英雄殺しの魔術騎士
第2話「運命を皮肉にも恨みたい」
「アラン様、アラン様〜♫」
「はいはい、アラン様ですよっと……」
そうやってエルシェナの好意ある視線を横に流すが、その数倍もの突き刺さるような視線が四方八方から向けられる。
それもそのはずだ。なにせアラン達がいる場所は、アルカドラ魔術学院の教室なのだから。
……おう、視線が痛いぜ。
つい二週間ほど前に、学院の入り口付近でユリアと恋人のように抱き合っていた事実がありながら、今度はフィニア帝国のお姫様かと生徒(ほぼ男)がジト目で睨んでいる。
このままでは授業終了と同時に生徒一同から魔術の大放火を喰らいかねない。どうにかしてこの拘束を外さねば。
「な、なあエルシェナさん。いい加減離してくれません?   お前の希望で授業見学に来たのは良いけど、わざわざ俺まで居る必要はないだろう?」
「良いではないですか。私はアラン様と一緒に授業見学をしていたいのです」
「えと……それはつまり、授業よりも俺優先?」
「んー……そうなりますね」
「肯定が早いッ!?」
生徒達からの刺々しい視線がいっそうに増す。しかしここで予想していた人物からの妨害が入った。
「アルにぃから離れて、エルシェナ」
陽光が乱反射する白銀のショートヘアに血のような緋色の瞳。そう、アランの義妹であるユリア=グローバルトが、無表情に近いその表情の中にさりげない怒気を含みながらこちらを睨んでいた。
「あら、私の義妹となるユリアさんが一体どうしたのですか?」
「ふざけないで。私はエルシェナの義妹になんてなるつもりはないし、アルにぃは私の物だから」
「いや、俺はどっちの物でもーー」
「アラン様は黙っていてください」
「アルにぃは黙ってて」
「……はい」
この光景をジェノラフが見たら「ほっほっほ、またもや修羅場ですなぁ」などと言うに違いない。だがこれは二人で一つの物を取り争う、つまりは物取り合戦だ。
……ガキかよ。
そしてそんなガキ二人の重圧的な視線を間に受けて身を縮めるアランは、さらにひ弱である。胸中で涙が漏れそうだった。
二人が大好きな玩具を巡って睨み合う。とても静かに、とても威圧的に。生徒達はこの現場を見て、状況整理をするように会話を始める。
「あ、あのぅ…………」
そして授業担当の講師は、そのなんとも言えない不穏な雰囲気に心配しか感じなかったのであった。
◆◆◆
それから授業終了の鐘が三度鳴って、昼食の時間。アラン、セレナ、ユリアに加えてエルシェナの四人は、いつものカフェテリアで昼食を取っていた。
皇帝第四皇女と親交国の皇帝の孫娘、生きる伝説の娘に帝国騎士というこの異常極まりない組み合わせは、悲しきか周囲に座る彼らの視線を集めた。
「……ねえ、エルシェナさん」
「エルシェナで良いですよ。私はどうにも敬われるのが苦手なようで、ユリアのように気楽にお話しください」
「じゃあエルシェナ。貴女アランと婚約するために来たって言っていたけど……なんでアランなの?」
その答えをセレナはすでに持っていたのかもしれない。だがここは敢えて尋ねておきたかった。
「なぜと聞かれて安直に答えるのでありましたら、勿論アラン様を心の底からお慕いし、愛しているからですよ」
エルシェナは続ける。
「容姿は勿論のことながら、他人の事が興味無さそうに見えて実は優しいところとか、面倒見が良いところとか、家庭的なところとか、助けを求めたら絶対に助けてくれるところとか。他にも……」
「ああ、うん。分かったからもう良いわよ」
エルシェナは正真正銘アランのことを愛しているようだ。語り際に輝くその目から噓偽りが一切感じられないのが、何よりの証拠でありセレナの疑心を容赦なく責め立てる。
だが。
「アルにぃの良いところを知ってるのは分かった。けど、アルにぃはあげない」
と、アランの膝の上に座るユリアが威嚇する犬のような視線をエルシェナにぶつける。おかげで今だけは距離を取っていた。
さっきからこれが幾度と続いている。隙あらば互いにアランの腕を奪い合い、挙げ句の果てには膝の上に座る始末だ。周囲から向けられる視線が授業時よりも刺々しい。
「ユリアよ。俺が昼飯を食べられないから、膝の上から降りてくれないか?」
「……アルにぃは私がいちゃ、いや?」
途端に目をうるうると輝かせて媚びるような目に変わる。ユリアお得意の「アランにおねだり攻撃」だ。
……こ、肯定出来ない……っ。
アランは重病患者並みに義妹であるユリアの事を好いている。彼女に頼み事を言われたら返事一つで何でもやってしまうほどに。
……ここでユリアに「ああ、嫌だね」なんて言ったら間違いなくユリアと疎遠になるだろうし……けど、ここで「いや、嫌じゃないよ」なんて言ったら事態がいっそう面倒くさくなりそうだし……ああ、どうすれば良いんだよぉぉッ!?
「うがぁぁぁぁぁぁッ!?」
欲望に忠実な自分と論理に従順な自分、二人の自分がせめぎ合って脳内で葛藤が続いていた。
「何を嘆いているのよ……?」
「そりゃあ嘆くだろうさ!   これは俺の将来が賭かった超重大な選択なんだぞ!?   ユリアに嫌われたら自殺でもしてやる!」
「分かった、分かったわよ。このどシスコン!!」
本気そうな目でそう語るアランを抑え込むようにそう言い切ると、大きくセレナはため息をついた。エルシェナの登場によってどうやらセレナのツッコミ労働はよりいっそう過激化しそうだ。
そしてその現実を苦難にも受け止めているセレナの傍ら、アランの肩を指先で叩いて自身に視線を向けようと試みる者がいた。もちろんユリアである。
「アルにぃ、良いことを思いついた」
「い、良いこと?」
「うん。はい、あーん」
アランのテーブルの前にあったフォークを掴み、サラダのミニトマトを突き刺すとそのままアランの口元にまで持っていく。
「なるほど……さすがユリアだな。では、あー……」
しかしそうはさせじとエルシェナも行動に移した。自身のフォークを掴んで綺麗に切ったグリルチキンの一片をアランの口元にまで運ぶ。
「アラン様、そんな物よりも帝国騎士ならばタンパク質こそが肉体の資本。ですからこちらをお食べください」
「うるさいエルシェナ。アルにぃはこのサラダと川魚の香草焼きを頼んだ。つまりはこちらを食べたいという意思があってのこと。だからそんな物は食べない」
「いえいえ、きっとアラン様は私がこれを頼んだからこそ、別の料理を頼んで一口を私から貰おうと考えていたに違いありません。ですからユリアはおとなしく見ていてください」
「自意識も甚だしい。アルにぃはそんな回りくどい事は絶対にしない。これはわたしがアルにぃと十年以上も一緒に暮らしていたことが何よりの証拠。だからエルシェナこそ引っ込んで」
「十年以上も一緒に暮らしていてそれでも家を出て行ったという事は、貴女にアラン様が不満を感じていたのかもしれませんよ?   ですから不安要素の塊はおとなしくしていてくれませんか?」
「だからアルにぃはーーーー」
と、今度はアランの事はそっちのけで二人がテラス席で火花を散らす。激しい口論はいつしかカフェテリアだけでなく近辺にいた生徒達も呼び寄せてしまい、アランが気づいた頃には周囲に数十の人影が存在していた。
「俺はいい加減、飯を食べたいんだけど……」
「アラン様は待っていてください」
「アルにぃはおとなしくしてて」
「……はぁい」
どうやら二人の激しい言い合いが収まるまではアランは一切何も食べることが出来ないようだ。だが今朝の朝食が早めだった所為もあって、アランの空腹の限界はもうそこにまで迫っていた。
「早くしてくれぇええ……」
グギュルルルルル……と虚しく腹音が響くのであった。
◆
さらにそれから昼食終了の鐘が鳴り、午後の授業が始まったーーはずだった。
アルカドラ魔術学院の午後のカリキュラムは大きく「魔術訓練」と「剣術訓練」に分けられる。そして今日の授業は剣術訓練のはずだったのだが。
「そういえば訓練場ってアランがぶっ壊したわよね?   今日の授業はどうするのかしら……」
「訓練場って一つしか無いのか?   敷地面積広いんだから二つや三つくらいあるんじゃ……」
アルカドラ魔術学院は帝都の約一割を学院敷地としている。敷地の端をぐるりと一周するのに五時間以上も要すると言えば分かり易いだろうか。
つまり敷地だけは(無駄に)広く存在する学院なのだから、施設が複数個あってもおかしくないとアランは踏んでいた。
しかしユリアが否定する。
「無理だよ、アルにぃ。確かに訓練場は他にも三つあったけど、その全部をアルにぃが壊しちゃった。建て直そうにも資材は校舎とかの復旧に使ったって聞いたしね」
「またしても俺の所為かッ!?」
「あら、アラン様がこの先にあるという訓練場を壊したのですか。いったいどういう経緯があって……?」
「えっと、それはね……」
セレナの口からエルシェナに数日前にあった事件について説明する。そしてその結果として訓練場が跡形もなく消し飛んだことも。
そして納得際にこう口にする。
「……なるほど。つまりはアラン様が現在進行形で多額の借金をしているという事ですね」
「あれ、疑問点が変わってない?」
「アラン様、あまり小さな事を気にしすぎると他人に信頼されなくなりますよ?」
「素直に尋ねただけなのに率直に嫌な事言われたッ!?」
アランは精神的に痛快なダメージを食らったのであった。しかもエルシェナが自身で放った言葉に対して一切の責任感を感じていないところは、アランの心をさらに深く抉る。
……と、こんな感じで和気藹々と会話をしながら、講習先である訓練場跡地に向かっていると。
「……訓練場が……あるな」
「……あるわね」
「あったね」
「ありますねー」
そう、そこには先日の事件が無かったかのように綺麗さっぱり瓦礫やらがなくなり、新しく訓練場がドカンと存在していた。しかも以前のよりもスケールが大きい。
「……」
アランは訓練場の壁に手をやる。少しひんやりとしたブロック岩は定規で丁寧に測定されて切ったかのように精密で、しかもすべて均一の大きさだ。明らさまに職人芸以上の何かを感じさせる。
……まあ、無論の事ながら魔術だろうな。
だがこんな芸当が出来る魔術師など帝国にはそう数はいない。しかもこれは地属性魔術であるがゆえに、それを苦手とするヴィルガやリカルドの仕業では無い。
さらにこの珍現象が地属性魔術によるものだとしても、地属性の原則は「等価交換」である。何かを魔術で生み出すには、それに相当した何かを代償とする必要がある。
この近辺に、これほどの大きさの訓練場を生み出すだけの資材が存在したとは思えないし、資材を運んだような形跡は周辺に存在しない。
……等価交換の法則を無視した魔術?   いや、それは絶対に存在しない。それだけは断言できるな。
魔術原則は各属性に制約の役割を果たすかのように存在する。その制約から逃れて魔術を扱える者がいるとすれば、それはまさしく人間の域を超えた存在ーー【顕現武装】を使える者ということだ。
だが【顕現武装】は今の所アランとセレナ、そして皇帝であるヴィルガとリカルドの四名にしか使えない。
そしてセレナ、ヴィルガ、リカルドは地属性の【顕現武装】を使えない事から、犯人はアランということになるが……
「ああ、ダメだ。考える度に答えが出てこねぇ……」
本人はそんな事をした覚えが無いので、実行犯は他にいると考えられる。そうすれば幅が広すぎて絞る事など不可能だ。
だったら今は考えるのを諦めて、今度ヴィルガさんにでも尋ねよう。そう決心してアランはすっきりした表情で訓練場内へと歩を進めるのだった。
訓練場は観客席に通じる通路を挟んで二つの扉で隔てられている。ギギギと鉄の板でできた扉を押し開けると、そこにはどいう訳かセレナ達以外の生徒が揃いに揃っていた。
「あっ、アラン帝国騎士!!」
背後から入ってきたアランに気づいた女生徒の一人が、アランの元に駆け寄ってくる。
「どうしたんだ?   扉が開かないとか、何か問題が……?」
「いえ、どういう訳か訓練場内に帝国騎士の方がいらっしゃるので、誰も入り辛くなっているんです」
「帝国騎士?」
「はい。白髪で琥珀色の目をしたお方が……」
「白髪に琥珀色……それにこの魔術。まさか……」
思い立ったがすぐに、アランは行動に移した。内へと繋がる扉の前に並ぶ生徒達をかき分けて、ずんずんと奥に進み扉を乱暴に開け放った。
するとそこには。
「ん……なんだ、貴様かアラン」
訓練場の中央には眉間にしわを寄せ、冴えた野獣のような視線をこちらに向ける帝国騎士がいた。見た目からしてアランとほぼ変わらない年代の男性騎士でありながら、身から溢れるその魔力量は周囲の未熟な生徒達を圧倒させる。
足のつま先をこちらに向けただけで全身が強張るのをセレナ達は確かに感じた。
だがアランは何気なしに歩を進める。そして一定距離まで近づくとふいにしゃがみ込んで地面に指を触れさせた。
「……やっぱり。グウェン、お前【マテリアルゲート】を使っただろ?」
そう、訓練場内に姿を見せた帝国騎士とは、かつてのアランの相棒であり第一騎士団の次期団長候補。第一騎士団戦線部隊、殺戮番号No.7、グウェン=アスティノスである。
「ふっ、その程度の推理はやはり出来るようだな、アラン」
「この砂の感触……これは山なんかによくある腐葉土が若干混じった感触だ。それにこれほどに大量の資材を学院内にものの数日で運ぶとなれば【マテリアルゲート】に他ならんからな」
非生物瞬間転移魔術【マテリアルゲート】。生物で無い対象を術者が定めた地点へと転移させる超高度な魔術。ただし距離に比例して多量の魔力を消費するため使用するにも大きな代償を伴う。
そして何より、この魔術を知っている者はここにいるアランとグウェンだけなのだ。
基礎理論と魔術方陣をアランが組み立てて、それを莫大な魔力を有するグウェンが実行に移す。二人で完成させた魔術である。
「さすがグウェン、俺無しでもこの程度の魔術なら一人で出来るようになったのか……だがな、俺はそれ以上にお前に聞きたいことがある……」
右拳を強く握りしめ。
「なんでお前は借金無いんだよぉぉぉッ!?」
魔力による身体強化で地を思い切り駆けた。辺りに砂煙が舞う。
「俺は一億二千万エルドだぞ!?   戦争で大手柄を立てても一千万エルドが限界だったのに、それを十二回!?   出来るわけねぇだろうが、殺す気か、殺す気なのかクソ野郎がぁッ!?」
「ま、待て!   落ち着け、このうすらとんかちが!   俺にも罰は科されている!」
「どうせ第一騎士団特製罰ゲーム『とりあえず竜でも狩ってこい』とかだろ!?」
アランの拳が激しくグウェンに叩き込まれる。だがグウェンも焦らずに一撃ずつを優しくいなし続け、反撃することなく回避を続けている。
「一人で竜種の討伐とか……さすが第一騎士団。馬鹿げているわね」
そしてそんなアランの行動を、もはや冷めた目でセレナは見つめている。
「でもアルにぃも何度かやってる」
「まあ、さすがアラン様ですね!!」
「でもまあ、アランなら簡単でしょうね。地竜だって倒せたんだし」
「むかしアルにぃが水龍の鱗からペンダントを作ってくれた」
「手作りのアクセサリーですか……私も欲しいです。出来れば左手薬指に付ける物を」
「エルシェナ……諦めないわねぇ……」
アランの背後で楽しく談笑する三人組は知らないだろうが、アランもアランで色々と溜まっていたのだ。ここで全てまとめて鬱憤を晴らしておかなければ、アランは自我の崩壊でもしていたかもしれない。
「とりあえず死ね死ね死ね死ねぇぇぇッ!!」
「だから……止まれと言っているだろうがッ!?」
「へぐぉしッ!?」
アランの拳を払ったグウェンが躊躇うことなくアランの鳩尾にアッパーを叩き込んだ。四、五メートルほど宙に上がったアランは重力に従って二秒後には地面に叩きつけられ、喉奥から息を漏らした。
「いいか、アラン。……が俺の罰だ」
「いっつつ……はあ、何が罰だって?」
「はぁ……だからこれだ!!」
懐から一枚の木綿用紙を取り出して、その表面に書かれた言葉をアランは目にする。
『第一騎士団グウェン=アスティノス。
貴殿は本日より剣術講師ベルダー=ガルディオスの代理として、アルカドラ魔術学院にて生徒らに剣術の指南を任務とする。
またこれは絶対であり、一切の拒否を認めない。任務期間は三年とし、また第一騎士団としての任務がある際はそちらを優先とする。
ヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルム』
「……………………は?」
「見ての通りだ。今日から俺がこいつらの面倒をみることになった」
「……………………は?」
グウェンが剣術を他人に教える。そこまでは簡単に理解できた。だがアランはいっそう不愉快に感じる。
一生をかけても払いきれない借金の傍ら、相棒はただしばらくの間、学院の剣術講師をしていればそれで良しだと言う。
「罪の重さが違いすぎだろ!?」
どうやらヴィルガは徹底的にアランを苛めたいのか、グウェンを甘やかしたいらしい。
「ふん。というわけでしばらくはお前達の講師となる。ベルダーほど甘くは無いからな、覚悟することだ」
『…………は、はい』
「返事は単調に、もっと大きく!!」
『は、はいッ!!』
こうしてグウェン先生の楽しくない楽しくない授業が始まるのであった。
「はいはい、アラン様ですよっと……」
そうやってエルシェナの好意ある視線を横に流すが、その数倍もの突き刺さるような視線が四方八方から向けられる。
それもそのはずだ。なにせアラン達がいる場所は、アルカドラ魔術学院の教室なのだから。
……おう、視線が痛いぜ。
つい二週間ほど前に、学院の入り口付近でユリアと恋人のように抱き合っていた事実がありながら、今度はフィニア帝国のお姫様かと生徒(ほぼ男)がジト目で睨んでいる。
このままでは授業終了と同時に生徒一同から魔術の大放火を喰らいかねない。どうにかしてこの拘束を外さねば。
「な、なあエルシェナさん。いい加減離してくれません?   お前の希望で授業見学に来たのは良いけど、わざわざ俺まで居る必要はないだろう?」
「良いではないですか。私はアラン様と一緒に授業見学をしていたいのです」
「えと……それはつまり、授業よりも俺優先?」
「んー……そうなりますね」
「肯定が早いッ!?」
生徒達からの刺々しい視線がいっそうに増す。しかしここで予想していた人物からの妨害が入った。
「アルにぃから離れて、エルシェナ」
陽光が乱反射する白銀のショートヘアに血のような緋色の瞳。そう、アランの義妹であるユリア=グローバルトが、無表情に近いその表情の中にさりげない怒気を含みながらこちらを睨んでいた。
「あら、私の義妹となるユリアさんが一体どうしたのですか?」
「ふざけないで。私はエルシェナの義妹になんてなるつもりはないし、アルにぃは私の物だから」
「いや、俺はどっちの物でもーー」
「アラン様は黙っていてください」
「アルにぃは黙ってて」
「……はい」
この光景をジェノラフが見たら「ほっほっほ、またもや修羅場ですなぁ」などと言うに違いない。だがこれは二人で一つの物を取り争う、つまりは物取り合戦だ。
……ガキかよ。
そしてそんなガキ二人の重圧的な視線を間に受けて身を縮めるアランは、さらにひ弱である。胸中で涙が漏れそうだった。
二人が大好きな玩具を巡って睨み合う。とても静かに、とても威圧的に。生徒達はこの現場を見て、状況整理をするように会話を始める。
「あ、あのぅ…………」
そして授業担当の講師は、そのなんとも言えない不穏な雰囲気に心配しか感じなかったのであった。
◆◆◆
それから授業終了の鐘が三度鳴って、昼食の時間。アラン、セレナ、ユリアに加えてエルシェナの四人は、いつものカフェテリアで昼食を取っていた。
皇帝第四皇女と親交国の皇帝の孫娘、生きる伝説の娘に帝国騎士というこの異常極まりない組み合わせは、悲しきか周囲に座る彼らの視線を集めた。
「……ねえ、エルシェナさん」
「エルシェナで良いですよ。私はどうにも敬われるのが苦手なようで、ユリアのように気楽にお話しください」
「じゃあエルシェナ。貴女アランと婚約するために来たって言っていたけど……なんでアランなの?」
その答えをセレナはすでに持っていたのかもしれない。だがここは敢えて尋ねておきたかった。
「なぜと聞かれて安直に答えるのでありましたら、勿論アラン様を心の底からお慕いし、愛しているからですよ」
エルシェナは続ける。
「容姿は勿論のことながら、他人の事が興味無さそうに見えて実は優しいところとか、面倒見が良いところとか、家庭的なところとか、助けを求めたら絶対に助けてくれるところとか。他にも……」
「ああ、うん。分かったからもう良いわよ」
エルシェナは正真正銘アランのことを愛しているようだ。語り際に輝くその目から噓偽りが一切感じられないのが、何よりの証拠でありセレナの疑心を容赦なく責め立てる。
だが。
「アルにぃの良いところを知ってるのは分かった。けど、アルにぃはあげない」
と、アランの膝の上に座るユリアが威嚇する犬のような視線をエルシェナにぶつける。おかげで今だけは距離を取っていた。
さっきからこれが幾度と続いている。隙あらば互いにアランの腕を奪い合い、挙げ句の果てには膝の上に座る始末だ。周囲から向けられる視線が授業時よりも刺々しい。
「ユリアよ。俺が昼飯を食べられないから、膝の上から降りてくれないか?」
「……アルにぃは私がいちゃ、いや?」
途端に目をうるうると輝かせて媚びるような目に変わる。ユリアお得意の「アランにおねだり攻撃」だ。
……こ、肯定出来ない……っ。
アランは重病患者並みに義妹であるユリアの事を好いている。彼女に頼み事を言われたら返事一つで何でもやってしまうほどに。
……ここでユリアに「ああ、嫌だね」なんて言ったら間違いなくユリアと疎遠になるだろうし……けど、ここで「いや、嫌じゃないよ」なんて言ったら事態がいっそう面倒くさくなりそうだし……ああ、どうすれば良いんだよぉぉッ!?
「うがぁぁぁぁぁぁッ!?」
欲望に忠実な自分と論理に従順な自分、二人の自分がせめぎ合って脳内で葛藤が続いていた。
「何を嘆いているのよ……?」
「そりゃあ嘆くだろうさ!   これは俺の将来が賭かった超重大な選択なんだぞ!?   ユリアに嫌われたら自殺でもしてやる!」
「分かった、分かったわよ。このどシスコン!!」
本気そうな目でそう語るアランを抑え込むようにそう言い切ると、大きくセレナはため息をついた。エルシェナの登場によってどうやらセレナのツッコミ労働はよりいっそう過激化しそうだ。
そしてその現実を苦難にも受け止めているセレナの傍ら、アランの肩を指先で叩いて自身に視線を向けようと試みる者がいた。もちろんユリアである。
「アルにぃ、良いことを思いついた」
「い、良いこと?」
「うん。はい、あーん」
アランのテーブルの前にあったフォークを掴み、サラダのミニトマトを突き刺すとそのままアランの口元にまで持っていく。
「なるほど……さすがユリアだな。では、あー……」
しかしそうはさせじとエルシェナも行動に移した。自身のフォークを掴んで綺麗に切ったグリルチキンの一片をアランの口元にまで運ぶ。
「アラン様、そんな物よりも帝国騎士ならばタンパク質こそが肉体の資本。ですからこちらをお食べください」
「うるさいエルシェナ。アルにぃはこのサラダと川魚の香草焼きを頼んだ。つまりはこちらを食べたいという意思があってのこと。だからそんな物は食べない」
「いえいえ、きっとアラン様は私がこれを頼んだからこそ、別の料理を頼んで一口を私から貰おうと考えていたに違いありません。ですからユリアはおとなしく見ていてください」
「自意識も甚だしい。アルにぃはそんな回りくどい事は絶対にしない。これはわたしがアルにぃと十年以上も一緒に暮らしていたことが何よりの証拠。だからエルシェナこそ引っ込んで」
「十年以上も一緒に暮らしていてそれでも家を出て行ったという事は、貴女にアラン様が不満を感じていたのかもしれませんよ?   ですから不安要素の塊はおとなしくしていてくれませんか?」
「だからアルにぃはーーーー」
と、今度はアランの事はそっちのけで二人がテラス席で火花を散らす。激しい口論はいつしかカフェテリアだけでなく近辺にいた生徒達も呼び寄せてしまい、アランが気づいた頃には周囲に数十の人影が存在していた。
「俺はいい加減、飯を食べたいんだけど……」
「アラン様は待っていてください」
「アルにぃはおとなしくしてて」
「……はぁい」
どうやら二人の激しい言い合いが収まるまではアランは一切何も食べることが出来ないようだ。だが今朝の朝食が早めだった所為もあって、アランの空腹の限界はもうそこにまで迫っていた。
「早くしてくれぇええ……」
グギュルルルルル……と虚しく腹音が響くのであった。
◆
さらにそれから昼食終了の鐘が鳴り、午後の授業が始まったーーはずだった。
アルカドラ魔術学院の午後のカリキュラムは大きく「魔術訓練」と「剣術訓練」に分けられる。そして今日の授業は剣術訓練のはずだったのだが。
「そういえば訓練場ってアランがぶっ壊したわよね?   今日の授業はどうするのかしら……」
「訓練場って一つしか無いのか?   敷地面積広いんだから二つや三つくらいあるんじゃ……」
アルカドラ魔術学院は帝都の約一割を学院敷地としている。敷地の端をぐるりと一周するのに五時間以上も要すると言えば分かり易いだろうか。
つまり敷地だけは(無駄に)広く存在する学院なのだから、施設が複数個あってもおかしくないとアランは踏んでいた。
しかしユリアが否定する。
「無理だよ、アルにぃ。確かに訓練場は他にも三つあったけど、その全部をアルにぃが壊しちゃった。建て直そうにも資材は校舎とかの復旧に使ったって聞いたしね」
「またしても俺の所為かッ!?」
「あら、アラン様がこの先にあるという訓練場を壊したのですか。いったいどういう経緯があって……?」
「えっと、それはね……」
セレナの口からエルシェナに数日前にあった事件について説明する。そしてその結果として訓練場が跡形もなく消し飛んだことも。
そして納得際にこう口にする。
「……なるほど。つまりはアラン様が現在進行形で多額の借金をしているという事ですね」
「あれ、疑問点が変わってない?」
「アラン様、あまり小さな事を気にしすぎると他人に信頼されなくなりますよ?」
「素直に尋ねただけなのに率直に嫌な事言われたッ!?」
アランは精神的に痛快なダメージを食らったのであった。しかもエルシェナが自身で放った言葉に対して一切の責任感を感じていないところは、アランの心をさらに深く抉る。
……と、こんな感じで和気藹々と会話をしながら、講習先である訓練場跡地に向かっていると。
「……訓練場が……あるな」
「……あるわね」
「あったね」
「ありますねー」
そう、そこには先日の事件が無かったかのように綺麗さっぱり瓦礫やらがなくなり、新しく訓練場がドカンと存在していた。しかも以前のよりもスケールが大きい。
「……」
アランは訓練場の壁に手をやる。少しひんやりとしたブロック岩は定規で丁寧に測定されて切ったかのように精密で、しかもすべて均一の大きさだ。明らさまに職人芸以上の何かを感じさせる。
……まあ、無論の事ながら魔術だろうな。
だがこんな芸当が出来る魔術師など帝国にはそう数はいない。しかもこれは地属性魔術であるがゆえに、それを苦手とするヴィルガやリカルドの仕業では無い。
さらにこの珍現象が地属性魔術によるものだとしても、地属性の原則は「等価交換」である。何かを魔術で生み出すには、それに相当した何かを代償とする必要がある。
この近辺に、これほどの大きさの訓練場を生み出すだけの資材が存在したとは思えないし、資材を運んだような形跡は周辺に存在しない。
……等価交換の法則を無視した魔術?   いや、それは絶対に存在しない。それだけは断言できるな。
魔術原則は各属性に制約の役割を果たすかのように存在する。その制約から逃れて魔術を扱える者がいるとすれば、それはまさしく人間の域を超えた存在ーー【顕現武装】を使える者ということだ。
だが【顕現武装】は今の所アランとセレナ、そして皇帝であるヴィルガとリカルドの四名にしか使えない。
そしてセレナ、ヴィルガ、リカルドは地属性の【顕現武装】を使えない事から、犯人はアランということになるが……
「ああ、ダメだ。考える度に答えが出てこねぇ……」
本人はそんな事をした覚えが無いので、実行犯は他にいると考えられる。そうすれば幅が広すぎて絞る事など不可能だ。
だったら今は考えるのを諦めて、今度ヴィルガさんにでも尋ねよう。そう決心してアランはすっきりした表情で訓練場内へと歩を進めるのだった。
訓練場は観客席に通じる通路を挟んで二つの扉で隔てられている。ギギギと鉄の板でできた扉を押し開けると、そこにはどいう訳かセレナ達以外の生徒が揃いに揃っていた。
「あっ、アラン帝国騎士!!」
背後から入ってきたアランに気づいた女生徒の一人が、アランの元に駆け寄ってくる。
「どうしたんだ?   扉が開かないとか、何か問題が……?」
「いえ、どういう訳か訓練場内に帝国騎士の方がいらっしゃるので、誰も入り辛くなっているんです」
「帝国騎士?」
「はい。白髪で琥珀色の目をしたお方が……」
「白髪に琥珀色……それにこの魔術。まさか……」
思い立ったがすぐに、アランは行動に移した。内へと繋がる扉の前に並ぶ生徒達をかき分けて、ずんずんと奥に進み扉を乱暴に開け放った。
するとそこには。
「ん……なんだ、貴様かアラン」
訓練場の中央には眉間にしわを寄せ、冴えた野獣のような視線をこちらに向ける帝国騎士がいた。見た目からしてアランとほぼ変わらない年代の男性騎士でありながら、身から溢れるその魔力量は周囲の未熟な生徒達を圧倒させる。
足のつま先をこちらに向けただけで全身が強張るのをセレナ達は確かに感じた。
だがアランは何気なしに歩を進める。そして一定距離まで近づくとふいにしゃがみ込んで地面に指を触れさせた。
「……やっぱり。グウェン、お前【マテリアルゲート】を使っただろ?」
そう、訓練場内に姿を見せた帝国騎士とは、かつてのアランの相棒であり第一騎士団の次期団長候補。第一騎士団戦線部隊、殺戮番号No.7、グウェン=アスティノスである。
「ふっ、その程度の推理はやはり出来るようだな、アラン」
「この砂の感触……これは山なんかによくある腐葉土が若干混じった感触だ。それにこれほどに大量の資材を学院内にものの数日で運ぶとなれば【マテリアルゲート】に他ならんからな」
非生物瞬間転移魔術【マテリアルゲート】。生物で無い対象を術者が定めた地点へと転移させる超高度な魔術。ただし距離に比例して多量の魔力を消費するため使用するにも大きな代償を伴う。
そして何より、この魔術を知っている者はここにいるアランとグウェンだけなのだ。
基礎理論と魔術方陣をアランが組み立てて、それを莫大な魔力を有するグウェンが実行に移す。二人で完成させた魔術である。
「さすがグウェン、俺無しでもこの程度の魔術なら一人で出来るようになったのか……だがな、俺はそれ以上にお前に聞きたいことがある……」
右拳を強く握りしめ。
「なんでお前は借金無いんだよぉぉぉッ!?」
魔力による身体強化で地を思い切り駆けた。辺りに砂煙が舞う。
「俺は一億二千万エルドだぞ!?   戦争で大手柄を立てても一千万エルドが限界だったのに、それを十二回!?   出来るわけねぇだろうが、殺す気か、殺す気なのかクソ野郎がぁッ!?」
「ま、待て!   落ち着け、このうすらとんかちが!   俺にも罰は科されている!」
「どうせ第一騎士団特製罰ゲーム『とりあえず竜でも狩ってこい』とかだろ!?」
アランの拳が激しくグウェンに叩き込まれる。だがグウェンも焦らずに一撃ずつを優しくいなし続け、反撃することなく回避を続けている。
「一人で竜種の討伐とか……さすが第一騎士団。馬鹿げているわね」
そしてそんなアランの行動を、もはや冷めた目でセレナは見つめている。
「でもアルにぃも何度かやってる」
「まあ、さすがアラン様ですね!!」
「でもまあ、アランなら簡単でしょうね。地竜だって倒せたんだし」
「むかしアルにぃが水龍の鱗からペンダントを作ってくれた」
「手作りのアクセサリーですか……私も欲しいです。出来れば左手薬指に付ける物を」
「エルシェナ……諦めないわねぇ……」
アランの背後で楽しく談笑する三人組は知らないだろうが、アランもアランで色々と溜まっていたのだ。ここで全てまとめて鬱憤を晴らしておかなければ、アランは自我の崩壊でもしていたかもしれない。
「とりあえず死ね死ね死ね死ねぇぇぇッ!!」
「だから……止まれと言っているだろうがッ!?」
「へぐぉしッ!?」
アランの拳を払ったグウェンが躊躇うことなくアランの鳩尾にアッパーを叩き込んだ。四、五メートルほど宙に上がったアランは重力に従って二秒後には地面に叩きつけられ、喉奥から息を漏らした。
「いいか、アラン。……が俺の罰だ」
「いっつつ……はあ、何が罰だって?」
「はぁ……だからこれだ!!」
懐から一枚の木綿用紙を取り出して、その表面に書かれた言葉をアランは目にする。
『第一騎士団グウェン=アスティノス。
貴殿は本日より剣術講師ベルダー=ガルディオスの代理として、アルカドラ魔術学院にて生徒らに剣術の指南を任務とする。
またこれは絶対であり、一切の拒否を認めない。任務期間は三年とし、また第一騎士団としての任務がある際はそちらを優先とする。
ヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルム』
「……………………は?」
「見ての通りだ。今日から俺がこいつらの面倒をみることになった」
「……………………は?」
グウェンが剣術を他人に教える。そこまでは簡単に理解できた。だがアランはいっそう不愉快に感じる。
一生をかけても払いきれない借金の傍ら、相棒はただしばらくの間、学院の剣術講師をしていればそれで良しだと言う。
「罪の重さが違いすぎだろ!?」
どうやらヴィルガは徹底的にアランを苛めたいのか、グウェンを甘やかしたいらしい。
「ふん。というわけでしばらくはお前達の講師となる。ベルダーほど甘くは無いからな、覚悟することだ」
『…………は、はい』
「返事は単調に、もっと大きく!!」
『は、はいッ!!』
こうしてグウェン先生の楽しくない楽しくない授業が始まるのであった。
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