英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第16話「対戦前日、決断の日」

第五回戦。


試合開始の合図と同時に発生した相手の魔力限界リミットアウトによりやるせない勝利を得たセレナは、昨日同様裏道から回って帰路に着き、手早に昼食を済ませると明日の試合についてアランと作戦を立てることになった。


まず最初に、アランは言う。


「正直な話、今のお前がユリアに勝てる確率はゼロだ。例えユリアの魔力がほとんど無くても、それを上塗り出来るほどの実力の差が有り過ぎる」


「開口一番から勝機無しと言われるとは思ってもいなかったわ……はぁ」


絶句すること無く、セレナは呆れたような目線をアランに向けながらため息混じりにそう返した。


「いやだってよく考えてみろよ?   アイツがここまでに至る過程の五試合全部、アイツは魔術の一つも使ってないんだぜ?   中には去年の本戦参加者もいたって言うのに、剣術一本で全てねじ伏せた力量からして勝ち目が無いのは明確だろう?」


「まあ、それはそうなんだけど……」


反論出来ない事が悔しいのか、セレナは紅茶を飲んで口を塞ぐ。


反論をしたい理由も分かる。なにせ次の対戦相手は自分と同学年で、同性で、しかも昔からの親友。そして何より生きる伝説リカルド=グローバルトの息女。


生きた年月が同じだというのに、個人情報に確たる差は決して無いはずなのに、その実力差に圧倒的だという事に目を当てられないのだ。


「でも……それじゃあ、私はどうすれば良いのよ?   剣術も魔術も知術も詐術も、何より戦術すらユリアに劣っている私が、全身全霊を以てあの子に勝つためには何をすれば良いのよ?」


とても必死に、アランにすがるようにしてセレナは尋ねる。自分の発言でここまでの顔をさせてしまったという事に、少しながらの罪悪感を感じたアランは、頬を指先で掻きながら言葉を返した。


「ユリアに勝てる要因としたら、長期戦に引っ張ってアイツの集中力を削ぐ事だ。アイツの戦い方は短期戦を元から想定してるだけあって、集中力がって精々十分弱が限界なんだ」


一週間以上戦いっぱなしの戦場において、十分弱などはほんの瞬き程度でしか無いのだが、ユリアは現在進行形で学院生だ。一対多数ではなく、一対一の戦いならば十分弱は余りにも長い時間だ。


だとすればセレナとユリアの十分弱の試合は、さながら捕食者と被食者の一方的な戦いころしあいとしか例えようが無い。


実力差が明確な二人が戦えば、きっと二、三分後には見るにも耐えられない惨状となっている事だろう。


だからこそ、アランは考えなければならない。最善手で最高策で最大限の必勝法を。


だが。


「たとえお前に、俺の今持っている全魔力を封じ込めた魔石を五個全てを渡したとして、俺が作成した術符十二種を全て預けたとして、俺が持ち得るユリアに勝つ可能性を持った作戦を教えたとしてもお前はユリアは勝てん」


とても残酷な現実を突き付けようと、アランは飄然とした顔付きでそう断言した。


たとえ全てを預けたとしても、それに対応する魔術を彼女は知らない。それに対応出来る剣術を彼女は使えない。それを現実に表せるだけの知術と詐術を彼女は現在知り得ていない。


では今から、彼女が万全な状態で明日の試合に臨めるだけの時間を除いた時間、つまりは十時間ほどで全てを伝え切れるだろうか。否、確実に不可能だ。


「もうこれで何度目になるかはとっくの昔に忘れたんだが、ユリアは異常だ。今のアイツの戦闘について行ける学院生はいない、クォントすら無理だ」


たったの十時間ほどで今あるユリアとの実力差を埋められるほど、教える知識は決して少なく無い。きっと莫大なその情報量に彼女は押し潰されるだろう。


……もっと早くに教えなかった俺の誤算だな。


セレナの剣術指南もとい戦術指南役として今日で約二週間だ。それで足りたなどと傲慢な事を言うつもりは無いが、それでもまだ変えられた現実が有るかもしれないし、有ったのかもしれない。


けど、今ではすでに遅い。時間は刻一刻と迫りつつある。剣術も魔術も知術も詐術も、戦いに必要な何もかもがセレナには足りなさ過ぎる。


はぁ、ともう何もかもに絶望したかのようなため息を漏らしていると、


「でしたらここは一つ、ユリアさんの弱点から考えてみてはどうでしょう?」


新しい紅茶を淹れ直しに屋敷内に戻っていた侍女、ユーフォリアが微笑みながらやって来た。相変わらずの神出鬼没だ。


「良い判断ね、リア。ちょうど私もそう考えていたところなのよ」


「そうでしたか。それはとんだお邪魔を」


「良いの良いの、意見してくれた事には感謝してるんだから。それより紅茶をちょうだい」


差し出されたティーカップに紅茶を注ぎながら、ユーフォリアは話を続ける。


「ここには丁度、ユリア様にお詳しいアランさんがおらっしゃいます。この幸運を有効活用しない手はないかと」


「そうね。……じゃあアラン、ユリアが何が苦手とか何が嫌いとそういう物はある?」


「あると言えば、あるけど……」


話しても良いのだろうかと考えるアラン。だがまあ仕方がない、このままでは八方塞がりなのだから、少しでも考えを進めなければ。


「ユリアの苦手な食べ物はニンジンとピーマン。苦手な動物は猫。苦手な人物はクソ親父だな」


「最後のは聞いて良かったのか考えものだけど……まあいいわ。ニンジン、ピーマン、猫が嫌いなのね……十年以上も学院で一緒だったのに、あの子そういう事は顔に出さないんだもの。今なら少しだけ親近感を覚えるわ」


「そうですね。お嬢様もピーマンがお嫌いですからね」


「ちちち違うわよ!?   ただ昔苦手だっただけで、別に今はーー」


「なら良かったです。今日の朝市でピーマンがお安く手に入ったものでして、今晩の献立を庶民風にピーマンの肉詰めにしようとでも考えていたところなのですが……。お嬢様がお嫌いじゃないのでしたら、別にそれで構いませんよね?」


「え、ええ!   構わないわよ!」


テーブルの陰で震える拳をアランは傍目に見て、明らさまに嘘だと判断できた。食べ物に好き嫌いのないアランは、内心で腹を抱えて笑っていた。


話を戻す。


「……で、ユリアの嫌いな物を知ったとしてどうやってアイツにそれを見せるんだ?」


いや考える必要はない、とアランは即座に判断する。


わざわざピーマンやらニンジンやらを会場に持って行く事は出来ない。リカルドに関しても現在アルダー帝国と戦争真っ只中で、帰って来るのにあと三日はかかるだろう。


……だとすれば、使うのはこれか。


アランが取り出した物、それは大会が始まる前にセレナに渡した物と同じ効果を持った術符だった。


「なるほど、術符を使うのか」


「そう、今回は精神支配系の術符を使おうかなって、前々から考えていたのよ」


本来の魔術よりも術符の魔術は簡易版なため、効果と持続時間ははっきり言って低いが、それでも使う意味はある。


だが、それなら一つだけ、問題があった。


「もし精神支配をしたとして、ピーマンやニンジンはむしろヤバイんじゃあないのか?   アイツがキレて切り掛かってくる事も、否めないだろう?」


例えばもし、自分がリカルドが大嫌いだとしよう(というか大嫌いなのだが)。そんな人物が唐突に目の前に現れた場合、訳が分からなくなって手当たり次第に剣を振るって切ってしまうだろう。


そう考えられる場合にこの手はむしろ使えない。


「……では、逆にユリアさんの好きな物で攻めるのはいかがでしょう?」


そして再びユーフォリアからの助け舟。


「ユリアさんはアランさんと夫婦になるために魔剣祭に出場しているとか」


「なあ、リア。その情報はどこから聞いたのかな、かなぁ!?」


「いえ、お嬢様の後を尾行ストーキングしていた際に、少し小耳に挟んだ程度です」






……この侍女メイド、さも当たり前のようにストーキングと言いやがった、言いやがったよこの人!?






今更この程度で突っ込むのも何なので、アランは胸中でそう突っ込んだ。


一呼吸していったん落ち着いたところで、ふたたび会話を始める。


「……まあ、何はともあれその作戦かんがえは良いと思う。けどアイツには無意味だと思うぞ?   試合中に俺がお前らの前に立って出る事が出来ないことくらい、アイツだって見通せるはずだしな」


「そうね……確かにそうだわ。でも、ほんの少しでも止められるはずーー」


「いや、容赦なくぶった切ると思う」


「え、いや嘘でしょ?」


たとえ偽物だとはいえ、アランはアランなのだ。それを躊躇い無しに切ることなど出来るのならば、それは間違いなく頭がおかしい。


だがアランは眉ひとつ動かすことなく、淡々と言う。


「本気だ。アイツなら考える事なく絶対に切ることを俺が保証しよう。だから止めておけ、無駄に魔力と精神を消費するだけだからな」


「アンタがそう言うなら、そうなんでしょうけど……」


けど、と言った意味はよく分かる。これで作戦は振り出しに戻った。進展は一歩としてない。


「……アランさんは何か考えがありますか?」


ユーフォリアがそう尋ねてくる。


「いや、何も無いんだが……」


アランが知り得る百を超える魔術の全てに対してユリアは対策を持っている。その多数が剣でぶった切るという無理難題な方法なのだが、アイツは容易くやってのける。


詐術も天然ピユアなユリアには全く通じないし、知術に関しては使おうとしても頭の回転が追いつかないほどの超戦闘だ。考える暇など与えてくれるはずも無いし、あらかじめ考えておいた事が上手く通用するとは到底思えない。


……つーかユリアに勝つなんざ、人間辞める気にでもならないと……って。


「人間を辞める……?」


何言ってんだ俺という自問自答と、何かを掴めそうな感覚に思考が一瞬、ほんの一瞬だけ停止する。


「アンタ、いきなり喋ったと思ったら、何怖いこと言ってるのよ?」


刺さるような視線をアランに向けながらも、セレナもユーフォリアと必死に策を講じている。


まあ、彼女の思うことは最もだとアランも思う。人間は決して趣味や職業なのでは無い、人間というのは「そうである」という概念なのだから。


魔術師も魔術騎士も、人智を超越した力を持ったとしても、所詮は人間という概念からは逃れる事は出来ないのだ。


……だけど、それでも人間を辞める、つまり人間の領域を超えることが出来れば?


その魔術をアランは持っている。かつて自分が帝国騎士だった時にリカルドの横に立つことすら可能だった、最大にして最強の魔術と、アランはそれを知識として有している。


けど、駄目だ。これは決して他人に使わせてはいけない魔術だ。


この魔術の終着点を自分は知っている。この魔術を使い続けた末路を知っている。


たとえセレナが力を求めたとしてもこの魔術だけは決して教えられない、教えてはいけない。


……嫌だなあ。


今でも過去を思い出せば、薄く残った全身の傷跡が疼く。血流さえ生々しくて気持ち悪く感じる。


消えない傷、消せない傷、身体の傷、心の傷、過去の傷、罪過の傷、傷傷傷。そんな数えることすら億劫になるほどの傷を、他者に、セレナに見せる。それは自分の過去を見せる事となんら変わりが無い。


嫌なのだ。セレナに嫌われようが憎まれようが関係ない。大仰な理由を述べていても、結局は自己保身なのだ。


怖い、自分を見せるのが怖い。自分を事を知った相手が、利用価値の有無で見つめるその目が怖い。自分を人間ではなく化け物として見つめてくるその目が怖い。


実のところエフィナに過去を、自分の履歴を暴かれた時には心底怯えていた。いかな死地を何度も味わったとはいえ、これは別種の恐怖だ。冷めた顔付きで平然を装っても、子供のように喚きながら逃げたいとさえ思った。


けど許されない、目を逸らす事を許されない。それは罪から逃げる事と同義だから。


「なあ、セレナ」


だからアランは考えた。この選択が絶対に最悪であると分かりながら考えた。


目の前に「教える」と「教えない」という二つの道が存在して、前者の方が明らかに将来が破綻している事を分かりながら、アランは考えた。


それは深刻に、真剣に。過去二十年間で数度しかない程に、自身の知識と見解を見比べながら、何度も何度も試行を繰り返し考えた。


「思い当たったんだが……」


そして決断する。未だ平坦な道を幸せそうに進むセレナに棘の道を歩めと、今から彼女に命令する。


罪は背負う。傷も背負う。今後で彼女がその力を拒絶するなら全身全霊をかけて魔術の代償から救ってみせよう。


「一つだけ、良い方法がある」


「方法?   何よそれ?」


「ああ、それはなーー」






そしてアランは、再びその身に傷を刻む。

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