英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第23話「怠慢の王 ①」

灰色の稲妻が皇城内を駆け回る。その速度はもはや人間の動体視力を遥かに超え、走っても数分を要する通路をたったの一秒足らずで飛び抜ける。


「こっちか!」


はずれ。


「じゃあこっちだ!」


またしてもはずれ。


「そんじゃあここ!」


残念。


「だったらここだ!」


自信満々ながらも、不正解。


灰色の髪の青年ーーアランは地面に降り立つと、疲労と後悔の漂う重いため息を漏らした。


「はぁ……グウェンに地図、借りとくべきだったなあ……」


実はアラン、地図さえあれば道に迷う事無く目的地に辿り着けるが、その肝心の地図が無ければ途端に迷子と化してしまうのだ。


今現在自分がいる場所が二階であり、謁見の間があるのは一階の奥の方だという事だけは分かっている。だが二階へと降りる階段の場所がわからない。


こういう時は窓を突き破って外に出て、グウェンの魔力波動を辿れば一発で探し出せるのだが……今回は特に出来ない。


なにせこの皇城はフィニアの象徴とも言える歴史的価値のある城だ。それだけあって窓枠に嵌められているガラスも、一メートル四方で帝国金貨百五十枚ーー十五万エルドと馬鹿にならない値段だ。


出る時に窓を割り、入る時にも窓を割れば計三十万エルド以上の借金が増えてしまう。現在の借金総額を見れば躊躇いなくやってしまえるような値段ではあるが、それでも止めておきたい。


「案内役として兵士一人くらい連れてこれば良かったか?   いやでも俺の速度に付いて来れるような奴はいなさそうだったし……」


通路を歩きながら周囲を見渡すが、まるで景色が変わらない。時折グウェンの魔力波動を感じるが、それだけでは階段の位置までは分からない。


そもそもアランは一階の扉が封印で閉ざされていたので、仕方が無く二階から入ったのだ。封印自体もそれほど複雑なもので無く、ほんの四、五分あれば解除できるような仕組みだったが、白壁の内側にいた一般市民の方々から集まる視線が嫌で逃げるように二階から入ったのだ。


「こんな事なら注目覚悟で封印壊して一階から入るべきだったなあ、はぁ……」


仕方無しと踵を返して元来た道を戻ろうとするアラン、その時だった。


「ーーん?」


ズン、と皇城が軽く揺れた。だがこの揺れは地震のような自然的なものでは無く、人為的なもの。揺れと同時に感知できた魔力波動が何よりの証拠だ。


「おっ、また揺れたな」


その後も二、三度揺れる度に重厚感ある魔力波動がアランの骨身を震わせる。かなり魔力を込められた攻撃だ。


「……やっぱ、俺の予感が当たったか?」


謁見の間に確実に居るのはアルドゥニエとオデュロセウス、そしてグウェンとエルシェナの四人だ。アルドゥニエは味方であるのでグウェン達に攻撃を加えないとなると、オデュロセウスしか存在しない。


だがそのオデュロセウスは、魔力操作が著しく下手で微弱な身体強化しか使えない。


この揺れはオデュロセウスの身体能力を魔力で強化したとしても、到底パワー不足だ。となると残る可能性は一つだけ。


「ベルダー=ガルディオスに変装した大罪教一員の仕業……」


魔力波動の強さから鑑みるに、グウェンと戦闘中。となると封印解除に時間をかけている暇はなさそうだ。


グウェンはあくまでも魔術の才能があるだけで、剣術に関してはアランよりも弱い。この震動からして敵は拳ーー近接戦闘を戦法とするらしい。


あいにくこの強い魔力波動が、グウェンの現在地を知らせてくれる。あとは一階に通じる階段を探すだけだ。


「よしっ。取り敢えずこっちの方角は探し終えたし……次はあっちに行くか」


再び身を宙に浮かせて雷速で移動を始める。パシュンという軽い音と共にアランの姿は残像も残さず消え、皇城の中を雷速で飛び回る。


だがアランは見落としていた。


さっき立ち止まっていた曲がり角のすぐ側に、階段がある事を。




◆◆◆




アランが皇城に入り込む十分ほど前のこと。


「怠慢の王……ツウィーダ、だと?」


謁見の間で突如現れた見覚えのある人物を目の当たりにして、グウェンの思考は混乱を及ぼす。


銀杏のような鮮やかな黄色のショートヘアに蒼玉のような深い蒼色の双眸。身長はグウェンとほぼ同じくらいの百八十センチで、服の袖口から見える手首は、まさに剣士という風格の漂う筋肉が見えていた。


そう、その人物にグウェンは見覚えがある。正確にはアランに描いてもらったその人物の似顔絵を見た覚えがあるだけなのだが……それでも。


「ベルダー=ガルディオス……」


アランから聞いた印象と全く変わらず、ましてや気持ちの悪いほど同一の人物に見えてしまう。


はなから奴が魔術によって変装をしていると知らされていなければ、間違いなく仲間だと認識している事だろう。


すると。


「初めまして……でしたね。帝国騎士第一騎士団、殺戮番号シリアルナンバーNo.7、グウェン=アスティノス殿」


「ああ、そうだな……」


にこりと微笑みながらベルダーの変装をした大罪教の一味ーーツウィーダが話しかけてくる。


だが気を抜いてはいけない。ツウィーダは敵の見知った顔を利用して隙を突く事を戦法とする人間だ。師が「千面せんめんの淑女」と謳われるケッツァなのだから、同じような戦い方を使うに決まっている。


ツウィーダの動きに注視しろ。指先、爪先、軸足、利き手、姿勢、重心、魔力波動、気配、敵意。全てに気を配りながら敵の動きを予測しろ。


グウェンとツウィーダの距離は約二十メートル。魔力による身体強化でどれほど速くともコンマ五秒、無ければ二秒弱といったところか。魔術による戦法を得意とするグウェンとしては懐に潜り込まれるのは大変危険だ。だとすれば後方に跳躍して距離を取るのが最善だろう。だがそうするとすぐ傍にいるアルドゥニエに被害が及ぶ可能性もあり、迂闊に後方へ動くことも出来ない。ならばここは前方へーーーー


刹那。


「ーーッ!?」


気が付けば視界の端に短剣の刃先が映り込んでいた。このまま動かなければ刃先は顔面を抉るように、グウェンの顔を切り裂くだろう。


身体は動かない。虚を突くような行動と余りの速度に、脊髄反射が追いついていないのだ。


迫る刃先。迫る死の予感。冷たそうな白銀色をした鋼の物体。それが数瞬後に自分の血で赤く染まると考えるとゾッとしない。


死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死ーーーー


「ーーっぁ!!」


無理やりに首の筋肉を酷使しながら、刃先の軌道に合わせて後方へ跳びながら回避する。短剣はグウェンの左頬を浅く切りながら、赤い軌道を描いた。


「おや、思ったよりも反応が良い。どうやら少し侮り過ぎたようだ」


「な……っ」


左頬を伝う生温かい熱を感じながら、グウェンは距離をとって驚愕する。なにせそこにいたのは他でもない、ツウィーダだったのだ。


……縮地か?   だが、あれは余りにも……。


敵に気付かれる事なく縮地によって距離を詰める事は、大して難しい事ではない。敵の呼吸や集中力の波を観察しタイミングを合わせて動けば、まるで一瞬で移動したかのように見せる事ができる。


だがそれは一筋縄で出来るような技術ではない。リカルドやジェノラフのような戦闘に関する才能があれば別の話だが、そんな常識外れが他にいるとは考えにくい。


だとすればその技術は、汗血注いで努力した結果に得たものだ。アラン同様、才能を持たない者が死に物狂いで手にしたものだ。


しかし今の縮地はその一言で完結してしまえるほど、生易しいものではない。何故ならグウェンという戦場慣れした人物が気付けないほどに、静謐で、刹那であったのだから。


確かに大罪教の怠惰司教・・を名乗るだけあって、実力は下っ端とは桁が違う。なにせツウィーダは敵意も殺意もグウェンに向ける事なく、完璧なタイミングで縮地をして絶妙な角度で短剣を振るったのだ。


……やはり侮れないな。


ケッツァも中々に手強かったが、どうやらツウィーダはそれを上回る実力の持ち主だと思われる。


しかも近接重視の戦法と思われるツウィーダは、グウェンにとって致命的な相手だ。少なくともジェノラフのような近接型の相棒が必要になる。


「こんな時に限ってあのアホがいないとはな……」


舌打ちをしながらグウェンは腰に提げていた剣の柄に手をかける。だが剣術がからきし下手なグウェンにとって、先ほどの短剣を操る技術を有した相手と近距離で戦うのは無謀策。故にこれは虚仮威し。


以前にケッツァと戦った際も、こうして敵の知らない情報を逆手に取った騙し討ちによって倒したのだ。


もしもツウィーダがケッツァと同じく【模造変装パーフェクトフェイス】を使っているのならば、グウェンに関する知識も持っていないはずがない。なにせグウェンはオルフェリア帝国の数少ない殺戮番号なのだから。


さあどう来る。グウェンが意気を漲らせながら、ツウィーダに殺伐とした殺意を放つが、


「…………」


時化たような顔をして、ふいっと顔を壁に凭れかかったオデュロセウスの方に向けた。


「もう、降参ですか?」


その問いに対してオデュロセウスはビクリと肩を震わせる。それはまるで主人に叱られている使用人のように、立場が明確に上下しているものだった。


「立ち上がる気力は無いんですか?」


一歩、踏み寄る。


「祈願は諦めたのですか?」


さらに一歩。


「貴方のそれは、そんなにも柔らかなものだったのですか?」


静かに一歩。


「母親への愛情は、あれだけの言葉で薄らぐようなものだったのですか?」


刺さるような言葉を吐きながら一歩ずつ、確実にオデュロセウスへと近寄る。


そして。


「だったらそれは、願望などではありません。子供のように駄々をこねているだけに過ぎません」


嘲るかのように、汚物でも見るかのようにツウィーダは足元のオデュロセウスを睥睨するが、口から放たれる言葉に心はこもっていない。


まるで別の誰かの言葉をそのまま喋っているかのように、薄っぺらく淡々としていて、それでいながらオデュロセウスの神経を逆撫でし、激昂させる。


「父親に甘えられて嬉しかったですか?   自分の苦しみを理解してくれる誰かに出会えて幸せですか?   父親の想いを知ることが出来て満足ですか?   手を取り合ってそこで終わりですか?   結局また逆戻りをするのですか?   記憶のすみに憎しみを追いやりますか?」


「ーーーーぃ」


「何も変える事無く終えてしまうのですか?   それでは誰が貴方の代わりを務めるというのでしょうか?   誰が母親の無念を晴らしてくれるというのでしょうか?   ーーいや、気付いているはずだ。貴方しかいないという事を」


「ーーるさい」


「貴方に賛同して死んで逝った同胞達の弔いは誰がするのでしょうか……いや、誰がしなければ・・・・・ならな・・・のでしょうか。アルダー帝国?   それとも大罪教わたしたち?   ……いいえ、貴方です。貴方が始め、そして終えなければならないのです」


「うるさい、黙れ!   お前にそんな事を言われなくても分かっているさ!」


「ではどうして膝を屈していられるのですか?   スッキリしたかのように爽やかな顔を浮かべていられるのですか?   貴方の祈願はすごそこに……目の前に立っているのですよ?」


ツウィーダの指差した方にいるのは無論アルドゥニエ。ようやく改心したと思われたオデュロセウスを操るツウィーダは、まるで傀儡師のようだ。


消沈しかけていた殺意や私怨で形作られた燃料炉へ、甘い言葉で唆し、憎悪という発火剤で再び行動を起こさせようと企んでいる。


だが。


「分かっている。……だがな、もう無理なんだよ。私は商人だ。だが商人である前にこのフィニア帝国の民なのだ。私が受けた苦しみを、他の多くの人々に撒き散らしてしまうというのならば、私には耐えられない。それは私にとって悪夢でしかない!」


ツウィーダの言葉を拒絶するかのように、オデュロセウスは目を閉じて何度と頭を横に振り続ける。


「……ならば貴方は匙を投げると言うのですか?   こんな虚しい終わり方を迎えるために死に逝った何百という同胞達に対して、貴方はどういった償いを?」


「すべて受け入れよう。苦しみ続けろと言うのであれば従う、死ねと言われてもそうするつもりだ」


言葉が重い。覚悟と決意のこもったオデュロセウスの言葉は、先ほどまでの言葉とは桁違いに強さを感じられる。


すると落胆でもしたかのように、大きくツウィーダは息を吐いた。


「そう、ですか……では仕方がありませんね」


それは諦めを示すのか、はたまたオデュロセウスの代わりに指揮を担うのか。警戒心を解く事なく睨み続けるグウェンには理解不能な一言だ。


「オデュロセウスさん。先日私が渡したあの瓶、今も持っていますか?」


「あ、ああ……お前に言われた通り肌身離さず持っているとも。それがどうか……?」


「すみませんが、今ここで僕に見せてくれませんか?」


「分かった……」


オデュロセウスが懐に手を入れて内側のポケットに入っていたのだろう、手の平サイズの小瓶を取り出した。瓶の中は何やら赤い液体が波打っており、赤よりも濃く赤黒い。


何かの魔道具、もしかしたら古代の遺物かもしれない。グウェンの知る限りではあの様な物に心当たりは無いし、アランが以前帝国騎士として働いていた時に幾度と魔道具に関する資料を見せてもらったが、記憶に該当する物は無かったはずだ。


……しかしあの液体、どこか見覚えが。


警戒心を少し解いて瓶の中身に思考を回す。あの濃い赤色を見るたびに脳裏で何かがフラッシュバックを起こして、どうしてか嫌な予感しかしない。


その時だった。


パチン、とツウィーダが指を鳴らすと同時に、小瓶が破裂した。粉々に砕け散った瓶の破片はオデュロセウスの頬や腕に刺さり、中身であった赤黒い液体は顔にべっとりとふりかかる。


「な、何だ……!?」


「この臭い……血か!」


驚愕するオデュロセウスの元に駆け寄ったグウェンが真っ先に感じ取ったのは、オデュロセウスの顔にかかった赤黒い液体ーー腐った血の臭いだった。


その臭いに気を取られている隙にツウィーダはオデュロセウスから距離をとる。わざわざグウェンから近寄って来たというのに、その行為に疑問を覚える。


「血……それも大罪教が持つ血」


血液にはさまざまな使用方法がある。無論、魔術の触媒や魔道具の材料みたいに魔術の材料として使う事も数多い。


大罪教の、それも司教という立場にいる人物から与えられたとされる小瓶に入っていた腐った血に、ただオデュロセウスに血をかけてやりたかったから渡していたとは考えにくい。


……じゃあ、この血は何だ?


思い出せ。その程度の知識ならば、あの学術馬鹿であるアランの相棒だったのだから知らないはずが無い。


血。それも腐った血だ。


「それだけじゃ情報が少ない。他の何かは……って」


グウェンはオデュロセウスの硝子が刺さった頬を見る。そこからは明らかに鮮やかな色をした鮮血が垂れ出ていた。そして二つの血は重なり合い、ゆっくりと混じり合う。


次の瞬間。


「がっ……!?   あ、あ゛あ゛……ッ!?」


「何!?」


まるで毒物でも服用したように唐突に苦しみだすオデュロセウス。両手で左胸ーー心臓にあたる箇所を押さえて地面に転がり、のたうち回る。


全身の血管が浮き上がり、顔色が気色の悪いほどに青に変わっていた。血は浮き上がった血管に吸収されるかのように、ジワジワと体内に消えてゆく。


「この現象……何かで……」


そう、それは昔アランと共に帝国図書館の禁書庫に行った時に、アランが何か言っていたのを覚えている。


あれは確か、魔術的な呪縛に関する事件の時だったはずだ。その資料を探している途中で気になる文献を見つけたアランが四、五時間ぶっ通しで読み続けていた本があった。アラン曰くそれは「禁止された契約」だとか何とか。


古代の魔術の中には契約や誓約によって限定的に力を解放する事が出来るような、契約の術があったと言う。それは時として便利だが、また時として凶悪な戦争の火種となる得る。


『特にこの血と血による【血盟契約】なんかはさ。時と場合によってはーー』


「ーー相手の精神、つまりは心の紙片カルマコードに自分の人格を植え付ける事が出来る、まさしく禁忌の魔術」


「ほう、これの事を知っているとは博識ですね」


「クソが。この程度で博識だとか笑えん……それにしても本当にこれが【血盟契約】だとすれば非常に不味い……っ」


過去の記憶通りだとすれば、この禁忌の魔術は「他者に他者の人格を植え付ける」という一点に集中した、いわゆる呪いに等しい魔術だ。この場合、小瓶の中に入っていた血の持ち主がオデュロセウスの精神に根付く事になる。


鬼が出るか蛇が出るか。それが只者では無いことだけは確定事項なのだが、それがもし以前アランと共に倒したケッツァや他の大罪司教の血であったとしても、人格は根付いて現世に復活するということ。


アルドゥニエとエルシェナを庇いながら戦わなければならない現状、司教クラスが二人もいる相手と互角に戦える可能性は皆無。まず数分でグウェンは殺されてしまうだろう。


……二人を連れて逃げるか?   いや、扉の前に立っているエルシェナと反対に、アルドゥニエ皇帝陛下は玉座にいる。それでは余りにも時間がかかってしまう!


だがどちらかをここに残して逃げる事は出来ない。どちらも明日のフィニア帝国のために必要な存在だからだ。


だとすれば。


「あの馬鹿がやって来るまで耐えるしか無いか……っ!」


決意を改めると共に、グウェンの魔力波動が一際強くなった。大瀑布が目の前にあるかのように力強く、それでいて畏怖を感じる。


だがツウィーダにそれは通じない。微笑みを絶やす事なく、ジッと苦しみにもがき続けるオデュロセウスを眺めていた。


そして。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああああッッ!!??」


断末魔が響く。









「お父……さ、ま……?」


グウェンの常識はずれな魔力波動すら霞んでしまうほどの強い波動。同時に視界を白に染め上げた謎の閃光と共に、それは現れた。


「Aaaaaaaaaa……」


筋肉によって肌を引きちぎらんまでに伸び切らせた太い四肢に、血に飢えた獣のような鋭い眼光。身長は三メートル近くにまで達しており、そこに立っているだけで足元の大理石に亀裂が生まれる。


そして常識の上をゆくグウェンの魔力波動すら上回る魔力による圧力は、今まで同様の経験をした事が無いエルシェナにとって、まさにその存在は深淵。恐怖を煽り立てるには十分なほど、異常だった。






ーーその外見がオデュロセウスである事以外は。






「これが……【血盟契約】……だと?」


資料として読んだ時と比べ、理解度は数百倍も現実味を帯びる。対象の精神に血の持ち主の精神を寄生させる、などという生易しい言葉では到底言い表せないほどに、これは異質だ。


他人と他人を繋ぎ合わせる、それは魔術の域をとうに超えている。他者の心の紙片カルマコードを操る事ができるなど、もはや神の所業としか考えられなかった。


しかし。


「……残念。どうやら失敗のようだ」


「失敗、だと?」


やれやれと首を横に振るツウィーダは、まるで実験に失敗したかのように気楽に述べる。人を犠牲にしてまで行ったはずの行為に対し、なんとも軽い発言だ。


だがグウェンには分からなかった。ツウィーダは何を思って失敗だと判断したのか。どうしてこのような生物兵器を生み出してさえ、淡々と失敗だと言えるのか。ツウィーダの本当の目的は一体何なのか。オデュロセウスをどうしたかったのか。


だが次の瞬間、思考を停止せざるを得ない状況がやって来る。


「Aaaa!!」


「なッ!?」


城壁でも壊す勢いで、巨人と化したオデュロセウスは魔力を込めた右拳をグウェンに向けて振り下ろした。


慌てて回避するグウェン。数瞬後にグウェンの立っていた場所へ、大鎚のような拳が大理石の床に叩き付けられた。爆風を生み出し、波動が脳を揺さぶり、嘔吐感を促す。


「ぐっ……!」


なんとか膝を屈せずに済んだが、直撃していないと言うのにこの威力。直撃を食らえば間違いなく重症、良くてもしばらくは戦えないだろう。


それにしても疾い。三メートルもあろう巨体が野兎のように俊敏に動き回っている姿は、途轍もなく気味が悪い。


「Aroaaaa!!」


「ちぃッ!!」


振り下ろした一メートル越えの腕を、そのまま横に薙ぐ。脚力強化で空中に逃げたグウェンはそのまま【五属の矢】を百本放った。顔面に数本受けた巨人はそのまま背後へとよろめき、地面に降り立ったグウェンも背後へと跳躍して距離を取る。


「……無傷、か」


基礎魔術とはいえ、グウェン並みの魔術師が放つ【五属の矢】は帝国魔術の中級あたりの威力とほぼ同格。それを受けても擦り傷一つ見当たらない巨人を見るに、相当な化け物であるとグウェンは踏んだ。


……上位の魔術は詠唱時間が長い。それを悠長に待ってくれるとも思えんしな……。


やはり前衛のアランがいないと、グウェンの後方魔術攻撃は実現しない。


先ほどから巨人の攻撃を回避している間に、アランの魔力波動が近くに来ているのを察知している。だが残念な事に、アランに地図を渡すのをすっかり忘れていた。


あいにくアランがこの皇城の中に入った事は一度しか無い。アランがリドニカに四ヶ月ほど滞在していた時も、皇城ではなく白壁の内側にある魔術研究所で寝泊まりしていたのだ。


一階の皇城入り口は外側から封印魔術の三重掛けに、内側には敵侵入を想定した爆裂魔術が連鎖式で仕掛けられている。


アランならば封印を解除する事も爆発を回避する事も容易だろうが、効率を考えてグウェン同様二階から入って来たらしい。自分が地図無しでは方向音痴だと理解しながらだ。


「こういう時に限って馬鹿なのは、相変わらずだなッ!!」


チッと舌を打ちながら振り下ろされる拳を躱し、右足を軸にして回転。そのまま踵を腕に叩き込む。


だが鋼鉄のように硬い筋肉の所為で威力は軽減され、そこに残ったのは薄い痣の跡だけだった。


「硬くて疾い……化け物だな」


殺戮番号であるグウェンにとって、別段こういう相手との戦闘が未経験ということでもない。竜種や海魔なども強ければ強いほど皮膚は硬いし、動きは素早い。


だがこれは違う。竜種や海魔は理性をもって行動しているのに対して、これは無意識で攻撃しているのにも等しい。


敵意や殺意は全く感じず、ましてや魔力の淀みすら感じない。まるで呼吸するかのように、グウェンに向かって攻撃をしているのだ。


……だが、それは不自然だ。


理性が無いのならば、どうしてグウェンだけを狙って攻撃してくるのか。その場に座り込んでいるエルシェナや、玉座から一歩も動いていないアルドゥニエは格好の的。それなのにグウェンだけを狙い続けるのは、理性があるとしか考えられなかった。


ではどうやって敵意や殺意を向けずに攻撃しているのか。考えられるのはただ一つ、誰かが操っている場合だけだ。


そしてその解は、すぐそこにいた。


「《影に住まいし山守の女神、其は起源の言葉を操りし者、一撃必殺の真槍よ、我が宿敵を穿て》」


右手のひらに空気が圧縮して集まり、一メートル半の槍に形を変える。風属性生成魔術【ゲイ・ボルグ】だ。本来詠唱は移動しながらすると集中が乱れ危険なのだが、魔術師として天才のグウェンにとって、これしきの魔術は容易い。


「そこッ!」


巨体の脚の間を狙って巨人と化したオデュロセウスの背後に立つツウィーダに目掛け、風の槍を投げ放つ。


するとオデュロセウスは身体を無理やりに回転させ、軌道上に腕を置いた。空気を切り裂くような螺旋の槍はそのまま皮膚を穿ち、筋肉を抉る。


……正解か。


痛みに悶えるオデュロセウスを眼前に、グウェンは確信を得ていた。理性を持たない、巨人の傀儡となったオデュロセウスを操っている傀儡師を。


「やはりお前が犯人か……ツウィーダ」


「ははは。やはり、分かってしまいますか」


「家族であるアルドゥニエやエルシェナに攻撃する事へ、本能的に躊躇いを感じているならともかく。お前を攻撃しない理由は何一つ無いからな」


「ふむ……やはり次からは見つかりにくいようにフェイントも仕掛けてみましょうか」


「戯言を。お前に次など与えない。この場で決着をつける」


「貴方には無理です」


床に伏した巨人のオデュロセウスを線として、ツウィーダとグウェンは殺伐としながら寒々しく突き刺さるような視線を放つ。それが互いの領域を激しく主張し、ピシピシと亀裂が生まれるような圧迫感を生み出している。


これが強者同士の戦い。視線だけで相手を竦ませ、心を脅かし、身体を震わせる。冷徹な心に惑いは一切無く、純粋な殺気だけが皮膚を這いずり回る。


数倍に膨れ上がった大気圧によって空間は軋みをあげ、地鳴りが絶えず響く。それはまさに縮小された天変地異のようだ。


「行くぞ、狂人」


「どうぞ、似非善人」


「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」


吼え声を合図に激突が始まった。

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