英雄殺しの魔術騎士
第12話「密談はベッドの上で」
はてさて、どうしたものか。アランは途轍もなく不思議な感覚に苛まれていた。
目を覚ますとそこは、つい最近まで見慣れなかった天井があった。そう、そこはセレナの屋敷であり、三階のアランの自室だ。
何よりも部屋の匂いや横たわるベッドの感触、窓から射す月明かりには見覚えがあった。
だが違う。これは何かが違う。そう、何故なら……
「ふふふっ、アラン様〜♫」
とても嬉々とした声音でアランの上に被さるエルシェナがいるからだ。
色素の薄い金髪に、アランと同じ鈍色の瞳。歳はセレナと一つしか違わないのに発達した豊満な胸部は、シャツ越しにアランの胸板へと押し付けられてムニムニと形を変える。
「え、エルシェナ?   お前、あの紅茶に何を……」
「あら。もう起きてしまったのですか、流石アラン様ですね」
「『起きてしまった』て事は睡眠薬か。どうりで変な味がすると思ったよ」
はぁ、と宙へ向けてため息を漏らす。
「……それで、今は何時くらいだ?」
「夜中の一時半、といったところでしょうか。アラン様がぐっすりとお休みになられてから、三時間ほど経ちますし」
「そうか……で、エルシェナは何をしているんだ?」
「そんなの決まっているじゃあないですか」
アランの胸板から顔を離し、代わりに腰へ騎乗する。
「夜這いです♫」
「夜這いて……お前なぁ……」
淑女が言うような言葉では無いだろ、とアランはツッコミを入れようとした。
だがしかし、ついこの前も全裸でアランのベッドに潜り込んだエルシェナだ。そういう事も平然とし兼ねないとはどこかで思っていたはずだ。
……結局、自分の所為か。
最近は色々なことに目を向け過ぎて、集中力が欠けていた。紅茶を飲んだ瞬間に危険を感じていれば、こういう事にもならなかったはずだ。
「アラン様はこういう事、お嫌いですか?」
「いや、こういうのは好きとか嫌いとかそういうのじゃ無くてだな……」
「じゃあ、構いませんよね!!」
「あ、コイツ元から話聞かねぇつもりだ!!」
アランの言う事そっちのけに、エルシェナは手早く衣服を脱ぎとった。
白美しいきめ細やかな柔肌が、月明かりに照らされていっそう艶やかさを増す。
呪にも似たその美貌は、屈強な精神を持つ者ですら惑わせ、情欲を沸き立たせる。
これは魔術でも呪術でも無い、ただの現象。防ぐ術もなく、逃れるには見る事を拒絶するしか方法が無い。
だが。
「ほら、アラン様。ちゃんと見てください」
「で、出来るかよそんな事ッ!?」
首を逸らそうとするアランの頬を押さえて、エルシェナはその行動を許さない。
……まだ薬が抜けて無い所為か!?
思うように身体に力が入らず、エルシェナになされるがまま。淫靡で妖艶なその身体を、じっくりゆっくりと目に焼き付ける。
「える、しぇな……っ」
暴れそうになる獣欲をギリギリのところで理性が抑え、血が滲むくらいまで唇を噛んで思考を鮮明にし、働かせる。
……どうにかしねえと……っ。
この状態を保てるのはそう長く無い。これ以上エルシェナと触れ合っていたら、次こそは理性が崩壊し兼ねない。
何か打開策は、と鈍る思考に喝を与えながら必死に巡らせる。
だがしかし、それはふと伝わってきた。
……震えて、いるのか?
アランの頬に添えるその両手。微かだが、確かに震えていた。
緊張しているのか、それとも羞恥に身を震わせているのか。それは定かでは無い。
……それに、目が。
アランをじっと見つめるその瞳には確固たる意志と、アランに対する絶対的な想い。
そして。
「……エルシェナ」
「はい、何でしょうか?」
薬はまだ抜け切っていない。だがアランは冷静に、理性を持って尋ねる。
「お前、俺に何か隠しているだろ?」
「…………」
少し俯き、目を逸らす。途端に表情を曇らせる。肯定も否定もしていないが、これは間違いなく肯定だ。
「何かに怯えている、何かを焦っている。そんな思いをお前の目から感じる」
「そ、それは……」
またしても歯切れの悪い。これは絶対に何かを意図的に隠していると考えても良いだろう。
「……俺には言えない事なのか?」
黙る。
「……言ったらいけない事なのか?」
黙る。
「そうか。ならこれで最後だーー」
力の余り入らない手で、エルシェナの頬に手を添える。
「辛いか?」
「……っ」
ぽたり、と一滴の涙がアランの胸に落ちる。次第にそれは数を増し、
「はい……辛い、です……」
喉の奥底から、今出る力いっぱいの声で、肯定した。その返事にどことなくアランの頬も緩んでしまう。
「エルシェナ。俺が五年前、オルフェリアに帰る時に言った言葉。覚えているか?」
「はい……『もしもお前が本当に助けて欲しい時は、心の底から叫べ。そうしたらすぐに駆け付けてやるから』です」
「あの日から五年か……今思い出すと、相当な日にちが過ぎているんだよなぁ」
魔術の世界に多大なる影響を残して一時はその姿を隠したり、そして再び帝国騎士となって、誰かに帝国騎士とはなんたるかについて教鞭を握る事になったり。
アランが過ごした三年の帝国騎士時代だって悲惨だった。何十回と戦場に向かったし、何度だって死ぬような思いを味わった。
暗殺や毒殺だってされた事がある。
だからこそ、フィニア帝国で過ごした三ヶ月の平和は今となれば良い記憶だ。
穏やかな食事に、何の意味も無い笑う為の会話。自由気儘に街を歩き、皇帝領内にあった木陰の芝生で昼寝もした。
たったの十五歳で初めての戦場に立ったアランの心を癒したのは、間違いなくフィニア帝国での過ごした日々だ。
……あのクソジジイにも恩義はあるしな。
「お前が困っているなら、俺は独りでもお前を助ける。ヴィルガさんが駄目だと言っても俺はそうする」
「はい」
「敵が数千だろうと数万だろうと。俺はお前が笑ってくれるなら命すら賭けたって良いくらいなんだ」
「……はい」
「だからさ。教えてくれないか。お前が今、俺に向かって本気で伝えたい事を」
「……はい、分かりました。でも少しだけ、良いですか?」
「え、ちょ、お前何をッ!?」
上半身を前に倒し、アランの上にぴったりおい被さる。そして女神のようなその美貌溢れる顔をアランの顔へとゆっくりと近づけ、
「私はアラン様を、世界で最も愛しております」
その額へと、柔らかな口付けをした。
「……………………」
あまりの(精神的な)衝撃にアランの思考は完全に停止する。ただし、理性と同時に獣欲も崩壊されてしまった為、頬を紅潮させるだけで終わった。
「お、おおおお前……一体何をッ!?」
「ふふふっ、ちょっとした魔力補給です♫」
エルシェナは美しく、そして無邪気に微笑んだ。
◆
シャツを着直し、ベッドの上で二人は話を始めた。
「アラン様は私の父、オデュロセウス=ツェルマーキン・アルドゥニエ・フィニエスタをご存知ですか?」
「ああ。フィニアでも名の知れた豪商だからな」
オルフェリア帝国でも名の知れた彼はフィニエスタ家の末息子であり、一族の中で最も魔術と剣術の才が無い者とも言われている。
そんな彼は騎士としての道を諦め、今は商術によって国の支柱の一端を担っているのだ。もはや無くてはならない存在にまで達している。
「私の父は、つい最近までは国が第一のとても優しい父でした。しかし今はどうにも変なのです」
「変?   どういう意味だ?」
「目の色が変わったというか、商売以外の事で考え込むようになったというか……とにかくそんな感じです」
「それはいつからだ?」
「ええと……正確には二週間ほど前、でしょうか。家に帰ってきた父は、その時にはもう神妙な面持ちでしたから」
「二週間ほど前……つまり俺が帝都に戻って来たくらいか。妙に引っかかるが、今は話を続けよう」
「はい。それからというもの、私の父は毎晩一人で屋敷の外に出ています。従者も侍女も連れずに一人で、です」
「娼館でも行ってんじゃないの?」
「アラン様、怒りますよ?」
爽やかな笑顔で威嚇された。
「す、すまん……」
話を戻す。
「そこで私はお爺様に頼んでこっそり密偵を遣わせました」
「結果は?」
「不明です。町の外れにある元地下牢へ入って行った事までは分かりましたが、それ以上は危険なので退散させましたから」
「まぁ、賢明な判断だな」
密偵役を任される者は、戦闘力では無くその隠密性に重視される。つまり戦闘はほとんど出来ないと言っても過言ではないだろう。
そんな人物が敵数が分からない、かつ出入り口が限られた地下牢になど入るのは、むざむざ死にに行くようなものだ。
よってエルシェナの判断は最も正しいと言える。
「ですが、近辺での地道な聞き込みによって僅かですが情報が入りました」
「そこんとこ、詳しく聞かせてくれ」
エルシェナもそれは分かっているのだろう。素直にはい、と返事をしてくれた。
「父が地下牢へ向かう三十分ほど前に、一人の青年が同じように外れに向かったのを一人の男の子が見ていました」
「そいつに関しては?」
「不明です。ただ、黒っぽいコートを着ていて、髪の色が明るい色だという事は分かりました」
「フィニアにもそういう奴は沢山いるからなぁ……」
フィニアは人種的に髪が黄金色に近い者は皇族に近い血縁者であると限られている。エルシェナが薄金であるように、オデュロセウスも皇帝のアルドゥニエも金髪だ。
その青年が着ていたというコートの出所が分かれば尚のこと調査が進むのだが、緯度と高度のやや高いフィニア帝国ではコートなど必需品になっている。
もはやその人物を探すのは無理だと考えるべきだろう。
「私の考えだとおそらく、貴族の誰かと密談をしていたのだと思います。そうでなければ、わざわざ町外れにまで足を向けるとは思いません」
「その会話の内容も気になるなぁ……」
とにかく、オデュロセウスが何かを企んでいる事は明確なようだ。頻繁な夜中の外出に町外れでの密談、エルシェナの言う通り誰かに聞かれる事を恐れての地下牢だと推測できる。
ここで問題は大きく二つ。オデュロセウスの目的と、密談の相手だ。
商売を人生とするオデュロセウスにとって、些細な情報も命取りだ。おそらくアランの住んでいた丘がフィニアに近いこともあって、その情報が彼の元に渡るのはそう時間のかかる事ではなかっただろう。
アラン=フロラストが考案した魔術は、今現在もフィニア帝国で大変利便性の高い魔術として重宝されている。
……何度かフィニアに来ないかって誘いもあったしなぁ。
アランの覚えが正しければ、その声かけ主はオデュロセウスだったはず。彼がアランの帝国騎士復帰に悲嘆を感じるのは別に可笑しい事では無いだろう。
だが、変では無いだろうか?
アランが帝国騎士に戻った、それはつまり同盟国であるフィニアもアランの保護下にある事に変わりは無い。
新開発した魔術理論の提供も行っているし、何の心配も利益の独占も無い。
なのに何故、オデュロセウスは悩んでいる?
もしかしたら、オデュロセウスが悩んでいるのは俺についてでは無いのかもしれない。アランはパタンと思考を切り替える。
アランが帝都リーバスへ向かう事になった理由。それは帝国第四皇女セレナ=フローラ・オーディオルムの剣術指南の任務をリカルドから貰ったからだ。
だがそれは表面上の話で、実は別の任務だった事をアランは教えられた。
リカルドがアランの家にやって来る前に、帝国第五皇子でありセレナの義弟が何者かによって暗殺。
それを危惧したヴィルガによって、剣術指南の裏で護衛を任されたのだ。
そして現れた傭兵団「骸の牙」と復活した犯罪組織「大罪教」。これによって帝都は大きな被害を受けたのであった。
「まさかオデュロセウスは、ここまで予感していたのか……?」
第五皇子の暗殺は「骸の牙」か「大罪教」の可能性が濃い。だが「骸の牙」の目的はあくまで帝国への復讐と戦争の勃発。セレナを襲う理由にはならない。
だとすれば全ての支柱は「大罪教」。そして奴らと手を繋いでいるのは。
「なるほど……思った以上に頭がキレるな」
「あの、アラン様?」
一人思考に耽るアランを不思議そうに見つめるエルシェナ。
「いや、ちょっと面白い答えが見つかったんでな」
大罪教と結託している国といえばつい最近、帝都にわざわざ証拠を置いていったではないか。そう、アルダー帝国だ。
フィニア帝国とオルフェリア帝国の国境で接しており、なおかつ何十年も前から敵対関係にある。
だがアステアルタ魔術大戦において、アルダー帝国は一時的に戦力が激減した。
そこでフィニア帝国とオルフェリア帝国は攻めるべきだったが、ヴィルガとアルドゥニエは一週間にわたる話し合いの末に、侵略はしないという結果に至った。
しかし五年という月日を経て、アルダー帝国は大罪教と結託して再び侵略を開始している。
おそらくオデュロセウスはそれを予感して、傭兵団や武器商人を集めた会談でもしているのだろう。
今となっては傭兵は嫌われ者だし、武器商人も公に武器を売ることは許可されていないからだ。
オデュロセウス=ツェルマーキン・アルドゥニエ・フィニエスタ。予想以上に先見の目を持った、軍師の才ある人物だ。
「アラン様、詳しく教えていただけませんか?」
首を傾げてアランを見つめるエルシェナ。
「それでも良いが……それは明日にしよう。ちょうどこの話を聞かせたい人もいるからな」
聞かせたい人とは、もちろんヴィルガだ。
「そうですか……まあ、良いでしょう」
少ししょんぼりとしながら納得したエルシェナは、
「では、さっきの続きを」
再びシャツに手をかける。
「ストップ、ストォォォォップ!?」
どうやら今晩は寝れそうに無い。アランは心中で絶望的なため息を漏らすのであった。
目を覚ますとそこは、つい最近まで見慣れなかった天井があった。そう、そこはセレナの屋敷であり、三階のアランの自室だ。
何よりも部屋の匂いや横たわるベッドの感触、窓から射す月明かりには見覚えがあった。
だが違う。これは何かが違う。そう、何故なら……
「ふふふっ、アラン様〜♫」
とても嬉々とした声音でアランの上に被さるエルシェナがいるからだ。
色素の薄い金髪に、アランと同じ鈍色の瞳。歳はセレナと一つしか違わないのに発達した豊満な胸部は、シャツ越しにアランの胸板へと押し付けられてムニムニと形を変える。
「え、エルシェナ?   お前、あの紅茶に何を……」
「あら。もう起きてしまったのですか、流石アラン様ですね」
「『起きてしまった』て事は睡眠薬か。どうりで変な味がすると思ったよ」
はぁ、と宙へ向けてため息を漏らす。
「……それで、今は何時くらいだ?」
「夜中の一時半、といったところでしょうか。アラン様がぐっすりとお休みになられてから、三時間ほど経ちますし」
「そうか……で、エルシェナは何をしているんだ?」
「そんなの決まっているじゃあないですか」
アランの胸板から顔を離し、代わりに腰へ騎乗する。
「夜這いです♫」
「夜這いて……お前なぁ……」
淑女が言うような言葉では無いだろ、とアランはツッコミを入れようとした。
だがしかし、ついこの前も全裸でアランのベッドに潜り込んだエルシェナだ。そういう事も平然とし兼ねないとはどこかで思っていたはずだ。
……結局、自分の所為か。
最近は色々なことに目を向け過ぎて、集中力が欠けていた。紅茶を飲んだ瞬間に危険を感じていれば、こういう事にもならなかったはずだ。
「アラン様はこういう事、お嫌いですか?」
「いや、こういうのは好きとか嫌いとかそういうのじゃ無くてだな……」
「じゃあ、構いませんよね!!」
「あ、コイツ元から話聞かねぇつもりだ!!」
アランの言う事そっちのけに、エルシェナは手早く衣服を脱ぎとった。
白美しいきめ細やかな柔肌が、月明かりに照らされていっそう艶やかさを増す。
呪にも似たその美貌は、屈強な精神を持つ者ですら惑わせ、情欲を沸き立たせる。
これは魔術でも呪術でも無い、ただの現象。防ぐ術もなく、逃れるには見る事を拒絶するしか方法が無い。
だが。
「ほら、アラン様。ちゃんと見てください」
「で、出来るかよそんな事ッ!?」
首を逸らそうとするアランの頬を押さえて、エルシェナはその行動を許さない。
……まだ薬が抜けて無い所為か!?
思うように身体に力が入らず、エルシェナになされるがまま。淫靡で妖艶なその身体を、じっくりゆっくりと目に焼き付ける。
「える、しぇな……っ」
暴れそうになる獣欲をギリギリのところで理性が抑え、血が滲むくらいまで唇を噛んで思考を鮮明にし、働かせる。
……どうにかしねえと……っ。
この状態を保てるのはそう長く無い。これ以上エルシェナと触れ合っていたら、次こそは理性が崩壊し兼ねない。
何か打開策は、と鈍る思考に喝を与えながら必死に巡らせる。
だがしかし、それはふと伝わってきた。
……震えて、いるのか?
アランの頬に添えるその両手。微かだが、確かに震えていた。
緊張しているのか、それとも羞恥に身を震わせているのか。それは定かでは無い。
……それに、目が。
アランをじっと見つめるその瞳には確固たる意志と、アランに対する絶対的な想い。
そして。
「……エルシェナ」
「はい、何でしょうか?」
薬はまだ抜け切っていない。だがアランは冷静に、理性を持って尋ねる。
「お前、俺に何か隠しているだろ?」
「…………」
少し俯き、目を逸らす。途端に表情を曇らせる。肯定も否定もしていないが、これは間違いなく肯定だ。
「何かに怯えている、何かを焦っている。そんな思いをお前の目から感じる」
「そ、それは……」
またしても歯切れの悪い。これは絶対に何かを意図的に隠していると考えても良いだろう。
「……俺には言えない事なのか?」
黙る。
「……言ったらいけない事なのか?」
黙る。
「そうか。ならこれで最後だーー」
力の余り入らない手で、エルシェナの頬に手を添える。
「辛いか?」
「……っ」
ぽたり、と一滴の涙がアランの胸に落ちる。次第にそれは数を増し、
「はい……辛い、です……」
喉の奥底から、今出る力いっぱいの声で、肯定した。その返事にどことなくアランの頬も緩んでしまう。
「エルシェナ。俺が五年前、オルフェリアに帰る時に言った言葉。覚えているか?」
「はい……『もしもお前が本当に助けて欲しい時は、心の底から叫べ。そうしたらすぐに駆け付けてやるから』です」
「あの日から五年か……今思い出すと、相当な日にちが過ぎているんだよなぁ」
魔術の世界に多大なる影響を残して一時はその姿を隠したり、そして再び帝国騎士となって、誰かに帝国騎士とはなんたるかについて教鞭を握る事になったり。
アランが過ごした三年の帝国騎士時代だって悲惨だった。何十回と戦場に向かったし、何度だって死ぬような思いを味わった。
暗殺や毒殺だってされた事がある。
だからこそ、フィニア帝国で過ごした三ヶ月の平和は今となれば良い記憶だ。
穏やかな食事に、何の意味も無い笑う為の会話。自由気儘に街を歩き、皇帝領内にあった木陰の芝生で昼寝もした。
たったの十五歳で初めての戦場に立ったアランの心を癒したのは、間違いなくフィニア帝国での過ごした日々だ。
……あのクソジジイにも恩義はあるしな。
「お前が困っているなら、俺は独りでもお前を助ける。ヴィルガさんが駄目だと言っても俺はそうする」
「はい」
「敵が数千だろうと数万だろうと。俺はお前が笑ってくれるなら命すら賭けたって良いくらいなんだ」
「……はい」
「だからさ。教えてくれないか。お前が今、俺に向かって本気で伝えたい事を」
「……はい、分かりました。でも少しだけ、良いですか?」
「え、ちょ、お前何をッ!?」
上半身を前に倒し、アランの上にぴったりおい被さる。そして女神のようなその美貌溢れる顔をアランの顔へとゆっくりと近づけ、
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その額へと、柔らかな口付けをした。
「……………………」
あまりの(精神的な)衝撃にアランの思考は完全に停止する。ただし、理性と同時に獣欲も崩壊されてしまった為、頬を紅潮させるだけで終わった。
「お、おおおお前……一体何をッ!?」
「ふふふっ、ちょっとした魔力補給です♫」
エルシェナは美しく、そして無邪気に微笑んだ。
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シャツを着直し、ベッドの上で二人は話を始めた。
「アラン様は私の父、オデュロセウス=ツェルマーキン・アルドゥニエ・フィニエスタをご存知ですか?」
「ああ。フィニアでも名の知れた豪商だからな」
オルフェリア帝国でも名の知れた彼はフィニエスタ家の末息子であり、一族の中で最も魔術と剣術の才が無い者とも言われている。
そんな彼は騎士としての道を諦め、今は商術によって国の支柱の一端を担っているのだ。もはや無くてはならない存在にまで達している。
「私の父は、つい最近までは国が第一のとても優しい父でした。しかし今はどうにも変なのです」
「変?   どういう意味だ?」
「目の色が変わったというか、商売以外の事で考え込むようになったというか……とにかくそんな感じです」
「それはいつからだ?」
「ええと……正確には二週間ほど前、でしょうか。家に帰ってきた父は、その時にはもう神妙な面持ちでしたから」
「二週間ほど前……つまり俺が帝都に戻って来たくらいか。妙に引っかかるが、今は話を続けよう」
「はい。それからというもの、私の父は毎晩一人で屋敷の外に出ています。従者も侍女も連れずに一人で、です」
「娼館でも行ってんじゃないの?」
「アラン様、怒りますよ?」
爽やかな笑顔で威嚇された。
「す、すまん……」
話を戻す。
「そこで私はお爺様に頼んでこっそり密偵を遣わせました」
「結果は?」
「不明です。町の外れにある元地下牢へ入って行った事までは分かりましたが、それ以上は危険なので退散させましたから」
「まぁ、賢明な判断だな」
密偵役を任される者は、戦闘力では無くその隠密性に重視される。つまり戦闘はほとんど出来ないと言っても過言ではないだろう。
そんな人物が敵数が分からない、かつ出入り口が限られた地下牢になど入るのは、むざむざ死にに行くようなものだ。
よってエルシェナの判断は最も正しいと言える。
「ですが、近辺での地道な聞き込みによって僅かですが情報が入りました」
「そこんとこ、詳しく聞かせてくれ」
エルシェナもそれは分かっているのだろう。素直にはい、と返事をしてくれた。
「父が地下牢へ向かう三十分ほど前に、一人の青年が同じように外れに向かったのを一人の男の子が見ていました」
「そいつに関しては?」
「不明です。ただ、黒っぽいコートを着ていて、髪の色が明るい色だという事は分かりました」
「フィニアにもそういう奴は沢山いるからなぁ……」
フィニアは人種的に髪が黄金色に近い者は皇族に近い血縁者であると限られている。エルシェナが薄金であるように、オデュロセウスも皇帝のアルドゥニエも金髪だ。
その青年が着ていたというコートの出所が分かれば尚のこと調査が進むのだが、緯度と高度のやや高いフィニア帝国ではコートなど必需品になっている。
もはやその人物を探すのは無理だと考えるべきだろう。
「私の考えだとおそらく、貴族の誰かと密談をしていたのだと思います。そうでなければ、わざわざ町外れにまで足を向けるとは思いません」
「その会話の内容も気になるなぁ……」
とにかく、オデュロセウスが何かを企んでいる事は明確なようだ。頻繁な夜中の外出に町外れでの密談、エルシェナの言う通り誰かに聞かれる事を恐れての地下牢だと推測できる。
ここで問題は大きく二つ。オデュロセウスの目的と、密談の相手だ。
商売を人生とするオデュロセウスにとって、些細な情報も命取りだ。おそらくアランの住んでいた丘がフィニアに近いこともあって、その情報が彼の元に渡るのはそう時間のかかる事ではなかっただろう。
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……何度かフィニアに来ないかって誘いもあったしなぁ。
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そして現れた傭兵団「骸の牙」と復活した犯罪組織「大罪教」。これによって帝都は大きな被害を受けたのであった。
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第五皇子の暗殺は「骸の牙」か「大罪教」の可能性が濃い。だが「骸の牙」の目的はあくまで帝国への復讐と戦争の勃発。セレナを襲う理由にはならない。
だとすれば全ての支柱は「大罪教」。そして奴らと手を繋いでいるのは。
「なるほど……思った以上に頭がキレるな」
「あの、アラン様?」
一人思考に耽るアランを不思議そうに見つめるエルシェナ。
「いや、ちょっと面白い答えが見つかったんでな」
大罪教と結託している国といえばつい最近、帝都にわざわざ証拠を置いていったではないか。そう、アルダー帝国だ。
フィニア帝国とオルフェリア帝国の国境で接しており、なおかつ何十年も前から敵対関係にある。
だがアステアルタ魔術大戦において、アルダー帝国は一時的に戦力が激減した。
そこでフィニア帝国とオルフェリア帝国は攻めるべきだったが、ヴィルガとアルドゥニエは一週間にわたる話し合いの末に、侵略はしないという結果に至った。
しかし五年という月日を経て、アルダー帝国は大罪教と結託して再び侵略を開始している。
おそらくオデュロセウスはそれを予感して、傭兵団や武器商人を集めた会談でもしているのだろう。
今となっては傭兵は嫌われ者だし、武器商人も公に武器を売ることは許可されていないからだ。
オデュロセウス=ツェルマーキン・アルドゥニエ・フィニエスタ。予想以上に先見の目を持った、軍師の才ある人物だ。
「アラン様、詳しく教えていただけませんか?」
首を傾げてアランを見つめるエルシェナ。
「それでも良いが……それは明日にしよう。ちょうどこの話を聞かせたい人もいるからな」
聞かせたい人とは、もちろんヴィルガだ。
「そうですか……まあ、良いでしょう」
少ししょんぼりとしながら納得したエルシェナは、
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