英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第23話「《雷神の戦鎧》」

会場に現れた竜は、体躯が約五メートル、長い尾を合わせれば八メートルもあるだろう。まるで鰐のように四本足で地面を這う姿は、さながら地獄の悪魔のようだった。


「あれが……竜……」


そう、竜がいる。ただそれだけで、特に誰かが死んだとか街が消えたとかいう、それほど大きな変化では無い。


なのにセレナは目を離せない。


……怖い。


竜からは魔力や殺気を一切感じない。


……怖い、怖い。


なのにそこにる、そこにるというだけで全身が恐怖という鎖に束縛されて、指一本すら動かすことが儘ならない。


……怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いこわいッ!?


呼吸すら思うように出来なくなり、全身から冷や汗が多量に溢れて体温が急激に低下する。


今にも逃げ出したい。そう考えたその時、そっと肩に手を置く者が現れた。


「大丈夫か、セレナ?」


アランだった。見るも無惨な左腕をなるべくセレナに見せないようにしながら、アランは話がし易いようにしゃがむ。


「全然大丈夫なんかじゃないわ!   竜なんて絶対に無理、アンタだって勝てるわけ無いでしょう!?」


身の震えを訴えるように、セレナはアランの肩にしがみつき、大声を上げた。


不安にならない訳がない。過去数年で最も帝国騎士を死に至らしめた生物と定義すれば、十中八九「竜種」と名前が挙がり出てくるほど、目の前にいる存在は危険なのだから。


「まあ、ぶっちゃけるとマジ無理だな。あれは危険の中でも、死に繋がる程度の危険扱いをされている奴だからなぁ……」


アランも呆れたような目で竜を見つめる。


「あっはっは!   見たか、これが作戦Bの生物兵器だ!」


「いや、生物兵器というか竜じゃん」


「竜?   その程度のレベルで比べてもらっては困るぜ、アラン=フロラスト。これは竜と鰐、他にも幾つかの生物の遺伝子を組み合わせて作成した合成獣キメラと言うんだよ!」


「……なるほど。合成獣、か……」


ここイフリア大陸で合成獣の研究をしている国は三つあるが、合成の中に竜がある事から考えると候補は二つ。


そのうちの一つは、オルフェリア帝国から最も遠い国なので、


「お前の後援はアルダー帝国か」


「ご名答だ」


アランの答えにケドゥラはニヤリと笑う。


大陸随一を誇る、生物兵器の開発に勤しむアルダー帝国。アランの覚えが正しければ、アルダー帝国の東の断崖絶壁には何千という飛竜がいる。おそらくそれを利用したのだろう。


だが飛竜の体長はせいぜい二メートル弱。その三倍以上に体躯が伸びるなど、他にどのような生物の遺伝子を利用したのか、ものすごく気になるがここは耐えるアラン。


……それよりまず、どうにかして逃げる方法を探すべきだな。


逃す対象はセレナとユリア。学院長とレミラ、ヘンディはアランとケドゥラが戦闘中に築いた大きな壁の穴から既に逃げている。


ユリアは魔力を回復しているが未だ意識は戻らず、セレナに関しても魔力はほぼ限界だ。このまま身体強化をして会場の外へと逃げたとしても、間違いなく竜は後を追いかけて来るだろう。


……つーか、最善策なのは俺がここでしんがりをする事なんだが。


左手は使えないし、ろくな装備も整えずにいきなり竜と戦って勝てるはずがない。というかあっさり食べられ兼ねない。


竜対策に習った魔術も幾つかあるが、この身体で放てばむしろ身体が壊れ兼ねないので、これも不可能だ。


「畜生、全く案が思いつかない……とにかくセレナ、お前は逃げる準備をしておけ。何か武器になる物を……って」


しかしそこで、アランは動きを止める。


……武器?


自分で言ったその言葉に引っかかりを覚える。確かにアランは現状で武器、つまり得物を持っていない。


魔力に関してもあまり余裕はなく、出来ればこのまま温存しておきたいくらいだ。


だが武器を求めたその瞬間、身体の内から心臓が強く鼓動したのを感じた。まるで思い出せと、強く語りかけているかのように。


思い出す?   何を?   だが答えを知っているは自分しかいない。誰も問いに答えを与えてくれない。


だが知っている。忘れてしまっただけで、その存在をアランは知っている。そして答えはすぐに見つかった。


アランはそっと右手の甲を見つめる。幾数本の青筋と強張った筋肉、それらを纏め上げる何十という骨。そして、そこに魔力を通して浮かび上がったのはーー


「……なんだ。あったじゃないか。俺の最大にして最強の武器が」


それは魔術にして最大最強の奥義であり、魔術の究極形態。


それは魔術にして魔術に非ず、魔を纏う禁忌の魔術。


……でも時間がなあ。


詠唱には最低でも十秒が必要だ。だが竜とケドゥラを相手に、十秒も途切らせずに詠唱を続けていられる自信が無い。


すると。


「……ぅん……アルにぃ?」


「ユリア!   目が覚めたのね!」


グットタイミングでユリアが目を覚ました。寝起きは弱いユリアだが、アランが目の前にいる所為か、その真紅の双眸はぱっちりと見開いている。魔力も魔石のおかげあって回復してた。


おぼろげな眼でキョロキョロと辺りを見回し、竜を見て一瞬だけ驚くも、そばにアランがいる事に気が付いた瞬間、その顔に焦りはなくなった。


「ユリア。唐突で済まんが、アイツらを十秒だけで良いから、抑えてくれないか?」


「……十秒で良いの?」


五秒ほどで状況を何となく把握したユリアはそう尋ね、そして質問に対してアランは答えを微笑みで返した。


「合図は俺が出す。その瞬間にあの二人が十秒間、俺に手出しが出来ないように魔術を使ってくれ」


「うん、分かった」


ユリアの返事を聞くや刹那、アランは地を蹴り駆けた。狙いは竜の後方。ケドゥラは魔力がほとんど無い状態な事を考えて、無視しても余り問題ではないだろう。


……とにかく、その時間・・・・までは俺に意識を向けさせる!


後の事も考えながらアランは魔力を漲らせる。


いかに鱗で体表の守りを固めている竜とはいえ、身動きをする際に動かさなければならない箇所は、必ずしも鱗の数と密度は低いはずだ。


例えばーー首とか。


「《水の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討ちたまえ》ッ!」


大気中の水蒸気を凝縮して形を成した氷の矢が、竜の喉首を狙って飛来する。


しかし、視野が広い竜種には背後からの攻撃ですら見える。余裕を持って尾で矢を叩き壊してアランの方に向き直り、息を吸った。


……吐息ブレスか!


「くッ!?」


アランが跳躍して空中へと逃げると刹那、大地を削るような空気の塊が会場を一直線に突き抜けた。空気の塊は壁を穿ち、そのまま遥か彼方へと消えてゆく。


壁の向こうからは何事かと騒ぐ声が聞こえたが、アランは直ぐ様に気を取り直す。


なにせこの攻撃は、一度でも食らえば即死だと、生物的直感が訴えていたからだ。


……だが、これで!


「ユリア!」


名前を呼ぶアランの声がこだますると、ユリアは即座に魔力を放出。詠唱を始めた。


「《遥か空に漂う万象の天秤よ、其は我が命の儘に、重圧を得たる左手を傾けよ》ッ!」


重力魔術【グラビトン】。対象の身動きを完全に封じるまでの重圧を、空間座標内にて発生させる魔術だ。


ただしこの魔術は「掛ける重圧の重さ」と「効果範囲の広さ」に比例して、魔力の消費が激しい。唐突に、水の満ちたコップの底に穴が開いたかのような速さで魔力は消費され、虚脱感が支配する。


だが、これならつ。


「アルにぃ!!」


そう判断したユリアは、アランに負けじと大きな声で名前を呼んだ。その声を皮切りに、アランは莫大な魔力を手の甲へと集中させ始めた。


時空すら歪みそうなまでの魔力が集中したその中に現れたのは、交差する雷の紋章と、そこから暴れるように散る白い放電。


……さあ、想像イメージしろ。


自分アランにとって雷とは何だ?


自分アランにとって雷とは何を表す?


考えろ。そしてそれを言葉として紡ぐのだ。


自分の想像を言葉にし、言葉を魔術へと作り変え、そして魔術を己へと顕現させる。それこそが魔術にして魔術に非ず、最大最強の究極形態。


顕現武装フェルサ・アルマ】だ。


アランは地に降り立つと、そっと紋章に触れながら心に浮かんだ言葉を唱える。五年ぶりに口ずさむその言葉は、どこかアランを歓迎しているようだった。


「《其の異名は雷帝。生まれながらにして孤高であり、生きながらにして孤独であるーー」


雷を帯びた魔力がアランの全身を包み込み、身体の外から内へと侵食を始める。


「ーー故に森羅万象の悉くを憎み恨む、破壊と崩壊の化身なりーー」


侵食した魔力は奥の奥、人を形成する格にまで達し、そして。


「ーー其の鎧装、其の神器、雷鳴を轟かせ大地を穿つ猛き其の名は、神をも討つ王の確証とならん》」


詠唱を終えると刹那、一本の白雷が魔力の奔流と共にアランを包み込んだ。





迅雷と共に現れたその人物は、もはや人としての領域を遥かに超えていた。


「あれが……アランの【顕現武装】なの……?」


迸る白雷の魔力に、灰色に染まった髪と鮮血に近い真紅の瞳。


確かにあれ・・はアランだ。だが、アランから発せられる魔力の性質が全く異なっている事に、セレナは不思議でならなかった。


だが。


「Grrrruaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」


そんな事お構い無しにと、竜は猛々しく咆哮を上げる。


「くぅ……ッ!?」


魔力がほぼ限界に達したユリアは咄嗟に【グラビトン】を解除。上から押し掛かる重圧が消え、竜とケドゥラの拘束が解かれた。


そして竜は息を吸い込む。再び大地を穿つ吐息がやってくると、誰もが悟った。


しかしユリアの足は動かなかった。目覚めて直後に尋常ではない魔力量の魔術を使った所為か、魔力のバランスが取れないでいる。


……動けッ!!


足に上手く力が入らない。そんな何でもない事に悪戦苦闘するユリアだが、悠長もしていられないようだ。


「ユリアッ!?」


先に跳躍して回避を済ませたセレナが叫ぶ。いま踵を返して戻ったところでユリアは救えないし、セレナは空中にいた。今すぐには方向転換は出来ない。


そして。


「Grrruaaaaaa!!」


ユリアに向かって一撃必殺の攻撃が放たれる。幅は狭くも、大地が軽く触れただけで砂塵へと化す。


……避けられない……っ。


逃げる事を諦めて、全魔力で全身を覆う。目を瞑り痛みを堪えるために歯を思い切り食いしばった。


その時だった。


「…………え?」


ふわりと、身体が浮き上がる感覚をユリアは覚えた。そして刹那、遠くで再び壁が穿たれる音を耳にする。


それは一瞬の出来事。


気付けばユリアはそこにいた。気付けばユリアは逃げていた。足が動かない事を理解して、誰かが瞬時に助けたのだ。


「アル、にぃ……」


それこそ【顕現武装】を身に纏い、物理限界すら超えた最強の魔術騎士、アランだった。


「お疲れさん。体調はどうだ?」


まるで戦闘中だとは思えないくらいの優しく柔らかな微笑みを浮かべながら、アランはゆっくりとユリアを地面に下ろす。


「起きていきなり過剰に魔力を使わせたからな……身体、だるくないか?」


「そう思うなら、このままでいて。お姫様抱っこしてほしい。このまま私を連れて行って」


「なんで最後だけ棒読み……?   つーか駄目に決まってんだろう。戦いの邪魔になるから後で強請ねだりなさい」


「むぅ……」


膨れっ面になったユリアをその場に置いて、アランは竜とケドゥラに向き直る。


ケドゥラは心底驚いたような顔つきをしていた。


「おいおい、まさかだとは思っていたが……お前、やっぱりあの時の奴か」


「『あの時』?   いや、済まん。まったく覚えがない」


「まあ、だろうな……お前は知らないだろうよ。けど俺は知っている、いや知らない訳が無い」


ケドゥラは竜の首元を撫でながら語り始めた。


「あれはアステアルタ魔術大戦の終盤。オルフェリア帝国こっちの傭兵団として働いていた俺は、もちろん前線で戦っていた」


アランも覚えがある。アステアルタ魔術大戦は前皇帝最後の戦争とも言われる大戦であり、全帝国騎士が戦場に駆り出された。


だが戦場に慣れているのは一部の帝国騎士のみ。半数以上は後方支援に徹していた。そのため前皇帝は傭兵団を幾つか雇っていたという話を聞いた事があった。


「だが、最後の最後に敵国ーーアルダー帝国は最終兵器を戦場に送り込んで来やがった。アルダー帝国の最大にして最強の三大英雄をな」


ケドゥラの顔に曇りが走る。


「破壊と殲滅の英雄ヘラス。魔術王の異名を持つ英雄マラー。そして英雄の中の英雄と呼ばれた男、ユディオット。こいつらの所為で俺達『骸の牙』も大半が殺された」


アランもその三人を知っていた。アルダー帝国を相手にする際にリカルドが最も警戒を払っていた重要人物だからだ。


「事実、俺も殺されると視線がぶつかったときに直感したね。……だが、奴らは俺達の境界ーー国境線を越えること無く殺された。一人の少年によって、な」


「え……まさか、それが……」


ああ、とケドゥラはセレナの疑問に答えた。






「アラン=フロラスト。またの名を『英雄殺し』と呼ばれた年若き少年の名だ」









ケドゥラは語る。


「英雄ヘラスは出会い頭に感電死。魔術王マラーは背後から大きな槍に心臓を刺されて死に、ユディオットも首を刎ねられたという」


ケドゥラは語る。


「三人とも、そう簡単に隙を作るような奴らじゃあ無い。じゃあどうやって殺した?   ……そう、答えは簡単だ。そんな事を・・・・・考える・・・暇すら与えず・・・・・・に殺した・・・・


ケドゥラは語る。


「俺はあの場にいたから覚えている。少年は三人を前にしても平然とした顔付きで、とある魔術の詠唱を始めた。その魔術の名前は知らねぇし、詠唱も耳に入ってこなかった。だがあれは確実に詠唱だ」


ケドゥラは語る。


「英雄ヘラスが真っ先に前に出た。だが少年が詠唱を唱え終える方が早かった。後は……ほんの一瞬の出来事だった」


はぁ、とケドゥラはため息を漏らす。そして少年のような無邪気さを孕んだ視線をアランに向けた。


「あの時の化け物がこんな所にいたとはなぁ……こいつはマジで予想外だわ」


英雄殺しの魔術騎士。それはオルフェリア帝国の帝国騎士なら誰もが知る存在。


曰く、其の者へ近づくなかれ。


曰く、其の者に触れなかれ。


曰く、其の者を知るなかれ。


この三戒さえ守っておけば、死ぬ事は決してない。帝国騎士団であろうと傭兵団であろうと、この三戒を絶対遵守として今も尚伝えられている。


だがしかし、ケドゥラは其の者に大いに刃向かってしまった。もはや弁明の機会はない。


……だが。


それでもなお、ケドゥラの心は奮えが治らない。強者と戦える快感に、ケドゥラの瞳は色褪せない。


「良いね良いねぇ……マジで本当に最ッ高に良過ぎるぜオイぃ!!   あの化け物と本気で殺し合えるなんざ夢にも思って無かったが、ここで会ったのも何かの縁だ。どちらかが死ぬまで殺し合うとしようじゃねぇか!!」


「Gruaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」


男の叫びに便乗して、竜もけたたましい咆哮を空に向けて轟かせる。血に飢えた獣のように、強く、激しい叫びがセレナの身体を麻痺させる。怖いという感情が再び湧き上がってくる。


だがそれよりも早く、アランがセレナに命じた。


「セレナ!   ユリアを連れて会場内で一番安全な所に隠れてろ!   いいか、会場内・・・だからな!」


「え、でも……」


「いいから早く!!」


「……っ!!」


ユリアをその場に置いてアランは竜へと向かう。ここまで言わないとセレナは動けないと、アランは理解していたからだ。


急いでユリアの元に駆け寄るセレナを一瞥しながら、アランは前へと駆ける。


その速さは雷の如く、身体強化で動体視力を強化してさえ、残像を見る事しかケドゥラは出来ない。


残像が生まれては消え、また生まれては消える。瞬きすら忘れてケドゥラは必死に動きを読み取ろうと試みるが、不可能だ。


「くそッ」


「なんだ。もう目で追えないのか?」


どこからとなく、アランの声がケドゥラの耳に届く。右、左、上、下、前、後ろと不規則に動く残像に悪戦苦闘しながら、ケドゥラは強く舌打ちをした。


……速いどころの話じゃねぇ。姿が全く見えねぇ……っ!?


魔力の波動は確かに感じる。アランから漂う敵意と殺気も確かに感じる。移動した際に発する砂音も確かに感じる。


だが見えない。まるで最初からそこにいなかったかのように。まるで形の有る空想でも見ていたかのように。そこにいた何かは、一瞬にして消えて無くなる。


「くそッ!?」


魔術を詠唱したところで居場所が特定出来なければ使う意味が無い。今のところは【プロテクションシール】を急所に張って、ひたすら防御体勢だ。


次第に目が慣れると思いきや、それはあくまでも人間的な動きの場合。物理限界を超えたその速さはもはや、落雷となんら変わりの無い。


気付いたら落ちていたかのように、その速さは気付いたらそこにいたかのよう。


だから人はこう言う。この異常なまでの速さを見た時に、人は喉奥から声を上げて、


「これじゃあ本当に、雷そのものじゃねぇか!!」


と言うのだ。

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