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英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第8話「不吉な出会い」

近接戦闘。それは己の剣術や武術、体術を駆使して相手を翻弄し、隙のできた相手に対して最良の一撃を懐に叩き込むための手段だ。


あらゆる戦闘は武術に通ずると有名な故人が仰った通りに、近接戦闘は剣術を始め、槍術や棍術、挙げ句の果てには魔術にまで関連している。


何せ魔術師同士もある程度距離が詰まると、棒術による近接戦を行うことが多い。魔力による身体強化があるのに使わないのは勿体無いからだ。


この事から、所詮戦いというものは最終的に近接戦によって幕を閉じるのだと近年の学者達は自慢げに言うのである。


それはさておき。


今日の午後授業は、アランを敵と見立てて徹底的に体術訓練を行っていた。


「ふッ!」


魔力によって身体強化されたセレナの拳は、放たれた矢のように素早くアランの右頬を掠りつつ、元に戻る。


「はッ!!」


一歩前に踏み出してセレナの腹部に掌底を打ち込もうとするが、アランの攻撃を先読みして次の瞬間に身体を左にずらし、回避する。


「そうそう。そんな感じで相手の動き、呼吸、視線を常に観察し続けろ。意識を一瞬でも逸らすと……こうなるぞッ!」


「ッ!?」


次の瞬間、アランの姿が消える。


セレナの懐へと一瞬で潜り込んだアランは、そのまま拳を上へと突き上げて、セレナの顎下をポンと小突く。そのまま決まっていれば、気絶は免れない一撃だ。


「やっぱりここら辺は慣れが肝心だからな。動きの改善は経験で補うのが一番だ」


物事を多方向から観察し、思考し、予測する事が得意なセレナにとって、これほど有意義な訓練は無いだろう。


「それでもあと六日……本当にこの調子で大丈夫かしら?」


「焦る気持ちも分かるが、そう気負うな。魔術は学院で習う基礎魔術以外は使用禁止なんだから、魔術訓練はしなくても良いし、その分こうやって近接戦の技能が磨けるんだからな」


「うう……私ってやっぱり机に向かって魔術の勉強をしている方が好きなのかしら……」


ぐったりと項垂れるセレナを見つめて、アランは苦く笑った。


確かに、こうやって体術訓練を行う時間がセレナは増えつつある。だがそれはセレナの未熟な体力や筋力を鍛える為であり、決して無意味などではないのだ。


他の魔術師や魔術騎士よりも遥かに魔力量の多いセレナは、常日頃から無意識に身体強化を自身へと施している。それに対しては、アランも何一つ言うつもりはない。


だがせめて身体強化無しで剣の一本は持ち上げて欲しいと切実に思うアラン。身体強化は対象の本来の身体能力に合わせて強化しているだから、セレナにはもっと強くなれる要素があるという事だ。


……実際、今の状態の一撃ってそれほど痛くないしな。


というかクローゼットの角に小指をぶつけた時の方が痛い気がする。本気でそう思えてしまうアランなのであった。


すると。


「アルにぃ。今度はわたし」


クイクイとアランの袖を引っ張って、こちらに向くようにユリアが促す。どうやら早く組手をしたくて待ちきれないようだ。


「了解。それじゃあセレナの合図と同時に始めるとしよう」


三歩ほど退いて、ユリアが一足では懐に入りきれない距離を保つ。アランが学生時代の頃はよくユリアの相手をしていたという事もあって、ギリギリの境界線をアランはよく知っている。


それに対してユリアはとてもシンプル。腰を屈めて両拳を顔面の前に持ってくる、防御と攻撃の両方を瞬時に切り替えられる安定型の姿勢だ。


「二人とも、用意はいいかしら?」


セレナの問いに二人同時に頷く。


「それじゃあ…………開始ッ!!」


合図と同時に駆けたのはユリアだ。脚部に身体強化を施してアランとの微妙な距離を一気に詰め寄ろうと試みた。


だが。


「……っ」


まるでその動作を見越していたかのように、アランは身体を右にずらしてユリアが止まるであろう場所目掛け、肉を抉るような鋭い一撃を振りかぶる。


……避けきれないッ!?


一目でそう判断したユリアは攻撃から防御に切り替え、


「あぐぅッ!?」


骨の軋むようなアランの一撃を肘で受け止める。肘から指先まで瞬時に痺れが渡り、しばらくの間左腕が使えない事を悟った。


……ここは距離を取るべき?   いや、やっぱり攻めなきゃ!!


脂汗が額に浮かび上がり、一瞬にして不利な形勢になった事を理解するも、ユリアの闘志はむしろ激しく湧き上がる。


最愛の義兄と真剣な近接戦を楽しめるのは、今から五年以上も前の話だ。あの頃はただアランの動きを真似しているだけだったが、今は違う。


「ふッ!!」


瞬時に懐に潜り込むと、捻り込むような右拳のアッパーがアランの鳩尾へと迫る。直撃すれば間違いなく嘔吐するだろうとアランの生物的直感が予測した。


……ユリアの左腕は使えない。


だからアランは、


「ぐおぁッ!?」


わざと鳩尾で拳を喰らった。


その奇怪な行動に疑問を隠しきれないユリア。だが今退がると、相手にわざわざ攻撃してくれと頼んでいるようなものだ。


一方でアランは鈍い痛みが体内にまで伝わり、食道から何やらヒリヒリするものが込み上げてくる。一瞬視線がぼやけ、足が平衡感覚を失ったかように力を無くしかける。


「うおぉ……マジでやべぇ。一瞬だけ視界が白く染まったぞ……けど、これでッ!!」


ぐっと右足を後ろへ引き絞り、


「ふッ!!」


「あぅッ!?」


豪快な回し蹴りがユリアの魔力障壁を貫いた。踏ん張りがきかなかった所為で左方向へと吹っ飛んだユリアは、体勢を戻しながらも追撃の可能性に備える。


そしてアランは駆ける。ユリアとの距離をたったの四歩で埋め、一瞬にして詰め寄ったアランはトンと軽く跳躍して右足を天に掲げると、


「どりゃッ!!」


地面が陥没する威力の踵落としを披露した。辺りには砂塵が舞い上がり、アランとユリアを含めた全員の視界を阻害する。


ユリアはどうなったのか。その結果をいち早く知ったのは無論アランだ。


……感触が、無い?


あの早さはユリアがギリギリ防げる程度だと見越しての一撃だったが、どうやら過小評価をしていたらしい。


アランが踵で感じたその感触は間違いなく地面だ。つまりユリアはーー


「せえぁッ!!」


見事に回避をして、狭い隙間を狙った一撃を放つ。だがアランも負けじと地面に振り下ろされた脚を、反対の脚を軸として振り回し、ユリアの拳にぶつけた。


鉄板すら容赦なく貫ぬくであろう二人の一撃によって周囲は風を散らし、砂塵が天に舞う。魔力と魔力の激しいせめぎ合いだ。


「「…………ふっ」」


どういう事だろうか。唐突に二人は同時に笑みを浮かべて距離をとった。


「ユリアちゃーん、別に遠慮はしなくても良いんだぞー?」


「遠慮じゃない。正々堂々と戦ってるだけ」


「ならもっと狙えよ。別に俺は気にしないから」


「……?」


二人の会話についてゆけないセレナは、首を傾げて内容を整理する。


文脈から察するに、どうやらアランには出来れば狙って欲しくない箇所があるらしい。だがユリアはそれを頑なに拒んでいる。


男性として狙って欲しくないとするならば、やはり急所ーー股間だろうか。


……って、何考えてるのよ私は!?


ぶんぶんと頭を振って再確認。


とにかく今のアランには、ユリアが気付けるような弱点が存在している事になる。それがどこで、どうなっているのかはセレナには分からないが、その情報は良くも悪くも今のセレナには重要だ。


「それでも私は狙わないよ?」


「頑固だなぁ……本当にそこら辺はクソ親父にそっくりだ」


「褒めてくれてありがとう、アルにぃッ!!」


「褒めてねぇよッ!!」


再び体術による二人だけの会話が始まる。経験としてはアランが遥かに上だが、戦闘センスにおいて鬼才の域に至るユリアにしてみれば、アランの動きは直感で分かるようだ。


つまり二人の攻防は未だ勢い変わらず。爆音のような魔力同士のぶつかり合いが、訓練場内をこだまする。


二人の学生の域を超えた格闘戦は、多くの生徒を魅了したのであった。





それから十分ほど。


熱の入り過ぎた二人の格闘戦は、だんだんと本格的な戦闘へと切り替わり。


最終的に魔術を使おうとしたユリアに、セレナがツッコミを入れる事によって、無事に幕は閉じたのだ。





同日、学院からの帰路にて。


セレナとユリア、そしてエルシェナの三人は、明日の午後から市場の方で行われるという「世界のお菓子展」の企画に参加するべく、参加票を作りに小走りで屋敷へと帰った。


「……さて、と」


久しぶりに一人になったアランは夕日を見て、懐かしき丘の上の小さな家を思い出す。


あの頃は今日や明日をどうやって暮らしてゆこうなどとお気楽に考えていたが、気付けば帝国騎士に逆戻りしている。


……けどまあ、最近は悪くないけどな。


自分が今のままでいる事に罪悪感はある。誰かに責められるのも仕方のない事だと承知している。


だが、そんな自分でも誰かを守ることが出来るのだと、誰かの代わりに戦うことが出来るのだと、そう思える事で気持ちは少しだけ晴れている。


「俺ももう少しだから。待っててくれよ」


そう空へと呟くアラン。無論言葉は帰ってこない。なに虚しい事やっているんだろうと思ったアランは、そういえばこの辺に美味しい串焼き屋があった事を思い出す。


二年も前のことだから、今もあるかどうかは分からないが、急にその味が恋しくなった。


「えと……確かこっちだったような……」


二つ目の十字路を右に曲がり、さらに突き当たりまで歩いて左に。商業区ギリギリの区画にある場所で、三分ほど歩くとそこにはーー


「おい、お前。なに勝手に仕事休んで呑気に串焼き食ってんだ、あァ!?」


「も、申し訳ございません……っ!!」


串焼き屋の露店の前で、とてもご立腹な帝国騎士がいた。帝国騎士を示すコートには、第一神聖語で「秩序と罰」と描かれた金の紋章が。


……あれは第三の。


とすれば、この始末は新米帝国騎士の醜態を見てしまった上司が説教をしているのだろう。


今日は諦めて帰ろう。踵を返してゆっくりとその場から離れーー


「あァ?   ……おいおい、なんだなんだ、アランがいるじゃねぇかァ!!」


その声の主には思い当たりがあった。いや、本当は最初に怒声が聞こえた瞬間に分かっていたはずだ。


それに加えて魔術方陣が施された指抜きグローブと、身体の至る所に装備されたククリとナイフの数々。


「……お、お久しぶりです。シェイドさん」


さすがのアランでもこの人を前にして敬語は使う。なにせ旧皇帝時代において、皇帝に対する絶対的な忠誠心と、躊躇いなく如何様な人でも殺せるその忍耐から、第三騎士団の全てをヴィルガから託された殺人狂。


子供の頃に少しでも怒ればナイフを投げてきたというトラウマが今でも癒えないアランは、本能的にこの人を拒否していたのだ。


「ほんっと久しぶりだなァ。二年……いや面と向かって話すとなると三年ぶりになるのかァ。デカくなったなァ」


ポンと頭に手が載せられる。


いつもならば、逆ギレして「頭に載せんなコンチクショウが!?」となるはずが、むしろ飼い主に首根っこを掴まれた犬のようになった。


そう、彼には逆らえない。






第三騎士団団長、シェイド=カルツォには。

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