともに倦怠感を覚えたリーゼッタだが、そんな事に感けている余裕はない。次撃がくる。
「速ーーッ!」
今度は斬撃を寸のところで躱したものの、未だにユリアの像はボヤけたままだ。動体視力が適応しない。
が、そんな事を言っていられない。
「ぐぅッ!?」
シェイドには劣るとも認識速度を上回る程の速さで繰り出される斬撃の数々。まるで前方から唐突に現れた嵐のようだ。
回避、回避、回避、回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避ーーーーーー直撃。
「あがァ……っ」
剣撃ではない、掌底打ちだ。内臓を揺さぶられながらリーゼッタは後方に真っ直ぐ吹っ飛んだ。
ユリアはそれを追従する。そして剣を高々と振り上げてーー振り下ろす。
「ふッ!」
「ぐッ!?」
体勢が悪い状態での剣による防御。無論リーゼッタに掛かる負荷は予想の数倍先を超えた。背から地面に叩きつけられ、口内に酸味じみたものが込み上げる。
それでも意識は途絶えない。競り合う刃を傾けてユリアが体勢を少しずらした瞬間、
「しッ!」
右手を懐に入れて、中から予備の短刀を二本取り出し投擲した。
焦ったユリアはそれらを両腕で防御。外傷の代わりとして魔力が削り取られる。予想以上に魔力を奪われたが……それは些事だ。
姿勢を取り戻したユリアは後方に跳躍。それと同時にあらかじめ左手のひらに仕込んでいた爆発魔術の刻印された魔石をその場に放棄。リーゼッタもそれを見た刹那、跳ね起きて退避。
一呼吸して平常心を取り戻したい所だが、ユリアがそれを許さない。
「ぜァァァ!」
「ちぃッ!?」
今度は背後から襲いかかる刃の嵐。前方の爆発は未だ火煙を残しており、数は近づいただけで熱された空気が肺に流れ込んだ。無性に苦しく感じるのは煙の所為か、それともーー
『さあさあ、残り時間も僅か三分となってまいりましたぁー!!   戦いもいよいよ終盤といった所でしょうか。ユリア選手の攻撃が凄まじいぃいいいい!!』
パルサーの言葉から、あと三分もこの猛攻を受け続けなければならない事を予想したリーゼッタは歯を食いしばり、
「だァァァ!」
後先を考えない、自身の限界まで魔力を放出した。現状のユリアに劣らない魔力の奔流が再び会場を包み込む。歓声が次第に小さくなっているのは、おそらく一般市民の中から魔力酔いによって退場者が現れたからだろう。
だが、それに感けている余裕はない。
「ユリア=グローバルト……予想以上ね……っ!」
吐き捨てるように言い、正面から二人は刃を交える。刃の長さからしてリーゼッタは圧倒的に不利だが、それを洗練された戦闘勘で補う。
ーーギャギャギャギャギャギャッ!!
耳障りな金属の摩擦音だけが二人の鼓膜に響き合い、互いの気の緩みを伺い合い、相手の弱点であろう箇所に向けての一撃を準備する。
そして。
「がァ……っ!?」
「ぐッ!?」
ユリアはリーゼッタの左肩を。リーゼッタはユリアの顎にアッパーを叩き込んだ。共に大きな衝撃を受けて後方に跳び、揺らめきながら体勢を整えて睨み合う。
……左腕が痺れて十分に動きません。これでは左手が使えませんね。
……視界が揺らいでる。これじゃあ攻撃の精度が落ちちゃう。
「「けど攻める!!」」
残り時間は二分と少し。手を止める暇も、息を整える暇も、敵の動きを伺う暇もない。ただ攻めて攻めて、攻めまくるだけだ。
互いに心の内を叫び前へと駆けた。そして再び剣戟が始まる。魔術も使えるというのにだ。
「がァァァァァァッ!」
「ぜァァァァァァッ!」
攻撃の精度と共に防御にも雑さが見えたユリアは時折リーゼッタの剣撃を受け、対するリーゼッタも左腕が使えない所為で攻撃の頻度と防御に限りができ、ユリアの剣撃を諸に受けていた。
それでも止めない。止まらない。
この人生の中で刹那と言うべき時間を、この剣と剣が交わる一瞬を。帝国騎士や学院生徒としてでは無く、ただ目の前にいる、賞賛できる相手に対して敬意を払うために。
試合以前、リーゼッタはユリアの事を余り好んではいなかった。いやむしろ嫌いだった。生きた伝説と謳われるリカルド=グローバルトの娘というだけで、その才能を受け継いでいるから強いというだけでこの場に立っている彼女が酷く憎らしかった。
リーゼッタが学院生時代、それは丁度シュベルクオーグ家がヴィルガの政策によって爵位を剥奪された頃だった。
別に爵位が無くなった事が悔しかったのでも、爵位を奪ったヴィルガが憎らしかった訳でもない。というかリーゼッタは別に貴族である事すら別にどうでもよかったのだ。
だが周囲からの視線が疎ましかった。
リーゼッタの先祖は貴族の中でも人望に溢れた人物達だった。それは彼女の誇りでもある。それなのに周囲の人々はどういう訳か、自分が悪い貴族の一員だと確たる証拠も無しに、勝手に決め付けてくるのだ。
貴族界の闇を多く抱えた貴族ならば六貴会の中にでもいる。だというのに「旧皇帝の血を引いている」というだけで悪者扱いされる気分が分かるだろうか。訳の分からない非難を受ける気分が分かるだろうか。
だからリーゼッタは六貴会が忌まわしい。親の遺伝子によって才能を得たのであろうユリア=グローバルトが忌まわしかった。故にこの場で徹底的に打ちのめしてやろうと、六貴会に向けて「貴様らの期待していた子供は所詮、この程度の輩なのだ」と知らしめてやろうと。
ーーしかし、違った。
ユリア=グローバルトもまた、何かに辿り着くために、父親から継いだ才能だけを頼りとせずにひたすらに努力を続けていた。剣と剣を交えた瞬間、それをひしと感じ取ったのだ。
彼女に対して疎ましさを感じていた少し前の自分が恨めしい。自分もまた、彼女を貴族の一員として見つめていたのだ。なんと恥ずべき行いだろうか。
だからリーゼッタは謝罪の意も込め、全身全霊で短刀を振るう。この先の戦いがどうなろうとも構わない。次の相手に自分の戦い方を見抜かれたとしても構いはしない。
彼女に詫びるために、彼女のここまで歩んできた茨の道の代償に応えるために。
「おォォォォォォ!」
「ぐッ!?」
心が晴れた故か。リーゼッタの動きに洗練さが増し始める。流れるような動作に加え、時折フェイントや近距離からの【空斬り】でユリアの脳裏に防御の選択肢を増やさせる。
だがユリアも負けてはいない。
アランとの訓練の成果か、豪速で飛来する風の刃をタイミング良く剣で切り払っていく。無論攻撃の手も緩めない。アランから渡された術符を惜しみなく利用して、リーゼッタの視界や動作の範囲を極限まで減らし、回避からの鋭い一撃を加える。
肉を切らせて骨を断つ、まさに今の事だ。
騎士たるもの国を民を王を守るために、その身を犠牲にする覚悟が必要だ。だが近年の帝国騎士達はそれを拒否し、畏怖している。第一騎士団に比べて第二・第三騎士団への入団者が多い理由はまさにそれだ。
騎士とは護るために有る存在だ。近頃の若者達は「帝国騎士」という肩書きを勲章だと思い込む癖が多い。ヴィルガもよく嘆いていることだ。
故にこの戦いは、若者に蔓延る定説を砕くにはもってこいの光景だろう。
ーーだが今の二人には関係のない事柄だ。
「ぎぃ……ッ!」
「がぁ……ッ!」
目の前に乗り越えたい壁がある。ただその壁を乗り越えんがために、疲弊した筋肉で剣を振るい、朦朧とした意識で攻撃を予測し、熱された灼熱の空気を酸素を求める肺に注ぎ込む。
二人の脳裏に「倒す」という言葉はとうに消え、「殺す」という言葉が頻りに姿を見せる。二人にそれを否定する余裕は無かった。
リーゼッタの襲いかかる短刀の刃を払い、力の限りで剣を振り下ろす。
振り下ろされたユリアの剣撃を寸のところで躱し、間を置かずに一気に懐へ。
あらかじめ準備しておいた術符を発動。視界妨害魔術【ミストアイ】でリーゼッタの行動を阻害。
視覚に頼らずリーゼッタは魔力圧と風の揺らめきだけで横薙ぎの攻撃を察知。軽く跳躍して回避しつつ短刀を投げた。
投擲された短刀を首を傾げてユリアは回避。直剣に魔力を流し込み、一気に前へと駆ける。
ユリアの剣撃範囲に達する寸前にリーゼッタの基礎魔術【五属の矢】が発動。大きめの氷塊の矢がユリアの眉間に飛来する。
回避不可と判断したユリアはそれを左腕で庇いつつ、前に突進。短刀を構えるリーゼッタに対してユリアは切り下ろしと共に回し蹴りを叩き込んだ。
「ぐぅ……っ!?」
「がはぁ……っ」
思った以上に氷塊の矢で左手を痛めたユリアと、脇腹に魔力障壁越しとはいえ諸に蹴りを喰らったリーゼッタ。だが痛みに感傷を浸している暇はない。
残り一分。
ほぼ同時に地を蹴った。
「ぜァァァァァァ!」
「だァァァァァァ!」
制限時間という存在が、二人の理性をほんの少しだけ欠除させる。「もしかしたら」という可能性が、二人の攻撃を単純化させてしまう。
だからといって止まれない。
現れた隙を容赦なく切り合い、体内に残された魔力をバンバンと削り合う。だがそれは当然の事ながらユリアの方が不利だ。
「ぐ……っ」
ようやく戻り始めた視界が、再び魔力の激しい消耗によってボヤけ始める。対するリーゼッタは未だ余裕を見せていた。
表面上は、だが。
試合開始から【空斬り】を乱発した事は思った以上に彼女の魔力を奪い、さらにはユリアの攻撃の威力が凄まじく、予想よりも多量の魔力を消費していたのだ。
今や魔力の消費とともに気力によって意識を奮い立たせる二人。その瞳には未だ諦めの二文字は見えてこない。
残り三十秒。
「がァァァァァァ!」
「だァァァァァァ!」
澄み切った金属音が次第に鈍さを増し、音も響きが悪くなる。腕に力が入らなくなってきた証拠だ。
残り二十秒。
「ぜ、ァァァ!」
「ぐッ!?」
ユリアの渾身の右拳がリーゼッタの腹部に叩き込まれる。だが踏ん張るリーゼッタは全身に漲らせていた魔力を左脚に集中させ、一足にしてユリアの前に立ち、左肩から右脇腹にかけて切り裂いた。
「あぐッ!?」
魔力の底が見え始めたユリア。もはや視界に映る全てが靄だ。それでも。
残り十秒。
九……八……七……
「だ、らァァァ!」
「ぎはぁッ!?」
六……五……四……
「ざァァァ!」
「しッ!」
「「ぐふぅッ!?」」
三……二……一……
『ーー試合、終了でぇーすッ!!』
第三騎士団広報部隊第三班所属、ラパン=パルサーの合図によって試合は始まった。歓声がけたたましく思わず顰めっ面になるアラン。
予想通りと言うべきか、リーゼッタは変わらず大陸北東部で汎用されている刀類を使用していた。変わった事といえば、リーゼッタのシェイドに対する執着心が更に増していた、という事だろう。
しかも初手から思いもよらぬ技を見せてきた。
「あれは……【空斬り】か?」
シェイドが対人戦でよく使っていたという暗殺術【空斬り】。初見であれば大抵の敵が首と頭部を切り離されていた事だろう。以前のリーゼッタならば扱えなかった高難度の技法だ。
だがユリアはアランの言いつけを守り、危険を察知して即座に回避行動へと入った。
「ギリギリだな……」
しかし回避は成功。続け様に放たれる【空斬り】に対して、ユリアは直剣に魔力を通して防御。無色無臭の刃がユリアの剣と衝突した。
ユリアの戦闘に関する才能はリカルド並みだ。このまましばらく捌き続ければ【空斬り】に慣れ始め、均衡が崩れてユリアが前に出た。
「けどまあ、俺の剣じゃなかったら剣がポッキリ折れてただろうな」
ユリアが使っている直剣は、以前セレナとの一戦で使い捨てのように振るっていた例の剣だ。帝都襲撃事件からしばらくして、ユリアから修復を依頼されていたのだが……少しばかりユリアに合うようアレンジを加えてみた。
剣身を少し短くし、身体強化の付与効果だけでなく「魔力消費の抑制」や「剣身の強靭化」を付与し、現段階のユリアの攻撃力に見合った剣を作成した。
もちろんユリアにこの事は伝えてはいないが、しばらくの間使い続ければ今までとの違和感に気付くだろうから、いずれ知る事だろう。
ともあれ剣の耐久性の心配をせずに思い切り戦えるというのは、騎士としては爽快であること間違いない。次第に二人の距離は詰まり、近接戦闘が始まった。
すると。
「ユリアが優勢だな」
「ちっ……グウェンか」
一人でユリアの健闘を観覧するアランの横に、相棒であり最も嫌悪する同僚ーーグウェンが姿を現した。普段通りに帝国騎士を示す騎士服をきっちりと身に付け、その視線はユリアに向いている。
「お前、今の今までどこにいやがった。お前に言いたい事が山ほどあるんだぞ」
大声は張り上げない。今は試合中、時と場所くらいアランだって理解できる。だからこそアランは冷たい目線でグウェンに問い掛けた。
「貴様の代わりに皇城の修理をしていたのだ。それに言いたい事はこの後にすれば良い。しばらくは団長から休暇を与えられたからな」
「休暇ぁ?   あの労働という言葉から最もかけ離れたクソ親父が、そんなものを与えるような心優しい人間なわけーー」
「事実なのだから仕方が無いだろう。先日の内乱を俺たちの手だけで終息させた功績として、今回の警戒班には参加しなくても良いと言われたのだ」
「…………」
信じられない。だがグウェンの表情からは嘘を言っている感じは全くない。むしろ嬉々とした表情で、気楽にユリアの健闘ぶりを見つめている。そんな顔をするグウェンを見るのは久しぶりだ。
「……あれからもう十年か。あの甘えん坊だったあの子が帝国騎士と張り合えるほどに実力を付けたとは驚愕だ」
「ちょっとグウェンくんったら、キモいー」
「黙れ、このシスコン童貞が」
「「あ゛ぁ!?」」
互いに睨み合うアランとグウェン。さすがにこれは目立ち過ぎたのか、周囲の観客が面白そうにこちらに視線を向けていた。それに気付いた二人は反省して話を戻す。
「……んで?   休暇中とはいえ、お前はこういった遊び事の決闘は嫌いだったんじゃ?」
「ああ、嫌いさ。だが恩師の子供が出ているというのであれば話は別だ。少しばかりは興味が湧くというものだ」
「そういうもんかね」
「そういうものだ。……それよりもユリアがそろそろ動き出しそうだぞ」
グウェンに言われるまでもなくアランはその光景を見ていた。あらかじめ渡しておいたベルトポーチに手を突っ込み、中に貯蔵してある魔道具を取り出すユリア。
投げたのは魔石。近接戦闘で不利を感じたリーゼッタが退いた時にユリアが投げ放った事を考慮すると、
「爆発か」
「だな」
二人の推測は命中。盛大な爆発と共に二人を爆煙が包み込んだ。ルール違反ぎりぎりの威力調整だが、これでリーゼッタが倒れるとは思えない。ユリアもそのはずだ。
湧き上がる歓声。だが二人は静かに顛末を見届ける。向かいの観客席に鎮座する手練れの騎士達も同じ様子だ。
数秒後、爆煙の中から飛び跳ねるようにして、ほぼ同時に二人が姿を現した。ユリアもリーゼッタも見た目は大した怪我はなく、何事も無かったかのようだが、
「【外傷置換】のデメリットだな」
「ああ。敵がどの程度痛手を負ったのかを肉眼で判断できないっていうのは、思う以上に精神に堪える。相手が怪我になれた帝国騎士なら尚更な」
「しかもリーゼッタ=シュベルクオーグはシェイド騎士団長の真似事が得意なのだろう?   ポーカーフェイスも得意というわけだ。これは心理戦もありそうだな」
フッと愉快げに笑うグウェン。こちらとしては腹立たしいこと極まりないが、事実だ。
もともと結界魔術【外傷置換】は逃亡した犯罪者などを封じ込めるための檻として用いられていた結界魔術が技術的に進歩した結果生まれた魔術、殺戮番号No.4、リリアナ=マグレッティが生み出したものだ。
よって戦闘用というよりは安全対策用のもの。本来この様な戦闘を意識した催し物に使うには間違っているとしか言えない。アランの言う通り、怪我の程度が判断できないと今後の威力調整が難しい。下手をすれば過剰な攻撃で殺してしまう可能性だってあるのだ。
だが有るものに愚痴を付けていても仕方は無い。アランとグウェンは黙って二人の戦闘を見続ける。
「詐術では圧倒的にリーゼッタが有利だが、貴様が教えた事によって、ほんの僅かだが対応が上手くなっている」
「剣術や魔術はユリアが優勢だな。もともと剣に関してはクソ親父にみっちりと鍛えられているんだ。魔術は俺がやった術符と魔石が優位性を築いている、といっても過言じゃない」
「だが機動力では若干劣る。如何に魔力で身体を強化しようとも、リーゼッタの方が実戦経験がある。ユリアのほんの僅かな予備動作で次の攻撃を予測、余裕を持って回避行動を選んでいると見えるな」
二人なりに客観的に観察し、意見をぶつけ合う。努力の果てに異常なまでの観察眼を身に付けたアランと、才能と弛まぬ努力によって確かな答えを導き出せるグウェン。強者だからこそ理解できる領域の話だ。
武器の性能、剣術と魔術、歴戦の猛者と手合わせを続けてきた事によって生み出された戦闘勘。才能とそれを支える確かな努力。それらによって近接戦闘で優位に戦いを続けようとするユリア。
実戦経験による予測、皇族由来の魔力量、シェイドを真似た詐術による特殊な攻撃、体格差によって生まれる膂力の違い。自分のステータスを恥じる事なく活かし、攻防を繰り返しながら機会を伺い続けるリーゼッタ。
時折鳴り響く重低音と、消えたと思えば途端に聞こえる軽高音。音の軽快さからして、いまだ優位なのはユリアで間違い無いだろうが……アランは不安を覚える。
……彼女の行動は何かを待っているのか?
さきほどからユリアが若干隙を見せても攻撃を仕掛けずに、防御に徹している。まるでユリアの全力を見定めるかのように。
「……ああ、そういうことか」
「どうしたんだ、いきなり」
「リーゼッタの動きの不自然さだ。あれはきっと、他の帝国騎士達に見せるために態とああやって防勢に回っているんだ」
「ユリアの全力を見て、何になると言うんだ」
「単純な話、強さだ。現貴族、つまり六貴会に向けての牽制というか挑発というか。『私は貴様らの期待する子供よりも強いんだぞ』という、まあ子供の自慢みたいな事だよ」
「……まあそれに加えて、同じブロックにいる帝国騎士に実力をあまり見せないためだろうな。数日程度でそれほど実力が伸びるとは誰も思わんだろうからな」
「けど、ユリアに手加減をして勝てるほど殺し合いの世界は甘くない」
今度こそ【空斬り】に対応した滑らかな動きによって、ユリアはリーゼッタの懐に潜り込む。
だがリーゼッタもそこまで愚かではない。手首のスナップだけでユリアの首筋めがけて短刀を投げ放つ。予備動作で予見し、回避を選択したユリアは頬を掠めながらそれを躱し、再び懐へと潜り込もうと試みる。
最悪、遠距離における魔術戦では魔力量の違いと魔力の操作性能の差異においてユリアはリーゼッタに少なからず劣る。半径五メートルも距離を置けば何が起きるか分かったものではない。
……隙間は与えない!
あいにくアランとの密度の高い集中的な戦闘訓練のおかげで、十分程度ならばユリアは休む暇なく戦い続けられる。リーゼッタも同様だ。
一方は距離を詰めるためにひたすら攻め続け、他方は自身が有利な状況へ移り変えるために施行を繰り広げる。ユリアの気迫が最も離れた位置にいたアラン達にまで届いた。
「いい勝負だ」
「腹立たしいほど同感だ」
魔術を扱う者のみが理解できる魔力の奔流に身体が疼く。このまま会場へと身を投じ、乱入して戦いたいほどに心が焦がれる。
しかし。
ーーガァン!
ーーギィン!
帝国騎士同士の剣戟に負けず劣らずの戦いが続くこと五分が経過。次第に動きのキレが弱まり、疲労が見て取れた。
「あっちゃー……ここまで防御が得意だとは想定外だったなあ」
「ま、流石は東大門の警護を任された身と言うべきだな」
あれから一度として、リーゼッタは反撃に出る事は無かった。ユリアの剣撃を防ぎ捌き弾いて距離を取り、【空斬り】で牽制。彼女ほどの推察眼ならばユリアにもう【空斬り】が通じない事くらい分かるはずだ。
なのにそのスタンスを続ける。それが好機だと思ったユリアは後の事を考える事なく攻め立てた。
その結果が今だ。防御一筋だったリーゼッタはユリアに比べて体力の疲弊は少なく、息荒く呼吸を繰り返すユリアと対して平然とした顔をしている。
それを見たグウェンが塀に肘をついて無表情に近い顔で言う。
「あれ、不味くないか?」
「……」
グウェンは理解している。リーゼッタの平然とした顔が偽りから来ているものだと。
防御一筋と言えばただ防いでいるだけに感じるが、実は違う。敵の攻撃速度に対応した迅速な防御態勢、攻撃をいなす強靭な筋力、一瞬すら弛ませられない集中力。防御は攻撃よりも圧倒的に疲弊速度が早いのだ。
ならば何故、リーゼッタは平然としていられるのか。それはただ騙しているから、偽ってユリアの心を揺さぶるためだから。
だからグウェンは言ったのだ。「あのユリアへの精神攻撃、不味くないか?」と。
だからアランも返す。
「大丈夫。アイツは最初から知ってるよ」
「……?」
何を言ってる、とでも言いたそうな顔を見てアランに向ける。だが刹那、
「っ!?」
『おおっとぉ!?   なんだこの凄まじい魔力の奔流はぁ!?』
パルサーの解説を聞くその前に、グウェンは先までとは比べ物にならない魔力の重圧をその身に感じた。まるでこの感じは、
……団長の魔力圧と酷似しているだと!?
オルフェリア帝国の最大戦力、リカルドに負けず劣らずの魔力圧。それはこの会場にいる帝国騎士全員の緩んだ警戒心を、強制的に張り詰めさせた。
ーーいや、一人を除いて。
「アラン!」
「ん?   ……ああ。凄いだろう?   あれ」
説明を求めるグウェンに対し、さも最初から知っていたような顔でアランはジッとユリアを見つめる。
ほとんどの帝国騎士が視認すら出来ないはずの魔力を、視認可能なまでに密度を上げ、瀑布のような魔力が会場全体に広がっていく。きっと一般市民の中でも魔力に敏感な者ならば、魔力の濃さに魔力酔いを起こしているかもしれない。
「最初は単に、魔力の放出量を上昇させるためにした訓練だったんだ」
魔力量は生まれた時点で限られており、その後どのような訓練を積んだところで増える量はほんの微々たるものでしかない。
だからこそ、魔力を用いて強くなるためにはその放出量を強化すべきなのだ。放出量が上昇すれば魔術の威力も上がり、身体能力も飛躍的に強化される。
故にアランはセレナとユリアに日課として、魔力放出の訓練を課していたのだが……
「けどやっぱ、クソ親父の子供なんだろうなぁ。……ほんのちょっと感覚掴んだだけで、あんな馬鹿みたいな放出が出来るようになってやんの」
「だがこれは不味いのではないのか!?」
「魔力限界か?   心配ご無用、そもそもこれは魔力が満タンな状態でも五分しか保たん。魔力は魔石で回復したし……ま、ここからが本気の勝負ってことだ」
アランがそう言うや否や。
ユリアが、消えた。
◆◆◆
人というものは、ある一定の速度に見慣れてしまうと、次の瞬間にその速度を上回る速度で移動する物体を視認する事が出来ない仕組みになっている。
アランとユリアは、それを利用したのだ。
「っ!?」
……消えた!?
津波のような魔力圧が身を襲ったかと思えば刹那、光の如くユリアの姿が視界から消える。そして、
「ぐあッ!?」
襲いかかる背後からの一撃。唐突だった事もあって、そのまま地面に数度身体を打ち付けてから態勢を立て直すリーゼッタ。
身体に纏った魔力が吸い取られるような感覚とともに倦怠感を覚えたリーゼッタだが、そんな事に感けている余裕はない。次撃がくる。
「速ーーッ!」
今度は斬撃を寸のところで躱したものの、未だにユリアの像はボヤけたままだ。動体視力が適応しない。
が、そんな事を言っていられない。
「ぐぅッ!?」
シェイドには劣るとも認識速度を上回る程の速さで繰り出される斬撃の数々。まるで前方から唐突に現れた嵐のようだ。
回避、回避、回避、回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避回避ーーーーーー直撃。
「あがァ……っ」
剣撃ではない、掌底打ちだ。内臓を揺さぶられながらリーゼッタは後方に真っ直ぐ吹っ飛んだ。
ユリアはそれを追従する。そして剣を高々と振り上げてーー振り下ろす。
「ふッ!」
「ぐッ!?」
体勢が悪い状態での剣による防御。無論リーゼッタに掛かる負荷は予想の数倍先を超えた。背から地面に叩きつけられ、口内に酸味じみたものが込み上げる。
それでも意識は途絶えない。競り合う刃を傾けてユリアが体勢を少しずらした瞬間、
「しッ!」
右手を懐に入れて、中から予備の短刀を二本取り出し投擲した。
焦ったユリアはそれらを両腕で防御。外傷の代わりとして魔力が削り取られる。予想以上に魔力を奪われたが……それは些事だ。
姿勢を取り戻したユリアは後方に跳躍。それと同時にあらかじめ左手のひらに仕込んでいた爆発魔術の刻印された魔石をその場に放棄。リーゼッタもそれを見た刹那、跳ね起きて退避。
一呼吸して平常心を取り戻したい所だが、ユリアがそれを許さない。
「ぜァァァ!」
「ちぃッ!?」
今度は背後から襲いかかる刃の嵐。前方の爆発は未だ火煙を残しており、数は近づいただけで熱された空気が肺に流れ込んだ。無性に苦しく感じるのは煙の所為か、それともーー
『さあさあ、残り時間も僅か三分となってまいりましたぁー!!   戦いもいよいよ終盤といった所でしょうか。ユリア選手の攻撃が凄まじいぃいいいい!!』
パルサーの言葉から、あと三分もこの猛攻を受け続けなければならない事を予想したリーゼッタは歯を食いしばり、
「だァァァ!」
後先を考えない、自身の限界まで魔力を放出した。現状のユリアに劣らない魔力の奔流が再び会場を包み込む。歓声が次第に小さくなっているのは、おそらく一般市民の中から魔力酔いによって退場者が現れたからだろう。
だが、それに感けている余裕はない。
「ユリア=グローバルト……予想以上ね……っ!」
吐き捨てるように言い、正面から二人は刃を交える。刃の長さからしてリーゼッタは圧倒的に不利だが、それを洗練された戦闘勘で補う。
ーーギャギャギャギャギャギャッ!!
耳障りな金属の摩擦音だけが二人の鼓膜に響き合い、互いの気の緩みを伺い合い、相手の弱点であろう箇所に向けての一撃を準備する。
そして。
「がァ……っ!?」
「ぐッ!?」
ユリアはリーゼッタの左肩を。リーゼッタはユリアの顎にアッパーを叩き込んだ。共に大きな衝撃を受けて後方に跳び、揺らめきながら体勢を整えて睨み合う。
……左腕が痺れて十分に動きません。これでは左手が使えませんね。
……視界が揺らいでる。これじゃあ攻撃の精度が落ちちゃう。
「「けど攻める!!」」
残り時間は二分と少し。手を止める暇も、息を整える暇も、敵の動きを伺う暇もない。ただ攻めて攻めて、攻めまくるだけだ。
互いに心の内を叫び前へと駆けた。そして再び剣戟が始まる。魔術も使えるというのにだ。
「がァァァァァァッ!」
「ぜァァァァァァッ!」
攻撃の精度と共に防御にも雑さが見えたユリアは時折リーゼッタの剣撃を受け、対するリーゼッタも左腕が使えない所為で攻撃の頻度と防御に限りができ、ユリアの剣撃を諸に受けていた。
それでも止めない。止まらない。
この人生の中で刹那と言うべき時間を、この剣と剣が交わる一瞬を。帝国騎士や学院生徒としてでは無く、ただ目の前にいる、賞賛できる相手に対して敬意を払うために。
試合以前、リーゼッタはユリアの事を余り好んではいなかった。いやむしろ嫌いだった。生きた伝説と謳われるリカルド=グローバルトの娘というだけで、その才能を受け継いでいるから強いというだけでこの場に立っている彼女が酷く憎らしかった。
リーゼッタが学院生時代、それは丁度シュベルクオーグ家がヴィルガの政策によって爵位を剥奪された頃だった。
別に爵位が無くなった事が悔しかったのでも、爵位を奪ったヴィルガが憎らしかった訳でもない。というかリーゼッタは別に貴族である事すら別にどうでもよかったのだ。
だが周囲からの視線が疎ましかった。
リーゼッタの先祖は貴族の中でも人望に溢れた人物達だった。それは彼女の誇りでもある。それなのに周囲の人々はどういう訳か、自分が悪い貴族の一員だと確たる証拠も無しに、勝手に決め付けてくるのだ。
貴族界の闇を多く抱えた貴族ならば六貴会の中にでもいる。だというのに「旧皇帝の血を引いている」というだけで悪者扱いされる気分が分かるだろうか。訳の分からない非難を受ける気分が分かるだろうか。
だからリーゼッタは六貴会が忌まわしい。親の遺伝子によって才能を得たのであろうユリア=グローバルトが忌まわしかった。故にこの場で徹底的に打ちのめしてやろうと、六貴会に向けて「貴様らの期待していた子供は所詮、この程度の輩なのだ」と知らしめてやろうと。
ーーしかし、違った。
ユリア=グローバルトもまた、何かに辿り着くために、父親から継いだ才能だけを頼りとせずにひたすらに努力を続けていた。剣と剣を交えた瞬間、それをひしと感じ取ったのだ。
彼女に対して疎ましさを感じていた少し前の自分が恨めしい。自分もまた、彼女を貴族の一員として見つめていたのだ。なんと恥ずべき行いだろうか。
だからリーゼッタは謝罪の意も込め、全身全霊で短刀を振るう。この先の戦いがどうなろうとも構わない。次の相手に自分の戦い方を見抜かれたとしても構いはしない。
彼女に詫びるために、彼女のここまで歩んできた茨の道の代償に応えるために。
「おォォォォォォ!」
「ぐッ!?」
心が晴れた故か。リーゼッタの動きに洗練さが増し始める。流れるような動作に加え、時折フェイントや近距離からの【空斬り】でユリアの脳裏に防御の選択肢を増やさせる。
だがユリアも負けてはいない。
アランとの訓練の成果か、豪速で飛来する風の刃をタイミング良く剣で切り払っていく。無論攻撃の手も緩めない。アランから渡された術符を惜しみなく利用して、リーゼッタの視界や動作の範囲を極限まで減らし、回避からの鋭い一撃を加える。
肉を切らせて骨を断つ、まさに今の事だ。
騎士たるもの国を民を王を守るために、その身を犠牲にする覚悟が必要だ。だが近年の帝国騎士達はそれを拒否し、畏怖している。第一騎士団に比べて第二・第三騎士団への入団者が多い理由はまさにそれだ。
騎士とは護るために有る存在だ。近頃の若者達は「帝国騎士」という肩書きを勲章だと思い込む癖が多い。ヴィルガもよく嘆いていることだ。
故にこの戦いは、若者に蔓延る定説を砕くにはもってこいの光景だろう。
ーーだが今の二人には関係のない事柄だ。
「ぎぃ……ッ!」
「がぁ……ッ!」
目の前に乗り越えたい壁がある。ただその壁を乗り越えんがために、疲弊した筋肉で剣を振るい、朦朧とした意識で攻撃を予測し、熱された灼熱の空気を酸素を求める肺に注ぎ込む。
二人の脳裏に「倒す」という言葉はとうに消え、「殺す」という言葉が頻りに姿を見せる。二人にそれを否定する余裕は無かった。
リーゼッタの襲いかかる短刀の刃を払い、力の限りで剣を振り下ろす。
振り下ろされたユリアの剣撃を寸のところで躱し、間を置かずに一気に懐へ。
あらかじめ準備しておいた術符を発動。視界妨害魔術【ミストアイ】でリーゼッタの行動を阻害。
視覚に頼らずリーゼッタは魔力圧と風の揺らめきだけで横薙ぎの攻撃を察知。軽く跳躍して回避しつつ短刀を投げた。
投擲された短刀を首を傾げてユリアは回避。直剣に魔力を流し込み、一気に前へと駆ける。
ユリアの剣撃範囲に達する寸前にリーゼッタの基礎魔術【五属の矢】が発動。大きめの氷塊の矢がユリアの眉間に飛来する。
回避不可と判断したユリアはそれを左腕で庇いつつ、前に突進。短刀を構えるリーゼッタに対してユリアは切り下ろしと共に回し蹴りを叩き込んだ。
「ぐぅ……っ!?」
「がはぁ……っ」
思った以上に氷塊の矢で左手を痛めたユリアと、脇腹に魔力障壁越しとはいえ諸に蹴りを喰らったリーゼッタ。だが痛みに感傷を浸している暇はない。
残り一分。
ほぼ同時に地を蹴った。
「ぜァァァァァァ!」
「だァァァァァァ!」
制限時間という存在が、二人の理性をほんの少しだけ欠除させる。「もしかしたら」という可能性が、二人の攻撃を単純化させてしまう。
だからといって止まれない。
現れた隙を容赦なく切り合い、体内に残された魔力をバンバンと削り合う。だがそれは当然の事ながらユリアの方が不利だ。
「ぐ……っ」
ようやく戻り始めた視界が、再び魔力の激しい消耗によってボヤけ始める。対するリーゼッタは未だ余裕を見せていた。
表面上は、だが。
試合開始から【空斬り】を乱発した事は思った以上に彼女の魔力を奪い、さらにはユリアの攻撃の威力が凄まじく、予想よりも多量の魔力を消費していたのだ。
今や魔力の消費とともに気力によって意識を奮い立たせる二人。その瞳には未だ諦めの二文字は見えてこない。
残り三十秒。
「がァァァァァァ!」
「だァァァァァァ!」
澄み切った金属音が次第に鈍さを増し、音も響きが悪くなる。腕に力が入らなくなってきた証拠だ。
残り二十秒。
「ぜ、ァァァ!」
「ぐッ!?」
ユリアの渾身の右拳がリーゼッタの腹部に叩き込まれる。だが踏ん張るリーゼッタは全身に漲らせていた魔力を左脚に集中させ、一足にしてユリアの前に立ち、左肩から右脇腹にかけて切り裂いた。
「あぐッ!?」
魔力の底が見え始めたユリア。もはや視界に映る全てが靄だ。それでも。
残り十秒。
九……八……七……
「だ、らァァァ!」
「ぎはぁッ!?」
六……五……四……
「ざァァァ!」
「しッ!」
「「ぐふぅッ!?」」
三……二……一……
『ーー試合、終了でぇーすッ!!』
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