英雄殺しの魔術騎士
第2話「ユリア初戦」
「ちょっと。遅かったじゃない」
開会式が終わった直後。選手紹介として会場にいたセレナとユリアは、緊張を吐き出すようにして項垂れていた。そこにちょうどアランが現れ、予定よりも遅い登場に叱責する。
「悪いな、途中で道飯を食っててな」
「道飯って何よ……」
「その料理、美味しかった?」
「ああ。今になってもレシピを聴かなかった事を悔いているくらいだからな」
「……そう。なら、後で食べに行く」
自分達が頑張っている傍らで、うまうまと飯を食べていたアランに脱力するセレナと、アランの気になった味を求めるユリア。平常運転である。
「それで……クジ引きの方はどうだったんだ?」
「それがどうやら無駄な心配だったみたいよ」
セレナの説明によると、どうやら出場選手十六名は四名ずつのブロックに分けられ、その中でリーグ戦を行い最も戦績が高い人物が次のトーナメント戦へと向かう事が出来る仕組みらしい。
しかも学院生徒の配慮として、彼らは各ブロックに一人ずつしか配置されない。予選から衝突するような事は決して無いように設定されている。これは師匠としても一安心。
「そうか。……んで、今日の試合は直ぐだっけか。二人はどこのブロックだ?」
「私はDよ」
「私はB」
「ユリアの方が先か……」
予選Aブロックが始まるのは開会式のあと三十分後。その後十分の試合が二つと、三十分の小休憩を二つはさんだのちユリアの試合が始まるので、計一時間五十分ほどしか時間が無い。
時間的にはまだ昼餉には早く、ユリアの言う通りに街へと出て何かを食べるのも良いが、試合前に消化不十分で激しい動きに対し支障をきたす訳にもいかない。
「よし、ユリア。飯の事は後にして今は相手の情報収集から始めよう。情報は力なり、だからな」
「そうね。私もユリアとは決勝で戦いたいし……ここは手を組んで勝ちに行きましょう」
どうやらセレナもアランの意見に賛成のようだ。生徒枠予選で散々なほどにアランから情報を提供してもらい勝利している以上、敵の情報を集める事に関しては同意見らしい。
ユリアも素直に首肯した。
「んで、相手は誰だ?」
「確か……リーゼッタ=シュベルクオーグとかいう女性騎士」
「シュベルクオーグ……まさかとは思うが、あのシュベルクオーグかぁ。初戦から最悪だろう……」
「え、なに。知り合いなの?」
「いや知り合いって訳じゃ無いんだが……」
対戦相手の名前を聞くなり、顔に手のひらを押し付けて深いため息を漏らすアラン。それを見たセレナとユリアは、何やら尋常では無い相手なのだと思ってしまう。
「とりあえず話が聞かれない、聞かれても構わない場所に移動しよう。そうだな……いつものカフェテリアでどうだ?」
「賛成。あそこなら聞き耳を立てている奴なんて直ぐに分かるしね」
「私もそれで良い」
セレナとユリアの同意も得た所で、三人は訓練場を後にしてそそくさと目的の場所へと向かった。
◆
それから三十分ほど。
「予想以上に……時間が掛かったな」
「そ、そうね……」
「うん……本当に」
カフェテリアに着いたアラン達。到着するや否や猛速度でバルコニー席へと駆けた三人は、椅子に腰をかけると同時に疲労困憊の息を吐き出した。
訓練場から外に出たは良いものの、そこにはなんと多くの生徒や市民が集まり巨大な渦を作っていた。どうやら訓練場から出て来る選手達に、プレゼントやら質問やらをするために待ち構えていたらしい。
訓練場からカフェテリアはまでは片道でも五分程度。少し露店を見て歩くつもりだったので、最低でも二十分程度で着くであろうと考えていたのだが……誤算だったようだ。
残り約一時間。時間は無駄にできない。
手早く飲み物を頼んだアラン達は、一分ほど掛けて気を整える。ここからは真剣な話だ。
「終わった事は水に流そう。それじゃあまずはユリアの対戦相手、リーゼッタ=シュベルクオーグについてだが……あいつは前皇帝ゲーティオの再従兄弟の孫娘だ」
「「……っ!?」」
アランの言葉を聞いた二人は、途端に顔に神妙さが浮かび上がる。良い反応だとアランは心中で感心しながら話を続ける。
「所属は第三騎士団で東大門守護部隊副隊長。十九歳でありながら既に団長のシェイドさんに認められている強者だ」
「じゅ、十九……」
セレナが驚くのも分かる。帝都の東部、それはアルダー帝国が最も攻め易い方角に位置しているのだ。そんな重要な箇所の副隊長をになう実力者、それが普通であるはずがない。
しかも彼女の凄みはこれだけではない。
「戦術は皇族特有の膨大な魔力量を活かした長距離からの長期戦ーーと言いたいところだが、実はそうはいかない」
「……違うの?」
勿体ぶるようなアランの言い方に、ユリアは首を傾げながら問う。首元で切り揃えられた白銀の髪が、そよ風に揺れてとても可愛らしく感じるが、話を続けよう。
「近接戦闘もはっきり熟す。はっきり言って、俺に近いタイプだ」
「まあ、劣化版アラン=フロラストってところかしら。流石にアンタよりも強いって事は無いでしょうけど……」
セレナの言う通りだ。魔道具の使用がルール的に許可されている以上、アラン以上に有利になる事はないだろう。術符は一部の帝国騎士で汎用化されているものの、まだアランや殺戮番号達のようには扱えていない。魔石に関してはアランの独壇場だ。
さらにそこから十秒以上の時間を与えてしまうと、アランは最強魔術【顕現武装】を発動させてしまい、勝ち目は圧倒的に無くなる。
現状アランに勝てる相手など、殺戮番号や各騎士団の団長程度の実力者だけだろう。
「まあその言い方が妥当だろうな。ただし、魔力量はユリアに勝る。長期戦に持って行かれるとかなり不利になるのは必至だ」
「長期戦に持って行かれる……って事は、もしかしてリーゼッタって人、決定打に欠けているとか?」
「正解だ。彼女は予め後方に味方がいること前提で戦う状況の方が多い。だから攻めよりも守りの方が得意なんだ。だけど今回の場合そうはいかない。味方は自分だけ、攻めも守りも自分でする必要がある」
「……主要武器は?」
「短剣……いや短刀か。刃先が片側にしか付いていないが、とにかく鋭い。肉眼では絶対に目視出来ないから、来たと感じたら即刻回避が定石だろうな」
とは言ってもこれはアランが十八歳、つまりリーゼッタが十七歳で学院生徒だった頃の情報に過ぎない。気紛れで武器を変えている可能性も考えられるが、手に馴染んだそれを易々と変えるほど愚かだとは考えにくい。
……正直、賭けな部分も多い。
真っ向勝負ならばユリアに勝機が無い訳でもない。ただしリーゼッタの戦術はセレナの言った「劣化版アラン=フロラスト」というよりは、「劣化版シェイド=カルツォ」の方が正しい。
シェイド自身が指南していないとはいえ、彼女は間違いなくシェイドを師事している。彼女の動き方、短刀の扱い方、手先の動かし方、それら全てシェイドと酷似しているのだ。
だがアランが詐術を教わったのもシェイドだ。技術として差異はあろうとも、性質は大して変わらないはず。
それに重要なのはそこではない。
「ユリア。何よりもまず俺が忠告しておきたい事は、一つだけ。殺すつもりで戦え」
「……良いの?」
「ああ。むしろそうしなければ、勝てないと考えた方がいい。敵もお前がこの舞台に立つ以上、格下とは考えないはずだ。一瞬の気の迷いが敗北に繋がると用心しておけ」
「了解」
アランの言葉に適当に頷いている様子はない。一字一句、それら全てが正しいのだと確信して記憶に留めているのがセレナには第三者として伝わった。
正直ユリアに優越感というものは余り無い。自分が強者である事を余り見せびらかさない、むしろかなり謙虚な姿勢である事の方が多々見かけられる。
……ユリアの強みは「自分を強者」として見ていないこと。けど、そのせいあって自分よりも強い相手と命の駆け引きをしている時は、冷静ではいられない。それは弱点。
特に過去の傷口を話術で探り当て、そこからネチネチと責め立てるような相手はユリアにとって天敵だ。昔から強かった彼女にとって、過去の古傷は数え切れないほどにある。
今回のリーゼッタ=シュベルクオーグはそれに当てはまらないが、今後そのような敵が現れたとしてもおかしくない。ユリアの今後の課題としてはそこの克服であろう。
ーーそれからしばらくの間、アラン達は戦術について口論を始めた。出来るだけ些細な事ですらユリアに伝え、事細かな情報で勝率を上乗せしていく。
二十分ほどした頃。会場がある方角から沸くような歓声が轟いた。どうやら予選Aブロックの二回戦が終了したらしい。
「……とまあ、作戦はそんな感じで良いはずだ。あとは敵の些細な行動にも疑惑を抱くこと。今から向かう所は訓練場じゃあ無い、一対一の殺し合いの場だ。最初から本気で向かえ」
アランからの再度の確認に対し、ユリアは口を真一文字に閉じてコクリと頷いた。集中しているのがよく伝わる。
「それじゃあ、行こうか」
席を立つ三人。アランの視界の傍らにピクリと蠢く影がたくさん。どうやら正規の道からでは簡単に移動出来そうに無いようだ。
……広報部隊も大概だなぁ。
試合三十分前の選手に対して質問攻めとか、常識的に考えて遠慮して欲しいものだ。だがその常識ありきで広報部などやるはずも無い。広報部隊所属の騎士は大抵がそういう奴らだ。
辺りを見渡す。カフェテリアから会場までは直線距離で約一キロ。道中は人混みが多く、露店も数多く並んでいる。遮蔽物としては有効活用できそうだ。……と普通の騎士ならば考えることだろう。
よし、と意気込んだアランは、
「ユリア。こっちゃ来い来い」
「「?」」
言われるがままユリアはアランの元に歩み寄り、セレナは首を傾げながらその光景を見つめている。その時、
「よっと」
「あ、アル兄ぃ!?」
「ちょっと!?」
アランが少ししゃがんだかと思った直後、膝裏に手刀を柔く叩き込み、ユリアの体勢が後ろ向きに崩れた。思わず後方宙返りで姿勢を戻そうとするユリアだが、それをアランが許さない。それを見越していたアランが、空中へと跳んだユリアを優しく受け止め両腕で抱え込む。
そうーーお姫様抱っこだ。
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァッ!!??」
「ユリアが壊れた!?」
嬉し驚きのあまりに思考が崩壊したユリア。禁断症状が出たみたいにガクブルしている。アランの所為で集中力が全て霧散した!
だが当のアランはそんな事お構い無しにユリアを抱えながら辺りを見渡す。聴覚強化で周囲に気を配らせてみると、其処彼処に広報部隊や学院の生徒、ユリアとセレナへの熱意的な愛好家達が集まっている。まるで袋の鼠だ。
というわけで。
「セレナ。俺とユリアは先に行く。すまんがお前は後で出口から出て来てくれ」
「先に行くって……どこから?」
「決まってるだろう?   あの木を使うのさ」
目線で示す木とは、道脇に等間隔で植えられている高さ四、五メートルはあろう木々の事だ。たしかにあれを使えば広報部隊達を掻い潜る事も出来るだろう。
「でも、なんで私だけ出口から出て行かないといけないのよ。私だってあれくらいなら……」
「決まっているさ。答えはもうーー後ろにある。という訳で、後でな!!」
「あ、ちょっとーー!」
受け答えるや即座に跳躍。五メートルほどあった幅を易々と移動したアランは、その腕にユリアを抱えたまま更に前の木へと跳び移る。それを見た広報部隊達も大急ぎでその後ろ姿を追いかけ始めた。
どうやら分断には成功したらしく、周囲から届く陰湿な視線は数を大幅に減らす。それに関してはセレナも一安心だ。
だが、
「そういえば後ろにあるって……」
後ろを振り返る。そこにあるのはさっきまで座っていた椅子とテーブルだけ。いや正確にはその上にマグカップが三つ、そしてーー
ーー領収書。
「あんの野郎……っ!!」
紅茶二杯とコーヒー一杯、占めて二百六十エルドになります。言葉に言い表せない感情が魔力の奔流となってテラスを荒れ狂う。
その後セレナはカウンターで料金を支払い、アランに対する激怒を胸に、刺々しい魔力を放ちながら歩いて会場へと向かうのであった。
◆
小休憩の三十分が経ち、ついにユリアの試合が始まった。観客は大勢集まり、無論のことながらリカルドも貴族に混じって観覧していた。
『さてさて、お集まりの皆様ご存知だとは思いますが改めて紹介と致しましょう!   かの英雄、第一騎士団団長リカルド=グローバルト氏の御息女でありながら、彼女自身も生徒という枠から抜きん出た才覚を手にする有望株!   生徒枠予選においても第一学年でありながら圧倒的な差を見せつけて一位を獲得した実力者!   彼女の剣戟を一度見れば、酔いしれる事間違い無し!   ではご登場して頂きましょう、ユリア=グローバルト選手です!!』
『『『ワァーーーーーーッッ!!』』』
湧き上がる歓声。反響し合った爆発のような音が、身体に浸透して骨を胃を揺さぶる。もしも直前に何かしら食べていたら、堪え切れずに吐いていたかもしれない。
生徒枠予選の時とは異なる緊張感。まるで全身に呪術でも付与されたかの如く、前へと踏み出す一歩が途轍もなく重たい。前からやってくる圧迫感に喉が乾く。
……でも。
進まなければ。それは自分が望んだものを手にするため。手にするための資格を手に入れるため。その資格は至って単純ーー勝つ事。
たとえ敵が自分よりも遥かに強く、可能性が限りなく無に近い場合だとしても、足を止める訳にはいかない。
そうしてユリアは一呼吸。大きく吸って、天に向かって内に溜まっていた緊張感を吐き出す。そして振り返る。
「おしっ、行ってこい」
そこには愛する義兄ーーアランがいる。心配も同情も見えない、純粋に信頼している真っ直ぐな瞳でユリアを見つめている。それがなんとも頼もしい。
「行ってくる」
学院に向かう際に母へと言うあの言葉のように。……いや、少し違う。これは五年以上も前の感覚だ。アランがまだ屋敷に居た頃の感覚に酷似している。
帰る場所にアランがいる。アランが待って居てくれる。それがなんとも幸福感に包まれる。だからこそ、たった一言、アランのあの言葉を聞くが為にユリアは決断した。
この試合、絶対に勝ってみせると。
ならばもう震えは無い、重みは無い、迷いは無い、躊躇いは無い。身体はいつも以上に軽く、身を包む魔力がとても鋭敏に感じ取れる。鬨の声のように響く歓声はどこか遠くから聞こえ、会場の向こうにいるであろうリーゼッタの気配を濃く感じる。
これは敵意か、はたまた殺意か。まだまだ経験の少ないユリアにとってそれを見分ける事は難しい。だが、だからといってどうという事はない。そこにいるのは確かなのだから。
不敵な笑みを浮かべたユリアは、もう一度呼吸。今度は脈拍に全くの乱れはない。完璧に心が落ち着いている証拠だ。
よしと意気込んだユリアは、軽やかな足取りで前へと進み出した。途端、歓声が間近なものへと変貌するが、ユリアにとってそれは些事だ。
『ではではこちらもご紹介します。皆様ご存知、第三騎士団シェイド氏からの強い推しによって選抜されました彼女。東大門の守護者として選ばれながらも、歳はまだ二十にすら至らず。……ですが子供だと侮ってはならない!   宙を舞う落ち葉ですら綺麗に切り裂く彼女の短刀捌き、中堅騎士ですら騙される彼女の巧みな技の数々!   今宵皆様は彼女の素晴らしさに驚嘆なされる事でしょう!   それではリーゼッタ=シュベルクオーグ選手の登場です!!』
『『『ワァーーーーーーッッ!!』』』
同じように現れたリーゼッタは淡い青色の双眸でユリアの瞳を見据える。揺らぎ一つ無いその眼光に少し気圧されるも、ユリアも負けじと睨み返した。
リーゼッタは有り体に言って、美人だ。
ルビーのような濃赤色の長髪、きめ細やかな白肌、長身でスタイルも良い。細長い眉や思わずキスしたくなる唇はとても魅了的だ。男女の騎士問わず、騎士団の所属に問わず彼女はその美貌から多くの人物達から知られている。もちろんリカルドも知っている。
だがそれと同時に彼女の人望が厚い事も事実だ。
前皇帝の血族として多くの親類皇族が処断されている中、彼女ーーシュベルクオーグ家はその難を逃れた。理由は臣民からの人望があったからだ。
シュベルクオーグ家は根っからの騎士家系。祖父の代から辺境伯として暮らして居たリーゼッタ達は、帝国領の臣民達から語り尽くせないほどの人望を有しており、そんな人物達を親類皇族とはいえ殺すのはどうかという事で、不問となったのだ。
臣民の多くも彼女が前皇帝の血縁者だと知っているはずだ。だがそれでもこの歓声、この人気。彼女の帝国騎士としての誠実さが如実に表れていると考えざるを得ない。
『両者準備は整いましたでしょうか?   ……それではカウントを始めます。十……九……八……』
司会者の秒読みを片耳に、ユリアは剣を抜き放つ。剣は片手直剣、以前セレナとの試合の際に使っていたアランのお古を、アラン自身に修繕してもらったものだ。
もちろん、料金は家族割で。
対してリーゼッタは騎士服の内側に右手を突っ込んだ状態で腰を低く屈め、ユリアの出だしを待ち構えているのが分かる。内側に短刀を隠す理由は分からないが。
互いに魔力を薄く鋭く漲らせ、残り僅かな合間で数手先を思案する。この瞬間に必要不可欠なのは敵方の情報。やはりアランの有無でユリアの勝率は大幅に変わっていた事だろう。
……今更ながら、アル兄ぃに感謝。
唐突に笑みを浮かべたユリアに疑念を覚えたのか、リーゼッタの眉間に皺が寄る。……がそれも直ぐに終わった。そして。
『二……一……試合、開始です!!』
幕が上がった。
「ぜあァァァァァァ!!」
先に駆け出したのはユリアだ。アランお手製の直剣に魔力を通し、魔力による身体強化を更に上へと昇華させる。使用の有無での差異はごく僅かだが、対峙する者にとってその差異こそが脅威なのだ。
だが。
「しッ!」
リーゼッタは騎士服の内側から短刀を取り出すと、薙ぐようにして振るう。しかしまだそこにはユリアの影はない。距離感を見誤ったのだろうかとユリアは感じたが、次の瞬間アランの言葉を思い出す。
ーー敵の些細な行動にも疑問を抱くこと。
「ーーっ」
意味はある。そう考えたユリアは咄嗟の判断で上空へと跳躍した。刹那ユリアの鼻先を何かが通過するのを感じた。それは無味無臭、なにより無色の刃のような物だった。
「今のは……」
「【空斬り】。シェイド騎士団長の得意技の一つです……よッ!!」
無口だったリーゼッタが表情一つ変える事なく説明。そしてそのまま連続で【空斬り】を繰り出す。
原理は簡単。魔力を刃に溜め、それを斬撃として放出する。魔力波動もほとんどなく、暗殺に特化した技術の一つだ。
「く……っ」
不可視の斬撃に苦難するユリア。だがネタさえ把握してしまえばあとは単純。思考を止めどなく働かせ続け、放出の瞬間から命中までの時間差、刃の硬度、連撃の限度などを調べていく。
しばらくの間、リーゼッタから放たれる無色の斬撃に対処し続けるユリアの絵が続く。魔力を感じ取る事が出来ない一般市民どころか原理を知らない帝国騎士ですら、首を傾げてその光景を見つめている。
しかし、八撃目を受けた所でユリアが前に出た。放たれる【空斬り】を軽快に躱しながら前へと進み、ついにユリアの剣域にまで到達した。
「はァァァ!」
ギャリィン!   と金属の擦れ合う音を響かせながらぶつかり合う直剣と短刀。鋭利さで考えれば短刀の方が有利だが、魔力強化された直剣はそれに負けない強度を誇っている。
しかし忘れてはならない。短刀が一本とは限らない事に。
「しッ!!」
掬い上げるようにして切り上げてきたもう一本の短刀がユリアの首筋に迫る。ユリアも紙一重で避けるが重心がズレた途端、リーゼッタは競り合っていた右手の短刀を傾け、滑らかな動きでユリアの脇腹を抉った。
「がァ……っ!?」
抉られた衝撃によって後方へと吹っ飛ばされたユリアはそのまま地面に二度身体を叩きつけ、三度目の瞬間に歯を食いしばって姿勢を立て直す。
追撃はない。その間に出来る限りの状況確認。
脇腹が熱い。だがそこに傷はーー無い。
『皆様ご存知の通り、安全を期しましてこの会場全体に攻撃による怪我を魔力に置換する事が出来る魔術を常時展開しております。というわけで御二方、思う存分にやっちゃってくださいねッ!!』
他人事のように言う司会者に苦く笑いながら、ユリアは中段に剣を構える。
……怪我が魔力消費に変わるって事は、怪我をする分だけ魔力限界が早まるってこと。
アランがこの事を知っていたか否かはさておき、確かに長期戦ではユリアに勝機はないようだ。
……かと言って、距離感を間違えれば短刀に魔力を奪われちゃう。あれはかなり危険だ。
身体の奥底から魔力が奪われていった感触。薄っすらと感じる倦怠感は、おそらくそれが原因なのだろう。連続で攻撃を受け続ければ、かなり危険な事を身をもって把握した。
「とりあえず……ッ!」
距離を詰める。ユリアの剣域にありながら、リーゼッタの刃が届かないギリギリの領域を目で測りつつ、凄まじい速さで剣を振るう。切っても死ぬ事が決して無いのならば、安心して戦える。
「ぜあァァァッ!」
時折襲いかかってくるリーゼッタの短刀を紙一重で躱しながら、攻めて攻めて攻めまくる。どうせならば短刀や短剣を扱う帝国騎士と手合わせをしておくべきだったと今更ながらに後悔しつつ、ユリアは拳闘を加えた変幻自在な攻防を繰り返す。
斬撃はともかく拳撃は結界魔術によって魔力消費に変換されたとしても、攻撃によって受けた痛みは残る。この結界魔術のある意味弱点ともいうべき箇所だ。
この結界魔術【外傷置換】は攻撃によって受けた「外傷」にしか効果は発揮しない。肉体内部に蓄積したダメージには効果は発揮されず、それ故に疲労や苦痛そのものは残るのだ。
このような祭典の際には便利な魔術だが、実際の戦場では何の使い道もない。だからこの魔術について詳細に知る者は、結界魔術に精通した者や熱心な魔術学者だけだろう。
しかしリーゼッタもそれに気付いているのかユリアの肉弾戦に応じるかの如く、短刀の柄を掴みながら隙あらば拳撃を叩き込んでくる。
「ふッ!」
「しッ!」
司会者の解説すら耳に入れず、ただひたすらに拳をぶつけ合う。適確に丁寧に、最低限の魔力を伴った掌底打ちや肘打ちなどを叩き込み、互いの動きを観察する。
観察眼に関してはアランとの実戦経験の多いユリアに分があるのだろう。徐々にリーゼッタの動きに慣れ始めたユリアは、彼女が苦手だと思われる左半身を中心とした攻撃を増やしていく。
「ぐ……っ!?」
ユリアの動きに迷いが消え始めたのを察したリーゼッタは、流れるような動作でユリアの掌底打ちを弾き後退した。
やはり魔術戦はともかく、近接戦に関してはユリアに軍配が上がるようだ。コンマ数秒が勝負の分け目となる魔術騎士同士の戦闘では、否が応でも近接戦が多い。リーゼッタもどこか不満げだ。
その瞬間を逃さない。
事前にアランから渡されていたベルトポーチに左手を突っ込み、整頓された中身から硬い感触の物を一つ掴み、リーゼッタへと向けて投げ放った。それは、
「…….宝石?」
半分正解。
そのルビーの宝石にはなんとも緻密な魔術方陣が描かれており、一種の芸術のようにルビーの中で淡い光で輝いている。解読しようと試みても、あまりに第一神聖語が細か過ぎて不可能だ。
それは作った本人と渡された本人しか知り得ない秘密の魔道具。たとえ人間離れした「術殺しの魔眼」を持つトーマスですら、反応には僅かな時間を要するだろう。
しかし、それが魔道具であるという事とユリアの行動によって、リーゼッタは一つの可能性を感じ取った。
ユリアがその場から跳躍し、リーゼッタから距離をとった。つまりこの魔道具は距離によっては自身にも被害が及ぶという事ですなわち、
「ばくはーーーー!?」
「遅い」
リーゼッタの推理虚しく、魔石は赤い炎を撒き散らしながら盛大に爆発した。
開会式が終わった直後。選手紹介として会場にいたセレナとユリアは、緊張を吐き出すようにして項垂れていた。そこにちょうどアランが現れ、予定よりも遅い登場に叱責する。
「悪いな、途中で道飯を食っててな」
「道飯って何よ……」
「その料理、美味しかった?」
「ああ。今になってもレシピを聴かなかった事を悔いているくらいだからな」
「……そう。なら、後で食べに行く」
自分達が頑張っている傍らで、うまうまと飯を食べていたアランに脱力するセレナと、アランの気になった味を求めるユリア。平常運転である。
「それで……クジ引きの方はどうだったんだ?」
「それがどうやら無駄な心配だったみたいよ」
セレナの説明によると、どうやら出場選手十六名は四名ずつのブロックに分けられ、その中でリーグ戦を行い最も戦績が高い人物が次のトーナメント戦へと向かう事が出来る仕組みらしい。
しかも学院生徒の配慮として、彼らは各ブロックに一人ずつしか配置されない。予選から衝突するような事は決して無いように設定されている。これは師匠としても一安心。
「そうか。……んで、今日の試合は直ぐだっけか。二人はどこのブロックだ?」
「私はDよ」
「私はB」
「ユリアの方が先か……」
予選Aブロックが始まるのは開会式のあと三十分後。その後十分の試合が二つと、三十分の小休憩を二つはさんだのちユリアの試合が始まるので、計一時間五十分ほどしか時間が無い。
時間的にはまだ昼餉には早く、ユリアの言う通りに街へと出て何かを食べるのも良いが、試合前に消化不十分で激しい動きに対し支障をきたす訳にもいかない。
「よし、ユリア。飯の事は後にして今は相手の情報収集から始めよう。情報は力なり、だからな」
「そうね。私もユリアとは決勝で戦いたいし……ここは手を組んで勝ちに行きましょう」
どうやらセレナもアランの意見に賛成のようだ。生徒枠予選で散々なほどにアランから情報を提供してもらい勝利している以上、敵の情報を集める事に関しては同意見らしい。
ユリアも素直に首肯した。
「んで、相手は誰だ?」
「確か……リーゼッタ=シュベルクオーグとかいう女性騎士」
「シュベルクオーグ……まさかとは思うが、あのシュベルクオーグかぁ。初戦から最悪だろう……」
「え、なに。知り合いなの?」
「いや知り合いって訳じゃ無いんだが……」
対戦相手の名前を聞くなり、顔に手のひらを押し付けて深いため息を漏らすアラン。それを見たセレナとユリアは、何やら尋常では無い相手なのだと思ってしまう。
「とりあえず話が聞かれない、聞かれても構わない場所に移動しよう。そうだな……いつものカフェテリアでどうだ?」
「賛成。あそこなら聞き耳を立てている奴なんて直ぐに分かるしね」
「私もそれで良い」
セレナとユリアの同意も得た所で、三人は訓練場を後にしてそそくさと目的の場所へと向かった。
◆
それから三十分ほど。
「予想以上に……時間が掛かったな」
「そ、そうね……」
「うん……本当に」
カフェテリアに着いたアラン達。到着するや否や猛速度でバルコニー席へと駆けた三人は、椅子に腰をかけると同時に疲労困憊の息を吐き出した。
訓練場から外に出たは良いものの、そこにはなんと多くの生徒や市民が集まり巨大な渦を作っていた。どうやら訓練場から出て来る選手達に、プレゼントやら質問やらをするために待ち構えていたらしい。
訓練場からカフェテリアはまでは片道でも五分程度。少し露店を見て歩くつもりだったので、最低でも二十分程度で着くであろうと考えていたのだが……誤算だったようだ。
残り約一時間。時間は無駄にできない。
手早く飲み物を頼んだアラン達は、一分ほど掛けて気を整える。ここからは真剣な話だ。
「終わった事は水に流そう。それじゃあまずはユリアの対戦相手、リーゼッタ=シュベルクオーグについてだが……あいつは前皇帝ゲーティオの再従兄弟の孫娘だ」
「「……っ!?」」
アランの言葉を聞いた二人は、途端に顔に神妙さが浮かび上がる。良い反応だとアランは心中で感心しながら話を続ける。
「所属は第三騎士団で東大門守護部隊副隊長。十九歳でありながら既に団長のシェイドさんに認められている強者だ」
「じゅ、十九……」
セレナが驚くのも分かる。帝都の東部、それはアルダー帝国が最も攻め易い方角に位置しているのだ。そんな重要な箇所の副隊長をになう実力者、それが普通であるはずがない。
しかも彼女の凄みはこれだけではない。
「戦術は皇族特有の膨大な魔力量を活かした長距離からの長期戦ーーと言いたいところだが、実はそうはいかない」
「……違うの?」
勿体ぶるようなアランの言い方に、ユリアは首を傾げながら問う。首元で切り揃えられた白銀の髪が、そよ風に揺れてとても可愛らしく感じるが、話を続けよう。
「近接戦闘もはっきり熟す。はっきり言って、俺に近いタイプだ」
「まあ、劣化版アラン=フロラストってところかしら。流石にアンタよりも強いって事は無いでしょうけど……」
セレナの言う通りだ。魔道具の使用がルール的に許可されている以上、アラン以上に有利になる事はないだろう。術符は一部の帝国騎士で汎用化されているものの、まだアランや殺戮番号達のようには扱えていない。魔石に関してはアランの独壇場だ。
さらにそこから十秒以上の時間を与えてしまうと、アランは最強魔術【顕現武装】を発動させてしまい、勝ち目は圧倒的に無くなる。
現状アランに勝てる相手など、殺戮番号や各騎士団の団長程度の実力者だけだろう。
「まあその言い方が妥当だろうな。ただし、魔力量はユリアに勝る。長期戦に持って行かれるとかなり不利になるのは必至だ」
「長期戦に持って行かれる……って事は、もしかしてリーゼッタって人、決定打に欠けているとか?」
「正解だ。彼女は予め後方に味方がいること前提で戦う状況の方が多い。だから攻めよりも守りの方が得意なんだ。だけど今回の場合そうはいかない。味方は自分だけ、攻めも守りも自分でする必要がある」
「……主要武器は?」
「短剣……いや短刀か。刃先が片側にしか付いていないが、とにかく鋭い。肉眼では絶対に目視出来ないから、来たと感じたら即刻回避が定石だろうな」
とは言ってもこれはアランが十八歳、つまりリーゼッタが十七歳で学院生徒だった頃の情報に過ぎない。気紛れで武器を変えている可能性も考えられるが、手に馴染んだそれを易々と変えるほど愚かだとは考えにくい。
……正直、賭けな部分も多い。
真っ向勝負ならばユリアに勝機が無い訳でもない。ただしリーゼッタの戦術はセレナの言った「劣化版アラン=フロラスト」というよりは、「劣化版シェイド=カルツォ」の方が正しい。
シェイド自身が指南していないとはいえ、彼女は間違いなくシェイドを師事している。彼女の動き方、短刀の扱い方、手先の動かし方、それら全てシェイドと酷似しているのだ。
だがアランが詐術を教わったのもシェイドだ。技術として差異はあろうとも、性質は大して変わらないはず。
それに重要なのはそこではない。
「ユリア。何よりもまず俺が忠告しておきたい事は、一つだけ。殺すつもりで戦え」
「……良いの?」
「ああ。むしろそうしなければ、勝てないと考えた方がいい。敵もお前がこの舞台に立つ以上、格下とは考えないはずだ。一瞬の気の迷いが敗北に繋がると用心しておけ」
「了解」
アランの言葉に適当に頷いている様子はない。一字一句、それら全てが正しいのだと確信して記憶に留めているのがセレナには第三者として伝わった。
正直ユリアに優越感というものは余り無い。自分が強者である事を余り見せびらかさない、むしろかなり謙虚な姿勢である事の方が多々見かけられる。
……ユリアの強みは「自分を強者」として見ていないこと。けど、そのせいあって自分よりも強い相手と命の駆け引きをしている時は、冷静ではいられない。それは弱点。
特に過去の傷口を話術で探り当て、そこからネチネチと責め立てるような相手はユリアにとって天敵だ。昔から強かった彼女にとって、過去の古傷は数え切れないほどにある。
今回のリーゼッタ=シュベルクオーグはそれに当てはまらないが、今後そのような敵が現れたとしてもおかしくない。ユリアの今後の課題としてはそこの克服であろう。
ーーそれからしばらくの間、アラン達は戦術について口論を始めた。出来るだけ些細な事ですらユリアに伝え、事細かな情報で勝率を上乗せしていく。
二十分ほどした頃。会場がある方角から沸くような歓声が轟いた。どうやら予選Aブロックの二回戦が終了したらしい。
「……とまあ、作戦はそんな感じで良いはずだ。あとは敵の些細な行動にも疑惑を抱くこと。今から向かう所は訓練場じゃあ無い、一対一の殺し合いの場だ。最初から本気で向かえ」
アランからの再度の確認に対し、ユリアは口を真一文字に閉じてコクリと頷いた。集中しているのがよく伝わる。
「それじゃあ、行こうか」
席を立つ三人。アランの視界の傍らにピクリと蠢く影がたくさん。どうやら正規の道からでは簡単に移動出来そうに無いようだ。
……広報部隊も大概だなぁ。
試合三十分前の選手に対して質問攻めとか、常識的に考えて遠慮して欲しいものだ。だがその常識ありきで広報部などやるはずも無い。広報部隊所属の騎士は大抵がそういう奴らだ。
辺りを見渡す。カフェテリアから会場までは直線距離で約一キロ。道中は人混みが多く、露店も数多く並んでいる。遮蔽物としては有効活用できそうだ。……と普通の騎士ならば考えることだろう。
よし、と意気込んだアランは、
「ユリア。こっちゃ来い来い」
「「?」」
言われるがままユリアはアランの元に歩み寄り、セレナは首を傾げながらその光景を見つめている。その時、
「よっと」
「あ、アル兄ぃ!?」
「ちょっと!?」
アランが少ししゃがんだかと思った直後、膝裏に手刀を柔く叩き込み、ユリアの体勢が後ろ向きに崩れた。思わず後方宙返りで姿勢を戻そうとするユリアだが、それをアランが許さない。それを見越していたアランが、空中へと跳んだユリアを優しく受け止め両腕で抱え込む。
そうーーお姫様抱っこだ。
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァッ!!??」
「ユリアが壊れた!?」
嬉し驚きのあまりに思考が崩壊したユリア。禁断症状が出たみたいにガクブルしている。アランの所為で集中力が全て霧散した!
だが当のアランはそんな事お構い無しにユリアを抱えながら辺りを見渡す。聴覚強化で周囲に気を配らせてみると、其処彼処に広報部隊や学院の生徒、ユリアとセレナへの熱意的な愛好家達が集まっている。まるで袋の鼠だ。
というわけで。
「セレナ。俺とユリアは先に行く。すまんがお前は後で出口から出て来てくれ」
「先に行くって……どこから?」
「決まってるだろう?   あの木を使うのさ」
目線で示す木とは、道脇に等間隔で植えられている高さ四、五メートルはあろう木々の事だ。たしかにあれを使えば広報部隊達を掻い潜る事も出来るだろう。
「でも、なんで私だけ出口から出て行かないといけないのよ。私だってあれくらいなら……」
「決まっているさ。答えはもうーー後ろにある。という訳で、後でな!!」
「あ、ちょっとーー!」
受け答えるや即座に跳躍。五メートルほどあった幅を易々と移動したアランは、その腕にユリアを抱えたまま更に前の木へと跳び移る。それを見た広報部隊達も大急ぎでその後ろ姿を追いかけ始めた。
どうやら分断には成功したらしく、周囲から届く陰湿な視線は数を大幅に減らす。それに関してはセレナも一安心だ。
だが、
「そういえば後ろにあるって……」
後ろを振り返る。そこにあるのはさっきまで座っていた椅子とテーブルだけ。いや正確にはその上にマグカップが三つ、そしてーー
ーー領収書。
「あんの野郎……っ!!」
紅茶二杯とコーヒー一杯、占めて二百六十エルドになります。言葉に言い表せない感情が魔力の奔流となってテラスを荒れ狂う。
その後セレナはカウンターで料金を支払い、アランに対する激怒を胸に、刺々しい魔力を放ちながら歩いて会場へと向かうのであった。
◆
小休憩の三十分が経ち、ついにユリアの試合が始まった。観客は大勢集まり、無論のことながらリカルドも貴族に混じって観覧していた。
『さてさて、お集まりの皆様ご存知だとは思いますが改めて紹介と致しましょう!   かの英雄、第一騎士団団長リカルド=グローバルト氏の御息女でありながら、彼女自身も生徒という枠から抜きん出た才覚を手にする有望株!   生徒枠予選においても第一学年でありながら圧倒的な差を見せつけて一位を獲得した実力者!   彼女の剣戟を一度見れば、酔いしれる事間違い無し!   ではご登場して頂きましょう、ユリア=グローバルト選手です!!』
『『『ワァーーーーーーッッ!!』』』
湧き上がる歓声。反響し合った爆発のような音が、身体に浸透して骨を胃を揺さぶる。もしも直前に何かしら食べていたら、堪え切れずに吐いていたかもしれない。
生徒枠予選の時とは異なる緊張感。まるで全身に呪術でも付与されたかの如く、前へと踏み出す一歩が途轍もなく重たい。前からやってくる圧迫感に喉が乾く。
……でも。
進まなければ。それは自分が望んだものを手にするため。手にするための資格を手に入れるため。その資格は至って単純ーー勝つ事。
たとえ敵が自分よりも遥かに強く、可能性が限りなく無に近い場合だとしても、足を止める訳にはいかない。
そうしてユリアは一呼吸。大きく吸って、天に向かって内に溜まっていた緊張感を吐き出す。そして振り返る。
「おしっ、行ってこい」
そこには愛する義兄ーーアランがいる。心配も同情も見えない、純粋に信頼している真っ直ぐな瞳でユリアを見つめている。それがなんとも頼もしい。
「行ってくる」
学院に向かう際に母へと言うあの言葉のように。……いや、少し違う。これは五年以上も前の感覚だ。アランがまだ屋敷に居た頃の感覚に酷似している。
帰る場所にアランがいる。アランが待って居てくれる。それがなんとも幸福感に包まれる。だからこそ、たった一言、アランのあの言葉を聞くが為にユリアは決断した。
この試合、絶対に勝ってみせると。
ならばもう震えは無い、重みは無い、迷いは無い、躊躇いは無い。身体はいつも以上に軽く、身を包む魔力がとても鋭敏に感じ取れる。鬨の声のように響く歓声はどこか遠くから聞こえ、会場の向こうにいるであろうリーゼッタの気配を濃く感じる。
これは敵意か、はたまた殺意か。まだまだ経験の少ないユリアにとってそれを見分ける事は難しい。だが、だからといってどうという事はない。そこにいるのは確かなのだから。
不敵な笑みを浮かべたユリアは、もう一度呼吸。今度は脈拍に全くの乱れはない。完璧に心が落ち着いている証拠だ。
よしと意気込んだユリアは、軽やかな足取りで前へと進み出した。途端、歓声が間近なものへと変貌するが、ユリアにとってそれは些事だ。
『ではではこちらもご紹介します。皆様ご存知、第三騎士団シェイド氏からの強い推しによって選抜されました彼女。東大門の守護者として選ばれながらも、歳はまだ二十にすら至らず。……ですが子供だと侮ってはならない!   宙を舞う落ち葉ですら綺麗に切り裂く彼女の短刀捌き、中堅騎士ですら騙される彼女の巧みな技の数々!   今宵皆様は彼女の素晴らしさに驚嘆なされる事でしょう!   それではリーゼッタ=シュベルクオーグ選手の登場です!!』
『『『ワァーーーーーーッッ!!』』』
同じように現れたリーゼッタは淡い青色の双眸でユリアの瞳を見据える。揺らぎ一つ無いその眼光に少し気圧されるも、ユリアも負けじと睨み返した。
リーゼッタは有り体に言って、美人だ。
ルビーのような濃赤色の長髪、きめ細やかな白肌、長身でスタイルも良い。細長い眉や思わずキスしたくなる唇はとても魅了的だ。男女の騎士問わず、騎士団の所属に問わず彼女はその美貌から多くの人物達から知られている。もちろんリカルドも知っている。
だがそれと同時に彼女の人望が厚い事も事実だ。
前皇帝の血族として多くの親類皇族が処断されている中、彼女ーーシュベルクオーグ家はその難を逃れた。理由は臣民からの人望があったからだ。
シュベルクオーグ家は根っからの騎士家系。祖父の代から辺境伯として暮らして居たリーゼッタ達は、帝国領の臣民達から語り尽くせないほどの人望を有しており、そんな人物達を親類皇族とはいえ殺すのはどうかという事で、不問となったのだ。
臣民の多くも彼女が前皇帝の血縁者だと知っているはずだ。だがそれでもこの歓声、この人気。彼女の帝国騎士としての誠実さが如実に表れていると考えざるを得ない。
『両者準備は整いましたでしょうか?   ……それではカウントを始めます。十……九……八……』
司会者の秒読みを片耳に、ユリアは剣を抜き放つ。剣は片手直剣、以前セレナとの試合の際に使っていたアランのお古を、アラン自身に修繕してもらったものだ。
もちろん、料金は家族割で。
対してリーゼッタは騎士服の内側に右手を突っ込んだ状態で腰を低く屈め、ユリアの出だしを待ち構えているのが分かる。内側に短刀を隠す理由は分からないが。
互いに魔力を薄く鋭く漲らせ、残り僅かな合間で数手先を思案する。この瞬間に必要不可欠なのは敵方の情報。やはりアランの有無でユリアの勝率は大幅に変わっていた事だろう。
……今更ながら、アル兄ぃに感謝。
唐突に笑みを浮かべたユリアに疑念を覚えたのか、リーゼッタの眉間に皺が寄る。……がそれも直ぐに終わった。そして。
『二……一……試合、開始です!!』
幕が上がった。
「ぜあァァァァァァ!!」
先に駆け出したのはユリアだ。アランお手製の直剣に魔力を通し、魔力による身体強化を更に上へと昇華させる。使用の有無での差異はごく僅かだが、対峙する者にとってその差異こそが脅威なのだ。
だが。
「しッ!」
リーゼッタは騎士服の内側から短刀を取り出すと、薙ぐようにして振るう。しかしまだそこにはユリアの影はない。距離感を見誤ったのだろうかとユリアは感じたが、次の瞬間アランの言葉を思い出す。
ーー敵の些細な行動にも疑問を抱くこと。
「ーーっ」
意味はある。そう考えたユリアは咄嗟の判断で上空へと跳躍した。刹那ユリアの鼻先を何かが通過するのを感じた。それは無味無臭、なにより無色の刃のような物だった。
「今のは……」
「【空斬り】。シェイド騎士団長の得意技の一つです……よッ!!」
無口だったリーゼッタが表情一つ変える事なく説明。そしてそのまま連続で【空斬り】を繰り出す。
原理は簡単。魔力を刃に溜め、それを斬撃として放出する。魔力波動もほとんどなく、暗殺に特化した技術の一つだ。
「く……っ」
不可視の斬撃に苦難するユリア。だがネタさえ把握してしまえばあとは単純。思考を止めどなく働かせ続け、放出の瞬間から命中までの時間差、刃の硬度、連撃の限度などを調べていく。
しばらくの間、リーゼッタから放たれる無色の斬撃に対処し続けるユリアの絵が続く。魔力を感じ取る事が出来ない一般市民どころか原理を知らない帝国騎士ですら、首を傾げてその光景を見つめている。
しかし、八撃目を受けた所でユリアが前に出た。放たれる【空斬り】を軽快に躱しながら前へと進み、ついにユリアの剣域にまで到達した。
「はァァァ!」
ギャリィン!   と金属の擦れ合う音を響かせながらぶつかり合う直剣と短刀。鋭利さで考えれば短刀の方が有利だが、魔力強化された直剣はそれに負けない強度を誇っている。
しかし忘れてはならない。短刀が一本とは限らない事に。
「しッ!!」
掬い上げるようにして切り上げてきたもう一本の短刀がユリアの首筋に迫る。ユリアも紙一重で避けるが重心がズレた途端、リーゼッタは競り合っていた右手の短刀を傾け、滑らかな動きでユリアの脇腹を抉った。
「がァ……っ!?」
抉られた衝撃によって後方へと吹っ飛ばされたユリアはそのまま地面に二度身体を叩きつけ、三度目の瞬間に歯を食いしばって姿勢を立て直す。
追撃はない。その間に出来る限りの状況確認。
脇腹が熱い。だがそこに傷はーー無い。
『皆様ご存知の通り、安全を期しましてこの会場全体に攻撃による怪我を魔力に置換する事が出来る魔術を常時展開しております。というわけで御二方、思う存分にやっちゃってくださいねッ!!』
他人事のように言う司会者に苦く笑いながら、ユリアは中段に剣を構える。
……怪我が魔力消費に変わるって事は、怪我をする分だけ魔力限界が早まるってこと。
アランがこの事を知っていたか否かはさておき、確かに長期戦ではユリアに勝機はないようだ。
……かと言って、距離感を間違えれば短刀に魔力を奪われちゃう。あれはかなり危険だ。
身体の奥底から魔力が奪われていった感触。薄っすらと感じる倦怠感は、おそらくそれが原因なのだろう。連続で攻撃を受け続ければ、かなり危険な事を身をもって把握した。
「とりあえず……ッ!」
距離を詰める。ユリアの剣域にありながら、リーゼッタの刃が届かないギリギリの領域を目で測りつつ、凄まじい速さで剣を振るう。切っても死ぬ事が決して無いのならば、安心して戦える。
「ぜあァァァッ!」
時折襲いかかってくるリーゼッタの短刀を紙一重で躱しながら、攻めて攻めて攻めまくる。どうせならば短刀や短剣を扱う帝国騎士と手合わせをしておくべきだったと今更ながらに後悔しつつ、ユリアは拳闘を加えた変幻自在な攻防を繰り返す。
斬撃はともかく拳撃は結界魔術によって魔力消費に変換されたとしても、攻撃によって受けた痛みは残る。この結界魔術のある意味弱点ともいうべき箇所だ。
この結界魔術【外傷置換】は攻撃によって受けた「外傷」にしか効果は発揮しない。肉体内部に蓄積したダメージには効果は発揮されず、それ故に疲労や苦痛そのものは残るのだ。
このような祭典の際には便利な魔術だが、実際の戦場では何の使い道もない。だからこの魔術について詳細に知る者は、結界魔術に精通した者や熱心な魔術学者だけだろう。
しかしリーゼッタもそれに気付いているのかユリアの肉弾戦に応じるかの如く、短刀の柄を掴みながら隙あらば拳撃を叩き込んでくる。
「ふッ!」
「しッ!」
司会者の解説すら耳に入れず、ただひたすらに拳をぶつけ合う。適確に丁寧に、最低限の魔力を伴った掌底打ちや肘打ちなどを叩き込み、互いの動きを観察する。
観察眼に関してはアランとの実戦経験の多いユリアに分があるのだろう。徐々にリーゼッタの動きに慣れ始めたユリアは、彼女が苦手だと思われる左半身を中心とした攻撃を増やしていく。
「ぐ……っ!?」
ユリアの動きに迷いが消え始めたのを察したリーゼッタは、流れるような動作でユリアの掌底打ちを弾き後退した。
やはり魔術戦はともかく、近接戦に関してはユリアに軍配が上がるようだ。コンマ数秒が勝負の分け目となる魔術騎士同士の戦闘では、否が応でも近接戦が多い。リーゼッタもどこか不満げだ。
その瞬間を逃さない。
事前にアランから渡されていたベルトポーチに左手を突っ込み、整頓された中身から硬い感触の物を一つ掴み、リーゼッタへと向けて投げ放った。それは、
「…….宝石?」
半分正解。
そのルビーの宝石にはなんとも緻密な魔術方陣が描かれており、一種の芸術のようにルビーの中で淡い光で輝いている。解読しようと試みても、あまりに第一神聖語が細か過ぎて不可能だ。
それは作った本人と渡された本人しか知り得ない秘密の魔道具。たとえ人間離れした「術殺しの魔眼」を持つトーマスですら、反応には僅かな時間を要するだろう。
しかし、それが魔道具であるという事とユリアの行動によって、リーゼッタは一つの可能性を感じ取った。
ユリアがその場から跳躍し、リーゼッタから距離をとった。つまりこの魔道具は距離によっては自身にも被害が及ぶという事ですなわち、
「ばくはーーーー!?」
「遅い」
リーゼッタの推理虚しく、魔石は赤い炎を撒き散らしながら盛大に爆発した。
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