英雄殺しの魔術騎士
第18話「顕現武装(フェルサ・アルマ)」
試合開始から十分もの時間が経過。
当初は拮抗していたと思われたこの戦いも、次第に緩やかに変化が生まれる。
「く……っ」
今までの五試合と全く異なる、近接戦での超高速戦闘。それは予想以上にセレナの精神力を蝕んでいた。
……なんで。
そんな心の隙間を狙うかのように、ユリアの鋭い一撃がセレナの背後を襲う。
……なんでなの。
辛くもそれを弾くも、今度はセレナの脇腹を狙って回し蹴りがやってくる。
……なんで、こんなにも。
「がはぁ……っ!?」
回避と防御に間に合わなかったセレナは、抗うことなく吹っ飛び、地面に二、三度と打ち付けられながら、身を起き上がらせる。
……なんでこんなにも、衰えないの!?
口から溢れる血の味を感じながら、セレナは苦々しく思う。
ユリアが試合開始直後から行い続けている超高速戦闘。そろそろ衰えが見えても良いはずなのに、速さは増す一方だ。
ユリアの顔色も一切変わらない。平然としており、戦闘経験が少ないセレナには真意が全く読めない。
もし、もしもの話だ。このままユリアがあと十分以上も闘い続けることが可能だとして、セレナに勝ち目はあるのだろうか。
攻撃の比率から考えるとセレナが三に対して、ユリアが七といった割合だろうか。消耗戦に持ち込むようにこの状態が続けば、間違いなく負けるだろう。
……使うべきなのかしら。
切り札は取っておく。アランと約束した事が今になって足枷のように感じる。
だが使えばこの現状を軽く打破出来る。その自信だけは確固としてあった。だが使い所を間違えると、確実に負けることも否めない。
使うか、使わないか。大きな選択がセレナに迫った瞬間だった。
◆
……セレナ、思った以上にしつこい。
以前なら死角から数度の斬撃を加えていたら地に伏し、負けていたセレナ。だが安定した魔力による身体強化が反射神経と合わせ混ざって、異常なまでの回避と防御能力を発揮している。
ユリアは自身の持つ剣を確かめる。
この剣はアランが昔から戦場で使っていた、古代武具にさえ匹敵するほどの武器だ。性能は以前アランに聞いていたから知っている。
……身体強化の限界を超える。単純に聞いていたけど、これは辛い。
通常の数倍の膂力を得られるのと代償に、身体には数倍の負荷がかかる。いくら身体を鍛えようと、骨が軋み、筋肉が悲鳴を訴える事には変わりは無いようだ。
この配分で戦い続ければ、保ってあと十分といった所だろうか。セレナには平然そうに顔を見せてはいるが、既に肉体的にはボロボロで、集中力を切ったら今にも倒れそうだ。
だが。
……アルにぃ、やっぱり凄い。
彼女の心は折れない。五年ぶりに再会した義兄は、自分の予想していた以上に弱体化していた。
だがそれは違う。アランは決して弱くはなっていなかった。事実、親友のセレナをたったの二週間ほどでここまで強くしてしまったのだ。あれからも何も変わっていないのだ。
それにかつてのアランは、こんな諸刃の剣を平然と振るって戦場を駆け巡っていたと考えると、ますます負ける気がしない。自分だってやってやると、やる気が溢れ出る。
……けど。
あくまでそれは精神論。ユリアもよく分かっているし、アランにもそういう楽観的な考えは良くないと、昔から指摘され続けてきた。
「ユリア」
すると突然、セレナが話かけてきた。警戒しつつもユリアはセレナの方に視線を送る。
「……どうしたの?」
目の色を窺う限りでは、どうやら降参するわけでは無いらしい。むしろ強い闘志が滲み出ていた。
「私ね。少し考えてみたんだけど、ユリアの性格からして辛い事も隠す癖があるわよね」
……見抜かれた!?
心は激しく動揺するが、ユリアは平然とした顔付きを崩さない。アラン顔負けの毅然とした態度を作る。
「……それがどうしたの?」
戦場での会話など御法度だと二人は知っている。
だが考えを喋らずにはいられない。
可能性を語らずにはいられない。
真実を探らずにはいられない。
弱点を暴かずにはいられない。
ほんの数分の休憩時間を与えられたかのように、二人は距離を取って穏やかに話し合う。
「いや、そういう所は義兄妹だとはいえ、アイツにそっくりなのね」
「それは褒め言葉?」
「そう取ってもらって結構よ」
さて、とセレナは一呼吸して話を再開する。
「……でもそのおかげで貴女の考えている事は何となくわかる。その超高速戦闘にも限界があるってね」
「……やっぱり見抜かれてたんだ」
「そりゃあ、親友ですもの」
実際の所は仮定でしかなかったが、正解だったのなら良しとしよう。セレナは胸中でそう判断する。
ユリアもわざと隠さず伝える事で、セレナの集中力を削ぐつもりだったが、それは無駄に終わりそうだ。セレナは全く、いや実際は少しは動じているのだろうが、見た目的には動じていない。
……でも、関係ない。
集中力が削れなくとも、あと十分もこっちは戦える。対して向こうはどうだ。
術符は十枚以上も使い、超高速戦闘に耐えるために魔力による身体強化も極限まで使用している。たとえ四回戦の時に使ったあの宝石があろうとも、ユリアには勝つ確証があった。
けど。
けれども。
……なんで折れない!
勝率はほぼゼロで、逆転の要素なんて全くない。
なのにセレナはいつも様に微笑んでいる。そう、「いつもの様に」だ。
気に食わない。そしてそれ以上に恐ろしい。
親友に向けるべきでない言葉を、ユリアは胸中で幾つも浮かべる。
「私の事が怖い?」
そんなユリアの心を見抜くように、再びセレナは話しかけてくる。
「うん、怖いよ。とっても」
そしてユリアも隠すつもりはない。二人は互いの顔を見てふふふと笑い、心理戦を繰り返す。
だが遂に、セレナが動いた。
「ねぇ、ユリア。もし私がまだ貴女に勝てると確信しているとしたら、貴女はどうする?」
そんな挑発的な発言に対してユリアは冷静に言う。
「もちろん切るよ」
迷う事なくそう言った。だがセレナもそう、とだけ返す。
「ならむしろ好都合だわ。ユリア、貴女に見せるこの魔術は決して学院生の中で知る者はいない魔術よ。覚悟はいい?」
その言葉を合図にセレナは全身の魔力を手のひらに集中させる。身体強化も止めて、空間が歪んで見えるほどの高魔力領域を作り出す。
そして、詠唱を始めた。
「《炎獅子よ、我は永久より在らしめる聖火の霊王ーー」
……本当に、知らない魔術だ。
こんな詠唱は聞いた事が無い。セレナほどでは無いとはいえ、それなりに多くの魔術を知り得ているユリアでもこの魔術詠唱に見覚えはなかった。
ならばこの魔術は間違いなく固有魔術。そう考えたユリアだが、身体は動かなかった。
見てみたい。その魔術がどのような物なのかを、はっきりとこの目で見てみたいと思ってしまう。
そして身動きしないユリアを見て、セレナはニッと笑い詠唱を続けた。
◆◆◆
前日のこと。
「……【顕現武装】?   なによ、そのヘンテコな魔術名は?」
「悪かったな、ヘンテコで……」
項垂れるアラン。アランの説明を聞く限りでは、それほど不可能では無いと考えられる魔術だ。だが、
「自分自身が魔術そのものになるって……そんな事をしても身体は大丈夫なの?」
そう、アランの考案した魔術。それは肉体の情報を統制するとされている通称「心の紙片」に、自身が組み上げた固有魔術の魔術方陣を介入させ、体組織そのものを魔術に変えてしまおうという、とても危険な魔術だった。
「まあ、これを最初に考えたヤツの理論から推測すれば、はっきり言って大丈夫じゃあ無いな」
「という事は、アンタがこの魔術の理論を作ったわけじゃあ無いのね?」
確認するようにセレナは問いかける。
「当たり前だ。俺はこんな諸刃の剣みたいな魔術を考えるような馬鹿じゃねえよ」
「……その諸刃の剣を今から伝授しようとしてるのは、どこの誰かしら?」
「……そーでしたね」
一呼吸。
「と、ともかくだな。この【顕現武装】っていう魔術は異常なまでに強力だ。……だが代償として身体的に大きな負荷がかかるし、なにより他の魔術に比べて魔力の消費が尋常じゃあ無い。教える前にこれだけは知っておいて欲しい」
「……でもそんな魔術、魔剣祭の規則に違反しないのかしら?   殺傷性の高いの魔術は使用不可なのよ?」
この規則も去年から取り付けられたものだ。ゆえに魔剣祭が学院生徒枠と帝国騎士枠で分割されていた事を知らないアランは、この新規則を知らないはずだ。
だがアランはフッと笑みを浮かべて言った。
「心配するな。それってつまり、『魔術研究者協会の公認を受けた魔術の中で殺傷性の高い魔術は駄目だ』って事だろう?」
それはつまり。
「その魔術は誰も知らないって言うの……?」
「正確には俺の勤めていた第一騎士団の戦線部隊以外は知らない、だな。まあそのほぼ全員がここにいないと考えると、誰も知らないっていう考え方も正しいが」
なんにせよ、今からアランが伝える魔術に関して、それはほぼアランの固有魔術であり、かつ知っている者はごく限られた人物だけだとなる。
それはまさに、
「まさに、切り札って言うわけね……」
使えばからなず勝利をもたらす。ただし使いどころを間違えれば、二度と使うことは出来ず敗北だけが残ってしまう。そういう魔術だ。
だが自然と恐ろしいとは思わなかった。アランはまだ何かを隠している、と確信を得ていても、それでも平気だと思える何かをセレナは既に持っていた。
だからセレナは拒否をしない。
「良いわ、その【顕現武装】とやらを早く完成させましょう」
自ら望むように事を進める。無茶なんて最初から承知の上だし、大きな力に代償は付き物だ。その覚悟を身に感じたアランは、すぅと息を吸って手順を進めた。
「ならまずは、使う属性を選べ」
「……属性?」
セレナの疑問にアランは素早く答える。
「【顕現武装】は【五属の矢】や【五属の風】みたいに、好きに属性を分けて使う事が出来る。だからまずは自分の得意な属性、セレナなら火属性だな。それから始めるとしよう」
結局アンタが選んでいるじゃない、とセレナは突っ込みを入れたかったが、敢えてここは耐える。
「次に詠唱だ。だがこの魔術は固有魔術だから、あらかじめ用意された現代の魔術とは全く異なり、一から術式を組み上げなきゃならん」
固有魔術は一流の魔術師の中でも、卓越した魔術理論と第一神聖語の理解を得ていないと作り上げる事は出来ない。
それほど難しいことはセレナも知っている。だから時間を惜しんでいるのだ。
「でもそんな簡単に詠唱が作れる訳じゃあないのでしょう?   どうすれば……」
「そんなもん案外簡単だ。いいか?   まずは目を閉じて、心の中で火を思い浮かべろ」
アランに言われるがままに、セレナは瞼を閉じて網膜の裏で火を思い浮かべた。
そして。
「今から少し痛い思いをするが、決して目を開けるなよ?」
「え、ちょ、痛い思いって……いったい何をーー」
セレナの疑問は虚しく刹那、腹部に重い一撃が入ったのを感じた。これは拳、アランの拳だ。
「がっはぁ……っ」
喉奥から空気が漏れ出て、思わず目を開けそうになるがそれを必死に耐えた。痛い、とてつもなく痛い。だがそれと同時に奇妙な現象に苛まれる。
……あれ、意識が。
深くに沈んでゆく意識。閉じられた網膜の裏では火が燃えている。
火が燃えている。
やさしく燃えている。
燃えて、燃えて、ゆらゆらと燃えて。
火がーーーーーーーーーーーーー語りかける。
◆
……ここは?
そこがどこかはセレナも知らない。ただ目が覚めたらここに存在して、ここにしか存在出来ないだけだった。
辺りは暗闇で、目の前すらちゃんと見えているのか定かではない。
暗闇。心細くなる闇、心が蝕まれる闇、孤独を感じる闇、何もかもが壊れてしまった闇。これは虚無の闇だ。凍えるような寒さを身に感じながら、セレナは即座に判断した。
しかし、次の瞬間。
……火が。
セレナが点けたわけではない。セレナが望んだわけでもない。まるで最初からそこにあったかのように、火はゆっくりと現れて、そして両端を灯した一本の道を作る。
……こっちに来いってことかしら?
その疑問に返事を返す者はいない。だからセレナは黙ってその道を進んだ。歩いて歩いて歩き続けた。闇の中では歩いた事すら定かではないが、それでもセレナは黙って歩き続けた。
凍てついた身体を温めるように、火は優しくセレナを励ます。まるで意思を持つかのように火は進むべき方角に傾き、静かに道を示してくれた。
時間にして一時間ほどだろうか。太陽も存在しないこの世界では、経過した時間など分かりもしないのだが、それでもそのくらいだとセレナは思った。
果てのない道を歩き続けるのかと思ったセレナの前に現れたのは、
……女性?
そう、一人の女性だった。
その身には色香溢れる艶やかな、薄い薄い桃色の外套を纏い、その柔らかそうな乳房と性欲を掻き乱す恥部をギリギリの位置で隠している。
女性は齢三十弱といったところだろうか。一言も話していないはずなのに、女性からは母性が溢れていた。
……貴女は?
セレナは問う。だが女性は答えず、にっこりと笑ってセレナに歩み寄る。
敵意はない、害意もない。女性から感じるのは慈愛の意だけ。
セレナは動かなかった。前進も後退もせず、ただ女性が歩んで来るのは黙って見続けた。
そして女性はセレナの眼前に立つ。優しい眼差しでセレナを見つめる。
そして。
……私は貴女。貴女の心です。
どこかで聞いた声で、女性は語りかけてきた。その声に自然とセレナはサファイアブルーの瞳に涙を滲ませる。
……貴女がここに来たということは、貴女は私を欲している。そういう訳ですね?
女性の問いにセレナは静かに頷いた。
……そうですか。ならば私は貴女に力を貸しましょう。私は貴女の心、ゆえに貴女が欲するなら与える義務があるのですから。
女性はそういうと手のひらから、小さな火の玉を顕現させる。赤と橙の混じった、とても鮮やかな火だ。
……これは貴女の力の紙片。しかし全てを望んではいけません。貴女はまだ未熟、ゆえにこれが今の限界と言えましょう。
その火は女性からセレナへと手渡される。そして刹那、女性はセレナを抱きしめた。
まるで愛しい子供を抱くかのように、女性は持てる優しさを以てセレナを愛しく抱きしめた。
……出来れば二度とここに来ない方が良いでしょう。それは諸刃の剣すらを超える、ただの呪い。使い続ければ身を病み、いづれは闇へと堕ちてしまう。
女性の言っていることが理解出来ない。いや、理解は出来るが何故そんなことを言うのかが理解出来なかった。
女性は抱擁を外す。すると身は引っ張られるかのように女性からは離れて行く。悲しそうな顔を浮かべる女性から離れて行く。
……待って、貴女の名前は?!
恐るべき速さで離れて行く最中、セレナは女性に対して名を問いかける。だが女性は首を横に振った。
……貴女には言えない、教えられないのです。だから早く戻りなさい。愛しい私のーーーーーー
◆
「……お、やっと起きたか」
時間にしてわずか五分。深層意識に潜っていたセレナがようやく戻って来た。
「どうだ?   初めての深層意識の世界は。思ったよりも謎だらけの世界だったろう……って、セレナ。なんで泣いているんだ?」
「……っ、何でもないわよ」
「……そうか。なら良いんだが」
間違いなく何かあった。そう判断できたアランだが、なにせ深層意識の世界での話だ。他人の心を覗き見る行為は人間としてあり得ない行為。ゆえにアランはそれ以上は割り込まないようにした。
さて、と二人は一息。
「これでようやく、お前は【顕現武装】を使うための術式を手に入れたわけだが。今の気分はどうだ?」
「そうね。はっきり言って、お腹が痛いわ。どこかの誰かが思い切り殴った所為かしら」
「へいへい、悪かったな。けど深層意識に潜り込ませるには気絶が一番手っ取り早いんだよ。意識的に潜れる奴なんて、そうそういねぇんだからな」
意識的に深層意識に潜ることが可能となれば、それはすなわち好き放題に固有魔術が作れるような偉人となれる。
アランだって他者の理論から基づいて新たな魔術を作るのが精一杯だというのに、セレナがほいほいと簡単に出来てしまうと、アランとしても色々と困るのだ。
まあつまり、何が言いたいのかというと。
俺のプライドが許さん!   ということ。
ただの意地っ張りというわけだ。
「面倒くさい人……」
はぁ、とため息を漏らしてセレナは試しに手のひらへと魔力を集める。すると手の甲に小さな印が浮かび上がった。
「これは……」
「それが【顕現武装】の証だ。深層意識内で何かに貰ったんだろう?   まあ、貰えなかったら相性最悪だって事なんだが、貰えた事にはおおいに結構だ」
印は炎に身を包んだ蝶のような物。大きさは手のひらの面積の半分を占めるくらいで、魔力を集中させなければ見えないのだという。
……綺麗。
今まで見た事が無かったその印に、セレナは興味が惹かれる。
「ねぇ、これどうやって使うの?」
「単純だ。その印が見える状態のまま、詠唱するだけ。術式は頭の中に入っているから、今にでも使えるだろう。なんならほら、今からでも使ってみな」
「ほらって、アンタね……」
そんなほいほいと出来るものじゃあないでしょう。と言いかけたところで、ふと脳裏に言葉が浮かんだ。求めるものが唐突に現れたように、その言葉は口を無意識に動かす。
「《炎獅子よ、我は永久より在らしめる聖火の霊王なり。この身この腕は万象一切を灰塵に変え、人類の暦に終止符を唄う。我は終末より生まれし赤き聖女なり》」
これが、セレナの【顕現武装】ーー血華の炎巫女が初めて発現した瞬間だった。
当初は拮抗していたと思われたこの戦いも、次第に緩やかに変化が生まれる。
「く……っ」
今までの五試合と全く異なる、近接戦での超高速戦闘。それは予想以上にセレナの精神力を蝕んでいた。
……なんで。
そんな心の隙間を狙うかのように、ユリアの鋭い一撃がセレナの背後を襲う。
……なんでなの。
辛くもそれを弾くも、今度はセレナの脇腹を狙って回し蹴りがやってくる。
……なんで、こんなにも。
「がはぁ……っ!?」
回避と防御に間に合わなかったセレナは、抗うことなく吹っ飛び、地面に二、三度と打ち付けられながら、身を起き上がらせる。
……なんでこんなにも、衰えないの!?
口から溢れる血の味を感じながら、セレナは苦々しく思う。
ユリアが試合開始直後から行い続けている超高速戦闘。そろそろ衰えが見えても良いはずなのに、速さは増す一方だ。
ユリアの顔色も一切変わらない。平然としており、戦闘経験が少ないセレナには真意が全く読めない。
もし、もしもの話だ。このままユリアがあと十分以上も闘い続けることが可能だとして、セレナに勝ち目はあるのだろうか。
攻撃の比率から考えるとセレナが三に対して、ユリアが七といった割合だろうか。消耗戦に持ち込むようにこの状態が続けば、間違いなく負けるだろう。
……使うべきなのかしら。
切り札は取っておく。アランと約束した事が今になって足枷のように感じる。
だが使えばこの現状を軽く打破出来る。その自信だけは確固としてあった。だが使い所を間違えると、確実に負けることも否めない。
使うか、使わないか。大きな選択がセレナに迫った瞬間だった。
◆
……セレナ、思った以上にしつこい。
以前なら死角から数度の斬撃を加えていたら地に伏し、負けていたセレナ。だが安定した魔力による身体強化が反射神経と合わせ混ざって、異常なまでの回避と防御能力を発揮している。
ユリアは自身の持つ剣を確かめる。
この剣はアランが昔から戦場で使っていた、古代武具にさえ匹敵するほどの武器だ。性能は以前アランに聞いていたから知っている。
……身体強化の限界を超える。単純に聞いていたけど、これは辛い。
通常の数倍の膂力を得られるのと代償に、身体には数倍の負荷がかかる。いくら身体を鍛えようと、骨が軋み、筋肉が悲鳴を訴える事には変わりは無いようだ。
この配分で戦い続ければ、保ってあと十分といった所だろうか。セレナには平然そうに顔を見せてはいるが、既に肉体的にはボロボロで、集中力を切ったら今にも倒れそうだ。
だが。
……アルにぃ、やっぱり凄い。
彼女の心は折れない。五年ぶりに再会した義兄は、自分の予想していた以上に弱体化していた。
だがそれは違う。アランは決して弱くはなっていなかった。事実、親友のセレナをたったの二週間ほどでここまで強くしてしまったのだ。あれからも何も変わっていないのだ。
それにかつてのアランは、こんな諸刃の剣を平然と振るって戦場を駆け巡っていたと考えると、ますます負ける気がしない。自分だってやってやると、やる気が溢れ出る。
……けど。
あくまでそれは精神論。ユリアもよく分かっているし、アランにもそういう楽観的な考えは良くないと、昔から指摘され続けてきた。
「ユリア」
すると突然、セレナが話かけてきた。警戒しつつもユリアはセレナの方に視線を送る。
「……どうしたの?」
目の色を窺う限りでは、どうやら降参するわけでは無いらしい。むしろ強い闘志が滲み出ていた。
「私ね。少し考えてみたんだけど、ユリアの性格からして辛い事も隠す癖があるわよね」
……見抜かれた!?
心は激しく動揺するが、ユリアは平然とした顔付きを崩さない。アラン顔負けの毅然とした態度を作る。
「……それがどうしたの?」
戦場での会話など御法度だと二人は知っている。
だが考えを喋らずにはいられない。
可能性を語らずにはいられない。
真実を探らずにはいられない。
弱点を暴かずにはいられない。
ほんの数分の休憩時間を与えられたかのように、二人は距離を取って穏やかに話し合う。
「いや、そういう所は義兄妹だとはいえ、アイツにそっくりなのね」
「それは褒め言葉?」
「そう取ってもらって結構よ」
さて、とセレナは一呼吸して話を再開する。
「……でもそのおかげで貴女の考えている事は何となくわかる。その超高速戦闘にも限界があるってね」
「……やっぱり見抜かれてたんだ」
「そりゃあ、親友ですもの」
実際の所は仮定でしかなかったが、正解だったのなら良しとしよう。セレナは胸中でそう判断する。
ユリアもわざと隠さず伝える事で、セレナの集中力を削ぐつもりだったが、それは無駄に終わりそうだ。セレナは全く、いや実際は少しは動じているのだろうが、見た目的には動じていない。
……でも、関係ない。
集中力が削れなくとも、あと十分もこっちは戦える。対して向こうはどうだ。
術符は十枚以上も使い、超高速戦闘に耐えるために魔力による身体強化も極限まで使用している。たとえ四回戦の時に使ったあの宝石があろうとも、ユリアには勝つ確証があった。
けど。
けれども。
……なんで折れない!
勝率はほぼゼロで、逆転の要素なんて全くない。
なのにセレナはいつも様に微笑んでいる。そう、「いつもの様に」だ。
気に食わない。そしてそれ以上に恐ろしい。
親友に向けるべきでない言葉を、ユリアは胸中で幾つも浮かべる。
「私の事が怖い?」
そんなユリアの心を見抜くように、再びセレナは話しかけてくる。
「うん、怖いよ。とっても」
そしてユリアも隠すつもりはない。二人は互いの顔を見てふふふと笑い、心理戦を繰り返す。
だが遂に、セレナが動いた。
「ねぇ、ユリア。もし私がまだ貴女に勝てると確信しているとしたら、貴女はどうする?」
そんな挑発的な発言に対してユリアは冷静に言う。
「もちろん切るよ」
迷う事なくそう言った。だがセレナもそう、とだけ返す。
「ならむしろ好都合だわ。ユリア、貴女に見せるこの魔術は決して学院生の中で知る者はいない魔術よ。覚悟はいい?」
その言葉を合図にセレナは全身の魔力を手のひらに集中させる。身体強化も止めて、空間が歪んで見えるほどの高魔力領域を作り出す。
そして、詠唱を始めた。
「《炎獅子よ、我は永久より在らしめる聖火の霊王ーー」
……本当に、知らない魔術だ。
こんな詠唱は聞いた事が無い。セレナほどでは無いとはいえ、それなりに多くの魔術を知り得ているユリアでもこの魔術詠唱に見覚えはなかった。
ならばこの魔術は間違いなく固有魔術。そう考えたユリアだが、身体は動かなかった。
見てみたい。その魔術がどのような物なのかを、はっきりとこの目で見てみたいと思ってしまう。
そして身動きしないユリアを見て、セレナはニッと笑い詠唱を続けた。
◆◆◆
前日のこと。
「……【顕現武装】?   なによ、そのヘンテコな魔術名は?」
「悪かったな、ヘンテコで……」
項垂れるアラン。アランの説明を聞く限りでは、それほど不可能では無いと考えられる魔術だ。だが、
「自分自身が魔術そのものになるって……そんな事をしても身体は大丈夫なの?」
そう、アランの考案した魔術。それは肉体の情報を統制するとされている通称「心の紙片」に、自身が組み上げた固有魔術の魔術方陣を介入させ、体組織そのものを魔術に変えてしまおうという、とても危険な魔術だった。
「まあ、これを最初に考えたヤツの理論から推測すれば、はっきり言って大丈夫じゃあ無いな」
「という事は、アンタがこの魔術の理論を作ったわけじゃあ無いのね?」
確認するようにセレナは問いかける。
「当たり前だ。俺はこんな諸刃の剣みたいな魔術を考えるような馬鹿じゃねえよ」
「……その諸刃の剣を今から伝授しようとしてるのは、どこの誰かしら?」
「……そーでしたね」
一呼吸。
「と、ともかくだな。この【顕現武装】っていう魔術は異常なまでに強力だ。……だが代償として身体的に大きな負荷がかかるし、なにより他の魔術に比べて魔力の消費が尋常じゃあ無い。教える前にこれだけは知っておいて欲しい」
「……でもそんな魔術、魔剣祭の規則に違反しないのかしら?   殺傷性の高いの魔術は使用不可なのよ?」
この規則も去年から取り付けられたものだ。ゆえに魔剣祭が学院生徒枠と帝国騎士枠で分割されていた事を知らないアランは、この新規則を知らないはずだ。
だがアランはフッと笑みを浮かべて言った。
「心配するな。それってつまり、『魔術研究者協会の公認を受けた魔術の中で殺傷性の高い魔術は駄目だ』って事だろう?」
それはつまり。
「その魔術は誰も知らないって言うの……?」
「正確には俺の勤めていた第一騎士団の戦線部隊以外は知らない、だな。まあそのほぼ全員がここにいないと考えると、誰も知らないっていう考え方も正しいが」
なんにせよ、今からアランが伝える魔術に関して、それはほぼアランの固有魔術であり、かつ知っている者はごく限られた人物だけだとなる。
それはまさに、
「まさに、切り札って言うわけね……」
使えばからなず勝利をもたらす。ただし使いどころを間違えれば、二度と使うことは出来ず敗北だけが残ってしまう。そういう魔術だ。
だが自然と恐ろしいとは思わなかった。アランはまだ何かを隠している、と確信を得ていても、それでも平気だと思える何かをセレナは既に持っていた。
だからセレナは拒否をしない。
「良いわ、その【顕現武装】とやらを早く完成させましょう」
自ら望むように事を進める。無茶なんて最初から承知の上だし、大きな力に代償は付き物だ。その覚悟を身に感じたアランは、すぅと息を吸って手順を進めた。
「ならまずは、使う属性を選べ」
「……属性?」
セレナの疑問にアランは素早く答える。
「【顕現武装】は【五属の矢】や【五属の風】みたいに、好きに属性を分けて使う事が出来る。だからまずは自分の得意な属性、セレナなら火属性だな。それから始めるとしよう」
結局アンタが選んでいるじゃない、とセレナは突っ込みを入れたかったが、敢えてここは耐える。
「次に詠唱だ。だがこの魔術は固有魔術だから、あらかじめ用意された現代の魔術とは全く異なり、一から術式を組み上げなきゃならん」
固有魔術は一流の魔術師の中でも、卓越した魔術理論と第一神聖語の理解を得ていないと作り上げる事は出来ない。
それほど難しいことはセレナも知っている。だから時間を惜しんでいるのだ。
「でもそんな簡単に詠唱が作れる訳じゃあないのでしょう?   どうすれば……」
「そんなもん案外簡単だ。いいか?   まずは目を閉じて、心の中で火を思い浮かべろ」
アランに言われるがままに、セレナは瞼を閉じて網膜の裏で火を思い浮かべた。
そして。
「今から少し痛い思いをするが、決して目を開けるなよ?」
「え、ちょ、痛い思いって……いったい何をーー」
セレナの疑問は虚しく刹那、腹部に重い一撃が入ったのを感じた。これは拳、アランの拳だ。
「がっはぁ……っ」
喉奥から空気が漏れ出て、思わず目を開けそうになるがそれを必死に耐えた。痛い、とてつもなく痛い。だがそれと同時に奇妙な現象に苛まれる。
……あれ、意識が。
深くに沈んでゆく意識。閉じられた網膜の裏では火が燃えている。
火が燃えている。
やさしく燃えている。
燃えて、燃えて、ゆらゆらと燃えて。
火がーーーーーーーーーーーーー語りかける。
◆
……ここは?
そこがどこかはセレナも知らない。ただ目が覚めたらここに存在して、ここにしか存在出来ないだけだった。
辺りは暗闇で、目の前すらちゃんと見えているのか定かではない。
暗闇。心細くなる闇、心が蝕まれる闇、孤独を感じる闇、何もかもが壊れてしまった闇。これは虚無の闇だ。凍えるような寒さを身に感じながら、セレナは即座に判断した。
しかし、次の瞬間。
……火が。
セレナが点けたわけではない。セレナが望んだわけでもない。まるで最初からそこにあったかのように、火はゆっくりと現れて、そして両端を灯した一本の道を作る。
……こっちに来いってことかしら?
その疑問に返事を返す者はいない。だからセレナは黙ってその道を進んだ。歩いて歩いて歩き続けた。闇の中では歩いた事すら定かではないが、それでもセレナは黙って歩き続けた。
凍てついた身体を温めるように、火は優しくセレナを励ます。まるで意思を持つかのように火は進むべき方角に傾き、静かに道を示してくれた。
時間にして一時間ほどだろうか。太陽も存在しないこの世界では、経過した時間など分かりもしないのだが、それでもそのくらいだとセレナは思った。
果てのない道を歩き続けるのかと思ったセレナの前に現れたのは、
……女性?
そう、一人の女性だった。
その身には色香溢れる艶やかな、薄い薄い桃色の外套を纏い、その柔らかそうな乳房と性欲を掻き乱す恥部をギリギリの位置で隠している。
女性は齢三十弱といったところだろうか。一言も話していないはずなのに、女性からは母性が溢れていた。
……貴女は?
セレナは問う。だが女性は答えず、にっこりと笑ってセレナに歩み寄る。
敵意はない、害意もない。女性から感じるのは慈愛の意だけ。
セレナは動かなかった。前進も後退もせず、ただ女性が歩んで来るのは黙って見続けた。
そして女性はセレナの眼前に立つ。優しい眼差しでセレナを見つめる。
そして。
……私は貴女。貴女の心です。
どこかで聞いた声で、女性は語りかけてきた。その声に自然とセレナはサファイアブルーの瞳に涙を滲ませる。
……貴女がここに来たということは、貴女は私を欲している。そういう訳ですね?
女性の問いにセレナは静かに頷いた。
……そうですか。ならば私は貴女に力を貸しましょう。私は貴女の心、ゆえに貴女が欲するなら与える義務があるのですから。
女性はそういうと手のひらから、小さな火の玉を顕現させる。赤と橙の混じった、とても鮮やかな火だ。
……これは貴女の力の紙片。しかし全てを望んではいけません。貴女はまだ未熟、ゆえにこれが今の限界と言えましょう。
その火は女性からセレナへと手渡される。そして刹那、女性はセレナを抱きしめた。
まるで愛しい子供を抱くかのように、女性は持てる優しさを以てセレナを愛しく抱きしめた。
……出来れば二度とここに来ない方が良いでしょう。それは諸刃の剣すらを超える、ただの呪い。使い続ければ身を病み、いづれは闇へと堕ちてしまう。
女性の言っていることが理解出来ない。いや、理解は出来るが何故そんなことを言うのかが理解出来なかった。
女性は抱擁を外す。すると身は引っ張られるかのように女性からは離れて行く。悲しそうな顔を浮かべる女性から離れて行く。
……待って、貴女の名前は?!
恐るべき速さで離れて行く最中、セレナは女性に対して名を問いかける。だが女性は首を横に振った。
……貴女には言えない、教えられないのです。だから早く戻りなさい。愛しい私のーーーーーー
◆
「……お、やっと起きたか」
時間にしてわずか五分。深層意識に潜っていたセレナがようやく戻って来た。
「どうだ?   初めての深層意識の世界は。思ったよりも謎だらけの世界だったろう……って、セレナ。なんで泣いているんだ?」
「……っ、何でもないわよ」
「……そうか。なら良いんだが」
間違いなく何かあった。そう判断できたアランだが、なにせ深層意識の世界での話だ。他人の心を覗き見る行為は人間としてあり得ない行為。ゆえにアランはそれ以上は割り込まないようにした。
さて、と二人は一息。
「これでようやく、お前は【顕現武装】を使うための術式を手に入れたわけだが。今の気分はどうだ?」
「そうね。はっきり言って、お腹が痛いわ。どこかの誰かが思い切り殴った所為かしら」
「へいへい、悪かったな。けど深層意識に潜り込ませるには気絶が一番手っ取り早いんだよ。意識的に潜れる奴なんて、そうそういねぇんだからな」
意識的に深層意識に潜ることが可能となれば、それはすなわち好き放題に固有魔術が作れるような偉人となれる。
アランだって他者の理論から基づいて新たな魔術を作るのが精一杯だというのに、セレナがほいほいと簡単に出来てしまうと、アランとしても色々と困るのだ。
まあつまり、何が言いたいのかというと。
俺のプライドが許さん!   ということ。
ただの意地っ張りというわけだ。
「面倒くさい人……」
はぁ、とため息を漏らしてセレナは試しに手のひらへと魔力を集める。すると手の甲に小さな印が浮かび上がった。
「これは……」
「それが【顕現武装】の証だ。深層意識内で何かに貰ったんだろう?   まあ、貰えなかったら相性最悪だって事なんだが、貰えた事にはおおいに結構だ」
印は炎に身を包んだ蝶のような物。大きさは手のひらの面積の半分を占めるくらいで、魔力を集中させなければ見えないのだという。
……綺麗。
今まで見た事が無かったその印に、セレナは興味が惹かれる。
「ねぇ、これどうやって使うの?」
「単純だ。その印が見える状態のまま、詠唱するだけ。術式は頭の中に入っているから、今にでも使えるだろう。なんならほら、今からでも使ってみな」
「ほらって、アンタね……」
そんなほいほいと出来るものじゃあないでしょう。と言いかけたところで、ふと脳裏に言葉が浮かんだ。求めるものが唐突に現れたように、その言葉は口を無意識に動かす。
「《炎獅子よ、我は永久より在らしめる聖火の霊王なり。この身この腕は万象一切を灰塵に変え、人類の暦に終止符を唄う。我は終末より生まれし赤き聖女なり》」
これが、セレナの【顕現武装】ーー血華の炎巫女が初めて発現した瞬間だった。
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