英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第1話「再会は情熱的に」

人民区にある、とある屋敷。それは皇族でありながら唯一皇帝城から離れて暮らすセレナの屋敷だ。


二階建ての木属建築に加えてアラン特製の対魔術防壁により、もはや皇帝城並みの要塞と化している。五日前に起きた「帝都襲撃事件」からですら、全く損傷を受けていない。


「……なにを『やっちまったなあ』みたいな顔してんのよ?」


そしてそんな屋敷の中は、何やら混沌とした雰囲気が充満していた。


「他所の国の姫様を泊まらせる事に、勝手に承諾したことに関して怒ってるだろうな、と思ってだな……」


「いや、別に怒ってはいないんだけど……」


そう言って大きくため息を漏らすのは屋敷の主であるセレナだ。純金を溶かしたような鮮やかで艶やかな黄金色の長髪に、団栗どんぐりのような大きくてつぶらな蒼色の双眸。


眉を潜めているその顔ですら、絵画から抜き出た女神のように美しい。ちなみにセレナの眉まで見えるのは、アランがその前で正座をしているからである。


「私としても、他国のお姫様と話が出来るなんて滅多にない機会だから嬉しいのは嬉しいんだけど……その、なんだろう?   余りにも唐突過ぎて『はい、そうですか』で頭が解決しないのよ」


「確かに帰ってきた時にすぐに伝えなかった事は謝る。だが、この仕事はどうにも俺にしか務まらんようなんだ」


「そこが疑問点なのよね。どうしてアランがいる私の屋敷なのかしら?   ……もしかして『アランが屋敷ここに住んでいるから』じゃなくて『屋敷ここにアランが住んでいるから』だったりしてね」


「…………」


「いや、そこは即座に否定してよ、否定を。さすがのお姫様もアンタ目的にそこまではしないでしょう?」


「…………」


だがアランは黙りこくる。ひたすら思考を回転させているようだった。


よくよく考えれば、この話は何故だか不思議に感じる。なぜ皇女の居住先の選択肢がアランだけなのだろうか。いかに帝国騎士達が権力を求めているとはいえ、第一騎士団の面々のほとんどがそんな事に興味なしで戦場に赴いている。


特に戦線部隊はそうだ。彼らは帝国を牛耳る気など毛頭なく、ただ帝国を支える為だけに命を賭けている。


そして戦線部隊の中には女性をいるのだから、そちらに泊める事も出来たはず。なのに選択肢はアランしか残されていなかった。


……ヴィルガさんが何かを隠している?


何か。そう、例えば「皇女が直々にアランを指名した」とか。


だがなぜ隠す必要がある。それほどにアランに見られたくは無いのだろうか。


「ねえ、アラン。いきなり固まってどうしたのよ?   ねえってば!!」


「ん……ああ、少し嫌な予感がしてな」


「ちょっと止めてよ。アンタがそう言う時って、何かしら私が不幸な目に遭っているじゃない!!」


鍋が爆発したり。唐突に雨が降ったり。屋敷から出た瞬間、空から大量の鳥の糞が落ちてきたり。等々を合わせて二十回ほどである。


だがそれを知っていて、なおアランはそんな事を微塵に気にもせずに言った。


「なんとかなるでしょ。はっはっは」


「いや未然に防ぐ事を努力してよ」


「そうですよアランさん。そうでもしてくれないと、今度お嬢様の身に危険が迫った時に、アランさんを盾として使わなくちゃいけなくなるじゃないですか」


侍女のユーフォリアさん、セレナの後ろから唐突に降臨。顔は微笑んでいるけれど、その目は兎を狙う狐のような目をしていた。


……今回も面倒くさそうだなあ。


そんな事を思いながら、アランの夜は更けるのであった。


◆◆◆


早朝。アランは帝都の外壁門で待機するようにとヴィルガに命じられて、眠気を抑えながら渋々と到着するのを待ち続けた。


「……なんで私も一緒に来なきゃいけなかったのよ?」


「仕方ないだろうが。外壁門ここから人民区までは俺が《雷神の戦鎧トーラ・シャクラ》を使っても最低一分はかかる。それだけあれば手練れの犯罪者ならお前を簡単に攫えるからな」


「別にアンタがいなくたって私一人でも……」


「あー無理無理。魔術を駆使して人を攫う専門家は、正直俺でも骨が折れる。その手の奴に任務を依頼されたら間違いなくお前は助からん」


「じょ、冗談……でしょ?」


青ざめた顔でセレナはそう尋ねるが、眠気とやる気のなさゆえか、アランの表情は全くもって変わらない。


「……ま、その時になったらよーく分かるさ」


「……」


アランのその言葉に、セレナは一切の温度を感じなかった。セレナはこれをよく知っている。


一つは「自分が経験した事がある場合」、そしてもう一つが「自分の大切な何かが害を被った時の場合」だ。


アランの過去についてはセレナもよくは知らない。かつての戦争で親を亡くした戦災孤児だったという程度だ。だがアランの言葉に粘りつく何かは、間違いなくアランの過去の悲劇を携えている。


だがそれは一寸先すら見えないほどの、黒く濁った水のようだ。ほんの少し手を突っ込むだけで、恐怖と戸惑いが心を支配する。


……今は分からない。けどいつかは……。


今のセレナにはアランの全てを受け止めるだけの想いが足りない、覚悟が足りない、強さが足りない。今のセレナよりも一歳年下の時点で帝国騎士として戦地を歩んできたアランには、過酷な日々があっただろう、惨状を何度も見てきただろう。だがセレナは全く諦めていない。


いつか。そう、いつか。アランの全てを受け入れられるようになった時に、アランの口から全てを教えてもらう。そして笑顔でこう言い返してやるのだ。


「なんだ、その程度のことか」と。


無論アランは怒るかもしれないし、呆れて吐息するかもしれない。


だがそれでも構わない。アランが少しでも気を晴らしてくれるのであれば、その言葉を幾らでも投げかけてやる。


何万人という人の命を救ってきたアランが、自身の苦悩で病むことは理不尽だから。他人の苦しみを拭い取れるアランが、自分の苦難で倒れ崩れるのは不合理だから。


だからこそ、セレナはその「いつか」を期待しつつ、そして少しでもその域に達するために努力をしよう。そう思って静かにアランの横に立つのであった。





馬車が外壁門を通過したのは、それから十分もしない頃だった。検問官としていた第三騎士団の団員から聴取を受けた人物がこちらにやって来る。その人物とは、


「ご無沙汰ですな。アル坊ちゃん」


「よう、ジェノラフの爺さん。相変わらず仕事をしているんだな、感心するよ」


そう、アランの師匠であり友人。そしてリカルド=グローバルトの部下である第一騎士団団員戦線部隊所属、殺戮番号シリアルナンバーNo.2、ジェノラフ=ゴドレットである。


「なるほどな……ヴィルガさんが護衛は必要ないって言った理由が、これでようやくはっきりした。確かにアンタがいれば必要ないな」


ジェノラフは強い。魔術騎士という概念が生まれる以前から、騎士として戦場を巡っていた彼は、生まれつき魔術を扱うセンスが無かった。いや無いとまではいかないが、必要な段取りを全て整えた上でも成功する確率は四割程度と今の魔術騎士に比べれば最悪でしかない。


だがそれでも、今もなお第一騎士団の戦線部隊に所属しているのは、彼の剣術の凄まじさにある。ジェノラフが剣を握れば魔術師であろうが魔術騎士であろうが関係ない。いかに魔術が得意だろうが魔術が上手いだろうが関係ない。


「一振必殺」と呼ばれる彼の異名同様、彼が剣を一振りすれば敵は確実に死に絶える。まあつまり、魔術無しの戦闘ならば帝国で最強なのがジェノラフなのである。


しかしそのジェノラフはとてもそんな感じの雰囲気を見せず、穏やかに微笑んでいた。


「そういえば驚きましたぞ。アル坊ちゃんが再び帝国騎士として戻ってきたとヴィルガ様からお聞きした時は、驚愕のあまりに腰が抜けそうになりました」


「嘘つけ。俺が去った時にアンタ、いつか戻ってくるだろうみたいな顔していたくせに。あ、あと『アル坊ちゃん』は止めろ。俺はもう二十歳だ!!」


「ほっほっほ」


「せめて分かったくらいは言ってくれよ……」


笑って誤魔化すジェノラフにアランは大きくため息を漏らして俯いた。すると次にジェノラフはアランの横に立つセレナを見つめる。


「おお、これはもしや……アル坊ちゃんの恋人で御座いましょうか?   いやはや失礼。私は第一騎士団戦線部隊所属、殺戮番号シリアルナンバーNo.2、ジェノラフ=ゴドレットであります。して、貴女は……」


「恋人じゃ無いわ。私はセレナ=フローラ・オーディオルム、コイツの主人公よ」


「はて……オーディオルム?」


五秒ほどの沈黙。そして。






「オーディオルムぅぅぅッ!?」






細く閉じられた目がカッと見開かれ、セレナを威圧的な視線で見回す。セレナもビクッと身を震わせた。


「アステアルタ魔術大戦以後帝都には戻って無いとはいえ、ヴィルガ様にこのようなご息女がいらっしゃったとは全く耳にしておりませぬぞ!!   どどどどどういう事ですかなアル坊ちゃん!?」


白ひげを生やした老人の顔が、アランの視界を覆い尽くす。荒い鼻息に苦笑いをして、数歩退きながらアランは言う。


「あー、うん。説明すると色々と面倒いからそれは後で。それよりも俺が付き添いをする事になったフィニアの姫様は?」


「そ、そうでしたな……すみませんアル坊ちゃん。お嬢様でしたらあちらの馬車で少し居眠りをしております。もうそろそろお目覚めかと」


ジェノラフが指差す方向には、手前の馬車とは数十倍も格の違う品のある馬車が駐在していた。確かに皇帝の孫娘という感じはある。


とりあえずアランは馬車の中にいるという、寝ている姫様の様子を見に行こうと歩を進める。東の空から昇る太陽が段々と帝都を照らし始め、遠くの商業区からは活力のある声が小さくだが聞こえてきた。


そしてその時はやってきた。


「ん……あら、もう着いていたのですか?   ジェノラフ様はいづこ、に……」


小屋からそっと身を乗り出す少女がいた。色素の薄い金色の髪に、陽光が眩しく感じたのか細める瞳の色はアランと同じ鈍色。少し着崩れた服の端から見える柔肌はとてもきめ細かく、鎖骨の細い線やほんの少し開かれた唇、その他も合わせた何もかもが艶やかで美しく感じてしまう。


……やべえ、もう虜に成りかけてやがる。


強いカリスマ性を持つ人間が人望を惹きつけるように、彼女はその並外れた容姿によって人を無意識に魅了しているのだ。


だがアランはとても、とても理性的・・・・・・だった。背後にいるセレナから放たれる突き刺さるような視線は、一瞬でアランを通常運行へと逆戻りさせる。


そう、アランは戻った。だが残念な事にそれだけでこの事故(または事件)は終わらない。もう一人、理性を飛び越えて感情的になっている者がいた。


「あ、アラン……さま……?」


そう、その人物こそ当のフィニアの姫様であった。


姫様はゆっくりとアランの容姿を観察する。青黒い髪に姫様と同じ鈍色の双眸。どこからどう見てもかっこいい顔つきをしているのだが、それを死んだような目が全て打ち消している。


……以前お会いした時とはだいぶ印象が変わっていらっしゃる。けど……。


アランから溢れるその雰囲気や右手をコートのポケットに突っ込んでいるその癖は、姫様がむかし会ったアランの姿を想起させる。


「よう。久し振りだな、エルシェナ」


「ああ、やはりアラン様なのですね!!」


地へと下りて一目散にアランの元へと駆ける。その目尻にはほんのりと涙が浮かび、嬉々とした表情を浮かべながらついに、


「アランさまぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「へぶぉしッ!?」


タックルでもするかの如く、姫様はアランの胸元に向かってその身を放った。あまりに唐突な事だったので、アランも喉奥から奇怪な声が漏れ出る。


「アラン様。ああ愛しのアラン様ッッ!」


「ああうん、分かった。分かったから今すぐ離れてくれ俺の命が危ぶまれるから」


アランの後ろに立っていたセレナが「え、コイツ何してるのかしら?」みたいな視線で、アランを見下ろしていた。とても殺伐とした笑みを浮かべながらだ。


そしてこの混沌とした雰囲気を見たジェノラフは、とても愉快そうに感じながら言ったのだ。


「ほっほっほ、修羅場ですなぁ」


「「違ぁうッッ!!」」


アランとセレナのダブル突っ込みである。


こうしてアランと姫様は数年ぶりの再会を果たす。だがアランは困惑し続け、姫様は募りに募った愛によって半分ほど我を忘れていた。


「つーか、エルシェナさんよ。なんで皇帝にあそこまで言ってこっちに来ようなんて思ったんだよ?」


「決まっているじゃないですか!!」


そう姫様は言うとアランの両頬に手を添えて、言ったのだ。






「アラン様と婚約を交わす為です!!」






さあ沈黙が辺りを支配した。魔術では成すことが出来ないとまで言われていた時間停止魔術が、どういうわけか今発動した。


だがそれを真っ先に看破したのは、他の誰でもなく姫様だった。


「……あら、アラン様?   そんな驚いた顔をなさって。一体どうしたのですか?」


「あ、うん、いや……ははは。俺の聞き間違いかなあ、今エルシェナが俺と婚約を云々って聞こえたんだけど……」


「言いましたよ?」


「マジか!?」


「マジです!!」


「本気か!?」


「本気です!!」


まったく慌てる様子を見せず姫様はアランの上から腰を上げて、スカートの裾を少し摘んで皇女らしく会釈をした。


「わたくしエルシェナ=ツェルマーキン・オデュロセウス・フィニエスタは、帝国騎士アラン=フロラスト様との求婚をしに参りました」


顔から真偽を見定めるのが得意なアランは瞬時にそれが噓偽りが一切ない事に気がつく。しかも姫様ーーエルシェナの顔もようやく言いたい事が言えたことに喜びを感じているのか、とても笑顔だった。


「これから暫くの間よろしくお願いしますね、アラン様!!」


「あ、ああ……」


歯切れの悪い返事をしながらアランは胸中で嘆息する。


どうやら本気で面倒くさい事になりそうだ。

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