英雄殺しの魔術騎士
第19話「刹那の優勢」
セレナの詠唱の最中、そのどよめきは起きた。
魔力をほとんど持たない一般市民の彼らには、魔術起動の際に展開される魔術方陣は本来見る事が出来ない。だが何故か、セレナの周囲には赤い魔術方陣が浮かび上がっているのを、一般市民達はその目で確かめる事が出来た。
そして魔術を知る帝国騎士と学院生の彼らも驚愕を覚える。なにせ魔術一つにつき、大小あれど魔術方陣は一つと決まっている。なのにセレナを取り巻く魔術方陣は合計で六つ。
そして一人、ただ一人。
この状況に覚えがあり、かつ貴賓席から立ち上がる者がいた。
「……おいおい、嘘だろう?」
その名はヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルム。現オルフェリア帝国最強にして最大の魔力容量を持つ魔術師であり、五年前の革命を果たした英雄王である。
そんな彼が驚愕する。
衝撃的な光景の余りに驚愕する。
自分の立場をその瞬間忘れ、異常な状況に開いた口が塞がらない。
「あれは……」
その魔術方陣の展開法を彼は知っている。
その魔術の優位性を彼は知っている。
その魔術の危険性を彼は知っている。
……誰だ。いったいあの子に【顕現武装】を教えたのは誰だ!
いや、答えはとうに分かりきっていた。
セレナにほんの一週間ほどで、その魔術を最適かつ最速で享受させる事が出来る者など、ヴィルガは一人しか思いつかない。
「アランの奴か……っ」
刹那、憎悪と憤りの混じった魔力が場を漂う。その魔力に当てられた帝国騎士達は冷や汗を垂らして口を閉じ、ますます緊迫とした空気が膨れ上がった。
この中にアランの正体を知る者はヴィルガ以外の一人もいない。
この中にアランの功績を知る者はヴィルガ以外の一人もいない。
現オルフェリア帝国騎士で唯一の例外であるアラン=フロラスト。そんな彼をセレナの剣術指南役かつ護衛役として推薦したのはリカルドであり、そしてそれを承認したのはヴィルガだ。
彼がそんな行動を起こす事は百も承知だったはずだし、セレナが力を求めていた事も知っていた。そしてそんなセレナの前に、力を与える事が出来る人物を寄越したのは誰だ?
……俺のミスだ。
すでに二年前、あの日以来アランの魔術に対する情熱は失せていたと勘違いしていた。
だが違った。それは自分の大きな誤算だった。アランは魔術を諦めていない、自分の中から捨てていない。
魔術はアランの全てだ。捨てられるはずなどないのだ。
「……けどまあ、やってしまった事は仕方がない」
ヴィルガに過去を悔やむ時間は与えられない。それにあの魔術を覚えた時点で、彼女に戻る道はない。
全ては過去、戻れない過去だ。悔やむ事は必要はなく、意味はない。
ならば今後を考えよう。
ふぅ、と息を吐いたヴィルガは魔力を抑えて席に腰をかける。それによって周囲の騎士達は胸中で深いため息を漏らした。
だがこれで【顕現武装】という魔術は、世に知れ渡る。言い逃れをすることも、隠す事も出来ない。
再び世界の改革が、始まろうとしていた。
◆◆◆
「なに、これ……」
状況が把握できないユリアは、ただ驚嘆の言葉を静かに口から漏らした。
セレナの周りに浮かぶ六つの魔術方陣。手の甲に浮かぶ謎の赤い紋様。そしてそのセレナにも変化はあった。
金糸のような鮮やかな長髪は、どういうわけか躑躅色に染まり、目の色はユリアに似て真紅に変わっている。その身から溢れる魔力は、まるで火山が湧き出るマグマのように止めどなく辺りに満ちて、会場全体の気温を上昇させているようだった。
異質だ。セレナの存在は生物的直感が異質な存在だと訴えている。ユリアの心を激しく動揺させる。
だがそれよりも、そんな動揺よりも、彼女の姿が美しいと感じてしまう。
「やっぱりこの姿は変な感じよね。髪の色も変わってるし……」
まるで他人事のようにそう言うセレナは、平然とした顔つきで状況確認をしている。髪や服、体のあちこちを確認すると、ふぅと息を吐いてユリアを見る。
「さてユリア、ここからが本番よ」
本番。その言葉を聞いて戦いが終わっていない事を思い出す。剣を構えて、緋色の瞳はセレナを静かに見据える。
身体的構造は何も変わっていない。とりわけ魔力が増加したわけでもなければ、身体能力が上昇した感じも見受けられない。
……なにがどうなってるの?
分からない。どういう観点から見ても、セレナの変化が詳しく理解できない。
「行くわよ」
セレナのその一言でユリアは集中力をさらに高め、微動すら見逃さない。そのつもりだった。
しかし。
「ッ!?」
セレナの姿が、消える。
「ーーっぁ!」
視界の右端に見えたセレナの素早い一撃を、ユリアは剣の腹を盾にしてなんとか防ぐ。あとコンマ数秒遅ければ、間違いなくユリアは負けていた。
……さっきよりも早い!
数倍は格段に身体能力が上がっている。先ほどまでは剣撃でノックバックが発生した場合、後退するのはセレナだけだった。
だが今は違う。セレナは一撃の場から全く身じろいていないのに対して、ユリアが大きく後ろへと退いだ。
「……それが、その魔術の力?」
尋ねたユリアに対して、セレナは微笑みで返した。
「そう、これが【顕現武装】の効果の一つ。霊格の昇華よ」
◆
人には「心の紙片」というものが存在する。
その中には人としての存在概念も含まれており、それがある限り人としての限界を超える事は不可能だ。
だから【顕現武装】はそれを改変する。人間という概念を構成する格を魔術によって書き換え、霊体としての自身の格を人間以上の価値として存在させる。
すなわちそれは、人間の超えられない壁の一つ、物理限界ですら超越してしまうのだ。
「せぁッ!」
前方向からの攻撃と見せかけての側面からの攻撃。残像すら残して駆け巡るセレナをユリアはもはや、目でギリギリ追いかけている状態だった。
だがユリアもその程度な訳ではない。
「そこッ!」
目で追えないのならば直感で、野生的に追い続ける。鼻で匂いを嗅ぎ、耳で音を聞き分け、肌で空気の流れを感じ取り、セレナの全てを探り出す。
幼い頃に何度も味わった強者と戦うための経験が、彼女の探知能力に直感というものを付け加える。
そして。
……分かる!
「ぜぁッ!」
ユリアも全身の魔力を漲らせて、超高速戦闘へと切り替え剣を振るう。もはやその剣撃は帝国騎士達ですら半数以上が目で追えず、何が起きているのかを理解していない。
だが二人には関係ない。少しでも緩めれば、負けるのは確定だ。
「く……っ」
ギャギャギャと鋼同士がぶつかり合う最中、ユリアは次の手を考える。
この状態のセレナと近接戦を続けるのは正直なところかなり辛い。一撃一撃が骨にまで響き、攻勢に入るのがかなり難しい。
……なにか抜け道は……って。
「ッ!?」
その異変に気がついたユリアは咄嗟にセレナの剣撃を上へと弾き、バックステップで五メートルほど後退した。
「なに、これ……」
その異変とは剣だ。
剣の刃先が異常なまでにボロボロになっているのだ。数百度の熱に当てても一切変形をしなかった特殊な鉱石で作られたこの剣が、見事なまでに所々欠けているのだ。
「気がついた、ユリア?」
余裕綽々とした態度でこちらを見つめるセレナは、攻めて来ようとはしない。その動作一つがユリアをさらに苛立たせる。
だが知らなければならない。この剣の異変について知っておかなければならない。
「……これも、その魔術の効果?」
ユリアの問いに再びセレナは微笑みで返した。
「これが【顕現武装】の二つ目の効果。属性概念の体現よ」
「火とは?」と尋ねられて考えることは人によって様々だ。熱いものと考える人もいれば、温かいものと考える人もいる。
要するに【顕現武装】とは、その人の属性概念をその身に顕現しているというわけだ。
「私の火に対する属性概念は『果て』。あらゆる物の終焉を意味するわ」
すなわちセレナに触れた物は全て果てる。例えどれだけ頑丈な鎧を身に纏い、金剛石や金で錬成された武具を用いようとも、セレナの前では全てが果てるのだ。
「私のこれは、まだ不完全だから『果てる』とまではいかなくとも、『劣化する』といった所かしら」
「……嫌な能力」
それでは近接戦に勝機は存在しない。焦って剣撃を続けていたら、剣を失い敗北するのはユリアだ。
……だったら!
「ーー《荒ぶる冷風よ、其は人を阻む悪意なる暴風なりて、汝の牙を以て立ち向かう愚者を払いたまえ》ッ!」
バックステップでさらに距離をとりながら、ユリアは【五属の風】を発動。広範囲魔術でありながらその範囲を絞り、攻撃そのものは威力を増す。
完全に直撃した。ユリアも一般市民も、帝国騎士達ですらそう判断した。
しかし。
「な……っ!?」
その吹雪は壁にぶちあたるかのように、セレナに触れると同時に爆散した。
「言ったでしょう?   私に触れればあらゆる物が果てるのよ」
つまり、魔術も例外ではない。
今この時はセレナの前に生半可な魔術や剣術は通用しない。
「く……っ」
慌てて距離を取るユリアだが、セレナが待つはずもない。
大地を足裏で叩き、ユリアの超加速に似た速さでセレナはユリアに突っ込む。
……これは、無理っ。
剣を犠牲にする覚悟でユリアは剣を盾代わりに使う。セレナもそんなこと関係なしに剣を振り下ろし、剣身を切り裂いた。
「ぐッ!」
その衝撃を利用して、ユリアはセレナからさらに距離を取る。剣を失った事に少しの辛さを感じつつ、ユリアは静かにセレナの動作を見据えた。
確かにセレナの攻撃は【顕現武装】で凄まじいものとなった。だがそれは結果としての話であり、セレナ自身はまだ【顕現武装】を上手く使いこなせていない風にユリアには見えた。
扱いが難しい魔術なのか、それともセレナ自身が扱いに苦しんでいるのかは分からない。
だが今も尚、全身から溢れ出ている魔力の本流を見る限り、使用時間もかなり限られているはず。
……逃げるが勝ち。
まさにその通りだ。この瞬間ユリアは攻める事よりも回避に重点を置くことを決断した。
「考えタイムは終わったかしら?」
ユリアの次手があるまで待機しようと強者の余裕を見せるセレナは、溢れる魔力を可能な限り剣身へと集約させる。おそらく剣に触れれば、劣化するとか言う理屈よりも早く、無に帰ってしまうだろう。
「行くわよ!」
再び大地を足裏で叩き、一瞬でユリアに詰め寄る。だがユリアもその行動は読めていた。セレナがユリアの懐にたどり着くと同時に、ユリアはセレナのいた方向へと逃げる。
攻撃について考えず、回避と防御にのみ意識を集中させる事を選んだユリアは、予想以上に集中力を消費せずに戦い続けることが可能となった。
この時、ユリアの集中力持続残り時間は僅か五分に対して、セレナの【顕現武装】持続時間は僅か四分。
この事実を知る者はアランだけだった。
◆◆◆
一方その頃、帝都内のとある小道にて。
商業区からやや離れたこの区域には工業団体が密集しており、隠れるにはもってこいの場所だった。
「なーんか、向こうの方がやけに騒がしいんだけど……。なぁ、そこの旦那。どういう訳か分かる?」
オンボロのローブを身に纏った齢二十ほどの青年が、近くの家屋に背を預ける白髪交じりの茶髪の初老に話しかける。
初老は目を閉じ長剣を胸元で抱えた状態で、静かに応じた。
「おそらく例の魔剣祭などというお遊戯であろう。それ以外は知らん」
「へー。やっぱりこの国の愚民達は、五年しか経っていないというのに平和ボケしてるねー。お腹抱えて笑っちゃうほど、哀れだよ。君もそう思うでしょう、ググラッド?」
青年は誰もいない家屋の影に向かって話しかける。すると、腹の底まで響きそうな声音が伝わってきた。
『如何にも。死が常に隣り合わせだという事実から、彼奴らは目を逸らし生きている。もはや同情の余地すら無し』
ふーん、と青年は影に目をくれず空を見上げる。
「……そういえば、彼らの計画は順調かい?」
『無論。先日も置き手紙があったが、計画は滞りなく進んでいるとの事だ』
「そうかい。なら僕達の仕事はもうすぐだね」
クックックッと笑う青年に対して、茶髪の初老は薄く微笑み、影は静かにその存在を消してゆく。
行動開始まであと一日。
テロ行為が平穏な世の中に幕を開こうとしていた。
◆◆◆
……当たらないッ!
【顕現武装】の三つ目の能力、同属性魔術の無詠唱発動についてはユリアもかなり驚いていた。
魔術師は相手の魔術詠唱を聞いて次の魔術を予測し、対抗魔術を放ったり回避をしたりするのだが、【顕現武装】はそんな戦闘法とは大きく異なり、詠唱という概念が存在しない。霊格そのものが昇華されたことによる恩恵の一つだ。
これによってセレナは火属性の魔術を詠唱無しで発動出来るようになった。
だがそれもユリアには関係ない。
たとえセレナからどんな魔術が放たれようとも、歯向かうのではなく、立ち向かうのではなくただ避けて逃げる。
火の矢の大群や熱風の塊が押し寄せて来ても、炎の檻に閉じ込められても、獣の形をした火の精霊に襲われてもユリアは冷静に観察をして、全てを上手くいなす。
これが経験の差。セレナに強く思い知らされる事実だ。
だが同時に、ユリアが反撃をする機会が無い事もまた事実だ。
ならば迷う意味はない。
……火力で攻め続けるだけ!
瞬時にセレナは【五属の矢】を発動。百の火の矢が逃げ回るユリアに定めて射出される。
一撃ずつが通常の倍の威力を誇り、ユリアに当たらず地面に当たるたびに大きな土煙を巻き上げて、二人の視界を阻む。
……今なら。
セレナは空かさずアラン特製の魔石で魔力を補充して、【顕現武装】を維持しながら活性化したその目で土煙の向こうを睨む。
実のところ、セレナのこの【顕現武装】はとても不完全で、常に魔力を全開放出している。今は通常状態と顕現状態の二つにしか切り替えられないので、一度元に戻ってしまうと再び詠唱をしなければならなくなる。
詠唱に必要なのは約十秒と戦闘時には短いとは言い難い時間だ。最初は見守っていてくれたユリアも、今度ばかりは許してくれないだろう。
……こんな時、アイツならどうするかしら。
ふと戦闘の合間に、アランの事を考えてしまう。アランなら魔術が当たらないならどうするだろうとか、この土煙で相手がよく見えない時どうするだろうとか。
この二週間で最も触れ合ったのがアランなせいか、ユリアの攻撃を防ぐたびに、ユリアに向けて魔術や剣撃を仕掛けるたびに思ってしまう。
やっぱりこの子はアランが好きなのだな、と。
ユリアの動きの所々にアランの面影がある。回避行動直後の剣の構え方にもアランの姿がうっすらと見える。
彼女はアランのことを心の底から信頼しているのだ。たとえ五年も合わなかったとしても、彼女にとってのアランは何も変わらず彼女の心の中で生きていたのだろう。
と、その時。
「《遥か空に漂う万象の天秤よ、其は我が命の儘に、重圧を得たる左手を傾けよ》ッ!」
「く……っ」
セレナはバックステップで後退すると、先ほどまでセレナがいた位置に重圧が降りかかった。重力操作魔術【グラビトン】だ。
範囲に比例して大量の魔力を消費するため、かなり範囲が絞られていたとはいえ【グラビトン】はかなり危険だ。なにせ「数倍の重力を発生させる」ではなく、「対象が身動き出来ない程度に重力を発生させる」なのだから拘束されると考えてもいい。
立て続けに降りかかる重力攻撃に対してセレナは回避をしつつも【五属の風】を発動。凝縮された熱風がユリアに向けて放たれる。
「ふッ!」
しかしその熱風を折れた剣で無理やり拡散させて防ぎ、絶やすことなくセレナに向けて【グラビトン】を発動し続けた。
……しつこい!
ならばと言うようにセレナは大地を踏みしめ、足のバネを活かして駆けた。わずか一秒でユリアとの距離を詰めたセレナは、剣ではなく拳でユリアの鳩尾を突く。
ドン!   という激しい音と共にユリアは吹っ飛ぶ。苦悶に顔を歪めながらもユリアは空中で姿勢を整え、
「《水の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討つ、悪人たる其の数は千》ッ!」
詠唱によって現れた矢の形をした千もの氷の塊が、セレナに向かって降り注ぐ。
驚愕するが、しかしセレナは避けない。なにせ【顕現武装】の効果によって、あらゆる物がセレナに触れると同時に朽ち果てるのだから。
矢に気を配ることなくユリアの着地点へと駆けるセレナ。途中で浴びる氷の矢は全て水に変わって蒸気へと変わる。
……これで最後よ!
魔力を剣に込めて、防御すら無視した一撃必勝の攻撃を叩き込もうと地面を蹴る。
だが、その時がやって来た。
ガラスが割れるように全身の威圧感が失せ、躑躅色の髪が毛先からブロンドに戻り始める。
「えっ」
唐突に襲いかかる脱力感と、超速戦闘の反動で骨と筋肉の痛みが全身を蝕む。魔力も底を尽きかけており、ほんの数メートル先にいるユリアがボヤけて見えた。
膝から崩れ落ちるセレナ。悪魔に取り憑かれた様に全身から力が抜け始め、剣を持つ力すら全身に入らない。
「あと……もう、少し……なの、に……」
最悪のタイミングで起きてしまった。
ついに【顕現武装】の限界時間がやって来た。
魔力をほとんど持たない一般市民の彼らには、魔術起動の際に展開される魔術方陣は本来見る事が出来ない。だが何故か、セレナの周囲には赤い魔術方陣が浮かび上がっているのを、一般市民達はその目で確かめる事が出来た。
そして魔術を知る帝国騎士と学院生の彼らも驚愕を覚える。なにせ魔術一つにつき、大小あれど魔術方陣は一つと決まっている。なのにセレナを取り巻く魔術方陣は合計で六つ。
そして一人、ただ一人。
この状況に覚えがあり、かつ貴賓席から立ち上がる者がいた。
「……おいおい、嘘だろう?」
その名はヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルム。現オルフェリア帝国最強にして最大の魔力容量を持つ魔術師であり、五年前の革命を果たした英雄王である。
そんな彼が驚愕する。
衝撃的な光景の余りに驚愕する。
自分の立場をその瞬間忘れ、異常な状況に開いた口が塞がらない。
「あれは……」
その魔術方陣の展開法を彼は知っている。
その魔術の優位性を彼は知っている。
その魔術の危険性を彼は知っている。
……誰だ。いったいあの子に【顕現武装】を教えたのは誰だ!
いや、答えはとうに分かりきっていた。
セレナにほんの一週間ほどで、その魔術を最適かつ最速で享受させる事が出来る者など、ヴィルガは一人しか思いつかない。
「アランの奴か……っ」
刹那、憎悪と憤りの混じった魔力が場を漂う。その魔力に当てられた帝国騎士達は冷や汗を垂らして口を閉じ、ますます緊迫とした空気が膨れ上がった。
この中にアランの正体を知る者はヴィルガ以外の一人もいない。
この中にアランの功績を知る者はヴィルガ以外の一人もいない。
現オルフェリア帝国騎士で唯一の例外であるアラン=フロラスト。そんな彼をセレナの剣術指南役かつ護衛役として推薦したのはリカルドであり、そしてそれを承認したのはヴィルガだ。
彼がそんな行動を起こす事は百も承知だったはずだし、セレナが力を求めていた事も知っていた。そしてそんなセレナの前に、力を与える事が出来る人物を寄越したのは誰だ?
……俺のミスだ。
すでに二年前、あの日以来アランの魔術に対する情熱は失せていたと勘違いしていた。
だが違った。それは自分の大きな誤算だった。アランは魔術を諦めていない、自分の中から捨てていない。
魔術はアランの全てだ。捨てられるはずなどないのだ。
「……けどまあ、やってしまった事は仕方がない」
ヴィルガに過去を悔やむ時間は与えられない。それにあの魔術を覚えた時点で、彼女に戻る道はない。
全ては過去、戻れない過去だ。悔やむ事は必要はなく、意味はない。
ならば今後を考えよう。
ふぅ、と息を吐いたヴィルガは魔力を抑えて席に腰をかける。それによって周囲の騎士達は胸中で深いため息を漏らした。
だがこれで【顕現武装】という魔術は、世に知れ渡る。言い逃れをすることも、隠す事も出来ない。
再び世界の改革が、始まろうとしていた。
◆◆◆
「なに、これ……」
状況が把握できないユリアは、ただ驚嘆の言葉を静かに口から漏らした。
セレナの周りに浮かぶ六つの魔術方陣。手の甲に浮かぶ謎の赤い紋様。そしてそのセレナにも変化はあった。
金糸のような鮮やかな長髪は、どういうわけか躑躅色に染まり、目の色はユリアに似て真紅に変わっている。その身から溢れる魔力は、まるで火山が湧き出るマグマのように止めどなく辺りに満ちて、会場全体の気温を上昇させているようだった。
異質だ。セレナの存在は生物的直感が異質な存在だと訴えている。ユリアの心を激しく動揺させる。
だがそれよりも、そんな動揺よりも、彼女の姿が美しいと感じてしまう。
「やっぱりこの姿は変な感じよね。髪の色も変わってるし……」
まるで他人事のようにそう言うセレナは、平然とした顔つきで状況確認をしている。髪や服、体のあちこちを確認すると、ふぅと息を吐いてユリアを見る。
「さてユリア、ここからが本番よ」
本番。その言葉を聞いて戦いが終わっていない事を思い出す。剣を構えて、緋色の瞳はセレナを静かに見据える。
身体的構造は何も変わっていない。とりわけ魔力が増加したわけでもなければ、身体能力が上昇した感じも見受けられない。
……なにがどうなってるの?
分からない。どういう観点から見ても、セレナの変化が詳しく理解できない。
「行くわよ」
セレナのその一言でユリアは集中力をさらに高め、微動すら見逃さない。そのつもりだった。
しかし。
「ッ!?」
セレナの姿が、消える。
「ーーっぁ!」
視界の右端に見えたセレナの素早い一撃を、ユリアは剣の腹を盾にしてなんとか防ぐ。あとコンマ数秒遅ければ、間違いなくユリアは負けていた。
……さっきよりも早い!
数倍は格段に身体能力が上がっている。先ほどまでは剣撃でノックバックが発生した場合、後退するのはセレナだけだった。
だが今は違う。セレナは一撃の場から全く身じろいていないのに対して、ユリアが大きく後ろへと退いだ。
「……それが、その魔術の力?」
尋ねたユリアに対して、セレナは微笑みで返した。
「そう、これが【顕現武装】の効果の一つ。霊格の昇華よ」
◆
人には「心の紙片」というものが存在する。
その中には人としての存在概念も含まれており、それがある限り人としての限界を超える事は不可能だ。
だから【顕現武装】はそれを改変する。人間という概念を構成する格を魔術によって書き換え、霊体としての自身の格を人間以上の価値として存在させる。
すなわちそれは、人間の超えられない壁の一つ、物理限界ですら超越してしまうのだ。
「せぁッ!」
前方向からの攻撃と見せかけての側面からの攻撃。残像すら残して駆け巡るセレナをユリアはもはや、目でギリギリ追いかけている状態だった。
だがユリアもその程度な訳ではない。
「そこッ!」
目で追えないのならば直感で、野生的に追い続ける。鼻で匂いを嗅ぎ、耳で音を聞き分け、肌で空気の流れを感じ取り、セレナの全てを探り出す。
幼い頃に何度も味わった強者と戦うための経験が、彼女の探知能力に直感というものを付け加える。
そして。
……分かる!
「ぜぁッ!」
ユリアも全身の魔力を漲らせて、超高速戦闘へと切り替え剣を振るう。もはやその剣撃は帝国騎士達ですら半数以上が目で追えず、何が起きているのかを理解していない。
だが二人には関係ない。少しでも緩めれば、負けるのは確定だ。
「く……っ」
ギャギャギャと鋼同士がぶつかり合う最中、ユリアは次の手を考える。
この状態のセレナと近接戦を続けるのは正直なところかなり辛い。一撃一撃が骨にまで響き、攻勢に入るのがかなり難しい。
……なにか抜け道は……って。
「ッ!?」
その異変に気がついたユリアは咄嗟にセレナの剣撃を上へと弾き、バックステップで五メートルほど後退した。
「なに、これ……」
その異変とは剣だ。
剣の刃先が異常なまでにボロボロになっているのだ。数百度の熱に当てても一切変形をしなかった特殊な鉱石で作られたこの剣が、見事なまでに所々欠けているのだ。
「気がついた、ユリア?」
余裕綽々とした態度でこちらを見つめるセレナは、攻めて来ようとはしない。その動作一つがユリアをさらに苛立たせる。
だが知らなければならない。この剣の異変について知っておかなければならない。
「……これも、その魔術の効果?」
ユリアの問いに再びセレナは微笑みで返した。
「これが【顕現武装】の二つ目の効果。属性概念の体現よ」
「火とは?」と尋ねられて考えることは人によって様々だ。熱いものと考える人もいれば、温かいものと考える人もいる。
要するに【顕現武装】とは、その人の属性概念をその身に顕現しているというわけだ。
「私の火に対する属性概念は『果て』。あらゆる物の終焉を意味するわ」
すなわちセレナに触れた物は全て果てる。例えどれだけ頑丈な鎧を身に纏い、金剛石や金で錬成された武具を用いようとも、セレナの前では全てが果てるのだ。
「私のこれは、まだ不完全だから『果てる』とまではいかなくとも、『劣化する』といった所かしら」
「……嫌な能力」
それでは近接戦に勝機は存在しない。焦って剣撃を続けていたら、剣を失い敗北するのはユリアだ。
……だったら!
「ーー《荒ぶる冷風よ、其は人を阻む悪意なる暴風なりて、汝の牙を以て立ち向かう愚者を払いたまえ》ッ!」
バックステップでさらに距離をとりながら、ユリアは【五属の風】を発動。広範囲魔術でありながらその範囲を絞り、攻撃そのものは威力を増す。
完全に直撃した。ユリアも一般市民も、帝国騎士達ですらそう判断した。
しかし。
「な……っ!?」
その吹雪は壁にぶちあたるかのように、セレナに触れると同時に爆散した。
「言ったでしょう?   私に触れればあらゆる物が果てるのよ」
つまり、魔術も例外ではない。
今この時はセレナの前に生半可な魔術や剣術は通用しない。
「く……っ」
慌てて距離を取るユリアだが、セレナが待つはずもない。
大地を足裏で叩き、ユリアの超加速に似た速さでセレナはユリアに突っ込む。
……これは、無理っ。
剣を犠牲にする覚悟でユリアは剣を盾代わりに使う。セレナもそんなこと関係なしに剣を振り下ろし、剣身を切り裂いた。
「ぐッ!」
その衝撃を利用して、ユリアはセレナからさらに距離を取る。剣を失った事に少しの辛さを感じつつ、ユリアは静かにセレナの動作を見据えた。
確かにセレナの攻撃は【顕現武装】で凄まじいものとなった。だがそれは結果としての話であり、セレナ自身はまだ【顕現武装】を上手く使いこなせていない風にユリアには見えた。
扱いが難しい魔術なのか、それともセレナ自身が扱いに苦しんでいるのかは分からない。
だが今も尚、全身から溢れ出ている魔力の本流を見る限り、使用時間もかなり限られているはず。
……逃げるが勝ち。
まさにその通りだ。この瞬間ユリアは攻める事よりも回避に重点を置くことを決断した。
「考えタイムは終わったかしら?」
ユリアの次手があるまで待機しようと強者の余裕を見せるセレナは、溢れる魔力を可能な限り剣身へと集約させる。おそらく剣に触れれば、劣化するとか言う理屈よりも早く、無に帰ってしまうだろう。
「行くわよ!」
再び大地を足裏で叩き、一瞬でユリアに詰め寄る。だがユリアもその行動は読めていた。セレナがユリアの懐にたどり着くと同時に、ユリアはセレナのいた方向へと逃げる。
攻撃について考えず、回避と防御にのみ意識を集中させる事を選んだユリアは、予想以上に集中力を消費せずに戦い続けることが可能となった。
この時、ユリアの集中力持続残り時間は僅か五分に対して、セレナの【顕現武装】持続時間は僅か四分。
この事実を知る者はアランだけだった。
◆◆◆
一方その頃、帝都内のとある小道にて。
商業区からやや離れたこの区域には工業団体が密集しており、隠れるにはもってこいの場所だった。
「なーんか、向こうの方がやけに騒がしいんだけど……。なぁ、そこの旦那。どういう訳か分かる?」
オンボロのローブを身に纏った齢二十ほどの青年が、近くの家屋に背を預ける白髪交じりの茶髪の初老に話しかける。
初老は目を閉じ長剣を胸元で抱えた状態で、静かに応じた。
「おそらく例の魔剣祭などというお遊戯であろう。それ以外は知らん」
「へー。やっぱりこの国の愚民達は、五年しか経っていないというのに平和ボケしてるねー。お腹抱えて笑っちゃうほど、哀れだよ。君もそう思うでしょう、ググラッド?」
青年は誰もいない家屋の影に向かって話しかける。すると、腹の底まで響きそうな声音が伝わってきた。
『如何にも。死が常に隣り合わせだという事実から、彼奴らは目を逸らし生きている。もはや同情の余地すら無し』
ふーん、と青年は影に目をくれず空を見上げる。
「……そういえば、彼らの計画は順調かい?」
『無論。先日も置き手紙があったが、計画は滞りなく進んでいるとの事だ』
「そうかい。なら僕達の仕事はもうすぐだね」
クックックッと笑う青年に対して、茶髪の初老は薄く微笑み、影は静かにその存在を消してゆく。
行動開始まであと一日。
テロ行為が平穏な世の中に幕を開こうとしていた。
◆◆◆
……当たらないッ!
【顕現武装】の三つ目の能力、同属性魔術の無詠唱発動についてはユリアもかなり驚いていた。
魔術師は相手の魔術詠唱を聞いて次の魔術を予測し、対抗魔術を放ったり回避をしたりするのだが、【顕現武装】はそんな戦闘法とは大きく異なり、詠唱という概念が存在しない。霊格そのものが昇華されたことによる恩恵の一つだ。
これによってセレナは火属性の魔術を詠唱無しで発動出来るようになった。
だがそれもユリアには関係ない。
たとえセレナからどんな魔術が放たれようとも、歯向かうのではなく、立ち向かうのではなくただ避けて逃げる。
火の矢の大群や熱風の塊が押し寄せて来ても、炎の檻に閉じ込められても、獣の形をした火の精霊に襲われてもユリアは冷静に観察をして、全てを上手くいなす。
これが経験の差。セレナに強く思い知らされる事実だ。
だが同時に、ユリアが反撃をする機会が無い事もまた事実だ。
ならば迷う意味はない。
……火力で攻め続けるだけ!
瞬時にセレナは【五属の矢】を発動。百の火の矢が逃げ回るユリアに定めて射出される。
一撃ずつが通常の倍の威力を誇り、ユリアに当たらず地面に当たるたびに大きな土煙を巻き上げて、二人の視界を阻む。
……今なら。
セレナは空かさずアラン特製の魔石で魔力を補充して、【顕現武装】を維持しながら活性化したその目で土煙の向こうを睨む。
実のところ、セレナのこの【顕現武装】はとても不完全で、常に魔力を全開放出している。今は通常状態と顕現状態の二つにしか切り替えられないので、一度元に戻ってしまうと再び詠唱をしなければならなくなる。
詠唱に必要なのは約十秒と戦闘時には短いとは言い難い時間だ。最初は見守っていてくれたユリアも、今度ばかりは許してくれないだろう。
……こんな時、アイツならどうするかしら。
ふと戦闘の合間に、アランの事を考えてしまう。アランなら魔術が当たらないならどうするだろうとか、この土煙で相手がよく見えない時どうするだろうとか。
この二週間で最も触れ合ったのがアランなせいか、ユリアの攻撃を防ぐたびに、ユリアに向けて魔術や剣撃を仕掛けるたびに思ってしまう。
やっぱりこの子はアランが好きなのだな、と。
ユリアの動きの所々にアランの面影がある。回避行動直後の剣の構え方にもアランの姿がうっすらと見える。
彼女はアランのことを心の底から信頼しているのだ。たとえ五年も合わなかったとしても、彼女にとってのアランは何も変わらず彼女の心の中で生きていたのだろう。
と、その時。
「《遥か空に漂う万象の天秤よ、其は我が命の儘に、重圧を得たる左手を傾けよ》ッ!」
「く……っ」
セレナはバックステップで後退すると、先ほどまでセレナがいた位置に重圧が降りかかった。重力操作魔術【グラビトン】だ。
範囲に比例して大量の魔力を消費するため、かなり範囲が絞られていたとはいえ【グラビトン】はかなり危険だ。なにせ「数倍の重力を発生させる」ではなく、「対象が身動き出来ない程度に重力を発生させる」なのだから拘束されると考えてもいい。
立て続けに降りかかる重力攻撃に対してセレナは回避をしつつも【五属の風】を発動。凝縮された熱風がユリアに向けて放たれる。
「ふッ!」
しかしその熱風を折れた剣で無理やり拡散させて防ぎ、絶やすことなくセレナに向けて【グラビトン】を発動し続けた。
……しつこい!
ならばと言うようにセレナは大地を踏みしめ、足のバネを活かして駆けた。わずか一秒でユリアとの距離を詰めたセレナは、剣ではなく拳でユリアの鳩尾を突く。
ドン!   という激しい音と共にユリアは吹っ飛ぶ。苦悶に顔を歪めながらもユリアは空中で姿勢を整え、
「《水の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討つ、悪人たる其の数は千》ッ!」
詠唱によって現れた矢の形をした千もの氷の塊が、セレナに向かって降り注ぐ。
驚愕するが、しかしセレナは避けない。なにせ【顕現武装】の効果によって、あらゆる物がセレナに触れると同時に朽ち果てるのだから。
矢に気を配ることなくユリアの着地点へと駆けるセレナ。途中で浴びる氷の矢は全て水に変わって蒸気へと変わる。
……これで最後よ!
魔力を剣に込めて、防御すら無視した一撃必勝の攻撃を叩き込もうと地面を蹴る。
だが、その時がやって来た。
ガラスが割れるように全身の威圧感が失せ、躑躅色の髪が毛先からブロンドに戻り始める。
「えっ」
唐突に襲いかかる脱力感と、超速戦闘の反動で骨と筋肉の痛みが全身を蝕む。魔力も底を尽きかけており、ほんの数メートル先にいるユリアがボヤけて見えた。
膝から崩れ落ちるセレナ。悪魔に取り憑かれた様に全身から力が抜け始め、剣を持つ力すら全身に入らない。
「あと……もう、少し……なの、に……」
最悪のタイミングで起きてしまった。
ついに【顕現武装】の限界時間がやって来た。
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