英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第22話「ケモノ対バケモノ」

ただひたすらに耐える。そう意気込んだのは良いものの、敵の男はユリアすら圧倒する実力を有していた。


「ほらほらぁ!   もっと攻めて来ないと、お兄さんから行っちゃうぜぇッ!!」


「ぐ……っ!?」


物理防御魔術である【プロテクションシール】を拳に纏わせ、ユリアに向かって殴りかかる。鋼と同等の硬質を得た拳は、剣身と激しくぶつかり合いながらも、互角の強さを持っていた。


……あんな使い方をするなんて、聞いた事が無い!!


確かに理論的に考えれば使う事も出来る。だが、絶えず攻撃箇所の座標演算補修と膨大な魔力を維持しなければ【プロテクションシール】は容易く破壊され、一瞬で絶命の危機に陥ることになる。


だが男はその危険極まりない行いを全く恐れていない。まるでその事実をスリルに感じているかのように、狂気に満ちた笑みを浮かべながらユリアに拳を振り下ろした。


「がはぁッ!?」


「ユリア!!」


拳は剣とは違い、相手の攻撃によって柔軟な対応が出来る。ゆえにユリアの防御を掻い潜って、腹部に強烈な一撃を叩き込んだ。


数歩退いで体勢を整えるユリア。だがこれで五発目・・・だ。魔力で若干の防御をしているとはいえ、もはや限界だろう。


……とにかく今は、距離を取らないと……っ!


「《荒ぶる熱風よ、其は人を阻む悪意なる暴風なりて、汝の牙を以て立ち向かう愚者を払いたまえ》ッ!」


ユリアと男の間に壁を築くように【五属の風】を発動。壁に阻まれて追撃が出来ない男は、対抗するように【五属の風】の詠唱を始めた。その隙を突いてセレナはユリアに向けて回復系の魔術を詠唱する。


「《慈愛なる祝福の妙光よ、我の祈りを以て、汝に安らかなる刻を与え給え》」


刹那、ユリアを白光が包み、傷を負った箇所を重点的に治癒し始める。だが回復系魔術【ヘルスケア】は瞬時に治療を済ませるような高度な魔術ではなく、あくまで時間をかけてじっくりと行う魔術だ。


しかし、そう簡単に時間は作れない。たった数秒後に男の放った【五属の風】がセレナの築いた熱風の壁を破壊して、すぐさまユリアは戦線復帰だ。


……回復をしている暇が無い……っ!


後衛でユリアを支援するつもりが、全く役に立てていない事に苛立ちながら、セレナは【五属の矢】を男に向けて放つ。


男は矢を拳で叩き壊し、その瞬間を狙ってユリアが詰め寄るが瞬時に後退。自分が体勢的に不利な時は、避けることに決めているようだ。


……こいつ、アラン以上に戦い慣れてる。


無理だと思えばすぐに逃げ、行けると思えばすぐに詰め寄る。まるで機械的な行動をさも当然のように何度も繰り返し、そして敵がその法則性に慣れた所を見計らって騙しフェイントを仕掛け、強烈な一撃を叩き込む。


そういう点ではこの男の戦い方は「対軍戦法」ではなく「対人戦法」というニュアンスに近いだろう。


……そこでビビってるレミラ達が参戦してくれればなぁ。


学院長はともかくとして、会場の壁に背を預けて微動だにしない二人を見ていると、本当にあれが先輩なのかと不思議に思えて仕方が無い。


そんな事も思いながら、これからどうするべきか考えていた。


その時だった。


「あ……あれ?」


不意に膝の力が抜ける。若干の睡魔を感じ、視界が少しぼやけ始めた。


この現象は間違いなく「魔力限界リミットアウト」だ。


……けど、どうして……っ。


魔力は常に気にしながら魔術を使っていたし、それなりに魔力操作にも慣れてきた事あって、以前よりも魔術に消費する魔力量は格段に減っている。


なのに魔力限界が起きている。どうしてかと考えるセレナを見てその時、男が楽しそうに声を上げて笑った。


「ははははは、ようやく効いてきやがったか!   俺が最初に仕掛けた【蜘蛛の巣】っていう固有魔術はなぁ、相手を閉じ込める魔術じゃねぇ。相手の生み出したエネルギーを奪い、俺の物にする魔術なんだよぉ!!」


「なっ……」


それでようやく理解する。セレナが放った魔術が思った以上に威力が弱いのは、敵があらかじめ魔力を奪い、威力を削減していたのだと。


「セレナ……っ!」


膝を屈しているのを見たユリアは見るからに激しく動揺した。そして踵を返そうとし、


「余所見は厳禁だぜッ!」


「あぐぅッ!?」


ゴリゴリという音がセレナの耳にまで届く。その一撃は疑いようもなく致命的な一撃だ。


受け身を取ることすら出来ずに、ユリアはセレナの近くまで吹っ飛ぶ。地面に叩きつけられると同時に口内から赤い飛沫が飛び散った。


「ユリアッ!?」


「へ……へい、き。これ、くらい……なら!」


そう言って地面に手をつき、這い上がろうとした。


しかし。


「あ、れ……?」


不意に腕から力が抜ける。体内の魔力にはまだ余裕があるから魔力限界ではない。


だが、起き上がれない。まるで腕の筋力が一瞬にして奪われたかのように、腕が体を支え切れていなかった。


「これ……は?」


そんな現象を不思議に見つめるユリアに対して、再び男は口角を吊り上げて愉快そうに笑いながら言った。


「【毒蜘蛛の顎タランティメント】。これも俺の生み出した固有魔術さ」


「……ま、ひ?」


「へえ、まだ意識があるとはねぇ。記録更新っと」


男は近寄ることなく、また追撃もせずにその場にしゃがみ込んで胡座をかき、頬杖を突いてユリアを面白そうに見つめ始めた。


「ご察しの通り、【毒蜘蛛の顎】は対象の伝達神経を麻痺させて、阻害する魔術だ。だからお前は、あと十分は起き上がれない」


「く……っ!」


「まあでも、お前の異常さには恐れ入ったよ。【毒蜘蛛の顎】を食らってもなお、そうやって腕が動くんだからさあ。え、何?   もしかして、やっちゃいけない薬とかしている子なの?   お前は」


「うるさい……」


男の余裕の笑みによる挑発に、珍しくユリアは苛立ちを隠せないでいる。


「おっと、まさかの正解だったのかな〜?   そんな歳でいけないお薬なんて使ってちゃあ、大人になった時に体に悪いんだぞー」


「うる、さい……っ!」


男の言葉を否定しない所為で、周囲の目が段々と変わるなか、ユリアは必死に起き上がろうと腕に力を入れる。


……起き、上がれ……っ。


まるで足腰が地面に縫い付けられたかのように微動だせず、下半身が自分のものでは無いような錯覚すら感じてしまう。


そんな必死なユリアを見て、男は最後の仕上げを試みた。


「おいおい、よく周りを見てみろよ。お前を見る目が変わっていく様を。お前の今の状態を哀れむ様を。誰も助けてくれない惨めな自分を映す、友達とやらの瞳をさぁああ!!」






「だまれ!!!」






刹那、ユリアの内側にあった膨大な魔力が放出される。濃密なその魔力は空気を激しく叩き、荒ぶる突風を巻き起こす。


数秒、たった数秒で構わない。それだけあれば、すぐそこで胡座をかいている男の首を切り落とすことが出来るのだ。それだけの為にユリアは魔力限界を引き起こす事を覚悟して全魔力を放出する。


だが不可能だ。魔力による身体強化はあくまで「元からある身体能力を上昇させる」のであって、筋肉を働かせるための伝達神経自体が消滅してしまっていては、いかに強化しようとも指一本動くことは無い。


それでもユリアは諦めなかった。大地を掴むくらいの意気込みで指先に力を込め、背中に被さる不可視の重圧に抗い、少し、また少しと体を持ち上げる。


……あと、少し……っ。


術に仕掛けた男すら驚くなかで、ユリアは限界すら越えて底の底まで力を搾り尽くす。


その覚悟を持った行いが実を結んだのか、ユリアの身体は肘のあたりまで起き上がった。


しかし。


「……ッ!?」


まるで水面の泡が破裂するかのように突如、ユリアの魔力が爆散した。


「ユリアッ!?」


ほぼ全ての魔力が体内から無くなったことによって、ユリアはほぼ魔力限界に至ってしまったようだ。


そして再び地面に突っ伏すユリアを見て、男は悪魔のような嘲笑を轟かせた。


「ひゃっははははは!!   お前、ばっかじゃねぇの!?   そんなにスゲェ魔力を出すなんて、俺にとっちゃあご褒美の他の何でも無いんだっつぅの!!」


【蜘蛛の巣】によって、ユリアの魔力を根こそぎ吸収した男から強い圧迫を感じるセレナ。


……このままだと……っ!!


前衛としての存在ユリアをなくしたセレナに、もはや戦いを続ける術はない。それにセレナ自身もほぼ魔力が存在しない状態だ。


「それじゃあ早速、上の求めてる捕縛対象とやらを連れて行きますか」


よっと腰を上げて男は再びセレナに向けて足を向ける。もうお終いかと思った、その時だった。






ガラスの割れるような音と共に、男の築いた結界が破壊された。









「なん、だとぉ……!?」


結界に対して絶対の自信を持っていた男は、驚愕に顔を歪めて辺りを見渡す。


「俺の【蜘蛛の巣】はあらゆるエネルギーを吸収して攻撃すら無効化する、絶対の防御壁だ!   それがこんなに容易く……っ。誰だ、俺の絶対を砕いた奴はッ!」


「はーい、俺ですが何か?」


そして姿を現したのは、


「……アラン!」


そう、騎士服を纏い腰に剣を提げた黒髪の青年、アラン=フロラストだった。


そしてアランは何の考えもなしにセレナに向かって歩みだした。しかし瞬時にセレナは叫ぶ。


「気をつけて、アラン!   そいつかなり強いわよ!」


「ああ?   そこのアホ面かましてる奴が強いだって?」


呆れるような顔をして指で男を示したアランは、大きくため息を漏らした。それを見た男はカチンときたのか、


「誰がアホ面だクソがぁッ!」


憤りの言葉を吐きながら地面を蹴り、瞬時にアランとの間合いを詰めた。男は攻撃態勢に入っているが、アランは何の姿勢もとっておらず、顎、首、脇、心臓、骨盤、太腿、膝裏とあらゆる急所ががら空きだ。


殺ったと、男は攻撃の前に悟った。


しかし。


「ぐぼはぁッ!?」


【プロテクションシール】を纏った拳による槍のような一突きを、アランは首を右に傾ける事によって回避する。そしてそのまま身体を左に回転させて、男の左脇腹を狙って脚を薙いだ。


「《雷の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討ちたまえ》」


さらに追撃として特大級の雷の矢を撃ち放つ。それはまるで十発分の矢を全て纏めて凝縮したような一撃で、見るからに危険な一撃だと男は瞬時に判断する。


……だが、避けられねぇッ!


「ぐおぉォォォォォォッ!?」


【プロテクションシール】で保護した拳で直撃を防ぐも、威力は収まりを見せず男は踏ん張りきれずに、そのまま壁まで吹っ飛んだ。


破壊した壁の向こうに男が消えた事を確認すると、アランはセレナと倒れるユリアの元に駆け寄った。


「よっ。大丈夫か?」


「ええ、私は無事よ。けど、ユリアが……」


セレナが目でユリアに視線を送る。どうやら今の会話すら聞こえていない状況らしい。全く返事が返ってこない。


「軽い魔力限界になってるな……。まあ、これでも持たせておいてくれ」


そう言ってセレナに渡したのは、セレナの瞳の色と同じサファイアブルーの宝石だった。表面にかなりの傷が付着しているが、間違いなく高級品だ。


「アンタ、これって魔石じゃない!   一体どうして……」


魔力貯蔵術式搭載石型魔道具、通称「魔石」と呼ばれる物の製造法は、今の所アランしか有していない。そしてその魔石を一つ作成するのに必要な期間は最低でも二、三週間だとアラン自身が言っていた。


「それが今日までの間に作っていた、新しい魔石だ。自分用にと考えていたが、緊急事態だ。仕方がないだろ」


「え……でも、それじゃあ……!」


それではつまり、アランは魔石を使わずに敵と戦うということではないか。セレナはアランの顔を見つめながら、焦燥感に身悶えた。


あの敵は間違いなく今のアランよりも格上だ。そんな人物に対して今程度の魔力で勝てるはずもない。


だがアランはそんな事は気にしないとばかりに顔をキョトンとさせて、フッと微笑んでセレナの頭に手を乗せる。


「最近、お前の頭の上に手を乗せる癖が出来たんだが……うん、意外としっくりくるなあ、これは」


「私は置物か!」


「まあまあ、怒るなって。それに安心して見ておけ。別に俺は、そこまでやわな鍛えられ方をあのクソ親父にされてないからな」


それに、とアランは続ける。


「俺はお前の先生なんだぜ?   生徒の前であっさり負けるような奴に教えられてたなんて、思いたくないだろう?」


そう言ってアランは男の方に振り返る。そろそろ状況判断を終えて、闇の中から姿を現わす頃だろう。


敵はたったの一人。さきの拳闘術を見る限り、根っからの拳闘士タイプだと判断できる。そしてこの試合会場を覆っていた特殊な結界から、思い当たるにこの男は帝国騎士の中堅クラスといったところ。


それでもユリアが負けたのは、圧倒的な経験値の差。単純な戦闘知識と戦場における切り返しの早さ、そして可否を瞬時に判断できる慎重さを持ち合わせているかどうかだ。


いかにリカルドやアランと幼い頃から手合わせをしているユリアといえど、こればかりはどうにもいかない。


百の組手は一の実戦に劣るというように、相手の男がその歳ながら幾多の戦場を切り抜けてきた事が、その強さの秘訣なのだから。


だが、それがどうした。


修羅場なら両手の指以上を掻い潜ってきた。


死地なら何度も逆転し返してきた。


この男が、戦場における経験値で二人に勝っているというのならば、今度はこっちが問い返してやろう。


「まあ見とけよ、セレナ」


鞘から剣を抜いて、アランは構える。と同時に殺気を含んだ刺々しい魔力が辺りに充満し始めた。






「本物の帝国騎士ってモノを見せてやるよ」









男は壁に激突すると同時に、思考を全力で稼働させて突如現れた帝国騎士について考え始めた。


……あの反応、あの動き。タダ者じゃねぇ。


蹴りを喰らう一瞬前まで、殺気も敵意も感じなかった。なのに気がつけば身体は吹っ飛び、その次の瞬間には雷の矢が男に向かって飛来していた。


あの動きは疑うまでもない。才能とは別次元の、努力と研鑽によって積み上げられた至高の戦術だ。


……おもしれぇ。


闇の中から奇襲を掛けようとしている今でさえ、穿つような気配がこちらを常に向いている。何か少しでも可笑しな行動を起こせば、即座に攻撃するためだろう。


これほど興奮する敵に出会えたのは、五年前のアステアルタ魔術大戦以来だ。自身の実力を上回る存在に出くわした時の、頭が冷静さを求めるこの瞬間。それが何より堪らない。


焼き殺す、溺れ殺す、埋め殺す、窒息で殺す、感電で殺す、穿ち殺す、切り殺す、叩き殺す、捻り殺す、幻で殺す、毒で殺す、重圧で殺す、首を絞めて殺す、袋叩きで殺す、虚言を吐いて殺す、急所を突いて殺す、四肢を裂いて殺す、臓器をねて殺す、殺す殺す殺す。


「ああ……たまんねぇ」


殺しは快楽だ。生を求める者の絶望に満ちた顔、家族親戚を人質に死を宣告された時の顔、友人兄弟恋人を殺して自身が狂気に満ちた顔。そしてそれら全てを自分で壊すその瞬間が、心を一番満たしてくれる。


だから男は戦場に立つ。死ぬその瞬間に、絶望とわずかな希望を持って、首が飛び跳ねる様を見て心から笑う。


「だが、この国はつまんねぇ……」


皇帝が変わって、国は大きく変わった。人民を巻き込んでまでの大きな戦争を起こさなくなった。


渇いた心を潤すにはもはやこの国を壊し、再び狂乱に満ちた国へと戻さなければならない。


そのためには何でも利用する。かつては敵だった存在も、元帝国の圧政に悦楽を覚えていた同士も、かつての戦争で全てを失い恨みを晴らそうとする者も。そして大陸的に有名な犯罪集団も。


「まずは……その布石として、アイツを殺す」


そして男は再び拳に【プロテクションシール】を付与し、起き上がる。獲物を見つけた獣のように激しく高揚しながら、拳を強く握りしめる。


さあ、殺し合いの始まりだ。





「本物の……帝国騎士……?」


まるでそれは、今までセレナが見てきた騎士達が偽りあるかのような発言だ。


だがアランはセレナの疑問に答えない。何も紡ぐことなくゆっくりと二人と距離を取り、闇の向こうにいるであろう男へと視線を向けた。


「……いい加減、出て来いよ。まさかその程度でやられたわけじゃあ、無いんだろう?」


挑発するかのように発言すると、数秒後に男が姿を現した。どうやらほぼ無傷のようだ。


「テメェ……さっき『アラン』とか呼ばれていたな?   まさかお前、ググラッドの奴を倒して来たって言うのかい?」


「いや、そのググラッド?   とかいう奴かどうかは知らんが、鬼族の敵なら気絶させて来たぞ」


「……(ヒュー)」


アランのその発言に、男は口笛を吹く。


「まさかあのググラッドを倒したとはね。さすがの俺でもビックリだ」


「そうでもない。だってアイツ、純血種じゃなくて混血種だろう?   この二つじゃあ後者の方が圧倒的に弱い。混血種なんて戦地で何度も殺りあった相手だから、慣れてんだよ」


「戦地……そうか、お前。そういう事か……」


ははは、と笑い、男は殺気の籠った視線をアランにぶつける。構えを取り、いつでも懐に潜り込めるように脚部へと魔力を集約させる。


「俺は元傭兵団『骸の牙』、ケドゥラ=ガンディスだ。改めてアンタの名前を聞こうか」


「オルフェリア帝国騎士、第一騎士団所属、アラン=フロラストだ。ケドゥラ……そうかお前、どこかで見覚えがあると思えば『蜘蛛糸のケドゥラ』か」


「その名前で呼ばれるのも久々だなー……てことはあれか、やっぱお前もあの戦争にいたって事か」


「アステアルタ魔術大戦か?   ああ、前線にいたよ」


「ヒュウ、良いねぇ。それを聞いていっそうワクワクしてきたぜ。それじゃあ楽しいお話もここら辺にして……殺し合いと洒落込もうぜぇッ!」


刹那、ケドゥラは大地を蹴り一瞬でアランとの距離を詰め寄った。


……遠距離の魔術戦で勝てるか定かじゃねぇ。ここは近距離戦で殴り合いだ!


「おらおらおらおらァァァッ!」


残像すら見える速さで男は拳を動かして、アランに攻撃を加える。防御はほぼ捨てて、真っ向からの猪突猛攻だ。


だかしかし、アランは冷静に拳を受け流し続け、相手の動きを観察する。


そして。


「ふッ!」


「がはぁッ!?」


一撃を空へ向けて弾き返し、ガラ空きになった右胸部に掌打を放った。振動はそのまま体内へと伝わり、内部でダメージが暴発する。


だがケドゥラはニヤリと笑い、アランの腕を掴んでそのまま身体を宙に浮かせながら膨大な魔力の練り込まれた蹴りを放つ。


……さすがに対応が早いな。だが!


迫る脚との間に肘を置き、その先に魔力を集中させる。ケドゥラの魔力とほぼ五分五分といった所だろうか。そこで二人の攻撃が激しく衝突した。


魔力のぶつかり合いに突風が巻き起こり、辺り一面の地面が鼓動する。


途轍もない魔力同士の衝突だと、そばにいたセレナはすぐに理解出来た。


「こんな実力を隠してたなんて……」


当初の予想はまるっきり逆転した。アランはケドゥラと互角に、いやそれ以上の強さを見せて圧倒している。


まだ手に持った剣を、一振りすらしていない。騎士なのに拳で殴り合っている。そんな違和感を感じながらもセレナはジッとアランの動きを観察し続けた。


……アイツのあの拳法、確か以前ベルダー講師と模倣戦をした時と同じヤツよね。


アラン曰く一撃で相手の体内に大きな痛手を与えるのならば、掌打が有効だと言っていた。だが、どうにもケドゥラは苦痛に耐性があるらしく、何発打ち込もうとも足を屈する気配は無い。


だが一方でケドゥラの攻撃は全くアランに当たっていない。壁を砕くような一撃を寸の所で躱し、【プロテクションシール】の張られていない手首あたりを押さえて顎にを掌打を放つ。


「まだ……まだぁァァァ!!」


二人の殴り合いが始まって二、三分。ようやく足元が揺らぎ始めたケドゥラ。だがその瞳から戦意は、殺意は全く消えていない。むしろ激しく燃えていた。


「ちょ!?   しつこくてウザい男は、女性からモテないんだぞ!!」


「俺には愛なんてモンはいらねぇんだよ!!   壊してころして砕いてころして消すころす!   それがーーそれだけが俺の生き甲斐だッ!!」


「虚しい生涯だな……っと!!」


懐に潜ってきたケドゥラの乱撃をアランは、躱し、弾き、受け流す。


「くそッ、なんで、当たんねぇんだよぉォォォォォォ!!」


血と汗を滲ませながらもケドゥラは、ただひたすらに拳を振るう。空振りした拳がアランの後ろの空気を叩き、切り裂き、烈風を巻き起こす。


……クソクソクソクソ、くそッ!!


「クソったれがァァァッ!」


刹那、ケドゥラが魔力を暴発させた。溢れ出た魔力を拳に全て集約させ、躊躇いもなく一気に振るった。


「ッ!?」


魔力を吸収して爆発的に肥大化した【プロテクションシール】が、アラン目掛けてやって来る。


避けきれない。バックステップで退がろうとも、上下左右に回避しようとも、【プロテクションシール】に衝突は免れない。


対抗詠唱も間に合う気配は無いし、何より魔力で全身を防御しても、身体は無事では済まないだろう。


だったら。


……腕の一本、くれてやるッ!!


そう瞬時に判断したアランは、咄嗟に剣を離し、左手を前方に置く。次の瞬間、アランは見事に吹っ飛んだ。まるで【五属の矢】が放たれたかのような速度で壁に激突したアラン。生きていたとしても致命傷は避けられないだろう。


「あ……アラン!!」


壁の瓦礫の中へと吸い込まれたアランに向かってセレナが叫ぶ。


だが、返事は無い。瓦礫の中からは虚しく砂煙が立ち昇るだけだった。


「や……やった、のか……?」


ゼェハァと荒く呼吸を繰り返すケドゥラは、血に滲む拳を押さえながら、濁る視界を拭うために目を擦る。


ケドゥラの拳に、実際には【プロテクションシール】の上からだが、確かに肉の潰れるような感触が残っていた。


そして微かに香る、心を満たす腐った鉄の臭い。焼けた人肉のツンとする臭い。


そして確信した。


……やったぞ。俺は勝ったぞ!   俺は敵をころーー






「瓦礫が重いわコンチクショウが!!」






しかし、アランは健在だった。上に被さっていた瓦礫を蹴破って起き上がり、平然とした顔付きでケドゥラを見つめた。


「馬鹿な……感触は完璧だった!   なのに無事だなんて……っ」


「はあ?   いや、全然無事じゃ無いっつーの。ほら、見ての通り左腕がズッタズタだよコンチクショウが」


そしてケドゥラとセレナ、二人に見えるように前方に向けた左腕は、


「「……ッ!?」」


見るも無惨な始末となっていた。


指関節はあらゆる方向へと曲がり、肘から先にかけては裂傷によって血が多量に流れていた。かろうじて皮膚見えている部分も青く腫れて、この様を普通に「無事じゃ無い」と言うだけで済まして良いとは、セレナは到底思えない。


「アンタ……痛く、ないの?」


惨状に怯えながら、セレナは尋ねる。するとアランは他人事のように言った。


「痛みには慣れてるし……まあ、平気?」


「……っ」


可笑しい。アランの精神は、心は壊れているに違いない。そう判断出来るほど、アランの発言は異常だ。


あの程度の怪我をすれば、痛みに悶えて号哭しても可笑しくない。あれほどの出血量を直視すれば、ショックの余りに気絶しても可笑しくない。


なのにアランは平然と立っている。呆れてしまうほどいつも通りに、笑ってしまえるほど当たり前に。


「……さて、何はともあれ、だ」


アランはケドゥラに向き直り、話し始めた。


「ケドゥラ。お前、今の攻撃で魔力がほとんど無いだろ。殺気で隠してるつもりかもしれんが、明らさまに魔力が弱まってる」


「ふっ……さすがに分かるか。まあ、アンタの言う通り魔力は精々あと四、五分戦えるかどうかって所だな。それに対してアンタはまだまだ余裕そうだ」


「当たり前だ。あと一、二時間は戦えるぞ」


「うわー、それってもう俺の負け確定みたいなモンじゃねぇかよ……」


はぁ、と大きくため息をつきながら、じりじりとアランから距離を取る。だがアランも気がついていないはずもなく、いつでも突撃出来るように脚部に魔力を込めた。


「仕方ねぇ。これは目立つから使いたくなかったんだが……作戦Bで行くしかないな」


「作戦B?」


首を傾げて訝しげな視線でケドゥラを見つめるアランとセレナ。しかし二人に返事をすることなく、ケドゥラは空に向かって雷属性の【エレメントスフィア】を放った。


そして次の瞬間。






「Grrruaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」






大地が傾かんばかりの大きな揺れと共に、心臓を握り潰されそうになるほどの冷たく鋭い脅威なる咆哮。


そう、それは空から落ちてきた。まるで岩石でも落ちてきたかのような落下音に合わせて、暴風と砂塵の嵐が巻き起こり、辺りを黄土色に染め上げる。


そして砂が地に落ちて風が収まった頃、会場にいたケドゥラ以外の人物達は、絶句した。


鋼鉄の塊ですら嚙み砕きそうな大きな顎に、馬も握り潰せるくらいの大きな手足。背と腹は極大魔術ですら傷付けることが出来ない強固な鱗の鎧で覆われ、側面に回ろうとすれば棘の並んだ大きな尾が待ち構えている。


そう、それはセレナにとって夢のような存在。それはアランにとって最低最悪の出会いの瞬間。


イフリア大陸屈指の実力を誇る生命体。数百年を生き、歳を経るたびに強くなるという彼らには人間など蟻と同等でしかないだろう。


だがその個体数はとても極小で、一部民族ではもはや神とさえ崇められている一方で、世間的には破壊と終焉の象徴として知られた悪魔の化身。


もう、ここまで言ってしまえば誰でも分かるだろう。そう、会場に現れたのは。


「ど、ドラゴン……!?」


その存在は、まさしく形勢逆転の一手と言っても過言ではなかった。

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