英雄殺しの魔術騎士
第5話「訓練、開始」
「…………」
早朝。商業区の活気が遠方から聞こえ、窓枠の出っ張りに鳥達が羽を休めて清らかに囀り合っている。
重たい瞼がゆっくりと開き、東日がアランの瞳孔に少々強めの刺激を与え覚醒を促した。
いつも通りの朝だ。それだけは日常と何ら変わりの無い、普通の出来事だった。
「……………………!?」
しかし次の瞬間、アランは二十年という人生の中で数度しか味わったことが無い、思考が停止するレベルの動揺に苛まれた。
「ん、んぅ…………」
左側には女性として魅力的な身体つき(一部強調)をした金髪の少女、エルシェナがアランの左半身に自分の身体を密着させながら、安らかに吐息を立てて眠っており、
「くぅ……くぅ……」
右側には発展途上さを醸し出す、年相応の艶やかさと美しさを合わせて二で割ったような身体つきをした銀髪の少女、ユリアがアランの腕を枕代わりにして気持ち良さそうに眠りについている。
……まずい、まずいぞ。これは非常にまずい。
アランだって一応は男だ、男性だ。死んだ魚のような瞳をしていても、女性という生き物が恐ろしいという事を知っていても、三大欲求と謳われる性欲は存在する。
刺激を受けるような原因がそばにあれば、尚更のことだ。
……しかもなんで服着てないの!?
エルシェナの豊満な乳房が、ふにゅふにゅと形を崩してアランの腕に柔らかさを激しく伝え、ユリアの銀糸のような髪からは仄かに甘い香りが漂う。
美少女二人に挟まれてアランの精神は寝起きだというのにフル稼働。さらには理性という壁が、今にも壊れそうにひび割れ軋み音を立てていた。
「ぁ……ぉ、ぅ………」
獣欲に脳が支配されないように、今後の訓練計画について緻密に考える。声をかけて起こせば良いのだが、二人同時に起きると言い合いを始めてユーフォリアやセレナが駆け付けてくる可能性がある。
その際のアランの生存確率は、乳呑み子に第一神聖語を教えて一度で覚える確率よりも低いと断定できた。
……煩悩を考えるな、常に頭を動かし続けろッ!!
まるで戦闘の最中であるかのような気分だ。
こうして五分ほど理性との悪戦苦闘を繰り広げて、三日目の剣術訓練までのスケジュールを組み立てた時だった。
「ん、んん…………ふはぁ〜……おはようございます、アラン様」
先に起きたのはエルシェナだった。エルシェナが少し動くたびに身体の至る所が擦られて、再び理性崩壊の危機がやってくる。
だがしかし、ユリアが腕を枕代わりにしているので身動きのできないアランは、目をエルシェナから逸らして、脳裏で【マテリアルゲート】についての嬉し恥ずかしポエミーな自作論文を思い出し、余計な事を考えられないようにした。
「お、おおおおはようエルシェナ。と、ところで何で寝間着を着ていないのかだけ、尋ねてもよろしいでごさいましょうか?」
するとエルシェナは自分の身体(主に胸)をジッと見て、そして再びアランの朱に薄く染まった頬を見て小悪魔的な笑みを浮かべたかと思うと、さらに密着度を増す。
「アラン様。昨夜はお楽しみいただけましたか?」
「よ、余計な誤解をさせるような事を言うな!?   そもそもお前ら、いつの間に俺のベッドに侵入したんだ?」
昨晩いかに精神的に疲弊したとしても、足音一つ聞こえれば瞬時に目が醒める訓練を受けている。そんなアランですら気付かなかったその隠密能力に、アランは疑問を覚えるしかない。
するとエルシェナはふふふと笑い、
「乙女の秘密です」
とだけ言葉を返す。どうやら仕掛けのタネは教えたく無いようだ。
はぁと大きく息を漏らすアラン。だが同時に悲劇は幕を開けた。
「アラン?   もう朝食の時間だから、いい加減に起きないとリアがおこ、る…………わよ?」
扉を開けてセレナがアランの様子を見に来たらしい。しかしベッドに横たわるアランと、その左右にいる裸の女子二人を見て、瞬時に絶句した。
よし謝ろう、すぐに謝ろう。意を決するも未だ目覚めないユリアの所為でアランは身体を起こすことが出来ないでいる。
それ故に、アランが動く前にエルシェナが企みを含んだ笑みを浮かべながら、言った。
「あら、セレナ。夫婦の朝を邪魔するのは無粋というものですよ?」
「いや別にアンタ達、そういう関係じゃ無いでしょうが。ほら、リアが来る前に服を着て下に来なさい。雷が落ちるわよ?」
だがセレナは全く動じない。まるで全てを見ていたかのように冷静であり冷淡であり、心の隙間が全く見えない。
「せ、セレナ……怒ってないのか?」
おずおずとアランは尋ねる。
「怒りたいっちゃあ、怒りたいけど……どうせまたそこの二人が何かしたんでしょう?   だったらアンタに怒りをぶつけるのは不合理かなって思っただけよ」
「お、お前ってやつは……」
それじゃあ先に行くわね。とセレナは扉を閉めて、いや閉めかけたところで。
「あ、でもリアはアンタにお怒りみたいだから、覚悟をしておくことね」
アランに希望は最初から無かったようだ。
「ではアラン様。また後で」
あらかじめ準備されていたらしいタオルで身を包み、エルシェナはベッドから腰をあげる。
「あ、ああ……今後はするなよ?」
「ほら、ユリアも」
「ぅ……ん?   アルにぃにおはようの挨拶を……」
「それは後で。セレナも待っていますから」
「……わかった」
バタンと閉められる扉。一気に鎮まり返り、アランの胸中だけが焦燥感で荒れ果てている。
「畜生……理不尽すぎるだろう……っ」
今なら涙も出てきそうなほど、アランは(精神的な)死の予感を親身に感じた。
◆
その後アランは、約二時間に渡って「他国の皇族との問題に関わる歴史について」という話を延々と聞かされたのであった。
◆
時は巡って、午後の魔術訓練。
「セレナとユリアは俺が教えるので、そこの所をよろしくお願いします」
「え、ええ。分かりました」
やや強引に講師に許可を貰ったところで、アランは二人に向き直る。やはり帝国騎士を表す騎士団紋章付きコートの力は絶大だ。
「さて。どっちから始めようか……」
時間は有限。ユリアに教える義務は無いが、新米帝国騎士にそう簡単に負けてもらっては困る。
だが二人の実力は今は幼い。研磨する前の粗雑な宝石と同じで、完璧と断定するにはまだまだ遠い存在だ。
「セレナはいつも通りの身体訓練に合わせて、【顕現武装】の扱い方を学ぶとしよう。さて」
問題はユリアの方だ。
「ユリアは……どうしたもんか」
ユリアの実力は既に証明済みだ。剣術においては、新米帝国騎士には引けを取らないほどに熟達している。
それに加えた父親譲りな天性の感覚によって、もはや生半可な実力者では歯が立たない位置に君臨していると言っても過言ではないだろう。
……だが、本戦に出てくるのは新米帝国騎士の中でもユリア以上の鬼才達ばかりだ。
ユリアの姉、シルフィア=グローバルトに加えて出場騎士達は各騎士団長や六貴会、ヴィルガの推薦によって出場権を得た者。つまり千を超える同世代の魔術騎士達の中から選ばれた、将来有望な強者という事である。
実戦経験はもとい、剣術や魔術にいたってもユリアより段違いに強いのだ。今のユリアでは互角が精々良いところだろう。
ならばと意を決したアランはユリアに話を持ちかける。
「ユリア、今からお前に二つの選択肢をやろう。どちらかを選ぶも良し、選ばないも良しだ」
一つ目。
「こっちは王道、剣術と魔術を磨いて本戦に挑む」
二つ目。
「こっちは邪道、【顕現武装】を覚える」
その発言に対して、真っ先に慌てたのはユリアではなくセレナだった。
「ちょ、アラン!?   なんでユリアにも【顕現武装】を教えるのよ!!」
「仕方ないだろう。今のお前達だと【顕現武装】があって勝負が良いところだ。それとも何だ、お前はユリアが【顕現武装】を覚えたからって夢を諦めるのか?」
「ぐぬぬぬぬ……」
余りに正当な答えを返されて喉を唸らせる。
それに結局のところ、これを決断するのはユリアだ。乗るも乗らないも、ユリアの勝手なのだから。
するとユリアは短く考えて、自分の考えを口に出す。
「……アルにぃは、それが無いと私がシルねぇに負けると思うの?」
「ああ、ほぼ確実にな」
「そう……」
余りに残酷な答えだが、ここで紛らわせたとしてもユリアに一切の力にはならない。
シルフィアにはユリアほどの剣術は無い。だが、アランに匹敵する魔術的知識を有するが故に、女性帝国騎士で二番目に強いと公言されるほどだ。
強さの段数は自らの目で見ると、なお明らかである。
「もし、もしもだよ?   私がそのフェルサ何とかを使えたとして……勝てる?」
「五分五分って感じだな」
「……そっか」
そのアランの答えが、ユリアの決断を左右したのだろう。
「なら私、頑張って使えるようになってみる」
「よし、その意気だ」
【顕現武装】はアラン自ら完成させた魔術が故に、知る者はごく限られた人物だけ。故に完成度によっては、聖剣にも諸刃の剣にもなる可能性がある。
……これで更に。いや、今は止めておこう。
だが誰も知らない。
アランの誘いの手には、別の意味があった事に。
◆
「まずはセレナ。今すぐに【顕現武装】を使ってくれ」
「え、ええ。分かったわ」
アランに言われると、セレナは右手に魔力を込めてその手のひらに印された【顕現武装】の証を浮き上がらせる。
燃えるような赤い蝶の印。これがセレナが【顕現武装】を所持している証だ。それを確認すると同時に、セレナは詠唱を始める。
「《炎獅子よ、我は永久より在らしめる聖火の霊王なり。この身この腕は万象一切を灰塵に変え、人類の暦に終止符を唄うーー」
術式は「心の紙片」にある。一度知れば、永久に忘れることは無い。それは記憶するとか覚えているとかそういう感覚ではなく、気付けば既に在ったという感覚に近い。
高まる魔力が熱を帯び、ゆらりと赤い炎がセレナを包む。そして、
ーー我は終末より生まれし赤き聖女なり》」
詠唱を終えると同時にセレナを炎が包み込む。体細胞から魔力が浸透し全身が覚醒する。金の髪は紅色に染まり、炎のような魔力が溢れ出す。
これがセレナの【顕現武装】ーー血華の炎巫女だ。
そこにいる。その事実だけで、離れた場所にいた生徒達の視線すらも易々と奪ってしまう。それほどの圧倒的存在感。
だがユリアは見慣れたのか、あまり驚くこともなくただじっとセレナの格好を見つめていた。
「さて……ユリアも知っていると思うが、【顕現武装】には幾つかの能力が備わっている。身体強化、属性顕現、そして超速再生だ」
セレナの場合、未完成ということもあって超速再生は使えないが。
「属性顕現は、確か何もかも劣化させる能力だったはず」
「その通り。セレナの属性顕現は『果て』。要するに万物の破壊な訳だが……まあ破壊と言っても、一瞬で壊すわけじゃなくてゆっくりと朽ち果てるような感覚だな」
「それでも超厄介……」
ユリアの言うことも納得できる。セレナに触れた物が全て朽ち果てるのであれば、すなわち物理的な攻撃は一切が無効化されるということでもある。
しかも魔術もある一面から考えれば物理的な攻撃だ。つまりセレナは剣術と魔術に対して【顕現武装】を維持する限り無敵だということだ。
だがアランにとってはさほど大きな問題にはならない。
「けどな、ユリア。あらゆる物には必ず弱点が存在する。例えばこの【顕現武装】は大きく分けて二つの弱点が存在するんだ」
まず一つ。
「魔術攻撃に弱い。セレナの場合は魔術攻撃に強そうだが、実はよく観察すれば地属性が弱点だとすぐに分かる」
「ど、どうしてよ?」
「あらゆる物を破壊する能力は確かに強力だ。だけど物質は破壊の終点として砂塵を残すだろう?   つまり、地属性の砂や灰を使った魔術ならばセレナに通用するってことだ」
そして二つ。
「魔力そのものによる攻撃。これは物理攻撃でなく、対象の『心の紙片』に直接ダメージを与えるための有効な精神攻撃だ。ただしその分大きなリスクがある」
「魔力を攻撃を加える箇所に集中させ過ぎて、魔力の障壁が薄くなったところに攻撃がやってくる、でしょう?」
セレナの考察に対してアランは首肯する。
「魔力による直接攻撃を達成するためには、まず対象が顕現させた異常なまでの魔力装甲を破壊する程度の一撃が必要になる。セレナの場合だと……この程度だな」
アランの右手に凝縮された魔力は、合成獣程度なら余裕で屠れるほどだった。それを見て、セレナは本能的に恐怖を覚えた。
「ただ、見て分かる通りこれくらいの魔力を一点に集めるとなると、他の箇所の防御がいかんせん甘くなる。反撃を受けた場合は、致命傷は免れないと覚悟した方が良いだろう」
「何か方法はあるの?」
「回避する、それしかない」
あまりにも淡泊な答えにセレナは頬を引きつった。すると今度はユリアが尋ねる。
「でもアルにぃ、なんで私にセレナの弱点を教えたの?   それじゃあセレナに勝てって、言ってるみたいだよ?」
「あ、そうよ。私もそれを聞きたかったの!」
隠しておけばセレナにはまだ勝機があったかもしれない。なのにそれをアランは易々と捨てた。セレナにしてみればこれ程の苛立ちは無いだろう。
だがアランは再び淡々と言う。
「魔剣祭本戦出場者の大半は、セレナの【顕現武装】を『特殊な魔術』と考え、脅威として警戒している。だから彼らは彼らなりにその『特殊な魔術』を調査していることだろう」
帝国騎士である彼らは学院生とは異なり、情報収集の手段を持っている。
「聴取、密偵、交渉、情報奪取、その他諸々を利用して手に入れた情報で【顕現武装】への対策を練ってくるはずだ」
だが、最低でもそれは一週間を要するとアランは見積もっている。
「だからこそ、俺達はその時間を全て捨てる。セレナの弱点は教えるし、ユリアが【顕現武装】を覚えたならユリアの弱点もセレナに教える。これで無駄な時間を大幅に省くことが出来るってわけだ」
それに、とアランは続ける。
「おそらくなんだが……この訓練場にも密偵がいる。だからこそこうやって他の生徒達から離れて訓練をして、二人にしか聞こえないようにできるだけ小さな声で話しているんだ」
『特殊な魔術』をセレナが覚えたのは、アラン=フロラストという帝国騎士がセレナのそばに居着いてから。それだけしか情報がない現状では、二人の動向を観察するのがベストな考えだ。
だがアランも抜け目はない。訓練場に入る前から周囲に警戒は向けていたし、入った後も意識的に隠そうと試みる気配は常に感じている。この感覚からして相手はようやくその稼業に慣れ始めたといったところか。
「なんにせよ俺達には一日の時間すら惜しい現状で、無駄だと思う時間は全て省く。それで余った時間を基礎と【顕現武装】の学習時間に全て費やす。それでいいな?」
二人は黙って首肯する。
言葉は要らない、反論する必要すら感じない。アランは自分達が本戦に向けて全力で訓練出来るように取り計らってくれている。その事実だけあればなにも必要ない。
……頑張らなきゃ。
二人の闘志は静かに燃え始めるのであった。
早朝。商業区の活気が遠方から聞こえ、窓枠の出っ張りに鳥達が羽を休めて清らかに囀り合っている。
重たい瞼がゆっくりと開き、東日がアランの瞳孔に少々強めの刺激を与え覚醒を促した。
いつも通りの朝だ。それだけは日常と何ら変わりの無い、普通の出来事だった。
「……………………!?」
しかし次の瞬間、アランは二十年という人生の中で数度しか味わったことが無い、思考が停止するレベルの動揺に苛まれた。
「ん、んぅ…………」
左側には女性として魅力的な身体つき(一部強調)をした金髪の少女、エルシェナがアランの左半身に自分の身体を密着させながら、安らかに吐息を立てて眠っており、
「くぅ……くぅ……」
右側には発展途上さを醸し出す、年相応の艶やかさと美しさを合わせて二で割ったような身体つきをした銀髪の少女、ユリアがアランの腕を枕代わりにして気持ち良さそうに眠りについている。
……まずい、まずいぞ。これは非常にまずい。
アランだって一応は男だ、男性だ。死んだ魚のような瞳をしていても、女性という生き物が恐ろしいという事を知っていても、三大欲求と謳われる性欲は存在する。
刺激を受けるような原因がそばにあれば、尚更のことだ。
……しかもなんで服着てないの!?
エルシェナの豊満な乳房が、ふにゅふにゅと形を崩してアランの腕に柔らかさを激しく伝え、ユリアの銀糸のような髪からは仄かに甘い香りが漂う。
美少女二人に挟まれてアランの精神は寝起きだというのにフル稼働。さらには理性という壁が、今にも壊れそうにひび割れ軋み音を立てていた。
「ぁ……ぉ、ぅ………」
獣欲に脳が支配されないように、今後の訓練計画について緻密に考える。声をかけて起こせば良いのだが、二人同時に起きると言い合いを始めてユーフォリアやセレナが駆け付けてくる可能性がある。
その際のアランの生存確率は、乳呑み子に第一神聖語を教えて一度で覚える確率よりも低いと断定できた。
……煩悩を考えるな、常に頭を動かし続けろッ!!
まるで戦闘の最中であるかのような気分だ。
こうして五分ほど理性との悪戦苦闘を繰り広げて、三日目の剣術訓練までのスケジュールを組み立てた時だった。
「ん、んん…………ふはぁ〜……おはようございます、アラン様」
先に起きたのはエルシェナだった。エルシェナが少し動くたびに身体の至る所が擦られて、再び理性崩壊の危機がやってくる。
だがしかし、ユリアが腕を枕代わりにしているので身動きのできないアランは、目をエルシェナから逸らして、脳裏で【マテリアルゲート】についての嬉し恥ずかしポエミーな自作論文を思い出し、余計な事を考えられないようにした。
「お、おおおおはようエルシェナ。と、ところで何で寝間着を着ていないのかだけ、尋ねてもよろしいでごさいましょうか?」
するとエルシェナは自分の身体(主に胸)をジッと見て、そして再びアランの朱に薄く染まった頬を見て小悪魔的な笑みを浮かべたかと思うと、さらに密着度を増す。
「アラン様。昨夜はお楽しみいただけましたか?」
「よ、余計な誤解をさせるような事を言うな!?   そもそもお前ら、いつの間に俺のベッドに侵入したんだ?」
昨晩いかに精神的に疲弊したとしても、足音一つ聞こえれば瞬時に目が醒める訓練を受けている。そんなアランですら気付かなかったその隠密能力に、アランは疑問を覚えるしかない。
するとエルシェナはふふふと笑い、
「乙女の秘密です」
とだけ言葉を返す。どうやら仕掛けのタネは教えたく無いようだ。
はぁと大きく息を漏らすアラン。だが同時に悲劇は幕を開けた。
「アラン?   もう朝食の時間だから、いい加減に起きないとリアがおこ、る…………わよ?」
扉を開けてセレナがアランの様子を見に来たらしい。しかしベッドに横たわるアランと、その左右にいる裸の女子二人を見て、瞬時に絶句した。
よし謝ろう、すぐに謝ろう。意を決するも未だ目覚めないユリアの所為でアランは身体を起こすことが出来ないでいる。
それ故に、アランが動く前にエルシェナが企みを含んだ笑みを浮かべながら、言った。
「あら、セレナ。夫婦の朝を邪魔するのは無粋というものですよ?」
「いや別にアンタ達、そういう関係じゃ無いでしょうが。ほら、リアが来る前に服を着て下に来なさい。雷が落ちるわよ?」
だがセレナは全く動じない。まるで全てを見ていたかのように冷静であり冷淡であり、心の隙間が全く見えない。
「せ、セレナ……怒ってないのか?」
おずおずとアランは尋ねる。
「怒りたいっちゃあ、怒りたいけど……どうせまたそこの二人が何かしたんでしょう?   だったらアンタに怒りをぶつけるのは不合理かなって思っただけよ」
「お、お前ってやつは……」
それじゃあ先に行くわね。とセレナは扉を閉めて、いや閉めかけたところで。
「あ、でもリアはアンタにお怒りみたいだから、覚悟をしておくことね」
アランに希望は最初から無かったようだ。
「ではアラン様。また後で」
あらかじめ準備されていたらしいタオルで身を包み、エルシェナはベッドから腰をあげる。
「あ、ああ……今後はするなよ?」
「ほら、ユリアも」
「ぅ……ん?   アルにぃにおはようの挨拶を……」
「それは後で。セレナも待っていますから」
「……わかった」
バタンと閉められる扉。一気に鎮まり返り、アランの胸中だけが焦燥感で荒れ果てている。
「畜生……理不尽すぎるだろう……っ」
今なら涙も出てきそうなほど、アランは(精神的な)死の予感を親身に感じた。
◆
その後アランは、約二時間に渡って「他国の皇族との問題に関わる歴史について」という話を延々と聞かされたのであった。
◆
時は巡って、午後の魔術訓練。
「セレナとユリアは俺が教えるので、そこの所をよろしくお願いします」
「え、ええ。分かりました」
やや強引に講師に許可を貰ったところで、アランは二人に向き直る。やはり帝国騎士を表す騎士団紋章付きコートの力は絶大だ。
「さて。どっちから始めようか……」
時間は有限。ユリアに教える義務は無いが、新米帝国騎士にそう簡単に負けてもらっては困る。
だが二人の実力は今は幼い。研磨する前の粗雑な宝石と同じで、完璧と断定するにはまだまだ遠い存在だ。
「セレナはいつも通りの身体訓練に合わせて、【顕現武装】の扱い方を学ぶとしよう。さて」
問題はユリアの方だ。
「ユリアは……どうしたもんか」
ユリアの実力は既に証明済みだ。剣術においては、新米帝国騎士には引けを取らないほどに熟達している。
それに加えた父親譲りな天性の感覚によって、もはや生半可な実力者では歯が立たない位置に君臨していると言っても過言ではないだろう。
……だが、本戦に出てくるのは新米帝国騎士の中でもユリア以上の鬼才達ばかりだ。
ユリアの姉、シルフィア=グローバルトに加えて出場騎士達は各騎士団長や六貴会、ヴィルガの推薦によって出場権を得た者。つまり千を超える同世代の魔術騎士達の中から選ばれた、将来有望な強者という事である。
実戦経験はもとい、剣術や魔術にいたってもユリアより段違いに強いのだ。今のユリアでは互角が精々良いところだろう。
ならばと意を決したアランはユリアに話を持ちかける。
「ユリア、今からお前に二つの選択肢をやろう。どちらかを選ぶも良し、選ばないも良しだ」
一つ目。
「こっちは王道、剣術と魔術を磨いて本戦に挑む」
二つ目。
「こっちは邪道、【顕現武装】を覚える」
その発言に対して、真っ先に慌てたのはユリアではなくセレナだった。
「ちょ、アラン!?   なんでユリアにも【顕現武装】を教えるのよ!!」
「仕方ないだろう。今のお前達だと【顕現武装】があって勝負が良いところだ。それとも何だ、お前はユリアが【顕現武装】を覚えたからって夢を諦めるのか?」
「ぐぬぬぬぬ……」
余りに正当な答えを返されて喉を唸らせる。
それに結局のところ、これを決断するのはユリアだ。乗るも乗らないも、ユリアの勝手なのだから。
するとユリアは短く考えて、自分の考えを口に出す。
「……アルにぃは、それが無いと私がシルねぇに負けると思うの?」
「ああ、ほぼ確実にな」
「そう……」
余りに残酷な答えだが、ここで紛らわせたとしてもユリアに一切の力にはならない。
シルフィアにはユリアほどの剣術は無い。だが、アランに匹敵する魔術的知識を有するが故に、女性帝国騎士で二番目に強いと公言されるほどだ。
強さの段数は自らの目で見ると、なお明らかである。
「もし、もしもだよ?   私がそのフェルサ何とかを使えたとして……勝てる?」
「五分五分って感じだな」
「……そっか」
そのアランの答えが、ユリアの決断を左右したのだろう。
「なら私、頑張って使えるようになってみる」
「よし、その意気だ」
【顕現武装】はアラン自ら完成させた魔術が故に、知る者はごく限られた人物だけ。故に完成度によっては、聖剣にも諸刃の剣にもなる可能性がある。
……これで更に。いや、今は止めておこう。
だが誰も知らない。
アランの誘いの手には、別の意味があった事に。
◆
「まずはセレナ。今すぐに【顕現武装】を使ってくれ」
「え、ええ。分かったわ」
アランに言われると、セレナは右手に魔力を込めてその手のひらに印された【顕現武装】の証を浮き上がらせる。
燃えるような赤い蝶の印。これがセレナが【顕現武装】を所持している証だ。それを確認すると同時に、セレナは詠唱を始める。
「《炎獅子よ、我は永久より在らしめる聖火の霊王なり。この身この腕は万象一切を灰塵に変え、人類の暦に終止符を唄うーー」
術式は「心の紙片」にある。一度知れば、永久に忘れることは無い。それは記憶するとか覚えているとかそういう感覚ではなく、気付けば既に在ったという感覚に近い。
高まる魔力が熱を帯び、ゆらりと赤い炎がセレナを包む。そして、
ーー我は終末より生まれし赤き聖女なり》」
詠唱を終えると同時にセレナを炎が包み込む。体細胞から魔力が浸透し全身が覚醒する。金の髪は紅色に染まり、炎のような魔力が溢れ出す。
これがセレナの【顕現武装】ーー血華の炎巫女だ。
そこにいる。その事実だけで、離れた場所にいた生徒達の視線すらも易々と奪ってしまう。それほどの圧倒的存在感。
だがユリアは見慣れたのか、あまり驚くこともなくただじっとセレナの格好を見つめていた。
「さて……ユリアも知っていると思うが、【顕現武装】には幾つかの能力が備わっている。身体強化、属性顕現、そして超速再生だ」
セレナの場合、未完成ということもあって超速再生は使えないが。
「属性顕現は、確か何もかも劣化させる能力だったはず」
「その通り。セレナの属性顕現は『果て』。要するに万物の破壊な訳だが……まあ破壊と言っても、一瞬で壊すわけじゃなくてゆっくりと朽ち果てるような感覚だな」
「それでも超厄介……」
ユリアの言うことも納得できる。セレナに触れた物が全て朽ち果てるのであれば、すなわち物理的な攻撃は一切が無効化されるということでもある。
しかも魔術もある一面から考えれば物理的な攻撃だ。つまりセレナは剣術と魔術に対して【顕現武装】を維持する限り無敵だということだ。
だがアランにとってはさほど大きな問題にはならない。
「けどな、ユリア。あらゆる物には必ず弱点が存在する。例えばこの【顕現武装】は大きく分けて二つの弱点が存在するんだ」
まず一つ。
「魔術攻撃に弱い。セレナの場合は魔術攻撃に強そうだが、実はよく観察すれば地属性が弱点だとすぐに分かる」
「ど、どうしてよ?」
「あらゆる物を破壊する能力は確かに強力だ。だけど物質は破壊の終点として砂塵を残すだろう?   つまり、地属性の砂や灰を使った魔術ならばセレナに通用するってことだ」
そして二つ。
「魔力そのものによる攻撃。これは物理攻撃でなく、対象の『心の紙片』に直接ダメージを与えるための有効な精神攻撃だ。ただしその分大きなリスクがある」
「魔力を攻撃を加える箇所に集中させ過ぎて、魔力の障壁が薄くなったところに攻撃がやってくる、でしょう?」
セレナの考察に対してアランは首肯する。
「魔力による直接攻撃を達成するためには、まず対象が顕現させた異常なまでの魔力装甲を破壊する程度の一撃が必要になる。セレナの場合だと……この程度だな」
アランの右手に凝縮された魔力は、合成獣程度なら余裕で屠れるほどだった。それを見て、セレナは本能的に恐怖を覚えた。
「ただ、見て分かる通りこれくらいの魔力を一点に集めるとなると、他の箇所の防御がいかんせん甘くなる。反撃を受けた場合は、致命傷は免れないと覚悟した方が良いだろう」
「何か方法はあるの?」
「回避する、それしかない」
あまりにも淡泊な答えにセレナは頬を引きつった。すると今度はユリアが尋ねる。
「でもアルにぃ、なんで私にセレナの弱点を教えたの?   それじゃあセレナに勝てって、言ってるみたいだよ?」
「あ、そうよ。私もそれを聞きたかったの!」
隠しておけばセレナにはまだ勝機があったかもしれない。なのにそれをアランは易々と捨てた。セレナにしてみればこれ程の苛立ちは無いだろう。
だがアランは再び淡々と言う。
「魔剣祭本戦出場者の大半は、セレナの【顕現武装】を『特殊な魔術』と考え、脅威として警戒している。だから彼らは彼らなりにその『特殊な魔術』を調査していることだろう」
帝国騎士である彼らは学院生とは異なり、情報収集の手段を持っている。
「聴取、密偵、交渉、情報奪取、その他諸々を利用して手に入れた情報で【顕現武装】への対策を練ってくるはずだ」
だが、最低でもそれは一週間を要するとアランは見積もっている。
「だからこそ、俺達はその時間を全て捨てる。セレナの弱点は教えるし、ユリアが【顕現武装】を覚えたならユリアの弱点もセレナに教える。これで無駄な時間を大幅に省くことが出来るってわけだ」
それに、とアランは続ける。
「おそらくなんだが……この訓練場にも密偵がいる。だからこそこうやって他の生徒達から離れて訓練をして、二人にしか聞こえないようにできるだけ小さな声で話しているんだ」
『特殊な魔術』をセレナが覚えたのは、アラン=フロラストという帝国騎士がセレナのそばに居着いてから。それだけしか情報がない現状では、二人の動向を観察するのがベストな考えだ。
だがアランも抜け目はない。訓練場に入る前から周囲に警戒は向けていたし、入った後も意識的に隠そうと試みる気配は常に感じている。この感覚からして相手はようやくその稼業に慣れ始めたといったところか。
「なんにせよ俺達には一日の時間すら惜しい現状で、無駄だと思う時間は全て省く。それで余った時間を基礎と【顕現武装】の学習時間に全て費やす。それでいいな?」
二人は黙って首肯する。
言葉は要らない、反論する必要すら感じない。アランは自分達が本戦に向けて全力で訓練出来るように取り計らってくれている。その事実だけあればなにも必要ない。
……頑張らなきゃ。
二人の闘志は静かに燃え始めるのであった。
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